無個性と呼ばれた提督   作:HYDRATION

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第六話

 商店街から帰ってきた翌日の放課後。

 納屋の中には、昨日とは違う、少しだけ張り詰めた空気があった。僕たちがこれからやろうとしていることは、昨日の買い物や銭湯とは全く違う、本物の”戦い”に繋がっているからだ。

 

「昨日のニュースの件、やっぱり確かめに行こう」

 

 僕の言葉に、吹雪は静かに、しかし力強く頷いた。

 公園のベンチで話した時、僕たちの決意はすでに固まっていた。

「はい。司令官」

 

 僕たちは、事件のあった海岸へ向かう準備を始めた。

 僕は、ありったけの知識を総動員して、リュックサックに必要なものを詰めていた。懐中電灯、予備の電池、消毒液と絆創膏が入った小さな救急セット。携帯のモバイルバッテリー。それから、喉が渇くかもしれないと思って、水筒にお茶も入れた。僕にできる準備なんて、所詮はこの程度だ。それでも、何もしないよりはましだった。

 

 吹雪は、昨日買ったばかりの私服に着替え、準備が整うのを静かに待っている。その姿は、ごく普通の少女そのものだった。彼女がこれから、人ならざるものと戦う兵器になるなんて、とても信じられない。

 

 僕たちは、バスと徒歩で、ニュースで報道された海岸に到着した。

 そこは、普段は釣り人くらいしかいない、寂れた砂浜だ。空は茜色に染まり始めている。そして、水平線には、まるで壁のように不気味な濃霧が、じわりと立ち込めていた。波の音だけが、やけに大きく聞こえる。

 

 人気がないことを確認すると、吹雪は僕に向き直った。

「司令官。これより、戦闘態勢に移行します」

 

 彼女がそう呟くと、その身体の周りに、淡い光と共に機械的なパーツが出現し、装着されていく。

 背中には煙突と、主砲である連装砲。両腿には魚雷発射管。足には、水面を滑るための機関部。

 私服姿の普通の少女は、一瞬にして、鋼の兵装を身にまとった美しい兵器へと姿を変えた。戦うために生まれた存在、”艦娘”に。その変身を目の当たりにして、僕は改めて、彼女が日常とはかけ離れた存在なのだと思い知らされた。

 

「……来ます、司令官」

 吹雪が、鋭い声で言った。霧の立ち込める海面を、彼女の瞳が射抜くように見つめている。

「霧の中から……。数は、三。おそらく、駆逐艦による哨戒部隊です」

 

「三体も……!?」

 その言葉と同時に、霧の向こうから、ぬるりと何かが姿を現した。

 それは、魚の骨と、黒い鉄を無理やりにつなぎ合わせたかのような、醜悪な姿をした異形だった。一体、二体、三体。それぞれが手に砲口を備え、僕たちに向けて明確な敵意を放っている。間違いない。あれが、深海棲艦。

 

 全身の血が、急速に冷えていくのを感じた。足が震え、その場に縫い付けられたように動けない。怖い。ただ、純粋な恐怖が、僕の思考を麻痺させる。一体でもあれなのに、三体もいるなんて。どうするんだ。勝てるのか? いや、それよりも、僕たちはここから無事に帰れるのか? 

 

「司令官、ご指示を!」

 

 パニックに陥る僕とは対照的に、吹雪の声は、不思議なほど落ち着いていた。

 彼女は、僕を見ている。僕の言葉を待っている。僕が、彼女の提督だから。

 そうだ。僕が怖がってどうする。彼女を信じなくてどうする。

 僕は、奥歯をギリッと噛み締め、恐怖を無理やり喉の奥に押し込んだ。震える唇で、震える声で、それでも、提督としての最初の命令を、叫んだ。

 

「──吹雪、行って!」

 

「はいっ!」

 

 僕の言葉が、合図だった。

 吹雪は、次の瞬間にはもう砂浜を蹴り、海面を滑るようにして異形の一群へと突進していた。

 

「私がやっつけちゃうんだから!いっけぇー!」

 

 彼女が展開した艤装の砲塔が火を吹き、轟音が空気を震わせる。放たれた砲弾が、先頭の深海棲艦──”駆逐イ級”に着弾し、鈍い爆発音を上げた。

 

 しかし、敵は一体ではない。左右に展開した別の二体が、吹雪に向けて十字砲火を浴びせようと砲口を向ける。

「吹雪、右! 五時の方向!」

 僕に戦術の知識なんてない。でも、見ていて危険だということだけは分かった。ただ、夢中で叫ぶ。

「了解!」

 吹雪は僕の声に即座に反応し、海面を滑る軌道を鋭角的に変える。敵の砲弾が、ついさっきまで彼女がいた場所に着弾し、大きな水柱を上げた。

 

 回避と同時に、吹雪はさらに距離を詰める。

「次弾装填、完了! 撃ちます!」

 二射目の砲撃が、右翼の敵に直撃。その動きを鈍らせる。

「魚雷、発射管、開きます!」

 彼女の両腿に装着された魚雷発射管から、三筋の航跡を描いて魚雷が放たれた。それは、三体の敵を包み込むように、扇状に広がっていく。

「すごい……」

 それは、もはや戦闘と呼ぶのもおこがましい、一方的な蹂躙だった。

 数秒後、回避行動の遅れた敵艦隊の中心で、魚雷が連鎖的に炸裂した。断末魔の叫びのような甲高い金属音を上げて、凄まじい水柱と共に三体の深海棲艦は爆沈していった。

 

 やがて、海岸には静寂が戻った。不気味な濃霧も、嘘のように晴れていく。

 僕の目の前には、硝煙の匂いをまとって、静かに佇む吹雪の姿があった。

 

「……大丈夫だった?」

 やっとのことで、僕はそう尋ねた。

「はい。司令官の的確なご指示のおかげです。被害、ありません」

 彼女は、凛とした表情で、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。

 

 僕の指示なんて、ただ叫んだだけなのに。

 僕は、その笑顔を見て、何も言えなかった。

 ただ、自分の拳を強く、強く握りしめる。

 怖かった。何もできなかった。吹雪が戦っている間、僕はただ、見ていることしかできなかった。彼女の圧倒的な力と、自分の絶対的な無力さ。その差が、どうしようもなく悔しかった。

 

 納屋に帰ったその夜から、僕の生活は変わった。

 まず、自分の部屋の隅で、トレーニングを始めた。自分の身一つ守れないようでは、話にならない。せめて、彼女の隣で、恐怖に震えずに立っていられるだけの精神力と体力がほしい。

 そして、卓袱台に向かい、ノートの新しいページを開いた。そこに座る吹雪に、僕は深く頭を下げた。

 

「吹雪、お願いがあるんだ」

「はい。なんでしょうか、司令官」

「僕に、戦い方を教えてほしい。君たちがどうやって戦うのか、どんな戦術があるのか……司令官として、知っておかなきゃいけないことを、全部」

 

 吹雪は、僕の真剣な目を見て、少し驚いたように、そして、とても嬉しそうに微笑んだ。

 

「はい、司令官! ご指導、お任せください!」

 

 それは、この果てしない”戦い”における、僕自身の、本当の意味での第一歩だった。




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