最悪だ、と呪術高専京都校2年在学の禪院真衣は思った。
山間の廃村。樹齢を重ねた老木が鬱蒼と立ち並ぶ薄暗い林の中で、禪院真衣は銃口を前方に向けたまま、じりじりと後退していた。
任務書には討伐対象は4級民間伝承由来の低級呪霊と明記されていた。
――どこが4級よ。
真衣の目の前にいるのは、幾体もの小鬼じみた霊長類。
個体が合体・分離を繰り返す群体型の呪霊だった。木々の幹から腕を伸ばし、落ち葉を踏みしめながら近づいてくるその姿は、どう見ても準2級相当。いや、下手をすれば2級を超えているかもしれない。
「人間、食べる」
呪霊の一体がしわがれた声で告げた。個別に知性を持ち、言語を操る。確かに民間伝承由来らしき狒々の面影はある。しかし。
「森、取り返す」
別の個体が続ける。人里の開発によって追われた霊的存在が、負の感情を蓄積して形を得るまでに成長したのだろう。それ自体は理解できる。
だが、今の真衣にとってそんな分析は何の助けにもならない。
――精一杯、やったわよ。
高専への緊急連絡はすでに入れてある。だが、返信には「最短でも三十分」と記されていた。三十分。呪霊の規模を考えれば、3分も持てば御の字だ。
銃弾はあまり効果がない。真依の主武装たる呪を込めて打ち出す弾丸は、群体の一部を祓うことはできても、全体には意味をなさなかった。
――ごめんね、真希。
絶体絶命の状況で最後に双子の姉の顔が、一瞬だけ脳裏をよぎった。
その時だった。
「――火遁・鳳仙花の術」
炎の塊が、横合いから呪霊の群れに叩き込まれた。
直径三十センチほどの火球が、木の幹をすり抜けるように精密に飛来し、群体の中心付近に命中する。着弾の瞬間、火球は炸裂した。炎は呪霊の体を構成する呪力に引火し、パチパチと青白い光を散らしながら燃え広がった。
「――大丈夫ですか」
木の陰から一人の少年が現れた。
紺色の羽織。袖口と裾に赤い団扇の意匠を施した、古風なデザインの上着だった。その下には動きやすそうな黒い装束。腰に刀を提げているが、使い慣れた様子ではなく、むしろ飾りに近い印象だ。
年齢は真衣と同じか、少し下か。黒髪を後ろで軽くまとめた、整った顔立ちの少年だった。
そして何より目を引いたのが、その瞳の色だった。
――赤い。
紅の虹彩の中に、黒い巴の文様が浮かんでいた。
「無事でよかった!!あの化け物は、一般の方には見えないんですが、まれに見える人を選んで襲うみたいなんです」
少年は落ち着いた口調でそう言いながら、呪霊の方を向いた。群体は炎の直撃を受けた部分を欠損させながらも、残りの個体が再び合流し始めている。
「野良の術師?」
真衣は思わず問いかけていた。呪力の感じ方が、高専で鍛えられた術師とは少し違う。「一般家庭の出身ね」という確信めいた感覚があった。
「あれは2級相当の呪霊よ。おそらく術式も持ってる逃げましょう」
突然現れた第三者は多少腕に自信がありそうだったが、呪いに関する知識は一切ない素人だった。そして今はそんな素人に事情を詳しく説明しているような状況ではなかった。命令調になったのは、焦りのせいだ。
少年は振り返り、きょとんとした顔をした。
「2級……等級で分類してるんですか。2級がどの程度かは分かりませんが安心してください。俺、結構強いんですよ」
何の根拠があるのかと問い返す間もなく、少年は前を向いた。両手を素早く印の形に組む。真衣が見たことのない形だった。
「――火遁・豪火球の術」
今度は比較にならない規模の炎が、少年の口から放たれた。
直径五メートルを超えるかと思われる火球が、林の中を直進し、群体の全体を包む。悲鳴のような呪霊の叫びが木霊する。炎は数秒間燃え続け、そして消えた。
後に残ったのは、焦げた土と、呪力の残滓だけだった。
完全に、祓われている。
「……」
真衣はしばらく言葉を失っていたが、気を取り戻して少年に問いかける。
「あなた、いったい何者なの?」
真依の本心からの疑問に少年は年相応の笑顔で応える。
「僕の名前はうちは忍、趣味で忍者をやっている者です」
「ふざけている、わけじゃないみたいね。ありがとう、おかげで助かったわ。私の名前は禪院真依、呪術高専の2年生よ」
少し間を置いて、彼女は続けた。
「……ねえ、あなた。呪術師に興味はない?」