あったかも知れない世界線の彼女の人生

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第1話

 眼前の闇の中で、数え切れない程の光が生まれていた。それは憎しみの光であり、死そのものであった。

 

 コロニーが、壊れていく。1つ目の巨人の放つ戦術核の弾頭は幾つもの小太陽を生み出して宇宙の揺りかごに醜い風穴を開ける。着弾点近くにいた者は文字通り焼け焦げて絶命し、水と空気と瓦礫と、そして生きた命が嵐に巻き込まれて虚空に吸い出される。必死にコロニーを守ろうとしていた軍艦は巨人に群がれたと思えば船体がへし折れて爆発した。

 

 地獄。幼い少女にとっては正に己を形作る全てを失う地獄の光景だった。 

 

 宇宙世紀0079、1月3日。地球から最も遠いスペースコロニーサイド3はジオン公国を名乗り地球連邦政府に宣戦布告した。……そんな事は当時の彼女には分からないし、どうでも良い事だった。ただ、この場を生き残る事が最優先だった。

 

「きゃっ!!?」

 

 宇宙港が吹き飛んだ。幼い少女は乗っていたプチ・モビルスーツ……宇宙作業用の建設機械……ごと宇宙に投げ出される。

 

「いやっ!?いやぁ!!?」

 

 上も下も分からなくなって、目の前のレバーを半狂乱になって動かして、姿勢制御バーニアを出鱈目に吹かしてしまってあっという間に推進材切れとなって、それでも溺れるように手足を動かして、それも直後に目の前に一つ目の巨人の赤い眼光に凍りつく。

 

「……っ!!?」

 

 メインカメラでプチモビとそれを操縦する少女の姿を目撃して、巨人は暫し沈黙すると関心を失ったかのように過ぎ去っていく。たかが子供の乗り込むプチモビに構う暇はない。ザクのパイロットは味方からの応援要請で必死に足掻く大破したマゼラン級に火力を集中させる必要があったのだ。

 

 ……操縦席に座る子供にはそんな事情は分かる訳がない。いや、薄らと感じていたがそれは余りにも気紛れで、一つ違えば己が蝿のように叩き潰される事が分かっていた。

 

 だから少女にとってはザクが完全に通り過ぎるまで油断は出来なくて、逆鱗に触れぬように、意識から外れるように己を何処までも押し殺して、その後には緊張がほどけてノーマルスーツの中で失禁までしてしまっていて……。

 

「おとうさん……おかあさん……」

 

 そしてそんな事すら気にする暇もなかった。崩壊するコロニーを涙目で見つめて、少女は己の帰るべき家が、家族が、故郷が、永遠に失われた事だけを理解した。

 

 ……何れだけの時が経たであろうか?プチモビの中で身体を丸めて、まるで死んだように少女は沈黙する。何も食べてない。何も飲んでいない。全て垂れ流しで、酸素だってもう残り僅かだ。

  

 もうどうなってもいいや。どうせ全て終わったのだ。何も残っていないのだ。ここで朽ち果てる方がマシかもしれない。死んだら、家族に会えるかもしれないし……。

 

『せい……いな……だれ……』

 

 プチモビの無線機が雑音混じりの声を吐き出し始めた。戦闘から時を経て、ミノフスキー粒子の濃度が低下したためであった。全ての回線からその声が響き始める。

 

『誰か……生存者……此方連邦宇宙軍……第……頼む。生きている者がいたら返事をしてくれ!!』

「……」

 

 少女の首が僅かに上がる。救助隊の通信だった。少女は迷った。それに応答するべきなのかを。

 

 もう何もない。誰もいない。生きていたって仕方ない。それなのに、生きたいのか?生きていても、辛い日々が待っているだけではないか?少女は生きる気力を失っていた。

 

 だから、少女は無線を切ろうとして……。

 

『頼む!諦めないでくれ!!応答してくれ!!助けさせてくれ!!君を、救わせてくれ……!!』

「っ!たすけて!!」

 

 言い様のない感情。がむしゃらな無線機の向こうからの声を、感情を、少女は全身に感じて、気付けば応答していた。嗚咽を漏らして、必死に叫んでいた。

 

「たすけて!おねがい!死にたくない……!死にたくないよぉ!!」

『っ!!?子供!?大丈夫だ!直ぐに助けてやる!無線、逆探知出来るか……!!?』

 

 必死の訴えに、救われたような無線機からの声。複座なのだろう、無線機の向こうから会話が聞こえて来る。それは少女にも直ぐに見えるようになった。

 

 セイバーフィッシュ。カモノハシと呼称されるその複座型の、救難仕様だった。不細工面の機体は、しかし今の少女には王子様の乗る白馬にすら思えた。

 

 そして、彼女はプチモビのガラス張りのハッチを開いて、手を伸ばして……。

 

 

 

 

 

 

「んっ……?」

 

 チュンチュンと、小鳥の囀ずりに彼女は目を醒ました。目元を擦って眠気を散らす。深く息を吐いて既に朧気になりつつある夢を思い返す。

 

 彼女にとって最悪の記憶で、彼女にとって希望の記憶で、そして今に続く大切な記憶で……思わず己の胸を抱く。「今」が本当に現実なのだと確かめるように。これが夢なんかじゃないと確かめるように。

 

「……って!!?」

 

 そしてはっとベッドから立ち上がる。慌てて立ち上がって、シーツに足を滑らせて転げてしまった。ドスン、と大きな尻餅の音が鳴り響く。ノックと共に扉が開く。

 

「大丈夫か?凄い音がしたが……」

「大丈夫よ……ごめんなさい。寝坊しちゃった」

 

 部屋に首だけ出して覗く彼に向けて、尻を撫でながら顔を赤らめて謝罪する。本当に駄目な女だと思った。未だにこの人を心配ばかりさせてしまって……。

 

「シャワーを浴びて来なさい。朝食の用意はしておいた。上がったら食べようか?」

「今日の当番は私だった筈だけど……?」

「いやなに、流石に昨日はな。……余り無理はさせたくないと思ってな」

 

 苦笑。すまなそうな表情を浮かべる彼に、昨夜の事を思い出して彼女は更に頬を赤らめる。暫く会えなくなるからと、昨日は少しハメを外し過ぎた。思わずシーツで己の華奢な身体を包み込み、シーツに染み込んだ臭いに更に恥ずかしくなる。

 

「……出ていって」

「あぁ。分かったよ。ニャアン」

 

 拗ねるように要求すれば、彼は笑って部屋を出ていった。鳶色髪の少女は、昨夜の事を思い返すと悶絶しながらシーツに顔を埋めていた。

 

 彼の臭いがたっぷり染みこんだシーツに……。

 

 

 

 

 

 

 朝食はトーストに半熟玉子の目玉焼き。ソーセージにサラダ。チーズにスープ、そして紅茶……所謂イングリッシュ・ブレックファストであった。香ばしく爽やかな香りは朝から食欲を誘う。

 

「……にしては手が動いていないな?」

「理由くらい分かっている癖に」

 

 彼の作った朝食が嫌いな訳ではなかった。しかし、それ以上にニャアンは怒っていた。彼の為した事を、彼が起きてから為した家事について。いや、彼が起きたその瞬間の所業から。

 

「どうして起こしてくれなかったの?」

「君がぐっすり寝てしまっていたからだろう?」

「ひっぱたいてでも起こしてくれたらいいのに」

「流石にそれはね」

 

 昨日の行為が余りにも長くて、余りにも激しくて、元々体力のないニャアンは普段ならとっくに起きている時間に死んだように寝込んでしまい、彼はそれを起こすつもりにはなれなかった。

 

「だからって……」

 

 ニャアンは納得出来ても納得出来なかった。無理にでも起こして欲しかった。一緒にシャワーを浴びたかった。朝食を作ってあげたかった。それなのに、これでは……余りにも情けない。

 

「……なぁに、直ぐに帰って来るさ」

「本当に?前はそんな事言って半月も帰って来なかったでしょ?」

「それは……仕方ないさ。仕事だからな」

「……」

 

 仕事……そう言われてしまえばニャアンには返す言葉がない。身寄りのない戦災孤児であった己が今も食べて行けるのが誰のお陰なのかくらい理解していた。彼がいなければ今頃自分がどうやって食いつないでいたのか、考えるだけで恐ろしい。いや、そもそも彼がいなければ自分はあの時死んでいたかも知れない。

 

 分かっている。もう子供じゃない。ルナツーの部屋で駄々を捏ねていた頃とは違う。分別くらい出来ている。だけど、だけど……。

 

「心配するな。大丈夫、俺は帰って来る。必ずな。これまでだって、そうだったろう?」

「……」

 

 ニャアンはコクっと頷いた。彼は約束を違えた事がない。必ず帰って来た。それこそ7年前の戦争も、4年前の紛争にも、数えきれぬ任務にも……。

 

「……」

「ニャアン……次、帰ったら伝えたい事がある」

 

 食事の手を止めて共に沈黙してしまい、先に口を開いたのは彼であった。

 

「……何?今じゃ、駄目なの?」

「あぁ。もう少し、次の任務が終わったらな?」

 

 彼に似合わぬ迷い、焦燥の感情をニャアンは察していた。しかしそこに温もりがあって、言い様のない歓喜を抱いていて、ニャアンは彼に言葉を受け止めるしかなかった。彼に我が儘をいって迷惑を掛けたくない。喧嘩なんて、論外だ。

 

「……分かった。待ってる」

「悪いな。留守番ばかりさせて」

「いいの。こうして家を守っているのは嫌いじゃないわ。貴方が帰る場所だもの」

 

 そうして幼さの残る表情でニャアンは精一杯健気に微笑んだ。彼を心配させぬために。彼に帰って来てもらうために。

 

 本当は、彼のいない夜が何処までも怖い癖に、堪え忍んで笑ってみせる。

 

「……そろそろだな」

「着替え、手伝うわ」

「あぁ。頼む」

 

 時計を見て、互いに立ち上がる。彼が仕事着を着込むのを手伝う。黒地に、赤いラインの入った軍服を……。

 

「貴方」

「ニャアン?っ……!?」

 

 玄関先での呼び掛けに振り返った彼にニャアンは口を重ねた。軽い挨拶のフレンチキス。けれど啄むように、そして溶け合うように、舌を捩じ込んで、少しでも彼と体温を混じり合わせるように……何時までも、何時までも。

 

「……!流石にもう不味い」

「っ!?ご、ごめんなさい!」

 

 余りにもしつこ過ぎて、滅多に止めない彼が口を先に離す。伸びる糸が切れてしまって寂しく思えて、不貞腐れそうになって、そんな気持ちを押し殺して謝罪して、ハンカチで彼の口元を拭き取る。口紅をしてなくて本当に良かったと思った。彼に痕が残っていたら笑われかねない。

 

 スペースノイドの自分と同棲しているだけで彼の昇進の枷になっているのは知っていたから……。

 

「貴方?」

「折角だ。このハンカチ、貰っても?御守り代わりさ」

 

 ハンカチを掴んで、彼の提案にニャアンは目を丸くして、そして微笑んで頷いた。

 

「ありがとう」

 

 彼がハンカチを丁寧に折り畳む。ポケットに仕舞いこむ。そして……敬礼して己の名と肩書を宣言した。

 

 ティターンズらしい、優美な敬礼と共に、敬礼し終えて、キリッとした表情をおどけさせて見せて……それは部下達にも見せぬ、彼女だけの知る笑顔であった。

 

「くすくす。……貴方、いってらっしゃいませ」

 

 そして、そんな彼にニャアンは愛らしく笑いながら手を振って見送るのだった。

 

 

 

 宇宙世紀0087、3月2日。地球連邦軍特別治安維持部隊ティターンズ、アレクサンドリア隊に所属する最愛の人の、その出勤する背中を見送るスペースノイドの少女は、少なくとも彼女自身にとっては幸せの中にいたのであった。

 

 だからこそ、彼女は知る由もなかった。この別れが今生のものになるなんて事を。

 

 再び、歴史は嵐の時を迎えようとしているなんて事は、この時は……。

 

 

 

 


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