Fate/Next   作:真澄 十

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Act.27 来々

 日が落ちる前、空が暁に燃える頃合を逢魔ヶ時という。日の当たる時間は人の領域。日の当たらぬ時間は魔の時間。その境界の時間は、人と魔が出会ってしまう時間。ゆえに逢魔ヶ時。

 それはつまり、魔が蠢き出すための合図でもある。ここ冬木の地に、それを待ち望むものは二つあった。

 一つはバーサーカー。真名をモルドレッド。理性を無くし、自らを縛るマスターからも開放され、今か今かとその凶刃を振るう機会をただ闘争本能の赴くままに渇望する狂戦士。澪たちの考えの通り、彼の行動概念には一般市民を害するというものが無い。理性を無くそうと、その行動の根幹には生前の理念が反映されているのだ。加えて、『王位を約束した剣(クラレント)』の持ち主を王にするという効果は、民あっての王であるという剣の理念から生まれるものだ。裏を返せばその剣を手にする限り王となる宿命から逃れること難しく、それはつまり王たり得ない行動は制限されてしまうということなのだ。普通の人間の意志ならばそれに反することも可能だが、確たる自我のないバーサーカーにはそれに抗うことは出来なかった。

 そしてもう一つはライダー。真名は未だ誰にも知られていない。もし彼と同郷のサーヴァントがこの場に居たならば、おそらく彼の名は判明するに至ったであろう。それほど彼は広く名の知れた人物であるのだが、今回はそうならなかった。中華では知らぬもの無し、天下に響き渡る国士無双の武人であるが、それは弱点も広く世に知れているということにもなる。未だ名が割れていないのは彼にとって最も僥倖であろう。

 

 ライダーの姿は、アインツベルンの城にあった。

 昨晩の戦闘による傷は大方癒えている。サーシャスフィールの治癒魔術はその効果を遺憾無く発揮し、戦闘には支障の無い程度にまで癒えていた。白兎も黒兎もやや興奮気味ではあるが、戦闘に問題は無い。

だが他の馬は昨夜の戦闘で怯えてしまったのか、血を見て未だ興奮が収まらないのか、戦闘に駆り出せる状態ではなかった。いくら宝具に存在を押し上げられても元が普通の馬である。なるべく良い馬を揃えようとアインツベルンの財力に物を言わせたが、この時代に軍馬など滅多に存在しない。警察等の騎馬隊も戦闘用に調教されている訳ではない。当然だ。近代兵器の前に馬など役に立たないのだから、軍馬など調教するだけ時間の無駄である。必然的にライダー所望の馬の数と質など揃うわけもなく、せいぜい競走馬を引っ張ってくるのが関の山だ。無いものを取り寄せることなどできるわけが無い。ホムンクルスを作るにも、ライダーの「心の通じぬ馬に俺の命を預けることなど出来ない」という一言で一蹴された。

 ライダー曰く、人を人せしめるのはその心である。

 確たる意思を持つのであれば、例え人造の人であろうとも主として認める。逆に全うな人間であっても、己の意志を持たず、状況と周囲に流されるだけのものは人ではない。

 おそらく自分の言葉を失言と思ったのだろう。このとき慌てて入れたフォローにサーシャスフィールは笑った。

 だがサーシャスフィールは、あのとき笑ったことを後悔した。

 

 沈む夕日を城のラウンジからじっと睨むライダー。青龍堰月刀を抱くようにし、微動だにせずその夕日が沈むのを待っている。その全身から発する気に触れるだけで切り刻まれそうな、冷たく鋭利な気配を纏っていた。普段の様子からは想像もつかないほどの、圧倒的な武の気。彼の領域に一歩立ち入ったならば、首を刎ねられるであろうというほどの気迫。しかし恐ろしいのは、それほど圧倒的な気を放っておきながら、吼えるでもなく猛るでもなく、ましてや四肢に力が入っているわけでもなく。傍目には平常そのものであるということである。今ならサーシャスフィールは納得できる。自分が呼んだのは確かに伝承通りの武人であったと。

 ライダーの言うように人を人せしめるのが意思であるなら、彼の根幹を成すのは武なのだろう。果たして、今の武人然とした態度が仮初なのか、それとも普段の飄々とした態度が仮初なのか、もはや判別出来なかった。どちらも武を感じさせるものでありながら、その本質がまるで違っていた。前者は言うまでもなく、後者にも確かな武の息遣いは聞こえていた。それは多分、かつてライダーが言ったように集団による武を目指すものだ。集団を率いて、自分だけでなく他者をも考える武。常に味方の生き残りを考えていた彼の戦闘方針からもそれは伺えた。

 しかし今彼から感じるのは、ただ一人の部の息遣いだ。己のみ、ただ剣の一振りで目指す極み。他者を率いることなどまるで念頭にないような気配。いや、純粋に指揮することは可能だろうが、そこには自分の配下の兵を数でしか見ない冷酷さがある。

 個の武は冷たく、群の武は暖かい。個の武は鋭利で、群の武は柔軟。

 その矛盾した二つを彼は内包していた。己の武のみを求める心と、他者と共に在る武を求める心。両方とも間違いなく武であり、しかしおそらく行き着く先は異なる。

 だからきっと、彼は葛藤したはずだ。葛藤して、し尽くして、おそらく後者を選んだ。しかしなおも彼の中にある個の武を求める心は衰えず、こうして今それが表に表れている。

 ゆえにサーシャスフィールは後悔した。あのとき、慌てて入れたフォローを笑わず真摯に受け止めることが出来ていれば、今のライダーのかける言葉があったのでは無いかと。

 

「もうじき日が沈む」

 

 それは誰に向けた言葉なのだろうか。そもそも、その声色は普段のライダーとは思えぬほどに淡々としていた。しかしこの場にはライダーとサーシャスフィール以外誰も存在しない。何か返さねばと思い、ややあって彼女は苦労しいしい返答した。

 

「……そうですね」

「沙沙、今の俺が恐ろしいか」

「いいえ。ですが……どこか危うさを覚えます」

 

 おそらく万人が万人、今の彼を見ればその気配に圧されて足が竦むことだろう。だが、不思議と彼女はそう感じなかった。ライダーの問いの答えは本心である。

 代わりに感じるのは危うさ。何か大きな力が加われば、たちどころに崩れそうなギリギリのバランス。その冷たさと気の大きさ、そしてこの危うさは雪山のようだった。

 

「……案ずることは無い。久しぶりに完敗し、少々気が立っているだけだ。いや……昔を思い出しているというべきか」

「昔、ですか」

「然り。己の武にしか目が届かなかったときの話だ。誰かに言われた。己のみに拠る力はなんと危ういことか、と。確かに俺はそういう者を多く見てきた。呂布という男を知っているか? あれはな、おそらく天下無双の男であった。だが己にしか考えの回らない者でもあった。臣下の信を得られず、その死の所以もそれによる所が大きい。ゆえに、個の武は鋭利でありながら危うい」

「なるほど。独裁者というものは、いくら実力があってもいずれ足元を掬われる。そういうものかも知れません」

「然り。かつての主はそれを弁えておったよ。だから俺は、その群の武という一つの形を己のものにしようとした。……だが、三つ子の魂百までという言葉があるように、そうそう上手くいかん。大きな敗北を喫すると、こうやって素の自分が戻ってしまう」

 

 ならばこれが本当のライダーなのだろうか。確かに、この雰囲気では人が付いてくることなど無いだろう。群の武を目指すのであれば、この剣呑な気配を消さなければ誰も彼についていこうと思わないだろう。そういう意味では、彼はひとまず成功しているだろう。姉妹兵達は口を開かないが、彼を信頼していることは疑いようもない。

 

「もうじき日が沈む」

 

 ぽつりと、静かに同じ言葉を溢す。見れば既に太陽はその身の殆どを広大な森に沈め、その対極の空はすでに黒が差している。もうじき夜になり、そこからは魔の時間となる。逢魔ヶ時を過ぎれば、そこは悪鬼悪霊と魑魅魍魎が入り交じり、魔術師が神秘を振るって敵を殲滅せんと暗躍する領域となる。即ち、聖杯戦争が始まる。

 ライダーが一度だけ目を伏せる。ややあってそれが見開かれると、すでに彼の雰囲気は普段のそれに戻っていた。触れれば切れる抜き身の剣ではなく、手を取り合うことも敵を粉砕することも出来る拳へ。剣は力によって折れるが、拳はそれを受け止めることも出来る。

 

「人は意志によって人になる。ならば俺は、人ではなくただ一振りの剣なのだ」

 

 それはサーシャスフィールに言った言葉だ。彼女はその真意を測りかね、思案顔を浮かべる。それを見てライダーは微笑み、言葉をつづけた。

 

「俺をどう使うかは沙沙次第だ。俺はそれに従う。ゆえに俺は人ではなく、剣なのだ。今宵はどうする、沙沙。敵を求めて出るか、それとも籠城か」

「決まりきったことを。貴方は籠城など似合わない。出ますよ、ライダー。仕度なさい」

 

 ライダーは一度方針が決まればそれを詰める。おおまかな方針は常にサーシャスフィールに指示を仰いでいた。敵を求めて出るとなれば、敵を絶対に討つ心構えと戦力を以てそれを実行するべく細かな方針を定めるのが彼だった。ゆえに彼は、自分を一振りの剣と称する。剣はただ振るわれるのみ。何かを決定することなどはない。だから彼はただの剣なのだ。

 ならばサーシャスフィールはそれを持つ手なのだ。これこそが群の武の本質。剣と、それを支える手。ライダーはそれを理解するからこそ、抜き身の剣たる自分を鞘で覆うことを選んだのだ。自らの主を傷つけることが無いように。

 自分の心をも把握し、自らにとって最良の武の道を選択する――これが、中華で知らぬもの無しと言っても過言ではないほどの武勇を誇る彼の強みなのだ。

 

 短いやり取りののち、取り敢えずの行き先を決定した。マスメディア――というより家電一般――に疎いサーシャスフィールであったが、新聞は目を通す。森の中に配達など来るわけがないのでわざわざ姉妹兵に買いに行かせているのだが、今日の地方紙に気になる記事があったことを思い出したのだ。

 冬木病院で謎のガス爆発事故。別段、怪しい記事ではない。変死体が見つかっているわけでもない。相当な爆発だったようで、爆心付近の部屋の死体に五体満足のものが殆ど無いらしいが、それは状況を鑑みれば自然なことだろう。変死体とは言えない。――それを狙って犯行を起こした魔術師が居ない限りは。

 しかしそれは魔術師の手口とは言えない。魔術師ならば、もっと人目につかない方法を取るはずだ。魔術師が絡めば明らかな変死体があがっても不思議ではない。サーシャスフィールは魔術師による犯行ではないと思ったが、おそらく他のサーヴァントがそれを確認にくる筈だ。それを狙って待機する。

 相手を確認し、そのまま戦闘に持ち込んでも良い。不利を悟ったならば傍観しても良い。とにかく、生き残りのサーヴァントのいずれかが現れるのを待てばいいのだ。

 

 ライダーは、おそらくアーチャーは生きてはいないだろうと考えている。あの傷は自分よりもよほど深かった。間一髪で致命傷を避けた自分とは違い、バーサーカーの凶刃は即死に至らずとも命を脅かすに足るものだ。

 だからおそらく、生き残っているのは5組かそれ以下。自分たち、セイバー、ランサー、アサシン、バーサーカーだ。ランサーとアサシンは未だ邂逅していないため未確認だが、少なくともあと2組は生き残っていることだろう。

 聖杯戦争も既に一週間に差し掛かった。過去の例を見れば、今晩中に全ての陣営が倒れることも有り得る。相手の情報をある程度得て、穴倉を決め込んでいたものも動き出すことだろう。どこで均衡が崩れ、一気に決着まで行くことも十分にあり得るのだった。

 しかしそれでもライダーの心構えは変わらなかった。もとより、目についた敵を悉く切り伏せる覚悟である。籠城を決め込んでいたものが出てくるのであれば実に好都合。

 ライダーはすでに山々の輪郭を赤く映すのみになった夕日に向かって咆哮した。

 

「この戦も、そろそろ決着が付こう! まだ見ぬ敵よ、既に相見えた敵よ、この地に消える血の跡を残そうぞ! この(ライダー)が行くぞ、精々恐怖に震えるが良いッ!」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 実はこのとき、4つの勢力が冬木病院を目指した。その4つとは、セイバーたちを除くライダー、ランサー、アサシン、バーサーカーである。セイバーたちは昨夜の負傷のため今夜の徘徊は見送った。これはセイバーの具申によるところだったが、それが結果的に良かったかもしれない。

 アサシン――衛宮切嗣との邂逅を、たとえ一夜限りでも引き延ばすことが出来たのだから。アサシンは記憶を失い、かつての暗殺者として動いている。そんな彼といま士郎が出合えば、その意見を違えることは必須だろう。そして衛宮切嗣は「敵」として衛宮士郎を排除しようとするに間違いないのだ。ここまで邂逅が引き延ばされたことは、双方にとって僥倖な事態だ。

 さて、ライダーは言わずもがな。アサシンとバーサーカーまで冬木病院に集ったのは訳がある。アサシンは、おそらく昨日起こした騒ぎによっていくつかの陣営が集まるであろうと考えていたからだ。その際、隙があればマスターの一人や二人暗殺すること吝かではない。いや、むしろ嬉々として行うつもりだ。狙うのは徹底してマスター。彼の戦闘能力ではサーヴァントを下すのは難しい。そういう意味ではバーサーカーは最大の脅威となるのだが、彼はそれを知らなかった。

 

 バーサーカーの場合は、いくつかの偶然と必然が緻密に折り重なっている。そもそも、ここ冬木市をマスターとして仰いでいる。マスターに異常があればそれを察知し、それを排除せんとするのは当然のことだ。冬木病院でのガス爆発は十分にマスターの異常と言うに足る。いくら狂化していようとその程度の知性――いや、生存本能と言うべきか――は残っていた。ここまでが必然である。

 偶然というのは、つまりバーサーカーの知性が胡乱なのが起因して病院までの到着が遅れたことである。正確には昨晩のうちから到着したが、多くの一般人が押しかけていたため姿を現すことが出来なかったのだ。前述のようにバーサーカーには一般人に害を加えるという選択肢は絶対に選択できない。自分にその意思がなくとも、姿を現すだけでパニックを引き起こすだろう。クラレントの意思によりそれは却下された。よって、姿を消したままここで待機していたのだが、それが結果的にこの場に戦場を作り出すことになるのである。つまり、ここ冬木病院は連夜にわたり戦場と化したのである。

 

 ランサーとスカリエッティは冬木病院へと歩を進めていた。ランサーはどうにかスカリエッティを説得することに成功していた。宿を出るときは未だ酒が抜けていないのか足取りが覚束なかったが、冬木病院が近くなってくるにつれて汗と共にアルコールが抜けたと見えて、今は至って健常な足並みであった。ただ体力はそれほど無いのか、次第に足が重そうになってきている。だが彼にそれを要求するのは酷だろう。何せ湾岸部からここまでの道のりは非常に長い。魔術師というのは研究者であって、実行者などの戦闘部隊でもない限り体を鍛錬することなど無いのだ。スカリエッティのスタミナ不足を詰ることなどランサーに出来るはずもなく、むしろここまで文句を言わずに歩いてきたことを褒め称えるべきなのだ。

 

「ここまで遠いとは思わなかったぞ、ランサー。こういうことならばタクシーを拾えばよかった」

「申し訳ありません。ですが、ここは戦場になるかもしれません。戦場は自分の足で一度確認せねば、マスターを守ることもままなりませぬ」

「その前に私が倒れそうだ」

 

 確かに既に肩で息をし、汗も額で玉のようになっていた。今夜も熱帯夜である。纏わりつくような暑さが容赦なくスカリエッティの体力を奪い続けていた。

 だがもうじき冬木病院である。戦闘になる可能性は確かに高いが、そうならない可能性もある。その場合はスカリエッティの言うように車両を拾って帰れば良いのだ。だがせめて往路は自分の足で確認せねば、いざスカリエッティを守りながら撤退するといった状況に陥った際に、より困難な状況に苛まれることになる。一度確認しながら歩けば土地勘はつくし、地の利は働く。既に徒歩、車両の両方を見据えた退路をいくつかその脳内に納めていた。無論、それが必要になる状況に直面しないことを祈るばかりである。

 

 冬木病院は目前に迫っていた。距離にするともう1キロもない。

 そしてそれを夜間暗視装置付きの双眼鏡で既に補足している者がいた。アサシンである衛宮切嗣である。切嗣は病院付近にある立体駐車場の最上階付近に陣取り、病院に向かっている者が居ないか見張っていた。この場所が最も死角が少なく、病院の爆破された側面を監視できるためである。今のところそれらしき者達は居なかったが、先ほど一人でこちらに歩いてくる男を発見した。間違いなくマスターであろう。あのサーヴァントは、以前の教会での戦闘を目撃したことがある。ランサーだ。その傍らに居る男がマスターと判断するのは自然な流れだろう。

 ここで狙撃できるものなら実行するところなのだが、生憎と数百メートル離れた相手を狙撃するような装備は持ち合わせていなかった。そもそも数百という距離はベテラン狙撃手でも難しいが、それ以前に装備している銃器がコンテンダーだけという現実が大きい。揃えようにも生前のコネクションが全く機能しなかったのは手痛いことだった。時間があればブローカーなどとも話は付けられたかも知れないが、資金や時間の問題がクリアできなかった。そもそもどこの誰かかも全く分らない相手に商品を捌くことは、用心深いブローカーなら避けるだろう。

無論、コンテンダーで狙撃というわけにもいかない。コンテンダーはライフル弾の発射にも十分耐える上に精度が高いという、拳銃というよりは小型のライフル銃と言うべきスタイルの銃である。だが、形状はやはり拳銃であるため狙撃になど不向きだ。手元では数ミリの誤差でも目標に到達する頃には数メートルの誤差になっている。そういった針の穴を通すような射撃には不向きな銃であった。

よって彼はひとまず静観を選択した。少なくとも必殺を期することが出来る状況でなければ仕掛けるのは早計。縦しんばマスターの暗殺に成功したとしても、すぐ傍にランサーが侍っている状況では圧倒的に不利なのだ。コンテンダーで確実に仕留めるには相当な距離を詰める必要があり、それは即ちランサーの間合いである。マスターが死亡しても僅かな時間とはいえ活動は可能だ。一瞬で心臓を穿たれて終了だろう。最速のサーヴァントたるランサーに、『固有時制御(タイムオルタ)』による撹乱がどこまで通じるか。甚だ疑問である。

 

 切嗣はおもむろに思い至り、さらに周囲を拡大された視界で見回す。あれ一組だけとも思いがたい。あと何組かはここに集まるだろう。状況によっては、この戦いの雌雄が決する可能性もあった。

 数分間見渡して、さらにある一組を発見した。やけに目立つ。何せ馬に乗っているのだから、気付かない筈が無い。おそらく視界避けの魔術を行使しているのだろうが、魔術師である彼を騙すには至らない。

 それを見るのは初めてであったが、あの風貌は間違いなくサーヴァントだ。まかり間違っても一般人ということはあるまい。加えて言うならば、あれはライダーで相違ないだろう。馬に騎乗している以上、そう判断するのが妥当に思われた。

 ライダーと、そのマスターは共に馬を操ってこちら――つまり病院方向に向かっている。このまま静観していればランサーとライダーの衝突は必至に思われた。ゆえに、彼は静観する。サーヴァントとマスターが戦闘に集中してくれればその裏をかくことは容易い。戦闘が熾烈を極めれば極めるほど、マスター暗殺の成功率は跳ね上がるのだ。

 ――ここで彼に落ち度があったとすれば、この二勢力以外にもこの場に向かう存在があったことを察知できなかったことだろう。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 木々がざわめき、それが一層不気味さを演出していた。見れば病院は一部が痛々しく損壊し、その事故――いや、おそらく事件の痛烈さをありありと伝えていた。本来ならおそらく、この時間であっても警官が事件究明のために忙しなく働いていてもなんら不思議はない。だがどういう訳か、一人としてその姿はなかった。

 確かに事件究明のためには一刻も早い捜査が求められるだろう。だが、現段階では事件ではなく事故の可能性も否定しきれておらず、手元が覚束ない状況での捜査は却って危険という判断もあるかも知れない。だがそれ以上に――教会、つまり聖杯戦争を監督しているものたちの働きが大きい要因であった。

 この爆発事件が偶然の産物であるとは考えにくい。教会側はこの爆発事故と同時にサーヴァント一体の脱落を確認しており、その要因がこの爆発事件であることは明白であった。魔術が人目に触れないように便宜を図るのが彼らの役目。警察に圧力をかけ、一晩立ち退かせる程度は平気でする連中である。一晩あれば神秘に行き着く可能性のある痕跡を消去できる。そしてそれゆえに、事件の真相はより暗部に引き込まれてしまうのだ。さすがにアサシンもここまで計算して行動したわけではなかったが、これは僥倖であった。

 このような事情があり、さらには入院患者は既に別の病院に搬送されていることもあり、周囲には人の気配が一切なかった。一部が抉られたように損壊していることも相まって、さながら廃墟の様相を呈している。

 

 ランサーは顔をしかめた。あまりにも空気が死んでいる。

 確証はないが、おそらくどこかに凶手が潜んでいる。アサシンの可能性もあるが、それならばこのような空気の変調をもたらさず、まるでそこに居ないかのように振舞う筈だ。それならば、この気配は別のサーヴァントのもの。

 思い出した。この独特の気配――氷で突き刺すかのようなこの空気は、おそらくライダーのものだ。キャスター討伐の折に一目見ただけであったが、この刃のような気配は覚えている。その目で捉えられた瞬間、得体の知れない感覚を植えつけられた程だ。あまりにも深い部分に叩きつけられたせいで、自分でもその正体が分からないが――あれは恐怖ではなかったか。その元凶が間近に居る。一度でもそう思い至れば、その考えを捨てることが出来なかった。そしてすぐにその考えが正しかったことを知る。

 

「久しいな、ランサー。キャスター討伐の折、手を煩わせた。礼を言おう」

「……やはりライダー、貴殿であったか」

 

 それは病棟の裏手側から現れた。月明かりを受けて、ライダーとその愛馬、都合4つの目が妖しく輝いている。さらにはその手に持つ刃もまた冷たく輝いていて、その様は異様なほどに強大であった。ランサーの、以前与えられた感情が今また胸の奥底で首をもたげつつあったが、それを無理やり押し込んで対峙する。

 やや遅れて、今度は白馬に跨った女性が現れた。サーシャスフィールである。今ここに、二体のサーヴァントと二人のマスターが揃ったのだ。

 ランサーは槍を実体化し、それを構える。本当は爆破事件の真相を知ろうとスカリエッティを駆り出したのだから、このような事態は不本意である。だが、この場にはこの両者しか存在せず、そして互いに協調の意思もなく、その志を違えていることは明白。ゆえにここは戦場なのだ。

 遠い過去から現在まで、人類史では多くの争いが起こったが、このような状況で起きることは常に決まっている。――どちらかが倒れるまで、剣を振るうことのみだ。ゆえに、ここは戦場なのだ。

 だが戦うのは両者の従者。つまりサーヴァント。マスターが戦って、紛れ――例えばスカリエッティがサーシャスフィールに勝利するような――を起こすよりもサーヴァントを全力で支援することがこの聖杯戦争の鉄則であり、唯一の攻略法。サーシャスフィールは前に出て戦うこともあるが、それは状況にもよるのだ。特に今回は、現存する全ての勢力が終結しても不思議ではない状況である。ここで下手な行動は取れない。

 

「……またその目だ」

 

 ぽつりと、月を仰ぎ見ながらライダーは呟いた。ランサーはその真意を測りかね、顔をしかめた。

 

「どういうことだ、ライダー」

「俺を前にすると、皆がそのような目をする。俺を恐れ、疎む、その目だ」

 

 本来ならば、ランサーはここで激昂するなり反論するなりするべきなのだろう。少なくともその文言は対峙するランサーを侮蔑している。だがそれが出来なかったのは、ライダーの寂しそうな顔が、月に照らされて晒されたからだった。

 

「……これは、知らずのうちに罪を働いていたようだ。謝罪したい」

「いいのだ。謝罪には及ばんし、どうせ俺の罪はとうに千を超えている。生前に一体どれほどの人を殺したか、もはや俺にも分からん」

「ヨハネの福音書八章――『罪の無いものだけが石を投げよ』ですか」

 

 姦淫の罪を働いたものを迫害しようとしたとき、神の子が言った言葉である。罪の無い者だけが罪人を責めよというこの言葉に従えば、ライダーにもランサーにも誰かを罰する権利など無く、そしてまた謝罪を受ける権利もまた無いのだ。

 だが東方で生まれ育ったライダーには馴染みの無い言葉である。しかしそれでもそのニュアンスは理解できるらしく、ランサーの言葉に頷いた。

 

「要らん話をしてしまった。そろそろ刃を交わそう。……貴様に神の加護があるならば、俺を打ち倒すこと叶うかも知れんぞ? 恐れずしてかかって来るが良い!」

「『神を試してはならない』。信仰によって神を試すのは神への冒涜だ。ゆえに――私は自らの意思を以って、貴殿を打ち倒すのだ!」

 

 ライダーとランサーは同時に動き、激突する。龍をあしらった堰月刀と黒塗りの槍が衝突し、闇を一瞬だけ照らす火花が散る。空気が唸りを上げる。両者共に長柄。互いに常人では目に捉えられないような速度で振るうそれらは、容赦なく闇夜を蹂躙し、断続的に鳴り響く大嵐の様相を呈している。丁々発止の打ち合い――という範疇ではもはや収まらない、まさしく理外の闘争であった。

 数合打ち合いの後、ランサーは瞬時に自身の異変を理解した。四肢が思うように伸びきらない。全身に錘を下げているかのような重さ。ステータスでいえば、全体的にマイナス補正がかかってしまっている。

 ランサーは思うように動かない体を突き動かし、その槍を縦横無尽に振るう。馬上のライダーの心臓を狙って一閃、首を狙って一閃、額を狙って一閃、肩、腹、さらには馬を狙って一閃ずつ。だがそのいずれもライダーの長刀に捌かれる。

 だが内心でライダーは焦った。白兵戦の技術はおそらくセイバーと同等程度。ステータスも自身の宝具の効果によりそこまで飛びぬけているわけもない。だがセイバーよりも、確実に脅威と判断した。それ偏に得物の差によるところである。

 セイバーの得物は片手剣。これは馬上の相手と戦うのに不利である。刃渡りがやや短いそれでは、馬上の相手に対して致命傷を与えるのが難しい。片手剣でなく、両手剣であったとしても、やはり難しいだろう。馬上の相手は想像以上に高みに位置する。だが、槍ならば十分にそれが可能なのだ。長い間合いは相対的に馬上の高さを下げる。ゆえに、ライダーにとってセイバーよりもランサーのほうが脅威となるのだ。

 

 ライダーの内心の焦りを読み取ったか、ランサーが猛追する。ライダーが平静を取り戻す隙を与えまいと、息をつく暇すら許さぬ猛攻。それをライダーが捌く度に火花が散り、二人の周囲はストロボライトを当てているかのように点滅を繰り返す。

 

 だがそれで怯むライダーであるわけがない。迅さがランサーにあるならば、一撃の重さは俄然ライダーにある。堰月刀における刃の形状は、大きく湾曲した三日月型だ。青龍堰月刀は肉厚であるため突きにも用いることは不可能ではないが、その本懐は薙ぎ払いにある。直線の軌道をとるランサーの刺突に対し、円を描くライダーの払いが遅れを取るのは道理。だがその出足の遅さを補って余りある脅威が――その並外れた膂力による破壊力だ。

 受けるにしても、流すにしても、その常識外れの一撃はどれをとっても必殺。まさしく瀑布――圧倒的物量で押し寄せる滝のような一撃だ。ゆえに、ライダーと戦う者は一度たりとて受けに回ってはらない。そうなれば最早、その水流にただ流されるだけになってしまう。

 

 咆哮と共に放たれる、堰月刀の振り下ろし。それをランサーはその神速をもって回避し、大きく距離を取った。互いに負傷は全く無い。それは両者の実力が拮抗しているというよりもむしろ、両者が攻めあぐねた結果だ。

 

 僅か数秒の間に交わされた剣は既に十合を超える。もはや正確な数を数えるのは両者共に辞めた。そのようなことに気を回せば、次の瞬間、胴体と首が繋がってはいない。

 

「……これは驚いた。戦闘技術はおそらくセイバーと互角。体格の良さではやや貴様が上とはいえ、ここまで俺が梃子摺るとは……。武器の違いもあろうが、貴様にはどういうわけか俺の宝具の利きが悪いようだ」

「……この胸の奥に根付いた、呪いじみている正体不明の感情。おそらく人の深層心理に”恐怖”を植えつけおるのが貴殿の宝具なのだろう。それによって相手のステータス低下を引き起こしている……違うか?」

 

 ライダーはその言葉を聴いて驚くでもなく、一切の感情の揺るぎを見せなかった。今また彼の中の気炎が燃え上がり、反比例するように瞳が冷たく鋭くなっている。冷たい微笑を浮かべ、ライダーはランサーの言葉に首肯した。

 そう、ライダーのもつステータス低下を引き起こす宝具の本質は対峙した相手に恐怖心を植え付けることである。それは深層心理に直接作用するため、対峙した相手が自分の恐怖心に気付くことは少ない。特に生前に多くの敵と対峙してきたサーヴァントとなれば、自身の恐怖心など克服してきたという経緯が却ってこの宝具の本質の看破を妨害する。いくら敵が強大とはいえ、それを讃えることがあっても恐れた英雄など居ないだろう。場合によっては初めて恐怖を経験したかも知れない。そういう経緯が、ライダーの宝具の本質を隠してしまうのだ。

 ゆえにバーサーカーなどには、もとより効き目が薄いのだ。だが、目の前の相手はバーサーカーではなくランサーである。何故、この相手には宝具の利きが弱いのか……ライダーには分からなかった。

 

「……よくぞ理解した。よほど自身の心と向き合っていると見える。

 その通りだ、我が宝具の本質は恐れにあり。俺は誰からも恐れられた。ゆえに俺は独り。それこそ我が本質。……しかしして今は独りに非ず。どちらが本当の自分か、最近よく分からん。

 ……いや、そんなことは良いのだ。貴様、俺は怖くないのか。それとも、深層心理に植えつけられた恐怖に打ち勝つ術でもあるのか?」

「マタイ福音書、第十章二十八節『身体を滅ぼしても、魂を滅ぼすこと叶わぬものを恐れるべからず。身体も魂をもゲヘンナにて滅ぼすこと叶うものをおそれよ』。……貴殿は私を殺すことが出来るが、魂までは滅ぼせぬ。ゆえに貴殿は恐れるにあたわず。私は私の身体と魂を滅ぼすことの出来ぬお方――つまり神以外を畏れることはない」

 

 ライダーはその言葉で虚を突かれたかのような表情を浮かべた。だが、すぐにその顔は綻び、声を上げて笑い始めた。

 

「ハハハッ! なるほど、神以外を恐れぬか! 多くのものが俺と、自身に根付いた恐怖に打ち勝とうとしたが……信仰によって俺への恐怖を薄めた壮士は始めてだ。 信仰というものは、逆境や苦境に見舞われた際に大きな力を発揮するものだからな。なるほど、一筋縄でいかぬのも道理か!」

 

 そしてライダーはひとしきり笑った後、得物を再び構え直した。その顔にはもはや相手を推し量ろうなどという打算は一切なく――全力で相手を叩き伏せようとする獰猛さのみが残る。

 いや、もしかするとライダーは歓喜しているのかも知れない。自分に恐れることなく刃を向け得る相手を、死してようやく得ることになったのだから。彼と戦うものは、必ずどこかに恐れを持っている。それは自分でも気付かぬものだったとしても、畏怖の念を必ず持つ。例えばセイバーであったならば、ライダーのことを『過去出会ったことが無いほどの強敵』と認識していることだろう。『東方の戦士は蛮族の如きと聞いていたが、その認識を改めよう』という、昨晩の言葉からもそれはうかがえる。つまり、恐れの大小は存在するが、ライダーと戦ったものはライダーを己の中の上位に置き、それを畏怖するのだ。相手が己の恐れを意識できていまいが、いなかろうが、関係はない。

 だがこのランサーは違った。ライダーと刃を交わしてもなお、ライダーを上位におかず、本当に居るのかも分からない神を最上に置く。そればかりかそれへの信仰心で自分の深層心理に根付いた感情を抑圧してしまうのだ。だからこそライダーは、ランサーと思う存分戦いたい――打ち倒したいと望んだ。

 

「紗紗」

「……なんですか」

 

 サーヴァント同士が戦闘を開始すれば、マスターに出来ることなど無い。ただその戦闘の邪魔にならぬよう、巻き込まれぬように見守ることぐらいである。

 別に蚊帳の外に置かれることが不満だったわけではないが、ここで自分の名を呼ばれるのが以外でサーシャスフィールは少し戸惑った。

 

「もしかすると、真名を明かすかも知れん。そのときは、許せ」

「……許可します。貴方の判断に任せますので、思う存分に戦ってください」

「心得た。……くれぐれも、俺の戦いに手を出さないでくれ、紗紗」

「そのように」

「……すまんな。……ランサー、最後に問答をしたい。これより先、どちらが倒れるにせよ問答の機会はなさそうだ」

「何か」

「人は、何を以って人か?」

 

 ランサーはその問いに何か裏の意味が無いか見出そうと、やや思案する。だがその問いにそれ以上の意味を見出せず、ランサーは自分の考えたままを答えることにした。

 

「神の慈愛によって」

 

 人は、神が創りたもうたからこそ人である。基督教の失楽園における、アダムとイヴの話だ。旧約聖書『創世記』で神が最初に創った人類。主なる神(ヤハウェ)は最初の人類を作り、最初の人類が知恵の実を食べてエデンから追われ、後に命の木を守るために天使ケルビムと輝く剣の炎――士郎が以前投影した『煌く剣(リットゥ)』がこれの原型にあたる――を置いたのは有名な話だろう。その教義によれば、人は神によって創られたからこそ人たりえるのだ。

 だが、ライダーは大きくかぶりを振った。神によって創られたわけもなく、死して神の広い懐に迎えられるでもない(サーシャスフィール)を守るために。

 

「否、断じて否! 人は自らの意思によって人たりえる! ゆえに俺は剣。他者を害することしか出来ぬ純粋戦士! 俺は剣によって生み出され、鐙の上で育ち、鬣の上で死ぬ! それに適うもの、俺を打ち倒すものを望んでやまぬ! さあランサー、その槍を俺に突き立ててみよッ!」

 

 黒兎がすさまじい速度でランサーに迫る。まるでライダーの気炎に後押しされているかのような、後に粉塵のみを残した疾風のごとき健脚。

 すれ違いざまに一閃。ライダーの刀はライダーの肩口を浅く裂き、ランサーの刃はライダーの脇腹を浅く裂く。

 すかさず馬首を返す。もはや物理法則を無視したかのような、四足歩行の獣とは思えない小回り。げに恐ろしいのは黒兎の機敏さだけでなく、そのような動きをされても振り落とされないライダーである。だが黒兎はこの程度でライダーが落馬するわけが無いとでもいうように、不規則な跳躍でランサーを霍乱せんとする。そしてランサーも、黒兎の足が伸びるがままに任せれば間違いないとでも言うように、あえて黒兎の動きを制御しようとはしない。まさに人馬一体。馬と人が完全に意思の疎通をみせ、その上以心伝心を越える一体感を成している。

 そしてランサーもまた動く。足を使う相手に対し、こちらが両足を地面に置いたままでは窮地に陥るだけだ。動く相手に対してはこちらも動く。馬と人の違いはあるが、足でも勝利できる算段は――ある!

 

 ランサーは黒兎を超える機敏さを誇った小回りで翻弄する。単純な速度は黒兎に分があるが、人を乗せた状態である以上限界はある。その分ランサーは身軽な歩兵。付け入ることは十分に可能――!

 

 ランサーは黒兎の正面に回るように動き、あろうことかそのまま黒兎に向かってぎりぎりの低姿勢で突進した。まさに乾坤一擲。強力な回復能力(リジェネレーション)をもつからこその行動だ。

 黒兎の蹄に蹂躙される刹那の前に、ランサーは右へさらに頭を低くして跳躍する。ランサーの刃が右手――つまりランサーから見て左側――に位置していたためだ。誇張でもなんでもなく紙一重で蹄を回避する。もはや地面と顔面が数センチの間隙しかない。だがライダーが素早く刃を翻し、その首元を狙う。熾烈な振り下ろす一撃。ランサーはヘッドスライディングのような姿勢の状態から手を突き出し、身体のバネを利かせて僅かに身体を持ち上げた。無理な体勢から膂力のみに頼った動きのため、ほとんど身体は浮かなかったが、ライダーの正確の一撃を避けるには十分だった。そして顔の横を通過する凶刃をそのまま見送り、身体を捻らせて電光石火の一撃を放つ――!

 ライダーの驚愕。だがライダーは身体を大きく反らせ、その電光石火を回避した。しかし薄皮一枚とはいえ、今度は胸を裂かれる。

 

 だがライダーはそれに怯まず、黒兎を駆って幾度と無く剣を交わす。すでにおの戦いはサーシャスフィールの理解の埒外にあった。もはや彼女に視認できるのは蹂躙される大気の歪みのみである。断続的に闇夜を照らす火花だけが両者が未だ健在であることを主張していた。ライダーに手を出すなといわれる以前に、手を出す余地がない。

 無論、それはスカリエッティも同様でる。むしろサーシャスフィールよりも早い段階で理解が追いつかなくなった。だからこそ今彼が恐れるのは、サーシャスフィールがマスター対マスターの戦いを始めることであった。戦闘の心得など全く無い彼が、目の前に現れた魔術師に敵う算段は皆無に等しい。しかも、相手は白馬に跨りハルバードを装備しているのだ。明らかに戦闘向けの人種である。

 だがそれをサーシャスフィールがしないのは、偏に彼女がライダーの尊厳を尊重するがゆえだ。誇りある戦士同士の一騎討ちを邪魔することは、その両者の尊厳を侮蔑することに他ならない。ライダーが他者の介入を許さない一騎討ちを望んだ以上、それを蔑ろにする意思は彼女には無かった。良きにしろ悪きにしろ、彼女もまたライダーの宝具によって彼に畏怖を抱く一人であることは間違いない。

 当然、そのような事情はスカリエッティの知るところではないが、彼女が自分では敵わない相手であることは承知している。だからこそ、この一騎討ちは成立していた。

 

 再び距離を取って睨み合うライダーとランサー。ここでようやくサーシャスフィールとスカリエッティにも戦闘の経過状況を知ることが出来た。互いに未だ意思軒昂。だがその負傷の度合いには徐々に開きが出ていた。明らかにライダーが押されている。

 単純な戦闘能力だけを比べれば、おそらくライダーが僅かに上か同程度。加えてランサーは、通常よりも効果を発していないとはいえライダーのステータス低下の影響を受けているのは間違いない。よって通常ならばランサーのほうが負傷が酷くなるのが道理に思える。

 しかしそれを覆しているのが、ランサーの唯一の宝具である『神の血を受けた聖槍(ロンギヌス)』である。

 蘇生の余地が無い一瞬かつ絶対的な死。心臓を破壊するだけでは駄目だ。血流が止まっても窒息死まで猶予があるため、すぐに回復されてしまう。よって狙うのは首より上――首を刎ねるか、頭部を完全に破壊するしか倒す手立てが無い。

 そのアドバンテージは白兵戦では大きい。負傷を前提とした一撃は予想以上に深く踏み込まれる。下手を踏めば相打ち。だがランサーは首より上さえ守っていれば、それは致命傷にならないのだ。その差は大きい。

 リスクを冒すことの出来るものだけが勝利する。これは何事にもおける鉄則だ。リスクを冒すからこそ流れを引き込むことが出来る。そして、そのリスクに遠慮なく突っ込んでいくことが可能なランサーに、この戦いの流れは向かっていた。

 

 両者を見比べれば、それは瞭然である。少なくとも大きなリスクを冒しているランサーが既に致命傷を負っていてもなんら不思議ではないというのに、その跡は見出せない。こうして睨み合っている今も傷は凄まじい速度で癒えている。対してライダーは、何れも軽傷とはいえ全身に傷を負っている。

 そうでなくとも長期戦はランサーに有利に働くのだ。この結果は必然といえなくもない。

 しかし、打ち破る手立ては十分にあった。

 なぜなら、サーシャスフィールは相手のサーヴァントの真名に感づいたからである。

 理由は幾つか在るが、決定的だったのはその信仰心と圧倒的な回復能力(リジェネレーション)を見たときである。新旧の聖書の詳しいことはあまり理由にならない。その程度ならばサーシャスフィールでも諳んじることが出来る。だがその強い信仰。得物が槍。そしておそらくその槍の効果であろう、回復能力。当該すると思われるのは聖ロンギヌス――ガイウス・カッシウスだろう。龍殺しのアスカロンを持つ、聖ジョージ――ゲオルギウスも槍使いとして候補に挙がるが、それでは回復能力の説明が難しい。ほぼ間違いなく、盲目の百卒長ガイウスだろう。

 

 そうと読むことが出来れば対抗策も練ることが出来るだろう。最初はそう思ったが、実際はそう易くない。何せこれといった記述が文献に残っていないだけに、弱点となる逸話もない。その上、おそらく宝具は死後の流血の奇跡に絡んだ効果、つまりあの回復能力だろう。これが非常に厄介である。単純であるがゆえに、これといった弱点も見出せない。

 そもそも弱点が分かったとしても、もはやサーシャスフィールがどうにかできる範疇をとうに超えているのだ。ランサー有利の流れを覆すのは難しいだろう。

 

 ――故に。ライダーは早々とその決断を下した。

 

 通常、恐怖には二通りある。その対象が明白である場合の恐怖と、不明である場合の恐怖だ。まず後者だが、これは一般に言う怪談の類いである。古来より人類は正体不明のものを恐れ、無理やり自分達が納得できる理由をつけてきた。神隠しなどもがそれに当てはまるだろう。恐怖の対象が分かるからこそ、神が連れ去っているなどという理由をつけて納得しようとする。

 前者は、単純に目の前のものが恐ろしい場合だ。虎や獅子を前にして平然としている人間などそうは居まい。それでなければ人間として何かが壊れているとしか言えない。同時にこれは、目の前のものの正体が分かったからこそ恐ろしいということでもある。目の前で対峙している敵が素人かそれなりの剣客なのか分からない状況よりも、自分では絶対敵わない剣豪であると知れたときのほうが畏怖の念は強まるだろう。

 前回や前々回の聖杯戦争におけるセイバーを例に取ればより理解できるだろうか。はじめ、彼女と対峙したものの大抵は“女だから”と少々見くびった態度を取る。第四次のランサー、ディルムッドなどは『女だてら』などと見下した言動も見て取れるが、彼女がかのアーサー王だと知れると揃って態度を改める。このように、相手の正体が知れた際に今まで抱いていた感情を改めるというのは別段不思議なことではない。

 そしてだからこそ、ライダーの宝具は相手に名が知れた状態のほうがより効果を発揮するのだ。

 相手の実力が知れない状態だと、状況にもよるが人間は最初に自分より下に見積もりがちである。しかし名というものにはその先入観を破壊する威力があるのだ。

 故に。ライダーの真名は攻撃的な意味をも持つ、切り札にもなるのだ。

 

「ランサー、しかと聞け。決して聞き漏らすでないぞ」

 

 その名は三国志の中に轟く無双の武将。彼の名はたちまち千里を駆け抜け、泣く赤子を黙らせ、万の兵を退ける。

 半日の間戦い続けてもなおも裂帛の意思を燃やし続け、消えぬ血の跡を作り上げる。死した後にも『本当に死んでいるにしても、軽々しくこれに当たってはならず、危機感をもって戦え』とまで言われるほど強力な軍を率いた将。

 その烈士の名は――――

 

「我が名は張遼(ちょうりょう)! 字は文遠(ぶんえん) !」

 

 続けて宝具の名を叫ぶ。本来、真名解放するタイプではなく常時発動するタイプのものであるが、それでも構わずにその名を叫んだ。自分の名を冠する宝具の名を。

 

「この張遼が行くぞッ! 『遼来々(リョウライライ)』、『遼来々』!」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

【クラス】ライダー

【マスター】サーシャスフィール・フォン・アインツベルン

【真名】張遼

【性別】男性

【身長・体重】190cm 100kg

【属性】混沌・善

【筋力】 A+ 【魔力】 E

【耐久】 B  【幸運】 C

【敏捷】 A  【宝具】 B

 

【クラス別能力】

・対魔力:B

発動における詠唱が三節以下の魔術を無効化する。大魔術・儀礼呪法を用いても傷つけることは難しい。

 

・騎乗:A

騎乗の才能。かつて慣れ親しんだ獣に似た姿であれば、魔獣・精霊種でも乗りこなすことができる。

彼の場合は、馬に似た姿であればどんな生物であろうと操れる。天馬や一角獣であろうと乗りこなすだろう。

 

【保有スキル】

・矢避けの武芸:B

矢が飛び交う戦場で培った技術。加護ではなく、修練により培った経験。

投擲物による攻撃に対して、高確率で迎撃および回避を成功させる。ただし、超遠距離もしくは広範囲の攻撃には効果を発揮できない。

 

・仕切り直し:C

戦闘から離脱する能力。

一撃離脱の戦法には重宝する。

 

・軍略:B

多人数戦闘における戦術的直感能力。自らの対軍宝具行使や、逆に相手の対軍宝具への対処に有利な補正がつく。

 

【宝具】

・騎兵の軍こそ我が同胞:ランクB

ライダーが、聖杯戦争でも騎兵を用いて戦うために得たスキル。

ライダーが名を与えた馬は宝具のカテゴリに昇格される。ランクは平均してC相当。馬の能力や性格によって個体差が生まれる。

また、微弱ながら宝具馬に対して自動治癒も持つ。平均的な魔術師の治癒魔術よりも劣るが、自然治癒とは比べ物にならない。

 

遼来々(リョウライライ):ランクB

ライダーと対峙したものの深層心理に恐怖を根付かせ、それによってステータスの低下を引き起こす。自身の感情を制御するスキルや宝具などで緩和することが可能。よって狂化したサーヴァントにはあまり効果をもたらさない。

「泣く子も黙る」という言葉の元となった言葉。ランクBとはいえ、白兵戦においては絶大な効力を発揮する。元のステータスの高さとこの宝具の効力を鑑みて、生前から現在までを考慮しても彼に白兵戦で適う相手は少ないに違いない。

 

・黒兎:ランクC+

ライダーの愛馬となった馬。好戦的で、多少の負傷ならば物ともしない。黒い毛並みが特徴的。

 

・白兎:ランクC+(C)

サーシャスフィールの愛馬。戦いを好まず、大人しい性格をしている。そのため、本来は黒兎と並ぶ実力をもつのだが、その実力を発揮できていない。白い毛並みが特徴。


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