Fate/Next   作:真澄 十

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Act.33 剣による教え

 断言できる。小学、中学、高校、大学と通して体を鍛えてなどいない。スタイルを維持する程度には運動しているが、鍛錬というには程遠い。この細腕を見れば一目瞭然だろう。ナイスなプロポーションであるなどと自惚れるつもりはないが、殴り合いができるような体格ではない。

 それが何ゆえ、サーヴァントと一緒に組み手をすることになっているのか。絶対に間違っている。

 責任者を問いただす必要がある。責任者はどこか。

 

 決して運動音痴を自称するつもりは無い。スタイルを維持する、といっても太らないようにするという程度だが、ジョギングは日課的に行っていた。最近はただ走るよりも俄然多くのカロリーを消費する毎日だからジョギングはやっていなかったが、もう何年も天気の良い早朝にはジョギングは欠かさなかった。だから運動音痴であるということは無いはずだ。

 しかしだ。それは体力と体型の維持であって向上ではない。断じてない。一日十数分程度のジョギングで体力が向上するとは誰も思っていないだろう。私も思わない。

 自慢にもならないが、殴り合いなどとは遠い日々を送ってきた。そもそも魔術師はそういうものから程遠い存在だ。大学の研究室に篭る学生のイメージが一番近い。素手での殴り合いも、武器を持った試合も、学校の授業で舐める程度嗜んだ経験があるだけだ。

 

 今日の鍛錬はいつもと趣向が違う。私が自分の能力を得たことにより、戦闘能力は向上している筈だ。それを図りたいという。よって、今この場にいる全員と一回ずつ組み手を行うということだ。道場をざっと見回す。どう数えても私以外は三人いる。士郎さん、セイバー、そして遠坂さんだ。

 物好きにも遠坂さんまで道場に顔を出したうえ、あまつさえこの私に対する処刑ショーに参加すると言い出したため、私の相手が一人増えた次第だ。呪われろ。

 もう一度細い指を眺めて溜息をつく。それに引き換え、私の相手をする猛者どもの何と屈強なことか。

 一番実力が近いであろう遠坂さんでさえ、中国拳法の使い手だというではないか。準備運動がてら軽く形を演じていたのを見たが、それだけで長年それを培ってきたのであろうことは容易に見て取れる。強敵だろう。

 次に士郎さんだが、これはもはや苛めの領域だ。まず性差に問題があろう。このようなか弱い乙女を相手取って打ちのめそうなど言語道断だ。加えるなら、大学の運動部連中なんかよりはるかに完成された体つきをしている。恐ろしい限りだ。

 最後にセイバーだが、こいつはもう別次元だ。そもそも英霊が相手などおかしいだろう。私を殺す気だろうか。しかも相手はあのローランなのだ。『ローランの歌』では、実のところ数万の兵と戦ったにも関わらず彼が負傷をしたという記述は無い。笛を力強く吹きすぎて脳の血管が切れて死んだと書かれているのだ。実のところは自刃であったようだが、それでも津波のように雪崩れ込む敵兵を前にこれといった負傷を負わなかったというのは恐ろしい戦闘能力だ。

 ここまでくれば明白だ。勝ち目などあってたまるか。何ゆえこんな事になっている。

 

「……見るからに不満そうだな、ミオ」

「そりゃそうでしょう。ボコボコにされること前提じゃない、これ。私は戦闘訓練なんか全く受けていないのよ? リンチみたいなものよ」

「私はそうは思わないがな。前にも言っただろう? 心技体はそれぞれ補える。確かにミオには「体」が欠けているが、ミオの同一化魔術によって心と技は他者を模倣できる。

 ――正直なところ、士郎ぐらいには勝つかも知れんと思っているのだ。士郎が投影魔術を使わないという条件で、かつ厳正なルールに則って試合をすればの話だが」

「……そんなわけないでしょ」

 

 確か、前にセイバーが士郎さんに言っていた。士郎さんには剣の才が無いと。

 私にそれが備わっているというわけではない。そもそも竹刀だって生まれて数度しか握ったことが無い私に剣の才などある筈もない。

 しかし、その才を私は誰かから借り受けることが出来る。セイバーの言うとおり心と技、つまり才能と言い換えても差し支えない部分を誰かから模倣すれば、あるいは士郎さんを超えることが出来るのかも知れない。

 勿論、セイバーの言うように投影魔術を使われたら勝ち目など無いのだが。

 その話を聞いていた士郎さんが、おもむろに聞きなれない言葉を発した。

 

「勝而後戦う」

「……え?」

「勝ってしかる後に戦う。聞きなれないだろうけれど、これは剣道用語だ。

 戦う前に気で相手に勝ち、心で相手に勝ち、そしてしかる後に戦え。戦う前から負けを意識していたら勝てるわけが無いという教えだ。気で攻めて理で打て、とも言う」

「……士郎さんの専門は弓道でしょう」

「藤ねえからの受け売りだ。ま、やるとなったものは仕方がないし、せめて気持ちだけでも前向きになっておかないとな」

 

 そのポジティブさが羨ましい。私は十分後の自分を想像するだけでも恐ろしい。恐ろしいから考えないことにしている。

 とはいっても、士郎さんの言うことは至極全うである。反論の余地すらない。どうせここで駄々を捏ねたところでこの組み手が中止にはならないだろう。だったら開き直るのも一つの手である。案外、人間開き直りの境地に至れば何とかなるものだ。

 よし、少しはやる気が出てきた。女は度胸である。

 入念に体を伸ばし、軽く準備運動をしておく。また筋断裂でもおこしてはたまらない。

 

「準備はいいかしら。最初は私からでいいでしょう?」

「問題ないわ」

 

 いきなりセイバーが来られても困る。こちらとしては、徐々に段階が上がるほうが好ましい。緒戦からセイバーと当たって、気絶させられて戦意喪失という未来がありありと浮かぶからだ。

 道場の適当な位置で対峙する。

同一化魔術は使用しない。まずは同一化魔術を行わない状態からのスタートということで意見の一致をみている。状態を分かりやすく対比するためだ。そういう意味でも、比較的戦闘能力の近い遠坂さんが緒戦に適切だ。この面子の中でも私が最も瞬殺されにくい人材だからだ。

 道場の適当な場所で対峙する。締まらないことに両者ともにジャージであるが、そこはご愛嬌だ。普段着というのも困るが、運動着はこれしかない。

 服装はなんとも締まらないものだが、私たちはともに真剣だ。乗り気ではない私でも、この覇気にあてられれば気持ちを引き締めざるを得ない。

 審判を仰せつかったセイバーが私たちの間に入る。私と遠坂さんを一瞥して、非常に簡素なルールの確認をした。

 

「二本先取だ。一本ごとに仕切りなおす。リンは拳法しか扱えないため、両者ともに武器の使用は認めん。だが、打突、投げ、寝技、果ては平手まで何でも認める。とにかく、私が有効であると思ったらそれが有効打だ。

 マスターであっても公平に審議する。贔屓はなしだ」

「当然よ。こっちだってそんなの願い下げだわ」

「いい心構えね。明らかな審判の不公平があった場合には、今後一週間は澪が食事当番をしてもらいましょうか」

「……そういうわけだから、私からも公平にお願いするわ、セイバー」

「確かに承った。では、両者ともに準備はいいか」

 

 ともに首肯する。

 遠坂さんは半身になる。体をほぼ真横に向けた状態でこちらを向くと、中心線がこちらから完全に隠れる。急所が見えないというのは、なるほど、実戦的だ。

 対して私の構えは滅茶苦茶だ。ウルトラマンもかくやという不恰好。一応、柔道の構えのつもりだ。柔道ならば高校時代に体育の時間でやったことがある。思い切り背負い投げを放っても大事にはなるまい。ヘタクソすぎて相手の頭から叩き落してしまいそうで怖いが、遠坂さんならどうにかしてくれると信じている。

 

「始めッ!」

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「いやあ、まさかここまで差があるとはなあ」

「セイバー……言ったはずよ。素の私はこんなものよ」

 

 八海山澪が試合前に気と心で勝てたかどうかはともかく、結果は惨敗だった。

 まず遠坂凛に組み付こうとして平手を一発貰った。拳でなかっただけ感謝するべきだろう。

 次に平手に注意をしつつ、再び組み付こうとしたところ、手を払いつつ肘を顔面に放り込まれた。寸止めだが有効を取られた。澪は技の名前など知らないが、あれをそのまま叩き込まれていたら鼻を折られていたことは確実だ。

 結果、試合時間は一分に満たないぐらいである。払われた右手がまだ鈍く痛んだ。格の差というものは歴然だ。

 あまりに早く試合が終わってしまったため、両者ともに汗どころか息さえ全く乱れていなかった。ゆえに小休止なしで第二戦を行うことになった。

 第二戦の対戦カードは同じだ。ただ、澪は先ほどと違い同一化魔術を使用した状態で戦うことにしている。

 

 澪もまた魔術師である。森羅写本という、魔術師であれば垂涎ものであろう力を前にして、何もしていないわけがない。この能力を得てから二晩しか経っていないが、色々と試行錯誤をしてみたのである。

 その結果、いくつか面白い人格を見つけた。魔術師ではなく、格闘術において秀でた人物である。

 残念なことに、魔法や魔術についてよく識る人物というのはいまだ見つかっていないが、これでも一つの成果であった。そもそも、例えるならば兆を超えるほどの蔵書の中から特定の記述を見つけようとしているようなものである。それを見つけられただけでも僥倖なのだ。

 

Starten(再起動)Start(開始)

 

 再び対峙し、その人格を再構築する。

 それが完了したとき、澪の瞳には別人の色を宿していた。

 その人物は、とても興味深い人物だ。人間でありながら、その拳のみで人外と戦うための戦闘術を身に付けた。

 そういう意味で、今回の聖杯戦争監督係代行である冬原春巳とはとても近い人物だろう。だが彼はボクシングを基盤とした戦闘術であり、一方この人物は、遠坂凛のように中国拳法を基盤とした戦闘術である。

 人外の中には固い外殻で覆われるものも居るだろう。ゆえにそれは拳以外を基本の技としている。

 

「――名を聞こう」

 

 セイバーは彼女に問うた。いや、彼女という表現が正確かも分からない。現時点で、八海山澪の内面に存在するのが男性なのか女性なのか定かではないからだ。

 澪は体の動きを確かめるように掌を開いたり握ったりした後、その質問に答えた。その言葉遣いからは、やはり澪とは別人を思わせるものがあった。

 

「……九鬼流。如月双七(きさらぎそうしち)

 

 自らの流派まで名乗るそれは、まさしく尋常なものだ。とは言っても異種格闘技に近いこの試合である。自らの戦闘術を相手に告げるのは、正々堂々と戦う上では必須ともいえる。

 ゆえに凛もそれに応えた。

 

「八極拳。遠坂凛よ」

 

 名乗りの後、両者は拳を構えた。距離は先ほどと同じ一刀一足の間合い。だが、これが先ほどと同じような顛末になるであろうと想像しているものは誰も居ない。

 睨み合う。互いに拳を交える前に、相手を圧倒せんと対峙する。共に明鏡止水の境地。凛のそれは、長年に渡る功夫(クンフー)の賜物だ。魔術の片手間であるとはいっても、その実力は折り紙つきである。

 対して澪はどうか。功夫などとは無縁の人生であった。だが、それでも今この瞬間、凛とならぶ実力を持つであろうことをこの場の全員が暗黙のうちに悟っていた。心技体のうち、心と技を模倣すればこそだ。

 それはまさに、故人が澪に憑依したが如し。

 ここに居るのは、まさに澪であって澪ではない。体付きこそ貧弱であろうが、その内面には過去の壮士が存在する。それは、傍目には憑依となんら変わりはない。

 それこそが、稗田の末裔の血の為せる技だ。故人を決して忘れることの無い、稗田阿礼の力だ。

 

「初めッ!」

 

 緒戦と違い、仕掛けたのは凛だ。魔力で水増しされた脚力による爆発的瞬発力に乗せて放たれる拳は、まさしく電光石火の一撃。

 緒戦の澪であったならば、反応すら許されずその拳を顔面に叩き込まれていたであろう。しかし、ここにいるのは澪であって澪ではない。ならば、緒戦と同じ結果になる道理は無い。

 それは一瞬の出来事だ。

 澪が放たれた拳を捌く。その動作は流麗かつ鋭い。瞬きすら許さぬ間に凛の突き出した手首を握り、半身を入れ替えるようにして懐に入り込んだ。

 吶喊する凛はその動作に対応できず、懐に澪を入れてしまう。否、全力で吶喊していた以上、完全に懐に入り込んだ敵が放つ一撃を避ける術などある筈がない。

 

「――ッ!」

焔螺子(ほむらねじ)ッ!」

 

 弓のように引き絞った掌が、螺旋を描きながら凛の腹に叩き込まれる。それは円軌道に加え、掌そのものにも回転による威力を付加した掌底。

 それは打撃による破壊を目的としたものではなく、衝撃による内部へのダメージを狙ったものだ。かなり加減されているとはいっても、その威力を殺しきれるものではない。

 セイバーの一本、の声と同時に、凛は崩れ落ちるようにその場に膝をついた。

 一同はよもや最悪の事態かと冷や汗をかかされたが、凛の静止を促すように上げられた手で落ち着きを取り戻した。

 

「あぁ……。これは効いたわ……」

「大丈夫?」

 

 気がつけば、澪は元の人格に戻っているようだった。判別が難しいところではあるが、普段通りの雰囲気であるように思えた。

 凛は大丈夫であるとジェスチャーで答えたものの、平気ではなさそうだった。ある意味で当然である。人外を打倒すための拳法を生身で受けているのだ。加減されているといっても、内臓へのダメージは長引く。ボクシングでも、ボディでダウンすると容易には立ち上がれないというのはよく知られている。

 

「これでは続行は難しいか」

「ええ……。TKOでお願いするわ」

「うむ。では、第二戦は澪の勝利だ」

 

 澪は自分のことながら舌を巻いた。まさか勝てるとは露ほども思っていなかったからだ。

 体力のみに焦点を当てれば、おそらく凛のほうが上だろう。長年の経験も大きい。そういう点を考慮すれば、いくら故人の技術と精神を模倣しても敗北を喫するであろうと思っていた。

 しかし、現実はそうではなかった。セイバーの言う通りであることが証明された形だ。心技体のうち、どれか一つ欠けようとも残りでカバーできる。体力が無いのであれば、精神力と小手先の技で補えば各上の相手でも打倒しえる。

 加えるならば、体力の面で澪と凛はさほど大きな差が無かった。凛のほうが上ではあるが、話にならないというほどの差ではない。体力がほぼ同格であるのに、心と技が抜きん出たのだから澪の勝利は至極当然ともいえた。

 ここまで澪の成績は一勝一敗。同一化魔術の使用で戦闘能力の一時的な向上が確認された。ここからは、どこまでその戦闘能力を高めることが出来るのかという点が問題になる。

 今後も聖杯戦争を続ける上で、澪の戦闘能力がどこまでなのかを図るのは大事なことだ。今まではただ手放しに守っていればよかったが、今後は自分で自分の身を守れるということを前提として動くことが可能になる。相手のマスターに澪をぶつけるということも可能になってくるだろう。

 だがそのためには澪の戦闘能力を把握しなければならない。暴虎に丸腰の人間をぶつけるわけには行かないのだ。

 

 ここで焦点を当てるべきは澪の白兵戦での能力ということになる。いくら人の人格を模倣できるといっても、魔術はそれだけで実行できるものではない。特に澪自身の属性や特性が変化するわけではないから、人の魔術というものは殆ど扱えないと考えてもいい。魔術的な戦闘能力は全く向上できないといっても過言ではない。

 ゆえにここで問題となるべきは澪の白兵戦の能力だ。これが同一化魔術によって向上することは今しがた確認したばかりである。ゆえに、凛もまた魔術に拠らない戦闘によってそれを計ろうとしたのである。魔力による身体能力の水増し程度は澪も普通に扱えるため認められてはいるが、この模擬試合に魔術の発動は原則として禁じられている。

 ゆえに、第三試合のカードである士郎もまた、投影魔術を封じるという条件で戦うことになっていた。そもそも、投影魔術を発動すれば模擬試合では済まないため、当然の配慮とも言える。

 しかし、士郎が用いるのは拳法などではない。士郎は拳法など習得していない。士郎が扱え得るのは弓と剣のみだ。

 士郎が選んだのは、いつかも使っていた二刀流用の竹刀である。普通の竹刀よりもかなり短いそれは、一見してリーチの短さが弱みとなる。だがしかし、逆に強みでもある。相手が満足に剣を振るえない懐の奥深くまで踏み入ってしまえば、逆にその短さが強みになるのだ。

 加えて、二刀を持つことによる隙の無さは特筆に価する。一方で切りかかっても、もう一方で守れる。一方で守れば、残る一方でそのまま反撃が出来る。自由自在かつ攻守一体が双剣の真骨頂だ。

 

 体力は俄然士郎のほうが上である。凛と比べても士郎のほうが断然上だ。

 心技体のうち、迫れるのは心と技のみである。体で大きな有利を譲ってしまっている以上、凛のように一筋縄でいく相手ではない。長期戦を許せばそれだけ士郎が優勢に立つだろう。

 ゆえに澪は、士郎を短期戦で打倒しえる人物を選択し模倣する必要がある。

 

「このまま連戦で大丈夫か?」

 

 セイバーの問いに澪は首肯した。凛との戦闘は第一試合も第二試合もすぐさま終わったため体力はほとんど消費していない。

 澪は傍らに置いてあった竹刀を一本取った。さすがに丸腰で戦うには分が悪い。得物を持つのと丸腰では雲泥の差がある。澪が選んだそれは、士郎のそれと違い何の変哲もない一般的な竹刀である。それを両手持ちでしっかりと握った。

 

「よし、ではこのまま士郎との試合に移る。

 ルールは先ほどと変わらん。しかし士郎の投影魔術は認めん。道具は剣道のものだが、有効打突部位はその限りではない。相手の体の一部に、竹刀の刃の部分――つまり打突部を打ち込めばそれが有効打だ。だが踏み込みが明らかに足りないもの判定を棄却する。そこに留意しろ」

 

 竹刀は丸い形状をしているが、刃に当たる部分が定められている。竹刀には赤い弦が先端から柄に向かって張られている。弦が張られている側が峰にあたり、その反対側が刃に当たると定められている。

加えて、先端から三分の一ほどに中結いと呼ばれる鞣革を編んだ部位がある。先端から中結いまでも物打ちというのだが、竹刀の有効打突部は刃側の物打ちと定められている。

 つまりこの試合では竹刀側の有効判定は剣道のそれに従い、物打ちのみと定められる。しかし人間側の有効打突部位はその限りではない。

 剣道における人間の有効打突部位、つまり打ち込めば有効打と判定される部位は、面部、胴部、小手部、突部だ。突部とは面の下、つまり首付近にある突きを受けるための突き垂れのことである。

 しかし今回はより実戦に近づけるため、そのような限られた部位のみでなく全身が有効打突部位であると認められた。竹刀の判定が剣道のままなのは、そもそも刃の根元に近くで切りつけても、相手を切り伏せることが出来ないからである。むしろこの規定は残すほうが実践的だ。

 澪はそれらのことを細かくセイバーに確認した。剣道の心得が全く無いため、その辺りは確認しておかないと後々揉める可能性もある。ルールの細かい部分まで把握したのち、澪は再度同一化魔術を起動した。

 

Starten(再起動)Start(開始)

 

 セイバーは澪の同一化がつつがなく完了したことを、その構えの変化から感じ取った。

 隙が一切なく、力強い構えであった。

 士郎はその構えを見て、澪が同一化した人格に当たりをつけた。見間違う筈も無い。それは七年前に何度も目にしたものであるし、つい先日にも目の当たりにしたのだから。

 しかしセイバーはその限りではない。先日と同じ人格であろうことは理解していたが、その内面に確信はなかった。

 

「名を聞こう」

「アルトリア。いや、貴方にはアーサー・ペンドラゴンであると言ったほうが良いか」

「――騎士王アーサーか。これは凄まじい方を選んだものだ」

「お褒めに預かり光栄だ、聖騎士(パラディン)ローラン。……さて、シロウ。このような形ですが、また会うことになりましたね」

 

 内面は澪であることには間違いないのだが、この魔術の名前に相応しく、過去の記憶まで完全に同一となっている。士郎を見て、懐かしい気持ちになるのは、澪による仮初の人格であっても同じである。

 だからこそ士郎は戸惑った。外見は澪そのものだからである。

 しかし(アルトリア)もそれを理解しているため、あるいは予期していたため、あまりここで語り合おうとはしなかった。

 

「シロウ。私は仮初の人格ではありますが、かつての貴方を知っている。どれほど成長したか、見せてもらおう」

「……ああ!」

 

 片や二刀、片や一刀。一方は優れた肉体を持ち、剣の才こそ無いものの七年以上に渡る鍛錬によって機能美さえも持つに至った剣戟。一方は本来ならば心技体のどれも持ち得ないが、仮初の人格を宿すことで心と技を極限にまで高めた剣戟。

 長期戦では士郎が有利だろう。体力では明らかに勝っている。相手が疲労すれば、それは即ち勝機の到来である。

 対して短期戦では(アルトリア)が有利である。その卓越した技術は澪でも模倣できる。筋力がかなり劣っているため本来の鋭さは無いが、それは魔術による肉体強化で補える。

 剣の才では澪が、体力では士郎が。両者はその特性を異にしている。

 嘘偽りなく言ってしまえば、この試合の勝敗の行方は誰にも分からなかった。セイバーや凛は勿論、当の本人たちにも。それほどまでに、単なる白兵戦の優劣に限定すれば両者は拮抗していた。

 

「始めッ!」

 

 火蓋が切って落とされた瞬間に動いたのは(アルトリア)だ。短期決戦となれば、悠長にするよりも一気呵成に攻め立てるほうが良い。もとより少ない体力だ。出し惜しむよりも、速攻で二本を先取したほうが良い。

 しかし士郎はそれを読みきっていた。体力に難があるからこそ、こちらの体力切れを待つような真似はしないだろう。それではジリ貧だ。ゆえに、初手から攻めの姿勢であろうことは予期していた。

 それはまさに迅雷の如き。

殺傷能力の無い竹刀であるにも関わらず、両断せんとするような気迫に乗った裏胴。これが刃のついた本物の刀であったならば、鎧の上からでも相手を切り伏せるだろう一撃だ。

 それを士郎は片方の竹刀で見事に防いだ。(アルトリア)の竹刀を絡め取るように受けた竹刀を操ることで、澪の竹刀が受けに回ることを阻止する。そしてすかさず懐に飛び込み、相手の守りが無くなった頭部にもう片方の竹刀で打たんと一撃を放つ。

 しかし(アルトリア)は淀みの無いバックスッテプで一歩引いた。リーチの短い二刀流用竹刀はそれだけで宙を切る結果に終わる。

 だが(アルトリア)は引きながらも上段に一撃を放つ。剣道でいうところの引き面。密着した状態からバックステップをし、かつ相手の面に一撃を放つこれは、二刀流の間合いから脱しつつカウンターを放つには有効な手だ。

 その一撃を士郎は防ごうとしたが、紙一重で間に合わず肩口に一撃を受けることになった。

 

「一本ッ!」

 

 セイバーの鋭い声が上がる。まずは澪がリードした。

 士郎は驚きを隠せなかった。澪のことを侮っていたわけではない。決して、アルトリアであっても肉体は澪だから、勝てるだろうなどと見込んでいたわけではない。

 だがしかし、それでも舌を巻かずにはいられなかった。あの一撃の鋭さと踏み込みの挙動はまさしく彼の知る彼女のそれだ。外見に惑わされたといっても良い。あまり体力があるわけでもない澪が彼女と同じ挙動をするということに、分かってはいたものの驚いたことは事実だ。

 しかしそれも一瞬のことである。されど一瞬というべきだろうが、今回の勝敗にさほど影響を与えたわけではない。この一本は、紛れも無く彼女の実力によるところだ。

 士郎が敗北を喫した要因の一つは、想像以上の澪の体のキレだ。熟練の剣客を思わせる動きである。体力に難が在るという自評からは想像もつかない身のこなしであった。

 いや、考えれば当然なのだ。いくら筋力が劣ろうとも、英霊ともなれば筋肉の使い方や重心の移動、体のバネなど隅々まで熟知しているものだ。剣とは決して筋力のみで戦うものではない。“長年剣を執ってきた”という経験があるからこそ、その貧弱な体力と筋力でもその能力を十全に駆使する術を知っているのである。

 だがそれがいつまでも続くわけではない。やはり、体力は大きな足かせだ。もしもこれが長年スポーツに勤しんだ肉体であっても、やはり同じ問題はあるだろう。サーヴァント級の実力者の能力を発揮するには、通常の人間の体力では明らかに不足している。いつまでもこの動きを再現し続けられるわけではなかった。事実、今の攻防だけでも(アルトリア)は少しばかり息を乱している。試合というものはわずか一瞬の交差であっても体力を消費するものだ。鍔競り合うと特にそれは顕著だ。

 それを見て、士郎は戦術を改めた。

 

 一本ごとに仕切り直すというルールだ。一本という声が上がったらそれ以上の追撃は許されない。

 両者は対峙し構え直して、セイバーの号令を持った。一本を取れらたのは士郎だが、息があがっているのは(アルトリア)のほうだった。傍目にも、士郎との試合の前に小休止を入れるべきであったろうことは明白だ。

 

「始めッ!」

 

 今回先に仕掛けたのは士郎だ。号令と同時に、澪に向かって吶喊する。

 だが、二本の竹刀は隙無く構えられたまま、それを振るう気配は無い。当身か、と気付いて澪が剣を振るうも、それを二刀で受けて挟み込む。こうしてしまえば容易に竹刀を構え直せない。剣を押しのけるようにして懐に飛び込む。そのまま、半身を当てた。

 この試合はあくまで剣の試合だ。これで一本にはならない。有効であると判断できるほど澪にダメージが通ったわけではない。

 澪はよろけたが、それも一瞬のことである。すぐさま剣を構え直し、脳天めがけて一撃を放つ。しかし士郎はそれを見事に受け止める。

 澪は続けて何度も竹刀を振るうが、士郎はそれを全て捌ききった。

 二刀流は実は、防御にこそその真価がある。変幻自在、攻守一体の技は全て防御を基盤として組み立てられているのだ。というのも、二刀の強みとは一刀で相手の一撃を防ぎ、もう一刀で相手を攻撃するという防御ありきの戦術を取ることが基本とされている。実際の剣道における二刀流もそれが基本となる。

 二刀は生き残ることにかけては無敵と言ってもいいほどだ。上下左右、どの方向から攻めても必ず受け手が存在する。一刀では、例えば面を守ったとき胴が空く。しかし二刀ではそれがない。二刀から一本を取ることは至難の業だ。

 実際に二刀流が謳歌した時代では、団体戦において時間切れの引き分け要員として二刀流を入れるくらいである。先鋒に最も強い人物を置き、後に引き分けを重ねることで団体戦に勝とうという戦術だ。

 それほどまでに、二刀流は防御に秀でているのである。カウンターを考慮しない、単純な攻撃面では一刀に劣ると言っても過言ではない。

 ゆえに澪は、防御に徹せられた士郎を打ち崩せずにいた。これが肉体までもアルトリアを模倣できるのならば打ち崩すことも容易いだろう。しかし鍛錬を積んだ士郎を前に、筋力に難の在る澪ではそれを打倒するのは至難であった。

 

 再び澪の一撃は防がれ、鍔迫り合う。この試合には制限時間もない。本来ならばこういう試合には、無用に試合を引き伸ばすのは邪道であるとして、長い間鍔迫り合うと審判の指示で仕切り直される。しかし、試合時間も定められず、加えて実際の戦闘に近づけたルール下であるためセイバーは仕切り直しを宣言しなかった。勿論、場外なども存在しない。

 こうなったとき、押し負けるのは(アルトリア)だ。士郎を引き離そうにも、力技で押されて押し返すこともステップで距離を取ることも出来ない。どうにか引き離そうともがく間に、体力をどんどん奪われる。全身で腕相撲を数十秒間行っているようなものだ。両者ともに、一分ほど鍔迫り合ったところで珠のような汗が滴り落ちていた。無論、発汗は澪のほうが酷い。

 いくら内面にアーサー王が存在し、体の使い方が飛躍的に上昇しても、肺活量や筋力はそのままだ。もはや肩で息をしている。

 士郎が押し、澪が下がる。そうこうしていると、澪の目に自分の汗が入った。たまらず目を瞑ってしまった隙を、士郎は見逃さなかった。

 意趣返しとばかりに面を打つ。脇差サイズの竹刀は十分な威力が無いとして判定されて一本を得にくいものだが、その気合と踏み込みの強さ、そして剣筋の重さは十分なものを兼ね備えていた。

 

「一本!」

 

 その号令で、両者は一旦剣の構えを解いた。試合への遅延行動に対するペナルティなど存在しないため、息を在る程度整えてから(アルトリア)は遠慮なく士郎へ声をかけた。

 

「シロウ、強くなりました。私にハンデがあることを差し引いても、貴方は強くなった」

「……サンキュ、セイバー」

 

 士郎はかつてのように彼女を呼んだ。

 

「しかし、やはりまだ荒い。前回のアーチャーならば、もっと早く私を下したでしょう。いえ、一本すら許さなかったに違いありません」

「…………」

「それで良いのですよ、シロウ。貴方は彼とは違う道を歩んだが故です。

 それに、まだ荒いということは、まだ伸び代が在るということです」

 

 澪は、道場の傍らに置いてあった手ぬぐいを頭に巻きつけた。これで汗が目に入ることも無い。士郎もそれに倣った。両者ともに、汗で視界を邪魔されていた。

 そしてきつくそれを縛った後、両者は再び対峙する。両者ともに一本を得ている。試合は二本先取であるから、次で雌雄は決することになる。無論、引き分けなど存在しない。

 「負けるつもりはありません」と士郎だけに聞こえる声で澪が言い、それに「俺もだ」と士郎が返した。

 士郎はともかく、澪は疲労困憊である。しかしながら、(アルトリア)は士郎の言う「勝而後戦う」で負けているつもりなど毛頭無い。むしろ、気合では確実に勝っていると考えている。

 疲労で戦意を失うのは素人だけだ。熟練した者は、それが試合中の疲労であればかえって奮い立つ。つまるところ、両者ともに疲労しているものの、戦意だけは気炎万丈かち裂帛の勢いであった。

 

「稽古をつけましょう。シロウ、遠慮などせずに掛かって来ると良い」

「言ってろ、セイバー。今日こそ俺が勝つんだ」

「始めッ!」

 

 最後の一本を相手から奪わんと、両者ともにその号令で相手に踊りかかった。

 早いのは士郎である。澪に比べればまだ体力に余力がある。このまま、先ほどと同じように長期戦に持ち込もうとした。

 しかし、それを許す(アルトリア)ではない。同じ辛酸を無策で舐めることを良しとする彼女ではない。懐に飛び込んでくる士郎をあえて打とうとしなかった。

 そのとき彼女は、士郎の左の竹刀にそっと自らの竹刀を沿わせたのみである。

 

 次の瞬間、士郎は体のどこも打たれていないにも関わらず、わけの判らないまま天井を仰ぎ見ることになった。強かに腰を打ちつけ、呼吸が数秒止まる。

 仰向けになり混乱している士郎の残る一刀を握る手を、(アルトリア)は蹴り上げて得物を奪った。そして丸腰になった士郎の喉元に竹刀を突きつけたところで、セイバーが(アルトリア)に一本を与えた。

 セイバーが「一本!」と叫んだところで、ようやく士郎は負けたことを理解した。

 

 それはあまりに一瞬で、攻め手に意識がいていた士郎には理解できなかった。それをつぶさに見ていたセイバーと凛だけが、その技に目を剥いていた。

 その技は「巻き上げ」という。

 相手の竹刀を、相手の手からもぎ取る技だ。無論、手で得物を掴むわけではない。文字通り、剣で相手の剣を巻き上げる技である。通常は竹刀が宙を舞うだけで澄むが、この技は巻き上げ方をわずかに変えると合気道の小手返しの如く、相手を転倒させる技に姿を変える。容易な技ではないが、相手と直接触れ合うことの少ない剣術において相手を転倒させる数少ない技だ。

 澪の疲労は、もはや唯一の頼みである技術ですら十全に振るえない状態だ。その状態で士郎に勝つにはどうするか。答えは一つである。相手の反撃を許さず、圧倒的にこちらが優勢な状態を作ればいい。その優位な状況を作る方法が、相手の意表を突いて天を仰がせる巻き上げなのだ。小手先の技術であるため、疲弊していても繰り出せるのも大きな点だった。

 

「大丈夫ですか、シロウ」

「……さすがセイバーだ。こんな技知らなかった」

「相手を切り伏せるだけが剣の技ではないということです。このように、相手を無力化する技も存在するのです」

 

 そう言い、(アルトリア)は士郎を助け起こした。

 快進撃、とまではいかないものの澪は凛と士郎を下したことになる。無論、同一化魔術を用いなければ一本すら取れない。しかしそれでも、心と技を熟練した者へと模倣することでここまで戦えるようになるのである。いや、それはあのライダーと一太刀交えたことでも明らかだが、どれほどまで上昇するかは未知数であった。これであれば、連戦や長期戦でさえなかれば十分に戦力になりえるだろう。

 セイバーはここまでの試合で澪の実力を十二分に把握できた。ゆえに彼と澪が戦う必然性は無い。加えて澪は疲労困憊だ。これ以上の試合は無理であるように思えたが、一応セイバーは尋ねた。

 

「ミオ、私との試合だが、どうする?」

「パスするわ。……正直、体力の限界よ」

 

 澪はいつのまにか同一化を解いていた。同一化には集中力を必要とする。疲弊したことで同一化が解けたのかも知れなかった。

 セイバーも澪の体力は限界であろうことは察することが出来たので、これ以上澪を試合に引き込もうとはしなかった。あの見事な巻き上げが見られただけでも十分だ。これ以上無理をさせる必要などない。

 しかし、あれを見せられてセイバーは生殺しの状態だ。剣を執るものとして、あれを見たとあっては一戦交えたいと考えるのは当然である。いつか機会を見て、再び試合の機会を設けようと密かに考えた。

 それはそれとして、セイバーは士郎に小休止を入れたら稽古を入れると申し入れた。士郎もそれを快諾する。

 そもそもこの試合の事の発端はセイバーの憂さ晴らしである。あの巻き上げを見て大分気分が晴れたが、かえって自分も試合をしたいという気持ちが高まった。士郎とセイバーの運動量は、澪との試合のそれよりもはるかに多い。この一戦で息が上がっているものの、ここでリタイアするような士郎ではない。故に士郎もまたその申し入れを受け入れた。鍛錬とは常に、己の限界に挑み続けることなのである。

 

「士郎とセイバーが稽古を始めるなら、私は昼食の準備を始めておくわ。澪はシャワーでも浴びてきなさいよ。凄い汗よ」

「……ああ、もうそんな時間なんだ。じゃあお言葉に甘えてシャワーを浴びてくるわ。セイバー、士郎さんも疲れているだろうからほどほどにしなさいよ」

「心得た。士郎、そろそろ動けるか?」

「……ああ、もう大丈夫」

 

 士郎はやや澪が名残惜しそうである。士郎からすれば久しぶりにアルトリアに再会したようなものだ。姿形こそ違えど、内面がそれとほぼ同一なのだからそのような錯覚も起こす。積もる話もあるだろう。

 澪はそれを理解しているが、あえて残らなかった。これに依存されては困る。故人は故人であって帰ってこないし、模倣は模倣であって本物足り得ない。同一化魔術によって彼を思い出に浸らせることは容易いが、それは偽者で彼を騙していることには違いないのだ。それは澪の良心が痛む。

 偽者は偽者らしく、潔く消えるのが良い。どう繕おうと体は自身のものなのだ。その溝は埋まりがたく、きっと彼を悲しませるだけなのだ。

 加えて、同一化魔術は模倣人格の心の機微までも再現する。相手への好意や憎悪までもが術者に伝わる。同一化魔術を解けばそれはリセットされるものの、主人格にも影響を及ぼさないとも限らない。というより、影響を及ぼしている。澪は、自分にこれは他人の感情だと言い聞かせないと、彼に変な気持ちを抱かないとも限らないのだ。

 もちろん澪に人のパートナーを取るような趣味は無いし、するつもりもない。澪そのものは士郎に好意はあるものの、それは言わば友人としての好意であって恋愛の情などでは決して無い。だが、アーサー王はその限りではない。あまりその人格を模倣し続けると、模倣人格の強い思いは主人格にも影響を及ぼす。澪とて、自分の心の在り処がわからなくなることは御免だった。

 士郎は好感の持てる人物であるが、澪にとって恋愛の対象ではない。

 澪は早々とその場から退散し、凛も台所へ向かった。道場には士郎とセイバーだけが残された。

 士郎は大きく深呼吸をして息を整える。その間にセイバーは澪の残していった竹刀を拾い上げ、片手でそれを構える。

 いつもの稽古の風景だ。セイバーと士郎の稽古はいつも模擬戦闘によってのみ行われる。

 士郎が打ち込み、それをセイバーが捌いて反撃を叩き込む。言わずもがな、セイバーは同一化魔術を行った澪よりも強い。心技体のうち欠けている部分など存在しない。体力と筋力の無さにつけこむ必要など無く、あっさりと彼女を打倒することだろう。だが、さすがに宝具を持てば話は違ってくるかも知れない。強力な宝具であれば体力と筋力の不足など物ともせずに実力差を覆すかも知れない。そういう意味では、士郎と澪の組み合わせは強力だ。

 しかし通常の状態であれば、セイバーは今この屋敷に居る誰よりも強い。士郎がいくら打ち込もうとも、セイバーはそれを軽々といなしつつ、アドバイスを与えていた。

 時折セイバーも舌を巻くような動きを士郎は見せるものの、終始セイバーのペースである。しかしそれでも果敢に攻め立てる士郎もまた特筆に価する。

 先述したように二刀流は防御に秀でたスタイルだ。セイバーの剣戟を完全に防ぐことは出来ずとも、士郎はその剣戟の幾つかを確実に防いでいた。その防御率は日ごとに増している。対応しきれない一撃にも、次の日には対応しきってみせている。この成長率はセイバーを驚かせた。ゆえにセイバーもまた熱心に剣を教えているのである。

 セイバーは興味を持った。何が彼をここまで駆り立てるのだろう。

 夢や目標を持った人間は強い。それを直向きに追うことが出来るから、驚くほどの成長を見せる。セイバーは彼の内面を知りたいと思った。

 士郎の畳み掛けるような攻撃を捌きながらセイバーは問うた。

 

「士郎、何故強くなりたい?」

「正義の味方になるためだ!」

 

 しまった、と思ったときには遅かった。この話題をしないことは澪に止められていたはずなのに、こう答えが返ってくることは判りきっていたははずなのに、セイバーはつい尋ねてしまった。好奇心は猫をも殺す。そして一度聞いてしまえば、もはやそれを止める術はセイバーには無かった。

 

「何故正義の味方を目指す!」

「憧れたからだ! 親父のような正義の味方になりたいと思ったからだ!」

 

 士郎もまた、激しい動きをしながらであるというのに力強い声で答えた。その言葉には確かに信念が宿っている。

 ――ああ、これはいけない。これ以上はいけない。

 セイバーとてこれ以上の問答は争いしか生まないであろうことは理解している。きっと自分が激するだろうと理解している。

 しかしセイバーは止まらない。否、止められない。士郎の一撃を叩き落し、返す刃で反撃を放ちながらさらに問う。

 

「シロウ、貴方の最初の感情は正義の味方になることか! 正義を行うことか!」

 

 セイバーは、違うと言って欲しかった。彼の求めた答えは、何か成したいものを成した結果が、あるいはその一般的な名称が正義の味方であると言って欲しかった。

 決して、正義を成すために正義を為しているなどと応えて欲しくなかった。

 

「そうだ!」

 

 セイバーはもはや、抑えが利かないだろうことは十分に理解できた。

 正義とは、成そうとして為すものではない。決してそうであってはならない。それは欺瞞だ、自己満足だ、偽善だ。

 正義とは、何かを成した結果、他者からそう称されるべきものなのだ。成すべきことを為して、その結果に付随すべきものなのだ。

 決してそれが目標であってはならない。両者は周囲に与える結果が同じでも、その本質は根本的に違う。正義を為そうとして為しているのと、誰かを助けたいと思ってそれを為し、結果としてそれが正義であったというのではまったく異なるのだ。

 セイバーも理性では、士郎は単にその区別がついていないだけであろうことは理解できた。士郎が正義の味方を騙りたいがために正義を為しているわけでは無いことは理解している。

 しかし、これは以前から感じていたことなのだ。士郎はおそらくこの両者に違いを見出せていない。正義の在り処はこの問いの先にしか存在しえないのだ。

 士郎は誰かの恩人になりたいのか。士郎は誰かを助けたいのか。この二つは同じようで全く違う。

 前者は、正義の衣を被った欺瞞でしかなかろう。後者は、その先に正義が存在しよう。

 判っている。士郎は後者の人であると。しかし、これを混在したまま、ただ正義を掲げていたのではいけないのだ。

 それでは――かつての自分と同じではないか!

 

 自分と同じ過ちを士郎に起こさせないために、セイバーは士郎の竹刀を叩き折る勢いで打つ。今までとあまりに違う威力の一撃に士郎は思わずそれを叩き落とされる。そして士郎がそれを拾うことを、セイバーは許さなかった。自身の竹刀を放り捨て、それを顕現させる。

 

「シロウ――ここより先は、真剣稽古だ。抜け」

 

 セイバーは怒り狂っているような、悲しんでいるような、複雑な表情でそれを突きつけた。

 

 それは『絶世の名剣(デュランダル)』。決して折れることのない不滅の剣。大理石をも断ち切る無類の鋭さ。黄金をあしらい、柄に聖人の骨や聖骸布を入れたそれは今はその切っ先を士郎に向けていた。


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