状況は混迷の最中にあった。
ライダー、アーチャーの両名が戦闘不能。事実上はこのタッグマッチの勝者はセイバー陣営となるが、そのセイバーもまた負傷し意識を失った。現在、この場で活動が可能なサーヴァントはバーサーカーのみである。
だがそのバーサーカーは、あろうことかセイバーのマスターである八海山澪に刃を向けた。アーチャーには、バーサーカーは澪の内面に内包されている擬似的なアーサー・ペンドラゴンに向けて反旗を翻したのであろうことは分かっていたが、他者からすればバーサーカーあるいはそのマスターが同盟関係を覆したとしか思えない行動であった。何にせよ、バーサーカーがセイバーのマスターに攻撃を加えているのが公然の事実である。
バーサーカーの咆哮。それに乗せた剣戟。振り下ろす剣には明らかに憎悪も上乗せされている。その重さは、常人の肉体の域を出ることの出来ない澪の肉体には到底受けきることの出来ないものだ。既に全身の到るところが軋みを上げている。肉体の限界はとうに超えていた。
軋む体を突き動かして剣を避ける。空を切った剣はそのまま振り下ろされ、アスファルトで固められた地面を抉る。小さな礫が
全身の筋肉が悲鳴を上げる。アーサー・ペンドラゴンとしての身体機能を発揮しようとするたびに、筋肉の繊維が切れていくような感覚。
距離を取った
士郎は、僅かにタイミングをずらした二閃を放つ。片方を受け止めたとしても、もう片方で相手に一撃を与える腹積もりだ。
「■■■ァッ!」
だがその双剣はバーサーカーの一撃によって砕け散る。横薙ぎに、膂力に任せて振るわれたバーサーカーの見えざる剣はたったの一撃で士郎の結んだ幻想を叩き壊した。その衝撃は殺しきれるものではなく、無様にもトラックに激突されたかのように地面を転がる。
その体を、丁度バーサーカーと士郎の延長線上にいた
再び
しかし蟷螂の斧と分かっていても、それを振り下ろさなければ何の意味もない。
交差する黄金の軌跡と黒い霧の軌跡。刃と刃が触れて散ったであろう火花はしかし、バーサーカーの霧の中にあっては伺うこと叶わない。
「■■■ァァ■■■ァァッ!」
遮二無二振り回すだけのような剣戟。しかしその手に持つ剣の鋭さと重さ、それにバーサーカーの膂力も相まって颶風すらも伴うものに昇華されている。さらには狂化されている中であってもかつての剣技を垣間見ることが出来る。それだけでも相当な剣の担い手であったことが伺えた。
だが隙が多い。バーサーカーが剣を大きく上段に振り上げる。胸を反らして限界まで弓のように体を引き絞るが、胴ががら空きだ。
そしてその大きすぎる隙を見逃す
だがその踏み込んだ足からまるで何かが引き千切れるような音がして、そうと思った次の瞬間にはゆっくりと体が傾いでいた。
「――え?」
戸惑いの声は
左右の腿から遅れてやってきた激痛。うまく足に力が入らず、倒れる体を立て直せない。
筋断裂。そう判断したのはアスファルトの冷たい地面に体を完全に投げ出した後だった。
魔術で体を強化しようと、英霊の内面を完全に模倣しようと、澪の体は脆弱な女史のそれだ。英霊と同じように動けると誤った判断を下し、それを実行に移せばどうなるか。当然のこと、英霊の身体能力に一般人の肉体が付いていける筈が無い。当然、ある程度加減を加えながら戦闘を行う必要があるが、ライダーとバーサーカー相手にそれが出来る筈もなかった。
澪の両方の腿の筋肉はもはや使い物にならない状態だ。筋繊維は過度な疲労で断裂を起こすことがある。一部が損傷したものを肉離れと呼ぶが、完全に乖離したものを筋断裂と呼ぶ。澪のそれは後者。どちらが重症かは言うまでもない。
「■■ァァッ!」
筋繊維が完全に引き千切れ、歩くどころか立つことも出来ない
バーサーカーの剣を圧し留めること叶わない。じわじわと刃が喉元に近付く。
「澪ッ!」
士郎が叫ぶ。咄嗟にカラドボルグを投影しようとして、思いとどまった。宝具の真名開放は確実に
よって士郎は手に干渉莫耶を投影しなおし、バーサーカーに突進せんとする。
しかし投影が完了した頃合に、絶叫にも似た声は一つ上がった。
「……バーサーカーッ! 止めなさいッ!」
士郎は凛を見る。渾身の力を以って突き出した手に宿る令呪が妖しく光る。凛は三度しか使用できない強制行動権を行使した。その命令は、『この戦闘を中止しろ』というものだ。転移などではなく、戦闘停止を命じた理由はまだアーチャーとライダーがこの場に居ることである。ここでバーサーカーをどこかに連れ出してしまうと、何らかの要因で二者が戦闘を再開した場合に対処できない。セイバーは未だ意識が戻らないのだ。魔力の消費は凄まじいが、居ないよりは随分良かろう。少なくとも、傷だらけの二者に対して意気軒昂のバーサーカーは牽制にはなる。
朦朧とした意識の中で、凛はそういう賢さを選択してしまった。――そう、選択してしまったのだ。
「■■■■ァァァァァッ、■■ァァッ!」
凛にとって意外だったのは、それでもなお令呪に抗おうとしたことである。
バーサーカーには理性が無い。多少の抵抗はあろうが、それは獣が檻に入れられて気が立つようなものだと思っていた。令呪という強固な檻の前には逆らえず、すぐに沈静化するだろうと踏んでいた。
つまり凛は、バーサーカーの憎悪を見誤っていたのだ。
ばちばちと火花を散る。おそらく力ずくで令呪に抵抗し、
そしてその並外れた怨念を実現するために、凛からより多くの魔力を簒奪せんとした。
令呪に抗うとなると、当然消費する魔力量は増大する。凛は、既に限界を超過した魔力を奪われて、成す術もなく意識を刈り取られた。まるで操り人形の糸が全て同時に切れたかのように凛は力を無くし、地面に顔を埋める。その際に強かに額をアスファルトに打ちつけてしまい血を流したが、もはやその程度の痛みでは目が覚めぬほど凛の昏睡は深い。もはや一分もかからずして、バーサーカーは凛の命を奪うだろう。
それを悟ったとき、士郎と
「リンッ! ――やむを得ません、シロウ、『
即ち、バーサーカーを捨てる覚悟である。アーチャーとライダーのことも意識にあったが、それよりも凛の命を今は優先する。
動けない
それはあらゆる魔術による効果を初期化する剣。その力は、サーヴァントの契約にも及ぶ。
魔力供給を絶たれたバーサーカーは、成す術もなく消え去るだろう。消費が激しいサーヴァントであるため、他のもののように暫く現界できるということは無い。
士郎が向かった先はバーサーカーだ。単純にこちらの方が近いという理由である。
一息で肉薄する。こちらに気付いていないのか、|澪にしか目が行っていないのか、それとも令呪の効果で動けないのか。未だ
濃い霧の中に腕を突き入れて感じたのは、硬質なものに刃が立つ感触。その瞬間、ルールブレイカーはその猛威を存分に振るった。
がくりと力が抜け落ちるバーサーカー。それを悟った士郎がバーサーカーに渾身の蹴りを放ち、澪から引き剥がす。バーサーカーは倒れることこそ無かったが、その動きは酷く緩慢で、もはや戦闘の続行は不可能であることは明白だ。
「■ァ……■ァ……」
しかしそれでもなお、搾りかすのような怨嗟を吐き出す。
じっとバーサーカーを見守る。彼を覆う霧は次第に薄れているようだった。
「……貴方は一体何者だ」
アルトリアは以前にも似た経験をしている。あれは泉の騎士サー・ランスロットであった。彼のようにただひたすらに自分を標的にする行動と、また自身を隠匿する宝具という点で共通していた。
しかし前者はともかくとして、後者の宝具については全くの別物だと判断できた。ランスロットのそれは、姿が霞む程度で済んでいた。少なくとも、『全身を鎧で包んだ黒騎士』と分かる程度には姿を確認できたのだ。しかし目前のバーサーカーには、それすらも相手に悟らせない。霧の奥は果たして本当に人間なのか、それすらも分からないのだ。
霧が薄れる。まずは足元からその霧の奥が伺えた。
鋼鉄の甲冑の一部分が見える。足があるところを見るとやはり人間らしい。赤い装束が鎧の合間から見えた。
次第に霧は晴れ、次は腰の辺りまで見えた。腰から下がる
ここで
バーサーカーはこのまま消える筈である。しかし、目の前のバーサーカーは霧を消すだけでその奥にある本体は未だに健在なのだ。消えているのは霧だけであり、本体は仔細にその姿を確認できるほどに危なげなく実体を結んでいる。
おかしい。
そう思っている間にも霧は消え去り、ついにその手に持つ剣が露わになった。
――――その瞬間の士郎と
その剣は美しかった。銀色に輝く刀身、金を湛える鍔、そして紺碧の柄。それはまるで、『
士郎はその剣の名と、その担い手の名を一目で看破した。解析の術のなせる業だ。
|澪もまた一目で看破した。その剣を知っているが故に。否、“所有していた”が故に。
「何故だ!」
――バーサーカーの持つ剣は、かつてアーサー王の所有していた剣である。エクスカリバー、カリバーンの名に隠れてあまり聞くこともない名だが、その剣の凄まじさは当のアーサー王がよく知っている。
何せ、所有するだけで所有者に国を与える剣である。
カリバーンは次の王の選定を行う剣だ。アーサー王はその剣で王の資格を認められたが、王位を確固たるものにする力はない。選ぶだけで後押しはしないのだ。
正しい王が周囲からの理解を得られずに歴史の中に埋没する事例は星の数ほどある。アーサー王がそうならなかったのは、その剣の恩恵によるところも少なからずあっただろう。
それは載冠剣。その所有者に、自らが立つ国を味方につけることで力を与える剣。
その名も『
「何故、そうまでして王位を求める! 兜の騎士――――我が息子、モードレッドよ!」
霧が完全に晴れる。そこに現れたのは、山羊のような、あるいは悪魔のような意匠を湛えた兜の騎士。赤い装束の上に鎧を纏うその姿は、背丈は士郎の知るアルトリアと変わらないものだ。
アーチャーの攻撃で傷ついていたのだろうか。その兜の目に当たる部分からは血涙を流していた。その様がより一層迫力を増す。
しかしもはや兜が限界だったのだろう。おもむろに兜が砕ける。
かつてのアルトリアを知るものなら、度肝を抜かれたであろう。その兜の内から現れたのは、かつてのアルトリアと寸分違わぬ顔立ち。しかし目は怨嗟に塗れ、憎悪しか宿していない。血管が浮き出たその顔は、もはや見目麗しいアーサー王とはかけ離れつつある。
ゆっくりとモードレッドが剣を掲げる。すると剣は新たな王の誕生を祝うかのように輝きを発する。
「な、しまっ――――!」
凛と士郎、それに|澪の失策は二つ。凛はすぐさまバーサーカーを自害させなかったこと。もう一つは、凛とバーサーカーの契約を初期化したこと。
マスターが居なくなったことで、本来ならバーサーカーは消え去る運命だっただろう。しかし彼が持つのは、“国を味方につける”という力を持つ剣。理性を失っていたために上手く扱えていなかったが、マスターが居なくなり、魔力の供給源を確保する必要が出てきたことでその真価を発揮する機会が訪れた。
「まずい、マスター権を書き換えられるッ!」
「何だって……!?」
例えば、第五次聖杯戦争に呼ばれた佐々木小次郎。彼のマスターは、キャスターによって山門に変更させられていた。それによって彼は山門より動くことが叶わなかったのだが、今回のそれも同様の事態が起こっていた。
バーサーカーの場合は、ここ冬木の地。所有者に土地を味方として与える剣は、その権威を存分に発揮した。バーサーカーのマスターには、ここ冬木の地が据えられる。つまり優れた礼脈が存在し、バーサーカー一人がいくら消費しようと尽きないほどの魔力を味方に付けたのだ。
「■■■■■ァァッ!」
咆哮の瞬間、バーサーカーに流れる魔力の密度が濃くなる。もはや無尽蔵ともいえる魔力供給が確保されたとあって、誰がバーサーカーを止めることが出来ようか。
バーサーカーは霊体化することもなく、橋から飛び降りた。凛の令呪はまだ利いている。しかし凛の令呪はこの戦闘に限ったことだった。これはより限定することで確実な効果を発揮するための制約だったのだが、一度仕切りなおせば令呪の効果は消える。戦えないという事実は狂化していても分かるらしい。傷も深かったことも逃走の一因だろう。
そう、つまり。この世でもっとも凶暴にして最強の獣。バーサーカーという野獣が檻を破って野に放たれたということだ。