(15) 祝辞
「では、頓服はもうよろしいんですね」
すっかり通いなれたいつもの医院のドクターにそういわれ、私はうなずいた。
「はい。薬は余っているくらいです。お守りとして、色んな鞄とかポケットに入れていますけど」
「そうですか、わかりました。期限切れには気を付けてくださいね。またこちらに持ってきていただければ薬局のかかりつけ薬剤師が処理いたしますので」
「はい、よろしくお願いします」
「では、お薬は出さないでお会計だけお願いしますね。また何かあったらいつでもいらしてください。お大事に。」
春が来た。桜が咲いて、少し雨が降った後の路肩に花びらが散る季節になった。
あれから、多くを望まなくなった。
同時に、ほとんど『恐怖』に襲われることもなくなった。対処法も、自分なりに編み出すことが出来た。
もうへんてこなバームクーヘンを買うことは、ずっとなくなっている。
ただ少しだけ、あの背中をなでる手が恋しくなることはある。
あれから、本当にいろいろなことがあった。
満開の桜の木の下で考えに耽っていたら、アロナが言った
「先生、明日は来賓で招かれている卒業式の、卒業スピーチがありますよ!」
「あーそうだった……もう桜が咲いているんだものね」
「そうですねえ……じゃ、なくて、のんきなことを言っていないで原稿を考えてください! 大役ですよ!」
「えー……私、そういうの苦手だなあ。」
そして、翌日。私はしっかりとアイロンを通した制服に袖を通す。
とある地区の学園の卒業式に招かれているからだ。
それは、彼女の通っている学園の卒業式でもあった。
そして、
晴れやかな顔の生徒たちが椅子に座り、一人ずつ卒業証書を受け取る厳かな式典が開始される。
私はすました顔で隅の方に座りながら一人ずつ生徒たちの顔を見ていた。
卒業証書の受け取りはやっぱり緊張したっけ。あの頃、若い頃は何を考えていたっけ、と思いながら。
『続きまして、連邦生徒会 連邦捜査部 S.C.H.A.L.Eの 先生にご挨拶を頂きます。』
私は立ち上がり、厳かに壇上に上がっていった。
覚えて来た原稿をマイクの前で途中まで、読み上げる。
「卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。そして、保護者の皆さま、先生方も、本日は誠におめでとうございます。連邦生徒会、連邦捜査部S.C.H.A.L.Eの先生としてこの良き日に立ち会えたことをうれしく思います。」
そこで、私はふと生たちの顔をみた。たくさんの生徒の顔を。
「……ちょっと長い話になるけど、よかったら聞いてください。」
私は原稿を頭の中で、横に仕舞う。
「みんなは、今まで、色んなものと闘ってきたと思います。それはテストの点とか部活のレコードとか、評価に点数があるものだったかもしれない。あるいは、そうじゃなかったのかも。だけどみんなが今から出ていく社会に、基本的にテストはありません。歴然とした点数がつくものは、もうありません。世界には、生には、茫漠とした時間が広がっていて、その時間の中をこれからは自分の力で自分で道を決めて、ただひたすら、雨の日も風の日も歩いていかなければいけません。
正直なことを言えば、先生は、あんまりみんなの役に立てない時もありました。正直に認めると、私の手から零れ落ちてしまったものもあります。
だけど、不思議なことがあります。
君たちがどれだけ大きくなってもどれだけ姿や声が変わっても、先生の中の君たちはいつまでもずっと先生の生徒のままです。
人生は茫漠として、不安だらけで、自分で歩かなければいけないけれど……困ったら、どうかいつでも先生を頼ってください。
先生に声をかけてください。先生はいつでもみんなの先生です。ご卒業、本当におめでとうございます。」
挨拶を終えてお辞儀をした。拍手をもらい、壇上を降りた。
卒業式も済み挨拶も終わったので、私は今日は裏門の方から帰ることにした。ここに来るまでにたくさんの生徒に話しかけられて、なんだか泣かれたりもして。とにかく今は表門の方に行ったら、みんなにありとあらゆる服のボタンを取られちゃいそうだったか。謎の風習が、まだ残っているんだなあとか苦笑いしながら、私はふうと一息つく。
「……あっ……君は」
あの子が、桜の木の下で私を見ていた。はにかんだ笑みを向ける。
「卒業式……いなかった?」
「保健室で中継を見てました」
「……そっか。」
「ううん。卒業はできたから。ありがとう。先生のおかげです。」
「……私は何もしてないよ。君が頑張ったからさ。」
「……うん、そうかな、そうだといいな」
私たちはしばらく、しばし舞い落ちる桜を眺める。
「進路とか、決まった?」
「……わかんない。わかんないけど、自分なりにやってみようと思うんだ。道はたくさんあるって、もうわかったから。」
「そっか。」
彼女は、私に静かに手をさしのべた。
「さよなら、先生。」
「……さよならじゃないよ」
私たちはささやかな握手を交わす。
「またね。」
「……うん。またね、先生。」
彼女は背を向けて歩き出す。私もまた彼女に背を向けて歩き出した。
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あれからも、色々あった。
私はあまり変わらずにいる。
季節は本当に早く去って行って、酷く焦ってしまうこともある。
時の河を泳ぐすべはなくて。過去はいつも苦しくて。辛いことだけが忘れられなくて。
流されるまま、ただ出来ることをするしかなくて。
それでも現実にしがみつきながら必死に生きている。
本当は、
本当は後悔ばかり。
眠れない夜ばかり。
それでも、
生徒たちの笑顔を見ているとつらさも忘れて笑顔で仕事ができる。
私は幸せ者だと思う。
だから、大丈夫。
いつか君たちが大きくなっても。何があっても、
青春は生徒たちのためにある。だから私は、ここに居る。
シャーレの空から見える空は、今日も青い。
了