それから恐怖とかそういうものはすっかりおとなしくなってしまって、私の方が逆に拍子抜けするような気持だった。
黒服はそれからしばらくして、私の目を覆っていた手を外した。ただ彼から、まだソファに座っていろという無言の圧力を感じる。正直別の種類の怖さがあり、私はただソファに座っていた。
何分経ったかは正直分からないが、流石に疲労感があった。いろいろなことがあったし、ボロボロだし、日々の激務で疲れている。ちょうどよくふわふわのソファ、黒服のぬくもり。目を閉じたら眠ってしまいそうだ。私の隣で黒服が片手で何かを取り出した。何らかの端末に何らかの文字が表示されている。
「なに、それ」
「読書をしています」
「……はあ?」
「おかしいですか」
「い、いや……別に……何読んでるの、実用書?」
「マイクロ羅生門です」
「……なんて?」
「マイクロ羅生門。最近黒沢映画を見ていましてね。個別の七人の侍は良いですね。」
黒服も映画とか見るんだ……なんか渋いチョイスだな……とまじめに考えているが、ちょっとまってほしい
「ねえ、マイクロ羅生門って何?」
「もう読み終わってしまったので……」
「すっごい気になるんだけど!?」
黒服は読み終わったものを表示する気はないようだった。端末を親指だけで器用に操作してまた別の電子書籍を表示させる。しかしあまりにも彼が読むのが早すぎて、私は黒服にもたれかかっていることも忘れて唸ってしまう。
「速読できるんだね……?」
「ああ、失敬。最近キヴォトスへの理解を深めるためにと部下に読書を勧められましてね。」
はあ、部下にねえ……と思い端末を見るとこんな文字が躍っていた
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愛☆彡恋 緑黄色野菜の章
あたしは女子高生のユイ。彼氏との初デートの回転ずしで149皿食べてフられたばかりの金欠ガール、絶賛バイト募集中!
実は正義の魔法少女なんだけど変身の燃費が悪くてチョーブルー。今日も大盛ご飯無料の焼肉店を出禁にされたばかり。
バイト先はこないだ戦いで爆発させちゃったし、これからどうしたらいいのかなあ。
とりあえず街を歩いて、安くて大盛りのお店を探さなきゃ☆彡
『ヘイ彼女、うちのラーメン食べてかない!? 安いよ安いよー!!!』
はあ、どいつもこいつも私の顔面しか見ていない。でもラーメンは永遠に食べたい。ぎゅるぎゅる鳴るお腹を抱え、ラーメン店の前を素通りしようとする。
ああ、お腹が、へった。
『10分で超特大大盛食べきれたら無料サービスだよー!!』
私はきびすをかえしてラーメン屋の暖簾をくぐり、カウンターにドカッと座った。
『へいらっしゃい! なんにします?』
『ニンニクラーメン、野菜マシマシカラメ、超特大大盛で……』
瞬間——張り詰めた空気が走る。ふと、ラーメン屋の常連親父たちがげらげら笑った
『嬢ちゃん遊びかい? この店のラーメン舐めたら痛い目見るぜ』
『……いや、どうやら遊びじゃなさそうだ』
店長がチャッチャと麺の湯切りをしながら答えた。手早くラーメンをこさえながら彼は言う。
『だがすまねえな……今はちょうど背油(ラード)を切らしちまってな。あれだけのラーメンに使う背油となると』
私はスクール鞄に入っていた非常食の冷凍背油(ラード)の塊を取り出し、ドンと置いた。
『超特大大盛り。』
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「…………えぇ」
「愛☆彡恋シリーズはなかなか面白いのですよ」
「この流れでどうやって恋愛ものに……ちょっとまってマイクロ羅生門は?」
「クックック……」
「気になるじゃんか!」
私はそこでハッと気づいた。大事なことだった。少し遅れて、顔が赤くなる感覚。
——私はどうしてこんな、恋人同士みたいなことを黒服としているんだ?
しかも、巧妙に話や気持ちをそらされた気がする。まさか……いやでもまさか、そんな。
それにこんなこと、まるで 生徒への裏切りみたいじゃないか——。
反射的に立ち上がっていた。腕を振り払い、少しふらつく視線で黒服を見る。感情が読めない、元からか。
急に冷水をかけられたみたいだ。全身が冷えている。
「……水……ありがとう……帰るよ……。」
踵を返し部屋を去る。部屋を出る際、黒服が言った
「どれだけ働けば、癒されるのでしょうね。」
……バタン。