Fate/Next   作:真澄 十

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Act.28 追走劇

 例えば、眼下に地を覆いつくすほどの敵兵が居る。それを退けたいのならば、こう叫べばいい。たちどころに敵兵は恐れをなし、蜘蛛の子を散らすが如く敗走するだろう。敵将は城を開門して明け渡し、要塞が敵の手に渡ったというのに自分の首がまだ繋がっていることに安堵する。

 ――遼来々。

 例えば、駄々をこねる子供が居る。言い聞かせなければならないことがあるならば、こう言えばいい。たちどころに子供は青ざめ、駄々をこねたことを深く後悔し、ただひたすらに許しを請うだろう。

 ――遼来々。

 それは悪鬼の名前か。それとも厄災の名か。否、ただ一人の男の名である。

 姓を張。名を遼。字を文遠。今も彼の名は中華の地に轟いている。三国志の武将とは知らず、ゲームの登場人物と思っている者も多いようだが、その名は多くの中国人が知るところだ。

 なぜならその名は中国全土に響き渡り、恐怖の権化のように扱われたからだ。

 彼に匹敵するものとして、関羽という武将が挙がる。だが、彼はこれほどまで恐れられる存在ではなかった。なぜなら、彼は優れた武将であると同時に政に携わる為政者であり、また徳の高い人物であったからだ。(きょう)という、国の力を決してたよることなく、民のために刃を振るう闇の結社が当時の中国全土に点在した。これは毒を以って毒を制すという考えで、義の心を持った民間兵だと思えばいい。関羽はそこの出身であり、それゆえに民からの人徳が篤い。死しては神のように祀り上げられるほどだ。

 しかし張遼は違う。

 彼は純粋戦士。人徳を以って人を惹きつける関羽とは対象に、その武勇によって人を退ける。ゆえに彼は人に崇められることなく、民草だけでなく味方からも恐れられた。

  遼来々。張遼が来るぞ。

 関羽が神ならば、張遼は邪神。誰からも恐れられ、それゆえに常に孤独。

 だが彼はそれでよかった。かえって武を磨くことが出来たから。

 その考えが否定されたのは、誰かの言葉。

 

「他者を省みることの出来ぬ刃は武にあらず。それはただの暴である」

 

 ――ならば。きっと俺はまだ武にすら至っていない。

 

 ただ一振りの剣は武に非ず。ただ一矢の矢は折れるのみ。

 ゆえに剣を携えた軍こそが武。数多に束ねた矢を砕くこと難い。

 だからこそ彼は、初めて他人を見た。自分に付き従う兵卒はいとも簡単に死に逝き、自分が全力の進軍を敢行すれば誰もそれに付いてこれず。

 しかしそれを改めたとしても、自分の悪名高く、それを払拭すること難い。

 ならば。

 病床に臥して、死の間際に願ったことは。

 もう一度、もう一度だけ武を追い求めたい。今度は悪名ではなく、人徳による武を。ゆえに俺は剣。剣はそれのみで武を成すこと適わず。それを持つものが居て初めて武となる。

 ――誰か、俺と共に武を目指す者を。

 

 そしてその願いを聞き遂げたモノがあった。

 ここはどこでも無い場所。時間からも隔離された、どこでも無い場所。はるか悠久の時間をまどろむように過ごす。いや、もしかしたら一瞬の出来事なのかも知れない。時間の法則など、ここには無いのだ。通常の感覚では量れない。

 そうやって永く、そして短い時間を過ごした。だがあるとき、自らを呼ぶ声を聞いた。女の声。鈴を鳴らすかのような澄んだ声だった。だが、その声の中には確かな意思が燃えているのが分かる。もとより拒むことなど出来ぬ召還だったが、彼は嬉々としてそれに応えた。

 

 ――――俺を必要とする者が、まだ居たとは。ならば応えよう! 求めていたのは主。剣たる俺を携えて、共に武と成す者! 遼来々。さあ、この張遼が行くぞ。主にたてつく悉くを退けよう。命を賭して主を守ろう! それこそが、武の本懐であると信じて疑わぬ!

 

 そして呼ばれた先は、彼がまだ見たことも無い様式の場所。石造りの壁に嵌められた瑠璃の窓の外で雪が降る音が聞こえる。

 眼前には女。外の雪よりもなお白い、銀の髪。線が細く上品な顔立ちに、しかし似つかわしくないほど意思の込められた炎。

 サーヴァントの召還は、座に居る本体から複製する形で行われる。召還されたのは複製ともいえるものだが、その能力、感情、全て本物と同一だ。だからこそ、彼は歓喜した。この女は、主に相応しいに違いないと。

 その澄んだ声を聞きたくて、分かりきっていたことを尋ねた。

 

「問う。(なれ)が俺の主か? 」

「その通りです。名乗りなさい」

 

 ああ、この声だ。毅然とした意思。揺らぐこと無い信念。通常の人と若干違う気配だが、そんなことは構わない。妖術を使おうが、人でなかろうが。戦いを前にして、ごく少数の者だけが発することのできる気炎。この者は――俺の新たな主に相応しい!

 片膝を立てて腰を落とし、右手を前にして両手の指を重ねる。その状態で、深く頭を垂れた。これは拝礼という、主から拝命を受ける際に用いられる臣下の礼である。

 

「張遼。クラスはライダーだ。さあ、共に武の頂点を垣間見ようではないか」

「頼りにしていますよ。私はサーシャスフィール・フォン・アインツベルン。呼びやすいように呼んで構いません」

「サ、サーしゃ……。しゃーしゃ? ……ええい、紗紗(しゃしゃ)だ。紗紗と呼ぶ」

 

 この日。張遼は生まれて初めて、主君として対する感情とは別の、おそらくはもっと深い部分で――ただ一人の女を守りたいと思った。だからだろうか、無意識に主やマスターと呼ぶことを拒否したのだった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 遼来々。

 その言葉を聞いて、まず感じたのは圧倒的な圧力。信仰によってその効果を抑えているとはいえ、抗いきれないほどの衝動。今なら分かるだろう。ライダーの放つ圧倒的な気配と濃厚な死の匂い。数多の敵を屠り、戦場を駆け抜けてきたものだけがもつ眼力。

 そういった諸々を、その名を耳にしただけで意識させられる。ライダーの真名は、同時に宝具の名前でもあるのだ。

 本来、サーヴァントの真名は弱点になる。真名が割れればその伝承から弱点も知れるし、戦術、行動の傾向、宝具など諸々が相手の知るところとなる。少なくとも名が知れることに利はない。だからこそ宝具はおいそれと発動できないのだ。伝家の宝刀は、抜かぬうちが華だ。いつでも抜ける、と相手に思わせておくのが最も効果を発揮する。

 だが、この者においては違う。名前そのものが攻撃的な意味を持つ。この男にとって、宝具や真名というのは伝家の宝刀ではなく、抜いて振るってこそ意味のある鋭い名刀なのだ。その証拠に、彼の真名には宝具『遼来々(リョウライライ)』の効力を増加させる効果がある。

 今やランサーは、ライダーの姿を実際の何倍にも大きく感じていた。

 

「例え千年が万年であっても、この一瞬に敵うものか。我が喜びは刹那の中にあり。我が幸福は須臾の中にあり! 我が求むるは、ただ戦と武の所在よ。ゆえに俺は戦う!」

 

 その刃を振り上げ、ライダーは叫ぶ。

 この一騎打ちにこそ、ライダーの本懐があるのだ。ただ強者を求め、己を研鑽し、刃を研ぎ澄ます。それだけが彼を構成する元素。即ち武のみ。

 ライダーの顔には歓喜の色が浮かんでいた。だが破顔するではなく、ただ静かに、まるで聖者のような微笑を湛えている。だがその眼光は鋭く、例えようもない激情の色を放つ。

 その様、まさに気炎万丈。その背中、まさに威風堂々。指先一本に至るまで、魔力は満ち満ちていた。

 

「強者は悉くこの俺の前に姿を見せいッ!この張遼の全霊を以って無双の一撃を成し、その全てを打ち倒す! 遼、来々ッ!」

 

 咆哮一閃。黒兎の健脚に乗せた一撃。もはやライダーに小手調べという考えは微塵もない。ただ眼前の敵を滅ぼすのみ。これこそが純粋戦士。戦うのみの、一振りの剣。

 ゆえにこの一撃は今までのどれよりも重く、早く、――熾烈!

 

 鉄と鉄が衝突する音。この一合を制したのはライダーだ。速さに上乗せされた、重く早い一撃はランサーの虚を見事に突く。ランサーは咄嗟にそれを受けに回ったが、その一撃の威力は決して軽くはないランサーの身体を吹き飛ばすには十二分だった。

 まるで木の葉のように錐揉みするランサーに、ライダーはさらなる一撃を加えんと黒兎と共に宙を舞う。空中でもその槍の腹で一撃を防ぐランサーだったが、空中ではその威力を殺すことままならず、無情にも地に叩きつけられた。

 だがそれでもライダーの猛追は止まらない。一撃、一閃の悉くがランサーの命を奪うに足るもの。両者がぶつかる度に、ライダーの一撃は威力を増し、対してランサーは傷つく。だがそれでもランサーが耐えているのは、その自動治癒と長けた戦闘技術によるところが大きい。

 つい先ほどまでは勢いはランサーにあったというのに、既にこの戦いはライダーのものだった。

 

 咆哮。さきほどよりも強く。

 一合ごとにライダーの一撃はその重みを増し、早さを増す。疲れなどない。あるのはただ裂帛の意思。揺るがぬ、眼前の敵を討ち滅ぼすことのみに傾けた熱くも硬い鋼の意思。

 

「な、何をやっている、ランサー……! この体たらく、役立たずめ……!」

 

 罵声を浴びせるスカリエッティ。臆病な彼がこの場から逃げ出さないでいるのは、この戦闘の人知を超えた苛烈さゆえだ。腰が抜けているといっても良い。ライダーの名を聞いた途端、それを一目見たときから感じる恐怖に拍車がかかったからだ。一刻も早く逃げたいのに、足が既に固まってしまっている。

 だがこのまま攻められるに甘んじるランサーではない。

 一瞬の機を見出し、ライダーの一撃を避ける。皮一枚切り裂かれたが、構わす電光石火の刺突を放つ。しかしそれはライダーの流麗な捌きによって軌道を逸らされ、ライダーを仕留めるには至らなかった。続けざまに放つが、どれも防ぎきられる。逆に隙とも言えない隙を突かれて反撃に転じられた。

 

 ここにきて、両者は完全に拮抗した。攻勢と防衛の繰り返し。ランサーの自動治癒など、もはや今に至って戦いの行く末に関係なかった。これほどまで強烈な一撃だと、腕に食らえば腕を落され、胴に食らえば両断される。即死でなかろうが、それほどの状況に陥っただけで詰みだ。死ぬのが一瞬遅れるだけである。もはや、負傷前提で全身する戦術は意味を成さないといっても良い。

 互いに長柄。互いに俊足。一撃の早さはランサー、重さはライダー。

 もうこの戦いの行く末など誰にも分からない。

 ――それを操作しようというものが現れない限りは。

 

「■■■ァァ■■■ァァッ!!」

 

 身に走る電流のような感覚をランサーは感じた。眼前に敵が居ることなど忘れてスカリエッティの姿を求めたランサーは、喉笛から血を吐き出す自らのマスターを見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アサシンにとって、これは実に好都合なことだった。

 サーヴァント同士の一騎討ち。しかも互いのマスターは傍観し、手を出す様子もない。こうなるとサーヴァントといえども次第に意識からマスターの存在が薄れる。マスターが戦いに介入していれば否が応でもその存在を意識させられ、マスターを守るべく動く。しかしマスターが介入しない一騎討ち、しかも拮抗しているとなればサーヴァントは眼前に集中する。

 マスター殺しなど、容易く行える状況が出来上がりつつあった。

 ではどちらを狙うか。

 ライダーのマスターは難しそうだ。武装していることもある。だがその雰囲気は生粋の魔術師のものだ。それよりも良い対象がこの場に居る。言うまでもなくスカリエッティだ。非武装のうえ、どうにも魔術師らしからぬ。おどおどとした態度といい、こういった荒事に慣れていないことが見て取れた。

 より確実な標的を確実に抹殺し、サーヴァントを一組脱落させる。その確実な標的が目の前で棒立ちしている以上、最初に狙うべき標的は定まった。勿論――可能であれば、両方のマスターを殺すつもりであるが。

 身体にも異常は無い。ライダーの真名を聞いたとき、たしかにステータスの低下を感じたが、もとよりサーヴァントを相手にするつもりなど微塵もない。多少コンディションが落ちたと考えれば、誤差の範囲内だ。加えれば、恐怖などの感情ではなく、徹底した理性によって戦局を動かすのが彼だ。ライダーの宝具は面倒ではあるが、決して脅威ではない。

 霊体化し、確実に距離を詰める。焦る必要はない。いざとなれば、『固有時制御(タイム・アルタ)』を用いれば逃走は可能なはずだ。

 音も無く暗殺し、サーヴァントがマスターの異常に気付いた時には既に気配を消して逃げおおせている。これが最高の運びだ。よってコンテンダーではなくナイフをそっと抜く。

 目測で、残り五十メートル。まだこちらに気付いてはいない。もとより、気配遮断を行っている状態で、ただの人間が気付けるようなものでもない。気付くとしたらサーヴァントだが、気付く様子もない。

 残り二十五メートル。一気に接近するべきか。……いや、こちらに全く気付く様子がない。まだいける。中途半端な位置から接近しても、感づいたランサーに阻まれる危険がある。

 残り十メートル。まだ近づく。

 残り五メートル。ここまで接近して、何も感じていないのであれば、おそらく相当の素人だろう。ナイフが届く距離まで近づける。

 残り三メートル。あと数歩だ。

 残り一メートル。手を伸ばせばもう届く――――

 

「■■■ァァ■■■ァァッ!!」

「――――ッ!」

 

 突如聞こえた理解不能の叫び。まずい。全員の意識が戦闘から離れる。

 だが、当初の目的だけは達する。ここでランサーが脱落すれば、逃げるのも易い。

 可能な限りの最高速で実体化し、無防備な標的の喉にナイフを押し当てる。そしてそのまま――引き裂いた。

 心臓の鼓動に合わせて血が噴出する。出血によるショック死は避けられないだろう。

 

「マスターッ!」

 

 ライダーを無視し、マスターに駆け寄るランサー。手に握る槍は、どういう原理か黒塗りのそれは純白に塗り代わり、淡い白光を放っていた。

 ランサーはマスターの窮地を救うべく、主の許可なくそれの解放を決断。己が最高速を以って接近した。

 

「『神の血を受けし聖槍(ロンギヌス)』ッ!」

Time(固有時) alter(制御)――triple(三倍) accel()! 」

 

 しかし、アサシンはそのことを読みきっていた。

 サーシャスフィールがそうだったように、彼もまたランサーの真名にあたりをつけていた。決して信心深いとはいえない彼であるが、この程度の知識は持ち合わせている。まず間違いなく、聖ロンギヌスだ。

 だからこそそれの持つ槍は死後の流血の奇跡にちなんだものだとみて間違いない。その槍で穿てば、傷つくどころか病すらも癒すという逸話もある。だからこそ、より確実に。

 懐から抜いたのはコンテンダー。大口径の銃口から放たれる銃弾の威力、この至近で受ければどうなるか。

 

 三倍速に加速する意識の中で、狙いを定めてそれを放つ。この速度でなければ懐から抜く前にランサーが間に合っただろうが、彼のほうが一手早かった。

 引き鉄を絞る。発砲音とほぼ同時に――その頭が爆ぜた。

 脳漿が飛び散る。頭蓋骨が砕ける。あまりの衝撃に眼球が眼窩から落ちる。

 アサシンは、誰が見ても一切の疑う余地を残さず、完膚無きまでにその命を粉砕した。

 

「あ――――」

 

 命は頭部に宿る。人は多少の臓器を無くそうともどうにか生きていける。心臓ですら昨今の医療技術によって代用が作られているのだ。機械仕掛けの心臓であろうと、人は生きることができる。また、人外に成ったものは、もはや心臓をただ抉っただけで死ぬことは出来ない。

 だが頭部は違う。こればかりいかな奇跡でも修復不可能。なぜならばここに命が宿っているからだ。人の生きようという意志はここに宿る。魔術を行使するのに必要なものも、突き詰めれば魔力ではなくそれを可能とする脳漿なのだ。

 ゆえに――『神の血を受けし聖槍(ロンギヌス)』であっても、飛び散ったスカリエッティの脳漿を修復すること敵わず、その命を取り戻すことは不可能なのだ。

 

「あ……あ……マスター……」

 

 心臓を確かに貫いているランサーの宝具。だがその槍は効力を発揮することは無い。いや、死後の流血の奇跡に相応しく、その身体の損傷だけは癒す。零距離で大口径の銃の一撃を受けたとあり、スカリエッティの頭部は熟れた果実のようになっていたが、外見上はその傷をも修復しきった。だが、これは見た目だけなのだ。再び心臓が鼓動を開始することは決してない。なぜならランサーの槍は蘇生ではなく治癒の能力。たった今、確実に死んだスカリエッティを蘇らせることは出来ない。

 死者の蘇生にはなんらかの魔法が絡む。時間旅行、無の否定、平行世界の運用。あるいはもしかすると、その定義が未だ明確でないもの。いずれにしても――ランサーの聖槍は、そこに至る礼装ではないのだ。

 

「――貴様ッ。このまま逃すものかッ!」

 

 ランサーは槍を引き抜き、返す刃でアサシンに切りかかる。だが先の戦闘で多くの魔力を消費していたランサーは、既にその存在が希薄になりかかっていた。本来、単独行動のスキルをもたないサーヴァントであっても数時間は持つ筈だが、それも状況による。最初から魔力不足の状態であれば、一分と持たないだろう。だがそれでもランサーは刃を振り上げる。おそらくこの刃は下手人を貫くことが出来ず、その前に自分が消えうせるであろうと理解している。だが、それでも戦わねばならないのだ。蟷螂の斧であっても、振り上げねば意味が無いのだ。

 

 神速の一閃。以前ならばもはや稲妻の一撃だが、存在が希薄な今、既にその姿はどこにもない。だがアサシンが相手ならばそれでも十分な速度の一撃の筈だ。しかし三倍の意識の中にあるアサシンにとって、それはさほどの脅威を孕んではいない。難なく回避し、この場を離れるべく踵を返した。このままここに居る意味はない。サーヴァントと戦闘をするなどあってはならない。

 だが、それを拒むものが、

 

「■■■ァァ■■ィィッ!」

 

 と咆哮をあげながら、ランサーと挟み撃ちをする形で猛進する。アサシンは一瞬でその固体のクラスを弾き出した。まだ邂逅していなかったバーサーカーだ。

 薙ぐ暴力的な一撃を紙一重で回避し、距離を取る。必要以上にバーサーカーは追撃しなかった。おそらく、他二体のサーヴァントを見咎め、どれを攻撃するべきか決めかねているのだろう。ランサーはもう消滅する。ランサーを除外したとして、未だ三つ巴の状態だ。

 アサシンは内心、臍を噛んだ。先ほどの叫び声はバーサーカーによるものだったのだ。となればここは4体のサーヴァントが一堂に会していたことになる。終始傍観していたら、もっと確実かつリスクの無い道があったというのに。

 

 もはや背を向けて逃げるのは危険。ライダーの足の速さは先ほどの戦闘を見て理解している。瞬間的ならばアサシンの『固有時制御(タイム・オルタ)』を用いれば勝るだろう。だが、逃げおおせるには至らない。そもそも長時間の運用が難しい魔術だ。ランサーのマスターを殺害したことによる、ライダーの一瞬の虚を突いてこの場を離脱していれば方法はいくつかあったが、今のように完全に標的にされてしまってはもはや離脱は危険。しかもバーサーカーが居る。先ほど追撃は免れたが、ここで背を見せれば追ってくるのは明白だ。

 

 がくりと膝を折るランサー。先ほどの一閃が彼に残された力の全てだった。もはや、ランサーにはその存在を繋ぎとめるほどの魔力は残されていない。だがその眼光は些かも衰えず、鋭くアサシンを射抜いていた。

 

「ここまでして聖杯を欲するか……! ここまでして、己の欲望を叶えたいかッ! イスカリオテのユダでさえ憚る下劣な行為! その罪は重く、審判を避けられぬものと知れッ!

 もはや、この命幾許もない。……第一コリント第十六章二十二節『主を愛さないものがあれば、呪われよ』! アサシン、貴様に呪いのあらんことをッ! ゲヘンナに貴様が落ちるさまを、しかと見届けてやるぞ!」

 

 もはや消え行く身体から、その余力全てを使って呪い殺さんという怨嗟を叩きつける。瞬く間に輝く飛沫となって飛散し、ランサーは完全に消滅した。この場に残ったのは、アサシン、バーサーカー、ライダーとそのマスターである。そしてあえて加えるなら、脳漿を四散させた、見るに耐えぬ骸が一つ転がっているだけであった。

 アサシンの当初の目的は達せられた。やや予期せぬ形ではあるが、これ以上ここに留まる必要は無い。だが――果たしてそれが叶うだろうか。今、おそらく機動力では全サーヴァント中随一であろうライダーが目の前にいる。加えてバーサーカーの乱入。これさえなければ、よもするとライダーのマスターもここで暗殺することが出来たというのに、実に厄介なタイミングで乱入してくれた。バーサーカーがアサシンの存在を認識していたかはともかく、サーヴァントの意思を戦闘から逸らさせたのは間違いない。

 睨み合ったまま如何にしてこの場から脱するか思案していると、今まで俯きがちだったライダーがおもむろに顔を上げた。その顔には明らかな憤怒の色があった。

 

「――我らが一騎討ちを蔑ろにするか、アサシンッ! 一騎討ちは互いの尊厳と誇りを賭けたものだ! それを蔑ろにすること、万死に値するぞッ!」

 

 ――また、これだ。

 アサシンは内心で舌打ちした。戦いというものを誇りや栄光で偽装し、何か尊いものであるかのように仕立て上げる。流血とは絶対に避けるべき手段であり、決して尊いものではない。そうやって戦いを神格化するからこそ、この世で流血が止まらない。殺戮を正当化するからこそ、この世で闘争が止まらない。

 殺戮は殺戮であり、そこに如何な理由があろうとも他者の命を奪ったという罪は歴然としてそこに在るのだ。その罪を薄れさせ、ついには消し去るものこそ、剣への誇りという痴れ事のほかに無い。

 この世を血で染めてきたのは、騎士や戦士だというものに他ならないのだ。

 

 ――また? 自分は一体、どこで同じような経験をしたのだろうか。

 その疑問を一度無視し、バーサーカーへと視線を動かしたとき、得体の知れぬ衝撃が全身を襲った。

 覚えが無い。だが、知っている。あの顔を、知っている。

 砂金を溢したかのような髪に、線の細く丹精な顔立ち。何かが決定的に違う気もするが、あのサーヴァントとよく似たものを知っている筈だ。

 あれはいつだったか、思い出せない、思い出そうとすると頭が痛い、痛い、痛い、割れるほどに、割れる、割れる、しかし思い出さなくては、そういえばライダーのマスターもどこか見覚えが、痛い、痛い、頭蓋が砕ける、心臓が暴走をはじめる、汗が止まらない、――――そうだ、間違いない。僕は確かに、バーサーカーの顔を知っている。ライダーのマスターによく似た人を知っている!

 

「邪魔立てすることは俺にもあった! 確かにランサーとセイバーの一騎討ちを邪魔立てした! だが、横から首級を奪うことはない。それは一騎討ちに臨んだものへの侮辱であり、剣への侮蔑だ!

 だがアサシン、貴様には分からぬだろう。勝利を得たのだから構わぬだろうと貴様は考えている筈だ。――舐めるでないぞ、この張遼、与えられた勝利に興味は無しッ。勝利とは己で勝ち取るものなのだッ。故に俺は、貴様を斬るぞアサシンッ!――遼来々!」

 

 爆発的速度でアサシンに迫るライダー。憤怒を込めた一撃は的確にアサシンを捉えたが――甲高い音と共にそれは阻まれた。

 

「貴様も邪魔立てするか――バーサーカーッ!」

「■■■ァァ■■ァァッ!」

 

 理性と人間のマスターをなくしたバーサーカーに、一度に複数の相手と戦う知恵など残されていない。ライダーがアサシンに襲い掛かったのだからそれを見守れば良いのだが、それが出来ない。単純に自分の目に付いたものに飛び掛るのみである。

 バーサーカーからすれば、初見のアサシンよりも今まで何度も刃を交わしたライダーのほうが優先的に倒したい怨敵だ。自分に害を加えたものをとことん襲うというのはまさに猛獣だが、もとよりバーサーカーとはそういうものである。

 これに関して、バーサーカーの行動はアサシンを助けることとなった。 

 

 アサシンは既に解けていた術式を再起動し、疾風となってその場を去る。それをライダーは見送ることしか出来なかった。バーサーカーは確実に脅威となる敵であり、それに背中を見せることなど出来るはずもない。

 だが――この場で唯一その限りでないものが居る。

 

「ライダー、私が追いますッ」

「ならん紗紗、仮にも相手はサーヴァントだぞ」

「サーヴァントも相手に出来るように訓練したのは貴方でしょうッ。それに、あのアサシンとの一騎討ちならば私に分があります」

 

 バーサーカーの猛攻を捌きながら、ライダーは逡巡した。

 確かに、あの戦闘能力であればサーシャスフィールのほうが強い。それは間違いないだろう。ライダーもそれについては異論は無い。

 だが、サーヴァントは須らくそれを覆す要素を持っているのだ。サーヴァント自身が劣っているのならば、それを覆す宝具を所持している場合がある。そうでなければ英霊と成りえない。

 おそらく宝具の一つはあの超人的な加速だろう。もはや人体の限界にまで踏み込んだ動きだ。アサシンらしからぬ、ランサー並の瞬発力である。

 だがそれは必殺の宝具とは言いがたい。ならばもう一つかそれ以上、宝具を隠し持っていると見るべきなのだ。

 

「――しかし」

「ライダー。私もまた貴方に魅入られた戦士なのです」

 

 ――これは参った。こうまで言われては、返す言葉もない。

 ライダーならば、一も二もなく追うだろう。それこそ目前のバーサーカーを放置しても。そうしないのは、偏にサーシャスフィールの存在があるからだ。ここでバーサーカーを置いてアサシンを追うことは難しくないが、そうなるとサーシャスフィールは付いてこれない。当然、バーサーカーの元にサーシャスフィールを置き去りにすることになる。

 そして、ライダーが自分を気にする余りアサシンを逃そうとしている。これを察することの出来ないサーシャスフィールではなかった。

 ライダーに魅入られたものとして、ライダーの足手まといにはならないとサーシャスフィールは言ったのだ。

 戦いに臨むものとして、足手まといは御免なのだ。邪魔な荷物になってしまうとしても、せめて軽い荷物でありたいのだ。

 

「……これではどちらがマスターか分からんな。

 紗紗、深追いはするな。アサシンは逃げに徹している。追うに留めて俺が来るのを待てッ。単騎での行動となるが、案ずるな。俺は誰よりも早く駆け、誰よりも早く斬る!」

 

 それを聞くや否や、サーシャスフィールはアサシンが消えた方向へと白兎を駆った。

 その蹄の音が遠ざかり、遂には消えたことを確認し、ライダーもまた黒兎を駆る。白兎が向かった先とは逆方向に。バーサーカーをサーシャスフィールから引き離すべく。

 

「さあ、バーサーカー。せいぜい俺を追え。俺は誰よりも早く駆け抜ける。さっさと見失い、諦めることだッ!」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 アサシンは予想外の追跡者に驚いた。まさかライダーのマスターが来るとは。

 彼は既に予め用意しておいた車両で移動を始めていた。むろん盗難車である。彼の脚力では徒歩よりも車両のほうが遥かに勝るため、当然といえば当然の判断だった。

 だが、ここでマスターそのものが襲い掛かってくるとは予想外にすぎた。マスターが前線に出てくるなど、考えがたいことだ。

 考えがたいことだが――これならばかえって好都合かも知れない。あわよくばここで暗殺する。彼の中で方針が若干修正された。

 車両は一般的なセダン車だが、人を轢殺するには十分な重量と速度を併せ持っている。これならば勝機はある。十数メートル後方の敵の移動手段は馬。信じがたいことにゆうに時速百キロメートルをゆうに超えている。ぴったりと車両に喰らい付いている。むろんこの車の最高速度はもっと出るが、入り組んだこの路地でこれ以上の加速は自殺行為だった。引き離すことも出来ない。だが無理に引き離す必要もまた無くなった。

 

 左折した先が塀で見えなくなっているT字路を見つけた。道路脇に置かれた、子供の形をした飛び出し注意の立て看板がいやに目立つ。

 スピードを落とすことなく左折しきったと同時に、急ブレーキを踏みつつハンドルを切る。車体は地面にタイヤ跡を残し、綺麗に反転することに成功した。先ほど曲がったT字路を正面に見据える形になる。そしてタイミングを見計らい一気にアクセルを踏み込んだ。タイヤが空回りした後に殺意を以って車両は前進した。

 スポーツカーでないにしろ、人を轢殺するには十分な加速を得る。そして計ったとおりのタイミングで、馬に乗ったをそれはコーナーから姿を現した。

 しかし、すぐにそれは視界から消えた。

 車両を飛び越えたとアサシンが理解したのはT字路を完全に通過し切った後である。恐るべき反応速度であった。あのタイミグであったなら、立場が逆であったならば絶対に助からないであろうという必殺のタイミングだった。

 アサシンは認めざるを得なかった。身体能力だけをとれば、この女のほうが勝っていることを。

 パワーウインドウから腕を出し、コンテンダーの引き鉄を絞る。何発か発砲したが、いずれも命中しなかった。運転中という射撃に適さない状態もあるが、それ以上に騎乗している馬が賢しい。

 決して射線に留まろうとしないのだ。射線に入った次の瞬間には左右に動いて弾丸の脅威から主を守る。騎手もそれを理解しているため、騎乗に専念できる。

 ライダーほどではないにしろ、人馬一体の様相を呈していた。

 さながら中世の騎士だ。厳しいハルバードを構え、人馬の間には感性された何かがある。そしてその時代遅れの組み合わせが、徐々に車両を追い詰めているのだ。

 両者の追走劇は、入り組んだ路地から大通りへと移る。人通りは無い。街路灯の明るさだけが目に付く光だ。

 

 白兎の身体の隅々まで魔力が行き渡っていることをサーシャスフィールは感じた。今、白兎は最高の状態だ。

 白兎はライダーによって存在を宝具まで押し上げられた。そのあり方は独立した概念武装に近い。

 宝具馬に宿された概念は速くはしること。

 だからこそ宝具馬は並外れた運動能力を保有することを可能にしている。だが、ただの馬がサーヴァントが駆るに相応しいものになろうとすれば、神秘をその身に内包するしかない。

 ゆえに、彼らは魔力をその身に宿す。大源(マナ)を吸収し、自身の中で燃焼させる一個の内燃機関。

 本来、大源を利用するには大掛かりな儀式が必要になる。だがそれを可能にするのが宝具馬なのだ。

 無理を通せば道理は退く。宝具馬はただ速く走るためだけに、この世の道理を捻じ曲げた存在。

 彼らが走るだけで、その身には魔力が迸る。魔術回路など持ち得るわけがない。だがその身はもはや礼装。道具に魔術回路など必要はなく、ただ神秘を起こすのみ。彼らは、ライダーからの供給なしに成り立つ、確固とした魔術である。

 魔術が、宝具が固有のものであるように、宝具馬もまた特殊な力を持つことがある。宝具へと成る際、馬の能力や性格によって発現することがあるのだ。黒兎は騎手を勝利に導くため、正確に戦局を把握する目を。サーヴァントに匹敵せんとするほどの視力だ。ランサーとの攻防についていけるのはこの目によるところだ。

 そして白兎は、主を守る力を。目に見えぬ、薄く硝子のように巡らされる守りの概念。それが白兎の能力。その力は弱く、敵の宝具などは防げ得ないだろう。だが今、ただの弾丸程度ならば跳ね返すほどの硬度を白兎は得たのだ。

 もはや白兎を妨げるものは何も無い――!

 

 そして白兎の能力が過去最高に至っているのと同じように、サーシャスフィールもまた新たな技を身に付けていた。白星がなかなか上がらぬため、急遽考案したものである。

 サーシャスフィールは懐から針金を取り出す。一見するとただの針金だが、永きにわたるアインツベルンの錬金術の粋を集めた金属だ。そこに魔力を通し、一つの物体を形成する。

 それは人間の手だ。

 ただし、大きさはまさに巨人のそれである。巨人の腕の肘先からのみが、針金によって形作られていた。一本の長い針金を編んだだけのそれは、サーシャスフィールが持つ一端だけを支えに中空に留まる。彼女の右手の動きに合わせて、鋼鉄製の巨人腕の指もまた動いた。

 サーシャスフィールが大きく右手を前に突き出す。その手は拳の形に固く握られていた。

 直観的な判断によりアサシンは大きくハンドルを切る。車体がタイヤ痕を残しながら大きく揺れた。そして、つい先ほどまで居た場所に巨人の腕が凶悪な唸りをあげて通過する。針金の束は彼女の手で束になっている。それを解いた際のリーチは、アサシンが思っていた以上に長かった。

 咄嗟に回避しなければ車と一緒に潰されていたかも知れない。

 見た目どおりの質量と考えるならば、さほど威力はなかろう。だが魔術師の礼装であり、魔術そのものだ。楽観は出来ない。少なくとも一撃でこの車両を破壊するほどの威力はあると見るべきだ。

 だが――これは同時にチャンスでもある。

 

 衛宮切嗣の持つ最後の宝具――『起源弾』。

 生身の人間に使っても殺傷能力は持ち得ない。これは魔術師に使ってこそ意味のある宝具だ。

 これに魔術を以って介入した魔術師は、全身の魔術回路を流れる魔力の暴走による自滅する――これは魔術師においては必殺の威力を持つ弾丸である。

 アサシンはコンテンダーの中に新たな銃弾を込めた。今のところは通常弾頭である。

 これが真価を発揮するのは、相手が全力で魔術回路を運用した際である。アサシンは逃げながらもその機会を伺う。敵を調子付かせるか、あるいは追い詰めて全力を引き出す。

 

 再度の巨大な鉄拳も回避する。しかし何度も避け続けられるものではない。

 直接的な魔術による攻撃はできないらしいのは幸いであった。礼装などによらない攻撃はコンテンダーの一撃では如何ともしがたい。

 狙うのは針金の腕。あれに全魔力を傾けた運用をさせる状況を作らなければならない。あれには術者の魔力が込められているのは疑う余地なく、起源弾を一撃食らわせれば勝利も同然だ。

 アサシンはあらゆる状況を想定する。

 例えば自分が彼女を追い詰め、全力を引き出すことは可能か。否。実力差ははっきりしている。脆弱なアサシンの中でも一際貧弱な自分の戦闘能力では歯が立たない。そもそもそのような状況を作れるのならば起源弾など必要ない。

 ならば、相手が自分を与しやすい相手と捉え、不必要な追撃を行う状況はどうだろうか。挑発なども交え、相手を激させればどうだろう。

 現実的なのはこちらに思えた。

 

 アサシンは既に記憶を失っているが、第四次聖杯戦争のランサーのマスターであるロード・エルメロイにも用いた戦略である。相手の性格にもよるが、これが有効な手段であることは古くから立証されているのだ。

 孫子に曰く、これを下さんと欲するならば、まず与えて固くせよ。

 こちらから攻め立てると相手は防御に徹してしまう。そうなればこれを打ち倒すのは難しい。だが最初に相手に弱みを見せ、今ならば討ち取れるという印象を相手に与えるのだ。

 そうすれば相手は自ずと攻めに出てくる。これを討ち取ればよい。相手は劣勢に立ったとしても、最初の印象を拭うことが出来なければ、熱くなるばかりで決して退こうとはしない。

 ロード・エルメロイとの戦闘はこれを体現したかのようであった。アサシンは意識としては覚えていないが、習得して身体の一部となったものは体が忘れない。

 そういった無意識の選択がアサシンを逃げに徹せさせた。ライダーが現れるなど状況に変化が無い限り、振り切ってしまわないように留意して逃走する。この宝具は魔術によって干渉してもらわなければ意味がない。生身の体に当たったところで、大した負傷を相手に負わせることが出来ない。

 

 バックミラーで位置を確認しながら発砲する。白兎を狙ったものだ。だが、今度は白兎は回避しない。白兎の持つ守りの力は、弾丸を苦も無く退けた。

 すぐさま装填し再度発砲。だが何度これを繰り返そうとも守りを貫けない。

 外堀は徐々に埋まっていた。ここまで劣勢に立ったところを見せれば、ここで討ち取ろうと追撃してくるはずだ。

 路地を抜け、無人の国道を猛進する二体。法定速度などとうに超えている。大通りは直線が多く、身を隠すものが少ない。無理な射撃とはいえ十分に戦えた。直線ならば車体も安定して走行できる。狙いは若干甘くなるが、白兎でなく普通の競走馬ならば既に被弾していただろう。

 静かなオフィス街を騒がす排気と蹄が路面を抉る音。炎熱を伴った蹄がアスファルトを焦がし、抉り、蹂躙しつつ前進する。

 駆ける。走る。鋼鉄と化石燃料で走るそれに、古くからの馬が負けたのはいつからだろう。もっと早く移動したいと人が願ったときからだろうか。

 だがこの瞬間、その常識は覆される。魔力によって水増しされているとはいえ、生身の馬が車両に追いすがる。

 赤く灯る信号を、天を穿つビルを、そして月さえも後方に送る。あまりの速度に、サーシャスフィールの視界は極端に狭くなる。風圧で目から涙が出そうになるのを堪え、息さえもままならない速度に身を任せる。腿が攣りそうになるのを堪え、そしてその先に白兎の最高速度を迎える。

 

 宝具馬とは一種の概念武装だ。――それは。ただ速く走るための存在。

 命を濃縮し、魔力を燃焼させ、ただ速く走るための一個の機関。この世で最初に人類に速さをもたらした、得がたき友。

 ゆえに白兎は走る。主を守り、その手に勝利を導くために。

 逃げるのはアサシン。アクセルを限界まで踏む。

 アサシンは、運転に集中しながらも手早くコンテンダーのバレル・アセンブリを交換する。通常の拳銃弾である.22LRからライフルカートリッジへ。

 最後の布石だ。

 チャンバーへライフル弾を押し込む。コンテンダーはカートリッジの交換により多様な銃弾を放てるのが強みだ。ライフル弾の威力は拳銃のそれとは比べることも出来ない。弾の威力は、その速度の二乗と質量に比例する。火薬量の増大により速度も大幅に上がり、弾頭の質量もまた大幅に上がっている。

 その威力はまさに――悪辣。

 

 狙いを定めて放つ。今までと桁違いに重い発砲音。

 それは白兎の守りを突き抜けて、サーシャスフィールの肩口を掠めていった。

 

「――――ッ!」

 

 擦過傷により肩に激痛が走る。確認できないが、多少抉られたらしい。摩擦熱で傷口が焼けたのか出血は少ないが、尾をひく痛みがある。大の大人でも泣き叫ぶほどの激痛だ。

 だが声を飲み込み、眼前を睨み付ける。

 ――やってくれる。

 今までの銃弾とはわけが違う。なるほど、強かだ。今までの弾丸はこちらを油断させるための布石か。

 だがその必殺の弾丸も、手の内が知れれば防ぎようはある。

 サーシャスフィールは銃に疎いが、これ以上強力な弾丸があるとは思いがたかった。強力な弾丸を放つには、それなりの大きさを持つ銃器が必要だ。それを隠し持っているようには思えなかったし、なにより必殺を期するのに出し惜しみするとは思いがたい。

 勝てる。

 サーシャスフィールは今、ライダーの言葉を理解する。

 己の武を試す。何と心地よいことか。勝利を確信したときの、なんとも言いがたい愉悦か。

 アハト翁の作品である自分が、なぜこのような気持ちを抱くのかは知らない。だが鳶が鷹を産むこともあるのだ。この一瞬、確かにライダーの境地に至ったと確信した。

 アサシンが再び弾丸を放とうと窓から銃口をのぞかせる。この弾丸は先までの弾丸よりも速く、白兎の反応を越えている。よって回避はしない。

 サーシャスフィールは腕の形に編まれていたそれを解き、大盾をそこに形作る。高密度に編まれたそれは隙間などなく、またアインツベルンの錬金術の集大成でもあるその針金は既知のどんな金属よりも強靭だ。

 弾丸が放たれるが、音速をも超えたはずのライフル弾はその盾の前に弾かれた。盾には傷一つ残ってはおらず、その脅威の防御性能を物語る。

 

 そして遂に、白兎はハルバードが届くほどの距離まで接近した。

 躊躇わずサーシャスフィールはタイヤを突いた。高速移動中に重心が移動したため、車両は後部を滑らせたのちにスピンする。それに巻き込まれぬよう、白兎は速度を落とし今一度距離を取った。

 

 完全に停止したのを見計らい、サーシャスフィールは白兎を駆る。

 もう一度銃弾を放つだろうが、それは完全に防御可能なのは先ほど立証済みである。そしてアサシンの銃が連射不可能なのも分かっている。

 一撃を防げば、勝利は確実。

 サーシャスフィールは大盾に自分が持てるだけの魔力を注ぎ、その硬度を水増しする。

 

 ――この瞬間。互いに勝利を確信した。

 


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