生ハムの美味しさに感動してました。お酒がなくても美味しい。
A.Kさん、評価9ありがとうございます。評価9の評価数バーに色がついてホクホクです。
「……貴女、どういうつもり?」
加賀さんの矢の鏃が、まっすぐ朱地さんに向いていた。
「加賀さん、何を──」
「提督、下がってください」
加賀さんが僕の言葉を遮ったのは、初めてだった。
「朱地さんは一緒に戦ってくれたんだ。ライフラインさんの居場所も、敵の位置も、全部──」
「ええ。だからです」
加賀さんは、僕のほうを見ないまま言った。
「人目は承知で、偵察機だけ先に飛ばしました。この水道の上に着いたのは、最後の1隻が沈むところです。そのあと、提督と吹雪が一人目の漁師の方を引き上げている間に、彼女は艇の反対側から身を乗り出して、水面に何か話しかけていた。その途端、水の下の影が一斉に彼女のほうを向いたんです。群れが、旗艦に向き直る時の動きでした」
鏃は、少しも揺れなかった。
「提督。正直に申し上げます。今の私には、あれに勝つ手がひとつも浮かびません」
ゆっくり隣を見ると、朱地さんは艇の舵の傍に立っていた。高くなった陽を浴びて、風もないのに髪が揺れている。
いつもの笑顔はなかった。慌てる様子もなく、静かに加賀さんを見返している。
「吹雪、艤装を──」
言いかけて、やめた。吹雪はもう、主砲を朱地さんに向けていた。その細い肩が震えている。
「……ずっと、駄目だって思ってたんです」
吹雪の声も震えていた。
「この人が近くにいると、胸の奥が、逃げろって騒ぐんです。でも私、それを自分の醜い気持ちのせいだと思って。妬いてるだけだって。さっき『あの子』のことを司令官にお伝えした時でさえ、まだ、そう思おうとしてて」
目尻に、涙が溜まっていた。
「ごめんなさい、司令官。私が最初に、ちゃんと言っていれば──」
「あーあ」
朱地さんは頭の後ろで両手を組んで、空を見上げていた。
「ばれちゃったかあ」
艇の下の、透き通った水のずっと深いところで、黒いものが動いた。
一つじゃない。十、二十と、数えるのも嫌になるくらいの黒い船体が、音もなく浮かび上がってきて、艇の周りにぐるりと輪を作っていく。その一つ一つに、青白い目が灯っていた。
襲ってはこなかった。命令を待つ兵隊みたいに整然と並んで、ただそこにいる。さっき沈めた3隻なんて、この群れのほんの端っこでしかなかったのだ。
膝が勝手に震えだして、止めようとしても止まらなかった。
「大丈夫。この子たちは何もしないよ。私が言わなければ」
朱地さんは足元の群れを見下ろして、あやすみたいに言った。それから、加賀さんに目を向ける。
「空母さん、だよね。分かっちゃうんだ、そっちの人には」
こちらを向いた朱地さんは、顔立ちも何もかも、いつもの朱地さんのままだった。
朱地さんが最後に瞬きをしたのは、いつだっただろう。数えていなかったことに、僕は今さら気づいた。
「碧海くん」
この5日間、何度もそうしてきたのと同じ調子で、親しげに名前を呼ばれた。
「私はね、中枢棲姫っていうの」
深海棲艦。それも、姫級。足元の群れを意のままに従える、海の底の頂点。
それが5日間、僕の隣で笑っていた。海図を覗き込んで潮の話をして、パンをかじって、海が好きだと言って。今朝は、僕の合図に合わせて舵を切った。
待て。待ってくれ。頭が追いつかない。
「……どうして、僕たちに近づいたの」
「近づいたんじゃないよ」
中枢棲姫はこてんと首を傾げた。
「あそこは、私の海だもの。ずっとあの辺りにいたら、碧海くんのほうから来たの。体育祭で見た、あの子たちの真ん中の人が。びっくりしちゃった。だから、見てみたくなったんだ」
「何を」
「提督って、何なのかなって」
彼女は艇の縁にしゃがみ込んだ。昨日の桟橋で、僕の隣にしゃがんで海図を覗き込んでいた時と同じ格好だった。
「海に沈んだ魂は、みんな私の仲間になるはずだったの。あの子たちも」
その指先が吹雪を指した。
「同じ海で沈んで、同じ恨みを抱えたはずなのに。どうしてあの子たちだけ、人間の側で笑ってるの? ずっと、不思議でしょうがなかった」
足元の群れがゆらりと揺れた。
「碧海くんは、海の上じゃ独りで何もできないよね。砲も撃てないし、海の上を走ることもできない。なのに、あの子たちは碧海くんを信じてる。命まで預けてる。ねえ、なんで?」
朱い目は、本気で僕の答えを待っていた。
なんで、なんて。そんなの、僕のほうが聞きたい。
「……分からない」
「ふうん」
中枢棲姫は面白そうに目を細めた。
「嘘、つかないんだね。人間なのに」
「提督、伏せて!」
加賀さんの弓が、限界まで引き絞られていた。
僕が床に伏せるのと、矢が空を裂くのは同時だった。放たれた矢が光になって零戦の編隊に変わり、中枢棲姫へ殺到する。
機銃の雨が彼女の全身を叩いたけれど、中枢棲姫は避けもしなかった。弾は肌に触れたそばから弾かれて、甲高い音を立てて海に散らばっていく。彼女は蠅でも払うみたいに、片手をひらりと振った。
気づけば先頭の一機がその指先に掴まれていた。ぐしゃ、と軽い音がして、小さな機体は紙細工みたいに潰れ、掌から海へこぼれ落ちた。
「よくも……っ!」
吹雪の主砲が火を噴いた。砲弾は中枢棲姫の胸の真ん中に直撃して、爆炎が上半身を包む。
煙が潮風に流れたあと、その服には焦げ跡ひとつなかった。彼女は胸元の煤を、つまらなそうに指先で払った。
「怒らないでね。せっかくの飛行機、壊しちゃってごめん。急に飛んでくるから、びっくりしちゃって」
加賀さんがもう一本、矢を番えた。吹雪の砲塔も、次弾を込める音を立てている。
考えろ。吹雪の爆雷は残り2つで、主砲の弾はさっきの戦闘でもう半分使っている。加賀さんの艦載機は、今の一回で何機減った。艇の周りの輪は、ざっと見ても二十は下らない。その真ん中に、気を失ったライフラインさんと漁師たちが寝かされている。
主砲が効かない相手に、残りの弾を数えても意味がない。それより、輪のほうだ。あの群れは「私が言わなければ」動かないと、彼女は言った。こっちが撃ち続けて、彼女の機嫌を損ねたら、その時は。
「加賀さん、待って。吹雪も、砲を下ろして」
加賀さんの指が弦の上で止まった。
「提督」
「撃っても効かない。それで向こうがその気になったら、ライフラインさんたちが助からない。……全艦、攻撃中止」
加賀さんは数秒、僕の顔を見ていた。それから、ゆっくりと弓を下ろした。吹雪も、唇を噛んで砲口を下げる。
僕は艇の縁に手をついて、中枢棲姫に向き直った。声が震えていないか、自分では分からなかった。
「朱地さん。見てみたかっただけ、なんだよね」
「うん。そうだよ」
「なら、この人たちを、病院まで運ばせてほしい。今日は、それだけでいい」
中枢棲姫はきょとんと目を丸くした。それから、本当に楽しそうに笑った。
「まだ、朱地さんって呼んでくれるんだ」
「……他に、呼び方を知らないから」
「いいよ。碧海くんの頼みなら」
彼女は立ち上がって、艇の縁に片足をかけた。足元の群れが、ゆっくりと彼女の真下へ集まっていく。中枢棲姫は、さっき吹雪が沈めたイ級のあたりの水面に、一度だけ目をやった。
「またやろうね、ああいうの」
振り返った顔は、もういつもの調子に戻っていた。
「じゃあね、碧海くん。吹雪ちゃんも、空母さんも。浮舟さんによろしくね。今度会う時は、殺し合いだね」
彼女が艇の縁を蹴った。水に落ちる音はしなかった。波紋ひとつ残さずに沈んでいって、黒い群れがその後を追うように、海の底へ消えていった。
鳥の声が戻ってきた。どこかで魚が跳ねる音がして、海は何事もなかったみたいに凪いでいた。
僕は艇の床に座り込んだまま、しばらく立てなかった。
「申し訳ありません、提督。私の矢は、届きませんでした」
「加賀さんのせいじゃないよ」
「……ええ。分かっています。それと」
加賀さんは、弓を握り直してから言った。
「攻撃中止は、正しい判断でした」
ほどなくして、海の上を急いできた長門と球磨が合流した。球磨は艇に飛び乗るなり僕の顔を覗き込んで、「怪我はなさそうクマ。でも、負け戦の顔色クマ」と言った。長門は水道の奥の、もう何もいない海面を睨んで、「見逃されたか」とだけ呟いた。
吹雪は艤装を下ろしたまま、僕の袖の端をぎゅっと掴んでいた。
「吹雪」
僕は這うようにして、彼女の前に膝をついた。
「君は間違ってなかった。昨日の夜も、言おうとしてくれてたよね。僕はそれを、自分の分かりやすいほうに受け取って、それで済ませた。連れて行かないって約束したのに、連れて行ったのも僕だ。ごめん。次は、ちゃんと聞く」
吹雪は唇を噛んで、何度も頷いた。袖を掴む手は、まだ離れなかった。
◇ ◆ ◇
舵を握る人のいなくなった艇を、吹雪が曳いて水道を出た。沖で待っていた巡視船の船影が見えた時点で、加賀さんたち3人には先に帰ってもらった。ライフラインさんと3人の漁師は港で担架に乗せられていき、全員命に別状はないと聞いて、ようやくまともに息ができた。
聴取の順番を待つあいだ、僕は事務所の桟橋に座っていた。昨日、朱地さんが僕の隣にしゃがみ込んでいた場所だ。
「司令官」
隣に腰を下ろした吹雪が、膝を抱えて言った。
「今夜のごはん、私が作ります。民宿の台所、借りられないか聞いてみます」
「どうしたの、急に」
「お腹が空いていると、ろくなことを考えませんから」
卵焼きは甘いほうがいい、と頼んだところで、巡視船のほうから名前を呼ばれた。
港に着けた巡視船の狭い一室で、机の向こうに保安庁の制服の人が二人座っていた。その後ろの壁際の椅子に、もう一人、背広の男の人がいた。膝の上に書類を広げていて、一番上に、ぼやけた写真が一枚載っている。夜の海と、白い航跡。去年の中継の画面を、そのまま印刷したもののように見えた。
名乗りもしなかったし、誰も紹介しなかった。
「水道の中に、何がいた」
「……未確認の、大型生物です。黒くて、数が多くて、水の中から来ました。それ以上は分かりません」
「上空に、飛行機のようなものが見えたという報告もある」
「僕の個性で出したものです。具現化の個性なので」
書類の上では、僕の個性はそういうことになっている。こういう時だけは便利だった。
「艇を動かしていた女の子は」
「手伝いに来ていた子です。戦闘のあと、見えなくなりました」
制服の人は、それを書き留めてから、ペンで机を叩いた。
「仮免許も持っていない研修生が、待機を指示されたにもかかわらず現場に入り、個性を使って戦闘した。この件は、事務所と学校に正式に照会する。受け入れ先の所長があの状態だ。職場体験は、今日で終わりだと思いなさい」
「……はい」
当然だと思った。分かっていて、僕は海に出たのだ。
聴取が終わって、制服の二人が書類をまとめて立ち上がった時、それまで一言も喋らなかった壁際の男の人が初めて口を開いた。
「その、セーラー服の子」
男の人は、手元の写真から目を上げなかった。
「海の上を、走れるんだったね」
それだけ言うと、男の人は返事も待たずに部屋を出ていった。
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「自分の推し艦登場してないんだけど~?」という方は、活動報告(https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=334480&uid=441935)の方でまだまだ募集中です。よろしくお願いします。
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