翌朝。納屋の中はまだ薄暗く、しんと静まり返っていた。
ふすまの隙間から漏れる光が、わずかに床板を照らしている。僕は布団の中で、ゆっくりと目を開けた。
夢を見ていたような気がする。けれど、その内容はもう思い出せなかった。ただ、胸の奥に残るかすかな温もりが、眠気とともに静かに消えていく。
昨夜の出来事──あの光、あの声、吹雪の姿。まるで絵本の中から出てきたような出来事だった。あれが夢だったのか、現実だったのか。自分でもよくわからなかった。
でも、僕の隣に広がる光景が、そのすべてを否応なく現実として肯定していた。──吹雪が、そこにいた。
横顔をこちらに向けて、静かに眠っている。真っ直ぐな髪が額に落ち、毛布の端を小さく握る手が、どこか子どもっぽく見えた。
寝息は規則正しく、かすかに唇が動くたび、髪がほんの少し揺れた。その様子があまりにも穏やかで、思わず息を呑む。
その姿を見ていると、自然と胸の奥が温かくなっていく。──ああ、本当に、吹雪はここにいるんだ。
昨日の夜のことを思い出す。
吹雪との会話が終わると、気付けばもう深夜だった。寝ようと思ってふと気づいたが、布団は僕の分しかなかったから、僕は布団を吹雪に譲った。
「こっちで寝て。僕は床で寝るから」
吹雪は驚いたようにこちらを見つめ、手の中の毛布をぎゅっと抱きしめた。
「そんな、司令官にそんなことをさせるわけには……」
「大丈夫だよ。もう暖かくなってきたしね」
僕が笑って肩をすくめると、彼女は少しだけ迷って、やがておずおずと口を開いた。
「……でしたら、一緒に、どうでしょうか」
「えっ?」
「毛布が一枚しかないですし……その、司令官となら……」
その頬はほんのりと赤く染まり、視線はどこか宙を泳いでいた。
僕たちは毛布を広げて、背中を向け合うようにして横になった。
吹雪の気配がすぐそばにある。その距離が、なぜだか安心できた。
その夜、僕は不思議なくらいすぐに眠りについた。
──そして、今。
吹雪は、僕の隣で静かに眠っていた。
僕は、できるだけ音を立てないようにして布団から出て、大きく伸びをした。
その拍子に、布団がもぞもぞと動いた。
「……おはよう、吹雪。えっと、その……よく眠れた?」
自分でも間の抜けた挨拶だと思った。
けれど吹雪は、にっこりと笑って頷いてくれた。
「はい。とってもよく眠れました。司令官がそばにいてくださったおかげです」
まっすぐで、まぶしいくらいの笑顔だった。
胸の奥がじんわりと温かくなりながら、同時にくすぐったいような不安も滲んでくる。
妖精たちも肩や周囲をふわふわと舞っていたが、昨夜よりも幾分落ち着いて見えた。
「朝……なんですね」
吹雪が毛布を直しながら、ぽつりとそう呟いた。
「うん。風も、昨日より少しだけ暖かいよ」
僕がそう返すと、吹雪は静かに立ち上がり、あたりを見回した。納屋の殺風景な様子と、生活感のなさに少しだけ戸惑っているように見えた。
「えっと……朝ごはん、作ったほうがいいですよね? どこかに、お鍋とか……」
「え、あっ、いや、いいよ、無理しなくて。冷蔵庫もないし、まともな調理器具なんてカセットコンロくらいしかないから……」
「でも……司令官に何かして差し上げたいんです。私がここにいるからには、秘書艦として、司令官のお手伝いをするのが務めですから」
その姿を見て、つい苦笑が漏れた。彼女の真面目さが、この何もない空間では少しだけ空回りしている。でも、その気持ちが嬉しかった。
「じゃあ、お願いできるかな? と言っても、食パンを焼くくらいしかできないけど……」
「はい! 頑張ります!」
結局、僕が持ってきたカセットコンロ用の小さな網で焼いた食パンと、なんとか淹れたお茶だけで朝食となった。二人で卓袱台に向かい合って、同じものを食べる。ただそれだけのことが、なんだかとても新鮮だった。
食後、制服に着替えて、鞄を肩にかける。
「じゃあ、学校行ってくるよ」
「はい。お気をつけて、司令官」
彼女は戸口に立って、小さく手を振ってくれた。
その姿が、朝の光に包まれて、まるで絵の中の一場面のようだった。
見送られながら外へ出ると、春の空気が鼻先をくすぐった。 草と土の匂いが混じった風が、季節の変わり目を教えてくれる。
◇ ◇ ◇
学校に着いてからというもの、どうも頭が働かない。
ノートを開いても文字が目に入らず、先生の声もどこか遠くで聞こえているようだった。
「碧海、答えてみろ。……碧海?」
「えっ……あ、はい!」
呼ばれて我に返ると、周囲から笑いが起きた。
僕はうつむいて誤魔化しながら、教室の窓の外をぼんやりと眺める。
風に揺れる枝、雲の切れ間、遠くの屋根の向こう──
その先に、吹雪のいる納屋がある。
放課後、僕は急ぎ足で帰路についた。
そして、角を曲がったその瞬間。
向こうから走ってくる小柄な影が目に入る。
「吹雪!」
「す、すみません……ちゃんと待っていようと思ったのですが、どうしても落ち着かなくて……迎えに来ちゃいました。ダメ、でしたか……?」
僕はすぐに首を振った。
「ううん、ありがとう。うれしいよ。一緒に帰ろうか」
歩きながら、僕は気になっていたことを口にした。
「……あの欠片って、吹雪の艤装だったの?」
「はい。ずっと、司令官が呼んでくれるのを待っていました」
「ずっと……って、どれくらい?」
「長い間です。たぶん、司令官が生まれる、ずっと前から」
その言葉の意味はすぐに理解できなかった。けれど、吹雪のまなざしは本気だった。
しばらく沈黙が続き、吹雪がふと足を止める。
「どうしたの?」
「……なんだか、波の音が変わったような気がするんです。うまく言えないんですけど……ちょっとだけ、不安で」
「波の音……?」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
夢で見た、黒い海。沈みゆく艦影。
あのときの呼び声が、現実の中にじわりと滲んできたような、そんな感覚。
「……僕に、何ができるのかな」
「司令官がいてくだされば、それで大丈夫です。私たちは……そのためにいるんですから」
帰り道の途中、人通りのある交差点に差しかかったとき。
すれ違った年配の女性が、ちらりと吹雪の姿を振り返った。
吹雪はその瞬間、ぴくりと肩をすくめてうつむいた。
「司令官……あの」
「うん?」
「その……外に出ると、やっぱりちょっと、目立っちゃうみたいで……」
確かに、吹雪の服は中学校の制服らしくはあるけれど、ここらの子供が通う中学校のものとは違う。
それに、スカートの丈がかなり短い。
「だから……町に馴染めるような、普通の服。そういうの、着てみたいなって……思ってて……」
「……うん、わかった。何とかしてみるよ」
「本当ですか? やったぁ!」
吹雪はぱあっと笑顔を浮かべて、少しだけ足取りを軽くした。
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