Fate/Next   作:真澄 十

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Act.10 嵐の前

「“では次のニュースです。○○県冬木市で、昨夜未明に殺人事件が起こりました。被害者一家は自宅内に押し入った犯人によって何らかの方法で殺害されたとの情報です。”」

 

「んー。また物騒な話ね。桜ちゃん、士郎?戸締りはしっかりするのよ?士郎と凛ちゃんはあまり夜歩きしないこと!」

 

 めっ、と人差し指を突き出す。こういうところは教師らしい。言うことはちゃんと言うようだ。そして我関せずと食事を続けるセイバー。お願いだからちょっとは空気を読んで。

 

 しかし、これは軽視できる事態なのだろうか。士郎さんと遠坂さんの様子は尋常ではない。空気を壊さないようにすぐに平常を取り戻したが、あの一瞬の表情はただ事ではなかった。

 やっぱり、聖杯戦争絡みだろう。何の目的があるのか知らないけれど、きっと私と同じパターン。常軌を逸したサーヴァントないしマスターが、凶行に走ったということなのだろう。

 

 ―――また思い出してしまった。ローブの魔女ではなく、父と母の死体。父は殆ど跡形もなく、母は心臓を一突きにされて死んだ。前者はもはや人ではなく、ただの肉塊だった。後者はまるで眠っているようだった。

 

 ああ、そうよ。私と同じような境遇の人を一人でも減らせるなら、私にそれが出来るなら、出来ることをやろうと決めた。それが、私が士郎さんと遠坂さんと結託した理由。この二人ならきっと信用できる。そう思った。

 

「藤村先生?そろそろ行かなくて大丈夫ですか?」

「え?あ、あー!マズイわ!」

 

 教師ともなると朝は早いのだろう。ちょっとテレビに気をとられすぎたせいか、時間がおしているようだ。

 すごい勢いで食事をかきこむ藤村さん。不思議なことに私には皿の中身が消滅したようにしか見えない。消滅イリュージョンの一種だろうか。

 

「いってきマース!」

「こけるなよ、藤ねえ!」

 

 そして嵐のように立ち去って行く。本当に元気な人だ。一方私は眠い。昨夜は寝てない上に、ハードだった。実際のところハードどころじゃなかったけれど、疲れたことには違いない。

 

「八海山さんは寝ていないのですか?何だか眠そうです。」

 

 ありゃ。顔に出ていたか。ちょっと反省。

 

「ええ…その、今朝まで観測をしていたもので…。」

 

「あら、じゃあ皆さん寝ていないんですか?」

 

「ええ、そうよ。だから朝食が終わって一息ついたら寝させていただくわ。桜は今日も学校でしょう?」

 

「はい。私もそろそろ行きますね。先輩、申し訳ないんですけど、後片付けお願いできますか?」

 

 残った全員がほぼ同時に食事を終え、桜さんが席を立つ。どうやら桜さんもあまり時間に猶予はないらしい。そそくさと部屋の隅に置いていた鞄を拾い、時間を確認する。士郎さんは手際よく食器を流しへと運んでいる。

 

「ああ、気にしないでいいよ。」

 

「すみません。では行ってきますね。」

 

 藤村さんと違い、ぱたぱたという音を立てて玄関へと向かっていった。うーん、遠坂さんも美人だけど、桜さんも違った方向で美人だと思う。悔しいけどこの二人には適わないかも知れない。

 

「さて、魔術師(わたしたち)だけになったところで、大事な話ができたわ。士郎も片付けは後にしてちょうだい。」

 

「わかった。」

 

 桜さんが家を出て行ったのを確認するや否や、遠坂さんが切り出した。基本的にリーダーシップを発揮するのは遠坂さんのほうらしい。

 

「さっきのニュース、士郎はどう思う?」

 

「…サーヴァントの仕業、と思うのが妥当じゃないかな。

 

「私もそう思う。でもそんなことをする理由があるの?」

 

 そう。今までそれが分からなかった。私の父と母が殺された理由。サーヴァントが人を襲う理由が、そっくりそのまま答えになるのではないだろうか。

 

「…人の魂を喰うためよ。」

 

「人の、魂を…?」

 

「澪、サーヴァントが基本的には霊であることは説明したよな?」

 

「ええ。――――!?ま、まさか?」

 

「そうよ。サーヴァントは人の魂を喰い、それを取り込むことで魔力を蓄えることができる。つまり、人を殺せば殺すほどタフになっていくわ。」

 

「つまり、力のないマスターや弱いサーヴァントは、一般人を襲って力を蓄える―――?」

 

「そういうことだ。澪の両親を殺したのは、前回のキャスターだ。アイツも魔力を蓄えるために人々を襲っていた。時には、そういうことも厭わないマスターやサーヴァントもいるんだ。」

 

 ――――ふざけるな!そんな、そんな下らない理由!?つまり、私の両親はただの餌として殺されたということ!?ああ、断言できるわ。今、目の前に前回のキャスターとやらが現れたら間違いなく殴殺している。セイバーの手によってではなくて、私自身の手で縊り殺さなければ気が済まない。

 

「だ、大丈夫か澪?!ちょっと落ち着け。」

 

「…ごめんなさい。ちょっと取り乱しちゃったみたい。…つまり、セイバーもそうしようと思えばできるの?」

 

 何故だろう。急にセイバーがちょっと怖くなってしまった。きっと、この優しげな青年が一般人に剣を抜く景色を想像してしまったからだろう。

 

「そういうことだ、ミオ。だがこの私にそれを実行させようと思うのなら、引き換えにその手の令呪の一画と、私との信頼を犠牲にしてもらう。」

 

 きっとそれはセイバーにとって侮辱だったのだろう。少し強張った顔で、怒ったように言い放つ。

 

「ふざけないで。むしろ絶対にするなって令呪を使いたいぐらいよ。」

 

 ああ、よかった。やはりセイバーはセイバーだった。この青年にそんなことをさせたくはないし、させるつもりもない。私の回答に満足したのか、顔の筋肉を少しだけ緩めた。

 

「話を続けてもいいかしら?そういう理由があって、今後もコイツは人を襲い続けるでしょうね。」

 

「そ、そんな―――!早くソイツを止めなくちゃ…!」

 

「そうね。その通りよ。だから私は、今後はコイツを討つことを考えようと思っているんだけど、どう?何か異論は?」

 

「俺はない。」

「私もないわ。…セイバーは?」

「ない。このサーヴァントを野放しにするのは癪だ。」

 

「決定ね。じゃあ今晩から動くわよ。とりあえず、今は全員眠いでしょう?サーヴァントが動くのは基本的には夜なんだから、今は睡眠を取っておきましょう。」

 

 それは賛成だ。霊であるセイバーはそうでもなさそうだが、少なくとも私は凄く眠い。セイバーに魔力をガンガン持っていかれているというのも勿論ある。これには少し慣れが必要そうだ。

 

 一同は解散し、それぞれの部屋に戻る。私に宛がわれたのは離れの一室。遠坂さんと一室空けて隣の部屋だ。どうせ部屋は余っているらしい。音が漏れそうな隣に陣取ることはないだろう。とくにセイバーは声が大きくて騒がしい。典型的な声のボリュームを調節できない人だ。

 

 鞄の中身から一冊の本を取り出す。寝る前の日課だ。睡眠前にこれを読み解くのが、数年前からの私の日課。死んだ父の書斎より発見した一冊の本。難解な暗号を用いていて、私にはてんでさっぱりだ。何か重要なことを書いているらしいけれど、読めなければ意味もない。

 

「なんだ、それは?」

 

 ベッドに潜り込んで本を開いた私にセイバーが語りかける。本は赤絹で装丁されたもので、重厚な雰囲気を纏っている。興味をもつのも当然だろう。

 

「多分、形見なんじゃないかな?」

 

「多分とはどういうことだ?」

 

「読めないのよね。暗号化されているみたいで、私にはちょっとサッパリね。いずれ読み解いてやろうと思っているんだけれど。」

 

「ほう…。」

 

 本の中身を覗き込んでくるが、一言漏らしただけだ。やはりセイバーにも読めないらしい。まあ、そう簡単に読み解かれては私の立つ瀬が無いのだけれども。

 

 再び本に集中する。何やら見たこともない文字が並んでいて、どう訳せばいいのか分からない。アルファベットでも、ルーンでも無ければ、アラビア文字でもヘブライでもない。

 

「だめね、やっぱりサッパリだわ。これ解読法を知っていなきゃ読めないように出来ているとしか思えないわよ。」

 

「はっは。精々諦めないことだな。」

 

「他人事だと思って…。まあいいわ、私は寝るから静かにしていて頂戴。」

 

「心得た。では外で見張りでもしていようか。」

 

 セイバーの姿が掻き消え、気配すらも部屋から無くなる。あの大声が隣にいては落ち着いて寝られない。もう世間では活動を始めている時間だが、眠気には勝てない。ああ、そういえば学校休まなくちゃ。寝る前に楓にメールしとこう。美希だとメールを無視する恐れがある。

 

「今日は休むから出席取れる分は代わりにやっといて。あと配布物も私の分お願い、と…。うん?しばらく休むことになるのかな。…まあいいや、とりあえずコレで。」

 

 自分は絵文字というものが嫌いなので、必要なことだけを簡潔に書いた味気ない文だ。

 

 やることをやったので本格的に寝る体制に入る。風呂は…起きてからでいいや。場所もよく分からないし。

 

 今日は本当に色々なことが起きた。今日は変な(トラウマ)も見ずに済みそうだ―――。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「ハ、ハハハハハ!」

 

 笑い声の主は間桐慎二だ。彼がいるのは冬木教会の地下。僅かな蝋燭の明かりしかない薄暗闇の中で彼の声が木霊する。その手は血まみれ。きっとその血は、彼の足元に転がる死体のものだ。

 

「お気に召しましたかな?シンジ。」

 

 声に答えるのはキャスターだ。今は臓硯の指示により慎二をマスターとして仰いでいる。彼は血を浴びておらず、慎二と少し距離を置いて対峙してた。

 

「ああ…!最高だよ、キャスター…!」

 

 慎二はこの7年のことをすっかり忘れ去っていた。彼の時間は、高校時代まで逆行している。それでも学校に行こうとしないのは、キャスターによる刷り込みゆえだ。

 

「それは良かった。」

 

 にたり、とキャスターも粘着質な笑みを零す。慎二の残虐性が過去のそれよりも増しているのは、自らが殺めたその死体の血の匂いに当てられたからだろうか。

 

 うぞり、と周囲の闇が揺らめいた気がした。蝋燭の光が届かぬ闇の中から、確かに何かが動く気配がある。キャスターと慎二以外にも何者かがこの空間にいるのだが、慎二はそれを気にも留めない。ただ、無作為に選ばれた不運な生贄をいたぶることしか頭にない。

 

 死体は一つではなかった。一人は青年。一人は老婆。またある一人は少女。およそ統一性がない面々だが、共通しているのは一つとして五体満足ではないことだ。

 

「…ん?」

「おや。」

 

 両足を引きちぎられてもまだ息があったのだろう。少女が残った両手で体を引きずりはがら這う。そしてその手は慎二のズボンの裾を掴み、涙を溜めた目で彼を見上げていた。

 

「…タ、…タス、ケ…」

 

 すでに喉を潰してしまったのだろう。その声は少女のものとは思えないほど掠れてしまっている。

 

「何だよオマエ。誰に許可をもらって僕に触れているワケ?」

 

 慎二はそんな必至の声が気に入らなかったのだろうか、明らかに不快な顔を作る。足を掴む手を振りほどき、その顎をつま先で強く打つ。

 

「――――!!」

 

 少女は声にならない声をあげてのたうち回る。両足は既に無いため、まるで蚯蚓がのたうち回っているようだ。

 

「さっさと死んじゃえよ、オマエ!」

 

 少女を蹴った足を頭に振り下ろす。ぐしゃり、びちゃびちゃ。少女は、まるで水風船のようにその中身をぶちまけ息絶えた。頭を無くした四肢は力なく弛緩し、時々思い出したように痙攣を繰り返す。

 

「ヒャハハハハッ!何だよオマエ。もうちょっと粘れよな!」

 

「ふっふふふ。」

 

 慎二とキャスターの笑いに合わせるように、またも何者かが蠢く。その空間は血の匂いで充満していて、そこに居合わせた何者かはそれに群がっているに違いない。

 

「これなら…!これならお爺様だって見返せる。ああ、桜なんか目じゃないさ。衛宮だって僕に泣いて許しを請うに違いない…!」

 

「ふふふ…。シンジ、私は所要があります。その者たちは、煮るなり焼くなり好きに調理なさるといいでしょう。」

 

「ああ。今夜にはまたエモノを探しに行くぞ。それまでに帰って来いよ。」

 

「仰せのままに、シンジ。では私はこれで。」

 

 音もなくキャスターはその場から立ち去る。背を向けたその重い扉の向こうには、まだ慎二と哀れな生贄がいる。耳を澄ませば、ぐちょり、ぐちゃり、と生々しい音が聞こえる。それを無視して石造りの会談を上る。

 

「ふ、ふふふ…。マスターの目を確かだった…!彼は素晴らしい。ああ、何と醜くて美しいのだろうか。あのどす黒い衝動、あの偽らぬ衝動…!ああ、あのヴァルプルギスよりも甘美な興奮…!」

 

 キャスターは自身をその手に抱き、身を震わせる。しかし突如その形相は怒りへと変貌する。中庭へと進み出て、数時間前までは快晴であったのに今は曇り始めた天へと両手を掲げる。

 

「だがまだ足りない!まだ研鑽を極める必要がある…!あれでは足りない、もっと遥かな高みの境地へ!」

 

「呵呵。学問への欲求には果てが無いと見えるな、キャスター?」

 

 突然声をかけられ、驚いたのかキャスターが平静を取り戻す。振り乱した髪を手早く整え、普段の調子を取り戻した。

 

「…マスターですか。これは見苦しいところをお見せしました。…如何なさったのですかな?」

 

 中庭の薄暗がりの中に一つの輪郭が現れた。此処の地下に存在する気配と似ているが、ぞわりと纏わりつくこの気配は間桐臓硯しかあり得ない。

 

「なに。少しばかり近況を聞いておこうと思ってのう?」

 

「全ては順調でございます。ご子息はマスターの見立てどおりの人材でございました。」

 

「おお、それは重畳。貴様の力も十分に蓄えられつつあるかの?」

 

「ええ。お望みとあらば、すぐに首級を上げてみせましょう。」

 

「カカカ…。それは頼もしいのう。だが焦らずとも良い。今後の方針は慎二と貴様に任せることにしたでの。好きに動くといいわ。」

 

「御意に。」

 

 話すことは全て話したのか、その輪郭は崩れて姿を消す。一人になったキャスターはもう一度天を仰ぐ。その頬を一滴の雫が打つ。ついに降り出したようだ。

 

「まだ贄が足りない…。我が研究はまだ終えられない。あんな出来損ないではまだ足りぬ。まだ、まだ私は満足できぬぞ!」

 

 まるで空の底が抜けたかのような大雨が到来した。その雨は果たして恵みの雨か、それとも災厄の雨となるか。

 

「――――!!」

 

 キャスターはその大雨の中で何かを叫ぶ。だがその声は雨音にかき消されて誰にも届かなかった。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

「ランサー、昨晩の戦いは見事であった。」

 

「有難き幸せ。」

 

 スカリエッティとランサーはあるホテルの一室にいた。昨晩襲撃を受けた部屋は引き払った。狙撃に晒される陣地に留まる理由はない、というのはランサーの進言である。

 

 確実に質は劣るが、これはこれで趣がある。スカリエッティは不満そうだが、ランサーは割りと気に入っていた。この質素な雰囲気はランサーにとって好ましい。先日までのただ豪華絢爛なだけの部屋よりはよほど好みに合っている。

 

「だが…宝具まで使用しておきながら、首級の一つも上げられないのは何故か?」

 

「…申し訳ありません。偏に私の力不足ゆえ。」

 

「ふん?そんなことは分かっている。何故アーチャーの背中を襲わなかった?あの女を追わせて、背後から刺し穿てば良かったのではないか?」

 

「…思い至りませんでした。」

 

 その言葉に嘘偽りはなかった。ランサーにはそのような考えなど、初めから存在していない。スカリエッティに揶揄されてようやくその選択肢に気付いた。聖人ロンギヌスにとって、騙し討ちなどあってはならないことだ。

 

「はん。先行き不安だな。」

 

「申し訳ありません。」

 

 スカリエッティの怒りとは、烈火のごとく怒り狂うものとは違う。静かに、それでいて纏わりつく嫌味という形で発揮される。喚かないだけ大人だとも言えるが、その意地の悪さは大人気ないとも言える。

 

 珍しく今は酒を呷っていない。気分が乗らないのか、考えを改めたのかはわからない。だがランサーはとりあえず良い傾向だと思っていた。だからこの嫌みったらしい言葉も甘んじて受けている。

 

「この挽回はどのようにするつもりかな?」

 

「今晩、キャスターを討とうと。魔術師殿に昨晩申したように、是非ご同行願いたい。」

 

「ふむ…。まあいいだろう。貴様一人で行けと言いたいところだが、既に決めたことだからな。」

 

「痛み入ります。そこで、魔術師殿の意見をお聞きしたいことがあります。」

 

「なんだ?」

 

「昨晩の殺人事件は既に耳に入っているかと思います。この事件、もしもキャスターの仕業であるとすれば、どのような事態が予想されますか?」

 

 ランサーはこの事件の犯人をキャスターであると思っている。考えれば簡単なことだ。未確認だが、冬木教会を強襲したのはキャスターであるのはほぼ間違いない。そのような輩である。一般人を巻き込む可能性も高い。

 

「さあな。単純に魔力源として殺したのだろうよ。」

 

 スカリエッティにも分からないようだ。当たり障りのない回答を返す。

 

「では今晩に冬木教会へと向かいます。今のうちに休養を取られるのが宜しいかと。」

 

「言われるまでもない。それまで貴様は見張りでもしておけ。貴様がまた間抜けをやらかして、狙撃されるかも知れんからな。」

 

「…御意。」

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 ―――先頭情報(ヘッダ)、受信。

 

 ―――同期処理、完了。連続的(シーケンス)制御、完了。

 

 

 

 

 

 目の前に現れた光景は、ある軍の行進だ。万の騎馬は、騎手も馬も皆甲冑を身に纏っている。もっとよく辺りを見渡せば、そこはどうやら山嶺であるようだ。冬はもう訪れている。針葉樹の葉には雪が積もり、一層寒気を掻き立てる。

 

 そこに彼の姿があった。砂金を零したような色の髪と瞳。優しげな顔立ち。見れば他の騎馬の官給品とは違い、名匠が手がけたのであろう鎧を身に付けている。腰にはあの剣の姿もある。

 

 そして、彼の傍にはもう一人だけ豪奢な鎧に身を包むものがいた。彼と同じように金の髪。全体的に線の細い優美な顔立ちをしている。きっと普段ならばどんな女性も蕩けさせるような顔立ちは、今は険しく強張っていた。

 

 ―――どうしたのか。我が友よ。

 

 彼は男に尋ねる。だがきっと、彼は男の心中は分かりきっていたのだろう。その口調は不思議がるでもなく、ただ優しく問いかける。

 

 ―――本当に良かったのか?

 

 男が尋ねる。その顔は何か不安を抱えているように思える。よくよく見れば、周りの兵たちもどこか落ち着きがない。しきりに後方を振り返り、何かの姿を探している。

 

 ―――無論だ。

 

 もう何度も成された問答だったのだろう。男はやはりか、と小さく漏らして溜息をつく。そして何か思いつめた顔をし、こう切り出した。

 

 ―――友よ、この戦いの正義は我らにあるのだろうか。

 

 ―――何を言っている?君はそうは思わないのか?

 

 心底意外そうに彼は問い返す。男はその問いに答えず、ただ沈黙を返すのみだ。そしてややあってからようやく口を開く。

 

 ―――分からない。ただ僕は時々そう思うのだ。

 

 ―――私にも分からん。だがその悩みはこの遠征が終わってからにすることだ。戦場でそのようなことを考えていると、危険だぞ。

 

 ―――ああ。そうしよう。

 

 その時である。後方より声が聞こえた。敵が現れたぞ、と。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 どこからだろう。途中から気付いていた。今の情景は自分の記憶にはないもの。きっと彼の記憶だろう。彼とは霊的に繋がっているのだ。記憶を垣間見ることがあっても不思議ではないだろう。

 

 夢を見る前に、何やら私の魔術的な特性が動いていた気がするのが気になるけれど…考えても分からない。分からないことは考えないに限る。

 

「…惚けたヤツだと思っていたけれど、生前は真面目そうじゃないの。」

 

 少なくとも今の映像には、現世での浮ついたところがない。いや、それは分からないかな。夢でみた情景はどうにも深刻な場面だったようだ。セイバーがアーチャーと戦っていたときのことを考えれば、そこまで違和感のあるものではない。

 

 それよりも。このことをセイバーに言ったほうが言いのだろうか。人の記憶を覗くなんてことをしてしまったのだ。一言セイバーに言ったほうがいいかもしれない。

 しかし記憶を覗かれたと知って気分がいい筈はない。黙っているほうがいいかな。

 

 ―――うん。黙っていよう。素晴らしき日本の精神、事なかれ主義。

 

 じゃあ取りあえずはお風呂だ。やはり風呂に入らずに寝ると、全身がベタついて気持ちが悪い。士郎さんはもう起きているだろうか。風呂の場所を聞きたい。

 

 枕元に置いておいた時計を見る。時刻はおよそ2時。完全に昼食時を逃している。大体7時間は寝た計算になるだろうか。ちょっと寝足りない気もするが、そこは我慢。少なくとも体の疲労はある程度解消できた。代わりに軽い倦怠感もあるが、これ以上寝れば余計にだるくなる。

 

 気がつけば外は雨のようだ。きっと土砂降りなんだろう。嫌だな、雨はなんとなく憂鬱になる。

 

 軽く身なりを整えて部屋を出る。すると丁度、セイバーが部屋の前に立っていた。その手はノックをする形で止まっている。何となく負い目があって、つい目を逸らしてしまった。

 

「良いタイミングで起きたな、ミオ。シロウがそろそろ起きて欲しいと言っていたぞ。」

 

 乙女の寝室に忍び込むつもりだったのか、と言いそうになったが飲み込んだ。ノックして反応がなかった時は遠坂さんあたりを使っていたに違いない。

 

「そう。ありがとう。」

 

「風呂に入りたかったら使ってくれとも言っていた。場所も聞いておいたが、どうする?」

 

 士郎さんはなんて気の利く人だ。なんか、家主に気を使わせてしまって気後れしそう。だけど素直に有難いのでその申し出を受けることにする。

 

「入るわ。どこ?」

 

「こっちだ。ああ、上がったらなにやら軍議をするとも言っていたぞ。」

 

 きっと今晩の具体的な行動を決めるのだろう。まだ時間はあるが、有事に備えようと思えば早めにやるに越したことはない。

 

「ん。分かったわ。」

 

「ここが風呂場だそうだ。ではゆっくり疲れを落とすといい。」

 

「ありがと。覗いたらコロ…残念なことになるわよ。主にセイバーが。」

 

「はっは。肝に銘じておこう。」

 

 本気で覗いてくると思ったわけではないが、一応釘は刺しておこう。柳に風と受け流しているあたり、セイバーも覗く気がなかったのは見て取れる。

 

 さて、じゃあ体の汚れと疲れをちゃんと落としておくことにしますか。今夜も中々にハードそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、ニュースの『何らかの方法で』というくだりが気になるわね。」

 

 士郎と凛の姿は居間にあった。少し前に起きて、二人ともすでに風呂に入っていた。今はテレビの特集に耳を傾けている。話題はやはり、冬木で起きたらしい殺人事件についてだ。

 

「遠坂もそうか。変死体…ということか?」

 

「恐らくそうでしょうね。となると、ますますサーヴァントの可能性が高いわ。」

 

「昨日、俺が出会ったサーヴァントはアーチャーだけだ。こいつは候補から外してもいいと思う。」

 

「あとライダーにも出会ったぞ。残るはランサー、アサシン、そしてキャスターということになるかな。」

 

 澪を風呂場に案内した後、セイバーは居間に移動していた。士郎たちと情報を交換する目的である。澪の姿は当然ないが、この程度なら澪がいなくても問題はないだろう。

 

「アサシンがこんな目立つ行動をするとは考えにくいわね…となるとランサーかキャスターね。個人的にはキャスターという気もするわ。」

 

「俺もそう思う。前回のキャスターの例があるからな。」

「私も同意見だ。ランサーとは槍の騎士だ。騎士道に反した行いをするとは思いたくない。」

 

「やっぱキャスターの可能性が濃厚、か…。」

 

「…お待たせしましたー。」

 

 重い空気にやや気後れしたのだろうか。風呂上りの澪がおっかなびっくり居間にやってくる。やはり待たせていることが気がかりだったのだろう。ゆっくり風呂に漬かっていたという時間ではない。

 

「何だ、もっとゆっくりしていて良かったのに。」

 

「全員が揃ったみたいだし、今晩の動き方を決めるわよ。」

 

 全員が重々しく頷く。

 

「とりあえず、今夜は冬木教会に行こうと思っているの。」

 

「何故か?」

 

 セイバーがすぐさま尋ねる。やはり無駄に動き回りたくはないのだろう。その行動の理由から聞きたいようだ。

 

「教会にいる聖杯戦争の監督役からの連絡が途絶えたわ。澪の正式なマスター登録という意味も込めて、今日は教会へ行こうと思うの。」

 

「そこにキャスターが居るのか?」

 

 再びセイバーが聞く。

 

「分からないわ。もしかしたらアーチャーかも知れないし、ランサーかも知れない。アサシンかもね。」

 

「だけど遠坂。もしもキャスターが居るなら、そのまま突っ込むのは危険じゃないか?」

 

「シロウ。貴方は私を見くびっているのか。魔術師ごとき、この剣で切り伏せてくれよう。」

 

「セイバー、多分士郎さんが言いたいのはそういうことじゃないと思うけれど。」

 

「セイバーを見くびるわけじゃないけれど、確かにセイバーだけだと智謀策略を駆使されると危険になるかも知れないわ。だけど、こちらにはバーサーカーも、私もアンタも澪もいる。大抵の状況は打開できると思わない?」

 

 士郎は前回のキャスターを例にとって考える。確かに、セイバーの高い対魔力とバーサーカーの火力があれば問題ないという気もする。加えて数に物を言わせた高い戦力もある。士郎や凛にとって澪は未知数だ。だが士郎は澪がアーチャーを相手に生き延びたことを知っている。自分が居なければ危ないところだっただろうが、それでも数分は自力で逃げ延びたことは間違いない。足手まといにはならないはずだ。

 

「…そうかも知れないな。うん、問題なさそうだ。」

 

 何度か考えを反芻したのだろう。その末に問題ない、と結論づけたようだ。

 

「…もしも他のサーヴァントだったときは?」

 

 澪が発言する。士郎と凛がやや思案するが、セイバーは即答した。

 

「なおさら問題ない。」

 

「…でしょうね。アサシンが不安要素ではあるけれど、セイバーなら勝てると思うわ。」

 

「セイバー、アーチャーが遠距離から狙撃を仕掛けたとき、それに対応できるか?」

 

「…それは難しいかも知れない。私には遠距離攻撃に対する加護の類は無い。相手の姿を視認していれば問題ないが…。」

 

「士郎さん、そこは私の魔術である程度先立って察知できるわ。」

 

「そうか。なら問題ないかな。…ああ、澪。セイバーのステータスは読み取れるか?」

 

「え?ああ、アレのこと。変な情報を受けたから何事かと思っていたわ。」

 

「ちゃんと読み取れているようだな。それはサーヴァントの情報だ。敵サーヴァントの情報も読み取れる。…で、セイバーの幸運ランクがどれくらいか知りたいんだが。」

 

「えっと…Aね。」

 

「うーん…ちょっと難しいか…。」

 

「何のことだ、シロウ?」

 

 話の中心に立たされたことでセイバーは不思議がる。

 

「ああ、すまない。…実は、アーチャーの真名分かったんだ。」

 

「何!?それは頼もしい、奴は誰なのか?」

「え!?何で士郎さん分かっているの?」

 

 士郎の解析は、アーチャーの剣弓にも及んでいた。剣の概念を孕んでいたため、その歴史も一緒に解析することが可能だったことと、名だたる宝具であったことは士郎にとって幸いだ。

 だが士郎は、実はセイバーの名前を分かっているということを隠したかったのだろう。澪の質問には曖昧な返事で濁した。

 

「あ、ええと…ほら、澪と離れてアーチャーと俺だけで戦っていたタイミングがあっただろ?その時に、ちょっとな。」

 

「それで、ヤツは誰か?」

「士郎、私も聞きたいわ。」

 

「アイツはトリスタン。円卓の騎士の一人、サー・トリスタンだ。」

 

「何と!名高き円卓の一人であったか!いや、あの見事な弓さばき、納得もいこうというもの。」

 

「円卓の騎士、ね。これも何かの縁なのかしらね。」

 

 凛は小さく呟いたが、その声は誰にも聞こえなかったようだ。

 

「トリスタン…。じゃあ、あの弓はフェイルノート…?」

 

 澪が士郎に尋ねる。彼女もアーサー王物語の知識はあるようだ。サー・トリスタンが持つ武器といえば、『狙った場所に必ず当たる』という伝説をもつフェイルノートしか有り得ない。

 

「そうだ。あの剣弓は『無駄なし必中の流星(フェイルノート)』。因果律の逆転によって、必ず命中する宝具だ。」

 

「…では何故、私との戦いで使わなかったのだ……?何か事情がありそうだな。」

 

「それは分からないが…これを避けようと思ったら、何かしらの加護か強い幸運が必要だ。前回で似たような宝具を持つヤツがいてな、その時はA+ランクで致死傷だけは避けたくらいだ。Aだとちょっと怪しい。」

 

「そういうことか…だが問題ない。使う前に倒せばいいだけのこと。」

 

「まあそれしか無いか。澪、もしもフェイルノートで狙撃を受ける場合でも察知できるか?」

 

「むしろそっちのほうが察知しやすいと思うわ。」

 

「じゃあもしも狙撃を受けたと思ったらすぐに言ってくれ。一回ぐらいならどうにか防げるかも知れない。」

 

「…また無茶する気じゃないでしょうね。」

 

 凛が士郎に冷めた視線を送る。傍から見れば痴話喧嘩としか思えないやり取りが始まった。澪とセイバーが小さく「ご馳走様です」と言ったが、二人には聞こえなかったようだ。

 

「…とにかく、後は夜を待つだけね。それまで、各自自由行動ということで。」

 

 痴話喧嘩は終わったらしい。確かにこれ以上話し込んでも、詮無きことだ。もはやなる様にしかならない。一同は思い思いの行動をとりながら、それぞれ夜を待つことにした。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

「じゃあねー、士郎。戸締りはしっかりとするのよ?あと、今日ぐらいは天体観測はお休みすること。」

 

「お休みなさい、先輩。」

 

「分かったよ。藤ねえと桜も気をつけろよ。」

 

 正直に言えばそんなつもりは無い。『天体観測』は今日やらなければならないんだ。

 

 二人だけで帰すのは些か不安だけれど、仕方がない。よほどの不運に二人が見舞われないように祈るしかないだろう。今日は冬木教会からサーヴァントが動き始める前にそこを叩く必要があるしな。ヘタに泳がせてしまうと、それこそ本当に二人が襲われるなんて事態になりかねない。

 

 藤ねえと桜が帰ったのを見送り、居間に戻った。皆真剣な面持ちだ。少なくとも、お茶で一服なんて空気じゃないな。

 

「二人は帰った?」

 

 遠坂が聞いてくる。すぐさま動くつもりだろうか。

 

「ああ。もう動くのか?」

 

「うーん。まだ少し早いけれど…どうせ冬木教会に人なんて寄り付かないし、深夜を待つ必要もないかな。」

 

「よし。それでは動こうではないか。ミオ、準備はいいか?」

 

「大丈夫。いつでも行けるわ。」

 

 澪が手首の関節を解している。そういえばさっき攻撃用の魔術なんて使えないと言っていた。俺と同じように前衛で戦うタイプだろうか。

 

「Einstellung《設定》.Perceptual(知覚),Gesamtpreis《拡張》」

 

 と思っていたら何か魔術を行使し始めた。これはドイツ語か?となると、八海山の家には遠坂家みたいにドイツの血が混ざっていることだろうか。

 

Append(追記).Threat(脅威),Eine Suche(探索)

 

 ある程度勉強したからドイツ語は読み書きならできるけれど、聞き取るのはちょっと無理だ。ここは素直に本人に聞こう。

 

「何しているんだ?」

 

「え?えっと…なんて言うのかな。ほら、私は攻撃の魔術を会得していないから支援専門になるじゃない。だからちょっと考えてみたの。今の魔術で、敵を察知することができるわ。狙撃に対しても有効なはず。」

 

「へー。すごいじゃない。レーダーみたいなもの?」

 

「そうね。そう思ってくれていいと思う。遠見の魔術の変則みたいなものね。」

 

 それはありがたい。セイバーにも敵を察知できる能力は備わっているはずだけど、やはり剣の英霊に広範囲の探索は無理だ。

 

「ミオ、それはどれ程の距離を探索できるのか?」

 

「敵の脅威の度合いにもよるわね。強い脅威で、一方向のみを探索すればいい状況なら500メートルは可能なはずよ。だけど弱い脅威で、全方位を探索したら100メートルでもギリギリね。」

 

 それがもし逆だったら絶望的だったな。だけど大事なのは強い脅威、つまりサーヴァントのほう。サーヴァントを察知できるなら有用な能力だと思う。道中で襲撃を受ける可能性も激減するだろう。

 

「それじゃ行きましょうか。」

 

 遠坂が号令を発すると、みんな揃って玄関へと移動する。セイバーもいつの間にか着替えている。さすがに鎧姿で出歩かせるわけにもいかなかったので、俺のツナギを貸した。

 

 ちょっとだけ良心が痛んだ。この剣の持ち主は、あの英雄しかいない。本人のあずかり知らないところで名前が流出しているのは、多分気分がいいものじゃない。

 

『あの戦いのやり直しがしたい』『せめて我が友だけでも』とセイバーが言ったことを思い出す。なんとなく、セイバー(アルトリア)と似通う願いだ。本当に悔やんでいたんだろうな。

 

 玄関を開けると、やっぱり外は大雨のようだ。澪とセイバーに傘をさす。この見通しの悪さだ。きっと澪の探知魔術が役に立つ。

 

「―――?」

 

 玄関を出てすぐのところで、澪がどこか明後日の方向へ振り向く。その後にきょろきょろと何かを探すような動作をした。

 

「何かあったのか?」

 

「いや。何でもないわ。」

 

 小さく「誤動作(バグ)かな」と言ったのを聞き逃さなかったぞ、澪。本当に大丈夫なんだろうな。―――これは先行きが怪しいぞ…


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