Fate/Next   作:真澄 十

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Act.13 友は逝き

「全く、相変わらず師を敬おうという気は無いと見える。兄弟子を忘れたのかね」

 

 言峰綺礼。元代行者にして聖杯戦争の監督役。第五次(ぜんかい)ではギルガメッシュとランサーを従え、間桐慎二をそそのかして聖杯の完成を画策した男。遠坂凛の拳法の師匠でもあり、どこまでも歪んだ者。

 

 声と姿は間違いなく澪のものだ。だがその言葉遣いや細かい動作、足運びから表情の作り方まで完全に言峰と同一。

 

 どういうことだ。こんなことが有り得るのか。キャスターの宝具じゃないんだ。死者が蘇るなんて。

 

「言峰…澪に何をした」

 

「そんな顔をするな、衛宮士郎。私自身、にわかには信じがたいことだ。が…こうなっては仕方あるまい。君達を家まで送り届けようではないか」

 

「信じられると思っているの、綺礼。…アンタが私にした仕打ち、忘れたとでも思っているのかしら?」

 

 遠坂凛は前回の折で言峰の策により束縛されて監禁されていた。その仕打ちを考えれば、言峰の言葉を信じられないのも無理もないことだろう。

 

「いや、全くだ。だが安心するがいい。少なくとも、今のところは私が君達に危害を加えることはない」

 

 そこまで言うと、(ことみね)は一人で歩きだした。呆気に囚われて凛と士郎はその背中を見送ることしか出来ないでいる。

 

「どうした、凛、衛宮士郎。セイバーを逃がすためにも君達がまず逃げねばならんのだろう?急ぐべきではないのかね?」

 

「「……」」

 

 二人は沈黙のまま歩き出した。困惑は大きく、(ことみね)に対してどう接したらいいのか分からない。やや距離をとり、睨むような視線をその大きくもない背中に送り続けながら坂道を下るのだった。

 

 道中は完全に無言。誰も言葉を発さない。この針のような空気は一体何だ。

 

 ―――言わずもがな、(ことみね)によるものだ。正確には(ことみね)と士郎及び凛との間にある軋轢ともいうべきか。

 

 士郎も凛も認めざるを得ない。これは間違いなく言峰綺礼である。姿形だけを変えて、あの男が黄泉帰ったとでも言うのだろうか。

 

 いや、それよりも。

 

 澪はどうなったのだろう。言峰が転生…いや、それは有り得ない。澪は言峰が死ぬ前からずっと生きているのだ。万が一にも転生は有り得ない。

 

 では憑依だろうか。言峰の魂が、澪の肉体に憑依したと考えれば納得がいくというものだろう。だが、それも少々考えにくいことだ。まず魔力を体に宿しているということは、魔力という防壁を纏っているということだ。意思を操られるのならともかくとして、魔術師がただの霊に体を乗っ取られるというのは、有り得ない話ではないのだが考えにくいことだ。

 

 ではこの状況はどういうことなのだろう。何故、澪は言峰のように振る舞い、言峰の記憶を持っているというのだろう。

 

 分からない。この状況が澪によるものなのか、言峰によるものなのか。それすら分からない。

 

「そこの者、何か用かね?」

 

 おもむろに(ことみね)が立ち止まり、茂みの中へ声をかける。士郎にも凛にもそこに誰が居るのか伺い知れないが、(ことみね)の探索魔術はまだ起動しているのだろう。ならばそこに誰かが居るのは間違いない。状況から考えると、キャスターのマスターだと考えるのが妥当なのだろうか。

 

 がさがさと茂みが蠢き、奥から人影が出てきた。まだやや遠く、雨の所為もあり誰かは分からない。

 

 怒気を隠そうともせずに、荒々しい調子で地面を踏み鳴らしながらそれは接近する。ようやくそれが誰か分かる距離まで近付いたときに、士郎は軽い衝撃に襲われた。

 

 間桐慎二である。

 

「ほう、少年。何用かね?」

 

「……」

 

 慎二は何も喋らない。だがその目が何よりも語っていた。

 

 ―――殺す。

 

 その目に狂気を宿し、叩きつけるような殺意を3人に送り続ける。その目線がぐるりと3人を順番に見渡し、衛宮士郎で固定された。

 

「慎二…お前がキャスターのマスターなのか」

 

 この状況で聞かない訳にはいかない。キャスターが至近に居座っていて、そこに現れた慎二。第五次(ぜんかい)の例もあることを考えれば、彼がマスターであることはほぼ間違いない。

 

「ああ、そうだよ衛宮。ボクがキャスターのマスターさ」

 

 ところで、と慎二は続けた。

 

「衛宮、嬉しいよ。キミがここに来てくれて」

 

「…そうか」

 

「ああ。何でかよく分からないけれど、ボクはキミを殺したい。ぶっ殺してやらないと気が済まないんだ。そういうワケだからさ、衛宮。大人しく殺されろぉお!」

 

 そこまで言うと慎二は突進してきた。顔を突き出す獣のような形で。その口から覗く歯は、ひどく鋭くて乱れていた。

 

 跳躍。人間にはおよそ不可能と思えるほど高い。その高度から、衛宮士郎を組み敷こうと落下する。

 

 だがその歯が衛宮士郎に届くことはなく、高く飛んだ慎二の顔面を(ことみね)の肘が打ってそれを撃墜した。

 横合いから頭蓋を粉砕する勢いで放たれた肘は、澪の容姿ということもありまるで舞いでも舞っているかのように士郎と凛には写った。しかしそれは常人が受けていたら、もはや意識を保てないほどの威力を秘めている。

 

「がぁ…くそがぁ…アンタから先に死にたいんだな…?」

 

 だが慎二はよろよろと立ち上がる。どうやら鼻を折ってしまったようだが、気絶することもなく立ち上がった。

 

 そして、その鼻の出血はすぐに治まる。さらに折れた鼻は逆再生でもするかのように、瘴気を撒き散らしながら元に戻っていった。そう、まるで――――あのメフィティスのように。

 

「ふむ、人外の匂い…少年、確か間桐慎二といったか…貴様、人を捨てたな?」

 

 え、と後方から二人分の声を(ことみね)は聞いたがそれを聞き流す。

 

「キャスターの魔術によって人を捨てたのだろう、少年?いや、貴様の意思があったか無かったは知らないがね。貴様は、あの哀れな擬似ホムンクルス(メフィティス)ではなく、本物のホムンクルスになったと見える。なるほど、死者の記憶をそのままに肉体を不死に近いものに作り変える。その凶暴性はキャスターに脳でも弄られたか。…神にでもなるつもりだったのかね、間桐慎二?」

 

 キャスターが慎二に行ったこと。最初は慎二の命を奪うことだった。そして肉体から離れた魂を捕らえておき、肉体を相応しいものに弄繰り回して改造する。しかる後に魂をその肉体に戻す。これでホムンクルスの完成だ。死んだとはいえ、元は自分の肉体だ。それに一度聖杯に成りかけたことによって得た性質もある。拒絶反応が起こる筈も無く、成功してしまった。

 

 キャスターの宝具は擬似的とはいえ一瞬でホムンクルスを大量に生産できることが強みだ。だが今の慎二はそのような量産品ではなく、キャスター手製の一級のホムンクルスである。

 

「……アンタ誰だ?どこかで会った気がする」

 

「…いやはや、私は誰にも覚えられていないのかね。少年、私は八海山澪。初対面だ」

 

 だが、と区切りながら(ことみね)は続けた。

 

「今は言峰綺礼。少年、7年前に君をそそのかしてギルガメッシュと聖杯を与えた神父だ。覚えているかね?」

 

 ひどく胡乱な記憶でも、その出来事は鮮烈に覚えていたのだろう。一瞬だけそれを思い出したのか、びくりと身を震わせた。だが一瞬のこと。すぐに狂気と殺気を取り戻す。

 

「ことみね、きれい…!」

 

 今まで眼中になかったようだが、今この瞬間に慎二は(ことみね)のことも標的に定めたらしい。(ことみね)にもその殺意を惜しみなく叩きつけている。

 

 一人蚊帳の外にいる凛だが、実際のところ幸いだと思っていた。もはや魔力は底をついていて、ガンドだってあと数発撃てるかどうかというところだ。ここで自分まで標的に定められてしまうと、士郎の足を引っ張ることになりかねない。尤も…ここで士郎と(ことみね)が倒れれば、次の標的は自身だろうが。

 

「こうなっては戻す方法は無い。…さて、衛宮士郎。どうするかね?私がやるか、それとも君がやるかね?」

 

 (ことみね)は士郎に、『引導を渡してやりたいか』と暗に聞いている。士郎ではキャスターのメフィティスに対して有効な攻撃手段を持たない。だがマスターである凛には分かった―――今の慎二に対して士郎は戦える。いや、(ことみね)も分かっていたのかも知れない。だから士郎に聞いたのかも知れなかった。

 

「…俺がやる」

 

「そうか、手早くな」

 

 やはり進み出たのは士郎だった。送り出す(ことみね)の言葉の裏に、『早く楽にしてやれ』という言葉を士郎は読み取る。その手には干渉莫耶。投影は、これを除いてあと1回が限界だろう。

 

「最初はやっぱ衛宮からか…さっさとおっ死んでしまえよぉお!」

 

 獣じみた突進。だが本能に任せた愚直な突進が、7年間戦場に身を置いてきた衛宮士郎に通ずるわけもない―――!

 

 双剣が踊る。体は最小限の動きで慎二をかわしながら、その双剣は容赦なく肉と骨を断つ。心臓を穿ち、頚動脈を断ち、肺を潰す。容赦の無さこそが慎二に対する最大の慈悲なのだから、衛宮士郎は迷わずその剣を執る。

 

 一瞬でずたずたのボロ雑巾のような物体に豹変させられ、慎二は突進の際の勢いそのままに地に伏せる。だが、やはりキャスターのホムンクルス。あの回復力はやはり慎二にも備わっている。

 

「が…がぁ…エミヤァ…」

 

 声帯も間違いなく切り裂いているはずだが、回復力ゆえだろうか、それとも執念ゆえだろうか苦悶の声とともに怨嗟を吐き出す。徐々に肉体は回復していて、すぐに起き上がるだろうことは間違いない。

 

「士郎!慎二には宝具が有効よ!」

 

 凛が叫ぶ。『止めを刺してやれ』と。

 

 キャスターの『留まれ、お前は美しい(グレートヒェン)』の効果は、相手の宝具や魔術を“完了”させ、無効化するというものだ。だが、その強力さゆえに効果範囲には明確な線引きがある。

 

 まず、宝具や魔術に頼らない攻撃は無効化できないということ。例えばセイバーが剣で切りかかれば、容赦なくその刃はキャスターを切り裂くだろう。

 

 そしてもう一つ。例え宝具や魔術で攻撃されても、キャスター自身とその宝具以外は守れないということ。つまり―――マスターを守ることはできない!

 

投影開始(トレース・オン)!」

 

 キャスターの魔術は既に効果を完了している。慎二はもはや完全な人の埒外の存在だ。『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』ではキャスターからのサポートを封じることができても、慎二を救うことはできない。

 

 干渉莫耶を地面に投げ捨て、新たな剣を投影する。それはハルペー。メフィティスの前にはその真価を発揮すること適わなかったが、今こそその力を見せ付けることが出来る。

 

 その鎌のような刃は正確に慎二の首を捉え、そして―――引き裂いた。

 

 慎二はその瞬間に、自分の中のなにかが霧散するのを感じた。

 

 首を落としてはいないが、その刃は首の骨の中ほどまで切り裂いた。不死殺し(ハルペー)によって不死性を失った慎二には、迫り来る死を回避することはできない。

 

「あ――――」

 

 訪れたのは穏やかな眠気。痛みもなく、苦しみもない。実際には脳細胞が死滅していく際の麻薬のような幸福感なのだが、今だけは慎二にとってとても心地いいものだった。

 

 そして慎二は、今度こそ眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 その遺体は、今は雨に打たれない茂みの中に隠しておいた。キャスターに見つかったら大事になる。今は死体を埋葬することが適わないが、ささやかながらも弔ってやりたいという気持ちからだ。

 

「―――I know that my Redeemer lives, and that in the end he will stand upon the earth」

 

 葬式は茂みの奥の薄暗がりの中で進行していく。喪主など居ない。死者は手を組んだ形で眠っている。士郎と凛は、その心中に複雑なものがあるようだ。

 

「And after my skin has been destroyed, yet in my flesh I will see Gold; I myself will see him with my own eyes ――――I, and not another. How my heart yearns with me ……Amen.」

 

 その場で葬式を執り行えるのは(ことみね)だけだ。5分にも満たない葬式ではあったが、ちゃんと葬式を挙げることが出来るのはいつになるのか分からない。士郎の強い申し出によって、ささやかな葬儀が開かれた。

 

 その遺体は魔術によって守られている。まずその遺体は魔術的な処理によって発見が困難だ。よほどのことが無い限り人に見つかることはない。

 さらに防腐処理。そして防護。慎二の遺体は猛禽や虫に食い荒らされることはない。最低でも一ヶ月はこのままの姿を維持するだろう。

 

「全く―――凛に言わせれば『心の贅肉』だろうに。あのような外道に成り果てたものなど、捨て置けばいいものを」

 

 ささやかな葬儀が終わり、(ことみね)は言葉をこぼす。なるほど元代行者らしい物言いだが、凛は頭を振って否定した。

 

「いいのよ。心の贅肉だって時には必要なの」

 

「そのようなものかね。しかし長居は出来まい。亡者共は姿を見せないが、安心はできない。早く行くぞ」

 

 その背中に士郎が声を投げる。

 

「言峰、ありがとう。…その、落ち着いたらちゃんとした葬式を挙げてやりたいんだけど、その時はもう一度頼んでいいかな?」

 

「……やれやれ、私も懐かれたものだ。…だがやぶさかではない。死者を送り出すのも私の務めだ」

 

 一瞬だけ立ち止まり、(ことみね)は再び歩き出した。士郎はといえば、桜になんと説明しようかと暗澹たる気持ちに囚われるのだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「おのれ、おのれェ…!」

 

 キャスターが吐き出したのは怨嗟の言葉だ。

 

 セイバーとランサーの二人の猛進は留まるところを知らない。もとよりセイバーとランサーというクラスはキャスターの宝具との相性が良いとは言いがたい。『留まれ、お前は美しい(グレートヒェン)』は宝具や魔術を無効化できるが、魔的な要素を持たない剣には効果を発揮できない。必然的に接近戦で優秀なサーヴァントには力負けする可能性が生じる。

 

 それでも相手が単騎であるならその物量で押しつぶすことが可能なのだ。だが、相手が複数になると危うい。

 

 セイバーとランサーの攻撃は息もぴったりと合っている。セイバーが切り込み、ランサーが魂を浄化させる。セイバーは血路を開くことに集中でき、ランサーはメフィティスを浄化することに集中できる。互いが互いを守ることでその実力は十二分に発揮されていた。

 

 次々とメフィティスを沈黙させる。ランサーは身を焦がしながらもその聖句を唱えることを止めない。それに答えようと、キリエ・エレイソンの範囲から逃れつつも先陣を切って突き進む。

 

 彼らは互いに一騎当千。千に満たないメフィティスの軍勢が、どうして二人を止められようか。

 

「破ぁぁ!」

「おおぉぉ!」

 

 二人が吼える。キャスターの方向へと、迷いなく進む。

 

 キャスターは心底恐れた。キャスターはメフィティスに頼らなければまともな戦闘が出来ないということもある。元が魔術師ではなく科学者だ。魔術を習得しているといっても錬金術の体系に組み込んだだけであり、戦闘など望むべくもない。

 

 だがこの恐怖はそんなものに拠るものではない。無敵と思っていた軍勢が次々と倒れ付す恐怖。そして何よりも、彼らの不屈とも思える闘志。これがキャスターには恐ろしい。

 

「おのれ、おのれ…!『死臭を愛する大公(メフィストフェレス)』ゥゥ!」

 

 もはや半狂乱だ。すぐさま逃げ出してしまえばいいものを、錯乱した思考ではそれが思いつかないらしい。なまじ理詰めで考える分、ひとたびパニックを引き起こせば容易には立ち直れない。

 

 倒れ付していた死者が立ち上がる。もはや数回目の発動だ。キャスターは魔力の無駄遣いであることは分かっている。分かってはいるのだが―――錯乱状態の彼には怨嗟を吐き出しつづけ、宝具を開放し続ける以外に己を保つ術がないのだ。これではいずれ魔力が尽きる。キャスターのこの宝具はかなりの魔力を浪費する。マスターからの供給も無尽蔵ではない。魔力の限界は既に見え始めていた。

 

「―――“この魂に哀れみを(キリエ・エレイソン)”」

 

 一方、ランサーの聖句は尽きることがない。その口が動く間はずっと聖句を唱え続けるだろう。聖句とは神の奇跡であり、魔力に頼らない神秘だ。それによって焦げた肉体の修復には魔力を要するものの、真名開放さえしなければ負担は微々たるものだ。

 

 ゆえにこの結末は必至。二人はメフィティスの向こうにキャスターの姿を見つけた。ついに彼らの刃は亡者の海を切り分け、キャスターへと至る。

 

「居たな、キャスター!覚悟!」

「見つけたり、キャスター!断罪を受けよ!」

 

 最後の防壁は破られ、ついにキャスターを守るものは無くなる。二人はキャスターを屠ろうと、さらに四肢に力を込めて吶喊する。

 

「ヒィッ…!来るな、こちらに来るな!」

「聞けん!」

「聞く耳を持たぬ!」

 

 そしてセイバーはその必殺の刃を振り上げる。ランサーは必殺の刃を引き絞る。両者が同時にそれを放ち、セイバーは首を、ランサーが心臓を狙う。

 

 そしてその刃がキャスターを絶命させる刹那の前に、キャスターは閃光に包まれた。

 

「な―――!?」

「これは―――!?」

 

 放たれた刃はそのままキャスターの居た場所を通過するが―――虚しくもそれは空を切っただけだった。

 

「令呪…」

「何ということか…」

 

 令呪だ。間違いなくそう断じられる。キャスターに空間転移の術が扱えるのであればもっと早くに使用している筈だ。おそらく遠見か何かで様子を見ていたマスターが、キャスターの窮地を悟って逃したに違いない。それにランサーは一度令呪による空間跳躍を経験しているのだ。間違いなく同質のものだと断言できる。

 

 両者は構えを解く。全身が脱力感で支配されているのが感じられた。

 

「ランサー、貴方の助力がありながら討ち取ることが出来なかった…。偏に私の不徳の致すところだ、申し訳ない」

 

 セイバーは悔しそうに歯を噛みながら呟く。

 

「否。貴方の所為ではない。貴方は十二分に戦った。それに…死者も眠りにつくことができた。今はそれで良いではないか」

 

 見れば、メフィティスは全て沈黙していた。キャスターから離れてしまうと魂を仮初の肉体に維持できないらしく、それらは全てただの死体へと戻っていた。

 

「とりあえずは安心だろう。あれほど消耗させたのだ。暫くは身動きとれまい」

 

「…そうだな、ランサー。礼を言わせてもらう」

 

「良い。私も礼を言いたいぐらいだ。セイバー、死者の為に戦ってくれた貴殿には感謝したい。その義憤は本物だった」

 

「はっは。これは参った、照れくさい」

 

 キンという子気味の良い音を立てて剣を納める。さて、とセイバーは仕切りなおして続けた。

 

「私はマスターのところへ行かねばならない。ランサー、いずれ手合わせを願いたい」

 

「うむ。いずれ」

 

 少なくとも今は闘争の雰囲気ではない。今はこの瞬間だけは二人は戦友であり、敵ではない。少なくとも、次に邂逅するときまでは刃は納めるべきだ。二人の意思はこの点で合致した。

 

 しかし――――

 

“ランサー、セイバーを殺せ!”

 

 令呪ではない。ここで令呪を一画消費するほど愚かなスカリエッティではない。ランサーがマスターの意思に従うのならば、強制的に令呪で従わせる必要はないからだ。しかし―――ランサーにとってこの言葉は破壊力に富むものだった。

 

「な、何故!?」

 

「ん?」

 

 スカリエッティに対して返す。状況がいまいち飲み込めないセイバーはその言葉に疑問符を返す。

 

“セイバーは手負いだ。今ならば討ち取れるだろう。ここで倒さない理由はないはずだ”

 

「……ッ」

 

 確かにそうかも知れない。だが―――それはあまりに義に欠ける。今この瞬間まで肩を並べていたものに刃を向けるなど、卑劣にも程があるのではないのだろうか。

 

セイバーは全身に傷を負っている。戦闘続行が不可能というわけではないが、その動きは多少鈍る。手負いの者を手にかけるなど、武人としても聖人としても考えがたいことだ。

 

「どうした、ランサー。難しい顔をして」

 

 セイバーは怪訝な表情だ。ランサーとスカリエッティの会話を聞き取る術のないセイバーだけが蚊帳の外にいる。いや、未だ戦火の中心に居ることに気付いていないだけだ。

 

“異議は聞かん。従えぬというのなら、令呪を使用するだけだ”

 

 サーヴァントにとって最大の脅し文句を突きつけられて、ランサーはその言葉に従うしか無くなった。

 

 ―――嗚呼、また一つ、罪を背負ってしまうのか。

 

「―――御意」

 

「何がだ、ランサー?ああ、念話か?存外に便利そうだな、私もマスターと―――」

 

 そこまで言ってランサーが槍を構え直していることに気がついた。顔は眉間に皺を寄せてはいるが、目は嘆きと共に敵意も孕んでいる。

 

「申し訳ない、セイバー。私は貴方を討ち取らなければならなくなった。許せとは言わない。私を憎んでくれ…私は罪人ゆえ」

 

 奇襲じみた攻撃を仕掛けなかったのは、ランサーの罪の意識だろうか。どこかその構えにも覇気が無いように思えた。

 

 セイバーは、ランサーはマスターと軋轢があるだろうことを悟った。所詮サーヴァントはマスターには服従せざるを得ない。良好な関係が築けなければ、意に沿わぬ命令を下されることもあるだろう。そしてそれに応えるしかサーヴァントには出来ない。

 

 セイバーは、ランサーの痛々しい思いを他人のこととは思えなかった。

 

「…そうか。それならば、応じよう」

 

 先ほど納めたばかりの剣を再び抜く。何百を切り裂いてなお、その剣は些かも切れ味は鈍ってはいない。だが、その担い手は疲弊している。

 

 構えるセイバーにもどこか覇気が無い。やはりセイバーもこのような戦いは望んでいないのだ。

 

「気落ちすることはない、ランサー。貴方のような武人、いや聖人と手合わせ叶うなど身に過ぎた誉れだ。…いざ」

 

「…忝い。……いざ」

 

 両者は同時に踏み込んだ。得物の長いランサーの刃が先にセイバーに襲い掛かる。覇気はなくとも、最高速で突き出された刺突。それをセイバーがいなし、懐に飛び込んでその剣を振るう。だがランサーはそれを予期していたのか、その俊足を以ってそれを避ける。

 

 二人の戦闘は丁々発止の打ち合いとなり、辺りには甲高い金属音が鳴り響く。それと同時に二人の得物は唸りを上げ、空気に悲鳴を上げさせる。その打ち合いは一瞬で十数合へ到達する。最速のサーヴァントと最良のサーヴァントの戦いは、ただ打ち合うだけで周囲を蹂躙する。

 

 ランサーの薙ぎ払い。だが今度はセイバーがそれを予期してあり、それを跳躍して回避する。セイバーの落下の勢いを上乗せした打ち下ろし。それをランサーは得物の腹で受け止める。

 

 鍔迫り合い。互いの得物から火花が散る。筋力はセイバーが勝ってはいるが、この剣は片手剣だ。両手で得物を握るランサーと拮抗する。

 

「見事だ、セイバー…!これほどまでに研ぎ澄まされた剣、賞賛に値する…!」

 

 ランサーが鍔迫り合いのままに賞賛を送る。偽りのない、心からの賛辞だ。

 

「その誉れ、有難く頂戴する…!貴方こそ、この迷い無き槍捌き…見事だ!」

 

 セイバーも賞賛を返す。セイバーは左手に持っていた盾の実体化を解き、剣を両手で握る。片手剣ではあるが両手で持てない訳ではない。柄の長さは両手でどうにか握れる程はある。

 

 左の腕の膂力も加わったことで拮抗は崩れた。徐々にランサーが押され始める。このまま組み敷かれれば命はない。ランサーは四肢に鞭打って一瞬だけ押し返し、その一瞬を活かしてバックステップのように大きく飛びのいた。

 

 大きく開いた距離をセイバーは詰めようとはしなかった。ただその場でランサーを見やるだけだ。

 肩で大きく息をする。玉のような汗を額に浮かべている。全身からは血が滴り落ちる。セイバーには疲弊の色がありありと見えていた。限界は遠くない。

 

「…申し訳ないが、そろそろ終いだ。セイバー、このような手合わせになったことを残念に思う」

「く…」

 

 ―――拙い。これ以上の戦闘は難しい。休息すら挟まない連戦には負傷が大きすぎる。ならばどうする。何が出来る。

 

―――宝具を使うほどの魔力なら、ある。

 

 (マスター)からの魔力供給は十分だ。連続で使用しない限りは問題ない。肉体の疲弊は大きいが、魔力は十分に蓄えられている。

 

 ランサーが槍を低く構える。もう幾分の猶予もない。空いた左手に“それ”を具現化させる。“これ”こそがセイバーの誇る最強の宝具。

 

「――――覚悟!」

「それは貴方のほうだ、ランサー!!」

 

 そしてセイバーは必殺の宝具を開放した。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「やっぱり桜には暫く伏せておきましょう。桜は聖杯戦争については何も知らないわ。ヘタに慎二のことを話せば桜に危機が及ぶかも…」

 

 実際のところ桜は聖杯戦争のことをよく知っているのだが、二人とも彼女は聖杯戦争には関係がないと思っている。士郎に至っては魔術師ですらないと思っているほどだ。

 

 士郎の考えはこうだ。桜にはいずれ全部話す。その末に殺人罪に問われるのなら、それを甘んじて受けよう。だが、今は駄目だ。今そうなっては身動きが取れなくなる。衛宮邸で何か起こったときに、桜を守ることが出来なくなる。

 そうでなくとも、桜に事実を突きつけることで益は無いうえ、損ばかりが目立つ。

 だったらいっそ、今だけは何も知らないほうが全員にとって安全で最も良い選択だろう。全てが終わってから、全てを話すつもりだった。

 

「申し訳ないけれど今は黙っておくべきね。…それでいい?士郎」

 

「ああ」

 

 桜を騙すのは気が引けるけれど、と士郎が付け加える。頭では理屈が分かっていても、やはりそれをすんなりと受け入れる要領の良さは持ち合わせていないようだった。

 

「だから帰ったらいつも通り振る舞いなさい。いいわね?」

 

「分かった」

 

 少なくとも、士郎はこの7年間で平静を装える程度の要領の良さを獲得していた。その内面はともかくとして、上辺を見る限りでは平静を装い切れるだろう。

 

「――――ん?」

 

 (ことみね)がおもむろに振り返り、明後日の方向を凝視する。それにつられて二人もそちらを見るが、木々が深い上に雨で何も分からない。

 

「どうした、言峰?」

 

“セイバー、宝具を使ったな?”

 

 自身の体から魔力をごっそり持っていかれた。考えられるのはセイバーの宝具開放。雨と木々の覆いがなければその余波を垣間見ることが出来たかもしれないが、残念ながらそれは叶わなかった。

 

「――いや、何でもない。先を急ごう」

 

 だが(ことみね)はその顔を些かも動かさず、さも当然のように振舞う。ここでセイバーが宝具を使用したと教えれば、衛宮士郎は引き戻しかねない。二人の会話に倣う訳ではないが、今は黙ってくことに決めた。二人もあまり気にしなかったのかそれ以上追求することもなかった。

 

 黙々と坂道を下る。メフィティスも襲ってはこない。10分ほどゆったりと歩いて、特に問題もなく市街地に出ることができた。

 

 ここまでくれば安全だろう。そろそろ空も白みかける頃合だ。キャスターが存命かどうかは分からないが、日中の街中であれを動員するようなことは無い筈だ。

 

「さて、私はこの辺りでお別れだ」

 

 そこからやや歩いたところで(ことみね)はおもむろに告げた。

 

「そろそろ体を持ち主に返さねばならんだろう。…しっかり受け止めろ、衛宮士郎」

「え―――ちょっ?!」

 

 そう言うや否や、突如糸が切れたかのように(ことみね)が倒れこんだ。慌てて士郎はそれを受け止めて、顔をアスファルトに強打させることは防いだ。

 

「大丈夫か?!」

 

 体を支えたまま揺する。だが澪は目を覚まさない。しかし健やかな寝息を立てており、脂汗が流れることもない。気絶―――なのかどうか判別しかねるが、取り敢えず問題無い様子ではあった。

 

 眠りは深くて、簡単には起きそうもない。士郎が背負って帰るほかないだろう。…町に活気が戻ってくる前に帰宅したいものだ。ずぶ濡れの上に、見れば返り血で汚れている三人は職務質問あるいは通報必至だろう。

 

「…一体何だったんでしょうね」

「さあ…」

 

 四肢を弛緩させている澪を背中に背負う。気がつけば雨も上がったようだ。濡れないで済むのはいいが、既にずぶ濡れだ。いまさら晴れても関係ないといえるが、少なくとも澪の体をこれ以上冷やさなくて済むのはありがたいことだった。

 

 帰路に就こうと一歩を歩き出したとき、前方からサーヴァントが実体化した。セイバーだ。見れば痛々しい傷が全身にある。熾烈を極める戦いだったのは間違いないだろう。

 

「皆無事か、それは良かった…。シロウ、約束を守ってくれたこと、感謝したい」

 

「いいよ、そんなの。それよりもおかえり、セイバー。アンタが無事で何よりだ」

 

「はっは。コレが無事に見えるのならば眼科に行くことだな」

 

 その言葉は先ほどの凛の言葉をなぞったものだ。冗談を言えるほどの余裕があるということは、取り敢えず危機は去ったということだろうか。

 

「セイバー、キャスターはどうなったの?」

 

「…済まない、リン。キャスターは逃してしまった。だが、かなり疲弊させたので暫く身動きは取れない筈だ」

 

「あ、セイバー。キャスターのマスターは倒したんだ。そんなに疲弊させたんだったら、次のマスターを見つけるヒマも無いはずだ。解決したと言っていいと思う」

 

 キャスターの魔力がいかに優れていようと、供給が成り立たなくては消え去るしかない。確かにあれほど疲弊させれば新たなマスターを見つける暇もなく消えるしかないだろう。

 

「……?…そうか。ならば良いのだが」

 

 セイバーはどこか引っかかるものがあったようだが、今はそれを飲み込んだ。それよりも今彼が気になっているのは澪のことである。

 

「澪はまだ目を覚まさないか」

 

「あ、いや。一度覚ましたというか…なんというか…」

 

「…説明に苦しむわね。私たちにも何が何だかよく分からないわ。…まあ、今のところは問題ないことは間違いないのでしょうけど…」

 

「よく分からんが問題ないのだな?ならば良い。シロウ、私が澪を運ぼう。一足先に帰って寝かしておく。二人はゆっくり戻るといい」

 

 そう言って澪を士郎から受け取る。背負うのではなく、世に言うところに『お姫様だっこ』だ。そしてセイバーは屋根から屋根へ跳躍し、あっという間に見えなくなってしまった。あの速度ならすぐに衛宮邸に着くだろう。セイバーが送るなら安心だ。おそらく今冬木で最も安全な場所だろう。安心して澪を任せられる。

 

 日はもうすぐ昇り始める。冬木に新しい朝が訪れようとしていた。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「何だ、あの宝具は…!」

 

 忌々しげに呟くのはスカリエッティだ。負傷が激しいランサーは霊体となって、雑木林を書き分けながら進むスカリエッティに傷を癒しながら随伴していた。

 

「あの宝具、まさに破格…。私でなければ即死だったかも知れません。そうでなくとも、アレを使用されたら手も足も出せなくなる」

 

 セイバーの宝具は強力無比で、ランサーはまともにそれを受けてしまった。ランサーの自動治癒が無ければ殺されていただろう。

 スカリエッティの命によって逃走を始めたランサーを、セイバーは追おうとはしなかった。セイバーは手負いだ。無理して追うのは危険だと判断したのだろう。捉えようによっては、見逃されたとランサーは考えるかも知れない。

 

「思い出したぞ、『攻撃は最大の防御』という言葉がこの国にはあるらしいな…!ああ、全く以って忌まわしい!」

 

 まともな道を通らずに獣道を進むのは、セイバーと再び鉢合わせにあることをスカリエッティが恐れたためだ。ランサーの誘導のもと、獣道を掻き分けて坂を下る。幸いにも慎二の遺体を安置している場所とは別の方向だった。

 

「しかし…セイバーの真名は分かった。今後の対策も取れるというものだ」

 

「確かに。セイバー…あの無双の剣戟、かの英雄譚の英霊だとすれば納得がいくというもの」

 

「うむ。ああ、忌まわしい!ランサー、次の機会では遅れをとることなど無かろうな?」

 

「無論。得体の知れた宝具など脅威ではありませぬ。次こそは必ず」

 

 次こそは、必ず十全のセイバーと手合わせ願う。何の憂いもない状況で、全力を出せる場面で。

 

 ランサーはそれを表には出さなかったが、やはり今でもスカリエッティのあの命令は不服だった。セイバーを襲わせたのも不服なら、撤退させたのも不服。撤退させるぐらいならば最初から襲わせなければ良いものを。

 

 霊体なのは都合が良かった。もしも実体だったならば、きっと顔に出ていたに違いない。霊体ならば、語気にさえ気を使えばマスターへの不服を伝えずに済む。

 

 がさがさと草木を掻き分けながら坂を下る。ほどなくして、市街地に降り立つことができた。やや東よりに進んできたことになる。確証はないが、おそらくセイバーと鉢合わせはしないだろう。

 

 スカリエッティは棒のような足を動かし、宿を目指すのだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 霊体のまま、坂を最短距離で下る存在がいた。エミヤキリツグ(アサシン)である。

 

 エミヤキリツグはずっとその様子を観察していた。正確にはセイバーとランサーの戦いの顛末を見守っていた。距離があったため宝具を使用したセイバーの真名は分からなかったが、それよりも有益であろう情報は多く手に入った。

 

 澪たちのほうを追わなかったのは、澪がエミヤキリツグを察知できるからだ。もし襲おうとしても失敗に終わる可能性が高い。セイバーを令呪で呼ばれでもすれば事だ。

 

 それよりもサーヴァント同士の戦いを傍観し、次の確実な機会に討ち取れるように構えることのほうが良い。どうせアサシンのクラスでは闇討ちでも他のサーヴァントを討ち取ることは難しいのだ。情報収集に徹したほうが無難かつ賢い。

 

 セイバーとランサーの戦いはそれほど長くかからず、ランサーが撤退したことで決着はついた。セイバーもランサーも足が速く、キリツグでは尾行の続行が不可能だった。

 

“これで確認できていないサーヴァントは、ライダーとアーチャー、それにバーサーカーか”

 

 頭の中で戦略を考える。衛宮切嗣は既に死んだ人間であり、生前のコネクションは使えなかった。C4爆弾や狙撃用ライフルくらいは揃えたいものだったが、無いものは仕方がない。現状で最良の策を考えるだけだった。

 

 しかしこうなってみると自分がどれほど武器や爆発物に頼っていたか分かる。それらが全て用意できないとなると、戦略の幅が驚くほどに狭くなっているのが分かった。

 

 だがそれでも策はある。取り敢えず、探索魔術を用いる者がいるセイバー陣営は後回しにする。これは策に策を重ねる必要がある。使い魔に監視はさせるが、それ以上の手出しは控えておく。

 

 ランサー陣営はすでに見失っている。キャスター陣営もそうだ。となると、やはりもう暫くは情報収集だ。

 

 特にセイバー陣営はつぶさに調べたい。何故だか分からないが、何か引っかかるものがある。そして深く考えようとすればするほど、割れるような頭痛に襲われる。

 

 だが何となく直感していた。セイバー達のことを調べれば、失っている記憶を取り戻すことが出来るのではないか?今、彼らを殺して本当にいいのか?

 あえて理由をつけるとしたら、失った記憶が切嗣の意思を引っ張っているということだろう。

 

 キリツグは召喚されたときから収まらない偏頭痛に耐え、景山悠司が待機するアパートへと戻っていった。

 


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