Fate/Next   作:真澄 十

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Act.32 裏側

「聖杯戦争の裏側の話……聖杯が暴力装置でしかないという話をしたとき?」

「確かそのような話のときだ」

 

 正直なところ、一週間前にした会話を正確に覚えているはずも無かった。かなりうろ覚えの状態である。

 あのときは、私が聖杯戦争について何もわかっていなかったときのことだ。マスターとなって、その直後のことである。その時は混乱もしていたから、正直なところセイバーが言う中途で終わった話があるかどうかも胡乱だ。

 それは士郎さんも遠坂さんも同じらしく、皆一様に首をかしげた。

 皆そのときのことを思い出そうとするが、セイバーの言わんとするところが分からない。

 セイバーもまた記憶が曖昧なのか、記憶を吟味している様子だ。だが、やはり何か思い当たる節があるのか、話を続けた。

 

「そうだ、確か澪が“何故魔術師同士が戦わないのか。わざわざサーヴァントを呼び出す理由は何か”と聞いていた筈だ。その答えをまだ聞いていない」

「……あー。そういえば、そんな質問もした気がするわ」

「……確かにしていたわね。答えていなかったかしら?」

「……遠坂、多分答えてないと思う。うやむやになったまま流れていた、ような」

 

 質問をした張本人も含めて記憶がいまいちはっきりしない。皆が忘れるような話なのだからどうでも良いという解釈もできようが、わざわざセイバーがその話を蒸し返すほどである。どうでも良いということは無いだろう。

 確か、あの質問は私が聖杯戦争の説明を受けていたときに発したものだが、その答えは聖杯が危険な暴力装置でしかないという話の衝撃で完全に忘れ去られていた筈だ。

 改めて思うと不可解なことだ。

 いくら強力な力を持つ聖杯といっても、奇跡は有限である筈だ。無限などというものは、世界の規則を変革しえる固有結界の中でも無い限り、基本的にこの世に存在しない。ならば、サーヴァントなどを呼び出さずに魔術師同士で戦わせたほうが奇跡を浪費せずに済むはずだ。

 そもそもサーヴァントを呼ぶ理由が不鮮明だ。何のために過去の英霊を呼び出す必要があるのだろうか。そんなものを呼び出さず、魔術師同士で戦ったほうがよほど分かりやすい。これならば強者が順当に勝ちあがるだろうから、実力者にとっては都合のいいはずだ。サーヴァント同士の戦いとなれば、それはどのサーヴァントを呼び出すかによっては実力の無い者が勝ち上がることも考えられる。……この私のように。

 確かにサーヴァントは優秀な戦闘手段なのだろう。だが必要ではない。それをわざわざ大規模な儀式によって召喚しているというのならば、そこには理由がある筈だ。

 

 聖杯が現れてから聖杯戦争が開催されるまでの半年間、遠坂さんと士郎さんは聖杯戦争の知らされざる事情について徹底的に調べ上げた筈だ。敵を知り、己を知れば百戦危うからずと言う。聖杯を破壊するべく動いているのならば、聖杯を知ることから始めないといけないのだ。

 

「一週間も前の話だから、もし同じ話を二度していたら言って頂戴。

 一言で言ってしまうとね、サーヴァントは生贄のために召喚されているの」

「――生贄、だと?」

 

 セイバーは怪訝な顔をする。それも当然だ。穏やかな話ではない。

 正確には死んでいるわけだから生贄というのは適切ではないだろうが、それでも物騒な単語だ。セイバーにとって気持ちのいい言葉ではないだろう。

 セイバーは眉間に皺を寄せつつ、次の言葉を促した。

 

「そう、生贄よ。ねえセイバー、どうやって聖杯が願いを叶えるか分かる?」

「それは――莫大な魔力によって?」

「ま、ある意味で正しいわ。

 いい? 聖杯の本来の使用方法は“根源に至る”こと。それに至るために孔を空けるのが聖杯の役割よ」

 

 根源はおよそ全ての魔術師の悲願だ。この世全ての発祥とされる、大いなる一。それに至ることが魔術師の最高到達点である。

 過去の全ての記憶を除き見することができる私であっても、その実体は計り知れない。

 私も、仮にも魔術師だ。根源を目指そうという気はさらさら無いが、興味はある。昨晩、寝る前に色々な記憶を覗き見してみたが、それでも根源が何なのか、分からないのだ。

 時間をかければ何かしら情報が得られるかも知れないが、何しろ森羅写本の情報というのはあらゆる記憶が乱雑に存在しているだけだ。一晩かけて、魔術師という人種さえろくに見つからない。

 便利に見えて意外と制約が多く、私のこの固有能力は使いづらいのだ。例えば人格も含めた完全コピーのストックは一人が限界だ。人格の情報を保存するのは私の脳なわけだから、単純に私の記憶力の限界である。また、たくさんの情報を一気に解読することも難しい。それは本を斜め読みしているようなもので、私の理解が追いつかないからだ。

 全知全能に見えるのは見た目だけで、その実は大量の蔵書に一つ一つ目を通していくに等しい。時間さえかければ大抵のことは分かるが、こういう稀有な事柄については私が死ぬまでのその情報を発見できるかどうか、というところだ。これが百科事典のようにカテゴライズして簡略にまとめられていれば非常に有用なのだが、そうはいかない。

 そういった事情から、遠坂さんの話は初耳であった。それはなかなか興味深い話だった。

聖杯の使用方法は願望器ではなく、根源に至るための手段だという。それならば、今まで六回もこのいかれた戦いが繰り返されているのも理解できる。魔術師は須らく根源を目指す生き物だ。存在理由と表現しても良い。

 そういう存在だから、どんな手段を使っても根源に至ろうとするのが魔術師だ。一般人が何人犠牲になっても構わない、自分が根源に至れるのであれば。そういう種族なのだ。

他人を犠牲にしてまで、永き生を得るために吸血鬼になるような存在だ。何十年かに一度起こる無差別殺人も、彼らにとってはとるにたらない些事なのだ。ゆえに、聖杯戦争は何世紀にも及んで存続し続けたのだ。

 

「孔を空ける……というのは根源に至る道を開く、ということよね?

でも、どうやってそんな孔を? ……冬木市を消し去るつもりでそれを実行するの?」

 

 人間の命とは、突き詰めると魔力である。魂というものは、魔力そのものでなくともそれを生成する材料なのだ。魂を燃焼させればそれは魔力として流用できる。

 そうであるからこそ、何か大掛かりな儀式を行う術式には生贄が付き物なのだ。命を燃焼させることで、足りない魔力を補うことが出来る。大源(マナ)を流用するにしても、その変換効率は術者の実力に拠る。だからこそ、実力以上に術式を執り行う場合には生贄を用いるのだ。

 実際、古代ではそういったことは頻繁に行われた。現代でも比較的ポピュラーな小動物を生贄するものではなく、生きた人間を使うのである。

 実際に、一晩で町が消えるなどということは珍しくなかった。それは魔術師が、自分の周囲の人間――それも街ごと――を術式の生贄にしたのが大部分だ。少数の一部は天災である。

 そこまですれば根源に至るものも居る。少ごく少数ではあるが、その手法によって根源に至ったものも存在するのだ。この方法は非効率的でありながら、有効な手段であるのは間違いない。

 だが、そもそも街一つを犠牲にしえるほどの術式を行えるのであれば、そもそもそのような手段に訴えずとも根源に至る道は見つかる筈なのだ。それゆえ、確実ではあるが非効率で野蛮な手段だとして、昨今では忌避される傾向にもある。加えて、そこまでしてしまうと協会はもちろん教会も黙ってはいない。その手段に訴えれば殺されるのをわかっていて、それを行うものなどそうは居ないのだ。

 そもそも孔を空けるという手段は、迷路を爆破して進んでいるようなものである。総計では分からないが、瞬間的に必要とされる火力は相当なものだ。長い目で見れば地道に迷路を進むほうが労力が必要かも知れないが、壁を砕いて進むとなれば短時間で済むが凄まじい労力だ。

 だからこそ、孔を空けるという表現に、この冬木市を犠牲にするという最悪の想像が頭をよぎった。だが、幸いなことに遠坂さんは首を横に振った。

 

「違うわ。分かると思うけれど、この街すべての生物を対象にした魔術自体がかなりの魔力を必要とするわ。聖杯戦争を考案した御三家はね、もっと効率的な手段を用意したわ。

 ――より少数で、街一つ分くらいの魂を持つものを呼び寄せることにしたのよ」

「より少数で、街一つ分? それは?」

「――――おい、リン。それはまさか……!」

 

 セイバーの鬼気迫る声で、私にも思い至った。

 魂には個人差がある。殆ど魔力にならないものもあれば、一つで何千人分にも匹敵する巨大なものもある。

 だが現代人ではそれほど巨大な魂を持つものは非常に稀有だ。己を練磨せずとも生活できる昨今で、それほどの魂を持つものは生まれにくい。

 だが、古代ならば違う。魔術や神秘を知るものならば違う。己の剣の技のみで世を揺るがす者ならば違う。それはまさしく破格の魂。世界と契約したり、神との混血であったり、死後に神の如く扱われたり、あるいは剣の技のみで世界の法則を揺るがしてしまうものであったり。そういったものは違う。まさしく、人の姿をしていながら明らかに人とは一線を画す存在。

 それは即ち英雄。過去の英霊。つまるところ――サーヴァントだ。

 

「まさか……我らの魂を使うというのか」

「……その通りよ」

 

 長い逡巡の後、言い難そうにそう答えた。

 このときのセイバーの心情を、推し量ることはできるが察することなど出来ない。それは、どんな憤慨だろう。もしくは憎悪か、それとも絶望か。

 自分が生贄のために呼ばれているなどと聞いて、その心情を知ることなどできるはずが無い。私はそのような経験をしたことも無ければ、想像したことすら無い。それは、きっと幸せなことなのだろう。

 

「聖杯は七つの英霊の魂を拘束し、開放することでその真価を発揮するわ。そのエネルギーは凄まじい。孔なんて簡単に空いてしまうわ」

「つまり、燃料みたいなもの? いや、火薬かしら」

「その解釈で間違いないと思うわ。何にせよ、サーヴァントが脱落したとき、座に帰ろうとする英雄の魂をこの世に無理やり留める。孔を空けるのに十分なサーヴァントの数が七つ。七つ魂が揃った時点で聖杯は完成するの。つまり、サーヴァントが脱落していく過程がこの儀式の肝なの」

 

自分がそれを持たないのであれば、他所から持って来ればいい。それが魔術師だ。

この聖杯戦争のシステムは、それに忠実に則っているということになる。それは非常に効率的だ。何千と必要な魂がたったの七つで済むのだから、術式はいくぶん容易になる。面倒なのは英霊の召喚だけだ。だが、これも魔力さえ十分であるならば通常の召喚術の応用で十分でもある。

 最初にこれを考えたものは優秀だ。実に無駄が無い。何千と魂を吸い上げるよりもよほど効率的かつ確実だ。英霊を呼び出そうなどと、だれが考えただろう。『奇跡』という餌を使って七体の英霊を釣り上げ、戦わせ、脱落させる。そうやって七体を消滅させれば聖杯は完成だ。

 ――七体?

 

「……遠坂さん。七体ということは――」

「……そうよ。サーヴァントは、最後には一体も残らないわ。聖杯は、召喚された全ての英霊の魂を使うことで完成する。……令呪はね。最後まで勝ち残ったサーヴァントを自決させるためにあるの。それゆえに、『令呪を使用するのは二回までにしろ』と言われるのよ」

「なんだと……ッ!」

 

 ――遠坂さんの言ったように、これは確かに生贄だ。

 セイバーは、その魂を利用されるためだけにここに呼ばれているのである。それはつまり、死ぬために呼ばれたのだ。

 これに対して憤りを感じないほうがおかしい。憎悪しないほうがおかしい。願いを叶えてやるからと呼ばれて、その実では都合の良いように利用されているだけなのだ。これに憤らずしてなんなのか。

 

 セイバーの心境を正しく知ることなど、私に出来るはずもない。だが、推し量ることは私にも出来る。

 彼が祈ったのは、過去の過ちの是正。それは、己の命を懸けるに足る悲願だ。あの戦いを垣間見た今、それを願う気持ちは痛いほど理解できる。

 何故なら、あの戦いは悲痛に過ぎるからだ。誰しもが正義を信じて戦った。正義のために戦った。片方は神のため、片方は故郷のため。その両者の正義の果てに何も無い。――何も残らない。

 残ったのは怨嗟と死体の山。幾万の命が散ったあの戦いの発端は、セイバーにあるのだ。それに後悔しないはずがない。その過ちを正したいという気持ちに偽りなどない。

 彼の正義を一言で言えば、それは信じたものの為に戦い、世に平穏をもたらすことである。信じたものは、その時はたまたま神であっただけだ。

 しかし、その末に災厄のみをもたらしたとあれば、そこにあるのは深い後悔と自責だ。

 だからこそ、彼はその修正を願った。人の身で過去の修正などできる筈が無い。時間旅行など魔法でしか為しえないだろう。だから彼が頼ることの出来たのは奇跡のみだ。

 しかし聖杯は暴力装置でしかないと彼は知った。今ならわかる。あのときの、彼の憤怒とも悲壮ともとれる表情は、信じたものに裏切られたことによる激情に他ならない。

 ――セイバーは、あのときと同じ表情をしていた。

 

「それでは――私は、奇跡などという甘い餌に騙されて、暴力装置を完成させる手伝いをさせられていたというのか……ッ! これでは道化ではないか!

 何故私にそのような手伝いをさせるッ!? 聖杯は完成させてはならない存在だろう!? 何故私にサーヴァントとの戦闘を行わせたッ!?」

 

 それは道理である。

 聖杯はサーヴァントの魂を利用することで完成するというのであれば、今までしてきたことは聖杯の完成を早めることでしかない。聖杯を破壊するのが目的であるというのに、それの完成を早めるというのはおかしな話だ。

 ……いや、聖杯が霊体であるから人間には触れられないというのは理解できる。しかし、それならば今すぐその聖杯を木っ端微塵にすればいいのだ。セイバーならそれが可能なのだから。

 しかし、遠坂さんと士郎さんは首を横に振った。

 

「……出来ることなら、今すぐ破壊したいわ。いや――聖杯は、確かに一度破壊されているはずなの」

「壊した? しかし、現に聖杯戦争は起きているではないか」

「そう。だから私たちも驚いたわ。前回、確かに聖杯を跡形もなく吹き飛ばしたはずなのよ。あれが偽物であるはずもない。中東から帰ってきてもある程度時間には余裕があったわ。その間に、調べられるだけ調べて考え付くことは一通り検証したわ。

 それで、こう推論したわけ。私たちが壊したのは、言わば使い魔。あるいは分身。とにかく本体となるものがどこかにあって、毎回聖杯戦争が始まるたびに、分身のようなものを生み出している。私たちが普通に聖杯戦争を進めていれば見ることの出来る聖杯は本体ではなく分身だから、それを壊したところで聖杯戦争そのものは止まらない。

 どう? これなら納得いく説明だと思うんだけれど」

 

 どこか理論に穴が無いか考えて、特に無いと結論付けた。あくまで可能性の一つで、推論でしかないのは確かだ。単に、跡形もなく破壊しようと自然再生されるような存在なのかもしれないし、そもそも壊せるかどうかも確かではない。しかしだ、始まりの御三家の名のように、聖杯は人が作り出したものだ。であるならば、絶対に壊れないなどという、魔法でしか実現できないようなことはありえない。そもそもこれほど複雑なシステムでありながら壊れない、壊れても完全に再生するという機能を付加することは実現不可能だ。人間の脳を再生させるに等しい。

 であるならば、やはり遠坂さんの意見に収束されるはずだ。私は賢いとは決していえないが、他の可能性は非常に薄いと断じられる。

 

「それが確かであるならば、分身には必要最低限の機能しかあるまい。その都度作り出すのだ、あまりに多機能ではそれだけで力を消費してしまう。もしかすると、英霊の魂の受け皿としての機能しか無い可能性もある」

「それでも英霊の魂を七つも格納する時点で、破格の存在よ」

 

 しかしセイバーの意見はもっともだ。故意にしろ事故にしろ、破壊される可能性があるのならば出来るだけダメージの少ないほうがいい。機能は最小限に抑えるべきだろう。それをいくら壊しても本体には影響はない。

 結論として、破壊するべきは本体ということになる。七年前に士郎さんたちが壊したのは分身のようなものであったということだ。

 しかしそうなると、もう一つ疑問が浮かぶ。その本体はどこか?

 分身は聖杯戦争がある程度進めば自ずと姿を現すという。しかし、本体はその分身を作り出すことから始め、マスターの選定など多くのタスクを抱えていることになる。四畳半の小部屋に押しこめるような代物ではないはずだ。少なくとも、この屋敷全体程度の規模のものだと考えるべきだろう。

 今考えれば、もっと早く考えるべきだった。聖杯が自然発生される自然現象ではなく、人の手によって組まれたプロセスである以上、それを管理するモノが必ず存在する。

 

「今すぐに本体を破壊したいのは山々なんだけれど、場所が分からないの。――いいえ。正確には、ここで間違いないという確信がある場所はあるわ。でも、そこに無いの。そこにしか無いはずなんだけれど」

「それは何処か?」

「柳洞山」

 

 話の流れを予測していたのか、いつの間にか士郎さんが地図をもってきた。その地図には、色々と情報が走り書きされていたが、一際目を引いたのは柳洞山をぐるりと囲む赤い線であった。

 柳洞山はここから南に少しばかりいったところにある霊山だ。その頂には柳洞寺を構える威厳溢れる場所である。

 威厳だけでなく、強い力にも溢れた場所だということは、しばらくこの地に住んでいた魔術師である以上は知っている。そもそも、霊的に強い力を持つ場所に神社仏閣は建てられてきたのだ。歴史ある寺院は必ずと言っていいほど土地そのものが強力なのだ。柳洞寺は、ただでさえ強い力を持つこの近辺でも抜きん出た場所だ。セカンドオーナーである遠坂さんの邸宅や教会もまた抜きんでた場所であり、それに並ぶほどである。

 しかも柳洞寺は、この魔術師同士の殺し合いに関与していないどころか、私の知る限り魔術師の存在すら知らないに違いないのだ。教会と違い、人の出入りもそれなりにある。私だって、昔はそこに初詣に行った記憶があるほどだ。魔術師として半端な家柄であるためか、近所付き合いを大事にしていたのである。

 

「そう思える理由は色々あるけれど、説明するのも億劫だから端折るわよ。肝要なことは、あそこ以外には考えにくいという点。だけど、いくら探しても無いの。境内の中はもちろん、山の中をひたすらに探し回ったわ。でも、無い。

 ――柳洞山じゃないのかも知れないけれどね」

 

 いや、しかし。冷静に考えれば、確かにそこしかないという気にもなる。

 これは私の考えになるが、聖杯戦争は凄まじく大がかりな儀式だ。いくらか簡略化に成功しているとはいっても、それでも破格の儀式であるのは間違いない。そのための装置が四畳半の居間に押し込めるような代物である筈がないのだ。

 そうなると、それなりの巨大な空間が必要となる。それもある程度霊的に優れた場所でなければならない。

 この地で優れた霊地は三つ。遠坂邸、冬木協会、柳洞寺。遠坂邸は論外だ。自分の家くらい、遠坂さんなら把握しているはずだ。冬木協会も考えにくい。不可侵の掟のある場所だから、怪しいといえば怪しいが、そうなると聖杯を降臨させるのに不都合だ。これも却下。

 そうなると、必然的に柳洞寺ということになる。他にも霊的に優れた場所が無いわけではないのだが、聖杯を降臨させるとなると力不足だろう。かなり広い土地も確保されてある。

 消去法ではあるものの、確かにここしか候補が無い。

 

「私も柳洞寺という案には賛成。……だけど、無いのよね?」

「ええ。根掘り葉掘り探したわ。文字通りの意味でね。だけど――無いのよね。裏庭にまで手を伸ばしたけれど、見つからなかったわ。聖杯の本体はおろか、隠し通路さえなかった」

「隠し通路? 本体とやらは地下にあるのか?」

「地上にあったらいつか見つかるでしょ。山に巨大な空洞――というか洞穴みたいなのがあると考えたほうが現実的よ」

「だとすれば――塞がれたか」

「考えにくいと思うけれどね。聖杯の本体を据えてある空間を完全に封鎖することは考えづらい。そうなると、代わりの隠し通路を掘らないといけないわ。しかも、そう易々と見つからない場所にね。そうなるとその入り口は柳洞寺から相当離れた場所よ。かなり現実離れしているわ」

「しかし七年経っている。不可能ではないと思うが。――特に、それを行ったのが魔術師かも知れないとなれば」

「それは……そうかも知れないけれど。確実にここだっていう確信があるわけでもないのよ? 仮に柳洞寺だとしても、新しい隠し通路なんて簡単に見つかるはずが無いわ」

 

 遠坂さんは、柳洞山を指していた指を明後日の方向に滑らせた。確かに、古い通路を塞ぐ理由があるとすれば安全上に問題があるか、あるいは発見される可能性があったからだろう。前回、遠坂さんたちは聖杯を一度破壊したとなると、今回の聖杯戦争に際しても再び聖杯を破壊する行動に出ることは十分に考えられる。それを防ぐため、何かしら問題の残っていた以前の通路を塞いでより安全な通路を掘ったと考えるべきか。となると、新しいものは相当に発見が困難な場所に入り口を設けるはずだ。

 裏山の奥深くに、例えば切り株に完全に偽装して設置などされれば、それはもはや発見不可能に近い。少なくとも聖杯戦争の期間内には不可能と言ってもいいだろう。

 

 地下の隠し通路を掘るというのは、かなり大規模な行動である。それが本当であるとすれば、短く見積もっても百メートルは地下を通る道を掘っていったことになる。

 それも、セカンドオーナーに見つからないように。――いや、セカンドオーナーは遠坂さんだ。前回の聖杯戦争が終わってすぐに倫敦へ行き、その後は世界を転々としていたという。ならば、比較的堂々と工事を行ったに違いない。

 あまりに大胆不敵。セカンドオーナーに黙ってそのようなことを行うなど、それは遠坂さんに喧嘩を売っているようなものだ。だが、一度ばれずに施工してしまったのであれば、今後しばらく聖杯の本体は無事だろう。リスクはやや高いが、あまりあるメリットがある方法だ。

 この考えは、無論確定ではない。柳洞寺ではない可能性も十分にある。加えて、百メートルを越える地下通路を掘るなどと破天荒極まる考えだ。

 そんな可能性よりも、本当はどこか別の場所にあると考えたほうがよほど現実的である。だからこそ士郎さんや遠坂さんも今までこの可能性を考えなかった。

 だがそれでも、遠坂さんの見立てが正しいとなれば、その可能性は十分に考えられるものだった。

 

 しかし、この推論が正しいとしても、やはり入り口の場所は問題だ。

 木を隠すには森の中だという。私ならばその言葉に従う。幸か不幸か、柳洞寺の奥には広い山林が広がっているのだ。その中から目当てのものを見つけ出すとなれば、落としたコンタクトレンズを探すのとは訳が違う。それこそ警察が大人数で数ヶ月かけてようやく山林から手がかりを探せば見つかるだろうが、たった二人で見つけるのはもはや不可能に近い。

 

 そもそもこれを行った下手人が誰かを考えたとき、おそらくそれは間桐かアインツベルンということになる。聖杯の本体が実在するとして、その存在を知ることが出来るのはおそらくこの二者において無い。その時、木を森に隠さなかったとすれば、自らの陣地にその入り口を置くことだ。

 だが、アインツベルンは聞けば郊外に居を構えているという。距離的に考えにくい。というか、そこまでの距離の地下通路を七年で掘るのは不可能だろう。

 では間桐はというと、これも考えにくい。間桐邸は住宅地に存在する。その地下はあらゆるライフラインで埋め尽くされているのだ。物理的に、これらを掻い潜って地下に通路を敷設するのは現実的ではない。

 そうなるとやはり、どこか訳の分からない場所に存在すると考えるべきだろう。まさか適当に穴を掘って調査するわけにもいかないし、この推測はここで手詰まりとなってしまう。

 

「隠し通路があるとしても……やっぱり簡単に見つかるとは思いがたいわね」

「でしょう? だから、局面がある程度進むまで待つしかないの」

「どういうことだ?」

「聖杯はある程度局面が進めば現れるわ。その時を待って、聖杯をとりあえず手に入れる。それをとりあえず安全な方法で封印するなり破壊するなりして、聖杯戦争が終結してからじっくりと調査する。

 目下、この聖杯戦争の勝者がどう聖杯を使うかが問題となるわ。本体は気になるけれども、それは今すぐ解決せずとも問題ない。差し迫ったほうから片付けないとね」

「……そう、かも知れないわね。うん、そうするしかないかな」

 

 確かに聖杯を手に入れたやつがどう聖杯を使うかは問題だ。狂ったやつが聖杯を手にすれば、後に残るのは阿鼻叫喚の地獄絵図だろう。

 だからこそ、とりあえず差し迫ったこの問題を解決するべく、士郎さんたちが勝ち残る。現れた聖杯を封印するか破壊するかして、本体の調査を続行する。

 これで問題ないはずだ――多分。

 

 ……本当に、これが正しい?

 確かに、本体の問題は差し迫っていない。聖杯を誰が手に入れるかが問題だ。

 だが、差し迫った問題を解決する過程で、誰か一般人が犠牲にはならないか? 本体の問題を解決すれば、もう片方も解決されるはずだ。今すぐ、こちらを解決したほうが誰も犠牲にならずに済むのではないか?

 だが、そうしているうちに狂ったヤツが聖杯を手に入れ、この冬木市を塵芥にするかも知れない。差し迫っていないほうを優先したばかりに、誰も助けられず、全てが水泡に帰すかも知れない。

 だから遠坂さんと士郎さんは正しい。だが――その選択は、犠牲が出るかも知れないことを許容しているのではないか?

 自ら肯定はしないが、その可能性が残るほうを選択しているということは、結果的にそうなるのではないのか?

 全てを救えるかも知れないが、誰も全て救えないかも知れない道と。一部が犠牲になるかもしれないが、確実により多数が残る道。士郎さんたちは、間接的ではあるが、後者を選択しているのではないか?

 

 だけど。

 その本体を解決する手段が全く分からない以上、こちらを片付けるしかない。

 そんなことは分かっている。絶対にこちらのほうが正しいと理性では分かる。

 だけど、心では納得しきれない。

 それは――遠坂さんや士郎さんも同じ筈だ。同じ筈だと信じている。

 

 セイバーが溜息交じりに沈黙を破った。

 

「結局、聖杯戦争を勝ち抜くしかないということか……」

「まあ、そういうことね」

「……この憤りをどこにぶつければ良いというのか」

 

 セイバーは憤懣やるかたなしという様子だ。というか、実際に憤懣の遣る方がない。

 ここで周囲に当り散らさないのは評価できるが、やはり抑えきることなどできるはずがない。自分は死ぬために呼び出されたと知って、その憤りが容易に収まるはずがないのだ。

 

「――よし。シロウ、鍛錬をしようではないか」

 

 ……前言撤回。周囲に当り散らしはしないが、巻き込みやがった。

 いや……確かに気が滅入ったときや塞ぎこんだときには運動は良い刺激にはなる。基本的に悩みや憎悪というのは自身の中で悪循環を生むが、適度な運動をすることでその循環から抜け出せる。心理的には正しい行動だ。溜まった怒りも、運動をすればかなり発散される。

 だが、このタイミングで誘われた士郎さんはご愁傷様というほかない。セイバーの気が晴れるまで、士郎はたっぷりと絞られるだろう。

 渋々といった感じで士郎さんは承諾した。する他無いといってもいい。あの笑顔には一種の強制力がある。恐ろしいことだ。

 私はそういった泥臭いのは好きじゃないし、変に巻き込まれる前に退散するとしようか。

 

「そうだ。ミオの固有能力の実力の程を確かめたい。今日は鍛錬に付き合ってくれ」

「――……え」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 一つの話をしよう。それは、ある王の栄光の裏側の話だ。

 

 彼は、王と全く同じ存在として生を受けた。名をモードレッドという。

 母モルガンが王から作った、人造人間とも言うべき存在である。

 「五月一日に生まれた子が王を滅ぼす」という予言を受けた王は、その日が生まれの者を悉く島流しにした。その子の母は生まれを誤魔化そうとしたのだが、最後には露呈してしまい、結局その子もまた島流しにあった。

 だが、幸運か不運か、その子は奇跡的に助かってしまうのである。

 その子は、王ととても近しい存在であった。合わせ鏡のようなものである。そのためか、若くして騎士としての才覚を発揮することになる。

 母は徹底的にその子の出生の経緯を隠し通した。そうでなければ、再び王によって島流しに合うことは確実だったからである。子にすら自らの出生を語ることは無かった。

 そしてその子は、いつしか誉れ高きキャメロットへ招かれることとなる。

 彼は王に顔まで瓜二つであったため、母は子に命じることになる。決して違えてはならないと釘を刺した上でそれを告げた。

 ――決してその兜を人前で脱いではなりません。

 

 もしもその顔を王が見れば、たちどころにその子の出生の経緯を感づかれることとなるだろう。周囲が彼の出生の経緯を知れば、大きな騒ぎとなってしまうだろう。騎士となったその子はその命令を忠実に守った。幸か不幸か、その子自身も王と自分が瓜二つであることを理解していなかった。

 王に謁見する際、周囲は兜を脱ごうとしないその騎士を諌めた。だが王は、ゆるやかに制して言う。

 

「拠所ない事情があるのだろう。私への忠誠は円卓の椅子に座れたことからも明らかだ。兜は脱がなくとも良い」

 

 伝承に曰く、円卓の椅子にはマーリンによって細工がされてあった。

 円卓の騎士や王に不義を行う意志を持つもの。また、以前にその椅子に座っていたものより劣るもの。以上の条件を満たすものがその椅子に座ろうとすると、椅子はその人間を振るい落とす術が施されていた。

 円卓の一員となる意志を持つものは多かったが、この仕掛けにより本当の力と忠誠を持つ者のみが円卓の騎士を名乗ることを許されたのだ。彼は何の問題もなく椅子に座ることができた。よって、円卓の騎士の一員となることを許される。以後、兜の騎士と呼ばれるようになる。

 かくして彼は騎士としての道を歩むことになる。

 そもそも彼が騎士の道――ひいてはキャメロットを目指したのは、母の「私の子である貴方には王位を継承する資格がある。今はその身分を隠し、いずれは王を倒し貴方が王になるのです」という言葉を忠実に守ったからであった。しかし彼自身の心情はというと、そのような命令よりも純粋な王への憧れがあったからだ。

 モードレッドは幼い頃、王によって島流しにあったとはいえ、王に心酔しているといってもよかった。

 王はいつでも正しかった。騎士たる王は、騎士としての精神に則って政を進めていた。私利私欲に走ることは一度たりともなく、常に民草のためにその身を粉にしていた。

 モードレッドは王への憧れが導くままに、王に近づこうと一層の鍛錬を自らに課した。王の決定を聞き及べば、その真意を知ろうとした。近しい存在であったこともあるのだろうか、その真意を知れば知るほどその考えの深淵なることが伺えた。

 このようにしてその騎士は王により近い騎士になろうとした。

 

 ある時期から、様々な事情によりサー・ランスロットと共に行動することが多くなった。しかしモードレッドは人間嫌いである。ホムンクルスとして生まれている自分は人よりも成長が早く短命だ。ゆえに、普通の人間には嫉妬していた。

 しかしランスロットは完璧な騎士であった。その傍で行動を許されるというのは、自分もまた王に認められていることだ。ランスロットへの嫉妬心と同時に誇らしさもあった。また、ランスロットは人格者であった。他者に心を開こうとしないモードレッドに対し、友情を育もうと諦めず語りかけた。そして彼と長い間行動を共にするうちに、次第に嫉妬は友情に置き換わり、モードレッドの中にはランスロットへの友情と誇りのみが残った。

 

 それを母モルガンは快く思わなかった。

 モードレッドの母、モルガン・ル・フェイは魔女だ。それも国を狙う邪な魔女である。彼女はブリテンを我が物とするために純粋なモードレッドをキャメロットに送り込んだというのに、一向に野心を起こさず、それどころか王とその側近の騎士を崇拝している。

 モルガンはひどく怒り狂った。どうにかして、モードレッドに反逆の目を植えつけねばならない。

 モルガンは行動に出た。今までのような回りくどい方法ではない。今までは影の存在に甘んじていたが、もはや自分もまた動き始める時期であると悟った。

 モルガンは、モードレッドに自身の出生の秘密を明かした。

 ――お前は、アーサー王の分身なのだ。アーサー王から私が作り出したホムンクルス。いわば、私と王との間に生まれた不貞の子。お前は、汚らわしい身なのだ。

 

 それを聞いたモードレッドの衝撃は筆舌に尽くしがたい。今まで信じていた母からの言葉は、肉体はともかくまだ精神的に幼さを残すモードレッドには耐え切れるものではなかった。

 モードレッドが心の拠り所とできるのは、母とアーサー王、そしてランスロットのみであった。事情が事情なだけに、彼がそのとき頼れたのは父であるアーサー王だけであった。

 彼はアーサー王と内密に謁見し、事実を語った。

 王は正しい。いつも正義の士である。王ならば、きっと自分を救ってくれる。自分が進むべき道を示してくれる。モードレッドは縋るような気持ちであった。

 

「そうか――お前は、私とモルガンとの間の子ということになるのか」

「……はい。父上、どうかお願いです。私に載冠剣クラレントを。次の王に私を指名してください。父上の子として認めてください。そうでなければ――私は救われません」

 

 モードレッドは、母の言葉に従い一心不乱に騎士の道を進んだ。それはすでに母の命であるという分を超え、王への信頼と崇拝によるものだ。

 しかし、その王の不貞の子が自分だという。汚らわしい身であるという。

 せめて――王が自分を子と認めてくれなければ、この身は救われぬ。子に王位を譲るというのは、国の全てを与えても自分と同じように政を行うであろうという信頼に基づいたものだ。それは実の子であっても確約しかねることである。それをモードレッドに与えるということは、実の子以上に信頼を寄せ、我が子として扱うということに他ならない。

 そしてブリテンにおいて王位の象徴たる剣は、カリバーンでもエクスカリバーでもなく、クラレントという剣である。

 

 載冠剣クラレント。それは王が持つ宝剣の名であった。

 載冠とは王の冠を他者の頭の上に載せる儀式のことを指し、つまりは王位継承を意味する。それに用いられが宝剣であり儀礼剣であるクラレントであった。その剣は持ち主の王位を約束し、国を与える剣である。

 つまりモードレットは、クラレントを与えられねば、真にアーサーから子と認められはしないのだ。

 アーサーも、モードレッドがクラレントを求める理由は十分に理解していた。

 理解したうえで――それを拒否した。

 

「それはできない」

 

 その言葉の意味を理解した瞬間、世界は崩壊した。

 王に認めてもらいたい。認めてもらい、王を、父の後を継ぐのだ。

 兜の騎士にはそれしか無かったのである。彼にとってそれが世界の全てであった。それを否定された今、彼には何も残ってはいなかった。

 その後、王と何か言葉を交わしたのか。どのようにして自室に戻ったのか。モードレッドには全く記憶がなかった。気がつけば自室で放心していた。

 

 モードレッドは数日間に渡って廃人のような日々を送った。流行り病を患ったと偽り、自室に閉じこもった。そうしなければ胃の奥から這い上がる虚無感に呑まれそうになるのである。

 その虚無感から立ち直ったとき、兜の騎士には目に見えない変化があった。

 あれほど自身で否定していた王への懐疑心が、胸の中に渦巻いていたのである。忠誠心は怨念へと変貌し、騎士道は復讐の道具へとなり果てた。己を否定した者への復讐を誓う、人の形をした暴虐へと変貌を遂げた。

 王よ、自らの傲慢を恥じよ。

 貴様だけが神のごとき高みから人を見下し、己の正義を振りかざして他者を処断する。それが貴様の正義か。

 自らの法にだけ忠実で、それに反する人間を徹底的に処断する。それが貴様の掲げる理想か。

 王の器とは何か。他者に同情することすらせず、自らの決定にのみ忠実なことか。

 それは王ではない。そんなものが許されるはずが無い。

 その所業に悪を感じないのか。

 ああ、正義であることは正しいとも。誰もが正しくあろうとして生きている。

 だが、この世にはそうはなれなかった者が確かにいるのだ。状況や環境からその正しさを選べないこともあるのだ。そう、私のように。

 正義であろうとし、悪を憎むことは正しい。だがその正義を他者に押し付けることもまた、悪である。自らの正義のみを信じ、他者を顧みないこともまた悪である。

 

 ならば――貴様は悪だ、騎士王アーサー。

 身を焦がすのは圧倒的な怨嗟。恨み。憎しみ。狂った獣が胸の内に居る。

 他者が見れば、逆恨みだと嘲笑うだろう。だが兜の騎士は、それで良いと思った。

 そうだ、これは逆恨みだ。私が人生、私の全てを否定して打ち砕いたことに対する恨みだ。私は一度、心を王に殺されたのだ。この憎しみは、王の全てを以ってでしか相殺できない。王の全てを簒奪すべし。

 この世に王など要らぬ。人を処断する者こそが国を乱す。

 この世に騎士など要らぬ。正義を振りかざした悪こそが人を惑わす。

 騎士王はその両方を兼ね備えた巨悪である。

 私は王を打ち倒し、その後に騎士の名を冠するものを全て打ち滅ぼし、その末に自ら命を絶とう。

 

 そう決意したその日の夜。ある騎士から話を持ちかけられた。

 完璧な騎士ランスロットが王の妃と不義を行っているらしい。即刻これを暴き、王へご報告し、ランスロットを処断しなければならぬ。要約すればこのような話である。

 本来ならばランスロットの友として、出来得る限りランスロットに肩入れしてやりたいところだった。しかし、ランスロットには申し訳ないが王を計るには良いと思った。果たして正しき王は、朋友を如何様にするか。

 ランスロットもまた、状況や環境により「正しさ」を選択することが出来なかったのだ。王もそれを十分に承知している。ならば彼をどうするかによって、王の本質が見えよう。

 

 許すならばそれで良し。王にも人の心があったと認め、我が胸の内に潜む獣を飼い殺そう。

 処断するならば、それも良かろう。やはり王こそが悪であると認め、私は獣となってそれを解き放とう。

 並々ならぬ憎悪に後押しされて、その騎士に賛同した。すぐさま妃は追い立てられ、ランスロットは彼女を連れてキャメロットを後にした。

 その後は全てが驚くほど順調だった。もしも王がランスロットを討ちにいくならば、留守になった隙に反旗を翻せば良いのだ。さて、王は友えお許すや否や。その決断をモードレッドは待ちわびた。

 そして王の決断は、ランスロットの討伐であった。王は友を許さなかった。

 

 ――来たれ獣よ!

 やはり王は悪である!

 

 王の実の息子である、兜の騎士モードレッドは、宝物庫の守りを破いてその剣を手中にした。

 載冠剣クラレントはモードレッドを拒むこともなかった。その華美にして豪奢な意匠は新たな王の誕生を讃えるかのようであった。

 さあ、クラレントよ。私に力を与えるがいい。

 その剣は紛うことなく、「国を与える剣」であった。剣の威光に導かれ、多くの者が彼に賛同し兵を出した。剣の力によって国を味方につけた兜の騎士は、常に自らが踏みしめる地から力を与えられた。それらはもはや、王の軍勢と五分のものである。

 兵の数は膨大なものになった。多くの者が革命を望んでいた。王の留守を狙った卑小な賊と後ろ指もさされたが、モードレッドの巧みな弁論により反アーサー王の機運は高まりつつあった。

 そして機は来た。ついに王とランスロットの軍勢が衝突したとの一報。王の正規軍が優勢で、このままランスロットは討たれるであろうとの報せ。

 モルドレッドはこの機を見逃さず、すぐさま兵を出した。

 

 モードレッドは、正規軍がランスロットの軍勢との戦闘で疲弊しているところを狙った。決戦の地はカムランの丘である。

 さあ王よ。いつものように剣を執って私を処断するがいい。私も貴様を処断しよう。

 どちらが正しく、どちらが悪であるか。それはエクスカリバーとクラレントが決めてくれよう。

 王はやはりモードレッドの謀反を許さず、軍を動かした。それを見届けてからモードレッドも軍を動かし、自らも先陣を切った。

 

 戦いは熾烈を極める。疲弊した者が相手とはいえ、こちらは即席の軍勢が多くを占めている。

 だが好機は幸いにもすぐに現れた。傷ついたのか、エクスカリバーを杖にした王の姿を見つけたのだ。

 覚悟、と叫んでクラレントを振りかざす。だが王もまた渾身を搾り出し、その剣を振りかぶった。

 兜の騎士の一撃は、王の脇腹を切り裂いた。騎士王の一撃は、モードレッドの兜を叩き割った。事実としては相打ちだが、致命傷を与えられたのはモードレッドであった。もはや両者ともに余命いくばくも無いのは明白であった。

 モードレッドは最後に残り僅かな力を振り絞り、周囲を指差して王に言った。

 

「見たかアーサー王、これで貴方の国も終りだ。私が勝とうが貴方が勝とうがご覧の通り、全て滅びさった。貴方が私に王位を渡してさえいれば、こんな事にはならなかった。そんなに貴方の分身である私が憎いかッ!?」

 

 王はそれに答えた。その顔からはおよそ一切の表情はない。淡々と、ただ事実のみを答えた。血を吐きながら、腹から鮮血を噴き出しながら、それでも淡々と答えた。

 

「……私は貴公を恨んだ事は一度もない。貴公に王位を譲らなかった理由はただ一つ、貴公には王としての器が無いからだ」

 

 彼は感情のままに走り出した。これ以上王に言葉を継がせてはならぬ。今すぐその首を刎ねるべしと、憎悪の言葉を吐きながら駆け寄った。

 だが、アーサー王は転がっていた槍を拾い上げ、それで彼の心の臓腑を突いた。

 これが彼の最後である。

 

 

 

 

 

 

 どことも分からない場所に召され、モードレッドは永遠とも思える時間を自らの憎悪の培養に費やした。

 憎悪を膨らませるたびに、彼に巣くった獣は力を増す。

 言葉は繰り返せば呪いとなる。蓄積された呪いは死後も相手を苦しめる。

 そう信じて気が遠くなるほど永い時間、ただひたすらに呪い続けた。

 許すまじ、許すまじ。

 王を、騎士を、絶対に許すまじ。

 願わくば死後にも貴様に不幸を。決して報われることのない苦しみを。

 もしもこの世に、騎士なんてモノが居なければ。

 私は人並みの人生を送ったはずなのだ。ブリテンは、この世全ては平穏を享受できた筈なのだ。

 

 滅び去れ、全ての騎士よ。正義を振りかざす欺瞞の者よ。

 思い返すがいい。貴様等が為したことを。国を乱してきた貴様等の所業を。

 私はこの世全ての騎士を憎む。この世全ての王を憎む。

 滅び去れ、全ての騎士よ。それを従える王よ。

 それが成せるなら、私は獣になろう。騎士と王を食いちぎる一匹の獣になろう。

 その執念だけが私の力。その狂気こそが、私を支える一本の芯。

 騎士であった私は、騎士であってはならない。騎士とは程遠い獣でなくてはならない。

 さあ、来たれ狂気よ。誉も、理もなき獣であれば、あるいはこの執念は遂げられるやも知れぬ。

 

 ――――そして、一つの機が到来した。

 過去の騎士達が呼ばれ、殺しあう戦争。

 呼びかける魔術師からは、かつてアーサー王を従えたものであった。自身と王は同一の存在である。魔術を良く知らずとも、それを超えた感覚で理解できた。

 なるほど、この女も王に忠誠を尽くしたモノか。あるいは王を支えたモノか。

 ならば、呼びかけに応えよう。私が望んだように、一匹の獣となろう。

 精々私を上手く用いるがいい魔術師よ。

 そして刮目し、覚悟せよ魔術師よ。

 簒奪の騎士の真髄を。反逆の騎士の怨念を。

 私の剣が屠るのは、騎士達だけではない。

 仮初の主よ覚悟せよ。あの王と契約した貴様の罪は重い。

 

 そうして彼は記憶も胡乱な獣となり、憎悪のままに戦った。

 そして、もう一つの転機――いや、偶然というには僥倖すぎる奇跡が訪れる。

 それはどこかの橋の上。どこか見覚えのある、見ているだけで憎悪を呼び覚ます騎士と戦った。その直前まで相手にしていた騎馬武者を放置してまで、このものを滅ぼさねばという強い執念を覚える。もはや名前など覚えていない。昔、友に剣を握った中であった気もするが定かでは無い。

 その憎き騎士に一太刀を浴びせたときであった。

 

 ――――“勝利すべき黄金の剣(カリバーン)!”――――

 

 ああ、これは如何なる奇跡か。

 姿こそ思い出せぬが、あの剣を持つのは紛れも無くあの王。

 ならば、ならば今こそ無念を晴らそう。

 クラレントよ、今一度私に祝福を。

 ――――何故、そこまで王位を求める! 兜の騎士(モルドレッド)、我が息子よ!―――――

 否。断じて否。

 私はもはや王位など要らぬ。

 欲しいのは、貴様の首。貴様の命。

 

 貴様さえ居なければ――――私は誰も恨まずに済んだのだッ!

 


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