今回は何日連続で投稿できるかなッ!
darkbaronさん、ルシュンさん、REGO将軍さん、評価9ありがとうございます。お陰様で評価バーの色が赤色に戻りました。感激。
1時間が過ぎても、無線は黙ったままだった。
「ライフラインさん、応答してください。こちら碧海です。ライフライン、応答を」
何度呼んでも、スピーカーから返ってくるのは砂嵐みたいなノイズだけだった。事務所の壁の時計の秒針が、さっきから妙に大きく聞こえる。
◇ ◆ ◇
実習5日目の朝は、朱地さんの言った通りによく凪いでいた。
桟橋で救助艇の点検をしていると、事務所の中からライフラインさんの声が飛んできた。その声の硬さだけで、何かあったのだと分かった。
夜明け前に出た3人乗りの漁船が、応答を絶ったらしい。昨夜の電話の通り、止めても出た船があったのだ。ライフラインさんが海図の上に置いた指の先は、岩礁の陰の細い水道。昨日、朱地さんが「潮が淀むから」と指した、まさにその場所だった。
「……当たっちゃった」
朱地さんは小さく呟いて、海図から目を逸らした。
「ライフラインさん。あそこは要塞に一番近い海域です。去年と同じものが出ているなら、救助に行った船も狙われます。生き残った人を浮かべておいて、拾いに来た船を沈める。昨日の記録は、全部そう読めました」
ライフラインさんはしばらく僕の顔を見ていたけれど、やがて壁に掛かった救命胴衣に手を伸ばした。
「だろうな。だから俺が行く。巡視船は喫水が深くて、あの水道には入れねえ」
「僕たちも──」
「来るな」
振り返ったライフラインさんの声は、いつもよりずっと静かだった。
「仮免もねえ研修生と、ただの手伝いの嬢ちゃんだ。連れて行けるか。初日に教えたな。海で人を助けるのに、一番大事なことは何だ」
「……自分が、死なないこと」
「そうだ。守るさ。俺は30年、死んでねえ。1時間で戻る」
救助艇の白い航跡が、朝の海を裂いて遠ざかっていった。
「吹雪、みんなに連絡して。今すぐ来てほしいって」
「はい!」
吹雪が目を閉じて、すぐに開いた。
「加賀さんが、すぐ出るそうです。ただ、家から一番近い海に出て、そこから海沿いに回ると100キロ以上あって……全速でも2時間はかかる、と」
2時間。ライフラインさんは1時間で戻ると言った。それなら、間に合わなくても困らない。そう思うことにした。
◇ ◆ ◇
1時間10分。
吹雪は窓際に立って、水道の方角から一度も目を離さなかった。朱地さんは事務所の隅の椅子に浅く腰かけて、膝の上で両手を組んでいる。いつもならよく喋るのに、さっきから一言も口をきいていなかった。
「浮舟さん、まだ生きてると思う」
不意に、朱地さんが言った。
「あの水道は潮が淀むから、沈んでもすぐには流されない。浮いていられれば、時間はあるよ」
「どうして、そう言い切れるの」
「分かるの。言ったでしょ、海がどうなってるか、ぼんやり分かるって」
朱地さんは組んだ手に目を落としたまま、それきり黙った。
1時間20分。保安庁に問い合わせると、巡視船は岩礁から数キロ沖で待機しているが、中の様子は分からないという返事だった。ライフラインさんの艇の位置信号は、20分前から途絶えている。研修生は事務所で待機するように、とも言われた。
1時間30分。
僕は無線のマイクを置いた。手が震えていて、置く時に机に当たって、かちんと音がした。
「行こう」
思ったより硬い声が出た。
あそこに何がいるのか、ライフラインさんは僕の話を聞いてから出ていった。そもそも僕は、要塞に近づくためにこの事務所を選んだのだ。その人が今、僕の読みを抱えたまま、あの海で連絡を絶っている。
仮免許もない研修生が、監督者のいない場所で個性を使えば違反になる。後で必ず問われる。それが分かっていて、僕はもう一度マイクを取った。
「保安庁へ。ライフライン事務所の研修生、碧海です。これから水道の確認に向かいます」
待機を、と返ってきかけた声を、最後まで聞かずに切った。
「行きましょう、司令官」
吹雪はもう艤装の準備を始めていた。僕は妖精たちに頼んで、いつもの連装砲と魚雷に加えて、爆雷と水中探信儀を積んでもらった。昨日の記録には、船底を下から叩かれた話がいくつもあった。相手が水の下から来るなら、上だけ見ていても意味がない。
「加賀さんは、あと30分ほどだそうです」
30分。待っていられる時間じゃない。
「朱地さんは、ここに残って」
「行くよ」
即答だった。
「あそこを当てたの、私だもん。それに碧海くん、どうやって行くつもり? 吹雪ちゃんに抱えてもらうの? そしたら吹雪ちゃん、両手が塞がったまま戦うことになるよ」
朱地さんは窓の外を指差した。ライフラインさんの艇が泊まっていた場所の隣に、ひと回り小さな予備の艇が繋がれている。
「あれなら、私が動かせる。碧海くんは、艇の上から指示を出せばいい」
「危ないんだ。本当に」
「知ってる」
朱い目が、まっすぐ僕を見ていた。
「自分で決めて行くんだよ。碧海くんのせいじゃない」
昨夜、吹雪に言ったことが頭をよぎった。何かあっても、朱地さんは連れて行かない。
吹雪のほうを見ると、艤装の留め具に手をかけたまま、何も言わずに目を伏せていた。
他の手を、一つずつ考えた。
吹雪に予備の艇を曳いてもらう。それだと吹雪の足が止まって、水道の入口で艇ごと的になる。僕が操船する。エンジンのかけ方は教わったけれど、あの岩場を抜けられる腕はない。加賀さんを待つ。あと30分。ライフラインさんの位置信号が消えてから、もう30分経っている。
どれも、駄目だった。
「……お願いします。危ないと思ったら、迷わず引き返して」
朱地さんは返事の代わりに、壁の鍵束から予備艇の鍵を外した。
予備の艇は、朱地さんの手に驚くほど素直に従った。波の頭を斜めに切って、うねりの谷で速度を落とし、また上げる。昨日もやい結びを一回で決めた手と同じで、迷いが一つもない。その横を、吹雪が海面を滑って並走していた。
僕は舳先に立って、近づいてくる岩礁を睨んだ。
相手は、拾いに来る船を待っている。だったら、まっすぐ要救助者のところへ向かうのは相手の思う壺だ。先に敵の位置を押さえなければ、救助どころか、こっちが餌の仲間入りをする。
「朱地さん。水道に入ったら、要救助者には近づかないで、入口の近くで艇を止めて。吹雪は艇から離れすぎないように。こっちが狙われたら、すぐ戻れる距離にいてほしい」
「了解です」
「はーい、船長さん」
こんな時でも軽口を叩く朱地さんに、少しだけ肩の力が抜けた。
水道に入った途端、匂いが変わった。潮の匂いに、鉄錆と、何かが腐ったような匂いが混じっている。深海棲艦の匂いだ。
水道の奥、傾いた漁船の残骸の少し先で、転覆した救助艇に引っかかるようにして、赤い救命胴衣が浮かんでいた。
ライフラインさんだった。背中を裂かれて、ぐったりと動かない。その周りに3人の漁師たちが浮かんでいて、全員の救命胴衣が、ロープで救助艇の残骸に結びつけられていた。気を失う前に、あの人がやったのだ。……もやいだ。僕が二回ほどかれた、あの結び方だった。
背中の傷は深い。出血はどれくらいだ。いや、考えるな。先に敵だ。
けれど、水面に敵の姿はなかった。岩に砕ける波の音だけが、狭い水道の中で反響している。
「司令官、電探は岩に遮られて、奥まで見えません。探信儀には反応があるんですけど、岩の反響がひどくて、数も位置も掴めなくて……でも、います。水の下にも」
浮いている4人は、餌だ。それを拾いに来る者を、どこかの岩陰で待っている。
どこからだ。どの岩の陰から来る。
「右の、二つ目の岩」
舵を握ったまま、朱地さんが言った。水面を見ているというより、何かの音に耳を澄ませているような顔だった。
「その陰に1つ。あとの2つは、奥の深いところ。右のあの子は、潮が変わるのを待ってる。もうすぐ出てくるよ」
「どうして、そこまで分かるの」
「言ったでしょ。海のことなら、分かるの」
聞き返している時間はなかった。示された岩を見ると、確かにそこだけ波の筋が不自然に撚れている。
「吹雪、右の二つ目の岩の出口に照準。出た瞬間を撃って」
「了解です」
吹雪が砲口を岩陰に向けて、ぴたりと止まった。
「……今」
朱地さんが小さく言うのと同時に、岩陰の水が盛り上がって、黒い船体が白い仮面のような顔を突き出した。
「撃て!」
「はいっ!」
顔を出した瞬間に、吹雪の主砲がその仮面を砕いた。駆逐イ級が、金属を引っ掻くような悲鳴を上げて沈んでいく。
「奥の2つが動いた。1つは、浮いてる人たちのほうに行く」
見れば、ライフラインさんたちのすぐ傍で、水面がゆっくりと持ち上がり始めていた。
「吹雪、あっちを──」
言いかけて、僕は口を閉じた。
待て。浮いている人間は餌だ。昨日、桟橋でそう読んだのは僕自身じゃないか。餌を撒いて待っている相手が、自分から餌を食べに行くはずがない。あれは、吹雪をあそこへ引っ張り出すための動きだ。
だとしたら、本命は。
「朱地さん。あれ、見せてるだけだよね。本命は──」
「うん。その下」
朱地さんが、少し驚いたように僕を見た。
「吹雪ちゃんがあっちへ行ったら、真下から来る。……碧海くん、すごいね」
外れたら、浮いている4人が喰われる。それでも、ここで吹雪を動かせば、たぶん吹雪が喰われる。
「吹雪、あっちは撃つだけでいい。近づかないで。本命は真下だ。足元から来る瞬間に、爆雷を落として」
「了解!」
吹雪が持ち上がりかけた影に砲弾を一発叩き込むと、影はすぐに沈んだ。手応えのない、空の水柱が上がる。
その直後、吹雪の足元の海が、黒く膨らんだ。
「今です!」
朱地さんと吹雪の声が重なった。吹雪が跳びのきながら爆雷を投げ込み、一拍おいて、狭い水道を白い水柱が埋めた。真下から突き上げてきた黒い影が、その水柱の中でばらばらになる。
さっき潜った囮の1隻が、少し離れた場所でまた浅く浮き上がってきた。次の瞬間、水面に白い筋が走った。こちらへ、一直線に。
「雷跡!」
「碧海くん、伏せて!」
朱地さんが舵を一杯に切って、艇が大きく傾いた。白い筋が船腹すれすれを抜けていく。魚雷を撃つために浮き上がった黒い船体が、ちょうど吹雪の正面に晒されていた。
「吹雪ぃッ!」
「はいッ!」
連装砲が火を噴いて、黒い船体が爆散した。
波が収まるまで、僕は艇の縁を掴んだまま荒い息を吐いていた。
「やった……やったよ、碧海くん!」
朱地さんが舵から手を離して振り返った。頬を上気させて、子どもみたいな顔で笑っていた。
「すごい……誰かと合わせて戦うのって、こんな感じなんだ」
朱地さんは胸のあたりを押さえて、少しのあいだ黙っていた。
「……楽しいね、これ」
「司令官」
艇の傍まで戻ってきた吹雪が、僕にしか聞こえない声で言った。その目は、笑っている朱地さんの横顔に向いていた。
「さっき朱地さん、あの深海棲艦のことを、『あの子』と呼んでいました」
「え……?」
聞き返そうとしたところで、浮かんだままのライフラインさんの姿が目に入った。
「ごめん、あとで聞く。今は、ライフラインさんたちを」
「……はい」
4人を艇に引き上げるのは、戦うより難しかった。ライフラインさんが気を失った今、彼らを浮かせているのは救命胴衣だけで、水を吸った作業着ごと、ずしりと重い。僕と吹雪の二人がかりで、やっと一人目の漁師を艇の縁まで持ち上げた。
「手伝うよ」
朱地さんも艇の縁から手を伸ばして、三人がかりで二人目、三人目と引き上げていった。
最後に引き上げたライフラインさんの身体は、氷みたいに冷たかった。それでも、脈はあった。
「ライフラインさん、聞こえますか」
瞼がかすかに震えた。
「……言った、だろうが……来るなと……」
「すみません」
「……ふん。……人数は」
「全員無事です。あなたが繋いでいた3人も」
ライフラインさんの口の端が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……そうか。……よくやった」
それだけ言って、ライフラインさんはまた目を閉じた。呼吸は、まだちゃんとあった。
僕は救命胴衣の紐を締め直して、積んであった毛布を2枚重ねてかけた。漁師たちの意識を一人ずつ確かめていく。指先がうまく動かなかった。
その時、水平線のほうから零戦の編隊が飛んできた。海面に長い影を落としながら、その下を、一隻の艦娘が滑るように渡ってくる。
「加賀さん……!」
加賀さんは艇の傍で足を止めた。
「提督、ご無事で。長門と球磨は、まだ海の上です」
「うん、ありがとう。ライフラインさんを、すぐに──」
言いかけて、僕は加賀さんが僕を見ていないことに気づいた。ライフラインさんも、吹雪も見ていない。
その視線は、艇の舵の傍らで、こちらに笑いかけている朱地さんに向けられていた。
加賀さんの手が、ゆっくりと背中の矢に伸びた。
「……貴女、どういうつもり?」
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「自分の推し艦登場してないんだけど~?」という方は、活動報告(https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=334480&uid=441935)の方でまだまだ募集中です。よろしくお願いします。
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