世界樹の迷宮Ⅰ ~コンカラーの少年~   作:shima081

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野花


とある森の縁に広がる静かな原野。

朝焼けの薄紅が広がる空の下に、少年と少女が肩を並べて立っていた。

 

──長い黒髪の間から紅玉の瞳を覗かせるアルケミストの少年、ヤグルマ。

そして、緑の瞳の片方を柔らかな緑髪で隠し、左右に結われたその髪を朝の澄んだ風に揺らすダークハンターの少女、ペルシカ。

夜の暗闇に慣れていた少女が眩しさに目を細める。そして手で影を作りながら目を開き、大きな瞳が遠くの地平に何かを見つけてぱちりと瞬いた。

 

「ヤグルマくん!見て!あった!」

 

ペルシカの声が、朝陽の輝きに弾けるように響く。まるで花開くような笑みが顔に広がり、弾む心を抑えきれずに遠くの街を指差した。

 

「きっと今度こそ、あの街がエトリアだよぉ……!」

 

同じように朝陽の輝きに目を細めていたヤグルマが、ゆっくりと瞼をあげる。黒髪が風に流れ、赤の瞳で少女の指の先を追い、そして僅かに頷いた。

……二人の纏うローブは擦り切れ、泥と草の染みで汚れ、ここに至るまでの旅路の過酷さを物語っていた。

湧き水を求め、野兎を狩り、凶暴な獣から逃れる為の藪を掻き分けて進んだ日々。

夜も碌に寝れずに汗と泥と血に塗れながら辿り着いた、朝焼けに輝く街。

 

「……あれが、エトリア」

 

深い想いを胸に秘め、少年は遠くの街を見つめる。

 

──名も知らぬ草花が不可思議な果実をつけ、見たこともない獣たちが徘徊するその森には莫大な財宝が眠っている前人未到の樹海、世界樹の迷宮。

世界の法則を研究し、万物を操る異端の学士。錬金術師(アルケミスト)達が求める不死の薬(ネクタル、アムリタ)の改良、金属の変成、その道筋に光明が差す何かがあるのだろうと信じて、人類発展という高尚な目的、或いは個人的趣味としてエトリアに足を踏み入れる錬金術師(アルケミスト)達も少なくは無いのだろう。

しかし、不死の薬も金属の変成も、ヤグルマの目には映っていなかった。

人と関わることの多くなかった人生。黴臭い部屋の中で本を読み、術式を考え、目的も無く錬金術の腕を磨き続ける中で耳にした噂。

 

『巨大な大地の裂け目。地の底まで続こうかという深淵を思わせる、巨大な地下樹海の迷宮。そこには、全てがある』

 

その言葉に、人生の目的を得たわけでも、胸の高鳴りを覚えたわけでも無い。

……ただ漠然と、その世界樹の迷宮とやらを見てみたいと思った。

 

錬金術を攻撃の術として運用出来るよう術式を書き、そしてその身を死と隣り合わせの樹海に投じる変人達。

その中でも更に異端と呼ばれるであろう想いを抱えた少年は、暫くじっと遠くの街を見つめて、やがて視線をペルシカへと移し、静かに呼びかける。

 

「……ペルシカ」

「うん」

「行こう」

 

少年の言葉に、若葉色の少女が応えた。

 

「うんっ!行こ、ヤグルマくん!」

 

ペルシカが、弾んだ笑顔でヤグルマの手を握る。

冷えた朝の空気の中、ペルシカの掌の温かな体温がヤグルマに伝わった。

 

二人の背後では、この場に至るまでに抜けて来た森の草木が朝露に濡れて静かに揺れていた。

夜が淡く溶け消えていく黎明の輝きの中、冒険者達の夢と野心を飲み込む街を目指し、共に一歩を踏み出す少年と少女。

その光景は、まるで吟遊詩人の紡ぐ詩の一節のようで、

──もし、彼らの視線の先に輝く街が本当にエトリアであれば、どれほど完璧であっただろう。

 

彼だの目的地であるエトリアはまだ遠く、視線の先にある街の、更に向こう側。

「東の果てにあるのだから、太陽が登る方角へ進めば良いだろう」と歩き続けてきた二人は、先程と同じやり取りを今までに幾度か繰り返して綻びた揃いの古びたローブを靡かせながら歩みを進める。

 

エトリアに辿り着くためには、更なる夜を潜り抜けねばならない。

 

先行きが不安になるような、そんな彼らもまた、……布令に応じエトリアに向かう、若き冒険者である。

 

 

・・・

 

 

日が傾き、街に夕暮れの鐘が響き渡る。

石畳の道には夕食の香りが漂い、子ども達が笑いながら駆けて、大人達はそれぞれ家庭や趣味に身を委ねる。

 

それは、この街──エトリアが、穏やかな統治の下で息づいている証だった。

 

「……素敵な街ね、此処は」

 

そんな光景を眺めながら、赤銅のように陽光を映す赤茶色の長い髪を高く結った褐色肌の女が、眩しげに黒色の目を細めて呟いた。

踊り子のような軽やかな衣装に、歩く度に小さく鳴り合う装飾品達が、彼女の言葉を飾り立てる。

 

「冒険者や旅人が集う酒場や宿場に向かえばまた違う趣なのでしょうけれど。それでも、民が笑い貧しさが目立たない、良い街だわ」

 

ねえ、アマランサス。アナタもそう思わない?と、赤茶髪の女がその艶やかな長い髪を揺らしながら、隣を歩く男に視線を向けて微笑んだ。

 

「本当なら(わたくし)達も、こんな風に、」

 

言いながら、女が目を伏せる。

黒の瞳に睫毛が影を落とした。ただそれだけの仕草で、微笑みを湛えたままだというのに、絵画に描かれる物憂げな息女の様な雰囲気を醸し出す女に、

 

「──前を向いてお進みください、お嬢様」

 

アマランサスと呼ばれた男が静かに、──しかしきっぱりと、遮るように言葉を返した。

橙色の髪を夕風にそよがせ、剣と盾を携え重厚な鎧を身に纏いながら揺るぎない足取りで歩を進める騎士のような出で立ちの男。

 

そんな男に再び視線を向けて、女はイタズラっぽく目を細めて唇に笑みを浮かべる。

 

「別にこのくらい良いじゃない。それにもし躓いたって、貴方が助けてくれるでしょう?」

「だからと言って──

「ねえ、アマランサス。お嬢様だの敬語だのはやめてちょうだいと、前に伝えた筈なのだけれど?」

 

アマランサスが前を向いたまま僅かに眉を顰め、そして小さく息をついた。

 

「アンテリナム」

「なぁに?」

「前を向いて歩いてくれ」

 

アンテリナムと呼ばれた女が、「仕方ないわね」とくすりと笑い、ようやく視線を前に戻す。

 

夕暮れが建物の輪郭を伸ばす。アンテリナムが冷えた影の中を歩み、街は彼女の穏やかな表情と赤銅色の髪に翳りを落とした。

住宅地を抜けて商店や酒場が見えてくる。夕方の冷えてくる空気の中でも活気付く冒険者の街。その喧騒の中、彼女の隣を歩きながら、アマランサスがアンテリナムにその橙色の瞳を向けた。

 

「貴女が躓かないように傍に居るのが、俺の役目だろう」

 

その瞳に、固い意志を静かに湛える。

そして直ぐに視線を前に戻し彼は言葉を継がず、暮れゆく街を共に歩み続けた。

 

アマランサスが視線を逸らした数秒後、アンテリナムは彼の横顔をそっと見つめ、静かな笑みを浮かべた。

 

……いつだったか名も知らぬ男に、自身の黒の瞳を「何にも染まらぬ夜の様に美しい」と、そう囁かれたことがある。

いつ言われたかも覚えていないような言葉を今でも思い出してしまうのは、隣を歩く男、アマランサスの瞳が向けられた時だ。

 

幼い頃から共に歩んできた、自分の騎士。冗談でも怠けようとすると厳しく諭す癖に、本当につらい時には何も言わずに傍に居てくれた、一番近しい人。

──(わたくし)が夜の瞳なら、貴方の瞳は綺麗な朝焼けね。

 

容姿について言及したところで嬉しくないだろうと口に出した事は一度もないが、アンテリナムはその橙の瞳を見る度に、与えられてきた絹や宝石の輝きよりも、この男の、意志を湛えた清らかな朝焼けが一等美しいものだと、そう感じていた。

 

だからこそ、……今その瞳を見てアンテリナムが抱くのは、朝焼けへの温かな思いではなく、後悔の棘が突き刺す痛みだった。

 

彼女の瞼の裏に静かに浮かぶのは、アマランサスとともにこのエトリアの地へ足を踏み入れると決めた日の記憶。

あの日、彼女は甘えも哀しみも、全てを過去の彼方に置き去りにしたつもりだった。

富、そして名誉の為に。為すべきことを為すのだと、故郷に別れを告げてここまで来た。

……しかしどれほど心を切り離そうとも、この高潔な朝焼けの騎士を死の樹海に連れて行ってしまう罪の意識だけは、彼女の内に深く根を張っている。

 

何を言っても、何をしても、この男が自身にそばに居続けてくれるのは理解している。二人で来る以外の選択肢は無かったというのは分かっている。しかし、それは悔恨を拭う理由にはならなかった。

 

内心の後悔に苛まれながら、それでも、アンテリナムはそんな心の波を一切顔に滲ませず、その装束を纏って尚周りに冒険者だと思わせないような気品を漂わせ、「そうだったわね」と、完璧な微笑みを湛えた。

 

「いつもありがとう、アマランサス」

 

 

・・・

 

 

……そして、その同時刻。夕暮れの鐘が荘厳に響き渡るエトリアの街の、正門前の石橋。

 

風に運ばれた埃が舞い、鐘の音が空気を震わせる中、橋の上では荷物を積んだ馬車が軋む音を上げながら進み、車輪の音が石畳に鈍く反響する。

そしてその横では、これから迷宮に挑む者達──新たな冒険者達が、それぞれの希望や野心を交錯させていた。

一人、また一人と、正門を護る衛兵達と会話を交わして、石畳を鳴らしながらエトリアへと足を踏み入れていく。

 

「おーい!歩きはこっちだよー!」

 

冒険者達が順番に門を潜る中、最後尾に並んでいた茶髪の女がふと振り返る。ちらりと馬車の陰に人影を見つけたのだろう、声を上げて手を振った。

 

「えぇっ、あっ、間違えちゃった、ごめんなさぁい……!」

「……」

 

そうして声を上げた女の方へと向かい、それぞれその緑髪と黒髪を風に靡かせながら人の列に並ぶ人物は、二人。──ヤグルマとペルシカだ。

あれから更にローブに旅の痕跡を刻みながらも、幾度も夜を越えて無事に目的地に辿り着いたようだ。

しかし……衛兵に励まされ、旅人に慰められながら、何度も道を誤り辿り着いたこの石橋の先が本当にエトリアの街なのか自信が無いのだろう、ペルシカの緑の瞳が辺りを見渡す。

 

――ダークハンターのペルシカにとっては、野兎を狩って捌くのも、夜間浅い睡眠を取って日中歩き続けるのもそこまで苦にはならなかった。連日連夜となれば流石に話は別だが、道中何度か街にも寄ることも出来て、一般的に過酷と言われる旅路でも「ヤグルマくんと一緒なら」、と楽しんですらいた。

しかし、貧弱後衛職(アルケミスト)は別だろう。エトリアに行きたがったのは彼だが、こうも辿り着けないとなるともう良いと言われてしまうのではないか、――途中で地図を入手したりせずヤグルマも何となくで歩いている辺りそんな心配はしなくても良いのだが――と、ペルシカがそんな不安に襲われて目を伏せた。

 

「……嬢ちゃん達も冒険者かい?」

 

そんな不安げな少女の様子を見かねてか、列に並ぶ屈強な男が旅慣れた者の余裕を滲ませながらペルシカに気さくに声をかける。

 

「ふふ、今この街に来る人なんて、みんなそうじゃない?」

 

男の言葉に重ねるように、先程二人に声をかけた茶髪の女がくすりと笑い、「ね?」とペルシカへ柔らかな視線を向ける。

視線を上げたペルシカが「えっ、わ、ええっと」と言葉に詰まる中、ヤグルマが静かに頷き、彼女の代わりに答える。

 

「ははっ、一所にこんなに冒険者が集まって、しかもこんな小さな子までいるなんて。前にいた村じゃ考えられないな」

 

男の豪快な笑いが響いて、ペルシカの緑の瞳がこれまで旅してきた小さな村や、街の記憶を辿る。

言われてみれば確かに、こんな賑わいは初めてかもしれない。レンジャーやバード等はその職業の特性上見かけることはあったけれど、他の冒険者に関しては、その二つの職業と後はダークハンター以外、見た事が無かったかもしれない。

……ヤグルマをあの場所から連れ出してからは、人目を避けるように行動していたせいもあるかもしれないが──

 

「あら、そりゃそうよ。ここでは誰がいたって不思議じゃないわ。

子どもだろうと、老人だろうと、夢追い人ならみーんな来るのよ」

 

そこまで考えて、今度は列の前方から軽やかな声が響き、ペルシカが思考止めて顔を上げた。

声の主は、鮮やかなピンク髪の、その装いからして同職の女だ。

彼女の瞳は沈む夕日を映して、冒険が楽しみだというように輝いている。

 

「なんたってここは、冒険者の街、──エトリアなんだもの!」

 

ピンクの髪を揺らして彼女が笑った。その言葉に列に並ぶ者達からも小さな笑い声が漏れて、ペルシカは少しだけ肩の力を抜き、ヤグルマをチラリと見上げる。

彼は無言のまま、ただ小さく頷き返した。

 

本当に、今度こそ。ここが冒険者の街、エトリア。

……ペルシカは、ヤグルマが樹海に入りたがる理由を知らない。何なら自分が何故ここにいるかさえも、彼に伝えていなかった気さえする。

それでも良いのだと思うし、きっと彼もそう思っているだろうとも思った。

 

――これから向かうのが、冒険者達の屍が埋まる樹海だろうと。足を踏み入れることへの理由なんて必要ない。

自由に生きて、好きなように旅をしよう。

 

 

そうして二人は、橋の先に広がるエトリアの門へ、──その向こうに眠る世界樹の迷宮へと視線を向けた。

 

石橋を渡る馬車の軋みと冒険者達のざわめきが交錯する中、夕暮れの光は柔らかな温もりを湛え、彼らの背を優しく照らしていた。




新 世界樹の迷宮1OPムービーより、パラディンの男の「前の村じゃ、考えられんな」という台詞。
漫画版_新 世界樹の迷宮1_2巻でのサイモンの「以前は小さな村落でしかなかったエトリアを世界樹の街として勃興させ」という台詞から考えればまあ前は小さな街だったのに的なニュアンスになると思いますが、OPムービーのダークハンターの女の「そりゃそうよ。なんたってここは冒険者の街、エトリアなんだもの!」という台詞と繋げると少し違和感があったのでこのss内では変更しています。
今後も台詞、描写の細かな変更はあると思いますが、意味が変わる程の変更の場合は記載します。
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