禁足地を駆け抜ける。
自分の住処を飛び出した白いセクレトと、追跡調査を引き受けたハンターの旅。

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本小説は実際に、ゲーム内で主人公たちの足跡を追うことが可能です。
本文中のエリア番号と、ゲーム内マップを照らし合わせつつ探索すると、より雰囲気を味わえるかもしれません。




君の白き羽を追いかけて

 

【竜都の跡形 竜のまどろみ】

 

 それは偶然の出来事だった。

 

 竜都の跡形の上層、白い葉の樹木が林立する森の端で、俺は休憩を取っていた。

 崩れた遺構の簡易キャンプは、他のキャンプ地と比べて、大型モンスターの通り道から比較的近い場所にある。

 多少の危険はあるものの、もう一方の出口に続く竜都の外の雰囲気が、この地の特殊なモンスターたちの侵入を防いでいた。

 

 この地の住人の頼みもあり、俺はリュウトホオズキの採集に精を出していた。

 一日をかけて白い森を歩き回り、幾度となく草や藪をかき分けた。そのおかげか、納品するのに十分な量を手に入れることができていた。

 道中、ここの番人たちから何度か目を付けられたりはしたものの、おおむね収穫に問題はない。彼らを狩猟する必要がないなら、難しさはさほどでもない。

 

 すでにリュウトホオズキは納品箱に収められ、手ぶらでもベースキャンプに戻ることができる。

 ここは地図上ではエリア2に区分され、ベースキャンプからもそう遠くはない。わざわざここで休む必要もないのだが。

 一時間ほどキャンプチェアに座り、周囲を飛ぶヨツバカゲロウの群れをぼんやりと眺めながら足を休める。それくらいはしてもいいだろう。

 

 最低限の警戒は保ちつつ、無人の空間でゆっくりくつろいでいた、そのとき。

 

「おっ、と……?」

 

 崩れた遺構の入り口に、ふと影ができる。

 別のクエストで簡易キャンプを使いに来た調査隊員か、はたまた迷い込んできたモンスターか。

 今回は後者だった。ここは、それなりに安全とされてはいるものの、それでもアクシデントは起こり得る。

 まだ慌てなくてもいい。攻撃されたわけではないし、逃げ道を塞がれたわけでもない。

 簡易キャンプを守るか、それらを放棄して身の安全を確保するか。どちらの行動もとれるように、傍に置いておいた武器を素早く手に取る。

 

 「おっ」の一声まででそこまで動いた。

 しかし、続く「と」の言葉を発した後には、疑問符が付け加えられることになった。

 

 人の背丈ほどの身長に、鳥竜のような体格。発達した後脚に、折り畳まれた前脚。総じて、とても見覚えのあるシルエット。

 現れたのはセクレトだった。セクレトはセクレトでも、この竜都の跡形のみで活動する、護竜の名がつく白いセクレトだ。

 

 現れたのが大型モンスターでないなら、最悪は免れていると言えよう。

 しかし、油断はできない。

 護竜セクレトは群れを作る。集団で襲い掛かられると、竜都の特性も相まって痛い目を見ることに……。

 

 白い羽が駆けていく。

 護竜セクレトは簡易キャンプには目もくれず、ひと鳴きすらもせず。

 武器を持った俺のことすら完全に無視して、向かいにある別の出口に向けて、走っていってしまった。

 しかも、たったの一頭で。

 後に続くはずの群れは、いつまで経っても訪れることはなかった。

 あまりに唐突に過ぎ去ったその出来事は、もし簡易キャンプの中にいたら、なにか風が吹き込んだ程度にしか思えなかったかもしれない。

 

 頭の上に疑問符を浮かべたまま、たっぷり一秒以上その場で固まっていた俺は、やがて慌てて双眼鏡を手に取り、護竜セクレトが去っていった出口へと向かう。

 崖の蔦を掴んで這い上がり、岩間を抜けると、旧い内壁によって覆い隠されていた竜都が眼前に姿を現す。

 一気に視界が開け、壮観ながら朽ち果てた都市が目の前に広がった。竜都の跡形の中からは想像もできないような光景だ。

 

 その廃都へと伸びていく、一本の荒れ果てた道の向こうに、小さな白い影が見えた。

 急いで双眼鏡を構えて、焦点を合わせる。その狭まった視界の先にいたのは、やはり一頭の特徴的な白い羽と尻尾だった。

 うたた寝でもして見違えたか、とまで思ったが、やはり護竜セクレトだ。しかも単独で行動している。

 

 この先の道は行き止まりではなく、氷霧の断崖という隣接したフィールドに繋がっている。

 それ故か、この道をモンスターが通ることもまた、珍しいことではなかった。

 ヒラバミという海竜種をこの辺りで見かけた、という話は何度か聞いたことがある。ポルケピナという鳥竜種が、群れで行き来する様も目撃されていたはずだ。

 

 しかし、護竜セクレトがここを通ったという話はまず聞かない。

 と、言うよりも、護竜に属するモンスターたちが竜都の跡形を離れていったという事例が、かつて一件でもあっただろうか? 

 

「……追いかけた方がいいやつだよな、これ」

 

 一瞬、調査隊の中でも星の隊か、鳥の隊に引き継いだ方がいいかという考えが頭をよぎる。専属の編纂者もいない一介のハンターが独断で決めてもいいのだろうか。

 しかし、悠長に考えている時間はなさそうだった。

 護竜セクレトはいつの間にか遠くまで行っている。今からベースキャンプに戻って事の次第を説明していては、かの竜を見失ってしまうかもしれない。

 

 降って湧いた調査クエスト、いや、編纂者を介していないため、クエストにすらなっていないが、仕方がない。

 走って簡易キャンプまで戻り、寒冷地へ向けた荷物と携帯食料をポーチに詰め込む。

 簡易キャンプの使用履歴書にサインをする。さらに今起こったことと、これから追跡調査を行うことを書簡に走り書きして、キャンプの隅にいる翼竜(メルノス)の脚に括りつけた。

 

「頼んだぞ」

 

 メルノスにそう声をかけて口笛を吹く。メルノスは一声鳴いて、竜都の跡形のベースキャンプへと向けて飛び立っていった。

 これで最低限の準備はできただろう。後付けのクエスト発行なり何なりは、ベースキャンプにいる人々がやってくれるはずだ。

 調査隊のセクレトがいてくれたら文句なしだったが、いないものは仕方がない。移動の助けになるあの竜は、どのフィールドでも引っ張りだこだ。

 

 徒歩であの護竜セクレトを追いかけるとなると、相当気合を入れなくてはなるまい。最悪、氷霧の断崖までマラソンすることになりそうだ。

 状況が状況だ。奮発して、ポーチに入れていた強走薬を開けて一息に飲み干す。

 ぱちぱちと頬を叩き、竜都の廃道へ向けて俺は走り出した。

 

 それにしてもなぜ、護竜の方のセクレトが遺構の外なんかに。

 時期的にも、雰囲気的にも、何かに追いかけられている、あるいは何かを追っている様子には見えなかったが。

 疑問は尽きないものの、足を止めるわけにはいかなかった。こんなとき、考え事を担ってくれる編纂者がいてくれればいいのだが、セクレト同様に贅沢は言えない。

 淡々と追跡記録を残す他ない。そのためにも、まずはあの白い竜に追いつくことに集中しなければ。

 

 

 

【竜都の廃道】

 

 地形的に、これから向かう氷霧の断崖は、竜都の跡形よりもかなり高い位置にある。

 いや、どちらかといえば、竜都の跡形があえて低地に造られている、という方が正しいのかもしれない。

 あの地を取り囲む内壁や上層の白い森からは、あの遺構を隠そうとする意図が見え隠れしているような気がした。

 

 何にしても、そうした地理的特徴がある以上、この二区間を繋ぐ竜都の廃道は、そのほとんどが階段もとい坂道になっている。

 かつては立派な造りだっただろう石造りの階段は、風雪に侵食され、礫に埋もれ、今や荒れた斜面と化していた。

 ところどころ崩落もしていて、もともとの造りが幅広でなければ、人が通ることはできなかったかもしれない。

 都市の中でも高所に架けられたこの道は、落ちれば無事では済まないだろう。数々の危険が潜むため、できる限り翼竜での移動が勧められていた。

 

 そんな荒廃した道を、一人で走り、歩く。

 俺の視界の先には、小柄な白い竜の姿があった。小柄とは言っても、人の背丈を超えてはいるのだが。

 竜都の跡形を飛び出した護竜セクレトに、俺は追いついていた。以降は、付かず離れずの距離を保ちながら観察を続けている。

 

 人がその足で走るのとセクレトとでは、セクレトの方が圧倒的に速い。持久力もあちらのほうが上だ。

 それでも俺が追いつくことができたのは、前を行くセクレトが時折、立ち止まっては上空を見上げるような仕草をするからだ。

 追いかける俺を待っている、という風でもない。双眼鏡で確認する限りでは、かの竜は未だに一度も、こちらへ注意を向けていない。

 

 何を見ようとしているのか、かの竜の視線の先を追いかけてみたものの、目に映るのは重たく立ち込める雲と、針のように空へ伸びる竜都の尖塔だけだった。

 そうして、しばらく上空を見上げたあと、護竜セクレトは再び走り出す。それの繰り返しだ。

 通路にもたれかかるように倒れる尖塔を迂回し、砕けて跳ね上がった石畳を飛び越えながら、黙々と走る。

 やがて、ひときわ大きな建物の通路の中へと入っていった。しばらくした後に、俺も後に続く。

 

 竜都を歩き回っていると、その膨大な文明の痕跡に、つい押し黙ってしまいそうになる。

 この大地には、竜都に匹敵するくらいの遺跡がいくつかあるらしいが、俺が直に目にしたのはここが初めてだった。

 人が通るには鋭すぎるようにも思える尖塔の数々に、かつて人が行き来していたであろう何階建てもの建築物。

 屋内の壁には、波打つような紋様の彫刻が幾重にも連なっていて、当時の人々の思想や信仰が垣間見えるかのようだ。

 

 ハンターとしての経験しか持たない俺でこの感想なのだから、専門家からすれば実に興味深い遺跡なのだろう。

 そもそも、都市の景観や造形が、千年単位で維持されていることが凄いのだと、建築畑の仲間が熱弁していた。

 

 そんな古の都市の内部を、護竜セクレトが走っていく。

 天井や壁際の、霜や氷柱が目立ち始めた。吐く息もいつの間にか白くなっている。

 氷霧の断崖が近くなってきたようだ。ポーチからホットドリンクを取り出す。

 護竜セクレトも気温の変化を感じ取ったのか、辺りを見渡すような仕草が見られた。

 氷霧の断崖の天候次第だが、この建物を出た辺りから風の質も一気に変わってくる。禁足地の環境の変化は、少し歩くだけでそうと分かる程にはっきりとしている。

 

 ここは、護竜セクレトの冒険の区切りとなり得る。引き返すならここはひとつの候補だろう。

 ここで引き返すなら、まだぎりぎりで竜都の跡形から出ていないと言えるかもしれない。ここまででも十分、調査隊に報告するだけの価値のあるニュースだとは思うが。

 

 護竜セクレトは果たして、この先の道を進み続けることを選んだようだった。

 調査継続だ。モンスターを狩猟するようなクエストではないので、報酬は少ないかもしれないが、やると決めた以上は付き合うしかない。

 

 通路から出ると、いよいよ積雪や氷壁といった寒冷地の趣が増し始めた。

 どうやら氷霧の断崖は吹雪になっているらしい。思わずため息をつきたくなるが、今が吹雪ならそのうち晴れるだろうと自分を励ます。

 竜都の廃道に別れを告げる。振り返れば、壮大だがどこか物寂しい、灰色の遺都が俺たちを見送っていた。

 

 

 

【氷霧の断崖 吹雪】

 

 竜都の跡形は特別な場所であり、環境もかなり特殊だ。

 それでも、隣接する氷霧の断崖との繋がりがないわけではない。

 竜都の跡形では、ポルケピナという鳥竜が数多く生息している。目立つ鶏冠で知られる彼らだが、氷霧の断崖にも顔を見せることもある。

 逆のパターンにはラフマーがいる。彼らはその強靭な脚力を活かして、竜都の地形にもうまく適応できているようだ。

 

 だが、そんな彼らも異常気象の際にはその多くが身を潜めてしまう。

 異常気象は、禁足地とは切っても切り離せないくらい身近な現象だ。それでいて、人やモンスターに対しての厳しい試練にもなっている。

 そして、そんな試練はまさに今、だ。

 

 氷霧の断崖のエリア15。

 廃道から瓦礫をかき分けるようにして立ち入れば、思わず顔をしかめてしまうほどの寒風が吹き付けてきた。

 エリア15は建物の中であり、遮蔽物は多いはずなのだが、それでも崩れた壁から容赦なく雪と風が吹き込んでくる。

 ごうごうという風の音と共に、尖塔が風を切る、笛のような音がひっきりなしに聞こえてきていた。

 

「セクレトは……」

 

 壁際でじっとしているネマラチカを警戒しつつ、俺は周辺の地面を観察した。

 雪原や雪山でモンスターを探すときには、足跡を探すのが定石だ。

 しかし、この雪ではそんな痕跡もすぐに埋まってしまいかねない。急いで足跡を見つける必要があった。

 

「これだな。だが……」

 

 幸いにも、セクレトのそれによく似た足跡はすぐに見つかった。

 しかし、その足跡が外へと続いているのを見て、つい声の調子が下がってしまう。

 

 この天候で外へ出たのか。雪なんて見たことすらないだろうに、いや、知らないからこそなのか? 

 俺としては、ここでかの竜が雨宿りしていることも十分に考えていたし、その場合に備えて隠れ身の装衣を取り出してもいたのだが。

 むしろ、そうであることを期待していた。誰だって吹雪の中で外に出たくはない、はずだ。

 

 しかし、期待していたのがいけなかったのか、雪に刻まれた足跡は、護竜セクレトがここから出て行ったことを雄弁に語っていた。

 そうと分かれば、すぐにでもその後を追わなければならない。悠長にしている暇はなかった。

 

 腰のベルトに提げた、小さな虫かごから導蟲を呼び出す。

 緑色の燐光を放ちながら、導蟲たちが出てきたのを見て、虫かごを護竜セクレトの足跡の近くに近づけた。

 導蟲たちが痕跡へ群がる。緑色の光は仄かに明滅し、数秒後には薄い光の筋となって外へと向かっていった。

 これで導蟲も匂いを覚えた。他の痕跡も与えてやれば、追跡力はより強くなるはずだ。過信は禁物だが、見失ったときの保険にはなる。

 吹雪で吹き散らかされてしまわないように、一度導蟲たちを引っ込めて、俺は寒風吹きすさぶ断崖へと踏み出していった。

 

 

 

【氷霧の断崖 吹雪】

 

 これは、現実にそうなるまで気付けなかった俺が愚か、というだけの話なのだが。

 護竜セクレトの体色は、氷霧の断崖ではこれ以上にないほどの保護色になっている。

 竜都の跡形もかなり()()フィールドではあるのだが、氷霧の断崖に降り積もる雪や氷には及ばない。

 まして、雪が降っているような中では、あの白い羽は森に隠された木にも等しい。

 つまるところ、吹雪の中でのかの竜の追跡は困難を極めた。

 

 ほぼ一日中と言っていいほどに歩き回り、地面に目を凝らし続けた俺は、誇張なしにくたくたになっていた。

 何せ、ただの一度も、護竜セクレトの姿を肉眼で捉えられなかったのだから。

 導蟲の痕跡への反応も微弱になり、もうほとんど見失った(ロスト)と言って差し支えない状況だった。

 足跡を隠す新雪を慎重に手で払い、ブランゴの群れをやり過ごすために息を潜め、新旧の分からなくなった痕跡に右往左往しながら。

 真っ白なパズルをひとつひとつ埋めていくように、護竜セクレトの行方を捜し続けた。

 

 この時点で、直感で追跡調査を始めたことを、若干後悔し始めてもいたのだが。

 物珍しさはともかく、これは小型モンスターの調査クエストの域を出ない。

 それをリタイアしたともなれば、仲間から大いに気遣われ、そして笑われるだろう。それは癪な話だった。

 

 護竜セクレトはまず、吹雪の中で浮遊岩を飛び越え、エリア11の破れた壁から再び建物の中へと入った。

 その後、崩れ落ちた床を駆け上がり、エリア6の狭い通路を通ってエリア18へと向かっている。

 ここで休憩を取ろうとしたが、壁際に潜んでいたネマラチカに襲われたようだ。眠らされたような痕跡はなかったため、うまく避けたのだろう。

 

 ネマラチカに追い出されるようにして、再び吹雪に身を投じた護竜セクレトは、横殴りの激しい風に耐えながら、エリア17、エリア14へと進んでいった。

 この辺りはドドブランゴ率いるブランゴたちの縄張りになっているが、気取られることはなかったようだ。

 ある意味、ここでは吹雪に助けられたとも言えるだろう。エリア14は特に雪が吹き溜まる地形で、半ば半身を雪に埋めながら歩くことになる。

 激しい風の音も相まって、見慣れぬ白い竜の姿を、風雪が覆い隠したのだ。

 

 最終的にはエリア12、淡いステンドグラスが壁を彩る、教会のような建物の中へと辿り着いている。

 ちょうど、氷霧の断崖の中層をぐるっと一周するようなかたちだ。エリア12とエリア15は隣接しているため、元の場所に戻って来たとも言える。

 そう考えるとなんだかがっくり来てしまうが、最初からエリア15で待っていれば、などというのは、ただの結果論に過ぎない。

 それに、かの竜の行動ルートを詳しく記録しておくこともまた、追跡調査では重要だ。そう自分に言い聞かせた。

 

 それに、何も悪いことばかりではない。

 俺がエリア12に着いた辺りから、風が収まり始めていた。雪も疎らになり、小康状態となっている。

 氷霧の断崖における異常気象、吹雪が止んだのだ。

 凍えるような寒さも、これで少しは落ち着くだろう。それだけでもほっとするものがある。

 

 この天候の変化によって、護竜セクレトもまた、上層へと至る道を見つけたようだった。

 エリア12からエリア16へ。導蟲の光が崖の上へと向かっている。

 積雪が厄介だが、人の身でも行けないことはない。

 それに、未だにこの旅の動機が見えてこない護竜セクレトが、氷霧の断崖の上層で何をするのかも気になる。

 念のため、隠れ身の装衣を身にまとい、俺はエリア16へ続く氷壁へと手を掛けた。

 

 

 

【氷霧の断崖 豊穣期】

 

 禁足地はそれぞれのフィールドの区切りだけでなく、天候の移り変わりもくっきりとしている。

 特に異常気象から豊穣期にかけての変化は、先ほどまでとは別のフィールドにいるのではないかと、こちらが錯覚してしまうほどだ。

 

 あれだけ激しく流れていた雲は、ものの数分もしないうちに、千々切れになって霧散していった。

 雲の幕が開かれて、姿を現したのは、無数の星が瞬く夜空だ。

 空気中の塵は吹雪ですべて取り除かれ、目の覚めるような鮮やかな夜空が広がっている。

 高く降り積もった雪だけが、吹雪の名残として残っていた。それも、豊穣期の気温の上昇に合わせて溶けていくだろう。

 

 吹き溜まって腰の辺りまで積もった雪をかき分けながら、俺はエリア16の開けた場所を目指した。

 そこには先客がいるはずだ。

 吹雪に紛れて、しばらくその姿を拝めていなかったが……やはり。

 

 護竜セクレトは、広場の中心に佇んでいた。

 真っ白な雪に囲まれながら、空を見上げている。

 満天の星空が、一頭の白き竜を包み込んでいた。

 

 虫かごを軽く叩き、導蟲を引き下がらせる。かの竜に余計な刺激を与えてしまわないように。

 護竜セクレトがぼうっと空を見上げてしまうのも、分かるような気がした。

 冷たい空気の中できらめく星たちは、手を伸ばせば届いてしまいそうだ。時おり瞬く流れ星が、見る者をさらに惹き付ける。

 ただ、これらは相当目が良くないとはっきりと見えないはずだ。かの竜には、この星々が見えているのだろうか。

 

 そこまで考えて、ふと思う。そもそも、護竜はどのように()()を見ているのだろう。

 護竜の眼の作りは人やモンスターと違う。ハンターの俺でもそうと分かるくらい、その違いは分かりやすい。

 生物の白目に当たる部分が黒く、瞳に当たる部分が白い孔のようになっている。俺は見慣れてしまったが、人によっては不気味に感じるだろう。

 

 こうやって夜空を見上げるという行為は、もしかすると、彼らにとっては星空を見ることを意味しないのかもしれない。

 例えば、何かを聞いているとか。単に澄んだ空気を味わっているだけとか。ただ、俺には与り知らないことだ。

 少なくとも、竜都の跡形の空は狭く、夢の中にいるかのように霞んでいた。

 あれはあれで幻想的ではあったが。それに比べれば、たとえ視覚に頼らずとも、ここでの空は特別に感じるはずだ。

 

 護竜セクレトは、しばらくここに留まるつもりのようだ。

 先ほどまで吹雪いていたからか、大型のモンスターが現れる気配もない。もし何かあっても、残雪がかの竜の姿を紛れさせてくれるだろう。

 

 俺も少し休憩を取ることにした。竜都の跡形から休みなしで歩き通したので、さすがに疲れてきている。

 護竜セクレトを刺激しないように崖際まで後退し、モドリ玉を使ってメルノスを呼び出した。

 向かう先はエリア19、浮遊岩石の上の簡易キャンプだ。

 よくもまあ、こんなところにキャンプを設営しようと思ったものだが、意外と足場はしっかりとしている。

 どのような原理で空中に留まっているのかは分からないが、使えそうなら使ってしまおうという判断なのだろう。

 

 半ば雪に埋もれていたテントの入り口を掘り出し、火を焚いて明かりを灯す。

 装備の雪を落としてから中に入り、ハンモックを調整してから座り込んだ。ふう、というため息と共に、どっと眠気が襲ってくる。

 装備は脱がない。ここはあくまで簡易キャンプであって、ベースキャンプほど安全ではないことを忘れてはいけない。

 実際、このキャンプの近くには、ヒラバミの抜け殻が引っかかっていることがある。

 氷霧の断崖の空を自由に行き来する彼らにとって、この浮遊岩石の群れはほとんど障害にならないようだ。

 

 せいぜい、座ったままでうとうとするか、横になって仮眠する、くらいに留めておくのが賢明だろう。

 仲間が見張りをしているなら、しっかり眠ってしまってもいいのかもしれないが、あいにくと今はソロだ。

 

 導蟲の虫かごを傍に置き、護竜セクレトの痕跡を追わせたままにしておく。

 テントの隙間から外へ漏れ出る導蟲の光は、かの竜が再び移動を始めたとき、それを追って漣のような音を立てる。

 とても微細な音だが、追跡再開に適した合図はそれしかない。この音を聞き逃さないためにも、深い眠りは禁物だ。

 寝て起きて、焚火料理をする時間が取れればいいが、と。

 そんな希望的観測をしながら、俺は静かに目を閉じた。

 

 

 

【氷霧の断崖 豊穣期】

 

 護竜セクレトが動き出したのは、夜が明けて日が昇り始めた頃だった。

 導蟲の微かな騒ぎを聞き取って起き出した俺は、急いで支度を整える。

 眠りに就いてから、だいたい三時間といったところだろうか。おかげでそれなりに疲れは取れた。ただ、焚火料理はお預けになりそうだ。

 休みが取れたならそれで十分。それ以上は贅沢というものだ。干し肉を口にしながら、俺は朝日の差し込む外へと出て────。

 

「お?」

 

 さっと目の前を通り過ぎていった白い影に、何とも間抜けな反応をしてしまった。

 一瞬、雪か光か、何かの見間違いかと思ったが、そんなわけがない。

 やられた。思っていた以上に寝ぼけていたようだ。

 

 テントの目の前を通り過ぎていった護竜セクレトは、そのままエリア11に向けて駆け下っていった。導蟲の燐光がその後を追う。

 怖れ知らずというべきか、一心不乱というべきか。

 俺という追跡者のことも、気付いていないというより、気にしていないという方が正しいのかもしれない。

 

 何にせよ、追いかけなくては。

 セクレトに乗れないハンターのために、異常気象のときを除いて、簡易キャンプの近くには調査隊の翼竜が常駐している。

 彼らの力を借りて浮遊岩石を飛び越えていく。翼竜かセクレトがいなければ、人の足ではとてもここから出られないだろう。

 メルノスを呼ぶために口笛を吹こうとした、そのとき。

 

「ん……?」

 

 俺の目の前に、ひらひらと舞い落ちるものがあった。

 そっと指でつまむと、それは一枚の長く白い羽だった。大きな鳥の羽にも見えるそれは、重さを感じさせないほどに軽い。

 護竜セクレトの落し物と見て間違いないだろう。この大きさからして、尾羽だろうか。

 拾った場所を軽くメモし、ハンターノートに綴じておく。追跡対象の落し物は良い資料になるし、導蟲たちの助けにもなる。

 

 護竜セクレトの姿はもう見えなくなりつつあった。ベースキャンプに寄っている暇はなさそうだ。

 経過報告の書簡を糸で縛りつつ、呼び損ねたメルノスを呼ぶ。

 かの竜は一体どこまで行くつもりなのか、まるで見当がつかなかった。

 

 

 

【氷霧の断崖 豊穣期】

 

 再び氷霧の断崖の中層にやってきた護竜セクレトは、今度は下層へと向かうようだ。

 浮遊岩石を伝ってエリア11、そしてエリア6へと向かい、崩れた床からさらに下っていく。昨日通った通路とは別のルートだ。

 氷霧の断崖の下層は、巨大な建造物をくり抜いたような構造になっている。地下空間と言ってしまっても差し支えはないだろう。

 

 加えて、この下層の大部分が、ネルスキュラという大蜘蛛の領域となっている。

 上層から下層へ落下してしまった者や、下層まで迷い込んでしまった者は、ネルスキュラの餌食になってしまうことが多い。地下の掃除屋と言ったところか。

 

 氷霧の断崖では、エリア番号が若いほどに標高が下がる傾向にある。竜都の跡形や油涌き谷はその逆だ。

 エリア5に来た辺りから、それまでとは雰囲気が変わり始めた。

 天井には無数の白い糸が垂れ下がっていて、糸でぐるぐる巻きにされた死体が吊り下げられている。

 保存食とされた彼らに息遣いはなく、体温もない。

 護竜セクレトは時おり天井を見はしたものの、繭のようなそれが何なのかは把握できなかったようで、特に気にすることなく歩を進めていた。

 

 ただ、ゲリョスの亡骸から滴った毒液溜まりや、ネルスキュラの幼体である子蜘蛛の群れには、さすがに警戒を示していた。

 ネルスキュラの巣であるエリア4にも、少し踏み入ってすぐに引き返していた。危機察知能力はしっかり備えているようだ。

 運悪く成体と鉢合わせる、なんてこともなく、エリア2を通過していく。

 建造物の基礎が剥き出しになったような、六角形層構造の壁面を潜り抜けていく。

 

 護竜セクレトと一定以上の距離を保ちつつ、俺も後に続いた。

 振動を感知する蜘蛛たちに気付かれないように、足音に気を付けながら。他のモンスターに絡まれて、追跡対象を見失うなどという失態はしたくない。

 

 エリア2からさらに下っていくと、簡易キャンプのあるエリア1へと辿り着く。

 氷柱に囲まれた狭い洞窟は、ネルスキュラやその他のモンスターの侵入を防ぎ、安全なキャンプとして機能している。

 ここが氷霧の断崖の最下層だ。最上層はエリア16だから、護竜セクレトも俺も、氷霧の断崖をほぼ踏破してしまったことになる。

 

 そしてここには、かの守人の少年も通ったらしい地下道がある。

 守人たちが大地の背骨と呼ぶそれは、あの廃道と同じく、竜都の跡形へと繋がる道だ。

 そしてここより先、竜都の跡形と地続きで繋がる道はない。

 来た道を戻るということをせずに、竜都の跡形へと引き返すなら、ここが最後の一線となる。

 大地の背骨は反対方向にも伸びていて、そちらは油涌き谷へと繋がっている。

 分かりやすく、選択を迫られる道ということだ。

 

 分岐で立ち止まった護竜セクレトを、洞窟の外からそっと観察する。

 選択を迷っているというよりは、どちらの道がどこへと繋がるのかが分からずにいる、といった様子だ。

 双方の道にこれといった見た目の違いはなく、己の感覚を頼るしかない。

 羽で風を感じ、僅かな風の匂いを嗅いで、自身の進むべき道を占う。

 その仕草は、まるで旅人のそれだった。実際、旅をしていることに違いもない。

 

 かくして護竜セクレトは、東側の道、油涌き谷方面へと舵を切って走り出した。

 なんとなく帰らないような予感はしていたが、やはり。

 というより、ここまで走ってきたかの竜が、こんなところで満足して引き返すはずがない。

 

 目の前の簡易キャンプで改めて補給したいところだが、護竜セクレトはもう走り去ってしまっている。

 そのまま追いかけるしかないだろう。また強走薬に頼ることになりそうだ。

 ここを独りで歩いたあの少年は凄いなと思いつつ、油涌き谷までの長い道のりを思い浮かべ、ふう、とまた溜め息をついた。

 

 

 

【油涌き谷 豊穣期】

 

 大地の背骨は、竜都の人々が地下に通した竜乳の通り道だ。

 竜都の跡形の奥地で作り出された竜乳は、錬竜脈という管を通って各地へと運ばれている。その錬竜脈が、大地の背骨には張り巡らされている。

 一対の厚い反物(たんもの)を交差させながら束ねて、そのまとまりをさらに束ねて、らせん状に繋げていったもの。

 遠くから見ると、細長い網を、巨大な管に延々と巻いていったようにも見える。それが錬竜脈だ。

 

 何とも形容しがたいその管はしかし、千年もの間放置されたことで、その多くが千切れては崩れ落ち、その端から白い結晶を垂らしていた。

 地下道自体もかなり荒廃してきている。こんな惨状で竜乳は運べるのだろうか、と思うが、機構そのものは今もしっかり生きているらしい。

 

 不思議な、それでいて少し不気味でもある道を延々と歩いて、とうとう油涌き谷の入り口、エリア18へと護竜セクレトは辿り着いた。

 ここは錬竜脈のひとつの要所となっているのか、今までの通路とは様子の違う、巨大な繭のような構造を見ることができる。

 繭の中心に浮かぶ白く眩い光は、どこか神秘的だ。仕組みは全く分からないが、重要な器官であることには違いないだろう。

 

 黙々と走るセクレトに、差をつけられていた俺が肩で息をしながら、ようやくエリア18に差し掛かったとき。

 護竜セクレトは錬竜脈の繭の傍に近づき、エネルギーの補給を試みているようだった。

 

 護竜のエネルギー摂取の仕方は、人や既存の竜とは全く異なる。

 彼らは何かを食べるということをしないのだ。そもそも、口から先の消化器官はほとんど機能していないらしい。

 彼らの在り方はどちらかと言えば、動物というより植物の方が近いような気がする。

 植物が根から水を吸い上げるように、護竜は地面から竜乳を介してエネルギーを直接取り込む。

 竜乳が豊かな場所では、極論、立っているだけで補給が完了するということだ。

 

 しかし、それは裏を返せば、竜乳がない場所では護竜は生きていけないということでもある。

 もともとが竜都の守護のために造られた生物だ。竜都から離れられない仕組みにするのも、当然と言えば当然か。

 ハンターも知る生物倫理の観念さえ無くせば、生物の本能を利用した、よくできた仕組みだとも思う。

 

 故に、ここで注目するべきは、護竜セクレトが錬竜脈からうまくエネルギーを取り込めるかということだ。

 大地の背骨を走っている間、さすがの護竜セクレトも疲れが出ているのか、出会ったときよりも元気がなくなっているような様子が見られた。

 雪の照り返しにも負けないくらい明るかった白い羽も、心なしかくすんできているように見える。こんな白色ばかりの空間での視覚は、あてにならないかもしれないが。

 

 錬竜脈での補給を終えて、護竜セクレトがまた元気に走り出すようなことがあれば。

 俺からすると、調査の引継ぎを検討したくなるところだが。調査隊や禁足地の人々からすれば、良くも悪くも、かなり大きなニュースになるだろう。

 それは、補給場所という制約はあれど、護竜の活動可能範囲が、竜都の跡形から禁足地全域に広がる可能性があることを意味するからだ。

 護竜たち自身が、それに気付けていないだけで。

 

 あの守人の少年は、良い風に受け止めるだろう。

 彼は、村を襲ったアルシュベルドが、実は竜都の檻から逃れようとしていただけだった、という調査結果を痛く気にしていたらしい。

 そんな彼であれば、この報告は、護竜の枷を取り払えるかもしれない希望のひとつとして見てもおかしくはない。

 

 あの星の隊のハンターは、あまり良くは受け止めないだろう。

 護竜もその気になれば、竜都の外に出て行けるのなら、それはそのまま懸念事項が増えることを意味する。

 護竜と既存のモンスターとの相容れなさは、竜都の跡形での激しい縄張り争いの跡を見れば、火を見るよりも明らかだ。

 モンスター同士の激しい衝突は、少なからず地域住民の生活に影響を及ぼす。彼女はそれを憂うだろう。

 

 いろいろなことを頭に思い浮かべつつも、俺は護竜セクレトの観察を続ける。貴重な瞬間を見逃すわけにはいかない。

 護竜セクレトは錬竜脈の繭の中に半ば入り込むようにして、ほのかに光る地面を、強く握るようにして立っている。

 護竜のエネルギー補給のときの仕草として、典型的なものだ。

 竜都の跡形では、その行為に合わせて、地面から水が吸い上げられるような光の流れが映る。

 

 しかし、俺の見ている限りでは、かの竜の立つ地面には何も変化はなかった。

 先と同じ、微かな光を湛えて沈黙するのみだ。

 しばらくその場でじっとしていた護竜セクレトは、落ち着かなさげに辺りを見渡し、別の場所に移動した。そして再び力を籠める。

 それでも、何も起こらない。

 

 護竜セクレトはその後も、より繭に近づいてみたり、離れてみたりしながら、何度もエネルギー補給を試みた。

 その姿はまるで、神や精霊に祈りを捧げる人のようにも見えた。

 

 護竜セクレトの様子をハンターノートに記録しながら、俺はまた物思いにふける。

 竜乳は間違いなくこの地にまで供給されている。それは名を変え形を変え、リュウヌ石として禁足地の人々の生活を支えている。

 俺のすぐ傍のリュウヌ石柱に貼り付いている、キョムトンがいい例だ。

 この環境生物の本拠地は竜都の跡形だが、ここでも姿を見せるということは、リュウヌと竜乳は本質的には変わらない物質なのだろう。

 

 ただ、その状態というべきか、粘度の違いが護竜にとっては痛い。

 辺りの見渡す限りのリュウヌ石柱を見る限り、この地まで届けられた竜乳はかなり粘り気を持っている。

 輸送されていくうちにだんだんと水気が抜けていくのか、その原因はよく分からないが、少なくとも沼状になった竜乳溜まりを、竜都以外で見かけることはまずない。

 

 リュウヌ石も火を付ければ燃えるし、キョムトンのようにゆっくり分解してエネルギーを得ることだってできる。

 しかし、流れる水のようにエネルギーを取り出すようなことはできない。

 そして護竜たちが、リュウヌになった竜乳では補給できないのであれば、やはり。

 

 しばらくした後、護竜セクレトは錬竜脈の繭から離れ、油涌き谷へ向けて走っていってしまった。

 諦めた、と見ていいだろう。恐らく、エネルギーの補給を行うことはできなかった。

 

 そしてこれより先、この油涌き谷のエリア18以上に、はっきりと錬竜脈が露出している場所はない。リュウヌ石窟としても、ここが最も大きい。

 これらのことから、容易く導ける未来がひとつある。

 俺は内心で、冷たい判断を下しつつあった。

 

 かの竜は今、自らの命運に関わる重大な結果を得た。

 恐らく、あの護竜セクレトはこの旅で、命を落とすことになるだろう。

 

 

 

【油涌き谷 荒廃期】

 

 エリア18から狭い横穴を通って外に出ると、本格的に油涌き谷へと踏み入っていくことになる。

 エリア14は、天井が針山のようになった鍾乳洞だ。足元には川が流れていて、地底の生物たちの拠り所となっている。

 豊穣期や火渡りの時期には、空中にたくさんのハナミアゲが漂っている。しかし、今はその姿がない。荒廃期に差し掛かっているのだろう。

 

 西の方角には、竜都の人々が建造したのだろう、巨大な角柱が何本も転がっている。

 竜都の外壁を構築していた柱がまさにこれだったため、ここはそういった建造物を組み立てる場所だったのかもしれない。

 角柱群の奥は熱気と光を放っていて、護竜セクレトはそちらに興味を引かれたようだ。導蟲の光がそちらに向かって伸びている。

 あえて過酷な環境へ向かうとは、無知なだけとはいえ、命知らずなものだ。そんなことを思いながら後を追う。

 

 巨大角柱の下をくぐった辺りから、ひりつくような熱気が肌を焦がしてきた。

 クーラードリンクを飲んでいなければ、あっという間にふらふらになってしまいそうだ。火渡りの時期でないのが、まだ恩情といったところか。

 エリア16、油涌き谷の最深部には、溶鉱炉のような建造物が鎮座している。

 そこから溢れ出した溶岩は、流れて行ってはいないものの、高温を蓄えて真っ赤に染まっていた。

 

 護竜セクレトは、エリアの端の方に立って、物珍しそうにあたりを見渡している。

 熱さにやられているような様子はなさそうだ。たしか、原種のセクレトもここで問題なく過ごせると聞く。もともと環境適応力の高い種なのだろう。

 竜都の跡形もどちらかというと寒冷な地域なので、もしかすると、空気が熱いという感覚を初めて味わっているのかもしれない。

 

 あるいは、太陽すらもぼんやりとしか認識できていないのでは? 

 そんなことを俺が考えているうちに、護竜セクレトは不用意に、赤熱化した地面に踏み込んでしまっていた。

 じゅうっという音がして、大地の熱が触れたものを焼き焦がす。

 人であれば、防具越しでも火傷を負ってしまうほどの熱だ。さすがの護竜セクレトでも防ぎきれないだろう。

 分かりやすく飛び上がって驚いたセクレトは、威嚇するように地面に向けて唸って、そのまま走り去っていってしまった。

 荒廃期の油涌き谷に、高熱地帯はそう多くない。頻繁にこんな目に遭うこともないだろうが、まあ、いい教訓にはなったはずだ。

 

 エリア16から抜け出し、ウロコウモリの飛び回るエリア12の坂道を駆け上っていく。

 どうやら、まっすぐに上層を目指すことにしたらしい。

 次のフィールド、つまり緋の森に向かうには、油涌き谷の上層まで行く必要があるので、正解と言えば正解か。

 ただ、上層まで辿り着くまでの道のりは、やはり簡単ではない。氷霧の断崖で得られていた利が、ここでは通用しないからだ。

 

 油涌き谷はその名前の通りに、各地で油が湧き出している。特に荒廃期にはその油が黒く染まるため、真っ黒と言っても差し支えないような風景になる。

 対して、護竜セクレトの体色は真っ白だ。

 これが本当によく目立つ。観察していると特にそう感じる。

 白色は、ここでは最も目立つ色になってしまうのだ。そのためなのか、この地では白い生物はいないに等しい。

 

 護竜セクレトにそのような自覚はないだろう。氷霧の断崖と同じように、大人しくしていれば、さっと駆け抜けられると考えているかもしれない。

 しかし、エリア12の坂道を上りきって、エリア8の泥沼地帯を訪れてすぐに、護竜セクレトはトラブルに見舞われたようだった。

 俺が蔦壁を登って追いついたときには、白い竜が数頭の鳥竜に追いかけられているのが見えた。あれは、クラノダスだ。

 

 クラノダスは油涌き谷に棲んでいる肉食竜で、数頭で群れを作って、中層から上層の辺りを歩き回っている。

 特徴的なのはその頭部だろう。角というよりも大きな耳のように見えるそれは、先端部分がかなり硬くできていて、ハンマーのように振り回すことができる。

 縄張り意識は高く、大型モンスターにも果敢に挑みかかるくらいだ。

 見慣れない真っ白な竜が縄張りにいるとなれば、見逃されるはずもない。

 

 クラノダスの群れは護竜セクレトの背後に付きながら、時おり跳躍して自慢の頭部を叩きつけてくる。

 あれは人がまともに食らえば、一撃で気絶してもおかしくないような代物だ。

 その危なさを感じ取っているのだろう。護竜セクレトはじぐざぐに走ったり跳んだりしながら、なんとかその攻撃を避け続けている。

 

 本来、護竜セクレトはクラノダスに負けず劣らずの強さがある。

 クラノダスたちの攻撃を避けることができているのは、彼らよりも素早さや反応速度で勝っているからだ。そうでなければ、今頃はきっと袋叩きにされている。

 多対一の状況のため、応戦するには不利すぎる、というのはあるだろう。しかし、俺にはもう一つ理由があるように思えた。

 それは、護竜セクレト側に、反撃し戦うだけの余力がもう残っていないのではないか、ということだ。

 

 見れば、護竜セクレトは、自分の白い羽が油で汚れるのも厭わず、時折つんのめって転ぶようなことになりながら、なりふり構わず逃げているという様子だ。

 竜都の跡形では、戦うにしろ逃げるにしろ、もっとスムーズに動けていたはずだ。動きに切れ味があったというべきか。

 今の、クラノダスに追いつかれそうになりながら、泥だらけで逃げる護竜セクレトは、その動きにどこか精彩を欠いているように見えた。

 

 護竜セクレトとしては、早くクラノダスたちを撒きたいところなのだろうが、油涌き谷の黒泥がそれを邪魔している。

 噴き出した油が変色してできた黒泥は、水よりも粘度が高く、動きをかなり制限される。そんな沼が、エリア8の大部分を覆ってしまっているのだから厄介だ。

 クラノダスは黒泥が敵の動きを鈍らせることをよく分かっているし、泥沼から出ようとする獲物に対し先回りする技量もある。

 彼らの包囲網を脱するのは、決して一筋縄ではいかないだろう。

 

 そして、悪いことは重なるというべきなのか、今までの順調さが仇にでもなったのか。

 クラノダスと護竜セクレトの様子を、その頭上のエリア7から見下ろす牙獣の姿があった。

 

「アジャラカンか……」

 

 あの赤く逆立った鱗と、威圧感のある立ち姿は、見間違えようもない。

 しかも、背甲を滾らせた高温状態でのお出ましだ。背後には陽炎が揺らめいていて、こうやって遠くから見ると、燃え上がる炎がそのまま歩いているかのようだった。

 赫猿獣とも呼ばれるその大猿は、やはりというべきか、白い羽の護竜セクレトを注視している様子だ。

 

 本来、小型モンスターに対しては、そこまで強い執着は見せない種なのだが。

 何か、白いモンスターに因縁でもあるのか、既存のモンスターと激しく争う護竜の特性が助長されてしまっているのか。

 何にせよ、アジャラカンまで介入して来ようものなら、護竜セクレトはまず生き延びれないだろう。

 かの竜が油涌き谷を抜け出すことは、やはり難しいのだろうか。

 

 と、そこでひとつの懸念が生じた。

 アジャラカンがいるエリア7は、油涌き谷の集落であるアズズの里に程近いエリアだ。調査隊のベースキャンプも隣接している。

 エリア7とアズズの里を隔てるのは、関所のない橋ひとつであり、ほぼ地続きと言っていい。モンスター除けの煙だけで凌いでいるような日常だ。

 

 もし、エリア7までやってきた護竜セクレトが、アジャラカンにまで追いかけられるようなことになれば、混乱して橋を渡って来てしまうのではないか? 

 そして、そうなる可能性は決して低くない。

 護竜セクレトはこの地を知らない新参者で、モンスター除けの煙がどの程度効くかも分からない。

 アジャラカンは一度標的を定めると、かなり執念深く追いかけてくることで知られている。今は高熱状態故に、より攻撃的になってもいるだろう。

 

 予想外な事態に発展しがちな、悪い組み合わせだ。

 これが下層で起こっていることならまだしも、集落の傍のエリアとなると、さすがに看過できない。

 

「……クエスト化するか、これ」

 

 捕獲調査というかたちでなら、アジャラカンの狩猟の許可が下りそうだ。

 そのためには、一度ベースキャンプまで戻らなければならない。編纂者に事情を説明して、狩猟を要請してもらう必要がある。

 拠点に近いエリアまで足を運んでくるアジャラカンは、調査隊からターゲットにされている可能性が高い。クエスト化にそう時間はかからないはずだ。

 

 問題は、俺が護竜セクレトを追いかけるという調査クエストを遂行中であることだ。

 二重受注になってしまうが……まあ、なんとか話は通せるだろう。こういった状況は、調査隊では珍しくない。

 

 伝書を飛ばす手もあるが、ここまで来ればもう、徒歩で拠点に向かった方が早い。

 護竜セクレトは、未だクラノダスに苦戦を強いられている。アジャラカンが手を出してくるまで、もう少しだけ猶予はあるはず。

 隠れ身の装衣を羽織り、壁伝いに静かに走り出す。クラノダスにも、アジャラカンにも目を付けられることのないように。

 

 アジャラカンの相手をソロで務めるつもりはない。ベースキャンプに手の空いているハンターがいればいいが。

 ソロで狩れなくはないけれども、相応の怪我と引き換えになる。護竜セクレトの追跡はできなくなるだろう。俺の実力はその程度だ。

 なるべく早く、冷静に。

 護竜セクレトが遠く離れるよりも前に、あらゆる助けを借りてでも、狩りを完遂させるのだ。

 

 

 

【油涌き谷 荒廃期】

 

「ふぅ……」

 

 ベースキャンプに設置された、調査隊共用のテント。

 そこに置かれたベンチに腰掛けて、俺は大きなため息をついた。

 

 疲れた。が、やり遂げた。

 アジャラカンは仲間の手によって捕獲されていた。隠し切れない疲労のあった俺は、仲間に気遣われて、先にベースキャンプに戻ってきた。

 背甲の熱にものを言わせた強烈な体当たりに、頭上の廃管を駆使した縦横無尽な攻め手の数々。アジャラカンはやはり手強い獣だった。

 幸運なことに、大きな怪我もない。助っ人に狩猟笛の使い手がいてくれて助かった。

 

 護竜セクレトも見失わずに済んでいる。調査隊のアイルーがついでに見張っていてくれていた。

 護竜セクレトは、なんとかクラノダスの群れを振り切ったようだ。エリア8の泥沼地帯も抜け出している。

 その後、アジャラカンとハンターの戦いがエリア7から移行するのに合わせて、エリア7の廃管を抜け道のように使って、上層まで辿り着いている。

 

 今は、エリア2へと続く廃管の上で休んでいるらしい。

 賢い選択といえるだろう。あの狭い足場に好んで足を運ぶモンスターはいない。不意打ちされることはまずないと言っていい。

 互いに疲労困憊だ。少しくらい休んでも差が広がることはないだろう。

 とは言っても、俺たちがアジャラカンと決着するよりも早く、護竜セクレトは休憩に入れている。俺の方は早々に出なければいけなさそうだ。

 

 少々ぐったりとしながらも、携帯焚き火台に火を付けて肉焼き料理を作る。

 魚や野菜を主菜にしてもいいが、ここは肉だろう。奮発してゴチソウダケとワイルドハーブを追加し、空腹と疲労の両方を吹き飛ばしにかかる。

 眠気でうとうととしながらも、なんとか火加減を調整し、上手い具合に調理することができた。

 

 焼きたての肉をゴチソウダケと共に頬張れば、肉汁の旨みが口の中に染み渡る。

 この食材は調査隊から支給されているものだが、かなり質が高い。新鮮なものはそのまま料理できるし、日にちが経ったものは干すか燻製にして携帯食料にできる。

 飯が美味しいのは良いことだ。この支給食料の虜になって、西に戻れなくなるハンターもいそうな気がする。

 

 そんな、とりとめもないことを考えながら英気を養っていると、やや離れた場所から、「おーい」と男性の声が聞こえた。

 

「ん、俺……?」

「そうそう。お前だよお前」

 

 そう言って歩いてきた男は、禁足地調査隊であれば誰もが知る技術者だった。

 ヴェルナー技師。かの星の隊の一員だ。アズズの里の炉の修復にも携わったとか。

 そんな人物が、一介のハンターである俺に何の用だろうか。

 

「あの護竜セクレトを追いかけてるんだろ。違ったか?」

「いや、その通りだが……よく俺だって気付いたな」

「装備を聞いてたからなぁ。あ、名乗らなくてもいいぞ。どうせ覚えないから」

 

 なるほど。噂に違わない人物のようだ。

 実際、彼に名前を憶えられている者は、ごく少数に限られているらしい。

 

「アレの調査をしてるハンターに話を聞いてこいって、伝言があってな」

「そうなのか……。実際に、そのセクレトは見たのか?」

「見た。この里の高台からな。しかしまさか本当に、竜都から護竜が逃げ出すとはねぇ」

 

 この目で見るまでは信じられなかった、とヴェルナーは続けた。

 彼の言うことも分かる。俺も最初は、自分の見間違いを一番に疑ったものだ。

 

「ひとつ聞きたいんだが、アレはどこかで補給をしたのか? 油涌き谷(ここ)の地下のあの場所とかで」

「やろうとして失敗した感じだった。あの感じだと補給はできていないと思う」

「そうか。じゃあ、アレが竜都を出発してからは何日経つ」

「今日で三日くらいかな……」

 

 正直、地下や日の当たらない場所をずっと走っているので、時間経過の感覚が曖昧だ。たぶん、そのくらいだとは思うが。

 俺の返答を聞いて、ヴェルナーは腕を組み、うーん、と考え込む仕草をした。あの色褪せ方を見るに……という呟きが聞こえる。

 

「まあ……せいぜいあと二日くらいかね」

「何が?」

「アレの竜乳──燃料が空になるまでの時間だ。補給無しならそのくらいだろうさ」

 

 燃料。あえて竜乳から言い直した。

 俺がやや面食らったのを知ってか知らずか、ヴェルナーは話を続ける。

 

「ざっくり計算したまでだ。護竜の竜乳の保留量には個体差があるが、中央値はある程度見積もってある。あとは蒸気機関とそう変わらん」

「燃料が空になると、死ぬ、んだよな」

「そりゃ死ぬだろ。生体的な機能を積んでんだから。燃料を入れたら再稼働とはならんだろうな」

 

 なにやら独特な表現の仕方だ。結局は、人や生物が飢餓で死ぬのとそう変わらないのでは……。

 そこまで考えて、はっとした。

 護竜は竜乳でエネルギーを摂るから、消化器官が軒並み退化しているという。

 そういう意味では、腹が空かないというより、()()()()()()

 

「どういう感覚なんだ、それは……?」

「俺だって知らん。こんなハイブリッドの仕方は古龍にだって無いんだ。まあ……腹減って死ぬよりはましなんじゃないの?」

 

 それはそうかもしれないが……。

 ヴェルナーが護竜を機械のように言い表していた理由が、ようやく分かった。

 もし、ヴェルナーの理論が正しいなら、例え方は本当に蒸気機関と燃料の関係でいい。技術屋らしい視点だ。

 

「まあ、それがお前の調査が一段落する目安ってとこだ。他、俺になんか聞きたいことはあるか? ないよな。それじゃあ……」

「あ、待ってくれ。こちらから聞きたいことならひとつある」

 

 ヴェルナーは、用件は済んだとばかりに、ひらひらと手を振ってアズズの里の火釜の方へ向かおうとする

 そんな彼を呼び止めると、やや面倒くさそうな反応をされた。

 そう時間は取らせないから、と前置きをして、さっそく本題に移る。彼を相手に、余計な言葉のやり取りは不要だろう。

 

「あの護竜セクレトは、いったい何のためにこの旅をしているんだと思う?」

「はぁ? そんなの俺だって知らん。そういった話はエリックに聞いてくれ」

「ずっと考えてはいるんだが、どうにも思い浮かばなくてな」

 

 自分で考えるのが難しいなら、人に聞いてみようと思った次第だ。

 しかし、ヴェルナーにはやはり畑違いの質問だったようで、彼が怪訝な表情を崩すことはなかった。

 まあ、この話は俺の個人的な興味だ。この調査クエストの報告書に、ハンターの見解を書く必要はない。

 だから、別に分からないでもいいし、無理に答えずとも……と。

 俺がそう言いかけたところで、ヴェルナーがそれを遮った。

 

「ただの空想に近いが、それでいいか?」

「もちろん」

「じゃあ話すが、護竜をあくまで道具としてみなすなら、お前はどんな機能をつけたい」

 

 俺はまたも面食らってしまった。機能、道具としての機能か。

 オトモアイルーやセクレトとはまた違う、人が竜と戦うための道具。ハンターの在り方とはまるで違っていて、咄嗟に考えるのは難しい。

 

「せっかく生物の身体を使ってるんだ。戦闘力以外にも、感覚器とか端末としての機能があってもおかしくないと俺は見てる」

「端末?」

「要は、使い手の眼なり耳なりの代わりをさせるってことだ。あー……お前も、飛竜みたく空から狩場を見たいと思ったことはあるだろ」

 

 彼なりに、返事の歯切れの悪い俺に対して、具体的な説明を心がけてくれているようだ。

 たしかに、ヴェルナーの例えで分かった。

 つまりは、地上にいるハンターに対して、モンスターの位置を知らせてくれる飛空船の役割を、護竜に期待するということか。

 

「ここ最近の竜都の跡形は変化が大きい。護竜に総意があるんだとすれば、ちょっと外の様子を見に行こうと考えても、おかしくはない頃合いだな」

「つまり、あの護竜セクレト自身の意思というよりも、もっと大きな命令に従って動いていると?」

「個々の護竜に意思なんてものがあるのか、俺は疑ってるけどねぇ。道具に思考なんか与えたって碌なことにならんのは、ちょっと考えれば分かるだろ」

 

 まるで心当たりがあるかのような物言いだが、指摘するのは野暮そうだ。

 ヴェルナーの意見は、彼の言う通りに奇抜だったかもしれない。

 しかし、案外ありえなくはないような気がしているのも確かだ。

 

 竜都の守人たちは、俺たちと出会った当初、クナファ村の人々やモリバーたちのことを、歴史に埋もれた存在だと思い込んでいた。

 守人と竜都を同じように考えるのも、おかしな話ではあるが。もし、竜都を生物のように例えるなら。

 彼または彼らが得られている禁足地の情報というのは、俺たちが思っている以上に少ないのかもしれない。

 もしそうなら、手足や目の延長として、外の様子を端末に見に行かせるのも自然な流れだ。

 たとえその端末が使い捨てであろうとも、そんなことは気にも留めないだろう。

 

「じゃ、もういいよな。事が済んだらエリックにでも顛末を話しておいてくれ」

「分かった。ありがとう」

 

 特に別れの挨拶もなく、ヴェルナーはすぐに背を向けて歩き去って行ってしまった。

 星の隊の面々は任務のこともあって忙しいと聞くし、話ができただけでも僥倖か。

 

「ハンターさーん!」

 

 そのとき、俺に向かって声をかけながら走ってくる、調査隊のアイルーの姿が見えた。

 上層の護竜セクレトを見張ってくれていたアイルーだろう。あの様子だと、護竜セクレトが休憩を終えて、再び走り出したと見て間違いなさそうだ。

 既に携帯焚き火台は仕舞ってある。食事を摂ったおかげで、いくらか疲労も取れた。

 

 次は緋の森へ向かうことでほぼ間違いない。

 ヴェルナーから活動限界の目安が示された以上、あとはあの護竜がどこまで行けるかという話だ。

 ここまで来たなら、とことん付き合うまで。護竜セクレトの旅を見届けに行こう。

 

 

 

【岩窟の抗道】

 

 油涌き谷のエリア2も、黒油の泥沼が点在するエリアだ。

 クラノダスの縄張りでもあるし、最後にひと悶着あるかもと思っていたが、ここは何事もなく切り抜けられたようだ。

 護竜セクレトも用心深くなった、ということかもしれない。

 

 簡易キャンプのあるエリア1まで辿り着けば、油涌き谷のモンスターたちはほとんど寄り付かなくなる。

 緋の森との緩衝地帯はすぐそこだ。こういったフィールド同士の境目では、環境が曖昧なせいか、モンスターが少ない傾向にある。

 

 エリア1には緋の森へ向かう道の他にも、アズズの里への直通の通路があるのだが、護竜セクレトは迷いなく緋の森への道に向かっていた。

 岩窟の抗道と呼ばれるその道は、クナファ村の人々もたびたび通る緩衝地帯だ。

 道のりはそう長くはないものの、通る前と後とでは、驚くほどの景色の違いを目の当たりにすることになる。

 

 そして俺の方にも、追跡の仕方に変化があった。頼もしい仲間が加わったと言うべきか。

 油涌き谷のベースキャンプから、調査隊のセクレトに乗ってもいいことになったのだ。

 

 セクレト同伴の許可が下りるのは久しぶりのことだった。てっきり、最後まで自らの足で調査するものとばかり思っていた。

 恐らく、俺が経過を報告したことで、この調査クエストの重要度が一段階引き上げられたのだろう。

 

 調査隊内でも正直、疑ってしまうところはあったはずだ。

 竜都の外に出たとはいえ、どうせ氷霧の断崖で引き返すだろうとか、そんな評価をしていたのだと思う。俺が後方支援の立場だったとしても、そう考える。

 だが、護竜セクレトは予想に反して、一度も引き返すことなく次々とフィールドを踏破していった。

 いよいよ緋の森へ、さらにその先へと向かおうとしているのだから、さすがに注目せざるを得ない。

 

 加えて、竜都の跡形から護竜セクレトを追いかけてきた、俺の負担も考慮されたとか。

 あの守人の少年も、竜都から隔ての砂原までは、独りで歩ききっているのだから。俺もがんばるしかないな、と意気込んでいた矢先のことだった。

 思わず苦笑いと言ったところだが、拘るものでもないし、使えるものはありがたく使わせてもらおう。

 

 深い青色の羽に、明るい緑の毛皮。

 護竜セクレトを見てきた後だと、原種のセクレトはやはり色彩豊かに見える。

 久しぶりの騎乗で少々手間取ったが、問題はない。このセクレトも人を乗せ慣れている。その経験を信頼して、俺は手綱を握った。

 

 

 

【緋の森 荒廃期】

 

 岩窟の抗道を抜けて、緋の森のエリア8に入ると、薄く霧のかかった森林が来訪者を出迎えた。

 足元の川の水は緋色に染まっている。この色の濃さからして、恐らくは荒廃期の終わりの時期だろう。

 まずい時期に入ったな、と思うと同時に、導蟲が反応を示した。

 

「ん……?」

 

 エリア7方面、キノコの群生地へと伸びていった緑色の光は、あるキノコにわっと集合する。

 そのキノコを見に行くと、半分ほど、齧られたような痕があった。辺りをよく見れば、そのような痕跡が点々と続いている。

 この辺を縄張りにするコンガが怒りそうな光景だが、彼らは今、ハチミツを食べに行っているようだ。

 ニアミスだったものの、鉢合わせずに済んだのは運がいい。

 

 引き続き調査を続けると、護竜セクレトのものらしき足跡が見つかった。

 下流に向かうと思われた足跡は緩やかに方向転換し、上流のエリア12へと向かっている。

 セクレトの嗅覚による助けも借りつつ、エリア12へ向かう坂道を上る。

 荒廃期ならではの、くすんだ色合いの森の中を駆けていく。ところどころで立ち止まるような痕跡は、地面に落ちた木の実も口に入れたのかもしれない。

 坂を上りきったその先で、再び導蟲が護竜セクレトの痕跡を見つけた。

 

「これは、吐いた跡か」

 

 緋色の川沿いに、キノコの欠片らしき破片が散乱している。

 それらは消化されたような形跡が全く無く、口に入ったままの形を残していた。

 そもそも、繊維を全く噛み切れていない。かなり拙い食べ方だ。木の実に至っては殻ごと飲み込んでしまっている。

 水を飲もうとした形跡もあった。固形物に比べればまだ、体内に取り込めた様子だが、やはり少なくない量を吐き戻してしまっている。

 

「何か食べようとしたのか……」

 

 これは、しっかりと報告した方がいいだろう。

 痕跡採取用の瓶を取り出し、吐瀉物を掬い取る。

 ふつう、これらは消化液が混じってきつい匂いがするものだ。しかし、その吐瀉物は何の匂いも発しなかった。

 

 体内のエネルギー不足が深刻になったことで、生物としての本能が僅かに戻ってきたのだろうか。

 しかし、その足掻きに身体が付いてこない。

 退化した消化器は消化液を分泌できず、臓器の中に留めることもできずに、そのまま吐き出してしまった。

 

 そもそも、自分という生き物が、どんな食べ物を受け付けるかすら分かっていないから、目についたキノコに手を付けてしまうのだ。

 護竜セクレトが齧ったキノコの中には、マヒダケも含まれていた。

 分解されずに全て吐き出されたから助かったようなもので、毒素が体内に取り込まれていたら、その場で倒れていたかもしれない。

 

 護竜に対して、森が恵みをもたらすことはない。護竜に対して、竜都の外の環境は本当に厳しい。

 翻せば、もとは護竜だったらしいアルシュベルドは、文字通りの血反吐を吐きながら、本来の生物としての特性を取り戻していったのだろう。

 俺自身はかの竜と相見えたことはないが、こうして護竜セクレトの痕跡を追うだけでも、その苦難が伺い知れる。

 

 護竜セクレトはここまでの流れで、自身が食べ物を食べられない身体であることを悟ったのだろう。

 拾い食いのためにあちこちさ迷っていた足取りは、再び淀みないものとなり、より上流のエリア13に向けて走っていったようだった。

 

 こんな状態で、隔ての砂原方面とは真逆の、緋の森の最上層に向かおうとしている。

 無茶なことを、と思うが、仕方がない。この森の上層への道が大変な崖登りであることを、護竜セクレトが知る由もないのだから。

 これまでの旅では、隣接するフィールドに向かうために、そのフィールドの最上層か最下層に行く必要があった。

 選択は二者択一、氷霧の断崖でも一度最上層まで登ったことを考えると、この護竜セクレトはひとまず高所に向かいたいという意思があるようだ。

 

 モリバーのアジトとなっている遺跡を頭上に見ながら、セクレトを走らせる。

 荒廃期の終わりかけだからか、既に多くのモリバーはアジトに戻っているようだ。

 真っ白な護竜セクレトを彼らが見れば、ほぼ間違いなく話題になるはずだが。時期が時期なので、外に出るのは控えているのだろう。

 

 エリア13から川沿いを走り、半ば川に沈んだ遺跡の柱を飛び交ってエリア15へと向かう。

 エリア15は巨大なダムの放水口となっていて、大量の水が頭上から絶えず流れ落ちてくる。

 巻き上がる水飛沫は、少しこの場に留まるだけで全身が濡れてしまうほどだ。

 導蟲の導きも途切れがちになってしまうが、護竜セクレトがどこへ向かうかは見当がついているので、そのまま崖上に向けてセクレトを走らせる。

 実際、崖に這う蔦を伝って、微かな燐光がずっと上まで続いている。予想していたとはいえ、本当にこの長い蔦を登って行ってしまったらしい。

 

 途中で力尽きて落下するかもしれないのに、よくやるものだ。とても道中で吐いていた個体とは思えない。

 そして、調査隊のセクレトを借りることができて本当に良かった。この長い蔦を人の身で登るのは、本当に大変なのだ。

 俺が指示を出すと、調査隊のセクレトは嫌がるそぶりも見せずに、蔦に飛び乗ってくれた。

 重心が俺の方に寄らないように、手綱をしっかり握って身を屈める。

 

 セクレトはその強靭な脚力と手足の保持力を活かして、ほぼ垂直に近いような崖を軽快に登っていくことができる。

 ただ、人を運んだまま、巨大なダムの底から頂上まで一気に駆け登るとなると、やはり相応の重労働となってしまうようだった。

 ダムの上層に辿り着いたときには、セクレトは荒い息をついていた。

 すぐに鞍から下りて、その場で息を整えさせる。後でしっかりと労わってやらなくては。

 

 ここが、エリア17。緋の森の上層にあたる場所だ。

 ダムが塞き止めている水の量は膨大で、向こう岸が霞んで見えるくらいの大きな湖畔になっている。

 護竜セクレトは、その湖畔のすぐ傍に立っていた。実際の姿を見るのは油涌き谷での一件以来だ。

 

 双眼鏡を取り出してその姿を見たとき、ふと違和感を覚えた。

 天気の影響だろうか、護竜セクレトの白い毛並みが、前よりもさらに色褪せているような。

 どちらかといえば、白というより灰色に近くなっている。油涌き谷で油塗れになっていたので、それがまだ抜け切れていないのかもしれないが。

 

 そんな護竜セクレトは、時折辺りを見渡しつつも、湖畔に集まった魚群をじっと見つめていた。

 この護竜セクレトは、食べるという本能を僅かながらに獲得している。

 それ故に、竜都の跡形では気にも留めなかっただろう魚が、今は気になってしまうのかもしれない。

 たとえ、どうせ魚を捕まえて食べたところで、また吐いてしまうだろうことが分かっていても、だ。

 

 それか、単純に蔦登りだけで疲れ果ててしまったか。そちらの方が可能性としては高そうだ。

 しかし、残念なことにこの上層に次のフィールドへの通り道はない。隔ての砂原はここから真逆の方向、下流に沿って進む必要がある。

 この辺をしばらく探索すれば、下流への道筋はおのずと知れるだろう。

 隔ての砂原まで辿り着ける体力が残っているかは、正直なところ微妙なのだろうが。ここで十分に休憩ができればなんとか、といったところだろうか。

 

 しかし、そんな悠長なことを考えている間に、緋の森の荒廃期は終わりを迎えたようだった。

 荒廃期を終えた後に何が訪れるかは、どのフィールドでも共通だ。その表出の仕方は、それぞれ全く違っているが。

 

 今になって慌てても遅い。天候は激変し、地上の様相は一変する。

 異常気象が、やってくる。

 

 

 

【緋の森 集中豪雨】

 

 ぽつ、ぽつ、と。

 水面を雨粒が叩く音がしたかと思えば、ものの十秒と経たない間に、バケツをひっくり返したような大雨が降り始めた。

 現地住民のモリバーたちは、この雨のことを「空の底が抜けた」と言い表すが、正しくその言葉の通りだ。

 荒廃期に重く立ち込めていた雲は、今や底の方が真っ暗になっていて、これからどれだけの量の水を吐き出すのか見当もつかない。

 

 水辺から急いで抜け出す。この雨が降った分だけ、ダムの水かさが増すと言っていい。増水はあっという間だろう。

 待機させていたセクレトの近くまで戻ると、予想通りに、放水口に向かって流れる水の量が明らかに増し始めた。

 大量の水が流れ落ちる音と、激しい雨音が一帯を支配している。人の声なんて、容易くかき消されてしまいそうだ。

 

 護竜セクレトへ双眼鏡を向ける。かの竜は、突然降り出した大雨に戸惑っている様子だった。

 本来、危険を察知したら、立ち向かうにしろ逃げるにしろ、すぐに動き出せるはずなのだが。立ち上がりはしたものの、その場から動かずにいる。

 雨によって視界はかなり悪くなっている。避難するべき陸地がどこにあるか、あの場所からでは分かりづらいのかもしれない。

 足元の水に流されないようにするので精いっぱい、というのもありそうだ。ただでさえ弱っている護竜セクレトに、この急流は大きな負担になるだろう。

 

 しかし、そうして初動が遅れたことによる代償は、非情なまでにしっかりと訪れた。

 いや、この感じからすると、大雨が降りだす前から、既に手遅れだったのかもしれない。

 

 大湖畔の湖面が大きく波打つ。

 吹き荒れる風の力だけではなく、その水面の下にいる存在によって、水が物理的に突き上げられている。

 大雨に塗り潰された景色の中、巨大な影がその姿を現した。

 

「ウズ・トゥナ……!」

 

 波濤そのものを身に纏っているかのような。

 はっきりと見えているわけではないものの、まず間違いない。緋の森の生態系の頂点、波衣竜ウズ・トゥナだ。

 緋の森の異常気象に合わせて現れるというが、それにしても出現が早い。図ったかのようなタイミングだ。

 

 当然、護竜セクレトも湖に巨大な竜が現れたことには気付いていて、すぐにその場から離れようとする。

 しかし、波打つ水がその動きを鈍らせる。既に水かさは護竜セクレトの脚の半分くらいの高さに迫りつつあった。

 ハンターはこんな環境でも、戦わないといけなかったりするものだが、護竜セクレトには酷だろう。そもそも、洪水なんて経験したこともないはずだ。

 

 そして、ウズ・トゥナがそんな隙を見逃すはずがない。

 

 湖の巨影が、空中へ舞い上がる。

 低く、伸びやかな咆哮と共に。

 ひどくゆったりとした動きに見えるそれは、かの竜の羽衣が、空気を捉える傘のようになっているからか。

 あるいは、あの巨体が一時でも宙に浮いていることによる、目の錯覚によるものか。

 いずれにしても、飛竜数頭分はあろうかという大質量が跳び上がったことによる衝撃は、その体が再び湖に飛び込んだことで、現実に反映される。

 

 天高く上がった水飛沫と、ひときわ大きく揺れる湖面。

 強烈なうねりを伴った高波は容易く岸を乗り越えて、護竜セクレトのいる水辺へと襲い掛かった。

 

 もしかすると、ウズ・トゥナは雨が降り出す前から、護竜セクレトに気が付いていたのかもしれない。

 それでも普段は、大湖畔に人やら小型モンスターやらが現れたところで、気にも留めていないのだが。

 やはり、護竜の存在は既存の竜には受け入れ難いのだろうか。そうであれば、この激しい排除の仕方にも納得がいく。

 ただ、やはり護竜セクレトに対して、その大技は過剰すぎたようだ。

 

「……ちっ!」

 

 彼らから遠く離れた俺にまで、その大波が届いて巻き込まれかけた。

 退くしかない。これはウズ・トゥナが引き起こした鉄砲水のようなものだ。舐めてかかっていい威力ではない。

 俺や調査隊のセクレトまで巻き込まれるようなことになれば、取り返しがつかなくなる。

 

 なんとか安全と言えるところまで後退し、俺が再び彼らに視線を戻したときには。

 護竜セクレトは、完全に高波に呑み込まれてしまっていた。

 波にもみくちゃにされているその姿を、なんとか目視することができたのは、あの白い毛並みのおかげだ。

 

 護竜セクレトが波に攫われていく。

 高波の勢いは、ダムの放水口まで迫っても衰えなかった。かの竜を巻き込んだまま、滝となって流れ落ちていく。

 護竜セクレトも、自身に差し迫る危機を予感したのだろう。放水口の間際にある梁に、必死になってしがみ付こうとする。

 

 しかし、やはり現実は非情だった。

 長い間竜乳を摂取できなかったその身体に、急流に抗うだけの力はもう残っていなかった。

 護竜セクレトの姿が消える。大波と共に、滝の向こうに落ちていく。

 ここまで、わずか数秒の出来事だった。

 

「こいつはまずいな……!」

 

 あの状態での落下は、受け身を取るどころの騒ぎではない。自身に何が起こっているのかも分からないまま、地上に叩きつけられることになるだろう。

 急いで調査隊のセクレトに飛び乗り、崖際に向けて走らせる。

 

 念のため、数秒だけ振り返ってウズ・トゥナの方を見た。

 これでウズ・トゥナが追いかけてくるようであれば、調査はそこで中断だ。俺一人に対処できる域を越えてしまう。

 しかし、ウズ・トゥナは大湖畔から侵入者を追い出したことで満足したのか、そのまま再び湖に潜っていってしまった。

 一度も陸地に上がることなく外敵を排除する様は、正しくこの森の主と言うべきか。

 

 滝が流れ落ちるエリア15を見に行くためには、回り道をするか、崖から飛び降りるしかない。

 迷っている暇はなかった。俺を背に乗せるセクレトにも怯えはない。大粒の雨が全身を叩く中、俺とセクレトは空中にその身を躍らせる。

 

 セクレトが両翼を広げた。羽が空気を受け止めて、落下の勢いが緩やかになる。

 俺はセクレトの姿勢が不安定にならないぎりぎりのところまで身を乗り出し、護竜セクレトを探す。

 滝に対して弧を描くように滑空させながら、周辺に目を凝らすも、それらしき姿は見当たらなかった。

 

 滝壺に沈んでしまったか、途中の堰堤の瓦礫に引っかかったか。

 そのどちらでも、導蟲の反応がある程度は見込めるはずだが、彼らの導きは微弱なものになっていた。

 経験上、導蟲のこの様子は、護竜セクレトがこの辺りにはもういないことを示している。

 

 滝から落ちてから今までの短い時間に、護竜セクレトはどこへ行ったのか。

 滝壺に落ちた水は、そのままエリア15を流れ落ちていくだけでなく、エリア10やエリア13に続く支流に入っていくこともある。

 堰堤の瓦礫に飛び乗ってから、滝の裏手や側面のエリア16に向かっているという線もある。ただ、この可能性は低そうだ。

 

「あるいは、谷に落ちたか、だな」

 

 俺はエリア15からさらに落ちていく滝と、その先にある、底が見えない程に深く大きな谷を見下ろした。

 正直、可能性としてはこれが最も大きい。護竜セクレトは滝水とともに直下に落ちたというより、空中に投げ出されたのではないだろうか。

 竜都の跡形での俊敏さを見るに、護竜セクレトはあまり重くないだろうし、この旅でさらに痩せているはずだ。

 滝から弾き出される可能性は十分にある、と俺は見ていた。落ちている途中で翼を広げたなら尚更だ。

 

 もし、谷に落ちてしまったなら、それ以上の追跡はできない。

 調査隊の地図も作られていないような場所だ。こんな天候で飛び込めば、下手をせずとも遭難する。

 導蟲も、相変わらずほとんど動く気配がない。これはいよいよ……。

 

追跡不能(ロスト)、か?」

 

 ……いや、諦めるにはまだ早い。

 ここ(エリア15)での捜索を早々に打ち切り、俺は調査隊のセクレトを走らせた。

 目指す先はエリア1だ。ここからはかなり距離があるが、翼竜はこの天候では飛べないし、セクレトで一気に駆け下るしかない。

 

 緋の森の下流にあたるエリア1と、それに沿って流れる川は、それより上流のエリアの多くの水の流れが集まってくる。

 加えて、隔ての砂原に繋がる唯一の道があり、平原に流れる川の源流にもなっている。

 

 つまり、護竜セクレトが生き延びて、走り続けているなら、次に姿を現すだろう場所はエリア1だ。そこが最も可能性が高い。

 この賭けに臨むには、今まで護竜セクレトを追いかける立場だった俺が、先回りして待つ必要がある。だからこそ、急がなくてはならない。

 

 調査隊のセクレトと共に、緋の森を駆け抜けた。

 エリア15から、エリア10、9、5、そしてエリア2へと。

 集中豪雨によって土が混じり、濁流と化した川。

 上流から運ばれてきた枝葉や石が引っかかり、より通りづらくなったトゲ草の群生地。

 地上に露出した根や岩が増水した川によって覆い隠され、天然の罠と化した森。

 人の身ではそう易々と進めないだろう道なき道を、セクレトの助けを借りて一気に駆け下っていく。

 

 途中、ガジオスやピラギルなどの水棲肉食竜に絡まれそうになるのを、スリンガーや武器を駆使して牽制しながら。

 川底が見えない状態で、増水した川を渡る羽目になっているセクレトを気遣い、時に休憩を挟みながら。

 時折、森の向こうにある谷と岩山の方を見ながら、走り続けて。

 俺と調査隊のセクレトは、無事に緋の森のエリア1に辿り着いた。

 

 エリア1は緋の森の端にあたり、異常気象による風雨も気休め程度には弱まる。

 横倒しになっている巨木の上によじ登って、俺はセクレトの鞍から降りた。そして、木々や瓦礫の向こうにある川岸をじっと見つめる。

 この川の行先が、隔ての砂原だ。上流から流されてきた数多くの倒木や瓦礫が引っかかって、ごちゃごちゃとしている。

 それだけ、掴まったり這い上がったりできる場所があるということだ。俺はここでしばらく、護竜セクレトが現れないか見張ることにした。

 

 エリア1には、調査隊のベースキャンプも設営されている。

 この豪雨のおかげで人の出入りは少ないようだったが、ベースキャンプの運営に必要な人員は揃っているだろう。

 ここで一緒に待たせるわけにもいかないため、調査隊のセクレトには先に帰ってもらった。

 簡単に事情を説明した書簡と、集めた痕跡をセクレトポーチに入れておいたので、俺の動向もある程度は掴めるだろう。

 

 打ち付ける雨風で身体が冷えてしまわないように、本来の用途とは違うが、ホットドリンクを飲んで体を温める。

 目視以外で見つけられるような状況ではないため、導蟲も虫かごの中に入れておく。

 後は、辛抱強く待つだけだ。

 

 かつてのハンター生活を思い出すようで、少し懐かしくなった。

 昔は今ほど精度よくモンスターを追えなかったため、特定のエリアで標的を一日中待ち伏せる、なんてことがよくあった。

 自分が玄人だとか、そういうわけではなく、ただ追跡技術が甘かっただけの話なのだが。

 だから、待つのはそこまで苦痛ではない。戦うことそのものよりも、こうやってじっと待ち続けている姿こそがハンターなのだと、以前は本気でそう思っていた。

 

 倒木の上から川岸を見る。そうしている間に、厚い雲に隠されたままの日はだんだんと傾いていって、雨の降り続く森の中が少しずつ暗くなっていく。

 やがて、いつの間にか日は沈み、月明りのない暗い夜が訪れた。

 降りしきる雨も相まって視認性はかなり悪いが、何も見えない程ではない。白黒の見分けがつけば十分だ。

 

 時折体を動かしたりつつも、あまり余計なことは考えず、静かに待ち続ける。

 その気になればこのまま何日と待てるが、それはあまり望ましいことではない。

 あと半日経ったら諦めて、緋の森のベースキャンプで調査終了の手続きをしよう。その後はいつもの日々に戻る。ハンターの仕事はまだまだ多い。

 

 ただ、そんな見立てに対して。その見立て通りになる可能性の方が高いのに、なんとなく、そうはならない気がしている。

 あの大滝の下で見失ったときには、さすがに無理だと思ったし、今考えても、こうして待っている自分自身がおかしく思えるくらいなのだが。

 

 星空の見えない、暗い夜闇の中。

 幽霊のような白い影が、雨の向こうの川岸から、ふっと浮かび上がった。

 

「あれは……」

 

 この調査クエストは、もう少しだけ続くことになるだろう、と。

 そんな予感がしていたのだ。

 

 

 

【緋の森 豊穣期】

 

「へぇ……おもしろいね。傷の修復と結晶化が同時に進行してる。エネルギーがゆっくり尽きていくとこんな風になるんだ」

 

 さっきまで俺が立っていた倒木の下。

 かろうじて川の水や風雨を凌げるかという程度の狭い空間に、護竜セクレトは横たわっていた。

 俺が運んできたわけではない。護竜セクレトが自分の力でここまで来たのだ。

 川岸から姿を現した時点で、既に息も絶え絶えだった護竜セクレトは、そのまま倒れ込むようにして深い眠りに就いてしまった。

 あるいは、気を失ったという方が正しいかもしれない。

 

「見て、この抜け落ちた羽が分かりやすいよ。もともと護竜セクレトの羽は鋭い方だけど、これはもう針みたいになっちゃってるでしょ? 指先で軽く叩くだけで……ほら、簡単に崩れた」

 

 力無くその身を横たえる護竜セクレトの近くで、学者らしい盛り上がりを見せているのは、星の隊の編纂者であるエリックだ。

 有名な生物学者でもある彼は、主に緋の森で活動している。

 ベースキャンプを訪れた俺が状況を話すと、進んで同行を申し出てくれた。むしろ、この珍しい出来事に興味津々といった様子だった。

 

「護竜が死んで分解されていく過程は何度か観察したことがあるけど、筋肉とか属性器官とか、竜乳で動かしてたんだろうなって部分からどんどん結晶化していくんだ。こんな風に、身体の末端から結晶化が進む流れとは逆なんだよね。逆に言うとそれが、この護竜セクレトにまだ息があることの証拠になるかもしれない」

 

 しばらく前まで吹き荒れていた風雨は、今はだいぶ収まってきている。

 川の水の勢いは未だ激しいままだが、雨が完全に止めば、やがてそれも落ち着くだろう。

 上空の雨雲も切れ目ができつつあった。じきに星空が顔を覗かせるはずだ。

 この雨雲が全て取り払われたとき、緋の森の集中豪雨は終わりを告げ、緑溢れる豊穣期が始まることとなる。

 

「この護竜セクレトを追跡している間、少しずつではあったが、白い羽がくすんで灰色っぽくなっている気がした。この感じだと、見間違いじゃなかったみたいだな」

「そうだね! 見えないところで、羽とか毛皮の結晶化が進んでたんだと思う。これはいい資料になるよ。段階ごとにサンプルを取りたかったなぁ」

 

 エリックはそう言いながら、編纂書を片手に、次々とスケッチを描いている。

 さらさらと軽い手つきで書いているのに、そのスケッチはとても精巧だった。着眼点の多さも、さすがは本職と言わざるを得ない。

 

 対する護竜セクレトの方は、人がこんなに近づいているのにも関わらず、全く目覚める気配がなかった。

 エリックを連れているため、最低限の距離を取ってはいる。しかし、雨が止んだ今、俺たちの声はしっかり届いているはずだ。

 それでも、まるでぴくりとも反応しない。

 もし、俺が何の事情も知らずに、死体としてこの護竜セクレトを紹介されたら、何の疑いもなく信じてしまいそうだ。

 

「ヴェルナーは、今日くらいが山場だって言ってたんだっけ?」

「ああ。油湧き谷の時点で、持ってあと二日だと言っていたから、そうなるな」

「途中でアクシデントがあったとはいえ、かなり正確だね……。ふつう、生物が飢えてから死ぬまでの日数ってけっこう予測が難しいんだよ。特に相手が竜種だとね。リオレウスとか、水しか飲んだ形跡がないのに何十日も持ったりするからさ」

 

 決して生物の分野に明るいわけではない技術屋のヴェルナーが、それを言い当てたということは。

 護竜は、やはり人工物であるという側面が無視できないのだろう、と、エリックは考察していた。

 

「この感じ、このまま目覚めなくてもおかしくはないよな」

「そうだねえ。ウズ・トゥナに襲われたときのダメージが大きすぎるのと、回復に回す竜乳が足りないのとで、どうにもならなくなってきてる感じはするかな」

 

 逆に、そこまで徹底して、自分の生命力を今に注ぎ込めることの方が凄いけどね、とエリックは付け加えた。

 その後、彼はしばらく護竜セクレトの観察と記録を続けた。そして、夜も更けてきたころに、悩ましげに頭をかいた。

 

「ほんとはこのまま観察を続けたいところなんだけど、鳥の隊の調査にも付き合わないといけないから、そんなに長居していられないんだよね……。うぅ、こんなにもどかしいことってないよ。せめて十人、いや五人でもいいから、分身できたらなあ」

 

 そんなぼやきも虚しく、エリックは泣く泣くベースキャンプへと戻ることになった。

 彼にとっては急な出動だっただろうし、仕事も立て込んでいるようなので、駆け付けてくれただけでも大変ありがたいことだ。

 

「すまない。最後にひとつ聞いてもいいか?」

「いいよ。何でも聞いて」

「実は、この護竜セクレトを追っている間、この竜が何のために走っているのかをずっと考えていたんだ。

 ただ、自分の想像力だと限界があってな。他の人の意見も聞いてみることにしたんだ。今のところ、ヴェルナーにしか聞けていないが」

「それで、僕の考えも聞きたいってことだね」

「ああ。唐突すぎたか?」

「そんなことないよ。参考までに、ヴェルナーはなんて言ってたのか聞かせてもらってもいいかな」

「ああ。ヴェルナーは……竜都とか護竜たちを合わせて、ひとつの生物というか、組織? みたいに考えてたな。その総体が、竜都の外の様子を知りたいと考えて、護竜セクレトはそんな連中の目や耳の延長になってる、って話だったと思う」

 

 この説明で良かったのだろうか。もし意図していない伝わり方をしていたら申し訳ない、と俺は内心でヴェルナーに詫びを入れた。

 ただ、エリックは俺の言わんとすることを汲み取ってくれたようだ。

 

「おぉー。ヴェルナーがそんな意見を表明してくれるなんて、ちょっと意外かも。もしかして、龍灯の件でいろいろ考えることがあったのかな?」

「?」

「ごめんごめん! こっちの話だよ。それで、僕の考えだよね」

 

 エリックはそう言うと、話の道筋を整理するように、少し遠くを見てから話し出した。

 

「まだ情報が少ない今だからこそ、いろんなことが考えられるんだよね。

 例えば、定石だけど、竜都の跡形で何かがあって、それから逃げてる説とか。

 こことは別の地方で報告されてる、百竜夜行が好例だよね。ただ、この場合は、なんでこの護竜セクレトだけが逃げているのかを説明できないといけない。

 逆に、何か明確な目標地点があって、そこを目指して走ってる説もあるよね。

 この場合だと、あの新大陸調査団が調べてる、古龍渡りなんかが当てはまるよ。

 ただ、この説は実際に目的地に着くか、目的地が判明するかしないと、立証も反証も始まらないんだよね~。

 奇抜なところでいうと、この護竜セクレト自体になにかが寄生してて、宿主を操ってる説とかも考えたよ。

 いや、僕としてはいい線行ってると思うんだよね。ここ禁足地にもほら、冬竜夏草っているでしょ。別の地方の話だと、キュリアっていう蟲が報告されてたりする。

 さすがに解剖はさせてもらえないだろうけど……いや、でもどうだろう。ダメ元で聞いてみようかな」

 

 ……分かりやすく話してくれているつもりなのだろうが。

 噂程度にしか聞いたことのない時事ネタが次々と話題に出され、聞く相手を間違ったか? と俺は若干の怖れを抱いた。

 質問相手として適任すぎて、話についていけないとはこれ如何に。といった様相だが。

 少なくとも、同じ星の隊のヴェルナーは、俺に対して本当に手加減をしてくれていたのだろう、ということは分かった。

 

「……と、ここまでが生物学者としての僕の意見かな。ただ、僕個人としてはもっと単純に、外の景色を見たかったから、っていう風に考えてもいいと思うけどね~」

「ああ、やはりエリックでもそう思うのか」

「うん。君の話を聞いたら、大抵の人はその考えが浮かぶんじゃないかな。生物学者の僕は、論理的じゃないぞって批判してるけどね」

 

 エリックは己の内面に、生物学者としての彼と、個人的な意見を持つ彼とを同居させているらしい。

 それらを俯瞰して、こうして客観的に話す彼も合わせて、エリックという学者は成り立っているようだ。

 

「護竜のいる竜都の跡形って、中は広いけど外壁に囲まれてるし、空も遠くて霞んでるよね。だから、僕が初めてあの地に入ったとき、こう思ったんだ

 もし、僕がこの地でずっと生きてきた竜で、何かの拍子に真っ青な空なんて見ちゃったら、きっと外に飛び出して行っちゃうだろうなって」

「ああ、それはなんとなく分かるな」

 

 氷霧の断崖の最上層で、満天の星空を見たときの、俺の感想とほぼ同じだ。

 単純に外の世界に興味を持って旅をしているという、この護竜セクレトの可能性のひとつ。

 その見方は全く正しくないかもしれない。ある種の偏見とも言える。

 しかしそれは同時に、禁足地調査隊の仲間の多くが抱きがちな幻想でもあるのだろう。

 

「ほら、僕自身、ほとんど好奇心だけで禁足地まで来ちゃってるからさ。他の生物にそういう熱意がないなんて、一概に言えなかったりするんだよね」

「ただ、これは確かめようがないな」

「竜と話せるわけじゃないからねえ。だからこそ僕たちは、痕跡を調べたり生態を明らかにして、言葉にならない言葉を拾い上げようとするんだ」

 

 ほら、見て、と。

 エリックは自然な流れで、横たわる護竜セクレトのある部位を指差した。

 

「この脚、さっきまで折れてた骨が、たぶん繋がってきてる。切れた健も治ってきてるんじゃないかな。

 でも、他の部分の傷の治りは遅いんだ。というよりも、結晶化させて無理やり出血を止めるようなことをしてる。それは治ったんじゃなくて、その部位を殺してるのと同じだよ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。驚きだよ。ふつう、自分の意志でそんな芸当ができる生物はいないはずなんだけど。

 とにかく、この護竜セクレトが走り続けることに強い意志を持ってるってことだけは、はっきり言えるんじゃないかな」

 

 エリックはそんな分析をしつつ、少し名残惜しそうに護竜セクレトを見つめた。調べたいことはまだまだたくさんあるのだろうが、やはり分身はできなさそうだ。

 それに、この護竜セクレトに残された時間は少ない。そのことが彼に踏ん切りを付けさせたのだろう。

 観察や診察のための道具を鞄に仕舞い込んだエリックは、踵を返してベースキャンプへと帰っていった。

 

 途中で振り返り、居残る俺に対して笑顔で手を振りながら。

 

「その護竜セクレトの最期を、しっかり見届けてやってよ。僕は、君の調査レポートを楽しみに待ってるからさ!」

 

 

 

【河畔の間道】

 

 護竜セクレトが目を覚ました。

 その微睡みにずっと従ったままではいられないことに、護竜セクレトは気付いたようだった。その先にあるのは恐らく、終わることのない眠りだ。

 

 護竜特有の真っ黒な目を開く。すんすんと鼻をすする。

 今やその目や鼻、そして耳がどれだけ機能しているかも分からないが、それでも護竜セクレトは立ち上がった。

 立ち上がった瞬間にふらついたが、なんとか踏ん張って立て直した。

 転んで起き上がる、そんな勿体ない力の使い方はできないとでもいう風に。

 

 もはや、尻尾や頭を支える余力もないようだった。

 尻尾をぺたりと地面につけて、項垂れるようにしながら、護竜セクレトは歩き出した。

 

 雨はすっかり止んでいた。川の流れも落ち着いている。もう、あの激流に護竜セクレトが苦しめられることはないだろう。

 しかし、その代わりに立ち塞がった新たな問題は、次に向かうべき地までの道のりが、かの竜にとって遠すぎることだ。

 

 護竜セクレトの歩みは遅々としたものになっていた。

 あっちにふらつき、こっちにふらつき、とても前に進んでいるとは言い難い。

 当の護竜セクレトは、全力で走っているつもりなのだろう。しかし、現実にはそうなっていない。

 低体温症になった人も、似た歩き方をすることがある。おそらく、護竜セクレトの体温はとても低くなっている。

 

 やがて、護竜セクレトは洞窟の中に入った。

 石のように強張った表皮と羽は、湿度の変化を感じ取れているだろうか。空気の湿り気が変化していることに気付けるだろうか。

 空気の匂いや音も変化しつつある。湿った土の匂いから、草原の匂いへ。そして、雫や水の垂れる音から、風の吹く音へ。

 緋の森と隔ての砂原の境界は、もうすぐそこだ。

 

 しかしそこで、護竜セクレトはとうとう、その場で立つだけでも精いっぱいという状況に陥ってしまった。

 尻尾の傷から生える結晶が痛々しい。恐らく、刻々と進む結晶化が、歩く機能にも影響を及ぼし始めている。

 

 護竜セクレトがその場に座り込む。へたり込んだと言ってもいい。

 自らの意思による行動ではないだろう。まだ前は向いている。しかし身体が付いていかない。

 絞り出すような鳴声が、護竜セクレトの感じている無念を何よりも雄弁に語っているようだった。

 

 もはや自分の力では前に進めないことを、護竜セクレトは悟ったようだ。

 少しでも洞窟の先を見ようとしているのか、首を伸ばして、そのまま倒れようとしている。

 洞窟の出口、隔ての砂原への入り口は、それが僅かに垣間見えるかといった程度だが。陽の光が、その隙間から差し込んでいる。

 それを見るために全力を尽くし、旅を終えるつもりのようだ。

 

 護竜セクレトが崩れ落ちる。手を伸ばすかわりに、頭を最後まで持ち上げて。

 燃え尽きた灰のようになったその体が、地面の土に触れる──。

 

 

 

 がしっ、と。

 つい、手が出てしまった。

 

「あー……本来こんなことしちゃいけないってのに……」

 

 護竜セクレトを抱え込み、倒れるのを防いだ俺は、自分自身に呆れていた。

 しかし、見ていられなくなったというよりも、ここで力尽きるのはさすがに、という思いが咄嗟の行動を引き出させてしまった。

 

 護竜セクレトは思っていた以上に大人しくしていた。もはや抵抗する気力も無いのかもしれない。

 あるいは、仲間に助けられたと錯覚しているか。竜都からずっとついてきていた俺を認識していて、警戒する必要はないと判断しているのかもしれない。

 

 何にしろ、嫌がる様子ではないなら僥倖だ。

 ここで手を出した以上、俺の身勝手に最後まで付き合ってもらうとしよう。

 

「隔ての砂原で見せたい景色があるんだ。それを見るまでは、死んでくれるなよ!」

 

 

 

【隔ての砂原 豊穣期】

 

 洞窟を抜けると、朝日に直に照らされて、少し目が眩んだ。

 小道から覗く空はよく晴れている。隔ての砂原も緋の森と同様に、豊穣期に入ったと見て間違いないだろう。

 

 俺は護竜セクレトに肩を貸すような形で歩いていた。歩くための力はほとんど俺の方で肩代わりしていたが、そこまでの重労働にはなっていない。

 護竜セクレトは、思っていたよりもずっと軽かった。

 身軽で知られるセクレト種だが、それでも人よりは大きい。実際、原種のセクレトを担いで運ぶのはそれなりに大変なのだが、それとは負担がまるで違う。

 体内の竜乳が枯渇した護竜はこうなるのか。まるで存在自体が希薄になってきているかのようだ。

 

 しかし、そのおかげもあってか、俺と護竜セクレトはすぐに小道を出て、隔ての砂原のエリア10に到着することができた。

 

「豊穣期の隔ての砂原は格別だぞ。ほら、見てみろ」

 

 俺がそうやって声をかけるまでもなく、護竜セクレトはそれまでとはまるで異なる反応を示した。

 項垂れていた頭を持ち上げ、首を伸ばして、黒い目を見開いている。結晶化によって硬直しかかった首を懸命に動かして、周囲を見渡そうとしている。

 

 目の前には広大な草原が広がっていた。

 空は青く晴れ渡り、欠けた円環の形をした巨岩がくっきりと見える。

 緋の森から流れてきた水は平原を貫く川となっていて、数十頭ものケラトノスが水を飲むために集まってきていた。

 

 北にある岩場の木陰では、小型肉食竜のタリオスたちがたむろしていた。

 ここを通る際には彼らに気を付けなくてはいけないのだが、偶然そこに、大型モンスターのケマトリスが通りかかる。

 ケマトリスとタリオスは、獲物を取り合う関係にある。さっそく小競り合いが起こっていて、こちらに構っている余裕はなさそうだ。

 

 ゆっくりと歩きたいところだが、今のうちに通り過ぎさせてもらおう。護竜セクレトの体色はここでも目立つ。

 護竜セクレトがずり落ちないように、そしてガジオスに気付かれないように慎重に川を渡る。

 ケラトノスの群れは迂回せずに直接突っ切る。集団の中で浮いてしまうことに変わりはないが、いい隠れ蓑にもなるだろう。

 

「調査隊に見つからないことを祈るばかりだな……」

 

 ベースキャンプのある方角を見ながら、俺は肩を竦めた。まさか、仲間が近くに居ないことを願う日が来るとは。

 白いセクレトを運ぶ俺の姿は、遠目に見れば、トラブルに見舞われたハンターそのものだ。状況確認を待たずに救難信号が飛ばされてもおかしくない。

 

 その上で、俺が運んでいるのが護竜セクレトであり、調査クエストの最中であることが知れれば、十中八九止められる。相手が俺なら止める。仕方がない。

 事情を説明したところで、俺の我儘が通る可能性は低いだろう。そして護竜セクレトに、俺たちの都合で浪費できるような時間は、もう残されていない。

 

「お前、あそこからここまで走ってきたんだぞ。あの少年と同じところまで辿り着いたんだ」

 

 足は止めないながらも、俺は振り返り、遠くの北の空を指差した。

 かなり霞んでいるものの、そこには氷霧の断崖の外壁が聳え立っていた。

 山と見紛う程の巨大な氷壁は、護竜セクレトが歩んできた道のりの長さを物語っている。

 護竜セクレトが、俺の指差した方向を見たかは分からない。しかし、それでいいのだ。

 そもそも、護竜セクレトに話しかけているところから、俺の自己満足なのだから。

 

 護竜セクレトの動きがさらに鈍くなってきている。新たに生えてきた結晶が俺の防具にこつこつと当たる。

 命尽きるまであと僅かだ。俺はほとんど護竜セクレトを背負うようなかたちで、目的の場所へと歩き続ける。

 

 エリア8からエリア12。平原から砂地へ、そして砂漠のエリア13を目指す。

 途中にいたバーラハーラには、悪いがこやし弾をぶつけさせてもらった。

 ドシャグマやレ・ダウと鉢合わせるようなことがなかったのは、素直に幸運だったと言えるだろう。閃光弾を使う羽目にならずに済んで良かった。

 群れで砂地を走っていくケラトノスの群れを横目に見ながら、大きな砂丘を乗り越える。

 砂地には俺の足跡と、護竜セクレトの尻尾を引きずった跡とが、線を描くようにずっと続いていた。

 

 砂漠には小さなオアシスもあるが、そこには立ち寄らずにさらに南へ向かう。

 この砂漠で一際大きな砂丘は、それ自体が小さな山だ。砂に足を取られながらも、一歩一歩進んでいく。

 平原に立ち入ったときにはまだ朝だったが、今は日が高く昇っている。そして、護竜セクレトはもうほとんど動かなくなっていた。

 それでも、辿り着いた。

 

「ここだ。俺はここに、お前を連れてきたかったんだ」

 

 砂丘の頂上。視界を遮るものは何もなく、隔ての砂原を一望することができる。

 それだけではない。さらに南を向けば、延々と続く砂丘をも見通すことができた。これこそが本当の地平線だ。

 

「隔ての砂原で景色がいい場所と言えば、大抵があの平原を挙げるんだが、俺は断然ここだと思うんだ。砂丘だから、いつでも見れるとは限らないけどな」

 

 本来、護竜セクレトは自力でここまで辿り着き、さらに先へ、行けるところまで行きたかったのだろうと思う。

 禁足地の果て、さらにその向こうへ。あの少年が西の彼方へ向かったように。

 だが、今やそれは叶わない。

 こうして遥かな大地を見せることは、護竜セクレトに希望をもたらすだろうか。それとも、失望させてしまうだろうか。

 俺は、背に担いだ護竜セクレトに話しかけ続ける。

 

「お前、今思えば何度も空を見てたよな。もし、空がどこまで続くかが気になっていたんなら、その答えはどこまでも、だ。お前が望んで、それが叶うなら、お前の旅はどこまででも────」

 

 ぱき、と。

 護竜セクレトの体内で流れていた血が、止まる。

 

 護竜セクレトの、旅が終わる音がした。

 

 俺が振り向くと、かの竜は、俺が見ている南の方角とは別の方向に顔を向けていた。

 俯いてはいない。顔を上げたまま固まっている。自身の命が結晶化する、その最後まで、何かを見続けたのだ。

 護竜セクレトが見ていた方向に、視線を合わせてみる。

 隔ての砂原の象徴、三日月状の岩山の、その頂上から。

 

 鳥の大群が飛び立っていた。

 南西の方角、禁足地の外へと向けて。

 大空の向こうへと、列をなして飛んでいく。

 

「護竜セクレトが最後に見たのは、空へ飛び立つ鳥たちだった、か」

 

 まるでよくできた物語だ。旅の最期を託されたのが、鳥だったというのも。

 

 俺は動かなくなった護竜セクレトを背から下ろし、信号弾をスリンガーに装填して空へ向けて放った。

 救難信号とは別の発煙弾で、クエスト完了を報せると共に、編纂者と学者に現場に来てほしいことを伝える。

 

 悪い言い方だが、俺たちにこうして見つかってしまった以上は、かの竜がこの地で眠りに就くことは叶わないだろう。

 護竜の亡骸が、竜都以外の地にどのような影響をもたらすかは、まだ分かっていない。

 砂嵐が来るまで放置していれば、強風と落雷によって自然と砕け散るのでは、とも思う。

 しかし、この砂漠の隣にクナファの集落があり、彼らが採石のために使う道も近くにあるとなれば、小さな懸念でも取り除いておくのが道理だ。

 調査隊が関わった案件なら、なおさらのこと。

 

 ここに関してごまかしは効かない。調査隊で持ち帰りになり、尊厳を傷つけない範囲での処置がされることだろう。

 俺ができるのはせいぜい、調査対象に対しての配慮を願い出るくらいのものだ。

 

「……」

 

 調査隊の人員がここに着くまで、俺はその場で待機している必要がある。

 俺は息絶えた護竜セクレトの傍に立ち、空を見上げた。

 相変わらずの深い青空に、白い雲がゆっくりと流れていく。

 鳥の群れはもう遠くまで飛んでいっている。俺たちのことなんて視界に収めてもいないだろう。

 次の目的地を見据えて、峡谷の強風に抗いながら、真っ直ぐに。

 

 俺は鳥たちの後ろ姿を見送った。

 彼らの姿が小さな点となり、空の彼方に消えていくまで。

 

 黙って、見送り続けていた。

 

 

 

【竜都の跡形 竜のまどろみ】

 

 俺が竜都のベースキャンプに戻ってきたのは、護竜セクレトの調査クエストを終えてから一月後のことだった。

 物資補給所で買い物をしていると、顔馴染みのハンターから声がかかる。

 

「おっ、戻ってきたんだな!」

「ああ、久しぶり」

「砂原の拠点にいるって話は聞いてたが、何かあったのか? 俺ぁてっきり、竜都に飽きでもしたのかと」

「そんなことはないさ。ただ、隊の規則違反で少しばかり詰められてたんだ」

「おいおいおいおい、よっぽど大事じゃねえか! 一体何をしでかしたんだ?」

 

 もちろん、護竜セクレトを緋の森から隔ての砂原まで、人力で運んでしまったことについてだ。

 当然と言えば当然なのだが、見つかっていないはずがなかった。

 多少岩場で隠れるとはいえ、ベースキャンプから平原は直接見通せる位置関係のため、バレない方が難しい。

 

 それでも俺が止められなかったのは、事前にエリックが俺たちの事情を伝えてくれていたからだ。

 エリックの言伝によって、俺の行動と護竜セクレトの最後には一定の配慮がなされた。それについては感謝を伝えている。

 が、それはそれ、これはこれ、だ。

 俺は調査隊の規範を破って、調査対象への意図的な介入を行ったとして、しっかりめに詰められることとなった。

 

「まあ、除隊にならない程度のことだ。こうして戻って来れたんだから、いいだろ?」

「めちゃめちゃはぐらかすじゃねぇか……」

 

 今この場で、何があったのか説明しようにも、話が長くなってしまう。

 いつか、酒を交わしているときにでも話すとしよう。別に秘密というわけでもない。

 

「あっ、もしかしてお前、この前受けてた採取クエストのリュウトホオズキをこっそり食べたのか!? それは良くねぇぞ。案外ちゃんとバレるんだ」

「俺をお前と一緒のバカにしないでくれ……」

「ハァ~?」

 

 互いに言い合いをしつつ、少しの懐かしさを感じている自分を意外に思う。

 このような、禁足地調査の間の一時しか運用されないだろうベースキャンプにも、仲間や思い入れというものはできてしまうようだ。

 キャンプ暮らしとはいえ、生活をしているのだから当然なのかもしれないが。

 

 適当に話をしつつ、俺がいない間の竜都の出来事を聞いたりしていると、ふと、仲間の視線が俺の背後に向けられた。

 

「お前、その武器に付いてるの……チャームか? そんな白い羽のチャームなんて店売りにあったっけか」

「ああ、これか? 自作したんだ。加工所の認可も貰ってあるぞ」

「へぇ、お前はチャームなんて付けない奴だと思ってたんだが」

「そりゃそうだろうな。俺も意外だ」

「??」

 

 仲間が頭に疑問符を浮かべている。その表情を見て、俺はふと口角を持ち上げた。

 ハンターノートに挟んでおいた、護竜セクレトの白い羽。追跡中にも集めていたそれの内の何枚かを、俺は装飾として加工していた。

 これを取り付けられるのは、禁足地の中でだけ。他の護竜防具と同じ扱いだ。

 西に持ち帰ることはできないが、その点は特に気にしていない。

 

 白い羽が音もなく揺れる。こうして竜都に戻り、そして様々なフィールドに赴くだろう。

 調査クエストの報告書はもう提出した。調査対象に感情移入してはいけないとよく言われるが、そうだとしても。

 

 こうして禁足地調査隊の一員としてハンターをしている、その間だけでも。

 禁足地を駆け抜けたあの護竜のことを覚えていたいと、そう思ったのだ。

 

 

 


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