Fate/Next   作:真澄 十

18 / 56
Act.17 贋作

 セイバーと士郎の二人は教会の屋上から飛び降り、軽やかに着地を決めた。セイバーは既に剣を抜いている。小さな蟲相手に剣は不利だ。よってセイバーは自分から切り込むことはしない。士郎を守ることに専念するつもりだ。

 

「シロウ、私はフユハラを!」

 

 セイバーは冬原を担ぎ上げて中に運び込む。士郎は地面に突き刺さった剣を抜いて構える。『害為す焔の杖(レーヴァテイン)』はその刀身に炎を湛え、夜を赤く切り裂いていた。冬原に群がっていた蟲はその炎で焼かれ、塵すら残しては居なかった。

 

「……間桐臓硯!一体何の用で教会を襲うんだ!」

 

「『それを説明せねばならんかのう?』」

 

 どこからとも無く声が聞こえる。まるで風呂場で反響しているかのようで、その声の主の居所を掴めない。

 どこに居るのだろうかと辺りを見回したとき、ある茂みの一角から這い上がるように一つの輪郭が現れる。明かりの届くところに出てきたそれは、やはり間桐臓硯であった。

 士郎は剣に込める力を強める。

 

「聖杯というものは確実に手中に収めるに限る。聖杯戦争の優勝者にしか使用できないような殊勝な代物ではないのでのう。手中に収めてしまえば、半ば目的を達してしもうたようなものじゃわい」

 

「……間桐臓硯。慎二は死んだ、このことは知っているのか?」

 

「知っておるとも。あの出来損ないめ、もう少し良い働きをするものと踏んでおったが、やはり出来損ないはそれなりの働きしかしないものじゃのう」

 

 士郎は自分の血管が切れる感覚を覚えた。眉間に皺を寄せて、爆発するのを必至に堪える。まだだ。まだ聞くことがある。

 

「……慎二が死んだ。間桐には後継者が居ない。……桜を魔術師に仕立て上げるのか?」

 

「……ふむ?……おお、そうかそうか。知らんのだったのう」

 

 臓硯はくぐもった笑いを漏らす。非常に愉快なことでも見つけたかのように、しかし醜悪さを感じさせる笑みすら浮かべている。喉の奥から出る嘲笑は、士郎を混乱させるには十分だった。

 

「な、何がおかしい!?」

 

「桜、のう……。そろそろ頃合かの。あやつはのう……」

 

 臓硯が次の言葉を捜す。どう表現すれば相手を打ちのめせるか、それを考えている顔はやはり妖怪に相応しいものだった。なおも笑いを零しながらも、士郎の内面を推し量るようにねっとりと視線で嘗め回す。

 その視線は、例えようもなく不快だった。

 拙い。アイツの言葉を聞いてはならない。聞けばきっと、打ちのめされる。でも動けない。臓硯の言葉に囚われ、次の言葉を待つことしか出来ない。

 呼吸が荒い。何だ、桜がどうしたんだ。桜に何かあるっていうのか。

 臓硯はようやく言葉を見つけたのか、口を開こうとしたその刹那―――

 

「シロウ、敵の言葉に耳を貸すな!」

 

 士郎の脇をセイバーが駆け抜けた。一直線に間桐臓硯へと飛び掛り、その肩口から胴へと袈裟に切り裂いた。両断したわけではないが傷は深い。皮一枚で繋がっているといっても過言では無い傷を負わされれば、たとえ魔術師であろうと死は必至だ。

 

「―――む!?」

 

 だが臓硯は倒れない。気味の悪い笑いを湛えたまま、そこに立ち尽くしている。よくよく考えれば血飛沫も無かった。

 負わせた傷を見て、セイバーは戦慄を覚えた。人間の本能に訴えてくる不快感。臓硯の体内には、汚らしい蟲がひしめき合っている。極大の蛆を集めて瓶に詰めているような、そんな不快感だ。いや、実際には瓶などない。これは蟲が集合して構成された、掛け値なしの化け物だ。

 

 セイバーがそれを悟ったときには反射的に剣を返して追撃を加えようとしていた。無数の蟲の集合ならば、ただの一撃で臓硯がどうにかできるわけがない。

 

 だが臓硯はこれ以上無意味に斬られるつもりは無いらしく、刃に襲われる前には蟲の集合を解いていた。まるで解けるかのように輪郭が崩れ、キイキイと鳴く蟲となって散る。いくつかをセイバーは踏み潰したが、大部分は逃れた。

 

「『害為す焔の杖(レーヴァテイン)』!」

 

 そこに士郎が『害為す焔の杖(レーヴァテイン)』を振りかざして疾走する。蟲の群れならば、広範囲に炎による攻撃が可能なこの剣が最も効果的だ。臓硯を構成していた蟲が逃げ込んだ茂みに向かって剣を投擲する。正確に剣は森の中へ飛び込み、次の瞬間に強烈な熱量を発した。燃え移る間すらなく炎の効果範囲を塵にする。下手に加減すれば辺り一帯は大火事だ。いっそ一瞬で塵にしたほうが燃え移ることも難しいためこちらの方が好ましい。

 

「『カカカ……。監督役代行といいお主といい、火遊びが過ぎるのう』」

 

 だが臓硯は炎から逃れたのか、声は未だ健在だ。かなりの数を焼き払ったのは間違いないのだが、致命傷にはならなかったらしい。またも森の中から声が響く。

 

「士郎、一度剣を握ったならば決して迷ってはならない。迷いは剣を曇らせる」

 

「……ああ、分かった」

 

 士郎は頭から雑念を追い出そうと、軽く頭を振る。剣を構えなおし、真っ直ぐに前方を見据える。そこにはもう迷いは見受けられなかった。

 

 ざわざわと木々が風に揺れる。わんわんと羽音が響く。じわりと汗が滲む。まるで森が心を焦がしているような錯覚を覚える。

 

 おもむろに四方八方から蟲が飛び出す。各々の持つ凶器で士郎とセイバーを蹂躙しようと牙を剥く。

 

「おおおッ!」

 

 気合一閃。それに応えるようにレーヴァテインから炎が噴出す。セイバーを巻き込まないようにぐるりと剣を回転させて炎の壁を作り出す。燃え移るものが何もないにも関わらず、炎はその場に留まる。

 その赤壁は外に向けて膨張し、襲いかかってきた蟲すべてを蹂躙した。最高位の炎の剣(フレイムタン)であるレーヴァテインの前には、蟲など脅威にもならない。役目を終えた炎は掻き消えた。

 

 だが、やっかいなのは森に火を放つことができないことだ。火が燃え移ってしまえば教会は間違いなく焼け落ちるだろう。神聖を帯びた炎は簡単に消せないため、鎮火する暇すら無いのは明白だ。山火事となれば被害が甚大に過ぎる。

 ここは聖堂教会の敷地である。例外的にこの場での戦闘を許可されてはいるが、ここを焼け野原にしてしまえば今後に遺恨が生じる。いやそもそも、そんな事態になれば街の人々が気付くだろう。この場に消防が殺到することは間違いない。

 

 それが分かっているのだろうか、蟲は森から積極的に出てこようとしない。先ほどのように真名開放して燃え移る暇すらなく消し炭にしてしまうことも出来るのだが、士郎の魔力量に不安がある。投影の精度のこともあり、あまり広範囲に発動できないのも難点だ。

 

「士郎、それを私に貸せ。私が森の中から炙り出してやる」

 

「……わかった、気をつけてくれ」

 

 剣に長けるセイバーだ。その魔剣としての力を完全に出し切ることが出来ないとしても、一振りの剣としては十全に振るうだろう。彼の得物の片手剣を仕舞い、波打つようなその剣を受け取る。

レーヴァテインの形状はフランベルジェと呼ばれるものが近い。刃が直線ではなく、何度も湾曲しているのが特徴だ。まさしく、炎の剣というに相応しい風貌である。

 炎の制御は持ち手の意思に依存する。セイバーは木々に燃え移らないように炎を抑制した。刀身に僅かな炎が宿るのみで、刀身を何かに押し当てない限り燃え移ることは無いだろう。

 

 両手持ちのそれを構えてセイバーが森の中に飛び込んだ。士郎からは木々に阻まれて姿が見えなくなったが、赤い光が漏れてくるのが確認できる。どうやら上手く戦っているようだ。やはり剣の英霊、片手剣から両手剣になっても十二分に戦えているようだ。

 

 隠れ蓑にしていた森に敵が潜り込んだことで尻に火がついたのか、先ほどとは比べ物にならない数の蟲が飛び出してきた。一斉に士郎を標的に定める。いや、聖杯を奪うために内部に侵入するつもりだろうか、明らかに背後の教会に向かっているものもいる。

 

 士郎はもう一本レーヴァテインを投影する。だが炎は遠方まで到達するのに時間が掛かる。背後の教会を標的にされるとレーヴァテインでは対処が難しい。

 

 よって士郎はもうさらに投影を重ねた。

 

「―――投影開始(トレース・オン)大通連(ダイツウレン)小通連(ショウツウレン)

 

 その昔、鈴鹿御前という鬼の娘が居た。その鬼が振るう三振りの霊刀のうち二振りが大通連と小通連だ。それは空を飛び、人外を斬ったとされる霊刀だ。その伝説がそのままこの剣の能力となる。即ち、『空を飛ぶ』及び『人外を斬る』ことに他ならない。

 

 士郎は教会に向かって飛翔していた蟲に向かって二振りを射出する。刀は喰らうべき標的を定め、物理法則を無視した軌道で空を駆ける。まさしく空飛ぶ刀に相応しく、切っ先を先端にして標的に襲い掛かった。

 

 最初の一体が大通連に切り裂かれた。人外に対しては、強い神秘の守りが無い限りその刃を防ぐことは適わない。硬い甲殻を歯牙にもかけない鮮やかさで両断した。

そのまま次の標的を喰らう。その柄を握る者が居ないにも関わらず、士郎の『蟲を殺せ』という命令を忠実に守り続ける。

 

 大通連の対となる脇差、小通連も同じく数体を切り裂く。番いは教会の両側に展開し、窓を突き破って進入しようとする蟲を無慈悲に切り裂く。

 

 士郎は自分に向かうものと、教会の正面から進入しようとする蟲を焼く。セイバーも姿こそ見えないが、どうやら奮闘しているようだ。そもそも蟲がいくら群れたところでセイバーに敵うわけもない。

 

 そうやって相当数の蟲を焼き払ったとき、セイバーはあることに気付いた。間桐臓硯の気配が消えた。

 

 もしや、教会の中に進入されたのだろうか。ならば中に入ってミオを守ったほうが良いのだろうか。

 

 ―――いや、ここはミオを信じよう。危なくなれば令呪を使ってくれる筈だ。それに、リンとバーサーカーも中に居る。命の危険など無いはずだ。

 

それよりも外の守りを薄くすることのほうが問題だ。狭い室内に蟲が殺到してしまえばそれこそ危険。あの空飛ぶ刀をすり抜けて中に進入させたのは手痛いが、ここで蟲を食い止めなければならない。

 

 茂みから飛び出してきた蟲を焼き払う。蟲はまだまだ残存しているようだった。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 急に蟲が窓を突き破って侵入してきた。わんわんと喧しい音が耳に響く。襲い掛かってきたそれを、容赦なくガンドで粉砕する。

 

「士郎、もっとちゃんと守ってよね……!」

 

 自分でも無茶なことを言っていると思ったが、それでも漏らさずにはいられない。割られた窓から時折蟲が飛び込むせいで冬原の治療も思うように進まない。治療といっても応急処置にガーゼと包帯を巻くだけなのだが、こうも攻撃されてはいくら脆弱な蟲といえども問題だ。

 

 浮遊する小物体にガンドを当てるのは実際のところ至難の技だ。狙いの甘い私のガンドでは対処するには役不足。かといって宝石はほぼ品切れ状態で、蟲相手に使えるほど気安くはない。手持ちは5つ。魔力量は多くないが、それでも今は虎の子だ。

 

 失血が多いのか冬原は気絶している。あまり放置しておくと危険だが、もう少しで止血も終わる。あとちょっとの辛抱だ。

 

 天井付近を旋回していた蟲達が一斉に襲い掛かる。二人を逃すつもりは無いらしい。その数は既にガンドで対処できる量を超えていた。

 

「バーサーカー!!」

 

 バーサーカーを呼び出す。長期戦での運用は明らかに自分の首を絞めるが、常に出していなければどうにかなる。5つしかない宝石の投資先としては悪くない。少なくとも蟲を落とすのに宝石を使うのよりは燃費がいい。

 

「―――■■ァ■ァァ!!」

 

 霧の塊が現れる。やはり一瞬たりともその中身を知ることが出来ない。その不鮮明な輪郭が爆発的な動きを見せ、握っているのであろう剣で蟲を切り裂く。その技は狂化しているだけあって非常に雑だが、剣が巻き起こす猛威で蟲は地面に叩きつけられ、絶命させられる。

 

 凛は魔力の供給をカットして霊体化させる。バーサーカーを用いるなら僅かでも魔力の消費は抑えたいところだ。

 

 冬原の処置を終え、背中に担ぐ。苦労しいしい澪が居る部屋の隣の部屋に運び、その後に澪の部屋に入った。澪は目を閉じて索敵に集中している。何か気になることがあるのか、凛が入ってきたことを認めると口を開いた。

 

「今、無数の小さい脅威が集合した“何か”が教会内に進入したわ。今は礼拝堂あたり」

 

「どれくらい危険?」

 

「戦闘能力はさほど高いとは思えないわ。だけど……何か凄く嫌な感じ。この強烈な悪臭もこいつからよ」

 

「……悪臭?」

 

 凛はあたりの臭いを嗅ぐ。だが澪の言う臭いを感じることはできなかった。冬原の趣味らしくラベンダーの香りが部屋を満たしてはいるが、決して嫌な匂いではない。

 

「やっぱり感じられないかしら? ま、それについてはいいわ。それよりも注意して。多分、こいつの目的は聖杯よ」

 

 そう言って部屋の隅にある重々しい金庫を見る。この中に聖杯が二つ入っているらしい。一つはレプリカだが、もう一つは今回の聖杯。おそらく何らかの方法で封印しているに違いない。不用意に触れば死があるのみだろう。

 

 本当はここで壊してしまいたいのだが、そうはいかないのだ。今ここで聖杯を壊せば、聖杯戦争は中止となる。サーヴァントも現世に留まれまい。だが次の聖杯戦争は止められない。おそらく数年後には再び聖杯が現れることになるだろう。

聖杯の『本体』も、霊であるサーヴァントでないと触れることが出来ない可能性が高い。そうならば破壊できるのも、きっとサーヴァントだけだ。実際のところはどうか分からないが、出来ることならサーヴァントは最後まで保持したい。いや、必要だ。

 

 だからここで破壊する訳にはいかないのだ。前回と同じ轍をここで踏むわけにはいかない。だからこれはどうにか守る必要があるのだ。

 

 ―――しかし疑問なのは、アインツベルンが教会に聖杯を託したことだ。あの名家アインツベルンともあろうものが、第三者にこんな大事なものを委ねるとは。

 

「多分、間桐臓硯……。いいわ、私が相手をしてくる」

 

 今回の相手は間違いなく間桐臓硯である。士郎は相手の顔を見ている。間違えようがない。そして小さな何かが集まっているというのは、きっと蟲が集合して体を構築しているのだろう。自分の肉体を死徒にする者も珍しくない。中には人体と遜色ない人形に魂を移し変えるという信じがたい行動をする者も居るそうだ。それらに並べれば肉体を無数の蟲で構築している、というのは嫌悪こそ覚えるが不思議ではない。

 

「気をつけて。何か異常を感知したら念話で知らせるわ。……移動を始めたみたい。こっちに向かっている」

 

 何か確信があってこちらに向かっているのだろうか。礼拝堂に居た時間は少しで、あとは迷いなくこちらに向かっている。

 ならば、迎撃に出るしかあるまい。

 

 ポケットの宝石を強く握り締め、勢いよく部屋の扉を開け放った。

 

 早足で礼拝堂へ向かう通路を進む。間桐臓硯がこちらに向かっているのであれば、すぐに鉢合わせする筈だ。その考えは正しく、中庭のあたりでその姿を認めることが出来た。相手も気付いたらしく、怪訝な顔をする。

 

「衛宮の小倅が居ったから、もしやとは思ったがのう……。まさか御三家が集合しておるとは意外。もしや、遠坂の令嬢も間桐に敵対するつもりかのう?」

 

「今は聖杯戦争中よ。遠坂も間桐もないわ。敵のマスターは倒す。そうでしょ?」

 

 あえて殺すといわなかったのは士郎の影響だろうか。

 

 両者の間には、凍えた針のような殺気が蔓延している。針は一秒ごとに鋭さを増し、視線だけで相手を刺し殺せるほどだ。

 

「然り。ならば一つ、手合わせ願おうかのう。こちらはサーヴァントを持たぬ身、お手柔らかにの」

 

「お断りね。全力でいくわ」

 

 素早く動いたのは凛だ。大きく飛びのき、そこに従者を呼び出した。

 

「――――■■ァ■ァァ■■■ィィィ!!」

 

 バーサーカーがその霧を膨らまし、間桐臓硯に向かって疾走する。暴風のような突進に抗うこともなく、間桐臓硯はその場に立ち尽くしたままだ。棒立ちとなっている臓硯にバーサーカーは容赦の無い凶刃を浴びせる。

 

 肩口からばっくりと切り裂かれて、臓硯はたたらを踏む。力任せの刃は内部の蟲も巻き込み、周囲にその死骸を四散させた。

 

 即座に魔力供給をカットする。僅かでも足止めを果たせたのならバーサーカーの役目は終わりだ。バーサーカーでは臓硯に対する有効な攻撃手段は無い上に、その燃費の悪さは折り紙つきだ。

 

ポケットから宝石を一つ素早く取り出す。高速で詠唱を行うと、極大の炎を吹き出した。炎は狙い違わず間桐臓硯に直撃する。

 

 直撃した炎はその瞬間に膨れ上がり、この至近では目を開けていられないほどの熱量を吐き出す。この直撃を受けたとあっては、サーヴァントでもない限り生きてはいられまい。熱は一瞬で皮膚を焦がし、仮にそれを防いだとしても焼けた空気は肺を蹂躙する。

 間桐臓硯が蟲の群集だとしても、生物である以上は生命維持に必要な器官は必ず備わっている。当然肺にあたるものが存在する筈だ。炎は有効な攻撃手段の筈だ。

 

 炎が静まったときに残っていたのは塵だけだ。まだぶすぶすと燻っている。いくつか形状を残している蟲もいたが、完全に消し炭だ。これで生きている訳がない。

 

 だが、少々あっけなさ過ぎるのではないか?

 

“遠坂さん!何かヘンな蟲が飛び込んで――――”

 

 澪が居た部屋から爆発が起こったのはその時であった。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 遠坂さんと、間桐臓硯というらしい存在が邂逅したようだった。やはり気分が悪くなる存在だ。吐き気がする。

 

 外では士郎さんとセイバーが蟲の大群と戦っているようだ。ここからでもその戦いぶりは何となく分かる。一言で言って、圧倒的だった。決して冬原さんが弱いわけでは無いだろう。ただ相性が悪かっただけで、士郎さんの投影魔術と相性が良いのだ。

 

 だが気になったことが一つある。蟲のうち、いくつかの固体の脅威が非常に大きい。それは実際のところたいしたことは無いのだが、他の蟲に比べると明らかに異様だった。

 

 しかも、士郎さんやセイバーとの戦闘を明らかに避けている。正面の士郎さんを避けて、教会の側面からじっと様子を伺っているようだった。

 

 部屋の外にある気配が膨らむ。これは遠坂さんだ。どうやら魔術を詠唱しているらしい。かなりの魔力が開放され、練られているのが手に取るように感じられた。

 

 しかし次の瞬間の轟音には肝を潰した。想像を遥かに上回る爆発音がガラスの窓を響かせる。つい探索の手を休めて扉のほうを見てしまう。だがすぐに我に返って、遠坂さんが戦っていたあたりに集中して探索する。

 

 気配は遠坂さんだけのものしかない。間桐臓硯という群れは、一つも余すところなく燃やし尽くされたようだった。

 

 安堵に胸を撫で下ろす。どうやらこれで危機は去ったようだ。

 

「――――?」

 

 しかし蟲の軍勢は主を亡くしたにも関わらず、その統率が乱れることは無かった。依然として外では戦闘が続いている。

 

 そして先ほどの不自然な感じがする蟲が驚くほどの速度で一斉にこちらに向かってきた。いくつかの固体は途中で撃墜されたが、数匹はこの部屋に一直線に突進する。さして広い訳でも教会だ。すぐに私のいる部屋の窓を突き破って侵入を果たした。

 

 やたらに硬そうな甲殻だ。ダンゴムシのような起伏の薄い体をしている。直ぐに攻撃されるかと思ったが、その場に留まっているだけだった。魔力が蟲の体内で渦巻いているのが分かる。何か不穏な印象を受ける魔力の流れだった。

 

 それが金庫にぴたりと張り付く。巨大な蟲がひしめく姿は気味の悪さを覚えざるを得ない。私は椅子から立ち上がったままのポーズで固まってしまった。

 

 これが何なのか分からないが、私には対処が難しいだろう。攻撃魔術すらない私は部屋の外にいる遠坂さんを頼るしかない。

 

“遠坂さん!何かヘンな蟲が飛び込んで―――”

 

 その時最後に見たのは、爆ぜる蟲と視界一杯に広がった炎だった。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 聖杯を確実に手中にするとはどういうことか。

 

 間桐臓硯は桜という聖杯を手中に収めている。聖杯が二つあっては、中途半端に英霊の魂が割り振られてしまい両方とも十全に機能できないことまで考えられる。

 

 二つとも揃えて一つとして機能させるということも考えられないでもなかったが、そもそもそういう運用を前提としていないため不安要素が多い。

 

 万全を期すなら、聖杯は一つのほうが都合が良かった。ただそれだけである。

 

 そのためだけに自身を犠牲にして聖杯の守りを薄くさせ、蟲を自爆させて粉々にした。臓硯を構成する蟲もキャスターのおかげでかなりの数になっていて、わざと敗北してみせたのはそろそろ寿命が来る蟲ばかりだ。核は桜の心臓にいるので、いくら燃やされようとも痛くも痒くも無い。

 

 試合に負けて勝負に勝ったのは、間桐臓硯であった。

 

 部屋に飛び込んだ凛が見たのは、ばらばらに砕けた聖杯とボロ雑巾のようになった澪だった。すぐに士郎とセイバーも部屋に飛び込んでくる。

 

 蟲は目的を達したためかすぐに退却したようだが、澪の負傷は無視できないほど重かった。

まず全身に火傷。それに砕けた蟲の甲殻は澪の体のあらゆる部分を傷つけている。出血も火傷も放置すれば命に関わるほどだ。幸い脳にダメージはなかったが、火傷と出血のショックで気絶をしている。いや、意識が無いのは却って幸いかも知れない。起きていれば地獄のような苦しみに晒されるだろう。

冬原よりも治療を要するのは澪のほうだった。

 

「リン……!頼む、ミオを助けてくれ……!」

 

「言われなくても分かっているわよ!」

 

 いくつか宝石を取り出し、その魔力を使って澪の治療にあたる。士郎で鍛えた応急治療術が役にたったが、この負傷では危ない。すぐに病院に搬送して適切な処置を受けさせないと危険だった。

 

 だがそれが出来るわけが無いのは言うまでもない。神秘は漏洩させるわけにもいかないのだ。今から救急車を呼んだとして、この場に一般人を立ち入らせれば神秘の秘匿は守られないだろう。いたるところに蟲の死骸が転がっているのだ。

 

 かといって自分たちで病院まで運んでも同じだ。このまま病院に運んだところで、一般人の医者に施せる手は殆どない。

 

 しかし施せる手が無いのは凛も同じだ。刻一刻と流れ出る命を止める方法は、既に彼女には無い。額に玉の汗を流しながら賢明に食い止めようとするが、指の間から零れる水はどうしようもなかった。

 

「―――投影、開始(トレース・オン)

 

 士郎は何か思い至ったのか、目を閉じて何かを投影しようとする。その両手の中には黄金色の光が収束していった。

 

「『全て遠き理想郷(アヴァロン)!』

 

 投影したのは、セイバー(アルトリア)のアヴァロンだ。所有者は決して血を流すことの無いという伝説を持つ、『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』の鞘。アーサー王はこれを盗まれたために命を落とすこととなった。

 

 投影された蒼で装飾された黄金の鞘を、寝そべる澪に置く。すると澪の傷は瞬く間に消えていった。着ていた白いシャツだけが付着した赤黒い血で、負傷をしていたことを告げていた。

 

 

 

 

 

 

 暫くして冬原が目を覚ました。事情を話して個室とベッドを貸してもらう。

 

 傷は完全に癒えたはずだったが、澪はまだ目を覚まさなかった。体に負担が掛かっていたのは疑いようもないので、もう暫くは寝続けるだろう。

 

 冬原も傷だらけで木乃伊のおうに包帯を巻いている。だが血は既に止まっているうえ、自分で動けるようなので問題はなかった。適切な処置を受ければ跡も残らないだろう。

 

 だが集まった応接室の空気は暗かった。聖杯を破壊されたのは一大事だ。

 

「――――しかし、私が消えないのは何故だ?」

 

 聖杯が壊れれば、聖杯戦争は立ち行かなくなる。それが聖杯の『本体』の判断に任されるのか、その辺りの事情は分からないが、サーヴァントが未だ存在していることは若干の疑問が残った。すぐに消えはしなくとも、聖杯からのサポートを受けられなくなっても何ら不思議はなかった。

 

「そりゃそうでしょうねえ。どうせ、よこされた聖杯は偽物なんでしょ」

 

 答えたのは冬原だった。実にあっさりと言うので、むしろ周囲は固まるのだった。ややあって、全員を代表して凛が疑問を発する。

 

「……偽物?」

 

「あのアインツベルンが他人に聖杯なんか任せるわけない、そう思わない? ま、多分サーシャちゃんも知らなかったんでしょ。第四次、第五次の動きから鑑みれば今回も何かしら悪巧みをするのではないか、と思うのは至極当然のこと。聖杯そっくりの、まあ言わば発信機みたいなものでも作ったのでしょうねえ」

 

 仮にこの仮説が正しいとすれば、おそらくアハト翁は内部にすら内密に聖杯を冬木に送り込んでいるに違いない。偽物の聖杯を破壊されたことで隠し立てする意味もなくなったので、近日中に本物の聖杯がライダー陣営の手に渡ることだろう。

 

「……それを知っていて、私達を動かしたの?」

 

「知らないわよ。もしかしたら本物かも知れないし、何もしないわけにはいかないの。……それに、教会の汚名を濯ぐためにもこの依頼は受けざるを得なかった。受けてしまった以上、無下にすればそれもまた教会のメンツに関わる。それに聖杯にまで手を出すかどうかは微妙だったし、キャスターを討つために貴方たちに声をかけたのは本当。結果として仕事は全くの別のものになってしまったけれどね。……貴方たちにとっては不愉快な話でしょうけれど、だから私は私財を投げ打って提供できるだけの見返りを用意することを約束したの」

 

 実に不愉快だった。命を懸けて守ったものが、偽物でしたでは済まされない。重傷者まで出ていたのだ。笑って済ますような話ではなかった。

 

 だから凛は、渾身の力を込めてその脇腹を殴った。小突く程度などと優しいものではなく、腰の入ったフックが急所に入る。

 

 血の足りていない冬原はその衝撃に堪えきれず尻餅をつく。しかしあまりダメージを受けた様子もなく、むしろ殴った凛が悶絶する有様だった。想像以上に鍛え上げられた肉体はもはや鋼だった。

 

 倒れた冬原を数度足蹴にする。冬原は抵抗もせずに殴られ続けていた。その行動に呆気に取られていた士郎だが、慌てて止めに入った。

 

「……満足、したかしら?」

 

「人を何だと思っているのよ……!組織で生きて行く以上、仕方のないことだったというのは分かるわ。だけど、納得できるかは別よ!……不愉快よ。これで、帰らせてもらうわ」

 

 凛は踵を鳴らして部屋を出た。個室ではまだ澪は眠っていた。後からついてきたセイバーに澪を担がせて、礼拝堂へと向かう。出口はあそこが近い。

 

 早足でそこも通り抜けて、扉を開く。するとそこには数人の代行者らしき男たちが整列していた。凛はやや身構えたが、一斉に放たれた次の言葉は意外に過ぎるものだった。

 

 ありがとう。あなた方に幸多からんことを。

 

 戸惑っていると、冬原が追いついてきた。悲しそうな顔が演技かどうか分からなかったが、少なくとも今にも泣きそうな顔だった。

 

「皆、凛ちゃんたちには感謝しているわ。キャスターは私達からしても許しがたい相手だった。それを討つ手助けをしてくれたことは、本当に感謝しきれないほどよ。……宝石は、約束の倍ほど用意するわ。私には感謝を表す方法はそれしかない。それで、許してくれないかしら」

 

 一つ大きな溜息。ゆっくりと振り向いて、はっきりと断言した。

 

「……いいわ、澪が許すなら許してあげる。だけどここには二度と来ないし、出来れば二度と関わらないで」

 

 そう言って足早にその場を立ち去った。心なしか、凛から発せられていた怒気が若干ながら和らいだようにも思えた。

 

 

 

 そうやって戦いの夜は過ぎたのだが、問題が一つだけ残った。

 

 ――――澪の目が、一向に開かれる気配が無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

【衛宮士郎】

大通連(ダイツウレン)小通連(ショウツウレン)

 鈴鹿御前という鬼の姫が持つ刀。またの名を立烏帽子。この鬼は天竺第四天魔王の娘といわれており、「年の頃は十六、七。天女の如き美しさ。揚柳の細身に十二単、濃い紅の袴姿」といわれており、相当の美人であったようだ。

 当時の征夷大将軍に恋をしていて、その征夷大将軍である田村草子という人物の依頼で大嶽丸という鬼を討つ。この二振りはその大嶽丸を最初に討つ際に奪い取ったもの。

 「人外切り」という属性をもち、「浮遊・飛翔」の特殊効果を持つ。しかしそれゆえに人に対しては効果を発揮できない。人外に対しては命中率と攻撃力にプラス補正がかかる。これは神性を持つものに対しても有効である。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。