無個性と呼ばれた提督   作:HYDRATION

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第八話

「あなたが私の提督なの?」

 

 その声には、喜びも悲しみもない、ただ事実を確認するかのような響きだけがあった。感情の読めない静かな瞳が、僕をじっと見つめている。僕は、その圧倒的な存在感を前に、たじろいで一歩後ずさってしまった。

 

 僕の隣で同じように固まっていた吹雪が、ハッとしたように姿勢を正し、新しく現れた女性──加賀さんに向かって、深々と頭を下げた。

 

「だ、第一航空戦隊の加賀さん……ですよね! わ、私は、特型駆逐艦、吹雪です! ご一緒できて、光栄です!」

 

 憧れの、伝説的な先輩を前にしたその声は、緊張でカチコチに強張っている。

 加賀さんは、そんな吹雪に軽く一瞥をくれるだけで、「そう。よろしく」とだけ短く返した。そのクールな態度に、吹雪はさらに恐縮して、小さな声で「は、はい!」と返事をするのが精一杯だった。

 

 二人の間に流れる、歴然とした”格”の違い。僕はこの場の司令官として、そして責任者として、何とかしなければと、乾いた唇を無理やり動かした。

 

「えっと……はじめまして。僕が、君を……加賀さんを、呼び出したみたいだ。名前は、碧海鎮。よろしく」

「そう、あなたが提督なのね」

 彼女は、僕の自己紹介を最後まで聞くと、改めて納屋の中を見渡した。

「それで、ここが拠点だと。状況は理解したわ。敵はどこにいるのかしら?」

「え?」

「深海棲艦のことよ。私を呼び出したということは、すでに出現しているのでしょう?」

 あまりにも単刀直入な問いに、僕は言葉に詰まる。

「あ、はい……先日、この近くの海で、三隻ほど……」

 吹雪が、慌てて補足するように答えた。

「そうなの。状況は、あまり芳しくないようね」

 加賀さんは、そう言って静かに目を伏せた。

 

 その夜、早速、僕たちの生活に問題が浮上した。布団が、二組しかない。

「どうしよう……。僕が床で寝るから、僕の布団を……」

 僕がそう提案すると、加賀さんは首を横に振った。

「不要よ。私はいつでも出撃できるよう、ここで待機しているわ。寝具は気にしないで」

 そう言って、彼女は納屋の壁に背を預けて、立ったまま目を閉じてしまう。本当に、このまま朝まで過ごすつもりらしい。

「そ、そんなわけにはいきません! 先輩を床に寝かせるなんて、私にはできません!」

 吹雪が、半ば泣きそうな顔で僕に訴えかけてくる。彼女にとって、一航戦の先輩である加賀さんは、それだけ大きな存在なのだろう。

 結局、僕と吹雪の二人で、ほとんど無理やり加賀さんを説得し、布団で休んでもらうことになった。そして、僕と吹雪は、また二人で一つの布団を分け合うことになったのだった。

 

 翌朝。僕と吹雪のトレーニングに、新たな視線が加わった。

 腕を組んで、納屋の入り口から僕たちの様子を静かに観察している加賀さんだ。

「司令官、もっと腰を落としてください! 体幹がブレています!」

「う、うん……!」

 吹雪の檄が飛ぶ中、僕は必死でスクワットを繰り返す。加賀さんの視線が、背中に突き刺さるようで、いつもよりずっと緊張した。

「……その程度の訓練で、意味があるのかしら」

 ぽつりと、加賀さんが独り言のようにつぶやいたのが聞こえた。その言葉に、僕の心臓がドキリと跳ねる。彼女は、僕たちのやっていることを、ままごとのように感じているのかもしれない。

 

 そして、夜の勉強会も一変した。

「……という訳で、この単縦陣が、最も基本的な攻撃陣形となります」

 僕が吹雪の説明を聞いていると、それまで黙って聞いていた加賀さんが、静かに口を開いた。

「それは理想論よ。実戦では、索敵が妨害されることも、天候が急変することもあるわ。第一、航空戦の基本は、制空権の確保。それなくして、艦隊の勝利はないの」

「制空権……」

「ええ。艦載機を飛ばし、まず敵の艦載機を叩き、空を支配する。そうでなければ、こちらの攻撃もままならない。覚えておきなさい、提督」

 吹雪が教えるのが”基礎”なら、加賀さんが語るのは、血と硝煙の匂いがする”実戦”そのものだった。

 

 その話の流れで、僕は一つの課題に突き当たった。

「僕がここから指揮を執るとして、どうやって吹雪たちと連絡を取ればいいんだろう。携帯電話じゃ、霧の中だと電波が通じないかもしれないし……」

「それに、通信の秘匿性も確保できない。論外よ」

 僕の懸念を、加賀さんが一言で切り捨てる。

 

 どうすればいいんだろう。僕が頭を抱えていると、ふと、吹雪の艤装をメンテナンスしている妖精たちの姿が目に入った。小さな手で、複雑な機械をいじっている。そうだ、彼女たちなら……。

 

 僕は、自分のお小遣いで買っておいた、古いトランシーバーと、壊れて動かなくなったスマートフォンを工具箱から取り出した。そして、それを妖精たちの前に差し出す。

「ねえ、お願いがあるんだ」

 僕の言葉に、妖精たちがきょとんと首を傾げる。

「吹雪、伝えてくれるかな。これで、僕たちの声だけが届く、特別な無線機って作れないかって」

 吹雪は僕の意図を察して、妖精たちに何かを伝えてくれた。すると、妖精たちは目を輝かせ、興奮したように部品の周りに集まってきた。

 

 それから数日間、納屋の隅は小さな工廠(こうしょう)と化した。妖精たちは、どこからか持ち出した小さな溶接機で火花を散らし、ピンセットのような手で精密な基板をいじり、夜通し健気に作業を続けた。その姿は、僕たちの戦いを、確かに支えてくれているようだった。

 

 そして、作戦決行の前日。

 妖精たちが、二つの手のひらサイズの、少し不格好だけれど、どこか精巧な作りの通信機を、僕の前に誇らしげに差し出した。片方からは、短いアンテナが伸びている。

 

「提督。通信機の試作が完了したようです」

 加賀さんが、それを手に取り、冷静に告げた。

 この通信手段が確立された今、僕たちの戦いは、次の段階へ進む。

 僕は、完成したばかりの”妖精印の無線機”を手に取り、二人に向き直って、作戦を告げた。

 

「次の満月の夜、加賀さんの艦載機で、霧が発生した海域を徹底的に偵察する。吹雪は、海岸線で待機し、不測の事態に備えて。僕は、この場所からこの無線機で、君たちに指示を出す」

 

 それは、僕が初めて”艦隊”を率いて行う、本格的な作戦行動の始まりだった。




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