不定期な定期投稿を繰り返すの、本当に良くないなと思ったりします。
霧闇煌炎さん、評価して10ありがとうございます。励みになります。
実習4日目は、朝から雨だった。
海が荒れて実技は中止になり、僕たちは事務所の2階で座学を受けることになった。窓ガラスを叩く雨の向こうで、灰色の海が重たくうねっている。
ライフラインさんは机の上に何枚も海図を重ねて広げると、僕だけを手招きした。昨日の浮きの件で、少しは使えると思ってもらえたらしい。
「碧海。この1ヶ月の、湾の外の事故記録だ。お前さんの目で見て、どう思う」
節くれだった指が、赤い印をひとつずつ示していく。
「小型船の遭難が、先月から7件。多すぎる。30年見てりゃ季節の顔くらいは覚えるが、こいつは季節じゃねえ」
赤い印は、ばらばらに散っているわけではなかった。湾の入口から沖へ向かって、ゆるい弧を描くように並んでいる。その弧の内側に何があるのかは、言われなくても分かった。公安が封鎖している黒い一点、あの要塞だ。
「弧の外じゃ1件も起きてねえ。それと、助かった連中が口を揃えて妙なことを言う。急に船底を何かが叩いて舵が利かなくなって、気づいたら真っ黒い背中が船の周りを回ってた、ってな。目があった、と言った奴もいる。沈められた船もあるが、乗ってた連中は大抵、浮いてるところを拾われてる。食い殺されたって話は一つもねえ」
そこでライフラインさんの指が、赤い印の横に小さく書かれた青い印へ移った。
「その代わりに、拾いに行った船がやられてる。漁協の船が2隻、船底を叩かれた。1隻は戻ってこなかった」
浮いていた人は助かって、助けに行った船のほうが沈んでいる。その順番がどうにも気持ち悪かった。
「公安には、報告したんですか」
「した。保安庁は潮と天候の事故で片付けて、公安に上げてもあの構造物は今も『調査中』で終わりだ。誰も動かねえ」
ライフラインさんはうんざりしたように鼻を鳴らして、海図を僕のほうへ押しやった。
「昼から晴れる。それまで、そいつを睨んでろ」
隣の机では、朱地さんが頬杖をついて、退屈そうに雨粒の筋を指でなぞっていた。
午前の残りは救助艇の整備に回された。雨の中の桟橋に出るわけにもいかないので、事務所の土間にロープや救命胴衣を広げての作業になった。
「もやい結び。船乗りの基本だ。やってみろ」
見本を一度見せてもらってから、ロープの端を輪にくぐらせる。結べた、と思って差し出すと、ライフラインさんは黙って引っ張り、黙ってほどいた。
「やり直し」
「……はい」
二回目もほどかれた。三回目でようやく何も言われなくなって、僕はこっそり息を吐いた。頭で手順を覚えていても、指がついてこない。こういうのは、本を読んでもどうにもならない種類のものらしい。
その隣で、吹雪はあっさり一回で結んでいた。
「吹雪ちゃん、上手!」
「当然です。船ですから」
吹雪はちょっと得意そうに胸を張って、それから朱地さんの手元を見て、口を閉じた。
朱地さんも、一回で結んでいた。しかも吹雪より速かった。
「朱地さん、船に乗ったこと、あるの?」
「え? うーん、それなりに? 小さい頃から、海で遊んでばっかりだったから」
「おい、嬢ちゃん」
ライフラインさんが、朱地さんの結び目を見て眉を上げた。
「その結び方、誰に習った」
「え? えっと……本で」
「本、ねえ」
ライフラインさんはそれ以上何も言わなかったけれど、しばらく朱地さんの手元を見ていた。
僕は救命胴衣の留め具を一つずつ確かめながら、さっきの青い印のことを考えていた。
「ライフラインさん。もし、また例の黒いのが出たら、どうするんですか」
「拾って、逃げる」
ロープを巻く手を止めずに、ライフラインさんは言った。
「戦えとは、誰にも頼まれてねえ。俺が頼まれてるのは、拾うほうだ」
昼過ぎ、予報通りに雨が上がった。
その途端に、事務所の無線が鳴った。湾の出口で、無人のボートが漂っているという漁協からの連絡だった。
「乗れ。見るだけだ」
まだうねりの残る海へ艇を出すと、湾の出口の少し手前で、白い小型ボートが横倒しになって浮かんでいた。人の姿はない。ライフラインさんが無線で確かめると、昨夜の雨で舫いが切れて流された船で、持ち主は家で寝ていたらしい。
「人がいないなら、それでいい」
ライフラインさんはそう言ったけれど、ボートを艇の横に引き寄せた途端、黙り込んだ。
横倒しになった船底に、深い傷が何本も走っていた。岩に擦った傷じゃない。半月形に並んだ、えぐるような痕。まるで、何かに噛みつかれたみたいな。
「司令官……」
吹雪の声が硬かった。僕も、同じものを思い浮かべていた。
「……なに、これ」
艇の縁から覗き込んだ朱地さんが、顔をしかめて一歩下がった。
「流されただけ、だといいがな」
ライフラインさんは事務所のカメラで傷を何枚か撮ってから、ボートを曳いて港へ戻った。帰りの艇の上では、誰もほとんど喋らなかった。
港に戻ってから、僕は借りた海図を抱えて桟橋の端に座り込み、7件の遭難地点を日付の順に並べ直してみた。
最初の3件は要塞から遠く、次の2件は少し近く、直近の2件はもっと近い。範囲が少しずつ広がっている、というより、要塞から外へ向かって手を伸ばしているように見える。
次に時刻を並べて、ペンが止まった。全部が夜明け前か日没の直後で、昼間に起きたものは一つもない。人の目が一番届かない時間ばかりだ。
僕が知っている深海棲艦は、USJでも初めて吹雪と戦った日の海岸でも、目の前にあるものに片っ端から牙を剥くだけの獣だった。その獣が人目を避けて動いていて、しかも噛み裂けたはずの乗員を、わざと浮かべたまま残していく。
浮いている人がいれば、拾いに来る船がある。救助艇が来て、ヒーローが来る。一隻沈めて終わりにするより、ずっと多くを呼び寄せられる。ライフラインさんの青い印の意味は、たぶんそれだ。
僕はペンを置いた。正直に言えば、外れていてほしい読みだった。一昨日、沖へ出た日に、吹雪は要塞の奥に気配がすると言っていた。あそこにいる何かは眠ってなんかいなくて、しかも、こういうやり方を思いつけるのだ。
「何を、そんなに睨んでるの?」
すぐ後ろで声がして、本気で心臓が跳ねた。
振り返ると、朱地さんがパンの袋を片手に立っていた。
「遭難の分布を、考えてて」
「ふうん。熱心だねえ」
朱地さんは僕の隣にしゃがみ込んで、海図を覗き込んだ。
「碧海くんは、何が原因だと思う?」
「まだ分からない。でも、規則性はあると思う」
「規則性。ふふ、碧海くんらしいね」
朱地さんの指が、海図の上をなぞった。無造作に、けれど迷いなく、あの弧の内側を。
「じゃあさ、次はどこで起きると思う?」
「予測するには、データが足りないよ」
「いいから、当ててみて。ゲームだと思って」
しかたなく、僕は弧の内側でまだ事故の起きていない海域を指した。漁船の航路が多くて、範囲の広がり方から考えれば、次に危ないのはここだろう、という場所だ。
「強いて言うなら、ここかな」
「うーん、惜しい」
朱地さんの指がすっと北へずれた。岩礁に挟まれた、細い水道だった。
「私は、ここだと思う」
「どうして?」
「潮が淀むから」
「朱地さんって、この辺りの人なの?」
「ん~? そうだよ。だから、この辺の海についてはだいたい分かるよ。それに、私の個性で……海の『意思』っていうのかな? ぼんやりと、海がどうなってるのか分かるんだ。地味でしょ」
「そんなことないよ。ライフラインさんと組んだら、活躍出来るんじゃない?」
「えー、どうかなあ。浮舟さん、怒ると怖いし」
朱地さんは、くすくすと笑った。
「戻ろ。浮舟さんが呼んでるよ」
パンの袋をくしゃっと丸めて、朱地さんは桟橋を戻っていった。その背中を見送ってから、僕は海図の一点に目を戻した。
両側を岩に囲まれていて、出口は一つしかない。外からは見えにくく、入ってきた船には逃げ場がない。潮が淀むなら、浮いた人間はすぐには流されずに同じ場所に留まり続けて、それを拾いに来る船を待てる。待ち伏せる側から見れば、これ以上の場所はない。
そういえば事務所の壁の海図でも、この水道の周りにだけ、鉛筆の渦巻きが何重にも描き込まれていた。昨日、自分の矢印を書く場所を探していて、目に入ったのだ。ライフラインさんが何度も確かめた跡なのだろう。
いや、待て。30年かけて書き込まれたことを、あの子はもう知っていたことになる。
でも、地元の子で、しかも海の様子がぼんやり分かる個性まであるのなら、潮の淀む場所くらい知っていてもおかしくはない。僕が事故の記録から辿り着いた一点に、朱地さんは自分の個性で辿り着いた。たぶん、それだけのことだ。
夕方、桟橋で考えたことを話すと、ライフラインさんは「知ってる」とだけ言って、壁の海図の渦巻きを指で叩いた。漁協には、昼のうちにもう電話してあったらしい。
「だが、あそこは潮が淀む分、魚が溜まるいい漁場だ。言って聞く連中なら、とっくに誰も行ってねえ」
戸締まりを手伝って外へ出ると、朱地さんが桟橋の先に立っていた。雨上がりの海は、まだ少しうねりを残している。
「明日は、凪ぐよ」
振り返りもせずに、朱地さんが言った。
「それも、個性で?」
「そういうこと」
ようやくこちらを向いて、朱地さんは笑った。夕日を背にしていて、表情はよく見えなかった。
「また明日ね、碧海くん。吹雪ちゃんも」
白い背中が桟橋を離れて、町へ上がる坂道には向かわずに、浜のほうへ降りていく。夕暮れの砂浜を、朱地さんは一度も振り返らずに歩いていった。
「……司令官」
「うん?」
「いえ。戻りましょう。夕飯の時間です」
吹雪はそう言って、先に歩き出した。
◇ ◆ ◇
夜、民宿の部屋で、僕は吹雪に連絡網を繋いでもらった。
妖精たちが作ってくれた無線機は、さすがにこの距離までは届かない。艦娘たちだけが繋がっている回線は、僕には聞くことも触れることもできないので、家にいる3人と話すには吹雪の口を借りるしかなかった。
正座して目を閉じた吹雪に、僕はこの4日間で分かったことを順番に話した。要塞を囲む弧、広がっていく範囲、夜明け前と日没後に偏った時刻、浮かべたまま残される生存者と、拾いに行って沈んだ船のこと。それから、今日のボートの噛み痕。
「加賀さんです。──『時刻の偏りは看過できません。深海棲艦に、人目を避ける習性はなかったはずです』」
「うん」
「『生存者を残すのは、救助に来る者を誘い出すための餌でしょう。釣りと同じです。ということは──』」
吹雪の声が、そこで途切れた。向こうで加賀さんが言い淀んだのだと分かった。
「誰かが、そうさせてる」
僕が代わりに言った。
「隠れろとか、餌を撒けとか、そういうやり方を教えた誰かがいる。そうとしか思えない」
吹雪の眉が少し寄った。
「長門さんが……『あれらに知性はない。海に沈んだ怨嗟が形を取っただけの獣だ』と。……あ、待ってください。長門さんが『いや、待て』と。『去年現れたあの要塞、そもそもあれ自体が獣に築けるものではないぞ。あれは拠点だ』」
「球磨さんも、です。『獣が獣じゃなくなるとしたら、誰かが知恵をつけたからクマ。その誰かは、たぶん獣よりずっとタチが悪いクマよ』……あっ」
「どうしたの」
「加賀さんが『最初からそう言っています。回りくどいのはあなたです』と……球磨さんが『加賀に回りくどいって言われたくないクマ』と……あの、長門さんが『二人とも黙れ、提督の話の途中だ』と……」
吹雪は目を閉じたまま、困った顔で三人分の言葉を順番に並べていった。遠く離れた家のリビングの様子が、手に取るように目に浮かんだ。
「……みんな、元気そうでよかった」
「はい。長門さんが、今お二人の湯呑みを取り上げました」
「吹雪、加賀さんに伝えて。明日か明後日、もし何かが起きたら、来てほしい。全員で」
吹雪が伝えて、数秒の間があってから、目を開けた。
「『了解しました。長門は足が遅いので、私が先行します。球磨には長門の護衛について、後から追わせます』……とのことです。あの、長門さんが少しむっとしています」
僕は頷いて、布団に横になった。
「司令官」
灯りを消してしばらくしてから、暗い中で吹雪の声がした。
「起きてた?」
「はい。……あの」
布団の擦れる音がした。こちらへ寝返りを打ったのが分かった。
「明日、もし何かあったら。朱地さんのことを、どうか、あまり近くに……」
そこで、言葉が止まった。
近くに置かないでほしい、という意味だろう。明日、もし何かが起きれば、そこは戦場になる。朱地さんは手伝いに来ているだけの女の子で、艇に乗せて連れて行けば、巻き込むことになる。僕だって、それは避けたかった。
「うん、分かってる。何かあっても、朱地さんは連れて行かない。危ないから。ライフラインさんにも、そう頼んでおくよ」
返事は、すぐには来なかった。
波の音が何度か寄せて返すあいだ、吹雪は黙っていた。
「……はい。それが、いいと思います」
「吹雪? 他にも何か、気になることがある? 君の勘はよく当たるから、あるなら聞きたい」
「いいえ」
間があった。
「……司令官こそ、明日は無茶をなさらないでくださいね。約束です」
「うん。約束する」
初日の夜、吹雪が朱地さんのことを何か言いかけてやめた時も、僕は聞き返さなかった。本人が言葉にしないものを無理に引き出すのは、どうにも苦手だ。今夜も、それ以上は聞かなかった。
「おやすみ、吹雪」
「おやすみなさい、司令官」
吹雪が向こうへ寝返りを打つ音がして、部屋は静かになった。
僕は天井を見上げたまま、あの細い水道の形を頭の中でなぞっていた。うとうとしかけた頃、廊下を小走りに来る足音がして、襖の向こうから民宿のおかみさんの声がした。
「碧海さん、起きてる? 浮舟さんから電話よ。急ぎじゃないけど、伝えといてくれって」
襖を少し開けると、おかみさんはメモを読み上げた。
「漁協の若いのが何人か、明日の朝もあの水道に出るつもりらしい。止めたが聞かねえ。明日は早めに来い、だって」
お礼を言って襖を閉めてからも、僕はしばらく、暗い部屋の真ん中に立ったままでいた。
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「自分の推し艦登場してないんだけど~?」という方は、活動報告(https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=334480&uid=441935)の方でまだまだ募集中です。よろしくお願いします。
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