妖精的日常生活「風と共に歩む者」   作:水凪亜炭

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この作品はかつてあった「妖精さんの本だな」というサイトで提唱された「妖精的日常生活」というシェアワールドに基づく作品のリニューアル版です。
サイト消滅後、提唱者のジャージレッド氏と連絡を取りましたところ「シェアワールドの設定は有効であり、それを踏まえてもらえば他サイトへの投稿は構わない」との返事を頂きました。

シェアワールドの設定アーカイブ
https://web.archive.org/web/20070127115940/http://www.keddy.ne.jp/~jersey-r/toukoukitei_tebiki.htm

当時数多くの投稿があった「妖精さんの本だな」の中でも、かなり異色な作品となっていた拙作ですが、楽しんでいただければと思う次第です。

以下、シェアワールドのアウトラインとなる設定文です。

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200X年、突如として人間が妖精と呼ばれる羽を持った小人に変化してしまうという事件が発生する。
その事件は一件では済まず世界各地で観測され、日本でも世界で4例目となる妖精化事件が発生し、その後も続々と被害者が出たことにより社会問題化することになった。そして被害者達からの聞き取りによって、被害者の肉体が異世界にいる妖精と魔法によって交換されている事が判明する。(相互換身用召喚魔法というらしい)
その目的が妖精達を侵略するナニカと戦える存在を呼び出すことで、人間以外ではナニカと戦えなかったこと。わざわざ肉体交換という方法をとっている理由が人間を魂ごと呼び出すことが出来なかったので、魂の器として召喚する妖精自身の体を送り出す必要があったこと。そして鍵となるのが夢の中で会った妖精に自分の名前を教えることで肉体交換に同意した事になってしまうことが判明する。
これらが分かってからは、あらゆるメディアや教育現場にて妖精と夢の中で出会っても名前を教えないよう宣伝が組まれ、世界的には被害者が減ることに。

しかし訪問販売や電話勧誘であってもついつい話を長々聞いてしまう事が多いNOと言えない日本人。
妖精側も巧妙に好奇心や同情を誘う話術を年々身につけた事から、ついついポロッと会話の中で自分の名前を教えてしまう被害者が続出。そんなわけで日本は事件発生から数年後には妖精人口が最も多い国になってしまう。

これは、そんな日本にて妖精の召喚を受けちゃった、とある人物の物語である。


妖精的日常生活「風と共に歩む者」第8話 ~想いを紡ぐノクターン~

 

『さあ、4コーナーを回って先頭はブラディーメアリー。

 各馬追いすがろうとするが全くついて行けない!

 ブラディーメアリー強い!ブラディーメアリー強い!独走のままゴールイン!!!

 ブラディーメアリー、中山牝馬ステークス初制覇!!!これが初の重賞制覇でもあります!!!』

 

「やったね♪」

 

私はブラディーメアリーの背を軽く叩いて労ってあげます。

 

(あたしとあんたのコンビなんだから当然よ!!)

 

照れ隠しかブラディーメアリーからそんな言葉が返ってきました。

 

「ふふ、これからどんどん上を目指していくからよろしくね」

(もちろんよ!!!)

 

声援を送ってくれるスタンドに向かって羽根を振った私たちは計量所へ向かいます。

 

「おつかれさん、圧勝だったじゃないか」

 

田所先生が声をかけてきます。

 

「これで3連勝ですから、いよいよ本格化してきたみたいです。

 このままいけば、秋にはGⅠをねらえるかも知れませんよ」

 

「ああ、楽しみになってきたな。

 とりあえず、足の不安がなければ春の間にもう一つ重賞挑戦してみよう」

 

「そうですね、よろしくお願いします」

 

そんなことを話しながら、計量所で重量を量ってもらって違反がないことを証明して勝利が確定。

ブラディーメアリーは晴れて重賞ウィナーとして名を残すことになりました。

 

 

 

「おつかれさま、皐月さん」

 

表彰式を終えて騎手室に戻った私に小谷さんがオレンジジュースを出してくれます。

 

「ありがと~小谷さん♪」

 

私はストローに口を付けて思いっきり飲みます。

 

「ふい~美味しい~♪」

 

酸味の効いた冷たいジュースに一瞬顔が引き締まりますが、またすぐにゆるみます。

 

なにせ、これで今年は重賞2勝目。

勝利数もすでに12勝を上げて絶好調。

この勢いならリーディングに絡むことも可能かも知れません。

 

「ご機嫌そうですね。でも浮かれてばかりもいられませんよ。来週は桜花賞が待っているんですから」

 

む、そうですね。

シャロンウィンドと挑む桜花賞。

なんとしてもクラシックの一冠目を獲らせてあげないと!

 

そうそう、本来でしたら桜花賞は例の季節の最中なんですが、今年については桜花賞の日程をずらしてもらうことになりました。

なんでもJRAもスポンサーも「今の競馬人気を引っ張る立役者が出られないのはファンサービスとしてまずい」という判断になったそうで。

ステップレースの関係もあって日程調整が大変だったのに、無理を通してくれたJRAの役員さん達の奮闘には感謝しないといけませんね。

出られるようになった感謝の気持ちは全力でレースに向かうことで表さないと。

 

「こうしてはいられません!美浦に戻りましょう!」

 

「はいはい。でもブラディーメアリーの丸山オーナーから祝勝会に出て欲しいって伝言が来ていますけど、いいのですか?」

 

「あ・・・」

 

さすがに全く顔出さないのはまずいですね。

 

「最初の方だけでもちょこっと顔出しして、帰らないと駄目ですね」

 

「はい、それでは帰りの手配をしておきますね」

 

「お願いします」

 

早く帰れると良いんですけど、難しいかな?

 

     ・

     ・

     ・

 

「ブラディーメアリーの重賞初制覇を祝って乾杯!!!」

 

「「「「「「かんぱ~い!!!!!」」」」」

 

丸山オーナーの乾杯の音頭で宴会が始まります。

 

立食形式のパーティーなので自分はテーブルの隅っこに立って乾杯です。

あ、もちろん靴はこのための上履きですよ。

そのままテーブルの縁を歩いて、お客さん達に挨拶して歩きます。

 

「あんな大逃げをするとは思っても見なかったよ。勝算はあったのかい?」

「ブラディーメアリーは勝ち気な馬ですから、思いっきり逃げて気分よく走らせるのがいいみたいです。それに元々力はある馬ですから力勝負ではそう簡単に負けません」

 

「その小さな体で馬を操るのは大変じゃないか?」

「いえ、操っているんじゃなくって、自分は馬が走りたい気持ちに合わせてるんです。だから、調教で折り合いがつけばどんな馬とも良いレースが出来ますよ」

 

「秋にはGⅠも期待しいるよ。」

「ありがとうございます。でもその前に、春の重賞で賞金を上積みしておきたいですね」

 

そんなことを話しながら回っているうちに丸山オーナーの所にやってきました。

 

「丸山オーナー、ブラディーメアリーの重賞初制覇おめでとうございます」

 

「ああ、ありがとう。皐月君のおかげだよ」

 

「そう言ってもらえると光栄です」

 

面と向かって言われると照れますけど。

 

「自分にとっては馬主になってから初めての重賞制覇だから、感慨深いよ」

 

「ブラディーメアリーはこれからどんどん勝っていける馬だと思いますから、もっと期待してあげてください」

 

「ああ、春のうちに賞金を貯めて、秋はGⅠに挑戦できると良いな」

 

そういえばシャロンウィンドが順調に勝ち進んだら、エリザベス女王杯で2頭がぶつかる可能性があるんですよね。

この場合、どっちに乗るべきか悩みどころですね。

まあ、いまはそんなことを心配していても仕方ありませんけど。

 

「ええ、きっと挑戦できますよ」

 

「これからもよろしく頼む」

 

「ええ、任せてください!」

 

祝勝会のお客さん達に挨拶を終えた私は、一次会で切り上げて美浦に帰らせてもらうことになりました。

 

「ふ~、やっぱり挨拶してたらこんな時間ですね~」

 

「まあ、仕方ないかと。せっかくの招待を断るわけにもいかないでしょう?」

 

「そうですね。それに、あの時急いで帰ったからといって調教が出来るわけでもないですし、焦っても良いことないですものね」

 

「そのとおりですよ。さて肩の力が抜けたところで、私が焼いたクッキーがありますから帰ったら食べましょうか」

 

「やった~♪」

 

ーーーーーーーーーー

 

「ただいま~」

「「「おかえり(なさい)」」」

 

美浦に戻ると、山根先生達が待っていてくれました。

 

「今期重賞3勝目おめでとう」

 

「良い調子ね~、このままだとリーディングで追いつかれるのも時間の問題かな?」

 

「勢いがあるのは良いことだよ。この調子で来週の桜花賞も獲ってくれよ」

 

山根先生に牧瀬さん、柳谷さんがそれぞれ祝福してくれます。

 

「まだ仕事中なのにお酒というわけにもいきませんから、祝勝会代わりにお茶会をしましょうか」

 

小谷さんがそう切り出すとみんなが頷きます。

 

「あ、それじゃ準備の間にコスモスウィンドとシャロンウィンドに会いに行ってきてもいいですか?」

 

「ああ、行ってくると良い」

 

「準備が出来たら私が迎えに行ってあげる」

 

「お願いしま~す」

 

私はそう言うと、コスモスウィンドとシャロンウィンドの所に向かいました。

 

「ただいま~、今日も勝ってきたよ♪」

 

そう夜飼を食べる二頭に話しかけます。

 

(近頃調子が良いな。その調子で妹のレースも頼むよ)

 

「もちろんよ。絶対に勝ちに行くからね!」

 

(私も全力で走るからよろしくね)

 

「うん、二人でウィナーズサークルに立とうね!」

 

この二頭と出会えなかったら、いまの私はありえません。

なんとしてもクラシックを獲らせてあげたいです。

 

そうしているうちに、牧瀬さんが迎えに来てくれました。

 

「お茶の準備できたわよ」

 

「は~い、じゃ、二頭ともまた明日ね」

 

((おやすみ、皐月))

 

 

「ところで皐月ちゃん、桜花賞では勝ち目ありそう?」

 

「そうですね。

 まずは去年のジュベナイズフィリーズの勝ち馬コノハナサクヤ、2着に来たアクアリウム。でもチューリップ賞でこの2頭を負かしたファストティターンの方が強敵でしょうね。そう考えるとシャロンウィンドの成長分を考えても6割といったところですね」

 

「それでも6割あると思っているんだ」

 

「純粋なタイム勝負ならシャロンウィンドは明らかに上です。後は鞍上の駆け引きをどれだけ私が上手くこなせるかですね。だから6割って言うのは、自分がミスして勝ちを潰してしまう事を考えた場合です。単純な馬勝負なら9割方勝てると思いますよ」

 

「お、言うわね。じゃあカップ持って帰ってくるのを楽しみにしているわよ」

 

「ええ、期待していてください。」

 

「さ、お茶が冷めちゃうから急いで戻るわよ」

 

「は~い」

 

この日は小谷さんお手製のクッキーをつまみながらお茶会をして終わりました。

 

 

 

翌日からシャロンウィンドの桜花賞向けの調教開始です。

 

シャロンウィンドの特徴は最終コーナーを曲がってからの鋭い末脚による追い込み。

だけど、それだけに前には馬が一杯いて大外を回るか馬群の間を抜けるかの選択をしなければいけません。

大外を回れば前の馬を避けることは出来ますが距離的には他の馬よりも常に走らなくちゃいけません。

馬群の間を抜けていくにはわずかな隙間を縫うように走り抜けるテクニックが必要です。

 

「シャロンウィンドはどうしたい?」

 

(私は馬群に突っ込むよりも、多少遠回りでも大外から勝負をかける方が好きだけど)

 

「うん、あなたの足ならそれでも勝てるとは思う。

 ただそのままだと距離的に不利になるから、最終コーナーまでは最内につけて、そこから大外に出て行く練習をしようか。

 それならうまく前が空けば、最内から馬群を抜けて飛び出すことも出来るし」

 

(そうですね、最初から外にいることはないですからね)

 

「それじゃ最初は軽く内ラチ沿いに回る練習からしよう」

 

シャロンウィンドの手応えは上々。

去年のジュベナイズフィリーズではたしかに展開負けしたこともありましたが、それ以上に早熟な馬が多かった事があります。

冬を越えて春に向けて成長したシャロンウィンドの地力は、ライバル馬達以上です。

私が変なミスをしなければ、馬任せにしても全く負ける要素はないでしょう。

事実、調教中のシャロンウィンドからは全く不安を感じさせられません。

 

「よ~し、クールダウンしたら戻ろうか」

(うん、充分走ったからね)

 

私は調教を終えたシャロンウィンドをクールダウンさせると装按所に戻ります。

 

「おつかれ。後は任せてくれて良いから、他の馬の調教にいってくるといい」

 

「は~い、そうさせて貰います。またね、シャロンウィンド」

 

(ええ、また明日)

 

 

私はシャロンウィンドを柳谷さんに任せると、桜花賞当日に乗る他の馬の調教に行きます。

桜花賞の前に勝って勢いをつけたいし、なんといっても馬場の状態を確かめられるから、とても大事です。まあ、それが皮肉にもクラシックに出られないイシノシズクだったりするんですが・・・

 

イシノシズクは脚質的に中距離以上には向かないようなので、マイル路線でNHKマイルカップを目指すことに。

今回のレースは重賞ではないとはいえ事実上NHKマイルカップの前哨戦。

イシノシズクにとっても大事なレースです。

 

「お待たせ、イシノシズク。調子はどう?」

 

(調子は良いよ。今日がレースでも大丈夫なぐらい)

 

「あは、頼もしいね。それじゃいきましょうか」

 

さてと、イシノシズクは基本的に差し馬です。

3コーナーの時点で前に上がっていって4コーナーからの伸びで勝負をかけます。

ですが、生来の不器用さがあって、馬群に飲まれるとそのまま前に出られないことが多いんですよね。

そうなるとまずいので早めに前に出してみたりしていましたが・・・

 

「この前は早めに仕掛けて足が持たなかったからどうする?」

 

(早めに仕掛けるよりも外を回っていくほうがいいな)

 

「うん、そうだよね。外の広いところをのびのび走った方があなたには合いそうだし」

 

(距離的には不利かも知れないけど、僕はその方が好きだよ)

 

「地力勝負になるけど頑張りましょうか」

 

奇しくもシャロンウィンドと似たような作戦を取ることになるから、都合が良いですし。

2頭ともきっと勝たせて見せます!

 

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大舞台の前の一週間はあっという間に過ぎ去ります。

競馬に絶対はないけれどこれならきっと勝てると思えるぐらいに調教はうまく進みました。

事前の追い切りも終わっていよいよ馬運車で阪神競馬場に向かう前の晩。

 

私はいつものように、夜飼を食べるシャロンウィンドを見に来ました。

 

「いよいよ明日は現地入りだよ。きっちり休んでおいてね」

 

(体調はいいから不安はないですよ)

 

「うん、でも念には念を入れないとね」

 

(月が綺麗だし、お散歩したいところだけど我慢します)

 

「そうだね、大舞台の前だから体には気をつけなくっちゃ。その代わり桜花賞から帰ってきたら、ゆっくりお散歩しようね」

 

(うん♪必ずよ?)

 

「約束するわ」

 

そうシャロンウィンドと約束を交わした私は馬房を後にしました。

空に浮かぶ月を眺めて良い天気であるように願いながら。

 

   ・

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桜花賞の当日。

残念ながら阪神競馬場は雨が降っていました。

 

私は溜息をつきながら落ちてくる大粒の雨を眺めます。

雨の日の騎乗は剥がれた芝や、飛んできた泥が痛いんですよね。

 

「皐月さん、そろそろ騎乗時間が近いから、準備をしますよ」

「うん、お願いします」

 

雨の日の対策として普段着ている騎乗服じゃなく、いくぶん厚めの騎乗服を着ます。

頑丈な素材で出来ているので気分的には皮鎧でも着せられているような感じです。

直接ぶつかるのを防げるだけで衝撃は伝わってくるから青痣は絶えませんが、肌が切れたりするのは充分防げます。

自分だけじゃ上手く着られないので小谷さんに手伝って貰てなんとか着込みます。

 

「はい、できあがりです。気をつけてきてくださいね」

「うん、気をつけます」

 

 

さあ、今日最初の騎乗はイシノシズクです。

馬場の状態を確認しながら走らないと。

 

「お待たせしました」

「ああ、まだ時間には充分あるよ。いまパドックを回り始めたところだから」

 

小野寺先生がそう言って出迎えてくれます。

 

「馬場の状態はいままでのレースを見るとあまり良くないようですね」

「ああ、特に内馬場は良くないらしい。気をつけて走ってくれよ」

「分かりました、気をつけます」

 

内馬場が悪いと言うことは、外から回るイシノシズクとシャロンウィンドには好材料ですね。

 

『とま~れ~』

 

私は小谷さんに連れられて、イシノシズクの背に乗ります。

 

「お待たせ。馬場の状態が良くないみたいだから気をつけていくよ」

(うん、無理はしないようにするよ)

 

馬場入場後の返し馬でも馬場の状態を観察。

馬場状態は重。

この状態なら前半から足を使う逃げ馬や先行馬は体力を消耗しやすいです。

展開次第だけど、かなり勝ち目は高くなってきたようです。

 

ゲートインしてスタートを待ちます。

 

『さあ、各馬一斉にスタートしました。

 最内からマルサンイレブンが飛び出した、そのまま先頭に立ちます。

 2番手にカブラギダイゼンがつけている。

 その後ろはナズナノココロ、グランブレイク、ラスティネール、ツムジカゼイチバンといったところが一団となっている。

 さらにその後方1馬身離れてウミノイサリビ、ニジノタモトと続き、イシノシズクが1馬身離れて最後方です。

 さあ、各馬すさまじい水しぶきを上げつつ3コーナーに突入します。

 先行各馬はやや足色が悪い。

 後方からニジノタモトとイシノシズクが大外を回って上がってくる。

 ウミノイサリビはまだ後方のまま。

 さあ、4角を回ってラスティネールが先頭に立った。

 大外からイシノシズクが上がってくる。

 イシノシズクぐんぐん伸びる、そのまま先頭に立った。

 ニジノタモトは届きそうにない。

 イシノシズクいまゴールイン。

 この重い馬場の中、見事な足を見せました』

 

「良くやったね」

 

私はイシノシズクの背を叩いて褒めます。

 

(僕は皐月の指示に従っただけだよ。また今度も乗ってね)

 

「うん、この次はNHKマイルカップでね」

 

イシノシズクのおかげで馬場の状態がよく分かりました。

これでシャロンウィンドとのレースは万全な状態で挑めます。

 

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     ・

 

『とま~れ~』

 

「よし!!!」

 

私は顔を叩いて気合いを入れると小谷さんに連れられてシャロンウィンドの元に向かい、柳谷さんから手綱を渡してもらいました。

 

「だいぶ馬場が滑りやすくなっているから気をつけてな」

 

「ええ、さっきの騎乗で馬場状態は分かっていますから、気をつけます

「ま、秋葉がそう簡単にミスするとは思っていないから心配はしていないけどな」

 

柳谷さんとそんな話をしながら騎乗位置を再チェックします。

問題はなさそうです。

 

山根先生や田邊オーナーは何も言わずにじっとこちらを見ています。

信頼してくれているんでしょうね。

期待に応えなきゃ。

 

「いよいよ本番だよ。馬場状態はかなり重くて内馬場が荒れているから、外を通る私たちには有利ね」

 

(でも油断はしませんよ)

 

「そうだね、油断できるような相手はいないし」

 

馬場入場して返し馬をしながら馬場の状態をチェック。

さっきよりもさらに重くなって荒れてきています。

 

「馬場のチェックに慎重やね~」

 

「当然ですよ。芝がこれだけぬれると滑って危険ですから」

 

私は声をかけてきた柘植さんにそう答えます。

 

「ま、これだけ雨が降ってる中のレースは久々やし、気をつけるにこしたことはあらへんけどな」

 

「柘植さんも気をつけてくださいね」

 

「ああ、おおきに」

 

他の騎手とも話しているうちに、ファンファーレが鳴ります。

いよいよゲートインです。

 

 

【バシャ~ン!!!】

 

 

ゲートが開くと真っ先にコノハナサクヤが飛び出していき2番手にアクアリウムが続きます。

さらに2頭ほど置いて中段から追走するのはファストティターンです。

私とシャロンウィンドは内ラチ沿いを走るのを諦めて、最初から馬場の良い外側を最後尾から追走します。

前の馬の上げる水しぶきや剥がれた芝が飛んできますが構っていられません。

前のペースを計りながら仕掛けどころを読むために、ジッと先行馬の動きを見つめます。

 

コーナーに先頭が突入します。

阪神名物の下りのコーナーで上手にスピードを落とさないと大外まではみ出してしまいます。案の定、何頭かがスピードオーバーで外にはみ出してきました。

 

私はシャロンウィンドを押さえつつ、そうした馬の内を通ってジワジワと前に上がらせます。

前の方ではコノハナサクヤを捕らえるために、ファストティターンが上がっていくのが見えます。

シャロンウィンドが焦らないように気をつけつつ、こちらもジワジワと上がっていきます。

 

やがて最終コーナーの出口が見えてきました。

 

「行くよ!」

 

私はそう言って手綱をしごくとシャロンウィンドが沈み込み、グンッ!と加速しました。

グイグイと大外に出ながら前を行く馬を次々と抜き去ります。

 

前に見えるのはコノハナサクヤとファストティターンのみ。

その先に直線が見えます。

いける!そう思ってさらに手綱をしごいた時でした。

 

(痛!!!)

 

加速しようとしたシャロンウィンドがいきなり進路をよれさせます。

 

「シャロンウィンド!? どうしたの!?」

 

明らかにおかしいシャロンウィンドの様子に慌てて私は手綱を引いて止めます。

 

『あ~っと、シャロンウィンドがいきなり止まった~!!!!

 ファストティターン先頭に立ってそのままゴールイン!!!!!

 いったいシャロンウィンドはどうしたんでしょうか!?』

 

(皐月!痛い!脚が痛いの!)

 

シャロンウィンドのその言葉に私は蒼白になりました。

 

「馬運車を!!!急いで!!!」

 

      ・

      ・

      ・

 

私はひたすら馬房の外で骨折したシャロンウィンドの治療が終わるのを待っていました。

獣医としての知識もなく妖精の体では中に入っても出来ることは何もありません。

自分に出来るのはただシャロンウィンド治療がうまくいくことを祈るのみです。

 

やがて山根先生が獣医さんを連れて出てきます。

私の顔を見た山根先生が沈痛な表情で口を開きます。

 

「秋葉、すまん。シャロンウィンドはもう助からない・・・」

 

 

・・・ いまなんと?

 

 

「単純な骨折ならつなぐことも可能だったが、粉砕骨折ではもはや脚が腐り落ちるのを待つだけだ。苦しませるぐらいなら楽にしてやった方が良い」

 

楽に・・・・・・つまりシャロンウィンドを安楽死させるって事ですか!?

 

「嫌!!!シャロンウィンドを死なせたりしないで!!!牝馬ならレースで走れなくたって、繁殖に回すことだって出来るじゃないですか!!!」

 

「そうできるものならそうしたい!だけど今回の骨折は、もうそういう段階じゃないんだ!すまないが諦めてくれ!」

 

「嫌!シャロンウィンドは絶対に死なせないんだから!!!」

 

そう叫んで馬房に飛び込んだ私の目に胴体を吊り上げて支えられたシャロンウィンドの姿が飛び込んできました。

その左前脚がまるでラグビーボールのように膨らみ力を失っているのが見えます。

 

(皐月・・・私はもう駄目みたいですね)

あまりに痛々しいその姿に言葉を失った私にシャロンウィンドが話しかけてきました。

 

「気弱なこと言わないで!!必ず助けてみせるから!!!」

 

(ううん、自分でも分かるの。もうこの脚に2度と力が戻ることはない事が)

 

「まだ諦めちゃ駄目!!助かる方法はきっとあるから!」

 

私はシャロンウィンドの首にすがりついて泣き叫びました。

 

(皐月、私はあなたに出会えて幸せでした。

 兄さんほどの能力がないことは私自身分かっています。

 だけどあなたと一緒に走っているときは実力以上の力を出して走り続けることが出来ました。本当にありがとう)

 

「そんな、嫌だよシャロンウィンド!!!別れの挨拶みたいなこと言わないで!!!」

 

シャロンウィンドにすがりついていた私は山根先生に捕まえられて引き離されます。

 

(もう行ってください。自分が死ぬところをあなたには見せたくないから

「いや~!!!離して~~~!!!」

 

私は山根先生の手の中で暴れ続けました。

私の目の前を注射器を持った獣医が入っていきます。

 

「お願い!私の翼を奪わないで!!!」

 

私の叫びに周りの人たちが唇を噛むのが見えます。

そして・・・ 

 

(ごめんね皐月、散歩の約束守れなくって・・・)

 

それがシャロンウィンドの最後の言葉となりました。

 

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あの後のことは正直虚脱状態で覚えていません。

寝ても起きてもシャロンウィンドと駆け抜けた思い出ばかり。

今が起きているのか寝ているのかもよく分からない状態が続きます。

 

でも、そんな状態でも季節は巡ります。

気が付けば時は4月に入り、私にとって2度目の【妖精狂いの季節】がやってきました。

どんなに落ち込んでいようと関係なく巡ってくるこの季節に反応してしまうこの体がいまはとっても疎ましく浅ましく感じられます。

でも沸き上がってくる衝動には反抗できず、シャロンウィンドを失った悲しみを忘れようと私は快楽の中に逃げ込みました。

 

「・・・ん、ぷは! もう、強引ですよ、皐月さん。あっ!・・・」

 

反論してくる成子ちゃんの唇をふさいで押し倒します。

 

「いまだけは、嫌なことを忘れさせて・・・」

「・・・皐月さん・・・」

 

成子ちゃんは目を閉じると私に身を任せてくれます。

 

こうしている間は、シャロンウィンドのことを思い出さなくて済む。

自分が騎手であることも忘れていられる。

 

私は獣のように快楽に溺れ続けました。

 

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「う、ん・・・」

 

そしてある朝、泥のような眠りから覚めると、さわやかな朝の光に気が付きました。

ここ数週間のけだるさが体から抜け落ちています。

 

「・・・・・・終わったのね」

 

そう私はぽつりと呟きました。

 

疎ましく浅ましいこの体。

だけど、いまは悲しみから逃げ込む理由が続いてくれた方がありがたかったです。

 

「う~ん・・・あ、おはようございます皐月さん」

 

「・・・・・・おはよう、成子ちゃん」

 

そのままボ~としながら服を着て、窓の外を眺め続けます。

頭の中は真っ白というか、何か考えるとシャロンウィンドの思い出が浮かんできて辛いので、何も考えたくありません。

 

「こんな辛い思いをするぐらいなら騎手辞めちゃおうかな・・・」

 

そうポツリと呟きます。

 

「本気ですか?!皐月さん?!」

 

「・・・正直、自分でもどうして良いか分からない。

 でも騎手を続ければ、きっと同じような思いをまた味わうことになる。

 自分の大切な翼を失う喪失感をまた・・・そう思うとね・・・」

 

私の言葉にしばらく黙り込んだ成子ちゃんが言います。

 

「でも皐月さんの翼はすべて失われたわけではありませんよね。

 あなたが騎手を辞めてしまったら、残された馬たちはどうなるんですか?」

 

「・・・」

 

「それにあなたが馬たちを走らせる姿に勇気づけられてきたみんなになんて言うんです?」

 

「・・・」

 

私は成子ちゃんの言葉にも応えずジッと膝をかかえて虚空を見つづけます。

 

「あなたの馬に乗る姿が好きだったのに・・・

 こんなに簡単に夢を諦めてしまうなんて見損ないました!!!」

 

そう言うと成子ちゃんが外に飛び出していきました。

 

静けさを取り戻した部屋の中で抱え込んだ膝に顔を埋めたまま私は呟きました。

 

「ごめんね、成子ちゃん。だけどいまはもう馬に乗ることが怖くて仕方がないの・・・」

 

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     ・

 

その後、私の引退発言を成子ちゃんから聞いたのか、次々といろんな人がやってきます。

 

厩舎の関係者やJRAの役員さんはいうまでもなく、田邊オーナーや三上牧場長まで。

さらには、いままでに乗った馬のオーナーさんや調教師の先生達も。

故郷からは両親をはじめとしてクラスメートや町長さん。

ファン倶楽部人たちまで含めて、代わる代わるやってきてくれます。

 

ですが、シャロンウィンドを失って虚ろになった私には

必死に引退しないように説得する声も

もう一度レースが見たい・復帰を信じているというファンのみんなの声も

自分の体のことを気遣ってくれている声も

すべてがどうでも良いことにしか感じられず、膝をかかえてベットの上に座り続けるだけの日々が続きます。

 

何故あの時、もっとシャロンウィンドの脚を気遣ってあげられなかったのか・・・

後悔に身も心も苛まれ、私はひたすら自分を責め続ける事しかできません。

 

私はただひたすら虚空を見つめて座り続けていました。

 

 

どれほどの時間を座り続けていたのかは知りません。

訪れた人たちが次々に反応のない私に諦めたように首を振って帰って行き、やってくる人がまばらになった頃でした。

 

「なんや、秋葉も案外つまんない奴やな」

 

そんな声が聞こえてきました。

 

「あれぐらいのことで潰れてしまうようじゃ、一流の騎手にはなれんわ」

 

あれぐらい・・・あれぐらいのことですって???!!!

 

「たかが一頭の馬の生き死にごときで、それだけ一喜一憂しているんじゃ、この先やっていけんよ」

 

この言葉に虚ろになっていた頭の中が一気に真っ赤に染まりました。

 

「・・・たかが・・・シャロンウィンドがたかがですって!!!」

 

私は立ち上がって声の方を睨み付けます。

 

「そう、たかが一頭や。

 シャロンウィンドがどれだけ大切な馬だったかは分からんけど、秋葉が騎手を続けるなら一生のうちに会う馬のたった一頭や」

 

「柘植さん!!!あなたには分かりません!!!自分の翼を奪われる苦しみは!!!」

 

私は壁にもたれかかった柘植さんに叫びました。

 

「ほんなら秋葉はこれから一頭の馬が予後不良になる度、そやって鬱ぎ込むんか?

 あまったれるんやないで。競馬を続ければこうした事は付きものや。

 それがわからんなら騎手を辞めるしかないで」

 

「・・・」

 

騎手を辞める。

いままで鬱ぎ込んでいたせいで直視できないでいたけれど、このままいけばそれしかありません。

 

でも、現実に辞めようと考えたときに、今まで私を助けてくれた人たちの顔が思い浮かびます。

このまま本当に辞めても良いの???

自分自身に問いかけをしていますが、答えは出ません。

 

また馬に乗ったとき、シャロンウィンドのようなことになったら・・・

そう思うと体が震えて騎手を続ける勇気が出ません。

 

私はどうしたら良いんでしょう。

 

黙り込んで立ちつくす私に向かって柘植さんが話し始めました。

 

「少し昔の話や。

 一人の若手騎手がおってな、そいつがたまたま出会った馬に初めてのGⅠ勝利をプレゼントされたんや。その後、こいつらは連勝街道を走り続けることになる。

 だけどな、どんな強い馬でもそうそう連勝なんか続けることが出来るわけがないんや。

 あるレースで勝つことが当然と思われていたそいつらが負けそうになったとき、負けるまいと騎手は鞭をいれたんや。

 その次の瞬間やったな、馬が走りを止めたのは。

 無茶をやった結果、馬は予後不良。

 騎手は散々自分を責めたよ。なんであの時、鞭を入れたんだってな」

 

・・・・・・それってもしかして?

 

「でもな、どれだけ後悔しても馬は戻ってこないんや。

 泣いても喚いても失ったものは取り戻せない。

 だったら自分に出来ることは二度とそうした馬を出さないようにしてやることだけだと気がついたんや。そうしてそいつは騎手としてやっていく覚悟を決めたんや」

 

「・・・それって柘植さんの事ですか?」

 

「まあな」

 

柘植さんは顔を赤くして頬を掻いています。

 

「なあ秋葉、競馬をやっていればこうしたことは付きものや。

 自分も何頭の馬を見送ってきたかわからんくなるぐらい見送ってきとる。

 それが未勝利馬でもGⅠ馬であっても起こるときはどうしても起こるんや。

 そういうときにな、次の馬に乗るときは自分も怖いんやで。

 また故障させてしまったらどないしようってな」

 

「・・・柘植さんは・・・どうやって乗り続けてるんですか」

 

「騎乗を振り返って反省する。

 して自分の騎乗に非があれば二度と繰り返さないように誓う。

 けどやってしまったことを後悔はせえへん」

 

「反省しても後悔はしない?」

 

「そや。自分がそのとき持てる精一杯の力で馬に乗った結果であれば、それは受け止めなければあかんと思う。

 そしてより高いところに向かうための力にするんや。

 後悔はただ単に、過去の自分に縛られているだけやからな」

 

「・・・」

 

「自分は馬の言葉は分からん。でも、いつもあいつらの言いたいことを分かってやりたいとは思っとる。

 秋葉が最後にシャロンウィンドとどんな話をしたかはしらんけど、きっと恨み言は言っていなかったんやないか?」

 

(皐月、私はあなたに出会えて幸せでした。

 兄さんほどの能力がないことは私自身分かっています。

 だけどあなたと一緒に走っているときは実力以上の力を出して走り続けることが出来ました。本当にありがとう)

 

私の胸の内にシャロンウィンドとの最後の会話が浮かびます。

 

「秋葉はあのとき出来るベストは尽くしていたはずや。

 それでも事故は起きるときは起きる。

 だったら自分に何が出来るかを考えて前に進むことがシャロンウィンドの死を無駄にしないこととちゃうやろか?」

 

「・・・そうですね」

 

私はなにを迷っていたんでしょう。

このまま騎手をやめてしまえば、シャロンウィンドに顔向けできなくなるところでした。

 

このまま騎手を辞めるわけにはいきません!!!

私はシャロンウィンドを失って初めて顔を上げました。

 

「ふむ、どうやら続ける気が出てきたようやね」

 

「柘植さん、ありがとうございます。大切なことを教えてくれて」

 

「礼なら自分だけに言わんと、みんなにも言わんとね」

 

そう言って柘植さんが扉を開きました。

そこにはいままで私を支えてくれたみんなの姿がありました。

 

「みんな・・・どうして?」

 

「みんな秋葉が最後には立ち直ることを信じてたからや。

 自分が頼まれもせんのにこんな似合わん恥ずかしい役引き受けるかい」

 

そういって顔を赤くして横を向いた柘植さんの横を通ってみんなが部屋に入ってきます。

 

口々に立ち直ったことを喜んでくれるみんなの笑顔に私は包まれました。

いままで自分一人でいじけていたことが恥ずかしく、みんなに向かって私は頭を下げました。

 

---------- 

 

「おまたせ、コスモスウィンド。すっかり待たせちゃったね」

 

(まったくだ。だが待たせられたぶん、きっちり借りは返してもらうぞ)

 

「うん、今度のレースは勝ちに行こう」

 

騎手復帰した私を待っていたのは8日間の絶食で衰えた体を元に戻すためのトレーニングでした。

 

当然ながら天皇賞には間に合うはずもなく、柘植さんとロードグリーンのコンビがケイセイミキサーを下して勝利を収めました。

NHKマイルカップでのイシノシズクへの騎乗も見合わせになってしまい、今回のことでまたあちこちに迷惑をかけてしまいました。

 

あれから3週間ほどトレーニングをしながら痩せ衰えた体を元に戻してきて、ようやく騎乗許可を貰えました。

 

これから向かうは春の締めくくりともいえる宝塚記念です。

天皇賞を逃した以上、春の長距離GⅠはこれしか残っていません。

必ず勝って見せます!!!

 

 

宝塚記念は2200mという微妙な距離です。

先行でスピードを生かして押し切るか

足を貯めて最後の瞬発力勝負にするか

それとも持久力がものをいう大逃げ勝負に打って出るか

長距離が得意な馬にもマイルが得意な馬にもそれぞれにチャンスがあるレースです。

 

それだけに騎手がどんな作戦を取るかは重要です。

 

「ねえ、コスモスウィンド。私としては思い切って得意な先行でスピード勝負に持ち込みたいんだけど」

 

(つまり駆け引き抜きで純粋に実力勝負をしようと言う訳か)

 

「うん、2200mをスピードで押し切るようにしたいんだ。それがあなたの力を一番引き出せると思うし」

 

(分かった。目もくらむような早さで駆け抜けてみせるさ)

 

「うん、期待してるわ。それじゃもう少し練習に付き合ってね」

 

(了解。はやく本調子を取り戻してくれよ)

 

宝塚記念までに、長期のお休みで失った勝負勘を取り戻さないと。

 

     ・

     ・

     ・

 

宝塚記念までに勝負勘を取り戻すためには前哨戦が大事です。

そんなわけで、私はブラディーメアリーと一緒にエプソムCに参戦しています。

 

(重賞2勝目が掛かってるんだから、絶対に勝ちに行くわよ!!!)

 

「うん、負ける気なんかないよ。頑張ろうね」

 

今日のレースは1800m

ブラディーメアリーは勝ち気な逃げ馬なので、宝塚記念の前哨戦としてもってこいです。

 

ゲートインが完了していよいよスタート。

 

 

【バシャ~ン!!!】

 

 

各馬一斉にスタートした中、弾丸のようにブラディーメアリーが先頭に飛び出しました。

後ろとの差を気にしながら足を使いすぎないように気をつけて走らせます。

ブラディーメアリーのスピードなら押し切ることも不可能じゃありませんが、勝てるレースを無理な展開で進めることはありませんからね。

 

やがて最終コーナーがやってきます。

 

「いくよ、ブラディーメアリー!!!」

 

そういって手綱をしごこうとした瞬間でした。

私の頭の中でシャロンウィンドの事故シーンがフラッシュバックしました。

 

(皐月!?)

 

突如動きの無くなった私に戸惑うブラディーメアリーの声が聞こえます。

後ろから追い上げてくる蹄の音が聞こえます。

はやく合図をしないと!!!そう気持ちは焦ります。

ですが、どうしても腕は動いてくれません。

 

(く、いくわよ!!!振り落とされないようにつかまってて!!!)

 

ブラディーメアリーが合図なしに加速します。

そのままなんとか追い上げを振り切ってゴールインします。

 

『ブラディーメアリー、逃げたままゴールイン!!!

 2着にミクニノホマレが入った模様。

 最後逃げ足が鈍ったブラディーメアリー、よく逃げ切りました。

 秋葉皐月騎手はこれで今年重賞3勝目、ブラディーメアリーは重賞2連勝となります』

 

なんとか勝ったとはいうものの、それはブラディーメアリーのおかげであって、自分の力じゃありません。

勝利の実感は全くわいてきてくれません。

 

(いったいどうしたのよ!?もう少しで負けちゃうところだったじゃない!)

 

「ごめん、メアリー。合図しようと思ったときに、シャロンウィンドの事を思い出しちゃって」

 

(シャロンウィンドの?)

 

「うん、あの時の事を思い出したら怖くなって手綱を持つ手が動かなくなっちゃったの。私、まだ振り切れていないのかな、あなた達を失う恐怖感を」

 

私がそう言うと、ブラディーメアリーが黙り込みます。

 

「メアリー?」

 

(・・・ふざけないで・・・)

 

「え?」

 

(ふざけるなって言ってるのよ!!!)

 

私はブラディーメアリーから伝わってくる怒りの感情に圧倒されました。

 

(私たちは走るために生まれてきたの!!!それが思いっきり走ることが出来ずにいるぐらいなら、なんのために生きてるのよ!!!)

 

「メアリー・・・」

 

(私は皐月と出会うまで思いっきり走れなかったのに、あなたと出会えてからは全力で走ることができたのよ?それがそんなことで私の力を引き出してくれないなら、あなたを選んだ甲斐が無いじゃない!!!)

 

ブラディーメアリーから真剣な想いが伝わってきます。

 

「そうよね。シャロンウィンドも全力で走れたことが嬉しいって言っていたし。

 ごめんね、次からこんな感情に負けないでレースに向かうわ」

 

(約束よ?もう二度とこんな不甲斐ないレースはしないでちょうだい)

 

「うん、約束する。次に乗るときは、かならずもっと強い心を持ってきて見せるわ」

 

強い心を持ちたい。

もし事故になれば大切な翼を失う恐怖感はいまでも消えません。

でも、それ以上に私は大切な馬たちからもらった言葉を大切にしたい。

私に出来るのは全力で馬を走らせることだけ。

だけどそれこそが馬たちの幸せなのだとしたら・・・負けるわけにはいきません。

 

     ・

     ・

     ・

シャロンウィンドを失ってからすでに三ヶ月。

自分が立ち直るまでに本当にいろんな人に迷惑をかけました。

 

・・・いえ、人だけじゃありませんね。

私が乗る馬たちにも迷惑をかけました。

 

妖精になって以来いろんなことがありましたけど、今回のことがいちばん精神的にきつかったかも知れません。

そんなとき、支えてくれるみんながいるっていうことは有り難いことですね。

 

今日はいよいよコスモスウィンドと挑む宝塚記念。

復帰後初のGⅠレースとなります。

 

この前のエプソムCは自分の力で勝ったとは言えませんから、事実上これが復帰初レースといえるんじゃないでしょうか。

 

「皐月さん、着替えここに置きますね。」

「ありがとう小谷さん。」

 

レースまでの時間が待ち遠しく感じられます。

私は置かれた長靴や鞭の手入れをしてゆっくり気持ちを落ち着けます。

レースの準備をしながら時間を潰していると。

牧瀬さんが近寄ってきました。

 

「皐月ちゃん、今日はよろしくね」

 

「ええ、よろしくお願いします。ブラックウィドウ号の調子はどうですか?」

 

「いいわよ。もっともあなた達相手じゃ掲示板に載れれば御の字だけど」

 

「そんなことないと思いますけど」

 

お互い軽口を叩き合いながらレースの準備を整えます。

 

私は騎乗帽を被り、手に鞭を持つと立ち上がりました。

 

「いい顔になったわね。このお守りは必要ないかな?」

 

牧瀬さんが小さなお守りを渡してくれました。

 

「なんですかこれ?」

 

「シャロンウィンドのたてがみよ。きっと皐月ちゃんを守ってくれるわ」

 

「シャロンウィンドの・・・」

 

私はお守りを胸に当てて呟きました。

 

「それを持っていれば、シャロンウィンドと一緒に走れるでしょ?」

 

「うん・・・ありがとう、牧瀬さん」

 

やがて騎乗が始まります。

 

「お待たせ」

 

(ああ、待っていたよ)

 

コスモスウィンドの背に乗った私はそっとコスモスウィンドに話しかけました。

 

「ねえ、コスモスウィンド。このレースはシャロンウィンドと一緒に走るんだよ」

 

(? どういうことだ?)

 

私はお守りのことを話して聞かせました。

 

「そういうわけで、絶対に今日のレースはもらいに行くよ」

 

(もちろんだ、必ず勝とう。たとえ足がちぎれてもゴールしてみせるさ)

 

パドックでの応援してくれているみんなの掲げる横断幕が見えます。

馬場入場していくときのスタンドの歓声。

返し馬後の待機所でのみんなとの軽口の叩き合い。

すっかりいつものペースです。

 

やがてゲートインが始まって、いよいよスタートです。

 

 

【バシャーン!!!】

 

 

一斉にスタートして飛び出したのはコスモスウィンドと・・・ロードグリーン???

 

『各馬一斉にスタート!!!一気に前に出たのはコスモスウィンドとロードグリーン!!!2頭とも一気にスピードで押しきる作戦か?』

 

「やってくれるわね柘植さん。コスモスウィンドのスピードを追い込むには距離が足りないと見て、最初からスピード勝負に持ち込んできたわ」

 

(それならそれで面白い。駆け引き抜きの本当の地力勝負に出来る!!!)

 

コスモスウィンドとロードグリーンは馬体をあわせたまま一歩も譲らずに進みます。

タイミングを逃した後続は一頭としてついて来れません。

 

いや、足を貯めて最後のコーナーに備えている馬もいるみたいですね。

でも、今日の私たちは普通じゃないんです。

 

2頭は並んだまま第3コーナーに突入していきます。

 

「さあ、ここからよ。相手も苦しいけど、頑張って」

 

(ああ、いくぞ)

 

普通なら進入時点で少しスピードを落とすところですが、逆にコスモスウィンドはスピードを上げて前に出ます。

そこに負けじとロードグリーンもついてきました。

 

やがて最終コーナーの出口が見えてきて・・・私は手綱で合図を送ろうとしました。

 

その瞬間フラッシュバックがよぎります。

この手綱をしごけば、またあんな事になるかも知れない。

そんな弱気が顔を覗かせます。

 

だけど・・・私は胸元にしまったお守りに左手を当てました。

 

シャロンウィンドは全力で走れて幸せだと言った。

ブラディーメアリーは全力で走れないぐらいなら生きている意味がないと。

コスモスウィンドは足がちぎれてもゴールしてみせると。

 

馬に乗ることしかできない私がその想いを裏切るわけにはいきません。

 

弱い心に勝つなら今しかないんです!!!

 

私が止まっていた右手を振るった瞬間、コスモスウィンドがさらに加速しました。

 

 

『ここまでハイペースで来たコスモスウィンドがさらにスパートをかけた!!!

 追走してロードグリーンもきた~!!!

 誰がこんなレース展開を予想したでしょう!!!

 後続は全くついて行けない!!!』

 

ゆっくりとロードグリーンが迫ってきます。

でもコスモスウィンドの足は鈍ることを知りません。

ロードグリーンを頭一つ押さえたままコスモスウィンドはゴールを駆け抜けました。

 

『ゴールイン!!!外のコスモスウィンドが若干体勢有利か!?

 信じられないほどのハイペースなマッチレース。

 え~ただいま手元の時計で確認したところ、タイムは2分9秒台。

 これが本当なら2頭とも日本レコードです!!!』

 

「勝ったね・・・」

(ああ、勝ったな)

 

勝利を確認しあう私たちのそばに柘植さんが近寄ってきます。

 

「おめでとうさん。手を抜いたつもりは無かったが、この距離をスピードで押しきられたらさすがについていけんかったわ」

 

そう苦笑いしながら柘植さんが手を差し出してきます。

 

「ありがとうございます」

 

私はその指先を握って握手しました。

 

「秋には雪辱するで。またええレースをしようや」

 

柘植さんは手をヒラヒラと振りながら計量所の方に下がっていきました。

 

私達がウィニングランでスタンド前を走ると歓声があがります。

 

スタンドのあちこちに今回の件で心配させた人たちの顔が見えます。

私は誇らしげに顔を上げスタンドに向かってお辞儀をすると、大歓声が沸き上がりました。

 

約束します。

自分の進む道をもう2度と迷わないと。

 

もういちど私は決意と共に深々と頭を下げました。

 

      ・

      ・

      ・

 

その夜、祝勝会から戻った私は、そっと夜空に向かってコスモスウィンドと飛び立ちました。

夜風に乗った私たちはしばらく散歩を楽しみました。

 

やがて私は持ってきたシャロンウィンドのたてがみを胸元から取り出して話しかけました。

 

「ごめんねシャロンウィンド、約束の散歩をこんなに待たせて」

 

私はコスモスウィンドの背に乗せてきた優勝杯を振り返ります。

 

「あなたがくれた勝利だよ、シャロンウィンド。

 あなたが私を真の意味で騎手にしてくれたんだもの。

 本当に感謝している。

 あなたのことは絶対に忘れないわ」

 

そう呟いた私はたてがみを風の中に離しました。

月灯りにてらされて風に舞ったシャロンウィンドの毛がきらきら輝き、そして闇の中に消えていきました。

 

それを見送りながら私はあの日言えなかった言葉を呟きました。

 

 

「ありがとうシャロンウィンド、そしてさようなら・・・」

 

 

 

To be continued




今回の話は競馬関係者、いや競馬ファンならもっとも聞きたくない言葉の代表【予後不良】でした。
はっきり言えば書いていた時は、こんなに苦しい思いをするなら書くのを止めたい、そう思って何回も筆が止まりました。ですが、皐月が一流騎手として成長するにはどうしても避けて通ることの出来ない試練です。
逃げずに書くしかないと腹を決めて書き上げました。

皐月はこの翼を持っているが故に、どうしても並の騎手とは比べものにならないショックを受けトラウマも抱えてしまいます。
ゆえに立ち直らせるシーンではとんでもなく手こずりました。
というか筆者自身がシャロンウィンドの予後不良を書いた後、しばらく立ち直れなかったんですが・・・
皐月の援助役には牧瀬さんと柘植さんのどちらを選ぶかも悩みどころでした。
ですが閉ざされた心の壁を開くには激情しかないということで、ライバルにご登場願いました。
苦戦はしましたがなんとか納得できる形にもっていけたのではないでしょうか?

さて、次話はまたちょっとドタバタ風味で送りたいと思います。
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