無個性と呼ばれた提督   作:HYDRATION

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第四話

 翌朝。納屋の中はまだ薄暗く、しんと静まり返っていた。

 

 ふすまの隙間から漏れる光が、わずかに床板を照らしている。僕は布団の中で、ゆっくりと目を開けた。

 

 夢を見ていたような気がする。けれど、その内容はもう思い出せなかった。ただ、胸の奥に残るかすかな温もりが、眠気とともに静かに消えていく。

 

 昨夜の出来事──あの光、あの声、吹雪の姿。まるで絵本の中から出てきたような出来事だった。あれが夢だったのか、現実だったのか。自分でもよくわからなかった。

 

 でも、僕の隣に広がる光景が、そのすべてを否応なく現実として肯定していた。──吹雪が、そこにいた。

 

 横顔をこちらに向けて、静かに眠っている。真っ直ぐな髪が額に落ち、毛布の端を小さく握る手が、どこか子どもっぽく見えた。

 

 寝息は規則正しく、かすかに唇が動くたび、髪がほんの少し揺れた。その様子があまりにも穏やかで、思わず息を呑む。

 

 その姿を見ていると、自然と胸の奥が温かくなっていく。──ああ、本当に、吹雪はここにいるんだ。

 

 昨日の夜のことを思い出す。

 吹雪との会話が終わると、気付けばもう深夜だった。寝ようと思ってふと気づいたが、布団は僕の分しかなかったから、僕は布団を吹雪に譲った。

 

「こっちで寝て。僕は床で寝るから」

 

 吹雪は驚いたようにこちらを見つめ、手の中の毛布をぎゅっと抱きしめた。

 

「そんな、司令官にそんなことをさせるわけには……」

 

「大丈夫だよ。もう暖かくなってきたしね」

 

 僕が笑って肩をすくめると、彼女は少しだけ迷って、やがておずおずと口を開いた。

 

「……でしたら、一緒に、どうでしょうか」

 

「えっ?」

 

「毛布が一枚しかないですし……その、司令官となら……」

 

 その頬はほんのりと赤く染まり、視線はどこか宙を泳いでいた。

 

 僕たちは毛布を広げて、背中を向け合うようにして横になった。

 吹雪の気配がすぐそばにある。その距離が、なぜだか安心できた。

 

 その夜、僕は不思議なくらいすぐに眠りについた。

 

 ──そして、今。

 

 吹雪は、僕の隣で静かに眠っていた。

 

 僕は、できるだけ音を立てないようにして布団から出て、大きく伸びをした。

 その拍子に、布団がもぞもぞと動いた。

 

「……おはよう、吹雪。えっと、その……よく眠れた?」

 

 自分でも間の抜けた挨拶だと思った。

 けれど吹雪は、にっこりと笑って頷いてくれた。

 

「はい。とってもよく眠れました。司令官がそばにいてくださったおかげです」

 

 まっすぐで、まぶしいくらいの笑顔だった。

 胸の奥がじんわりと温かくなりながら、同時にくすぐったいような不安も滲んでくる。

 

 妖精たちも肩や周囲をふわふわと舞っていたが、昨夜よりも幾分落ち着いて見えた。

 

「朝……なんですね」

 

 吹雪が毛布を直しながら、ぽつりとそう呟いた。

 

「うん。風も、昨日より少しだけ暖かいよ」

 

 僕がそう返すと、吹雪は静かに立ち上がり、あたりを見回した。納屋の殺風景な様子と、生活感のなさに少しだけ戸惑っているように見えた。

 

「えっと……朝ごはん、作ったほうがいいですよね? どこかに、お鍋とか……」

 

「え、あっ、いや、いいよ、無理しなくて。冷蔵庫もないし、まともな調理器具なんてカセットコンロくらいしかないから……」

 

「でも……司令官に何かして差し上げたいんです。私がここにいるからには、秘書艦として、司令官のお手伝いをするのが務めですから」

 

 その姿を見て、つい苦笑が漏れた。彼女の真面目さが、この何もない空間では少しだけ空回りしている。でも、その気持ちが嬉しかった。

 

「じゃあ、お願いできるかな? と言っても、食パンを焼くくらいしかできないけど……」

 

「はい! 頑張ります!」

 

 結局、僕が持ってきたカセットコンロ用の小さな網で焼いた食パンと、なんとか淹れたお茶だけで朝食となった。二人で卓袱台に向かい合って、同じものを食べる。ただそれだけのことが、なんだかとても新鮮だった。

 

 食後、制服に着替えて、鞄を肩にかける。

 

「じゃあ、学校行ってくるよ」

 

「はい。お気をつけて、司令官」

 

 彼女は戸口に立って、小さく手を振ってくれた。

 

 その姿が、朝の光に包まれて、まるで絵の中の一場面のようだった。

 

 見送られながら外へ出ると、春の空気が鼻先をくすぐった。 草と土の匂いが混じった風が、季節の変わり目を教えてくれる。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 学校に着いてからというもの、どうも頭が働かない。

 ノートを開いても文字が目に入らず、先生の声もどこか遠くで聞こえているようだった。

 

「碧海、答えてみろ。……碧海?」

 

「えっ……あ、はい!」

 

 呼ばれて我に返ると、周囲から笑いが起きた。

 

 僕はうつむいて誤魔化しながら、教室の窓の外をぼんやりと眺める。

 風に揺れる枝、雲の切れ間、遠くの屋根の向こう──

 その先に、吹雪のいる納屋がある。

 

 放課後、僕は急ぎ足で帰路についた。

 そして、角を曲がったその瞬間。

 向こうから走ってくる小柄な影が目に入る。

 

「吹雪!」

 

「す、すみません……ちゃんと待っていようと思ったのですが、どうしても落ち着かなくて……迎えに来ちゃいました。ダメ、でしたか……?」

 

 僕はすぐに首を振った。

 

「ううん、ありがとう。うれしいよ。一緒に帰ろうか」

 

 歩きながら、僕は気になっていたことを口にした。

 

「……あの欠片って、吹雪の艤装だったの?」

 

「はい。ずっと、司令官が呼んでくれるのを待っていました」

 

「ずっと……って、どれくらい?」

 

「長い間です。たぶん、司令官が生まれる、ずっと前から」

 

 その言葉の意味はすぐに理解できなかった。けれど、吹雪のまなざしは本気だった。

 

 しばらく沈黙が続き、吹雪がふと足を止める。

 

「どうしたの?」

 

「……なんだか、波の音が変わったような気がするんです。うまく言えないんですけど……ちょっとだけ、不安で」

 

「波の音……?」

 

 その言葉に、胸の奥がざわついた。

 夢で見た、黒い海。沈みゆく艦影。

 あのときの呼び声が、現実の中にじわりと滲んできたような、そんな感覚。

 

「……僕に、何ができるのかな」

 

「司令官がいてくだされば、それで大丈夫です。私たちは……そのためにいるんですから」

 

 帰り道の途中、人通りのある交差点に差しかかったとき。

 すれ違った年配の女性が、ちらりと吹雪の姿を振り返った。

 

 吹雪はその瞬間、ぴくりと肩をすくめてうつむいた。

 

「司令官……あの」

 

「うん?」

 

「その……外に出ると、やっぱりちょっと、目立っちゃうみたいで……」

 

 確かに、吹雪の服は中学校の制服らしくはあるけれど、ここらの子供が通う中学校のものとは違う。

 それに、スカートの丈がかなり短い。

 

「だから……町に馴染めるような、普通の服。そういうの、着てみたいなって……思ってて……」

 

「……うん、わかった。何とかしてみるよ」

 

「本当ですか? やったぁ!」

 

 吹雪はぱあっと笑顔を浮かべて、少しだけ足取りを軽くした。




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