片田舎の、いつも鍬や鍬の音が聞こえる町。そんなドイツのある町に一人の男が居た。
錬金術。彼の研究はそう称される学問だった。その時世では錬金術は決して魔術の一派と解釈されるものではなく、科学の範疇に属するものだった。
だが、ある時期からそれが魔術に傾倒するようになる。
―――命のエリクシル。
エリクシルとは元素を抽出した物体の総称だ。あるいは賢者の石と呼ばれることもある。エリクシルは卑金属を貴金属に変質させる力をもつものだ。四大元素を抽出してエリクシルを精製することが錬金術の到達点の一つである。
しかしそこに一つの概念が投げ込まれた。
曰く、命や魂を構成する元素が存在する筈である。曰く、その元素を抽出することで命のエリクシルを精製することが可能であり、それを服用することで不老不死へ辿り着く。
ある錬金術師はホムンクルスを製造することで命のエリクシルへと辿り着こうとした。ある錬金術師は既存の魔術の概念と錬金術を融合することで命のエリクシルへと辿り着くと発表した。またある錬金術師は根源へ到達することで命のエリクシルへ到達すると考えた。
こうして錬金術は学問の埒外へ飛び出し、魔術と呼ばれるようになる。エリクシルや賢者の石の概念が命のエリクシルの概念と入れ替わりだしたのはこの時期である。
彼もまた、魔術的な錬金術を以ってエリクシルを追い求める一人であった。エリクシルによって人々に幸福がもたらされると信じていた。
彼は町では有名な変わり者。だが錬金術師としての実力は一級であった。偏にその知識欲と探究心の賜物である。
そんな彼の元に、それはやって来た。
ソレはヒトならざるモノ。口からは瘴気と悪臭を撒き散らしながらソレは彼の工房に現れた。
ソレは言った。貴様にこの世の全てを見せてやろう。全てを体験させよう。貴様が望むものは全て貴様のものだ。だが貴様がそれらに満たされたとき、貴様の魂は私のものだ。
ソレは彼に賭けを持ちかけたのだ。全てを与えるが、それに満足すれば魂を貰う。『瞬間』を感じたときに契約の言葉を口にすれば、死後の魂はソレに服従することになる。
だが彼は迷わずそれを受けた。結果としてエリクシルへと辿り着くのならば、それでも良いと考えたのだ。
彼はある町娘に恋心を抱いていた。美しく可憐な女性だった。それはまず町娘と彼を結びつけ、娘に彼の子供を身ごもらせた。ソレはその逢瀬の際に邪魔になる彼女の母親と兄を殺害した。
そして次に彼は魔女の祭典であるヴァルプルギスの夜を体験した。魔女たちがブロッケン山で篝火をたき、春の到来を待つ祭典。彼女らの神々と踊り狂うその様を見て、彼はとても興奮して一緒になって踊り狂った。
しかしその旅から戻ってくると、最愛の女性は嬰児殺しの罪に問われ処刑されていた。
彼が狂いだすのはここからである。
決して手を出さなかったホムンクルスの研究に埋没した。それも普通のホムンクルスではない。死体からホムンクルスを作りだそうとしたのだ。死者の魂を補修した死体に封印し、生前と同様かそれ以上の機能を実現する。
これの長所は記憶を生前から引き継ぐことが可能なことだ。
つまりは、
そのための知識はソレから手に入れた。死霊術をソレは彼に体験させ、彼はそれをものにした。よりよい研究を行うために王へ近付き、王宮に召抱えられた。
だが彼はいくら手に入れても決して満たされなかった。ソレは彼に知識を与え、あらゆることを体験させたが、彼に即物的に何かを与えることはなかった。
だがいくら研鑽を重ねてもリザレクションには届かない。いくら知識を手に入れても彼女は戻らない。
その苦悩に疲れたとき、彼は自身の工房からある音を聞いた。それはソレの眷属が彼の墓穴を掘る音だったのだが、彼には鋤や鍬の音に聞こえた。その音を聞いて彼はあの町のことを思い出す。
思い出したのは、短くはあったが幸福だった最愛の人との時間。何でもない時間が幸福だった。ならば彼は既に満たされていたのだ。
彼女を、リザレクションを諦めたわけではない。妄執に近いその信念は未だ健在だ。だが彼は疲れてしまった。死ねばこの魂はソレのものだが、もしかしたら彼女に会えるかも知れない。
そして彼はソレと交わした契約完了の言葉を口にしてしまう。
――――留まれ、お前は美しい。
◆◇◆◇◆
キャスターがその言葉を唱えたその瞬間、剣の群れは力を失くし荒野に倒れ伏した。その言葉を宣言した瞬間に剣は速度をなくし、音を立てて墜落する。
「―――え?」
士郎にとってそれは以外に過ぎることだった。剣を防がれるならともかく、まさか自分のコントロールから急に離れてしまうなど今までに無いことだった。
いや、剣だけでは無い。固有結界そのもののコントロールは既に士郎から離れてしまっている。そして―――世界は崩れ始めた。
とは言ってもそれは術式が維持できなくなっているに過ぎない。士郎には固有結界が維持できなくなっている。衛宮士郎の世界は急激に現実の世界へと塗り戻されていく。
「―――『
忌々しげに凛が呟く。そう、この言葉に代表される英霊は一人しか居ないだろう。冥界の大公と契約を交わした大錬金術師にして大死霊術師。
『
そして世界は現実へと振り戻された。放られたように士郎たちはその場に投げ出される。
彼らは素早く立ち上がり状況を確認する。術式が士郎の手を離れた影響だろうか、場所は教会前ではない。
ここは外人墓地だ。固有結界から抜け出す場所はそれを展開した場所から離れ過ぎなければ任意だ。今回は士郎の意思ではないため、偶然の産物だろうか。
「…なんでさ……!『
「グレートヒェン…。間違いないわ、キャスターの真名は―――」
―――ゲオルグ・ファウストよ。
声色を硬くしながら凛は士郎にそう伝えた。
「ゲオルグ・ファウスト…。…ファウストだって!?ファウスト伝説のファウストか!?」
「いかにも。私の名はゲオルグ・ファウスト。いずれ『
「…くっ」
最悪だ。特に、この場所が。
死霊術師にとって最高のフィールド、それは間違いなく墓場。かの一大宗教では、死者は審判の日に復活して裁きを受けるとある。その時に肉体が無ければ審判を受けられない。そのような考えから荼毘に付すことはなく、遺体はそのまま柩に収められる。
つまり―――この場所には多くの死体が眠っているのだ。多くは白骨化しているのだろが、ファウストにとってそんなことは関係ないかも知れない。
考えられるのは増援。つまりメフィティスの増加。使者の軍勢はここにきて膨れ上がる可能性。
士郎は葉を噛み締めながらも再び剣を構える。そうなる前に決着をつけるしかない。しかしその四肢は既に疲労困憊で力に欠ける。固有結界とは大魔術だ。その疲労は大きい。そして当然ながらその疲労は士郎だけのものではなく、凛もまた大きく負担をかけられていた。
固有結界を展開するには、世界と契約していない士郎の魔力だけでは些か足りない。『無限の剣製』は士郎と凛によって展開されるのだ。
しかし、彼ら二人よりも疲労しきっている者がいる。澪だ。
投げ出された体勢のままで力なく地に倒れ付している。息はしているが荒々しく、全身は油を頭から被ったかのように濡れている。
淡い色のシャツはべったりと肌に張り付いている。目は閉じて眉間に皺を寄せ、弱弱しく呻きながら苦痛を訴える。彼女の異変にいち早く気がついたセイバーは彼女の傍で身を案じることしかできなかった。
「あた、ま…われ、る……い、たい」
「しっかりしろ、ミオ!」
―――意思、思い、
―――――――過去の、
―――偉人、英雄、英霊、亡霊、
――――即ち死者、
――――思い出せ、いずれ思い出す。きっと辿り着く
「―――!? どうしたの澪、すごい苦しそう…!」
「どうした澪、キャスターに何かされたのか!?」
ここに来てようやく凛と士郎もその異変に気付いたようだ。些か気付くのが遅すぎるきらいがあるが、彼らを責めるのは酷だろう。キャスターから意識を逸らすわけにはいかなかったのだから。
「リン、シロウ!ミオの様子がおかしい…!」
医者でもないセイバーにはどうしようもない。勿論士郎と凛も医者ではないが、助力を頼まずにはいられなかった。しかし、澪を介抱する余裕などあるはずもない。目の前には敵が居るのだから。
「リン、ミオを任せていいか…?私ではどうしようも無い。私はキャスターを…!」
そこでセイバーが前に出て澪と凛を守ることで介抱させる。少なくともセイバーが前に出ることで牽制にはなるだろう。しかしどうしても澪が気になるらしく、キャスターを見守りながらも背後の様子を伺っている。
「分かったわ…落ち着きなさい、澪。私の声は聞こえる…?」
弱弱しく頷く澪。一応意識はあるようだ。
「キャスター!テメエ一体何をした!」
最初に激高したのは士郎だった。セイバーは澪を気遣うあまり怒りが先に出て来られない。だから代わりに知ろうが最初にキャスターへ剣を向けた。今ここで澪に何か出来るのはキャスター以外にいない。
「…私はその女には何も。と言っても信じないでしょうが。」
だがキャスターは知らないと言った。無論のこと士郎とてこの言葉を鵜呑みするわけではない。
「とぼけるな…!」
干渉莫耶を破棄する。メフィティスはまだ蘇生しきっていないが、固有結界内と同じようにキャスターを囲む形で存在している。つまり先ほどのように士郎達が囲まれているわけではなく、そういう意味では固有結界を展開した意味はあったのかも知れない。
しかしやはり数が圧倒的に違う。強力な制圧力で前面を覆わない限り、いずれ先ほどのように囲まれてしまう。
そういう意味で澪の無力化は痛い。彼女ならばどこから回り込んでくるか察知できる。無論セイバーや士郎がそれに気付けないという訳ではないが、絶対にそれを察知できるかといえば否だ。
だがこの位置関係は好都合。急げ。今ならまだ間に合うかも知れない。今ならば、キャスターの守りの囲いは薄い。今ならば、ファウストが新たなメフィティスを呼び出す前に、宝具の一撃で全てを終わらせられる―――!
「
「だ、駄目!士郎!」
残り少ない魔力を全投入する勢いで剣を作る。前回のセイバー、騎士王アーサー・ペンドラゴンの聖剣『
その星の輝きを集めた閃光は、地を焼き墓標を薙ぎ倒しながら放たれる。それはまさしく必殺の威力をもって敵を蹂躙する―――はずが。
「まだ分からないのですかな。――『
だが星の輝きは一瞬のもの。星光は燃え尽きて、誰の元へも届かない。ただ地を焼いただけである。
士郎のもつエクスカリバーの実体が急に解れる。まるで内側から砕かれたかのように霧散する。士郎が破棄したわけではない。一度形作られた剣は、その作り手がそれを放棄しない限りそこにあるはずだ。だが、聖剣は何かによって破壊された。いや、棄却された―――?
「やれやれ、本当に剣を振り回すしか能が無いのですかな。冥界の大公との契約完了の言葉すら知らぬのですか?」
「――――留まれ、お前は美しい」
士郎の代わりに代弁したのはセイバーだ。
「そう。そして其れこそが我が宝具、『
契約の完了を表すその言葉は、「あらゆる神秘を完了させる」。宝具や魔術は彼の宝具の前に「完了」させられる。そして完了したものはそれ以上効果を発揮することは無い。ゆえに、ファウストを打ち倒そうと思えば宝具に頼らない純粋な力のみだ。
「…なんということか」
キャスターの正体と宝具が分かった今、セイバーも宝具は使えない。今の士郎のように徒に魔力を消費するだけだ。今の位置関係なら、今ならば、彼の宝具はメフィティスを一瞬で焼き尽くしてキャスターにも一太刀浴びせることが出来たというのに―――!
「そして私のもう一つの宝具がこれです」
キャスターは点を仰ぐように両手を広げる。そしてやや長い溜めの後、その宝具を使用した。
「―――『
その瞬間に士郎の恐れていた事態が起こった。
死者はその宣言で目を覚まし起き上がる。だが審判の日が訪れたわけではない。いわずもがな、キャスターの宝具によって叩き起こされたのだ。
近年ではこの墓地に死者が埋葬されることは殆どない。古い死体はもはや骨でしかない。
だがその死体はおぞましい速度で肉を付けながら起き上がる。声にならない咆哮を上げながら、うぞり、うぞりと。それは程なく腐り果てた兵、メフィティスと成り果てた。
その数、元の100からさらに倍ほどにまで伸びる。いや、もっと増える。今やこの場に眠る使者の全てが士郎達の敵―――!
セイバーはその様を見て、どうしようもなく悲しくなった。その咆哮が、助けてと叫んでいるように思えたからだ。
「貴様ぁぁ!!どこまでも死者を愚弄するつもりか!その命、無いものとせよ!」
その叫びを聞いてようやくセイバーの怒りは発火した。爆発と言ってもいい。血が出るかと思われるほど剣を握った拳を固める。
だがその爆発の中で冷静は見失わない。決して闇雲に吶喊しない。ここでセイバーが澪から離れれば、本当に澪は食い殺される。キャスターの下僕となってしまう。
その怒気だけで敵を押し返そうと睨みつける。だが際限なく増えるメフィティスは感情が希薄なのか、まったくそれに反応しない。ただキャスターの命のみを聞く奴隷なのだ。
「一度は死んだ身、何を恐れることがあるというのですか。―――しかし興味深いのはその男の魔術。固有結界などそうそうお目にかかれるものではありません。そして…今のは投影魔術ですかな。宝具を、しかも聖剣を投影するとは興味深い」
ぶつぶつと呟くキャスター。その視線は士郎を捕らえて話さない。
「投影魔術…錬金術と通じる部分もあるかも知れません。もしやエリクシルに通ずる道があるやも。…これは是非、詳しく調べたいものです」
メフィティスの数はもはや数えることが出来ないほどだ。唯一それが可能な澪が倒れたせいもあるが、何よりも数が多すぎる。
これは拙い。相手は大群でこちらはわずか4人。いや動けるのは3人だ。しかも相手は死なずの兵。不死殺しでも殺せない大軍。
今なら、今ならまだ後方が開いている。前方は森のような大軍。これは挑むだけ無駄だ。この囲いを破って前進するのは困難を極める。
「…士郎、セイバー。悔しいけれど、ここは退くしかないわ」
忌々しげに凛が呟く。彼女の考えのように、今は逃げるのが最善手だ。多勢に無勢を体現したようなこの状況で宝具まで封じられたとあっては、戦闘するだけ無駄死にするだけだ。
「…分かった」
そう言って士郎はじりじりと後ろへ下がる。横たわる澪をおぶり、いつでも逃げ出せるようにする。
セイバーが澪を運ばないのには訳がある。逃走となれば必ずそれを追走する。それを受け止める役が必要なのだ。この場でその役目に一番相応しいのは誰か。
「では私がしんがりを引き受けよう。なに、しんがりの役目は慣れている」
セイバーだ。最も危険なこの役目を担えるのは彼しかいない。
「…すまない、セイバー。ヤバくなったら逃げてくれ」
「そうしよう。だが、一つ頼まれてくれないか?」
「…何だ?」
「絶対に、誰も死なないでくれ」
「…ああ」
アンタもな、と言い損ねたのはそれを聞いたセイバーが相好を崩したからだ。清清しい、という形容が丁度当てはまるだろうか。まるで死ぬ気配を感じさせない彼に、死ぬなとは言えなかった。
「…おやおや。逃げるおつもりですかな?どうぞどうぞ、私は追わせていただきますゆえ」
「―――行け!」
その言葉に弾かれて凛と士郎は走り出した。目指すのは住宅街の方向。夜の雨は視界が悪く、すぐに見えなくなる。遠くから微かに水の跳ねる音が聞こえるだけだ。
「逃がしませんよ、行きなさい!」
キャスターはメフィティスに命じる。それらは悲鳴に近い叫びを上げながら、二人を殺そうと殺到する。
「ここは通せない。―――私は彼らを守るのだから」
その軍団を押し留めようとするのはセイバー一人のみだ。およそ物量が違いすぎる。だが彼はサーヴァント。一騎当千の騎士、セイバーなのだ。
それに今ならば存分に戦える。澪が足手まといだという訳ではないが、縦横無尽に動ける方が十全に力を振るえるのは道理だ。
それならばきっと、この軍勢にだってセイバーは互角以上に戦えるだろう―――!
「破ァァァッ!!」
弾丸のような速度をもった突進。それは魔力の残滓を尾に引きながら、メフィティスの軍勢へと吶喊する。高速で迫り来る盾は、空気との摩擦で炎を吹き出す。さながら大気圏に突入するシャトルのようだ。
盾の弾丸はメフィティスを吹き飛ばし、砕きながら軍勢の群れを突き進む。セイバーが通った後はまるで削岩機が通ったかのように何も残ってはいない。
だが盾はその質量の前に止められる。削岩機を受け止めたのではなく、削岩機のブレードが突っかかってしまったのだ。
動きが止まったセイバーに食らい付こうとメフィティスが押し寄せる。
だがその俊足の刃が踊る。瞬く間に周囲のメフィティスを細切れにしていく。腐った血が舞うが、セイバーがそれに濡れることはない。なぜならば、それが舞うまでの瞬間にはもう別の場所にいるのだから。
「こんなものかキャスター!私はもっと多くの敵を一人で討ち滅ぼしたぞ!」
信じられるだろうか。たった一騎でこの軍勢を押し留めている事実を。しかし討ち漏らしは存在する。この軍勢を全て一人で抑えることは不可能だ。いくら押さえ込んでも絶対に一部はセイバーを突破する。
―――士郎、凛。頼んだぞ。この程度ならば貴方達でも何とかなる筈だ。
そう信じて剣を振るう。再び盾で突撃する。その度にメフィティスは倒れる。
だが、やはりそれは強い不死性をもって立ち上がる。何度も何度も立ち上がり、セイバーを徐々に追い込む。
セイバーにも消耗が見え始めている。メフィティスはセイバーに息をつかせないのだから無理もない。長期戦はやはり不利だ。ここらで撤退を始めるべきだろう。だが―――
―――もはや逃げられん、か。
退路はもはや無い。セイバーは無数の敵の海の中で単騎、ただ一人である。前方も後方も敵。メフィティスの一部は士郎を追ったが、大部分はセイバーを標的に定めたようだ。ここでセイバーを抑えておくことは結果として追撃の成功率の上昇に繋がる。その冷静な判断がセイバーは憎らしかった。
「なかなか善戦するではないですか。ですが、それもいつまで保ちますかな?」
「貴様を切り伏せるまでだ!」
剣が踊り血は舞う。一歩、また一歩と確実にキャスターへと歩み寄る。剣も足も決して止まることはなく、ただ不死の軍団を切り裂いて前進する。その剣は血糊で塗れているが、その切れ味を落とすこともなく敵を切り裂く。盾も宝具ではないにせよ一級の守りであり、セイバーを強固に守っている。
だが、果たしてキャスターにその剣は届くのだろうか。すでにどれ程のメフィティスを斬ったのか分からない。あとどれ程切り伏せればキャスターに届くのか分からない。その手を伸ばせば届く距離まで近づけても、キャスターが身を引いてしまえばつかみ損ねるかも知れない。
だがセイバーは決して諦めない。その意思はまさしく不屈。体はその意思に答えるかのように動く。
―――もう、決して誰かを失わない。
セイバーの願いはただひたすらにそれだけだ。親友と呼ぶべき友を失い、自分を信じていた兵を失い、その悲しみの果てに願った。
―――この戦いを無かったことに、私にやり直しを。
「おおおおおぉぉッ!」
しかし次第にメフィティスの爪はセイバーを捕らえ始める。キャスターは、セイバーの対処能力を超えた飽和攻撃を仕掛けさせるようになったためだ。
一度に10を処理できるのなら、11を仕向ければ1は通る。単純にして力押しの策ではあるが、メフィティスとは使い捨てても問題のない兵力だ。まさしく最良の戦法。
そして一度傷ついたダムが一気に崩壊するように、些細な負傷が更なる負傷を引き起こす。
甲冑に身を包んでいても全身をくまなく覆っているわけではない。最初に傷ついたのは右手。浅くはあったが、その剣が鈍るには十分すぎた。次第にセイバーの体は傷だらけになっていく。致命傷を負わされることは無いが、体には無数の引っかき傷を刻まれていく。
しかしセイバーは立ち止まらない。どれ程傷ついても、決して膝を折らない。
前へ。前へ。前へ。前へ!守るために前へ!
―――だが。
「なっ!?」
倒れていたメフィティスに足を捕まれた。止まってしまった足にさらに数体が纏わりつき、それを切り裂こうとしていた手をも捕まれる。数体掛りとはいえサーヴァントを押さえつける。
間髪空けずに、眼前の一体の乱杭歯がセイバーの喉元に襲い掛かかった。
―――――――――ミオ。
そして血の華が咲いた。
◆◇◆◇◆
ただひたすら走る。
セイバーを信じて。セイバーが無事に帰ってくると信じて。
凛と士郎は息を切らしながら教会からの道を下っている。士郎は澪をおぶった状態だ。具合の悪そうな澪を気遣いながら駆ける。
雨の坂道は足が取られて走りづらいが、そんなことに構っている余裕などあるわけがない。跳ねた泥で汚れるのも無視して全速力で駆け下りる。
雨音は否応無く五感を鈍らせる。その鈍った感覚で周囲を警戒すればするほど、得体の知れない焦燥と恐怖が二人を掻き立てる。
「士郎、大丈夫?!」
「なんとか!」
魔力の消費は多く、全身に倦怠感が絡まる。だが立ち止まるわけにはいかない。敵を食い止めているであろうセイバーを助けるためにも、自分達がいち早く撤退しなければ。
背中で澪が呻いているのが分かる。心苦しいが今は介抱している余裕もない。居心地は良くないだろうが、揺れる背中の上で甘んじてもらうしかない。
士郎は走りながら考える。何故澪は倒れてしまったのだろうか。
キャスターに何かされた?いや、キャスターの仕業なら真っ先に士郎やセイバーを標的にする筈だ。セイバーも士郎も無事である以上、キャスターの言葉を鵜呑みにするわけではないが考えにくい。
あと考えられるのは―――固有結界だろうか。
澪が倒れる瞬間は見ていなかったが、固有結界に取り込まれるまでは健全だったはずだ。固有結界内で何か起こったか、固有結界が何か起こしたか。
後者のように思える。固有結界では一番後方に居たのだ。誰かに何かされたとは考えにくい。
「士郎、危ない!」
思考を中断し、反射的に干渉を投影して振り向きざまに振るう。澪を背負っているため両手で剣は扱えない。
剣がざくりと肉を裂く。剣技もくそも無いがむしゃらなものだったが、運よく剣は相手の首を捕らえた。
倒れ付したものを確認するとそれはメフィティスだった。セイバーでも処理仕切れなかったようだ。こいつは討ち漏らしだろうか。
背負っている澪の手の甲にはまだ令呪が健在だ。セイバーがやられたとは考えにくい。
「もう追ってきたのか…遠坂、先に行ってくれ。もう宝石も残っていないんだろ?ここは俺が食い止める」
そう言って澪を渡そうとする。澪は決して重くない。身長も高いほうでもなく、むしろ軽い部類に入るだろう。凛でも問題なく背負えるはずだ。
「お断りよ」
だが凛はそれを断る。呆気にとられる士郎をよそに言葉を続けた。
「何でもかんでも一人でどうにかしようとしないで。一緒に逃げるか、一緒にここで戦うかの二択しかないんだから」
じっとその意思の篭った目に見据えられる。
―――傍に君が居てくれれば俺は安心だ。
エミヤシロウ《アーチャー》の言葉が凛には忘れられない。士郎をアイツみたいな悲しい運命に囚われさせはしない。もしもそっちに行きそうなら、私がふん縛ってでも連れ戻す――――!
「……そうか。なら一緒に逃げよう」
「当然よ」
やや遠くから複数の何かが泥の中を疾走する音が聞こえる。ここでいつまでも立ち止まっているわけには行かない。二人は再び走り出す。
「遠坂、俺が追手を処理する!澪を頼んだ!」
走りながら、なおかつ澪に負担が掛からないように凛に渡した。揺らされるのはやはり苦しいのか、やや先ほどよりも眉間に刻まれた皺が深いように思える。
「了解。女の子にこんな荷物を運ばせるなんて、ホントに唐変木なんだから―――!」
軽口を叩くほどの余裕がどこから出てくるのか分からない。しかし、それが今の士郎には有難く思えた。平常心を取り戻せたようにも思える。
ここでも澪の探索魔術が無いことが忌々しい。澪を責めるつもりは毛頭ないが、有るのと無いのでは大違いだ。士郎の目が良いと言っても一般人よりも視力が良いというのに過ぎず、こうも雨に打たれると視覚に頼れない。
二体が踊りかかってきた。両手の双剣で一体ずつ捌く。次に三体。次には五体。メフィティスの数はまばらだが、徐々にその数を増している。当然だ。斬ってもすぐに復活するのだから、後方から来たものと合わさって数を増やしていくのは自明の理。士郎が捌ききれなくなってくるのは時間の問題だろう。凛も援護をするがもう魔力は底が見え始めている。あまり無茶は出来ない。
こんなにもこの坂が長いなんて。ヘラクレス《バーサーカー》に襲われたときに比べればまだマシだと言えるだろうか。少なくとも、今この瞬間はそうは思えないほどの緊張と疲労だ。
だがどうにか士郎は追手を捌いていく。士郎を援護しようと凛もガンドを放つ。僅かでも蘇生が遅れるように、余裕があればオーバーキルも辞さない。
だがしかし。
もはや士郎の能力を超えつつある。次に一度に襲い掛かられたら、この命は無いかも知れない。
そうなったら最後の力を振り絞ってでも投影をするしかない。エクスカリバーか、あるいは他の広範に攻撃できるもの。一度に消し飛ばせばきっと凛と澪だけでも逃げることが出来るはずだ。
「――――あ」
だけど、これは良くない。
いつの間にか回り込まれていた。最初の折のように、いつの間にか囲まれていて全方位から一度に襲われた。
これは、拙い。
士郎はどうにかなる。だが、凛と澪を守りきれない。凛は澪を背負っているせいで反応が遅れ、もはやガンドで迎撃できる暇すらない。ましてや拳法など使えるわけもない。
宝具で一部を消し飛ばしても、剣を投影するまでのタイムラグや真名開放するまでの間に食いちぎられる。やはり士郎は助かっても、凛が、澪が助からない。凛と澪を守りつつ全方位を攻撃できる手段など士郎にはない。
スローモーションで十数体のそれが突進してくるのが分かる。実際にはかなりの速度なのだが、このような危機の際にはそのように写るものだ。これが走馬灯と言うのならそうなのだろう。
そしてその時考えることも時として的外れだ。だが、士郎らしいといえばそうなのかも知れない。
―――セイバーとの約束、守れないや。
◆◇◆◇◆
その二人の姿は戦い続けるセイバーを捕らえていた。その戦いざまは獅子奮迅というに相応しく、裂帛の闘志が二人にも伝わってくる。
「ランサー。貴様はどちらに加勢するほうが良いと思う?」
その二人とはスカリエッティとランサーだ。やや小高い場所から茂みに隠れ、戦うセイバーとキャスターの軍勢を観察していた。
さすがに詳細は見て取れないが、大まかなことはランサーには分かる。おそらく正義はセイバーのほうにある。遠目で見てもセイバーが戦う軍勢は神を冒涜する存在だ。輪廻転生を認めない教義のこともあるが、何よりも死者の尊厳が軽すぎる。
「…セイバーかと」
「何故だ?」
出来るだけ私情を挟まないように、理路整然とランサーは答えた。
「ここでセイバーを討ち取ったとて…私一人ではキャスターを下すのは難しいでしょう。私には『
「しかしここでセイバーを強襲すれば、まずは一組脱落だ」
「いえ。セイバーも優秀なサーヴァントです。背中を襲ったとて確実に討ち取れるかどうか。それに、アレはセイバーと戦う私にも牙を剥くでしょう。ともすれば共倒れになる危険もある」
「ふん…ならば今は共同戦線を張るべきだ、と言いたいわけだな」
スカリエッティはやや逡巡する。この機をただ見過ごすのは有り得ない。ここで撤退は有り得ないとのランサーの具申を聞き入れて、どちらに介入するか決めかねているところだ。
ランサーの意見を一蹴せずに、一策として検討するあたりはマスターとして優秀だと言えた。
アーチャー戦を経てスカリエッティの心情には僅かな変化が生じていた。それは、今はまだごく些細なこと。本人にも分からないほどの小さな変化。今はただ、「生き残りたければランサーの言うことを重んじるべきだ」という程度の心変わりでしかない。
落としていた目線を上げる。どうやら方針は決まったようだ。
「セイバーと共同戦線を張る。だが馴れ合うな。機を見て、隙あらば刺し殺せ」
「―――御意!」
それはつまり、セイバーを殺すかどうかの判断をランサーに任せるということ。馴れ合うなと釘を刺されはしたが、今のところは刃を並べることを許可された。
キャスターの姿がどこにあるのかは良く分からない。きっとあの亡者の群れに紛れているのだろう。セイバーが亡者と戦い、その間にキャスターを討つのが理想だったが、ここは致し方ない。とりあえずセイバーに加勢するしかないだろう。
ランサーは『
見ればセイバーは多数の敵に動きを封じられている。これは良くない。
「行け!」
スカリエッティの声を背中に送り、ランサーはセイバーの元へと踊りかかった。
◆◇◆◇◆
「…なに?」
意外にもその牙は届かなかった。セイバーに食いつこうとしたメフィティスは、急に遠方から投げ込まれた槍にその頭部を刺し貫かれて地面に縫われ、その動きを封じられている。
だがいつまでも困惑してばかりもいられない。纏わり付いていたメフィティスを力任せに振り払い、体の自由を確保する。
―――この槍に込められている魔力、並大抵ではない。間違いなくサーヴァント、それもランサーが近くにいる。意図は分からないが、三つ巴の戦いとなる可能性もある。槍が飛来した方向を凝視する。
居た。メフィティスを足蹴にして跳躍し、一直線にこちらへ向かってくる。
「私はランサーのサーヴァント!セイバーよ、故あって加勢いたす!」
「加勢だと…?」
重厚な鎧の音とともにセイバーの傍らに降り立ち、地面に突き刺さっていた槍を引き抜いた。メフィティスは新たな敵に困惑しているのだろうか、彼らからやや距離をとって様子を見ていた。
セイバーはランサーを計りかねていた。加勢すると言ってはいるが、手放しで信用できるほどセイバーはお人よしではない。
だがつい今救われたのも事実。セイバーに害意があるのなら、見殺せばよかっただけの話なのだ。信用する余地はある、のではないだろうか。それに正直なところ、こここでの加勢は実にありがたい。
「…背中は預けんぞ」
「それで良い。こちらも馴れ合うつもりで来たのではないのでな」
ランサーは手に持つやりを器用に回転させてメフィティスを威圧する。そしてその切っ先はビタリとキャスターの居るであろう方向で止まった。その姿はメフィティスに隠れて見えないが、セイバーの進行方向に居るのであろうことくらいは予想がつく。
「キャスターよ。死者の尊厳を地に落とし、神を貶めるこの所業…その命、要らぬと見える。…懺悔の暇すら与える気もなし!」
「…これはこれは、ランサー。私の研究は命を生み出すという神にも等しき神聖なものです。それを神への冒涜などとは心外ですな……やれ」
その一言を受けてメフィティスはランサーにも牙を剥いた。並んで立つ二人のサーヴァント目掛けて突進する。
だがランサーの俊足を追いきれるものではなかった。ランサーは得物を縦横無尽に振るい、メフィティスを打ち砕いていく。純粋に攻撃範囲が広いこともあり、メフィティスはランサーに指一本触れることができない。
「やはり蘇生の呪いの類を受けているのか。…ますます気に食わん」
遠目でも確認できたが、実際に近くで見てみると驚異的な回復力だ。ランサーの自動治癒にも劣らない。いや、頭部を破壊されても起き上がるという点では勝っているといえるだろう。
「ランサー、それらはキャスターの死霊術によって呼び出された死者だ!注意しろ、いくら斬っても蘇るぞ!それにキャスターには宝具の真名開放は使えない!」
―――ならばこれならどうか。
ランサーは槍を振るいながらその聖句を口にする。
「私から離れろ、セイバー。消えたくなければ」
「―――?…心得た」
ランサーの警告を受けて、セイバーはメフィティスを蹴散らしながら血路を開いてランサーから離れる。
「―――私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない」
「…血迷いましたかな、ランサー。一体何を」
「装うなかれ。許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を」
近くにいたセイバーには感じられた。彼が振るう槍に、魔力や魔術とは違った気質の力が宿っていくのを。これはきっと、浄化の力。
「休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。永遠の命は、死の中でこそ与えられる。―――許しはここに。受肉した私が誓う」
ランサーが一体の胴を深く刺し穿つ。そして刺されたメフィティスの足元を起点にして、何か大きな紋様が地面に浮かび上がる。その光は荘厳で、かつ暖かい。
「―――“
その言葉を受けて、その紋様は光を増す。何十体ものメフィティスがその光に包まれる。まるでこの世の闇を許さないとでも言うような強烈な光だ。
それは、穢れた魂を相応しい場所に送り返す洗礼。代行者が唯一習得を許される神の奇跡。ランサーは代行者ではないが、聖ロンギヌスにとっては知っていて当然の奇跡だ。
その光が収まったとき、ランサーの周囲のメフィティスは一切合財が動かなくなっていた。死体は動かない。自然の摂理を当然のように厳守している。そこにあるのは、キャスターの呪縛から解放された屍が転がっているだけだ。
「なん…ですと…?」
キャスターはそれが信じられないようだ。まさかメフィティスを無力化することが可能などと夢にも思っていなかった。
キリエ・エレイソンを使ったランサーはその場に膝を折っていた。その全身は火傷を負い、ぶすぶすと燻っている。
「加護があるとはいえ…この体ではやはり私までも無事では済まないか」
決してランサーの魂が穢れているわけではないが、霊体である以上キリエ・エレイソンを受けて平気である道理は無い。キリエ・エレイソンは神の奇跡であり、ランサーには神の加護があると言っても、無事には済まなかったようだ。
だがその火傷は急速に癒える。瞬く間にその傷は全快した。
「なんと。…貴方は神に仕える身であるか」
セイバーが呟く。その圧倒的な聖光を目の当たりにしたとあれば、ランサーの前身は神聖なものであったと察しがつく。あの奇跡は、まさしく神に仕えて神を敬うものにしか扱えないものだ。
この光を見て、ランサーを信じられないものが居ようか。これほどの清らなものを持つ者を、疑うことができようか。
「然り。この身は神とその子に仕えたもの。…なればこそ、キャスター。私は貴様が許せない。神聖を騙り、死者の尊厳を貶めた貴様は万死に値する」
ランサーの内に秘めた怒りは本物だ。セイバーのように外へ発散させない分、静かに、それでいて猛る怒りの炎。
「ぐ―――『
その言葉を受け、再び死者は起き上がる。力なく弛緩していた四肢に力が込められ、怨嗟と嘆きの叫びを上げながら呼び覚まされる。
「ほう、貴様はかのゲオルグ・ファウスト博士か。しかし…万でも足りぬと見える。よかろう、貴様が望むだけくれてやろう。聖書にはこうある。“目には目を歯には歯を”。他者を傷つけた貴様は、同じだけ傷つかねばならない!」
「同感だ。キャスター、貴様は報いを受けなければならない」
セイバーとランサーはその得物を構えなおす。彼らは互いに確信した。
ランサーだけでは足りぬ。彼のキリエ・エレイソンは一時的にメフィティスを封じ込めるが、突破力に欠ける。千日手の様相を呈するだけだ。
セイバーだけでは足りぬ。彼には突破力があるが、それはメフィティスに阻まれてしまう。誰かがメフィティスを封じ込めなければならない。
だから確信した。我らなら、キャスターに裁きを下せるものと!
「キャスター、その宝具を使用するのにも魔力を使っているのだろう?あと何回死者は蘇る?」
ランサーはキャスターを揶揄する。今、この瞬間に限定すればセイバーとランサーは最高のタッグだった。ランサーの言葉にセイバーが続く。
「いくぞ、キャスター。魔力の貯蔵は十分か」
そして二人は同時に地を蹴る。二人は互いの最高速をもって死者の群れへと吶喊する―――!
「「覚悟!!」」
◆◇◆◇◆
その瞬間、時間は停滞したように思えた。
私の前、いいえ全方位から死者が群れをなし、隊伍を組んで襲いくる。
ああ、しまった。一瞬対応が遅れた。
「――――。―――。」
背中で澪が何か呟いているように思えるけれど、それに構う余裕なんてない。何より声が小さすぎてわからない。
右手を突き出し、目に付いたものを片端からガンドで打ち砕く。けれど、これはダメだ。一瞬のタイムラグさえなければまだ間に合ったかも知れないけれど、今になっては全てを倒しきることは出来ない。
あ、士郎が焦っている。凄い勢いで自分に襲い掛かったものを切り捨てて、こっちを助けようとしている。けれどこれは無理じゃないかな。全方位から同時にくる攻撃は捌ききれない。
士郎が生き残れば澪と私は死ぬし、私と澪が生き残っても士郎は死ぬ。だってそうでしょ?一度に捌ける範囲と数は決まっていて、それは私と士郎を合わせても綺麗な円にはならない。澪を投げ捨てて両手を使えば私と士郎は生き延びるかも知れないけれど、澪は死ぬ。
私が死ぬのも、澪が死ぬのもコイツは許せないだろうな。さっき一緒に逃げるって言った矢先だし、それには澪も勘定されている。全員欠かさず生き延びるって決めたんだから、律儀にも澪を抱えたまま不利を背負ってしまっている。
「――――。――受肉した私が誓う。」
ああもう。何を呟いているのよ澪。アンタのおかげで今大ピンチなのよ。
だってほら、今目の前に歯並びの悪くて鋭い牙が襲い掛かってくる―――!
「下ろせ、凛」
「―――――え?」
反射的に澪を下ろしてしまった。その声は澪のもの。だけど、何か違う。決定的に何かが違う。
澪の体が流れるように動く。さっきまで昏睡していた身とは思えない体捌き。震脚。そして蛇のように拳は流れ、メフィティスの顔面へ容赦のない拳が叩き込まれた。
次から次へと来るそれに拳を叩き込み続ける。それは流麗に、蛇のように淀み無く。士郎は驚きながらも剣を振るうのを止めないが、やはり意識はこっちに向いているみたいだ。
「何を呆けている凛。右からくるぞ」
慌てて右から来た死者にガンドを打ち込む。強めに撃ったガンドはそれを粉砕するが、きっとまたすぐに起き上がるのだろう。
「――――“
だけど、澪のそれによって死者は沈黙した。神々しい光が放たれ、山を成しつつあった死者を包む。そしてもとからそうであったかのように、それはひたすらに寡黙を貫く。
「ふむ…やはりこの体では筋力が不足しているか。…どうした衛宮士郎。それに凛。何か信じられないものでもあったかね?」
気がつけば、私達を追っていたそれは全て沈黙していた。この、澪のような何かによって。
勿論、半分以上は士郎と私が倒したものだけれど、何割かはこの何かが打ち倒して沈黙させたのだ。
だけれど、何故だろう。この口調。雰囲気。そして人を見下すかのようなこの笑い。あらゆる要素が、私に一人の男の名前を連想させた。どうやら士郎も同じ考えらしく、おもしろいことに声が完全に重なった。
「「言峰―――綺礼?」」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【クラス】キャスター
【マスター】間桐慎二
【真名】ゲオルグ・ファウスト
【性別】男性
【身長・体重】174cm 65kg
【属性】混沌・悪
【筋力】 E 【魔力】 A
【耐久】 D 【幸運】 B
【敏捷】 E 【宝具】 A+
【クラス別能力】
陣地作成:B
魔術師として有利な陣地を作り上げる。工房の作成が可能。
道具作成:A
魔力を帯びた道具を作成できる。いずれは不死を可能にする薬を作ることもできる。
【保有スキル】
精神汚染:C
精神がやや錯乱しているため、他の精神干渉系魔術を低確率でシャットアウトできる。
このレベルであれば意思疎通に問題は無い。
知識探求:B+
未知に対する欲求。未知のものに出会っても短時間で混乱から立ち直り、それを理解する。
また、自分が扱う魔術体系の魔術であれば、低確率でそれを習得できる。
【宝具】
対界宝具・レンジ1~999
キャスターとその宝具を対象にする宝具や魔術を無効化する。特に宝具に対する耐性が高い。
真名開放して使用するタイプの宝具に対してはキャスターも真名解放する必要がある。
キャスターとその宝具を対象にしないものについては全く効果を発揮できない。また、これの発動にも魔力を消費しているため弱い魔術に対しては使用することは有効ではない。
士郎の固有結界は世界を対象にしており、キャスターがこれを使用するには自身を対象にするまで待つ必要があった。メフィティスが狙われたときに使わなかったのは、可能な限り魔力を消費させる意図があったため。
対軍宝具・レンジ1~50
死者の肉体を蘇生させ、そこに人口の魂を封印することで擬似的なホムンクルスを生み出す。
不死性も不完全ながら命のエリクシルの理論を応用しているため、封印された魂が現存する限り復活する。
しかしその魂が剥がされた場合にはただの死体に戻ってしまう。