Fate/Next   作:真澄 十

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Act.19 Satisfaction

 ――――とっくに目は覚めていた。だが目を閉じたまま、しばし考える。

 

 あれは本当にアカシックレコードだというのだろうか。いや、どうだろう。なんとなく違う気もするな。あそこがアカシックレコードというのならば、澪子がそこに存在する理由はなんだろう。アカシックレコードの内部に何故、彼女は居る。

 

 アカシックレコードがどのような存在なのか、僅かな知識を総動員して考えても、彼女がそこに居る正当な理由は見当たらない。そうだとすれば彼女はアカシックレコードにとっては異物のはずであり、世界のシステムの一つであるアカシックレコードがそれを排斥しようとしないというのは不自然だろう。

 

 ならばあそこは、きっと似て非なる場所。

 

 得られた知識を繋ぎ合わせる。あそこが何か分かれば、正当な八海山であるという言葉を漏らしていた。だとすれば……あそこは八海山の為の場所だろうか。ある種の礼装、あるいは魔術によって作られたと思われるあの空間。そこに接続できるのは血筋によるアクセス権限を持っていなければいけない?

 

 いや、しかし……あの口ぶりでは死んだ人間全ての魂、あるいは記憶が貯蔵されていると思われる。そんな空間、本当にアカシックレコードかと思ってしまうほどの場所を作り出すなんて……宝具じゃあるまいし、有り得るのだろうか。

 

 あるいは、本当に宝具? はは、だとしたら八海山は名門中の名門ということになる。私が伝承保菌者(ゴッズホルダー)とは冗談も大概にするべきだろう。

 

 いや……突拍子もないが、あるいは有り得るのだろうか。こう言っていたじゃないか、『太古はそうであったかも知れん』、『神秘が世に溢れていた時代の話』、『昨今ではそちだけ』。この口ぶりからすれば、八海山は太古より存在していたと推測できないか?

 

 特に最後の言葉が決定的だ。昨今では私だけ、ということは、彼女はずっとあの場所に居るということだろうか。昨今という言葉の比較対象に据えられているのは神秘が溢れる太古の時代だ。八海山は皆あそこに接続できるのだろうか、という疑問の答えが太古はそうであったかも知れない、というものだ。つまり、私が知るよりもっと長い歴史を持つのだろうか?

 

 例えば名を変え、住処を変え、西洋の魔術形態の魔術師に成りすまし、そうやって連綿と血を絶やさずに、誰にも知られずに。

 

 誰にも知られないというのは、まあ分からないわけでもない。今までの仮定が正しいとすれば災禍の種だ。だってそれはつまり、失われた神秘すらも再現できる可能性もあるのだ。

 

 あの場所で見た記憶。誰の記憶かわからないが、確かにあの場所が過去を記録しているのは間違いないのだろう。それらを私は垣間見た。未だ実感を伴わないが、確かにあのとき誰かの記憶を『受信』していたのだ。あの場所に太古のものも色あせることなく存在して、それを覗くことが出来るとすれば、それは魔法への近道だ。

 

 魔術師は過去に向かって疾走している生き物である。だとすれば八海山は魔術師じゃない。なぜならば、八海山は過去に向かって“跳躍”しているのだ。

 

 なんという反則。遠坂さんが聞いたら卒倒するかも知れない。せいぜい余計なことを言って刺激しないようにしておきたいことだ。

 

 どうやら長く寝ていたのか、難しいことばかり考えていると少し疲れた。もっと脳を休ませることのできることを考えよう。深く考えず、ぼんやりと思い返す。

 

 過去を記録する場所。過去、か。

 

 過去という単語から昔を思い返してみる。いや、我が事ながらいい加減な人生だったと思う。

 魔術に染まるでもなく、表の世界に浸りきるでもなく。それは言わば惰性のようなものだ。ただ流れに身を任すだけの、そんな人生。

 

 それは治りがたい悪癖なのだろう。後悔こそしていないが、士郎さんや遠坂さんに協力しているのだって、流れに逆らうのが億劫だっただけなのだろう。信頼するに値すると思ったからこそだが、私がここに居る理由なんか無かった。

 拒絶すれば諍いを呼ぶ。拒絶せず、主張せず、常に一歩引いて周囲に気を使っていれば誰とも面倒を起こさずに済む。後々に皺寄せが来たとしても、それは今じゃない。

 

 ――――は。何が過去に跳躍する、だ。私には語るべき過去なんて無いじゃないか。

 

 両親を殺されたこと? 確かに憤りを感じるし、それで使命感を帯びたりもする。だが忘れてはいけない。その感情は、つい最近まで忘れていたのだ。

 

 つまりはその程度のこと。憤るのも、奮い立つのも疲れて、いつの日か忘れたのだ。多分この聖杯戦争中に感じたことなんて、数年もすれば綺麗さっぱり私の中から無くなる。キャスターの手に掛かった人々は無念だろうと思うし、キャスターやそのマスターであるらしい間桐臓硯は許しがたい。だがきっと、士郎さんのようにその感情を心に刻み付けることは出来まい。

 

 ――――何もかもがどうでも良い。

 

 その程度の薄っぺらな人間。過去が希薄なら、今も希薄。未来に期待もなければ夢もなし。

 

 ならなんで私は戦っているのだろう。命を賭してまで為さねばならないことなんて在るのだろうか。

 

 分からない。分からないからこそ、きっとこれからも惰性で戦うのだろう。人間というものは不思議で、分からないからといってすぐさま拒否には結びつかない。分からないが、それでも前に進んでしまうのだ。それは多分、分からないことを知るために。それに、これでも一応は魔術師。命を投げ捨てる覚悟は幼少のころに出来ている。

 

 ――――ああ、そうだった。一つだけ忘れずにいたことがある。あの大火災は覚えていた。うん、あれは忘れがたい。むしろ何でこれだけは覚えていたのだろうと不思議に思うほどだ。

 

 そうか。私でもちゃんと語るべき過去が一つあった。なら多分大丈夫だ。人間は過去を見つめて自己を形成する生き物だ。ちゃんと過去があるならば、私は大丈夫。

 

 脳を休めようとして、かえって精神を追い詰めてしまった。そろそろ目を開こう。きっとセイバーが心配している。それは本意じゃない。

 

 ちょっと鬱なことを考えたけれど何時ものように振舞わなくては。少し気合を込めてから、重い瞼を開くのだった。

 

 

 

 

 

「ミオ……! 目が覚めたのか」

 

 外はもう暗い。強い日差しに目が眩むかと覚悟して目を開いた分、やや拍子抜けだった。

 胸の上には荘厳な風格を備えた黄金の鞘が置かれてある。手に取ってみれば分かるが、凄まじい一品だった。士郎さんの投影品なのだろうか。

 

 なんでこんなものが置かれているのだろうと考えて、最後の記憶がフラッシュバックする。視界一杯に広がる爆発と全身を焼いた炎。我ながら、生きているのが不思議なほどの怪我をしたことは覚えている。

 

 携帯電話で日付を確認する。まだあの日から一日しか経っていないが、怪我は綺麗さっぱり消えていた。この鞘の効果だろうか。

 

「良かった。安心したぞ、ミオ」

 

「……ん。ゴメン、心配かけちゃった」

 

 軋む体を無理やり動かして起き上がる。淀みつつあった空気を入れ替えようと窓を開けると、空には明るい月が浮かんでいた。

 

「……ミオ、何か良くない夢でも見たのか?」

 

「…………なんで?」

 

「特に理由はない。だが、そう思ったからだ」

 

 思ったよりも鋭かった。隠しきれていないのだろうか。隠し事は人並み以上に上手なつもりだったんだが。

 

 正直に言おうか否か、やや逡巡する。セイバーには悪いけれど、今は黙っておくことに決めた。あれは不用意に口外して良いことだとは思えない。私自身の保身のためにも、ここは黙っておこう。

 

「いや……なんでもないわ」

 

 じっとこちらを見るセイバー。見透かされただろうか。セイバーが信用できない訳ではないけれど、それを説明できないジレンマ。

 

「……ならばいい。今日はもう、ゆっくりと休むといい」

 

「ん。……士郎さんと、遠坂さんは?」

 

「間桐家へ、戦いに赴いた」

 

「な……っ!」

 

 頭を殴られるのと変わらない衝撃だった。間桐家といえば、桜さんも間桐ではないのか。話によると桜さんは魔術師ではないということだったが、“そんな筈がない”。

 

 桜さんからは、微弱ながらもあの間桐臓硯の“臭い”が、――――魔術師の匂い、血の匂い、それらが僅かながらも、確かに感じたのだ。

 

 ――――何を考えているんだ、私は。知らない、私は知らないぞ、こんなことは。匂い云々は確かに私の経験だが、桜さんが魔術師だなんて断言できるほど確かな情報ではないはずだ。

 

 だが確かに知識がここにある。どこだ、どこで仕入れた知識だ。

 自明だ、あの場所。澪子の言うことが本当であるのなら……ソレを知っている誰かの記憶からだ。間桐桜の受難、悲劇を知るダレかの記憶。

 

 頭の中で再生される記憶情報。そうだ、私は桜さんを知る誰かを知っている……。

 

 ――――桜を、間桐から助ける為に――――

 

 一体いつ知ったのだろうか。私は思ったよりも長い時間あそこに居たのだろうか。それとも、無意識下でも記憶は流れ込んでくるのだろうか。

 

 ――――命を賭して戦いに赴き――――

 

 情報は断片的。ノイズだらけで、この記憶の持ち主がどんな最後を遂げたのか察せられる。だけれども、それを疑うことが出来ない。

 

 ――――何もかもを失い、最後には――――

 

 その記憶から伺えるのは、強い後悔と怨嗟。もうボロボロに擦り切れてしまっている記憶は、しかし強い思い故に未だ形を留めることに成功している。

 

 擦り切れたビデオテープのような記憶からは、その人と桜さんの関係はよく分からない。分かるのは、桜さんを間桐から救いたいという一念だけだ。そこには、命を賭したいと思うほどに大切な絆があった筈だ。

 

 ああ、この人の無念はいかほどだったのだろう。せめて、笑って逝ってくれていれば良いと思う。

 だが、報われたかどうかで言えば、きっとそれは否だ。だって、“間桐桜は未だに間桐”なのだから―――――

 

 ああ、さぞや恨みは深かろう。さぞや口惜しいことだろう。

 命を賭してもなお届かず、助けたいと思った人の受難は続き、それは今に至る。恨んでも、怨んでも、まだ足りないことだろう。その怨念が、この人をこうまで駆り立てたのだ。

 

 私の直感が告げる。この情報は、きっと正しい。こんなにも無念に満ちた思いが嘘であるわけがない。

 

「桜さんは!?」

 

「無理を言ってこの屋敷に泊めた。タイガも付いてきてしまったが」

 

 それは別にいい。でも良かった。桜さんと士郎さんが対峙するようなことにならなくて。そうなればきっと、臓硯は何かしら搦め手を弄するに違いないのだから。

 

 桜さんがこの屋敷に居るというのであれば好都合。私は私で、戦うべき場所があるということだ。

 

「セイバー、悪いけれど士郎さんたちの加勢には行かないで。私の戦場は、今回はどうやらここのようだし」

 

「……? 心得た」

 

 部屋を出て、桜さんに宛がわれた部屋をセイバーに聞く。私の部屋から幾つか跨いだ部屋だった。その扉の前に立ち尽くす。

 

 やはり、あの臭い。鼻が曲がりそうな、耐え難い悪臭の残滓が、確かにここにある。桜さんの優しい匂いに混ざり、隠れるようにしてそれがある。

 

 いつからだろう。小さい頃から、匂いで人を判断できた。良い匂いだと思えばそれは必ず良い人だったし、悪い臭いだと思えばそれは信用ならない人間だった。

 

 人の匂いというのは、香水なんかを使っても隠し切れない。いや、隠れていない。ファンタジー作品などで聞いたことがあるだろう、「人間の匂いがする」という科白を。私にはそれがよく分かり、空想の話だとは思えなかった。人間は、それぞれ個々で違う固有の匂いを放つ。それが私の、最も人と異なる部分だったのだろう。

 

 以前に凛さんと話していたこと。読心を使う八海山の魔術師が居たという話を思い出す。ああ、今思えば、これはそれに近いものがあろう。その人がどんな人間なのか、私に悪意があるのか無いのか、鼻を嗅がなくても匂いが伝わる。

 

 探索魔術も、実をいうとこれを応用したものなのだ。自分に悪意のある『脅威』であるか否かを判別しているのはこの能力に依存している。殺意、悪意、そういったものを鼻で感じるのではなく、もっと広義での感覚に置き換えて察知するのがあの魔術の根幹だ。知覚の拡張だって脅威探知の補助だけではなく、悪意の有る無しを正確に、かつ一度に複数を察知できるためのものなのだ。

 

 このヘンな能力があったからこそ、私は士郎さんと凛さんに協力しようと思ったのだ。あの二人の匂いは、どこか真っ直ぐで、それでいて危うい。特に士郎さんの危うさは凛さんのそれとは比べ物にならなかった。本当に協力を必要としているんだと感じたからこそ、私はここにいる。

 

 多分これも、あの場所に起因する能力であるに違いないのだ。あるいはあの澪子だろうか。

 

 いや、今は捨て置こう。今はやるべきことがある。

 部屋の扉に手を重ねる。目を閉じて意識を集中する。確かめなければならない。私の仮説と、あの不確かながらも訴えかけてくる情報の真偽を。

 

「――――Einstellung《設定》.Perceptual(知覚),Gesamtpreis《拡張》」

 

 知覚の拡張。本来とは違った特性の使い方、だけれど役に立つ使い方。

 

「Append(追記). Kreatur(生物),Eine Suche(探索)

 

 今回は『脅威』ではなく、生き物を探す。生き物には須らく魔力が宿る。それを探ればいいだけだ。ただ、普通の獣や一般人は極端にそれが少ないので普段はあまり役に立たないのが難点である。

 

 探索範囲を、この部屋だけに限定する。術を扱う私の処理能力に限界がある以上、範囲は狭ければ狭いほど精度が上がる。広い範囲から特定のものを探すのは骨が折れるが、狭ければ簡単に見つかる。この部屋程度ならば、ゴキブリの一匹さえ見逃さずに察知できる筈だ。

 

 ――見つけた。ベッドで寝ているらしい反応が一つ。やはり桜さんは魔術師だ。魔術を扱えるかどうかは捨て置いて、この魔力の量は普通の人間ではない。

 

 対象を桜さんだけに限定して探索する。全身隈なく、何も見逃さないように。

 

「――――これは……!」

 

 言葉に詰まる。これは、酷い。

 

 まるで蛆に集られた腐肉。ハリガネムシに寄生されたカマキリ。冬虫夏草……!

 

 全身、至る所に蟲が居る。桜さんの命を蝕み、それを代価に桜さんに魔力を提供しているのが感じられる。まるで魔術刻印だ。ここまで蟲に蝕まれて人間は生きていけるのか。人間に寄生する虫は確かに居るが、ここまでの量になって異常をきたさないのが不思議でならない。

 いや、異常を隠しているだけかも知れない。これで全く異常が無いなんてこと、有る訳がない。

 

一番深刻なのは心臓だ。ここに一際力の強い蟲が居る。心臓は人間が生きる上で最も大切な器官だ。ここに蟲が住み着いているとなると……いつ死んだとしてもおかしくない。

いや、この感覚。これは……間桐臓硯と同じ反応。

 

 何故だ。何故桜さんの中にあれが居る。

 いや分かっていたことだ。桜さんと臓硯が同じ匂いを発していた以上、これは予想された事態の筈だ。落ち着け。考えろ、八海山澪。

 

 間桐臓硯は無数の蟲の郡体だった。それは疑いようもない。あれは既に人間を辞めている。

 

 では、どうやってあの体を維持しているのだろう。蟲をただ寄せ集めただけでは、間桐臓硯という人格は形成できない。いくら精密に人体そっくりの肉の塊を形成したところで、一己の人格は宿らない。そこには魂が無いのだ。

 だとすれば、それを統率する主人格が必要となる。それが全ての蟲を統率することで間桐臓硯を構成できるのではないだろうか。

 そしてそれは、『間桐臓硯』だと思っていた集合体には存在しなかったのではないか。

 

 これは正しいように思う。臓硯と教会で邂逅したときも、蟲は一つの意思のもとに統率されていたはずだ。でなければ臓硯が全ての蟲を操ることなど出来ない。

 それと同じように、間桐臓硯の体も本体というべき何かによって遠隔操作されているとすれば? それならばいくら斬られようと全く堪えないのにも納得がいく。本体があの場に居たならば、運が悪ければそのまま切り殺されるのだ。あの場にそれが居ないからこそ余裕を持って斬られることが出来る。

 

 いや、そもそも臓硯はあのとき凛さんに完全に消滅させられていた筈なのだ。それなのに蟲に統率力は残っていたことが不思議である。

 ならばやはり、本体と言うべき何かは別の場所に存在するのだ。

 

 ――――それが桜さんの中に居るとすれば?

 

それならば桜さんの中に間桐臓硯の一要素が居ることに説明が付けられる。桜さんの命を吸い、桜さんを盾にして、自分はのうのうと生き延びている。桜さんが心臓を一突きにされない限りは安全で、そして生命力というべき魔力(えさ)が充満していて吸い上げる分には事欠かない。

 

こいつは素敵じゃないの。実に最悪だ。

 

 だとすれば、今間桐邸に行っている士郎さんたちは無駄骨だ。ここに間桐臓硯の本体が居る以上いくら蟲を殺したところで意味がない。こういうものは本体を叩かなければいずれ復活するのが常道だ。

 

“――――凛さん、今すぐ戻ってきて!”

“澪? 目が覚めたの!?”

“そんな事はいいから! そこには臓硯は居ないわ、臓硯は――――”

 

 ――――臓硯は、ここにいる。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 本当にキリが無かった。もう百では収まらないほどの蟲を屠ったはずなのに、それでも次から次へと蟲が湧き出てくる。

 本当に屋敷ごと燃やしてしまいたい。しかしそれでは桜の帰る場所が無くなってしまう。それは本意ではない。

 

「■■■ォ■ォ―――ッ!!」

 

 バーサーカーがエントランスを駆け巡り、目に付く蟲を八つ裂きにする。調度品のいくつかが破壊され、壁には凄惨な爪あとが残されているが、この程度はいくらでも直せる。それよりもこの戦闘の先の見えなさに、俺と遠坂は焦りを覚え始めていた。

 

 臓硯も姿を見せない。蟲がこちらを認識して襲い掛かってくる以上は、臓硯も進入を察している筈なのだが、一向に姿が見えないというのは腑に落ちない。直接手を下すまでもなく処刑するということだろうか。それがこの蟲で可能とは思えないが。

 

 あるいは、戦う意思がない? 戦う意味がない?

 

 そんなことはない筈だ。間桐臓硯がマスターであって、聖杯を手にする意思が有るのなら、自らの領域に飛び込んできた自分達(てき)など確実に倒してしまいたい筈だ。

 いや、だったら何で聖杯を破壊しようとしたんだ?

 聖杯はもう要らない?

 

 馬鹿な。間桐臓硯のことを詳しく知るわけでは無いが、始まりの御三家の一角がそう容易く聖杯を諦めるとは思いがたい。

 

 いや、仮に本当に聖杯が不要だとする。だったら、自分達を排除する理由が無いはずなのだ。前回に俺と遠坂が聖杯を破壊したことを知らないはずが無いし、だったら俺達に協力こそすれ襲う理由がない。

 

 あるいは、既に聖杯を手中に収めている? 未だアインツベルンの手中の筈だが、もしもそうだとすれば?

 

 だったらどうだろう。無理に戦いは避けようとするだろうか。自然にサーヴァントの数が減るのを気長に待つ気があるならば、それは最も戦略的なのかも知れない。聖杯は勝者の獲得品だが、勝者しか使えないという道理は無いだろう。現に第四次の際には、勝者でないものが聖杯を使用している。

 だったらここで逃げの一手を打つのも納得が出来る。蟲たちを囮にして、自分は逃げる腹だろうか。

 

「――――騒がしいのう。このような夜半に、遠坂の令嬢が如何なる用向きで?」

 

 だが推論に反して、間桐臓硯は館の奥から姿を現した。カツリ、カツリと杖が床を打つ音が響く。蟲の羽音は相変わらず喧しいのに、何故かその音だけはよく響いた。

 

 枯れ果てたような手足に、しわがれた声。だがその窪んだ目から放たれる眼光だけは、それがただの人間ではないことを主張している。間違いなく、間桐臓硯その人であった。

 

 遠坂はそれが気に食わないのか、眉間に深い皺を刻む。その目は敵意に満ち満ちていた。

 

「……きっちり燃やしてあげた筈なのに、意外としぶといのね」

 

「カカカ……。いやいや、わしもあれは堪える。老体には響くものよ」

 

 その得体の知れない眼光が、つま先から頭までじろりと舐め上げる。爬虫類に這われているような、生理的な不快感を覚える。

 

「ふむ。さて、衛宮士郎といったか。先日の話の続きをしようかのう」

 

「――――」

 

 これは良くない。昨日のように、体が思うように動かせない。

 次の言葉を聞いてはいけないと分かっているのに、敵の言葉に耳を貸すなとセイバーに忠告されたのに、うまく行動できない。

 

「確か、桜を魔術師に仕立てるのか、という話だったの。……さてさて、どこから話したものか…………のう、遠坂の?」

 

「……黙りなさい」

 

 遠坂は下を向いたまま、静かに言葉を発した。手は血が滲んでいるのではないかと思うほどに握りこまれ、否、実際に血が滴るほどに握られている。表情を伺うことは出来ないが、遠坂にとっても聞いてはいけない話題なのか。

 

 臓硯はその様子を見て楽しんでいるのか、じっくりと嘗め回すような視線をよこす。口元は醜く歪み、その性悪さを殊更に主張してくる。遠坂に話を振ったのだって、遠坂にとって気分の良い話ではないことを知っていたからに違いないのだ。

 

「もう随分の昔になるか。第四次聖杯戦争が始まる前であったから、十七年以上も前の話よ」

 

「…………黙りなさい……!」

 

 遠坂の様子がよほど面白いのか、ますますその笑みを深める。

 遠坂は金縛りにあったかのように動かない。だがその全身から、怨嗟の渦が放出されていることだけは分かる。もしかしたら、遠坂は泣いているかも知れないとも思った。

 

「その頃に、ついに間桐からは魔術刻印が消えうせた。こうなってはもう、間桐の系譜は終わりかとも思ったがのう、天からの恵みというものが在った。魔術回路を持った子孫を作るため、遠坂時臣という当時の――」

 

「―――――黙れと言っているのよッ!!」

「■■■ァァ■■ォォ■ィィィッ!!!」

 

 目じりに玉を浮かべ、遠坂が吼えた。

 その圧倒的な怨嗟に応えようと、バーサーカーが冗談のような威力を秘めた剣を横薙ぎに振るう。まるで削岩機のような一撃だった。削岩機の刃に生身で耐えられる道理は無い。

バーサーカーが凄まじい速度で接近したと思った次の刹那には、臓硯の首は一刀の下に両断されていた。サーヴァントのクラスがバーサーカーであるということを差し引いても、肝が冷えるほどの容赦の無さだ。

 

 胴体から離別させられた頭が転がる。

 

 ――――だがあろうことか、首を絶たれてもその体は崩れ落ちること無く、転がった首を拾い上げた。

 

「聞く耳を持たぬ、とはこのことじゃのう」

 

「消えなさい、バーサーカー! 士郎、この蟲たちごと纏めて吹き飛ばしなさい、固有結界で!」

「あ、ああ……」

 

 もう完全に遠坂は我を失っていた。

 だが確かにこの期を逃す手は無い。さっきの推論が正しければ、臓硯は逃げを打つ可能性もある。だが固有結界の中に閉じ込めてしまえば、それも出来ない。

 

 加えてこの無数の蟲を倒すのにも都合がいい。屋敷を破壊する憂いもなく、魔力の無駄遣いと思えなくもないが、効率は良い。

 反対する理由はどこにも無いのだが、二の足を踏んでしまう。

こんな風に命令されるのは初めてだった。普段なら可能な限り使うなという程なのに、こんなことを言うほどに遠坂は取り乱しているというのだろうか。

 

 迷う俺を遠坂が凄い目つきで睨む。もはや、遠坂がバーサーカーかと思うほど憎しみに満ちた顔だった。その気迫に圧され、その呪文(ことば)を口にする。

 

「――――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)Steel is my body(血潮は鉄で), and fire is my blood(心は硝子). I have created over a thousand blades(幾たびの戦場を越えて不敗)

 

「ほう……面白いものが見られそうじゃのう」

 

 臓硯が取れた頭部を切断面に押し付けると、それは元から傷などなかったかのように塞がる。キャスターのメフィティスとは違う、気味の悪さがあった。

 

「――――Unaware of loss(ただ一度の敗走もなく). Nor aware of gain(ただ一度の勝利もなし). With stood pain to create weapons(担い手はここに独り). waiting for one's arrival(鉄の丘で剣を打つ). I have no regrets.This is the only path(ならば、我が生涯に意味は不要ず)

 

 炎が迸り、蟲ともども此処に居る全てのものを飲み込む。

 肌に感じるのは焼けた風と熱い砂。剣を作り続ける、無限の剣の丘。

 

「―――My whole life was (この体は、)unlimited blade works(無限の剣で出来ていた)”」

 

 こうして世界は、俺の心象世界へと塗り替えられる。

 蟲は全て間桐臓硯の周囲に配置し、一塊にすることで一度に殲滅できるような位置関係を作る。

 

 腕を掲げ、それに合わせて剣が空に留まる。

 選んだ剣は、この世で名を馳せる炎の魔剣(フレイムタン)の数々。『害為す焔の杖(レーヴァテイン)』、『負けずの魔剣(クラウ・ソナス)』、『戦いの火炎(グンロギ)』、『煌く剣(リットゥ)』などから、名もなきフレイムタンも多数。

 傍にいるだけで肌に火が付きそうなほどの熱量。目の水分を瞬く間に持っていかれ、まともに前を見ることも難しい。

 

 『負けずの魔剣(クラウ・ソナス)』が炎とはまた違う白い光を発する。『戦いの火炎(グンロギ)』が唸る。『煌く剣(リットゥ)』がその姿を歪ませるほどに回転する。『害為す焔の杖(レーヴァテイン)』が、刀身から神聖を帯びた炎を吹き出す。

 

 それぞれが既に臨戦態勢。焼き尽くすべき獲物を見定め、それを自らの炎で絡め取ろうといきり立つ。

 

「――――Anfang(セット)」

 

 そしてそれは遠坂も同じだった。既にスカートのポケットから宝石を取り出している。冬原から貰ったものではなく、遠坂邸に在った虎の子だ。

 中に秘められていた魔力が開放され、それは凄まじい熱量の炎に変換される。

 

「お、おお……?」

 

 臓硯がこの圧倒的な火炎の前にたじろぐ。だがもう遅い。

 

「Ein KOrper ist Ein Korper《灰は灰に、塵は塵に》!」

 

 それを合図に、剣の群れと極大の火炎弾が射出された。

 

 瞬きする暇さえなく、それは狙いに寸分の狂いもなく、それらは間桐臓硯と脆弱な蟲たちに殺到した。

 着弾した瞬間に、それぞれの魔剣は火柱を上げてそれらを蹂躙する。遠坂の魔術もそれに負けじと炎を送り込む。

 

 限界まで熱された風が爆心地から吹き込む。炎は貪欲に次の獲物を探すが、もはや燃えるものは残っていなかった。徐々に炎は収まり、最後には溶けた地面と黒煙だけが残るのみだった。塵さえ残さない、一方的な殺戮だった。

 

 固有結界を解除し、元の風景に戻る。そこには数分前には居た諸々は居なかった。ただ暗くて静かな屋敷があるだけだ。比喩でもなんでもなく、塵さえ残ってはいないのだ。

 

「……はぁっ……はぁっ」

 

 遠坂の息が荒い。肩で息をしている。自分の息も荒いが、俺のそれは遠坂のそれには及ばない。

玉のような汗を浮かべ、否、滝のように汗を流している。

 あそこまで激高した遠坂は初めて見た。固有結界を俺に使わせるほどに、塵さえも残したくないと願うほどに、遠坂の理性は飛んでしまっていた。

 

 それはまさしく、逆鱗というに相応しいものだった。触れてはならない龍の逆鱗。それに触れたのならば、身を滅ぼされるしかない禁断の部位。

 遠坂にも逆鱗があるというのだろうか。トラウマか何かの類だろうか。それとも……恨み?

 

「……遠坂、大丈夫……なのか?」

 

「……大丈夫よ。……私は、大丈夫」

 

 自分に言い聞かせるような返答。未だ燻っているような気配はあるが、どうにか錯乱状態からは抜け出せたようだった。

 

 しかし、なにがそれほど遠坂を追い詰めたのだろうか。

 

 桜との間に何か在るのだろうか。確かに、間桐臓硯がこんな妖怪だったと知った今、桜がヤツに何かされていないのかと気遣う気持ちはある。だが……遠坂の反応は異常だった。

 

 一体何を知っているというのだろう。桜には、俺の知らない秘密があるというのだろうか。

 

 ――――魔術師? 秘密という単語からそれを連想した。その言葉の持つ意味を冷静に租借し、吟味する。

 

 有り得るか、有り得ないかで言えば……有り得る話だった。

 17年前に魔術回路が消えた……ということは、当然ながら慎二は正当な意味での“間桐”の跡継ぎではない。魔術師の後を継ぐのは魔術師だ。家の長にはなったとしても、魔術師としての間桐の長ではない。

 

 だとすれば、臓硯は跡継ぎをどうにか作りたいと考えただろう。魔術回路を後天的に付与する、養子を取る、あるいは魔術回路を持った子を産ます。考えられるのはこの辺りだ。

 

 しかし、養子を取ったところで意味はあるのだろうか。魔術というのはその血筋のものに以外には伝えることが難しい。誰にでも扱えるようなものはともかくとして、連綿と蓄積してきた魔術刻印の譲渡は不可能だ。

 

 ならば、その養子に子を産ませてはどうだろうか。間桐の血筋自体が途切れたのではない。あるいは子を産ますことも可能だ。これならば魔術刻印の譲渡も可能だろうし、魔術回路を持った間桐の子が生まれるだろう。

 なるほど、それが現実的なのだろうか。

 

 ―――――桜に……?

 

 待て、待て待て待て! これが正しいとすれば、桜はどこか別の家系から貰われてきた子で、しかも子を産むためだけに間桐に貰われたことになる。

 しかも……この地に魔術師は、隠れ住んでいる家系を除けば残りは遠坂だけだ。となると……間桐桜ではなく、遠坂桜…………?

 

 そんなことが許されるのか? 子供を産ませるためだけに子供を貰おうとする間桐と、そしてその現状を知りつつ子を渡す遠坂家。俺には“正当な”魔術師の考えなんか分からない。だが……あまりにも情がない!

 

 落ち着け、俺。今の段階では単なる妄想に過ぎない。ああ、いやでも。さっきの遠坂の反応を見れば真実味が増す。いやいや、早とちりするな。確かめなくてはいけない。遠坂に、何を知っているのか、聞かなければならない。

 

「遠坂……ちょっと聞いていいか?」

 

「澪? 目が覚めたの!?」

 

 おもむろに遠坂が声をあげ、かけた声が無視される。どうやら澪が目を覚ましたらしい。念話で話しかけてきたのだろう、ほっと胸を撫で下ろす。

 だが遠坂は取り戻しかけた余裕を失い、鬼気迫る様子だった。撫で下ろした胸に緊張感が戻る。どうしたのだろうか。

 

 念話が終わったのか、遠坂が突然走り出した。慌ててそれに付いていく。正面玄関を破るかのように疾走し、否、それを蹴破って外に出る。夏の纏わり付くような熱気が不快だった。

 

 庭を駆け抜け、街道へ出る。真っ直ぐに北の方角へ。どうやら俺の家に向かっているらしかった。

 

「どうした遠坂、お前なんかおかしいぞ!」

 

「臓硯はここには居ない。臓硯は、士郎の家に居るそうよ!」

 

「なっ――――」

 

 言葉に詰まる。俺の、家に?

 何が目的でそこに居るんだ。いや、そもそもつい今さっき跡形もなく燃やし尽くしたところではないのか。

 いや、それはいい。だが急がなければならない。

 

 そこにはセイバーが居るとはいえ、セイバー単体では間桐臓硯に対して有効な攻撃手段が無いのが事実だ。しかも、今日に限ってあそこには桜も藤ねえも居る。急がなければ、取り返しの付かないことになりかねない――――!

 

 走る。全力で、息をするのさえ忘れて。

 もっと、もっと速く。夏の熱気が纏わりついて俺の邪魔をする。それを振り払うように大きく腕を振り、足を限界まで動かして駆け抜ける。

 遠坂も俺の走りについて来る。桜のことが気がかりなのか、普段よりも随分速い速度が出ている。

 

「ハ―――ハ、ハアッ―――」

 

 肺が破裂するのと足が不能になるのと、どちらが先か考え出した頃に家に辿り着いた。

 全力疾走することおよそ十数分。魔力の消費も著しいこともあり、もう限界は目前だった。

 だが気を抜く訳にはいかない。一見したところ戦禍に巻き込まれている印象は受けないが、澪の話が正しければまさしく戦場の筈だ。

 

 だがそういった諸々の想像に反して、門にはそれに背中を預けて物思いに耽っている澪の姿と、周囲を警戒するセイバーの姿があるだけだった。

 

 セイバーがすぐにこちらに気付いて警戒を緩める。澪もこちらに気付いたようだった。

 

「澪、もう体は大丈夫なのか!」

 

「ごめん、急に呼び戻して。……話さなければならないことがあるの。ここでは拙いから、どこか別の場所に……」

 

 開口一番に謝罪する澪。だが話の流れがいまいち分からず、それが気に食わないのか凛が食ってかかる。

 

「ちょっと! どういうつもりよ、冗談でしたでは済まない話なのよ」

「遠坂さん」

 

 びしゃりと言い放つ澪。意外だった。澪があんなに語気を強めることが、今までにあっただろうか。

 

 その目は、何か不満を押し殺しているようにも思えた。敵意や殺意ではなく、ただ自分の不愉快を体現したような目つき。だが、そこに何となく悲しみのような、憐憫のようなものが混入している気がするのは気のせいだろうか。

 

「桜さんの話よ。桜さんと間桐家に関わる、大事な話」

「―――――……!」

 

 無言で驚きを表現する澪。それは臓硯に桜の話を聞かされようとしていたからか、それとも何か別の理由があるのか、それは分からない。だが、俺もあんなことを考えていた矢先なのでそれなりに驚きがある。俺のそれは飲み込むことが出来て、遠坂のそれは飲み込むことができなかっただけの話だ。

 

「……分かったわ。私の家でいいかしら」

 

 本人に聞かれたりすると拙いのか、それとも往来で出来る話ではないのか、俺達は遠坂の屋敷へと移動するのであった。

 その間、俺はぴりぴりと静電気を放つ空気をどうしたものかと悩まされ続けるのだった。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 

 遠坂さんの家は、あまり帰っていないためかやや汚れが目立った。だが気になるほどではない。一人暮らしの男の家のほうがよほど汚いだろう。というか、私のアパートの部屋のほうが汚い。

 遠坂さんが四人分の紅茶を淹れる。私が持ちかけたとはいえ、長い話になりそうだった。

 

「さて遠坂さん、答えて欲しいんです」

 

 空気が帯電している。出来れば穏やかに話を進めたいところなのだけれど、これはそうはいかない話だ。色々と立ち入った話になる上に、下手をすれば遠坂さんと袂を分かつことになるかも知れない、デリケートな話だ。

 

「桜さん……桜さんが魔術師だということは、知っていたわね?」

 

 あの記憶で垣間見たことの中に、一つの風景があった。それはあの人の原動力ともいえる風景だったのだろう。強く、はっきりと、きっと最後まで心に抱えていた風景。

 

 それは、遠坂凛と間桐桜が一緒に野を駆ける姿だ。母親と思しき人物と一緒に、親子のように、姉妹のように。

 桜さんは髪の毛の色こそ違うが、紛れも無く桜さんだ。十年以上、下手をすれば二十年以上前のことなのだろうが、そこには同一人物だと断言できる面影がある。遠坂さんにも同じことが言える。

 

 その風景は、もしかしたら遠坂親子とその友達と判断できたかも知れない。だが……“そんな筈はない”。だってあの記憶は、確かに遠坂凛と間桐桜が姉妹であると断言しているのだから。

 

 自分でもあんな不確かなものを信じるなんてどうかしている。白昼夢、妄想の類かも知れないのに。でも……何故か疑えないのだ。

 

 質問を聞いて、一気に遠坂さんが殺気立つ。叩きつけられるような殺気を浴びるが、予想していたことなので怯まない。

 まずいな、これは本当にヘンに誤解を招けば袂を分かつことになりそうだ。

 

「と、遠坂……! それは本当なのか!?」

 

「黙ってなさい、士郎。……答えなさい、どこでそれを聞いたの?」

 

「答えられません。ある方から聞いたとしか、言いようがありません」

 

「……へえ。澪、臓硯から何か吹き込まれでもしたの?」

 

 これは良くない。今の遠坂さんは、何というか普段の冷静を欠いている。臓硯に何か吹き込まれたのはそっちではないのか、という言葉をすんでのところで飲み込んだ。これを口にすれば、遠坂さんはバーサーカーを出しかねない。

 

「…………リン、どうか落ち着いて欲しい。このままでは剣に腕が伸びてしまう」

 

「セイバー、悪いけれど消えていて。貴方が居ると遠坂さんが話せないわ」

 

 こちらが武器、というか戦力であるセイバーを出していればどうしても剣呑なものになってしまう。ここは悪いが霊体化してもらうか、いっそこの部屋から出て行ってもらうくらいで無ければ。

 

「……心得た。霊体化しておく。これで異存ないな?」

 

「十分よ。……さて、遠坂さん。私は別に遠坂さんを強請ろうとか、桜さんをどうかしようとか、そういう意図は一切ないの」

 

 実体を解いて姿を消したセイバーからもそれは伝わったと思う。そう信じるしかない。

 交渉ごととか、ディベートとか、私は苦手だ。自分の考えを主張するのが嫌いだが、今回はそうは言っていられない。ここでの立ち回りで、今後が決定してしまいそうだ。

 

「……じゃあ、どういう意図かしら」

 

「遠坂さん、これから話すことは嘘偽りの無い、私が実際に確かめた事実よ。落ち着いて聞いて」

 

 出来るだけ要領良く、事実のみを簡潔に、しかし詳細に話す。

 相手に話を信じさせるには、できるだけ感情を排除することだ。扇動するならともかく、感情的になれば相手はますます疑いを抱く。理路整然と、筋道立てて説明するのが最上だ。落ち着いて、私が誰よりも冷静になって、場を宥めるように言葉を舌に乗せる。

 

 それが功を奏したのか、遠坂さんも冷静になって話を聞いてくれた。こうなればこっちのペースだ。話すべきことを一気に話す。

 

 桜さんの今の体の状態のこと。間桐臓硯の一要素と思わしき蟲が心臓に寄生していること。

 

 ……そして、それには不可解な点が残ること。

 

「でもこんな危険なことを肉親にする理由がない。仮にも自分の血を受け継いだ子孫を、意味も無く虐げる魔術師は存在しないわ」

 

 あの不確かな情報に頼らず、理論的に話を進める。淡々と、私情を可能な限り排除して。

 

 虐待が考えづらいというのは、それは情に篤いという意味ではなく、利己的な意味が強い。

 魔術師にとって子孫とは神秘を託すための存在だ。自分の研究の成果を次代に引き継ぐのは、魔術師にとって義務ともいえる。

 それはつまり跡継ぎがいなければ自分の、ひいては先祖から受け継いだ研究成果を託せない。そうなっては全てが水泡に帰す。それを回避するためにも、跡継ぎを無意味に虐待するものは存在しない。跡継ぎが廃人では全くの無意味だ。

 

 そういった意味で桜さんの体は不可解だ。あれはまさしく命を代償にしかねない。度が過ぎれば、本当に寄生虫に殺される。

 桜さんの体質によってはある程度は耐えられるかも知れない。だが、あんなことを強いれば、遠からず破滅するだろうことが目に見えている。

 

 しかし間桐臓硯が不死身に近い体を持っているとすれば、若干話は違ってくる。そもそも跡継ぎを残す必要がないのだから。

 だが、それでもやはり桜さんに虐待する意味がない。魔術師とはどこまでも利己的な生き物だ。自分に害さえ無ければ、自分の利益にならないならば、人を虐待する暇を研究に充てる生き物なのだ。

 

 だから考えられるのは……別の家系の血を、間桐に寄せようとしたということ。

 その考えに至る根拠ならある。士郎さんの髪だ。今は白と赤銅色のメッシュとなっているが、以前まで地毛は赤銅色だけだったらしい。それが度重なる魔術使用の反動でそうなっているとか。

 

 そうなると桜さんの髪の色の変化にも説明がつく。前は遠坂さんと同じ黒だったのが、血をより間桐へと近づけようとした副作用としての変化。十分に考えられる話だった。

 

 つまり……その経緯こそ不明だが、遠坂家から間桐家へと貰われ、そこで間桐の血筋となるべく無茶な改造を受け続けたということだ。

 そして、多分それは遠坂さんも知っているはずなのだ。

 

「待って、何でそこで遠坂家が出てくるのかしら?」

 

「惚けないで下さい。この地に間桐と釣り合う家は、遠坂しか居ないはずです」

 

 始まりの御三家ともあろうものが、格下の魔術師から子供を貰うとは思えない。

 それに、今ならなんとなく分かるのだが、遠坂さんと桜さんは匂いが似ているのだ。育った環境が違うからか微妙に違うが、根本で同じものを持っているように思う。

 

「…………遠坂、澪……今の話、本当なのか?」

 

 おずおずと士郎さんが聞く。その反応も当然だ。信じられる話ではないだろう。むしろ卒倒するか、頭に血が上って暴走するかのどちらかだと想像していた分肩透かしを食らった気分ではあった。どこか頭の片隅で覚悟していた話なのかも知れない。

 

「私の話は、最後の推論を除けば真実よ。いずれにしても、桜さんからあの蟲を除去しなければ桜さんの命に関わるだろうし、臓硯と決着をつけたことにはならないわ。……でも、はっきりさせたいの。知ってしまった以上、当人からどう終結させるのか聞きたい。

 遠坂さん……桜さんを、どうして欲しいですか?」

 

 もしも……もしも、遠坂さんが桜さんの現状を知って、それでも知らないと言って切り捨てるようであれば……桜さんのことを既に他人であると言って切るならば……この人とは、袂を分かつ必要がある。

 だからこそ、遠坂さんの思いを確認しなければならない。だからこそ、この話を切り出した。

 

 遠坂さんは、じっと手に持ったティーカップの中身を眺めている。その水面は、小刻みに揺れていた。

 

「…………ある日、間桐から申し出があったらしいの」

 

 ぽつりと、呟くように、その独白は始まった。遠坂さんが顔を上げると、その目には今にも零れ落ちそうなほどの涙が湛えられていた。

 

「間桐の家には、ついに魔術回路が発現しなかった。そこで、よその家から子供を貰おうとしたらしいわ」

 

「…………」

 

 誰も口を挟まない。いや、挟めない。

 懺悔は、それが終わるまで優しく聞き遂げるべきだからだ。

 

「間桐から見れば運のいいことに、御三家の一角である遠坂には第二子が存在したわ。臓硯が言っていたけれど、まさに天恵だったことでしょうね。

そして私の父、遠坂時臣はそれを受け入れてしまった。父は立派な魔術師だったけれど、唯一恨むべき点があるとすればこの一点ね。

 紆余曲折を経て、その子は間桐の家に行くことになった。姉は遠坂の、妹は間桐の子として育つことになったわ。

 その後はもう、別の家の魔術師としてしか接することは許されなかった。二度と姉と妹には戻れなかったわ。……いまさら、戻れるわけもなかった。

 きっと桜は泣いている。あの子は泣き虫だから、堪えきれずに泣いている。そう分かっていながら……私はどうすることも出来なかった……!」

 

 きっと、遠坂さんも辛かったのだろう。そうでなければ、こんなに声を震わすはずがない。

 大人の勝手な都合で引き裂かれて、以前と同じように接するにはあまりに遠くて。

 もしも出来るのなら、二人とも姉妹に戻りたいのだろうと思う。幸せに過ごしてくれるはずだった(さくら)さんのことを思えば、罪に思わないはずがない。

 幸せになれるはずだった運命を、それを見過ごしてきた非道を、きっとこの人は許せないのだろう。だからこんなにも辛そうなんだ。

 ずっと、ずっと十字架を背負い続けた。いっそ完全に他人になりきれるならどんなに気楽だったのだろうか。

 でもそれが出来ないから……遠坂さんは、苦しみ続けたのだ。

 

「今さら、どんな顔をしてあの子に優しくすればいいの? どんな顔をしてあの子の姉として振舞えっていうの?

 私だけのうのうと暮らして、桜だけが苦しんで……! 桜がそんなことになっていることも知らず、知ろうともせず、私だけが日常を享受した……!

 私は、何もかもあの子から奪ったわ。遠坂家に居れば得られたであろう平穏を、あの子の好きな人も、何もかも、何もかも……っ!」

 

 震える手を抑えてティーカップをソーサーに置く。

 俯いたその目から、ついに涙が零れた。ぽつり、ぽつりと、まるで堰を切ったかのようにとめど無く。涙はティーカップに落ち、紅茶を涙の分だけ染める。

 

「だけど……だけどもし、私でも一つだけ願えるのなら…………」

 

 声を絞り出す。その声には贖罪の想いが込められていた。

 

 きっと、ずっと後悔していたのだと思う。遠坂さんは、そういうことを割り切れなくて、それがずっと心を苛むと知りつつも、何もできなくて。

 罪の意識は、この世で最も重く苦しいものだ。それをずっと背負い続け、ひたすら謝りたくて、でもそれも出来なくて。

 そういった思いが溢れ、それは涙となって零れる。

 抑圧されていた感情は制御するのが難しい。普段は完全無欠を装う遠坂さんが泣き崩れたとしても、誰が彼女を責められようか。誰が彼女を笑うことができようか。

 

 ――――ああ、良かった。この人が魔術師である前に、一人の姉であってくれて、本当に良かった。

 

「――――あの子を、桜を、…………助けて……!」

 

 こうして、近くて遠かった姉妹は遅すぎた一歩を踏み出したのだ。


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