「死んで幽霊になってもカフェとお話できるなら、それもいいかなあ」

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他に投稿してるカフェさんの小説と同じトレーナーというかそんな感じです


残暑

 

 今年の秋は、スケジュール的にだいぶ余裕ができた。

 たとえば例年だとジャパンカップや秋の天皇賞みたいな大きなレースが立て続けにあって、中々に忙しい時期だったけど、今年はまあ休養というか、シリーズからリーグに移籍するかどうかの話もあった結果、年明けまで一旦レースは落ち着いてみようって話になった。

 だからといってダラダラしているわけじゃないけど、とはいえ今までに比べると時間的にも体力的にもかなり猶予があって、それこそゆったりどこかに旅行してみてもいいかもね、みたいな話ができるくらいにはのんびりしてて。

 

『じゃあせっかくだし山登りでもする? カフェも最近、時間取れなかったでしょ』

『……そうですね』

『うん。じゃあまた後日、テキトーにスケジュール合わせよっか』

『……え? アナタも……一緒に、来るんですか……?』

『カフェってたまにすごい鋭利な時あるよね』

 

 なんて会話をしたのが、ちょうど一か月前で。

 そこから適当に予定も決めて、あっという間に山登り当日になったんだけど。

 

「か、カフェ……ご、め……ちょ、もう限界…………」

「…………はあ……」

 

 山道の途中で崩れるように座り込むと、カフェからの冷たい視線が返ってきた。

 

「無理……無理だ、これ……! もう足パンパンで歩けない……!」

「まだ三十分も経っていませんが……」

 

 いや、別に登山をナメてるわけじゃなかった。

 それこそ用具とか一緒に見に行ったし、事前に色々と注意事項も聞いて緊急時の対策も頭に詰め込んできたし。何だかんだ危険の伴う行為だから、細心の注意を払って臨んだつもりだった。

 だけど、そうやって準備をしたところで、どうしようもないこともあって。

 

「……前々から思っていましたが、アナタは体力がありませんよね」

「そろそろ三十路の大人にそんなこと言っちゃダメ……」

 

 じとっとしたカフェの視線に、そんな情けない言葉しか返せなかった。

 

「ですから、アナタも一緒に来るんですか、と聞いたんです」

「で、でも……これだけ付き合いがあって、一回も生徒の趣味に付き合わないのは……担当トレーナーとして、どうかな、って思うし……。それに、ほら……一緒に行く人がいれば、カフェも楽しんでくれるかなって……」

「……私はソロキャンプ派です」

「え……あ、あれ……? まさか僕、ホントにカフェの邪魔しにきただけになってる……?」

「今更ですか……」

 

 呆れたように言葉を返されて、思わず肩を落とす。

 空回りしてカフェの邪魔になっちゃったのもそうだけど、何より三年間も担当した生徒のことを、まさかここまで知らなかったと思うと、ちょっとどころじゃないショックがあった。

 確かに自己主張の控えめな子だとは思っていたけど、それにしたって。

 

「……僕ってカフェのこと何も知らなかったんだね」

「あ……いえ、すみません。アナタにそこまで気負わせるつもりは……」

「まさか三年間も一緒にいる女の子の趣味すらも把握できなくなったなんて……ははっ、僕も衰えたな。現役時代の僕だったら、初日でスリーサイズを本人の口から引き出せたのに……」

「さっさと行きますよ」

 

 あっちょっと待って! 一人にしないでこんな道端に!!

 

 

 それから結局、休憩所に到着したのはニ十分くらい歩き通したあとだった。

 高い木々に囲まれた広場の中央にはこじんまりとした小屋が立っていて、その周りにテーブルとベンチが何組か配置されていた。そのうちの一組に背負っていた荷物を置くと、途端に身体が軽くなる。

 

「つ、疲れたー……」

「そうみたいですね」

 

 そのままテーブルに突っ伏せると、向かいに座ったカフェからそんな声がかけられた。

 

「いや、何ってさあ、この時期にしては暑すぎない?」

「……確かに、そうですね。今年は特に、残暑が厳しいみたいで……」

「この時期なら暑さもだいぶ落ち着いてるだろうなー、って思ったんだけどねー……。水分補給しても、汗になってすぐ出てっちゃう感じでイヤになっちゃうよ。カフェは大丈夫?」

「私は慣れていますから、特に……。とはいえ、この暑さはさすがに堪えますね……」

 

 なんて髪を掻き上げながら、水筒を取り出しているカフェを見て、ふと。

 

「……どうか、しましたか? ずっとこちらを見つめて……」

「いや……女の子にこんなこと言うのも何だけど、その髪の長さで暑くないのかな、って」

「確かに、鬱陶しく感じたことがないとは……言いませんが……」

「ショートとか興味ない? カフェならきっと似合うよ」

「……そうでしょうか」

 

 するとカフェは、顔にかかる前髪の調子を少しだけ整えながら、

 

「そうですね……。アナタが、短い方が好きと言うなら……考えてもいいかも、しれません」

「え? あ、いや僕はロング派。見てるだけで暑そうだから言ってみただけ」

「もう二度と私の髪について言及しないでくれますか?」

 

 僕との会話はこれでおしまいと言わんばかりに、ぐびぐびと水を飲み始めた。

 

「ですが、この暑さでは……アナタの頭がおかしくなって、変なことを言い出すのも……無理はないかもしれません。ええ、きっとそうです……そういうことに、しておいてあげます……」

「ごめんって」

「ですから、そんなトレーナーさんのために……涼しくなりそうな話でも……」

 

 そこで一つ息をついてから、カフェが話を始める。

 

「山には、集まりやすいみたいです」

「……何が?」

「何か、が」

 

 初めは、いつもこの子がよく言っている、お友達の話かと思った。

 それこそ山にはよく遭難者の霊が出る、っていうのは割と有名な話だもん。

 だけど、そんなありふれた話をわざわざ、今になって持ち出す意味があるとは思えないし。

 仮にそうした霊障の話だったら、カフェは『何か』なんて含みのある言い方はしない。

 

「……ここに来るまでに、見かけたの?」

「いえ……何人かとはすれ違いましたけど……。まだ、そうした子は見かけていません……」

「あ、いつもみたいな子もいるにはいるんだ」

「……はい。いつも通り、アナタの後ろにいくつか、影が……害はない、みたいですが……」

 

 そうやって言いながら、カフェは僕を――正確には、僕の頭のすぐ上の空間を見つめる。

 どうやら、そこにいるらしい。それも、一つや二つじゃなくて、複数。

 意外には思わなかった。むしろ普段と変わらないくらいの数で拍子抜けしたというか。

 

「いやあ。毎度のことだけど、モテモテで困っちゃうね」

「私も毎回、思っていますが……女癖が悪いと、ここまでになるんですね……」

「この前、雌の猫ちゃんの幽霊に憑かれてるって言われた時は自分でもビックリしたもん」

「……いつか、そのまま連れて行かれても……知りませんよ……」

「大丈夫。今の僕はカフェ一筋だから。心配しないで」

「続けますね」

 

 ため息交じりに返しながら、ふとカフェが当たりを見回した。

 それに倣って僕も反対側を眺めてみるけど、確かになるほど、気づくことがあって。

 

「……アナタも気づきましたか?」

「まあ、入って少ししてから、ちょっとおかしいかな? って思った」

「人が……全くと言っていいほど、いませんよね」

 

 そう。今日は平日で、場所も空いてるところを選んだとはいえ、山に入ってから僕たち以外の登山客を一人も見かけていない。それどころか、人以外の動物や虫、風の音すらも聞こえてこない。

 ともすれば、僕たちだけが世界に取り残されたような、そんな。

 

「……どこから?」

「最初から、かも……」

 それでもカフェが気づけなかったってことは、やっぱり。

 

 常識の外にいる「何か」のせいなのかな。

 

「帰る?」

「……できるなら、そうしたいところですが」

「やっぱダメかなあ」

 

 これまでの経験からして、こういうのって途中で引き返したら状況が悪化するんだよなあ。

 日本神話の黄泉の国編でも、引き返したらアウトだったし。

 たぶん、僕たちの理解の外にある何かには、そういうルールがあるんだと思う。

 まあでもお店入ってご飯頼んだのに、途中まで残して退店したら怒られるもんね。

 それなら、まあ。

 

「進んでみよっか」

「……そうするしかない、みたいですね」

「それに、逆に言えばここまで二人とも無事だったってことでしょ? 道中も何か危ないことがあったり、邪魔が入ったりしたわけでもないし。案外、ここまで来たなら頂上までは昇ってよ、くらいのノリかもしれないよ?」

「…………………………」

 

 僕にしては珍しく、意外と的を得た発言だと思ったんだけど。

 カフェは少し心配してるような、微妙な顔で僕のことを見つめてきて。

 

「僕そんな変なこと言った……?」

「……いえ。ただ、その……申し訳ありません」

「こんな状況になっちゃったから? 別にいいよ、カフェでも気づけなかったら、もう仕方ないなって思うし。それに元を辿れば、山に行こうなんて言い出したのは僕だしね」

「ですが……」

「とにかく、進もうよ。お互いに謝るのは、下山してからでもおかしくないでしょ?」

 

 なんて、登山を再開しようとしたところで、カフェが。

 

「アナタは、怖くないんですか?」

「カフェがいるからね。一緒にいれば何も怖くないよ」

「死んでしまうかも、しれないんですよ?」

 

 ……ああ。

 いいね、それ。

 

「死んで幽霊になってもカフェとお話できるなら、それもいいかなあ」

 

 

「…………………………」

「…………………………」

 

 気まずい。

 いや、状況が状況だから、っていうのは確かにそうなんだけど。

 多分原因はそれじゃなくて、さっき休憩所を出る直前に行った僕の言葉で。

 ……アレはダメだったかなあ。

 別に希死念慮とかそういうのがあるわけじゃないし、ぶっちゃけ普段からぼんやり思ってることを冗談っぽく言っただけなんだけど、カフェからしたらそうは聞こえなかったみたいで。

 

「……足元、気を付けてください」

「え? あ、う、うん。ごめん……いや、ありがとう」

「……いえ…………無事なら、それで…………」

 

 僕がああ言った直後にすごい目つきで睨まれて、それからずっとこんな感じ。

 

「……景色は、綺麗なんだけどね」

「気を、抜かないでください……何が起こるか、分かりませんから」

「はーい」

 

 山道から見える景色は、絶景とまではいかないけど、それでも壮観だった。

 紅葉がそこまで進んでるわけじゃないし、まだ緑も目立ってはいるんだけど、やっぱりいつもデスクワークばっかりだから、こういう景色を見ると穏やかな気持ちになれる。

 もっとちゃんとした状況で見たかったなあ、というのはあったけどさ。

 

「何か……ありましたか?」

「ううん、何も。ただ、景色がいいな、って思っただけ」

「……そうですか」

「カフェもおいでよ。都内じゃ滅多に見れないよ、こんなの」

「よく、この状況でそんなに……楽観的に、なれますね」

「こんな状況だからこそ、だよ」

 

 最期になるかもしれないから、っていう言葉は、すんでのところで止めた。

 だってカフェは今、僕を守ろうって気持ちになってくれてるんだから。

 それを邪魔するのは、トレーナーとしても、一人の男としてもダメだろうし。

 あとこれ以上そんなことを言うと、いよいよカフェが怒り出しそうだし。

 

「……行きますよ」

「うん」

 

 なんて、景色から目を外して、カフェの後を追おうとした、瞬間。

 

「……カフェ?」

 

 カフェは、いなくなっていた。

 さっきまでずっと、そこにいたはずなのに。

 まるで元からいなかったみたいに。

 

「……カフェ!」

「はい……」

「あ、いた!?」

 

 なんだ、ちょうど曲がり角だったんだ、そこ。

 

「……すみません。てっきり、ついてきているものかと」

「ううん、大丈夫だよ。僕もすっかり景色に見惚れちゃってたから、ごめんね」

「では、行きましょうか。もうすぐ頂上ですから」

 

 そうやって笑いかけながら、カフェが僕に手を差し出してくる。

 

「でもさあ、綺麗なとこだよね。思ってた数倍は満足できたよ、今日」

「そうですね。もう少しゆっくりできれば、よかったのですが」

「いやさ、実は僕アウトドアあんまりしたことないんだよね。虫とか無理だし、そもそも運動もイヤだし。でも、こうやってのんびり歩くくらいなら、たまにはいいかな、って思った」

「それは……よかったです。もし次があれば、是非」

「ね。余裕あるなら来年、カフェと海に行きたいなあ。トレーニングとかも抜きにしてさ」

「はい……。私も、楽しみにしています」

「え、なんで?」

「……え?」

 

 いやいや。

 そんなにかわいく首を傾げられても。

 

「トレーナー、さん……?」

「いやいや、トレーナーさん、って。いいよ、そうやって無理に呼ばなくても」

「……どうしてですか?」

「だって君、カフェじゃないでしょ」

 

 そうやって言うと、目の前のカフェのそっくりさんは、差し出していた手をそっと降ろして。

 

「……どうしてそう思ったんですか?」

「だってカフェが僕のこと置いて、一人でどっか行っちゃうなんてことしないもん。何だかんだカフェって僕のこと大好きだからね。二人っきりじゃないと気が済まないんだよ、あの子」

「それだけの理由で……?」

「んー……いや、まあ、実際いつでも一緒ってわけじゃないし。それだけが理由じゃないよ。ってかぶっちゃけ、何となくカフェと雰囲気が違ったから、言ってみたら当たったんだよね。何だろ? 君はコーヒー派ってよりカフェオレ派って感じがする。ちょっと甘いんだよね、雰囲気」

「………………………………」

 

 なんだか呆れられてる気がする。

 いやでも、今回は向こうが勝手にやってきたことだし。

 

「カフェはどこにいるの?」

「……すぐそばにいます。無事ですよ。安心してください」

「うん、それは分かってる。君は穏便な方だしね。乱暴なヤツだったら、それこそこの山に入った瞬間にアウトだったろうし。でも、君は違う。まだこうやって話せる、いい子だよ」

「そこまで分かっているなら、私の目的も既に見当がついているのでは?」

「まあ、ね。最初から僕目当てだったんだー、ってのがちょっと意外かな?」

 

 こういう時って結構、カフェに用があって押しかけて来るパターンが多いんだけど。

 どうやらこの子は珍しく、僕に何か用があるタイプの子みたいで。

 

「それで、僕に何してほしいの?」

「……私についてきてください」

「本音は?」

「私のものになってください」

「あ、無理。絶対ヤダ」

「はあ…………」

 

 いや、そんな顔されたって、ねえ。

 

「たぶんさっきの会話を聞いてたと思うけどさ、今の僕ってカフェ一筋なんだよね。だから申し訳ないけど、君と一緒にはいられない。ああ、君が勝手に僕についてくるなら話は別だけど」

「後ろの方たちも、そうやって説得したんですか?」

「いや、この子たちは勝手についてきてるだけ。話したのは君が初めてだよ。……たぶん」

「……数人、なんだか怒ってるみたいですけど」

「あー……ごめん。初めてじゃなかったみたい」

 

 確かになんか、肩が重くなってきた気がするけど。

 それはまあ、いいんだ。今は重要じゃない。

 

「とにかく、僕はダメ。残念だったね。数年早かったら、結果は違ったかも」

「彼女がどうなってもいいんですか?」

「よくないよ。でも、君はそんなことしないでしょ。そういう子じゃない」

「……そうですね。私も、乱暴はあまり得意ではありませんし、嫌いです」

「だったら、ごめんね。諦めてよ」

「そういうわけにも、いかないので」

 

 口ではそう言ったその子だけど、とはいえ結構やつれた雰囲気で。

 まあ、多分、これでダメだったら諦めようかな、ってくらいの感触かな。

 

「全てとは言いません。一部でいいです。あとは、アナタの自由にしてもらって構いません。……自我はできるだけ綺麗に残すようにします。肉体はその過程で剥がれますが、魂はそのままです。私が集めているのは、境界を跨いだ経験を持つ蹄鉄の部分……辿るための足跡が欲しいだけ」

「ごめん、もうちょい分かりやすく言ってもらっていい?」

「幽霊になってもらってもいいですか?」

「…………………………」

 

 渡された言葉に、すぐ首を横には振れなかった。

 だって。

 

「そうすれば、アナタはこれからもずっと、彼女と一緒にいられますよ」

 

 そう、だなよあ。

 カフェだって当然、いつかは卒業しちゃうわけだし。

 僕はしばらくこの仕事を続けるつもりだけど、急に辞めることになるかもしれない。

 だから、僕たちはいつか別れちゃうことになるんだよね。仕方のないことだけど。

 でも、そうやって分かっていても、その時が来たらきっと僕は悲しくるし、しばらくは落ち込んじゃうと思う。仕事もロクに手につかなくなって、ふさぎ込んじゃうかもしれない

 そんな寂しい思いをするくらいなら、確かに幽霊になった方が、ずっといい。

 カフェも僕のこと、いつまでもそばに置いてくれるだろうし。

 きっと楽しいし、幸せだよね。

 …………………………。

 でも、なあ。

 

「カフェの淹れてくれるコーヒー、呑めなくなっちゃうからなあ」

「……そんな、ことで」

「いやいや、意外とこういうのって大事なんだよ?」

 

 まあ、今から言うことが、この子に伝わるかどうかは分かんないけどさ。

 

「僕ってさ、カフェのこと何も分かってあげられてないんだよね。三年間も一緒にいるのに。そりゃまあ、好きなこととか、趣味とかはある程度把握してるけど……それでも、やっぱり分かんないことの方が多いよ。ついこの前まで、あの子が右利きか左利きかも分かってなかったし」

「それはアナタがよく見ていないだけでは?」

「ま、そうなんだけどね。でも、何も分かってないからこそ、そばに居てあげたいんだよ。これは僕のエゴかもしれないけどね。あの子のことを分かってあげたいっていうか……あの子にとっての、共有できる人でいたいんだ。いや、この際、共有じゃなくてもいい。たとえば、同じ景色を見てどういう風に思ったとか、あの子が淹れてくれたコーヒーを飲んで、どう感じたとか……あの子のこの世界に対する解像度を、僕の感覚とか身体を使って少しでも上げられたら、って思う」

「……彼女の支えになりたいのですか?」

「そう……だね。色々と苦労してたみたいだから。僕で良ければ、って感じ」

 

 ただでさえ、普通の人が見えないものを感じ取って、様々なものを経験してきた子なんだ。

 だからきっと、あの子にとってこの世界はすごく色鮮やかで、眩しいものになっていると思う。

 それこそ、邪魔なくらい綺麗で、目が潰れるくらい彩られてて。

 絵具を溶かしたバケツみたいになった景色を、カフェはずっと誰とも共有できなかったんだ。

 ……まあ、どっちかというと独り占めしてそうな感じはしてたけど。

 別に寂しさは感じてないと思う。今までずっとそばにいてくれた「お友達」もいるし。

 だから、哀れんでるわけじゃない。同情してるつもりもない。

 それでも、そばにいてあげたいなって思う。

 

「理解はきっとできないんだろうね。見てる景色が違うんだから。でも、同じものを分かち合うことはできると思うんだ。あの子に見えたものは、自分にはこう見えたよ、って。気が向いたときでいいから、そんな話をできる人がそばにいたらきっと、楽しいんじゃないかな」

「……楽しいですよ。分かち合わなくても。誰かがいれば、それだけで」

「え?」

「私もずっと、ここで一人でしたから」

 

 それから、その子は少しだけ寂しそうに笑った。

 

「あなたのことは諦めます」

「うん、ごめんね。僕はカフェと一緒にいたいからさ」

「……大好きですね、あの子のこと」

「もちろん。何たって、僕の自慢の生徒だもん」

「そう、ですか」

 

 彼女との会話は、そこで終わる。

 その途端に、僕の目の前に続いていた景色も、一瞬でなくなって。

 

「あ、崖……」

 

 目の前に広がっていたのは、山の中にある小さな崖だった。

 といっても、落ちたらひとたまりも無いような、そんな高さの崖。

 あの状況で一歩でも踏み出していたら、僕は今頃……。

 

「……やっぱり優しかったんだなあ、あの子」

 

 カフェの声が聞こえてきたのは、それからしばらくした後だった。

 

「トレーナー、さん……っ!」

「あ、カフェ」

 

 僕がそう返事をするよりも先に、カフェは僕のそばに駆け寄ってきて。

 

「無事でしたか? どこか、ケガは……」

「大丈夫。あの子もちょっと話したら納得して帰ってくれたよ」

「……会ったんですか?」

「うん。カフェにそっくりだったよ。でも、なんかカフェオレ派っぽいから、カフェじゃないなー、って思って」

「カフェオレ……?」

「甘党派だったんだろうね、きっと。それから、幽霊になってよ、ってお願いされたんだけどね。今の僕はカフェ一筋だからダメー、って言ったら諦めて帰ってくれた。で、今って感じ」

「……はあ」

 

 案外、僕がいつも通りで無事なところを見て、カフェもちょっと呆れたように息を吐いた。

 いやでも実際、穏便な子だったと思う。だって、やろうと思えば強引に引っ張って僕を崖から突き落とせただろうし。でも、その素振りすら見せなかったから、優しい子だったんだと思う。

 

「……とにかく、無事でよかったです。すぐに下山しましょう」

「いや、頂上まで登ろう。僕も頑張るからさ」

「危険な目に遭ったという自覚がないんですか?」

「だからこそ、だよ。あの子もたぶん、僕が帰ったら寂しがるだろうし」

 

 きっと、僕たちが頂上からの景色を見れば、あの子も楽しんでくれる。

 一言、二言でも話し合えれば、どんな風に見えたかを伝えれば、それで充分。

 

「それに、僕の考えも変わったよ」

「考え……?」

「幽霊になるのはナシ。だってカフェのコーヒーが飲めなくなっちゃうからね」

「……そんな、ことで」

「あれ、カフェもそう言っちゃうの?」

 

 やっぱり僕が変なのかなあ。

 

「はあ……。もう、いいです。分かりました。行きましょう」

「うん、そうしよう。あ、次ははぐれないように手でも繋ぐ?」

「むしろ、その方が危ないのでやめてください……」

 

 そうして、僕たちはさっきまでいた場所を背に、山頂を目指して歩き出した。

 

 

「結局、なんだったんだろうね、あの子」

「分かりません。私の前には、現れなかったので……」

「悪い子じゃなかったんだけどなあ。あと、カフェに似てかわいかった」

「……乗り換える気にでも、なりましたか?」

「いや、ないよ。僕、甘いの苦手だし」

「そうですか……」

「……それにしても、やっぱり今日は暑いね」

「ええ……」

「もしかして、残暑だからなのかなあ」

「かも、しれませんね」

 僕たちの会話の間を埋めるように、セミの鳴き声が聞こえてくることに気が付いた。

 




2024年10月20日に開催されたプリティーステークス38Rで頒布したものです

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