Fate/Next   作:真澄 十

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Act.20 春の桜

 恥の多い人生を送ってきました。

 

 これは太宰治の『人間失格』だったでしょうか。確か、転落の人生を描き、最後には薬漬けになって精神科に放り込まれる男の人の話。その転落を、主人公は「こうなっては人間失格だ」と自虐する。

 

 だったらきっと、私もそうなのだと思う。

 

 この体は恥辱で薄汚れている。転落というより、墜落に近い人生だった。もうこれ以下など、私には思いつかない。そのお話の主人公だって、私から見れば随分と幸せな人生だと思った。だからきっと、私も人間失格だ。

 

 数多の蟲を受け入れている体。それはきっと、そこらの娼婦よりも汚らわしいのだろう。恥だといえば、それは間違いなくそうだと言い切れる。だって、それに甘んじている私がここに居るのだ。

 

基本的な人権すら、幼少の頃に剥奪された。その頃にはもう、世間でいう虐待の類は一通り経験したはずだ。

 自分の人生すら、何一つ決定は許されない。太宰治のように、自決という最後の砦すら用意されていない。だからきっと、そのお話の主人公は幸せだと思ったのだ。堕落できる人生すら、私には許されないのだから。

 

 しかしこれほど自分の運命を呪い、それでも運命に抗うこともせず、ただ流されてきた私こそ恥じるべきなのだろう。

 

 だからきっと、私は恥辱で塗れるのがお似合いなのだ。

 

 ――――太陽の光が嫌い。

 

 汚らわしく、汚濁に塗れたこの体を直視してしまうから。太陽の光は眩しすぎる。その光は私の汚辱を暴くだけでは飽き足らず、この体を焼く。

 夜のように優しければ、どれほどこの世界は祝福に満ちていたことだろう。

 

 先輩との生活は、それは泡沫の夢のようだった。一時でも、光の下でも生きていけるんだと思わせてくれた。

 だけど、希望は時に人を苛むことを知った。希望があるからこそ、人は絶望に苦しむのだ。闇しかなければ心を殺し、じっと身を強張らせれば済むというのに。なまじ希望(ひかり)があるから立ち上がってしまい、転んで痛みを覚える。

 だから、光が嫌い。希望が無ければ絶望も無いというのに。

 

 ――――夜の闇が嫌い。

 

 それは私を苛む時間だから。蟲蔵は、外の大気からも遮断された、正真正銘の闇の異界だ。その闇は光を覆い隠すだけでなく、この体を蝕む。

 太陽のように朗らかなら、この世界は憎しみから解放されているだろう。

 

 もう何年続いたか分からない時間。私はずっと闇の中で彷徨っている。この世界が私の運命を狂わせ、捻らせ、怨嗟の色で染め上げた。

 だけど、絶望は長くは続かないことを知った。最後には、それを行う気力すら奪われる。ただ、日々を生きる人形となってしまう。それでも何とか人間でいられるのは、そこに一縷の希望が残されていたからに他ならない。

 だから、夜が嫌い。太陽よりも、もっと嫌い。キライ、キライ、キライ。

 

 全部、きらい。

 

 この世の全てが憎い。太陽も、夜も、他人も、自分も、なにもかも嫌い。

 どれもこれも、私を苛むことしかしないのだから。唯一、先輩だけは私を苛めなかったけれど、それでも私を救ってはくれなかった。私の気持ちに気付いてくれなかったから、嫌い。遠坂先輩と一緒になってしまったから、嫌い。

 

 勿論、遠坂先輩だって嫌い。先輩を取っていったから。私の気持ちを知っていたはずなのに、何食わぬ顔で掠めていったあの人が嫌い。

 

 兄さんも嫌い。死んでくれて、本当に良かったと思う。お爺様に聞かされたときは驚きもしたけれど、悲しくはなかった。あの人は、私に何一つしてくれなかった。

 

 八海山澪という女の子は……まだ分からない。あの人も私に何もしないけれど、どうせ私を苛めるんだ。だから、嫌い。

 

 嫌い、憎い、だから赦せない。

 

 私を苛む人を、物を、世界を赦せない。

 こんなに苦しいなら、こんなに辛いなら、いっそ何も無い虚無だったらよかったのに。

 

 ――――でも本当は、誰かを赦したいんだと思う。

 

 衛宮先輩、遠坂先輩、兄さん。お爺様は赦せないかも知れないけれど、きっと私は皆を赦したいんだと思う。

 

 やっぱり先輩は、私の好きな人だ。私に日常を与えてくれた大事な人。この人を赦せないと、私には二度と日常が戻ってこない。先輩がいたからこそ、私はまだ頑張れているんだから。

 

 遠坂先輩も、いつか姉さんと呼びたい。血の繋がった実の姉妹だというのに、こんな関係はやっぱり悲しいと思う。今はまだ他人だけれど……いつか本当の姉妹に戻りたいと、何度願っただろう。

 

 兄さんも、赦したかった。生きているうちに、赦したかったんだと思う。あの人の置かれていた立場を考えれば……私に当たるのも無理からぬことだったのじゃないかと思う。もう少しだけ、義理だとしても良い兄妹の関係を築けたはずだ。

 

 赦せない、赦したい。

 

 だけど私は、やっぱり今日も立ち止まってしまう。

 ただ一言。「姉さん」とあの人を呼ぶだけで良かったというのに。

 ただ一言。「助けて」と先輩に訴えるだけで良かったというのに。

 そうすればきっと、何もかも上手くいっていたというのに。きっと、これ以上何かに怯えずに済んだというのに。

 あの人たちは、優しいから。きっと私を守ってくれたというのに。

 

 ああ、ついぞ「姉さん」と呼べなかった私。ついぞ「助けて」と言えなかった私。何度も口にしようとしたのに、出来なかった私。

 

 なんて意志薄弱な私。その気になれば、いつだって言えたのに。

 

 寂しいよ。淋しいよ。辛いよ。

 

 一人で迎える夜は、いつだって肌寒い。私の世界は、一人で居るにはとても辛い。

 だから本当は、大声で叫びたい。

 

 姉さん、姉さん、姉さん。

 助けて、助けて、助けて。

 

 ――――姉さん、先輩、助けて。

 

 願えるのなら。

 これから迎える夏に、海に行き。

 すぐに訪れる秋は、月を眺め。

 いずれ訪れる冬は、温もりに身を寄せて。

 春になったら――――桜を見に行きたい。

 

 ――――寒いよ、寒いよ、寒いよ。

 

 もしも、夜に横たわる私の手を握ってくれる人が居たなら……私も、もう少しだけ勇気が出せたかも知れない。

 

 何も出来ず、何もしようとしなかった私だけど……運命に抗えるのかも知れない。

 

 だから、本当は今すぐにでも叫びたい。

 

 ―――姉さん、先輩――……寒いよ、助けて……。

 

 まどろみの中で、不意に頬に落ちる熱いものを感じる。

 その温かさに引かれて、少しだけ瞼を開く。

 

 ……あんなことを思っていたから。何度願ったかも分からない、私の左手を握る姉さんの姿がそこにあった。

 

 ずっと泣いていたのだろう。目は赤く、すでに腫れぼったくなっている。

 だけど私の手を握るその指先は優しい。もう片方の手で私の頭を撫でてくれる。

 ――――もう思い出せないほど、遠い昔。こうしてぐずる私をあやしてくれた気がするのは、何故だろう。

 

 気がつけば。私の右手には、先輩の手が。

 ああ、なんて心地いいんだろう。まどろみの胡乱では、これが夢か現実かもわからない。

 だけど、だけどもし、これが夢なら……覚めないで欲しい。

 

「――――桜。あなたを、助けに来たわ」

 

 私が起きていることに気がついたようで、まだ流れる涙を堪えようと、精一杯の笑顔を私に向ける。それが痛々しくて、嬉しくて。まだ寝ぼけている私も笑顔を返そうとしたけれど、口をついたのは間抜けな言葉だった。

 

「――――どう、して……?」

 

 きっと、その言葉の意味を理解できていなかったのだと思う。私には無縁だと思っていた言葉。私には過ぎた言葉を投げかけられ、それに喜ぶよりも、疑問が先に放たれる。

 

 ――――本当は、泣きたいくらい嬉しいのに。

 

「あなたは、私の妹だから」

 

 その言葉にどれほどの想いが込められていたのだろう。

 もう顔は涙でぐしゃぐしゃで、普段の瀟洒さは微塵も無い。

 だけれど、何故だろう。今なら、姉さんと呼べるような気がした。

 

「……姉さん」

 

 言えた。ついに、言えた。

 この肩に圧し掛かっていたものが、霧のように消えた気がした。姉さんもそれは同じらしく、何だか優しい顔をしている。

 

 救われたのは、私のはずなのに。何故か、救われたのはこの人じゃないかと思うほど――――優しい顔をしていた。

 

 先輩が名残惜しそうに指を手から離す。先輩も、なんだか泣きそうな顔をしていた。

 私の手の代わりに握られたのは一振りの剣。仏閣で見るような、柄の上下が鳥の爪のような形状をしている剣だ。刃は迷いのない鋼。優しく、温かな光を放つ剣だった。

 

 その剣の切っ先が私に向けられる。

 不思議と怖くはなかった。それを持つ先輩の顔が、とても優しかったから。

 

 その切っ先が迸る。

 

 感じたのは僅かな衝撃と、心臓の熱さ。

 痛みは無い。痛みを感じる間すらなく死ねるのであれば、それはそれで良いと思った。

 

 ――――だって、姉さんと呼べたんだから。

 

 心臓の熱さ。いいえ、温かさに導かれて、再び深い眠りに落ちていく。

 

 後悔なんて無いけれど、未練ならある。私の我侭だけど、これは私のささやかな夢だ。

 姉さんと、先輩と、私。何もかもが終わったら。胸を張って姉妹と呼べるようになったら。三人で――――春の、桜を…………

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 私とセイバーは、居間の縁側から月を眺めていた。

 

 私達が入っていける余地なんて、それこそ一寸たりともない。私に出来るのは、桜さんの異常を察知して、得られた情報から色々と推測することだけだ。これ以上、私が桜さんにしてあげられることなんて無い。

 降って沸いてきたかのような、ぽっと出の人物がこれ以上割り込んでいい問題ではないのだ。

 

 唯一できることといえば、あの人たちの問題がちゃんと解決できるように、席を外すこと。

 かといって先に寝てしまえるほど厚顔にはなれず、あぶれた者同士、月と星を眺めている。会話は無いけれど、不思議と苦痛ではなかった。

 

「……シロウたちは上手くやるかな」

 

 ぽつりとセイバーが洩らす。気が揉んで仕方ない、という訳ではなさそうだ。ふと思い出したかのような言葉は、しかし温かさに満ちている。

 

「上手くやるでしょ。あの剣を使えば、桜さんの肉体面の問題は解決する」

 

 士郎さんが投影したのは、不動明王の持つ『三鈷剣(サンコケン)』。これは、仏教に少しでも触れたことのある人であれば知っているだろう。

 柄は棒状で、その上下にフォークのような刃が三つついている。三鈷杵(さんこしょ)、あるいはヴァジュラと呼ばれているものと同じ形状だ。

 ただしその三鈷杵に、鋭利な剣が生えている。両刃の、一切の装飾が見受けられない剣だ。

 

 魔を絶ち、人とそれを別つ。煩悩を砕き、人とそれを別つ。それが三鈷剣。人を救うために、人から悪を切り離す剣。

 

 不動明王は、その右手に持つ三鈷剣で人を救うための明王だ。『羂索(けんじゃく)』という、悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人を掬い上げる投げ縄を左手に持ち、迦楼羅焔(かるらえん)という炎を背に負う者。

 「衆生を救うまでは、ここを動かじ」といって火生三昧(かしょうざんまい)と呼ばれる炎の世界に座し、民衆を教えに導きながらも人間界の煩悩や欲望が仏界に波及しないよう聖なる炎で焼き尽くすと言われる。

 

 まあ、つまり言いたいことは。士郎さんみたいだなということだ。

 

 人間界を魔術師が蔓延る裏の世界。仏界を一般人のための表の世界と言い換える必要があるが、その在り方はまさしくそうだろう。

 

 そんな士郎さんが三鈷剣を握ったのだ。剣がそれに応えないはずがない。

 三鈷剣は、余すところなく桜さんと“魔”を別つだろう。人に憑いた悪鬼を滅ぼすための剣だ。それが出来ない道理は無い。当然、人を救うことに特化した剣が桜さんを傷つけることも無い。

 

 だから、問題があるとすれば、

 

「心の問題は、これから徐々に解決するしかないけどね」

 

 少なくとも、差し迫った問題はこれで解決する。

 間桐臓硯は、三鈷剣の刃で殺されて。桜さんを苛むものは何も無くなる。

 

 だがそれは全て肉体面の問題であって、心の問題は時間をかけて解決するしかないだろう。

 おそらくは、三鈷剣が桜さんの迷いを断ち切るだろう。だが……それがどっちに転ぶかは、当人たち次第である。迷いがなくなった結果、完全に縁を切ることも考えられるのだ。

 

 迷いとは、時に現状を維持する力だ。それを絶たれたら……最悪、修復不可能な方向に針が振り切れることも考えられる。

 勿論、良い方向に転ぶことも考えられる。だがそれは、関係を修復する気があるのか、それとも関係を絶ちたいのか、というあやふやなものだ。少なくとも、まだ関係の浅い私には分からないこと。

 

 桜さんの心次第だ。どちらの方向に転ぶかは、もはや当人にしか分からない。

 

「だが、何故だろうな。心配せずとも大丈夫な気がする」

「奇偶ね。私もそう思うわ」

 

 確たる自信があるわけではないが、何となく、桜さんは大丈夫だと思うのだ。

 それに、実際のところ三鈷剣がそこまでするかどうかは不明だ。伝承には煩悩や迷いも断ち切るとあるが、それは悟りを妨げる要素としての迷いを指すところが大きい。多分だが、臓硯と蟲を断つだけで終わると思うのだ。

 

 まあ、仮に桜さんの迷いを切ったとしても。やはり大丈夫だろう。

 今でこそ捻れてしまっているけれど……遠坂さんと、桜さん。良い姉妹だと思うのだ。

 

「……ねえ、セイバー。私たちは、聖杯を壊すという目的があって動いているけれど。本当はどう思っているの?」

 

 ふと口から放たれたのは、そんな疑問。

 こうやってゆっくりと話す機会はあまり無かった。そう思ったら、何だかちゃんと聞いておかなくちゃいけないような気がした。

 

「……どうか、とは?」

 

 質問の意味を図りかねているようで、質問を返された。

 自分でもなんでこんなことを言ってしまったのかよく分からないけれど、やはり、この際だから心の問題は解決しておきたいと思ったのだ。

 

「聖杯を破壊する、ということは……私は、セイバーを否定したのよ。願いがあって召喚に応じたセイバーの目の前で、私はそれを拒絶した。

 他のサーヴァントのことなんて、よく分からないけれど……私、あのとき斬り殺されていてもおかしくなかったと思うわ」

 

「……さて、どう答えたものか」

 

 セイバーは月を見上げながら、困ったような顔をする。

 胡坐をかいて月を見上げるその様は、空に輝く月や星に負けず、なんだか貴いものに思えた。

 風がそっと頬をなぜる。それに合わせて、セイバーの金の髪も優しく揺れた。

 

「聖杯の正体を聞かされたことも一因であるのは間違いない。話によると、聖杯は世に出してはならないモノのようだ。

 だが、それで聖杯を諦められるのか、と言われれば……即答できんな」

 

 それはそうだろう。あのとき、セイバーは最後まで士郎さんの話を疑っていた。

 

「しかし、やはり過去を改竄することは、如何なる神秘を以ってしても不可能だと理解もしていた。それでも聖杯ならば、と淡い期待を抱いていたが、士郎の話で諦めがついたというものだ。

 それに……本当に叶えたい願いは、聖杯の助けなど必要ないからな」

 

「本当の、願い?」

 

「ああ。……ミオに私の名前を隠している手前、あまり話せないが。

 私には友が居て、彼を私の過ちで亡くしてしまったことは、既に話したと思う」

 

 黙って首を縦に振る。士郎さんに、聖杯にかける望みを尋ねられたときの話だ。

 その戦いを無かったことにし、せめて友だけでも死なせずに済む結末を。というのがそのときに話していたことだ。

 

 友というのは、やはりあの時夢で見たあの男のことだろう。セイバーの傍らで馬に跨り、数万の軍勢と共に行軍していたあの風景だ。

 

 ――――今思えば、あの夢は。霊的にセイバーと繋がっているからなんかじゃなく、あの不可解な場所から持ってきた記憶だったのだと思う。

 

「私はな、ミオ。その戦いで、私だけが生き残ったのだ。

 私には剣の他に、もう一つ宝具がある。それは生前に王から与えられたものなのだが、これの使いどころを間違った。

 ――――結果として、我が軍は私を除いて全滅。相手の軍勢もほぼ壊滅状態であったのだが、私の汚名を雪ぐ戦果では無かった。

 つまり言いたいことは、私は生前に誰も守れなかったのだよ。傍にいた友すら守れない騎士だ。私の過ちで数万の友軍を失い、そのくせに私だけが生き残る。

 騎士ではないミオには実感が沸かないかも知れんが……私は、誰かを守り通したいのだ。私は貴方の友として、貴方を守りたいのだ。そうでなければ胸を張って騎士などと言えん。武勇などもう要らない、ただこの手に何かを残したいのだ。

 それが、私がミオを切らなかった理由だ。このように美しい貴婦人(マスター)を守れるなど、騎士の本懐に尽きるというものだ。しかも、聖杯を破壊できれば町をひとつ守れる。こんな私でも、英雄になれるのだ」

 

 そう言って笑みを零す。いつもの、邪気のない子供みたいな笑顔だ。

 この笑顔は、好きだ。とても温かく、その笑顔を向けられた人は心が洗われるだろう。勿論のこと恋愛対象としてではないが、この笑顔を向けられて彼を嫌うのは、中々難しいことのように思えた。

 

 ……しかし、さらりと恥ずかしいことを言ってくれる。どう答えたものか、考えあぐねる。

 

「こんなところに居たのか」

 

 丁度良いところに士郎さんがやってきた。どうやら、全部済んだようだった。

 手にはビニール袋を持っているが、その中身は薄暗闇の中ではよく分からない。ちょっとした量があるように思える。よく見ると、少しばかり液体も混ざっているように思えるが、やはり中身は分からなかった。

 

「……なにそれ」

 

「間桐臓硯の本体と、桜の中にあった蟲の全部。死体を放置すると、腐って有毒なガスが出ちゃうからな。ちょっと苦労したけど、三鈷剣で全部摘出した」

 

 聞いて袋から目を背ける。なるほど、あの液体は蟲の血だったか。

 あまり見たくないが、こうなるとその量に呆れるばかりだ。人間に寄生する虫は、それなりに種類が居るけれど、こうまで大きい蟲はそうそう居まい。それどころかこの量、一般人であったらならば間違いなく致命的だ。

 ある程度分かっていたことだが、実際に目にすると、痛々しくて仕方がない。桜さんはこれに長年耐えてきたのか。

 

 蟲は剣で斬られたためか、ピクリともしない。三鈷剣は効果を存分に発揮したようだ。間桐臓硯も、桜さんに寄生していた蟲も、剣に切り裂かれて命を絶たれたようだ。

 少々呆気無い幕引きだったが、こんなものだろう。もともと脆弱な蟲のこと、潰れるときは一瞬だ。

 その蟲に意識不明の重態を負わされたのは、ちょっとした失態だったけれど。まあ、終わりよければ全て良しということだ。遠坂さんあたりからはお小言が来るかも知れないけれどね。

 

 士郎さんは縁側から庭に降りる。何をするのかと思って見ていれば、土蔵からシャベルを持ち出した。それを使って庭の片隅に穴を掘る。どうやら墓を作るようだ。

 正直言って、その辺りに放り捨てておけば良いと思う。だけど、これが士郎さんの良いところなのかも知れない。

 私としても、死者を貶める趣味なんかない。死者は語らず、動かず、何もしない。死者だからこそ、最低限の尊厳くらいは守ってあげてもいいかな、と思う。

まあ、死体がこうして残っていたから言える話だけれど。生きている人間には容赦なんかしない。士郎さんだって、生きている臓硯に対しては、死体も残さないぐらいのことをするだろうし。

 

 埋葬が終わったころを見計らって、気になっていたことを聞いてみることにした。そこにあったサンダルを履いて、芝生の覆う庭に出る。

 

「……桜さんは、どうしているの?」

 

「桜は今眠っているよ。遠坂が診ている」

 

 そっか、と小さく答える。さすがに直ぐに起きるなんてことは無いだろう。色々話したいが、それは遠坂さんが最初にするべきだし。次に士郎さんで、最後が私。

 藤村さんは、どうやら正真正銘の一般人であるみたいだし。彼女には全て内緒で事を進めなくちゃ。

 

 衛宮さんが、少し堆くなった土に墓標代わりの石を置く。

 澪子という女性に、葬儀というものは捨て置けないと言われた手前、手を合わせておくことにした。何なら祝詞ぐらい歌ってあげてもいい。

 ……といっても、神式の葬儀であげる祝詞は相手の略歴や人柄を盛り込んだものだ。祝詞があげられるほど、私はこの蟲翁のことを知らない。

 さてどうしようか、と困って。いつぞやの一切成就祓(いっさいじょうじゅのはらえ)をあげることにした。

 

 心の中で小さく呟く。さすがに声にだして歌ってあげるほど、私の心は広くない。

 ――――極めて汚も滞無れば穢とはあらじ。内外の玉垣清淨と申す。

 ……うん。ま、あの世なんてあるのか知らないけれど。そこで罪を削ぎ落とすといいよ。

 

「……これで大団円、かしらねえ」

 

「そう言うにはちょっと早い気もするけどな」

 

「確かに。……桜さんは、これからどうするんでしょうね」

 

 月を見上げながらぽつりと洩らす。

 

 桜さんには、今や未来を選択することが許される。今まで周囲に強制されていたが、それから開放された今、桜さんの意思が最重要だ。

 それはつまり。遠坂さんの妹として生きるか、他人として生きるか。

 さらには。魔術師として生きるか、一般人として生きるか。

 

 前者の問題は、セイバーとも話し合ったからあまり気にならない。だけど後者はちょっと胡乱だ。これこそどう転ぶか分からないのだ。

 肉親云々という問題は、まあ一般的な倫理に照らし合わせることも可能だ。よほどトチ狂った魔術師で無い限り、やはり倫理観は持ち合わせる。まあ、一般人のそれとは若干違うんだけれども。

しかし、魔術師といえどやはり人の子。やはり肉親は大事にしたいと思うし、一般的な倫理観に基づいて動くこともある。そういう意味で、ある程度は桜さんの方向性を推測できるのだ。

 

 だけど、魔術師か一般人か、という問題になると……どっちに転んでも、何も問題が無いだけに推し量れない。私みたいに、中途半端な中間地点を進むことだって可能だ。あるいは、士郎さんみたいに、魔術を目的ではなく手段として学ぶことも出来る。もちろん、そういった邪道ではなく、遠坂さんのように正道な魔術師として生きることもできる。

 

 そしてそのいずれを選んでも、誰も傷つかないし、誰も問題ない。全ての可能性が平等に存在するからこそ気になる。だから桜さんに近しい士郎さんに、意見を聞いてみたいと思った。

 

「……どうだろうな。魔術回路は全て残っている。さすがにそれを断ち切ると、どんな影響が出るか分からないからな。……それをどう使うかは、桜次第だ」

 

「本音は?」

 

「…………桜が魔術師だったというのは、驚きもしたし、軽くショックを受けた。俺にとって桜は、何て言うか……日常そのものみたいな感じだったし。勿論藤ねえも。

 だから……俺は、桜には魔術師以外の行き方をして欲しい」

 

 そう言うと思っていた。

 でも、私の意見では、桜さんは魔術師として生きるのではないかと思っているのだ。そういった、いわゆる“異能”は“異能”を引っ掛けてしまう。そういったものと無縁で過ごそうとしても、周囲から引き寄せてしまうものだ。

 私のアパートだって、弱いながらも並大抵の霊は進入できないように結界を張ってある。副作用としてゴキブリが寄り付かないのは大変好都合だ。

 

 閑話休題、とにかくそういった処方を覚える必要がどうしても出てくる。裏の世界には、裏の世界なりの世渡りの方法があるのだ。私のアパートや、この屋敷が結界を張っているように。

 

 そういった意味で……既に魔術回路が開いてしまっている以上、どうしても異能と無縁では過ごせまい。士郎さんが望む、魔術師以外の生き方というのはかなり難しい。

 当然、こっちの世界に来ることは無いと思う。桜さんに魔術師は似合わない。私みたいに中途半端に進むのならともかく、典型的な魔術師――――すなわち、自分の研究のためなら一般人に犠牲を出しても平気で、命よりも研究のほうが大事、という連中の仲間入りをしてほしくないのが本音だ。

 

 まあ、ここで士郎さんと議論を交わしても詮無きこと。最終的には桜さんが決めなければいけないことだ。

 

 他にも気になることは山ほどあるが、いずれもここで話しても仕様がないことだ。今後、遠坂と間桐どちらの名を名乗るつもりなのか。聖杯戦争の期間中、このまま衛宮邸に住まわせるべきか。エトセトラ、エトセトラ。

 

 まあ、どれも桜さんが目覚めてからだ。

 長い間昏睡していたからか、あまり眠気がない。今夜は月を眺めて過ごそう。セイバーと一緒に、月見酒も悪くはない。

 

 踵を返して居間に上がる。士郎さんもお酒に誘ってみたが、無下にも断られた。

 まあいい、士郎さんも色々と考えたいのだろう。気楽でいられるのは私とセイバーだけ。かといって眠くもなく、思案に耽るほどのこともない。

 

 ならば眠くなるまで呑もう。きっと、今夜の酒はどんな安酒でも美味しいと思うのだ。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 その場所で、目当ての者を待つ。

 保障などないが、クラスを鑑みれば此処に足を運ぶ可能性は高い。この町で一番高い建物――――新都センタービルの屋上の、その淵に腰を下ろして、じっと町並みを眺める。戦火が見えればすぐさま駆けつける心積もりであるが、もとよりそこまで視力は良くない。この近辺で戦闘が勃発すれば話は別だが、そのときはおそらく自分が戦火の中心だろう。

 

 ライダーは顔をあげ、星を眺める。

 目当てはアーチャーだった。絶対ではなかったものの、ここで一度顔を合わせるべきだとライダーは考えた。

 黒兎も白兎もここには居ないが、問題は無かった。階段やエレベーターで馬を上階まで運ぶのは非常に骨が折れるため、ここまで乗ってきた愛馬は近辺においてある。加えれば、サーシャスフィールもここにはいない。

 

 独断だった。

 

 アーチャーが足を運びそうな場所は此処以外には思いつかず、かといってこん場所はマスターを連れ込むには狭すぎる。特に相手はアーチャーだ。戦闘中にも常にマスターを庇うように立ち回る必要が出てしまう。マスターが射線に出た瞬間に射抜く程度の腕前は、当然持っていると考えるべきだ。

 

「……来たか」

 

 ぽつりと呟く。だが腰は上げない。無防備にも、出入り口に背中を晒し続けている。

 もとより、戦闘が目的でここに居るのではない。だが正直なところ、戦闘になったとて勝つ自信がある。

 ライダーが持つ、相手のステータスを低下させる宝具。ライダーが敵であると認識している相手を弱体化させるそれは、当然ながらアーチャーにも有効である。現に、以前アーチャーの膝を砕いた。既に完治しているだろうが、少なくとも自分を脅威と思っていることは間違いない。勝機は、それでこそ在ると考えていた。

 

 さて、彼は壁を蹴って上がってくるのか、それとも内部を通って来るのか、と愚にもつかないことを考える。どうやら前者だったらしく、壁を蹴って一直線にこちらに跳んできた。

 

 町に顔を向けているライダーのすぐ脇をアーチャーは飛翔し、軽やかな音ともにその背後に降り立った。

 ライダーは背中に、突き刺さるような殺意を感じた。否、下手な挙動を示せば実際に貫かれることは間違いないだろう。

 

「あー……ご覧の通り、俺に戦う気は無い。弓を下げてくれ」

 

 諸手を挙げて、抵抗の意思が無いことを示す。確かに彼は武器である青龍刀を持っておらず、圧倒的にアーチャーが有利の状況であった。いくらライダーが経験で弓矢を回避する武芸を身に付けていたとしても、寸鉄すら帯びていなければ無抵抗に殺されるだけだ。

 

 だがアーチャーは油断も、殺意を収めることもしない。確かにここは、いかにも狙撃向きであり、ここで街を見張るのがもはや日課となっている。敵を見つけるためと、見つけられるためという目的があってだ。よってこの状況は望むものであり、必要とあらば宝具を開放することすら厭わない。だが、ライダーの真意を図りかねているのも事実で、それ故にその矢が放たれるのは先延ばしにされている。

 

 ぎりぎりと弓を引き絞る。飄々とした態度のライダーに向けて、殺意を送り続ける。これほどの殺意を叩きつけられて、平然としているライダーの胆の太さは特筆に価するだろう。

 

「…………信じられると思うか」

 

「まあ……一度貴様の膝を割っている以上、当然の反応だろう。……だが、俺の生きた時代は、昨日の敵が今日は仲間になっているような世界だったのでなあ。その辺りは、俺の面の皮が厚いということで流してくれ」

 

 座ったまま、器用に体を反転させてアーチャーと向き合う。ライダーの顔はさも愉快そうに笑っており、さしものアーチャーもそれには毒気を抜かれざるを得なかった。

 

 そもそも、戦う気がないというのに、何故ここに居るのかアーチャーには理解できなかった。何かの密約、あるいは共闘を申し出ようというのだろうか。

 少なくとも、共闘は考えがたいようにアーチャーには思えた。ライダーの宝具は、相手サーヴァントの能力を下げる力を持っている。それに加えて、ライダーの近接戦闘能力はセイバーにも匹敵するほどのものだ。セイバーの片手剣が研ぎ澄まされた一撃だとするなら、ライダーのそれは瀑布のごとき一撃。的確に相手を無力化するよりも、圧倒的な一撃で相手を屠ることに特化した剣だ。

 

 しかし、いくら強力な一撃とはいえ、こちらも名を馳せた英雄である。受けることが無理なら回避すればいいだけのこと……なのだが。

 あの能力低下の宝具と組み合わされると凶悪なものとなる。筋力、敏捷、その他全ての能力を低下させられては、あの一撃を容易には回避できない。しかも馬上からの一撃だ。純粋な近接戦闘において、ライダーはおそらく今回のサーヴァントの中でトップに立つ。

 

 そんなライダーが、共闘を持ちかけることは考えにくい。それよりもサーヴァントを各個撃破していくほうが確実だろう。

 アーチャーはそう結論付けた……のだが。

 

「手を組まんか。(ライダー)貴様(アーチャー)、騎兵と弓兵ならば相性も良かろうと思うのだが」

 

 ある程度予測はしていたとはいえ、やはり意外だった。ライダーならどのサーヴァントが相手でも互角に渡り合えるだろう。わざわざここで手を組む理由が見出せなかった。

 

 よって殺気を鈍らせることなく、矢にかかる力を弱めることもなく、その心臓から狙いを外さない。せめて理由を聞かなければ、信用できるはずがない。

 ライダーと手を組めれば、それは確かに魅力的だろう。普通の弓兵と違って近接戦闘もある程度こなせるとはいえ、やはり本業は弓だ。サー・トリスタンは剣も達人であるのだが、弓兵として呼ばれて、弓であるフェイルノートのみを持っている以上近接戦闘は避けるべきだ。

 そこにライダーが参入してくれるならば、これは確かに心強い。だが、背中を襲われないという確信は全く持てず、せめて納得できる理由を聞かなければ到底頷けない話であった。

 

「理由を聞かせて頂きたい。何ゆえ、しがない騎士である私の手を借りたいと?」

 

「そう自分を卑下することもあるまい。……そうさな、どこから話せば良いものか」

 

 ライダーは自分の髭を撫で、明後日の方向に視線をやって悩む。およそ、そこには殺意や敵意のものは見出せず、アーチャーはその様子にますます困惑した。

 

「うーん……。アーチャーよ、貴様も思っているだろうが……確かに俺には他者と手を組む必要が無い。相手が一人ならば、だが」

 

 ――――……一人ならば?

 

「うむ。実はな、セイバーとバーサーカーはどうも手を組んでいるようなのだ。これは良くない、実に良くない。そこに戦力が集中してしまっておる。

 これを単騎で撃破できるものなど……おそらく居まいて」

 

「それは…………確かに」

 

 最も優れたサーヴァントとされる、セイバー。最も凶暴なサーヴァント、バーサーカー。

 この二体が手を組んでいるとなると、正攻法でこれを攻略するのは不可能に近い。それほどの圧倒的な戦力だ。あのバーサーカーの得体の知れなさはアーチャーも知るところだ。もちろん、セイバーの優秀さも知っている。

 

 それら全てを踏まえ、正面からセイバーとバーサーカーを破ることは困難であると結論付けるしかない。せめて、各個撃破が可能な状況でなければ、最終的に斃されるのは間違いなく自分だ。

 

「恥じることは無い。俺もその例に漏れず、あの二体を同時に破るのは難しい。現にバーサーカーには圧されたしなあ」

 

 その辺りの最終的な結論は、どうやらライダーも同じであるようだ。

 ライダーを見下すわけではないが、あの時不意を突かれたとはいえバーサーカーに圧倒されていたのは事実だ。圧倒というと語弊があるかもしれないが、少なくともあの時に唯一互角に戦った存在であるのは間違いない。

 

「そういう訳で、手を組みたいと思うのだ。どうだ、アーチャー。馬が欲しいなら、貴様が今まで見たことないような駿馬を貸し与えよう。ま、私や私のマスターの愛馬は貸せんが」

 

 そういってライダーは手を差し出す。握手を求めているようだった。

 

 アーチャーは弓を構えたまま逡巡する。

 正直言って、有難い申し出なのは間違いない。アリシア(マスター)は……正直なところ、数日後にはこの世に居ないかも知れないのだ。容態が悪くなったという訳ではないが、それほどに危うい病気なのだ。

 膠原病を患うというのは、生涯に渡って薄氷を踏み続けているようなものだ。冗談でも何でもなく、眠ったらそのまま目が覚めないというのも有り得る話なのだ。紫外線を浴びればそのまま死に至る可能性があるということはつまり……“外に逃げられない”。仮に、火事が起きたとする。仮に、地震が起きたとする。そのとき、アリシアは外に逃げられない。外に逃げればそれこそ死が待っている。その事態になったとき、既に彼女の命は詰んでいるのだ。仮定に仮定を重ねなければいけないが……聖杯戦争の真っ只中に居る以上、それも現実味がある。

 故にアーチャーは焦っていた。一刻も早く全てのサーヴァントを打ち倒す必要があると。だからこそ、こんな分かりやすい狙撃ポイントに毎夜姿を現しているのだ。敵を見つけて屠るため。敵に見つけられて、戦うため。

 

 そしてその焦りが、アーチャーの気持ちを後押しした。

 弓を下げて、ゆっくりと矢に込めていた力を弱める。完全に弦の力が零になったところで、それらの実体化を解いてそれを消し、警戒こそ怠らないが、ライダーの手を取った。

 

「……セイバーと、バーサーカー。どちらかを斃すまでだ」

 

「うむ、心得た! よし、では先ず我がマスターに話を通さなければな、実はこれは俺の独断なのだ。詳しい話は明日からだ、明日同刻にここで落ち合おうではないか。異論ないな?」

 

「ない。では明日に」

 

 そういって二体はその場から姿を消した。

 

 その場を離れながら、アーチャーは思った。

 ――――精々、ライダーと協力しつつ情報を探ってやろうと。

 

 

 

 

 

 

「さて、ライダー。どこに行っていたのか説明して頂けますね?」

 

 アインツベルンの森に戻ってきたライダーに浴びせられた一言は、字面こそ穏やかだか言葉に込められた怒りは身を刺すほどのものだった。さしものライダーも少し腰が引けたのか、サーシャスフィールを刺激しないように気を遣っている。ここでサーシャスフィールを激高させれば、令呪で縛り付けられるかも知れない。

 

「うむ。セイバーとバーサーカーを斃す策を持ってきた」

 

 矛先を収めさせるためにも、努めて喜ばしい事柄から話す。エントランスにライダーの野太い声が響いた。どうやら、既に多くのホムンクルスは休養を取っているらしい。

 ライダーの言葉が意外だったのか、サーシャスフィールの顔色から怒りが引いていく。

 

「ふむ、確かにセイバーとバーサーカーの結託はいち早く解決するべき事柄でしたしね。貴方がそこまで考えて行動しているとは意外でした。

 ……して、その策とはどのようなものですか」

 

「向こうが結託するなら此方もそうすれば良いだけのこと。アーチャーと契りを交わしてきたぞ」

 

「…………なるほど。アーチャーは信用できるのですか?」

 

「あれは、生粋の騎士であるからな。こちらが裏切らん限りは大丈夫だ。……それよりも、えらくあっさりしておるな。俺はてっきり、敵サーヴァントと勝手に接触したことを諌められるとばかり」

 

「……諌めて、悔い改めるようならばそうしますが?」

 

 どうせ言ったところで柳に風なのだろう、と言外に匂わせる。

 実に酷い扱いだとライダーは思った。これでは自分がバーサーカーのようではないか。

 まあ、この憎まれ口を叩く関係は自分にとって好ましいので文句の出ようもないのではあるが。それに、これも自分を信用してくれているからこそだろう。

 何にしても、思っていたよりも話が円滑に進むのは望ましいことだ。ある意味で、サーシャスフィールもまた傑物であると言えよう。

 

「沙沙ならばもっと良い案が在ったかも知れんが。しがない将に過ぎん俺にはこの程度の案しか思い浮かばなんだ」

 

「いえ、おそらくこれが最良なのでしょう。素直に賞賛します。しかし……ただ協力するだけでは許しませんよ、ライダー?」

 

 ――――やはり傑物であった。

 

「無論よ。俺の生きた時代は、今日の友が明日には敵になっていた。精々、弱点なり欠点なり探らせて頂くとする」

 

 そこまでで話すべきことは全て話したのか、サーシャスフィールは踵を返して部屋へ向かう。明日からはアーチャーと動くことになる。今日はこれ以上動く必要が無い以上、そろそろ体を休めるべきだろう。

 

「沙沙」

 

 廊下の奥へ姿を消そうとしていたサーシャスフィールを呼び止める。相変わらずの呼び方であったが、最早サーシャスフィールは気にしていないようだった。

 まだ何か用か、と目線で訴えかけてくる。

 

「裏切りの多い時代に生きてきたが、私は沙沙を裏切る気は毛頭ないからな」

 

 ふ、とサーシャスフィールは笑う。何を今更、そんなことは知っている。

 

「ええ、そうですね」

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 士郎さんは結局呑もうとしなかったものの、呑む私には付き合ってくれた。

 また呑みすぎたら困るから、という話だったが、今回はそれほど呑むつもりはない。そもそも私はそこまで呑むほうではないのだ。前回は……楽しすぎて、つい呑んでしまっただけなのだ。

 

 時間は大分遅くなってしまっているが、どうせ学校に行くわけでもないのだ。夜更かししたところで大した問題はない。それに、遠坂さんがやって来ないかなと期待もしているのだ。やはり桜さんのことは気になる。まあ、明日の朝聞けばいいだけのことだから、そこまで無理に待つ必要も無いのだが。

 

「――――ありがとうな」

 

「……何が?」

 

 おもむろに士郎さんがそんなことを言ってきた。用意してくれた軽いものを食べる手を休め、士郎さんに向き直る。セイバーも雰囲気を察してか、箸を止めた。

 

「うん、澪が居なかったら、もしかしたら桜のこと気付けなかったかも知れないし。だから、礼言わなくちゃなって」

 

「……私はそれを見つけただけ。結局どうにかしたのは士郎さんよ」

 

「ああ。それでも、言っておきたかったんだ」

 

「……そう。素直に受け取っておくわね」

 

 全く、不動明王というには優しすぎるのではないかな。これは何というのだろう。機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)というものだろうか。どんな困難な状況でも、神様とかそういう類が全部解決してくれるというアレ。どっちかと言うと、それのほうが近いようにも思えた。……ああそういえば、それに近い生活を最近まで送っていたそうな。いかなる紛争にも顔を出し、それを収束させようと奮闘していたそうだし、やはりデウス・エクス・マキナだ。

 

 ああ、私も酔いが回ってきたのだろうか。顔が熱いような気がする。士郎さんの言葉に照れているとは思いたくない、そんなの私らしくないと思うのだ。

 

「ねえ、ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけれど」

 

 ああ、やはり酔っているに違いない。隠したほうがいい、とか思っていた筈なのに、こんなことを聞こうとしている。下手したら、全て話さなくちゃいけなくなるのに。

 だけど、何故だろう。士郎さんとはちゃんと話したほうが良いと思うのだ。何故だかは分からない。でも、そう思ってしまうのだ。

 

「士郎さん……例えば、眠っているときとかに何か見たことはある? 他愛無い夢とかじゃなくて、自分に関わるような何か」

 

「うーん……最近はあまり無いけど……剣、かな」

 

「剣……。それはやっぱり、心象世界としての?」

 

「まあ、そんなところだ。俺は剣を作ることだけに特化していて、それを夢にも見ていたんだろうな。……でも、どうしてこんなことを?」

 

 ほら、こうなるだろう。藪を突いて蛇が出てしまった。

 でも全て包み隠さずという訳にもいくまい。ある程度は伏せる必要があるだろう。何せ、私のこれは十分に危険で不可思議なんだから。

 

「……ある夢を見たの。そこは私の知っている何処でもなくて、知らない人が居た。その場所で、ある人の事を知ったの。その人は桜さんを知っている人で、桜さんが酷い目に合っていることを知っていた。だから私は、今回桜さんのことを知ることができたの」

 

「……うーん。……よく分からないな」

 

 そりゃそうだろう。この説明で分かる人なんて居ないと思う。

 

「ま、もしかしたら士郎さんなら何か分かるかも程度の話よ。気にしないで」

 

「でもさ、その言い分だと澪が固有結界を持っているように思えるんだけど」

 

 ―――――ガチリと、何かが噛み合わさる音がした。そうだ、固有結界。

 

 勿論、あれは私の固有結界などではない。私の固有の世界に、私の知らない情報ばかりがある訳が無い。

 だから、あれは別の人物の固有結界ではないだろうか。そう、例えば――――澪子とかいう人物の。

 それに触れることが出来るというのは、きっと私がそれに招かれたから。士郎さんの固有結界だって、展開時に周囲を巻き込むことができる。展開後に第三者を招き入れることができる固有結界があっても不思議ではないだろう。何せ、人それぞれで一定しないからこそ固有結界だ。

 

 例えば、そう。万物を記したアカシックレコードを観測し、それを写す固有結界。アカシックレコードだと彼女は言っていた。それは当然ながら嘘だと思うのだが、これなら十分に有り得る話では無いだろうか。

 それに触れることによって、否、それを読むことによって過去の情報を得ることが出来る。それならば、私が本来知りえない筈のことを知ることができる。無意識下で、その場所に辿り着いてしまい、そこで桜さんを知るだれかの記述を目の当たりにしたということだ。

ああ、何故か胸に落ち着く推測。“間違いない”という確信が、ある。

 

 さしずめ、アカシャの写本世界というところだろうか。『過去しかない』という彼女の言葉を信じるなら、既に終了した記述について写すということだろうか。

 いくら固有結果とはいえ万能ではなかろう。アカシックレコードをそのまま写してしまうことなど有り得まい。実時間に沿って、徐々に記述を増やしていっているのではなかろうか。

 一気に記述を写さず、つまりアカシックレコードの『過去』の分野だけを逐一写していく。『現在』『未来』を無視しているぶん、随分と労力は小さいはずだ。

 これなら、有り得るのではないだろうか。

 

 ――――有り得る、のかな。それこそ神秘が薄れた現代では有り得ないような所業だと思う。

 

 いや、有り得るか有り得ないかでいえば、多分有り得るのだ。無限に剣を作りだすなんて、本当に破格の固有結界も存在する。私なんかの常識を指先で覆してしまうのが固有結界なのだ。対象がアカシックレコードとはいえ、何かを書き写すだけの固有結界ならば信憑性もそれなりに出てくる。

 

 落ち着け、焦るな私。冷静に、推測を整理しよう。

 例えるならば、膨大な量の本がある。それは過去、現在、未来まで書かれた膨大な量の図書だ。

 それを一度に模写するのは大変に骨が折れる。だから、過去だけを模写し続ける。どうせ時間が経てば『未来』は『現在』に降りてきて、『現在』を過ぎれば『過去』になる。最終的に行き着くのが過去であるなら、そこだけを見張っていればいずれは原本を模写できるという理論だ。だから日々増え続ける過去のみを記述しておく。

 そして、私は誰かが模写した過去を読む。そうして私は先達の偉大な情報を知ることができるのだ。

 おそらく、私の置かれている状況はこういったものだろう。

 

 だが――――やはり問題は、何故私がそこに入れるか、という問題だろう。

 そして、固有結界の主を澪子であると仮定して、何故それを展開し続けているのか、という問題。

 

 前者は――――今までの澪子の口ぶりからすると、八海山の血筋に対してはワイルドカードが切られているということだろうか。それに触れられるかどうかは個人の技量だとして、八海山ならば誰でもアクセス権限を持っている?

 ……うん、多分これは正しい。あそこが何か分かれば、正当な八海山であるという澪子の言葉を咀嚼すれば、こういう意味になると思うのだ。

 

 後者は――――分からない。例えば、もはや結界を消せないなどの状況もあるのだろうか。

 

「澪? どうした、急に難しい顔をして」

 

「え? あ、あはは。何でもないわ。……そろそろ寝るわね、ちょっとお酒が回ったみたい。水を一杯だけ貰える?」

 

 これ以上考えても分かりそうもない。だが、ちょっと人の居るところで考えることではないように思えた。世の中にアカシックレコードを目指す魔術師は掃いて棄てるほど居る。士郎さんはそうではないけれど、どこから情報が漏れるか知れたものではない。

 

「一杯といわず、水差しごと持っていけ」

 

 前科があるからだろうか、無理やり水差しを持たされた。まあ、これも士郎さんの優しさということで。

 

 さてさて、今夜は久しぶりに安眠を享受できそうだ。酒で気絶するように寝てしまったり、蟲に吹き飛ばされて昏睡したり、最近はそういうのばっかりだったと思うのだ。

 酒に頼らないと眠れないわけではないが、若干のアルコールのおかげで深く眠れそうだ。

 

 自室に行き、網戸を残して窓を開けておく。いくら暑くてもクーラーを付けっぱなしで寝たりはしない心情だ。扇風機もまたしかり。

 無用心かも知れないが、セイバーが居るのだ。泥棒など入りようがない。

 

 水を一杯だけのみ、タオルケットで体を覆う。

 

「おやすみ、セイバー」

 

「お休み、ミオ。いい夢を」

 

 それに笑顔で答えると、セイバーの気配が部屋から消えた。

 ああ、今日こそは好い夢が見られるといいなあ。

 


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