Fate/Next   作:真澄 十

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Act.34 誰がため

 汗でべた付く肌に、冷たい水が気持ち良い。

 全身が普段しないような運動で悲鳴をあげ、気だるささえも覚えるが、意外と気分はすがすがしいものだった。適度というには、少々私のスペックをオーバーした運動量であっけれど、こうやって冷たい水で汗を流せば不思議と気分は晴れやかだ。

 とりあえず顔を洗ったものの、まだ体がべた付いて気持ちが悪い。早くシャワーで体を洗い流したいものだ。汗臭い女性が好きな人も居ないだろう。

 着替えを洗面所に持ち込んで、服を脱ごうとしたところで誰かが入ってきた。あわや覗きかと思ったが、男性陣はまだ道場に残っている。鏡越しに確認すれば、やはり遠坂さんだった。こちらがすでに風呂に入っただろうと思い、顔を洗いにきたとみえる。

 シャワーを浴びるには至らないだろうが、遠坂さんとて運動をすれば顔を洗いたいであろう。快く体をよけて洗面台の前を開けることにする。

 狭い空きスペースで苦労しいしい服を脱いでいると、顔を拭いていた遠坂さんから不意に言葉がかかってきた。

 

「あの技のことなんだけど」

「あの技? ……ああ、『巻き上げ』のこと?」

「名前は知らないけど、そういうニュアンスのやつね。

 思ったんだけれどね。西洋の剣術って、剣の重みを利用して相手を叩き伏せることが基本的な骨子なわけじゃない? あの技――巻き上げはそういうのとは別物だと思うのよ。語弊を恐れずに言ってしまえば、アーサー王の技というにはちょっと違和感があるのよね」

「ああ、なるほど」

 

 遠坂さんの言うことはもっともである。

 指摘のように、西洋の剣術は日本のそれとは違って剣の重みによって相手を叩き伏せることに終止する。技が存在しないというわけではないが、基本的に力頼みの剣術だ。“切る”という概念も正確ではなく、その重い刀身を力任せに相手に叩きつけることで“引きちぎる”というのが正しい。16世紀を越えたあたりから金属の精錬技術が発達したあたりから、一般にレイピアと呼ばれるものが主流になり、技を主軸においた剣術になるのだが、アーサー王の時代は5世紀から6世紀の間である。基本的に技というものは二の次で、とにかく相手を容赦なく打ちのめすための剣が主流である。この時代において、基本的に剣は鈍器と大差ないのだ。エクスカリバーやカリバーン、あるいはデュランダルのような特殊な例外はあるものの、基本的に西洋の剣とは鈍らである。

 つまり小手先の業を頼みとするような剣術ではない。『巻き上げ』を行ったことに違和感を覚えるのは当然のことだ。良くも悪くも、剣道の鮮やかで流麗な一撃ではなく、獅子のように打ちのめし王のように君臨する剣なのだ。

 

「同一化を行った人格を模倣人格、私本来の人格を主人格とするわよ。

 模倣人格で行えることが、必ずしも主人格で実行できるわけではないのは理解してもらえるわよね? 今私が『巻き上げ』を実行できるか、といえば無理だと返さざるを得ないように。だけど、全てが無理というわけじゃないわ。例えば主人格の知らない知識をも法人格が持っていたとして、それを主人格に引き渡すことは十分に可能よ」

 

 そもそも模倣人格は主人格が模倣することで行われる。ここでの模倣とは、記憶や理念という精神や魂と表現しても構わないようなものまで及ぶ。その情報をもとに主人格内に模倣人格を生成するのだ。模倣人格を生成する前段階で、その人物のあらゆる情報は主人格に公開されている。それを私が自分の記憶に留めるのは、英単語を覚えることよりも簡単に出来てしまうのだ。

 

「それは逆も然り。模倣人格は模倣されるとき、状況認識に齟齬が発生しないように主人格から情報を受け取るの。

 昔ね、高校の授業で柔道と剣道を習ったことあるの。剣道の授業のとき、近所の道場の師範が指南してくれたのよ。遠坂さん、剣道のルールは知っている?」

 

 遠坂さんはかぶりを振って否定した。実のところ私もよくは知らないのだが、少しかじった分だけ遠坂さんよりも詳しいはずだ。少なくとも調べればすぐに分かる程度の知識は持ち合わせている。

 さすがに大まかなルールは知っているだろうから、要点となる部分だけを説明することにした。

 

「例えば、打ち合いの末に相手の竹刀を叩き落したとするじゃない? このとき、どちらかに反則が問われるのだけれど、どちらだと思う?」

「……叩き落したほう?」

 

 予想通りの答えだった。

 剣道の基本理念は、『相手と公正明大に戦う』ことであろうことは、剣道の経験が無くとも分かるだろう。それを考えたとき、相手の竹刀を打ち落とすことはそれに欠くとして、叩き落した側に反則を問うべきだろうと考える。

 反則二つで一本となる。つまり積極的に相手の竹刀を叩き落すことを狙うべきであるという戦術になり、それは正々堂々とした戦いからかけ離れるだろう。

 だが、実際はそうではない。

 

「叩き落されたほうに反則が入るの。竹刀を粉砕する勢いで打ち込んだのなら叩き落した側だろうけれどね。

 例えば試合中に手が滑って剣を落とすとするじゃない? そうしたとき、試合は一度中断せざるを得ないわけ。そうなると、まずい状況に陥りそうになったときに自分から竹刀を落とすことも許されるということになるから、落とした側に反則が入る。

 それを狙った技が存在するということを師範が生徒に教えるために、一度実演したことがあるの。それを私が覚えていて、その記憶をもとにアーサー王の人格で再現する。

 私に剣の心得が無いから、主人格では実現不可能。だけど模倣人格はその限りじゃない。西洋の剣術といえど、アーサー王ほどになれば卓越した剣技を誇るわ。十分に実行可能よ」

 

 実際のところ巻上げも歓迎される技ではない。剣道の基本理念は公正明大な打ち合い。相手を無力化する技が歓迎されるはずもないのだが、それでも確かに存在する技だ。

 そもそも試合の中で、相手が故意に竹刀を打ち落としたかどうかなど確認不可能だ。明らかに剣だけを狙って打っていても、相手の剣先を払うために打ち込み前に相手の竹刀を打つことは既に確立した戦術だ。それとの差異など分かるはずがない。巻き上げとてその例外ではなく、単に竹刀を払っただけなのか事実上確認不可能なのだ。傍から見て明らかに故意だとしても、本人が否定すればそれまでである。単に竹刀同士がもつれたようにしか見えないからだ。

 こういう事情も加味され、竹刀は落とした側がほぼ確実に反則を取られる。

 この技はあまりに鮮烈で、記憶に染み付いていた。あの技を見ると二度と忘れられないだろう。ただ打つだけの剣道が一転し、敵対する剣客の竹刀が宙を舞う光景は衝撃的だ。

 その経験が功を奏し、士郎さんの竹刀をもぎ取って転倒させ、勝利を収めたのだ。

 

「同一化魔術、やっぱり凄まじいわね。使いどころはかなり難しいみたいだけれど、使える状況ではかなりの威力を発揮する。まさしく切り札ってところね」

「そんな大層なものじゃないでしょ。大体、切り札は場に出されると必ず切られるのよ。使い捨てもいいところじゃない。人間に使う言葉じゃないわよ」

 

 遠坂さんはくすりと笑った。

 

「そうかもね。……ところで、その下着。私のなんだけど」

「……あれ、本当だ。ごめん、遠坂さん。畳まれた洗濯物の山から持ってきたんだけれど、間違えたみたい」

「いいわよ。澪の下着を持ってきてあげるから先に入っておきなさい。ここに置いておけばいいでしょ?」

「ありがと。じゃあお言葉に甘えて」

 

 うっかりしていた。

 男性陣――といっても洗濯が必要なのは士郎さんだけだが――と分けて洗濯していて、今朝遠坂さんが女性陣の洗濯ものを綺麗に畳んで置いてあった山から持ってきたのだが、間違えて遠坂さんのものを持ってきてしまった。それも上下セットで遠坂さんのものを。いくら普段しない運動で息が上がっているといっても、これは呆けすぎだろう。乳酸が脳にまで達したか。

 今後は、体を鍛えることを主眼において運動することも必要かも知れない。そんなことをぼんやり考えながら風呂場のガラス張りのドアを開けた。

 

 浴槽には湯を張っていない。浴びるのはシャワーだ。とりあえず必要ない。

 とりあえず体を流すことにする。ただ湯を浴びるだけでも良いのだが、やはり臭いが気になるのできちんと洗い流すことにする。汗を吸った髪を放置したくない。

シャワーヘッドから出る湯の温度を確かめて、頭からそれを浴びる。全身の汗が一気に流れていく感覚が心地良い。

 先ほどは水で顔を流すだけだったが、泡立てた石鹸で顔を洗えば、隅々まで汚れが落とされていくようで、実に清清しい。

 体を洗う順番など、どうでも良いことだろう。だが個々人にとって固有のプロセスが存在する。私はまず顔を洗い、次に髪を洗い、最後に体を洗う。化粧もほとんどしないからクレンジングオイルも必要ない。これでも一応は魔術師なのだ。魔術とは金喰い虫である。化粧品に資金を割く余裕があれば、服に回してしまうのが実情だ。

 次は髪を洗おう。シャンプーやコンディショナー、トリートメントなどは各人の髪質に合ったものを使うべきだ。いくらコンディショナーやトリートメントを使っても髪が痛む人は、市販のそれに入っている薬剤が合わない可能性が高い。ゆえに、遠坂さんと私のそれらは個人用のものが置かれてある。私のものは家から持ち込んだ。

 

 シャンプーを適量手に取る。ボトルを定位置に戻そうとして、いつもとボトルの色が違うことに気がついた。普段よりもずっと高級そうなボトルだ。

 ――あれ、これ遠坂さんのだ。

 しまった。また間違えた。どういうわけか、何の疑いもなく自分のものだと思って手にとってしまった。ちょっと遠坂さんのシャンプーがどんなものか興味があるな、とは思ったが、無意識に手が伸びてしまっていた。

 だが出してしまったものはどうしようもない。まさか戻すわけにもいかない。

 シャンプーだけはちょっとだけ拝借しよう。この高級そうなそれで髪が痛むとは思えないが、仮に痛んだら甘んじて受け入れるしかあるまい。

 もしも髪がつやつやにでもなったのなら、喜んで同じものを買おう。

 

 髪の汚れをシャンプーで落とし、コンデジショナーでケアをする。トリートメントはいいだろう。体もきっちりと洗い流す。

 

 じっと鏡に写った自分を見つめる。

 ちょっと体調でも悪いのかな。先ほどの下着を間違えたことといい、ちょっとおかしい。

 頭に手を置いてみたものの、浴場の中でそれが分かるはずもない。鏡に映る自分の顔色は健康そのものだ。

 だけどやっぱり、体調が悪いとしか思えなかった。

風邪をひいたときに風呂に入るべきか否かは定かではないけれど、湯冷めさえしなければ大丈夫だ。だったら湯を張ればよかったと後悔もするが、湯が沸くのを待つ間に汗で体が冷えるだろうから仕方がない。

 シャワーで体を念入りに温めてから、風呂場を後にした。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 士郎は、真剣稽古という言葉が真剣“に”稽古をするという意味ではないだろうことは、突きつけられた剣先で理解できた。真剣“で”稽古をするということだ。

 確かに真剣で稽古をするということは決して無い話ではない。居合道などは最終的に真剣で稽古をする。また、活人剣ではなく殺人剣として継承されてきた剣術などは有段者同士になると真剣で打ち合うことも確かにある。

 だが、目の前のセイバーの気合は、それらとは一線を画すものであろうことは想像に難くない。

 隙あらば殺す。抜かねば殺す。

 セイバーの目と剣先は、口よりも雄弁にそれを語っていた。セイバーの本意がその限りでないとしても、その充実した殺気は、セイバーの怒りを吸い上げて膨れていた。

 

「抜け。我ら剣客が語るには、言葉だけでは足らん。剣とは力と意思の象徴だ。

 ゆえに、私はシロウを剣にて試す。その力と意思を。それすら出来んというのであれば、ここで斬り捨てるほうが、きっと世のためだ。

 抜け、シロウ。抜かねば斬る」

 

 セイバーは理解していた。士郎の剣製は、自分の心を形にすることである。それすなわち、意思の具現。

 そしてセイバーもまた、己の意思を剣に託した騎士なのだ。

 剣心一如。剣とは人であり、剣とは心である。剣は心によって振るわれ、即ち剣とは心であり、心とは剣なのだ。剣の筋を問えば、それは人の心を覗くに他ならない。

 ゆえに、剣客同士が真に語り合うには、一振りの剣同士が交われば事足りる。その役目に竹刀では足りない。鎬を削りあう戦いにこそ、心が宿るのだ。

 

 士郎は両手に剣を投影した。干将莫耶、二振りの中華剣である。

 もとよりセイバーの剣戟を一刀で防ぎきることは至難だ。それを為すには二刀を要する。いや、二刀でも足りるかどうか。

 セイバーが本気で殺しにかかれば、士郎に勝ち目は果たしてあるのか。固有結界でも発動すれば勝機はあろう。だがそれを許すセイバーか。こちらの無二の技を知っている以上、それを封じる手立てを講じるに違いない。詠唱を許すつもりなど毛頭ないだろう。

 加えて士郎は、竹刀同士の打ち合いで、一度もセイバーに有効打を浴びせたことが無いのだ。のみならず、セイバーの迅雷の如き剣戟を捌ききったことすら無い。

 

 厄介ごとはまだある。セイバーの左腕は盾によって守られていた。

 盾とは実に難儀な代物である。それが在るというだけで、こちらの剣筋がかなり限定される。盾ごと切り裂くことも出来ないではないが、盾を切り裂くために要したコンマ一秒以下の剣速の落ち込みを利用し、迅雷の剣で切り裂かれるだろう。強固な盾に身を隠した相手はそれだけで厄介な相手だ。

 しかしそれは、それを持つ相手にとっても不利に働く。盾を構えた側から剣を放つことが難しくなる。大盾ではないにしろ、その重さも無視できない。

 しかしそれを覆してこそ剣の英雄。セイバーにとって、そんなことは些細なことである。

 ゆえにセイバーは強敵なのだ。聖騎士(パラディン)ローランは、数万の敵兵を前にしてなお、無傷で戦い抜く無敗の騎士なのだ。

 

 両者はにらみ合う。静かに、しかしながら士郎は自分の鼓動の音でかき乱される。

 剣先が触れ合うこともない。相手の剣を払って出方を伺うような真似をしなくとも、互いに互いの剣は知っている。知り尽くした互いの剣だからこそ、両者は無闇に踊りかかるようなことをしなかった。

 士郎は相手の一挙手一投足を油断なく視界に収める。集中を欠いた終わりだ。あの軽い片手剣から放たれる一撃は、重くはないがその鋭さは部類のものであり、速さにおいては誰の後塵を拝することも無いだろうという、絶世の名剣(デュランダル)なのだ。

 士朗は、かつてその剣を英雄王(ギルガメッシュ)の貯蔵から垣間見た。あれは原典であるが、ほとんど変化はない。その真価も知っている。

 デュランダルは真名開放をして放つ一撃必殺の類は持ち合わせない。あるのは、「絶対に折れず、曲がらず、欠けない」という不変性と、「持ち主がどうなっても、切れ味が落ちることはない」という不滅性だけだ。

 決して一撃必殺にはなりえない。だが、その剣が白兵戦においてどれほど脅威か。

 あのエクスカリバーやカリバーンですら折れ得るのだ。現にカリバーンは一度折れている。絶対に折れず、曲がらず、欠けず、切れ味を絶対に落とさない剣がどれほど頼もしいことか。

 加えて、あの大理石すらも断ち切ってみせる切れ味だ。よほどの業物でなければ、鉄すらも容易に断ち切るだろう。剣製の精度を落とせば、剣の刀身ごと切り裂かれるのは自明の理である。

 

 しかし――勝ってしかるのちに戦う。セイバーに叶わぬとしても、気だけは負けないように、その丹田から出る気炎を全身に滾らせた。

 

 先に動いたのはセイバーだった。一息に距離を詰め、脳天を叩き割らんと剣を振り下ろす。その速度は、まさしく人を殺めようとするそれだ。

 士朗はその剣を、二刀を交差させて受け止めた。鍔の無い干将莫耶だ。一刀だけで鍔迫り合えば指を落とされる。

 そのままセイバーは片手の膂力だけで、士朗と拮抗した。

至近でにらみ合ったまま、セイバーは士朗に言った。

 

「いつ見ても、投影魔術――いや、無限の剣製か。この力は目を見張る。

 偽の剣であってもここまで鍛え上げればそれは本物だろう。偽が本物を越えられぬ道理はない。借り物の信念でも、貫けば本物だろう。

 だが偽の正義を貫いたところで、本物には成れん!」

「偽だと……!」

 

 果たして、剣にも士朗の同様が伝播したのか。デュランダルの刀身が、干将莫耶の刀身に徐々に飲み込まれる。生半可な投影では、この鋭さを止めるには役不足だ。

 士朗の投影とは、士朗の心の具現である。心が揺らげば、剣は強度と鋭さを失う。

 セイバーの言葉は士朗の心を揺るがすに余りあるものだった。

 半ば以上刀身が食い込んできたところで、士朗は干将莫耶を捨てつつ大きく飛び下がる。傷つけられた一対を棄却し、すぐさま新たな一対をその手に投影した。今度は先ほどよりも硬度を維持できるよう、心を平静に保とうとする。

 

 油断なく剣を構えたまま、セイバーは再び吼えた。

 

「そうだ、偽善だ! 正義を成そうとして成す正義など偽善! あるいは欺瞞!

 いいか士朗。正義を掲げて何かを為せば、己が正義だと自称すれば、須らく偽善や独善の類!

 これを貫いても、決して本物になどなれん! 最後には逃げ道があるからだ! 自分のために正義を行っているのだから、自分が天秤に乗ればあっさりと身を引く!

 澪も言ったぞ。正義とは、誰かのために自分を犠牲に出来る人ではないかと。そんな考えでそれが成せるのかッ!」

 

 無論、セイバーとて士朗が自身を犠牲にし、中東で奮闘していたことは知っている。知っていてなお、問いかけざるを得ない。

 少なくとも、士朗は自分の命が本当に危険に晒されてはいるわけではない。自身の命を削ってはいるだろう。過度な魔術行使によって体には変調をきたしている。

 だが、それによってカタルシスを得る人種も存在する。自身を哀れみ、大儀のために自身を投げ打つ哀れな存在として自身を祀り上げ、自慰に耽る者も存在する。

 セイバーは、そこまで士朗の内面を理解しているわけではない。それは、そういった俗物と士朗は違うと断じられないということだ。

 そうであって欲しくないと願っている。士朗の剣は真っ直ぐだ。そんな邪な思いを内面に孕んでいるなどと思いたくは無い。

 だが、そうでないとも言い切れないのも現実なのだ。果たして士朗は、必至に誰かを助けるためなのか、それともそうすることで自慰に耽る邪なのか否や。

 それを問うための剣戟なのだ。

 

 先ほどよりも早く鋭い。狙いは手元。手首より先を切り落とさんとする剃刀のような一撃。

 その一撃を士朗は叩き落し、空いたセイバーの胴に向かって剣を放つ。だが、その間合いの狭さゆえ、セイバーは一歩身を引いただけで難なくそれをかわした。

 セイバーは振り抜いた士朗の隙を許さず、反撃を放つ。今度は相手に反撃を許さない、息をつく暇さえない怒涛の連撃。士朗は既に、反撃など出来る余裕を奪われていた。こえほどの速度で放たれる一撃一撃が全て必殺足りえる。防御に徹しなければ命はない。

 幾度も剣を弾かれるが、その度に新しいものを投影する。先ほどよりも硬く鋭く幻想を結ぼうとするのだが、徐々に剣がもつ鋭さは失われていく。結果として剣を砕かれ、新たに剣を投影する必要があるという悪循環に陥る。

 剣と剣がぶつかる音。その甲高い音に負けないように、セイバーは声をあげた。

 

「貫いた正義は尊い! だが、貫いた偽善は巨悪だ!

 正義を求める心は人として正しい。だが、それを掲げて何かを成せば、他の正義を許せなくなる!

 問う。シロウが今まで手にかけた者は、果たして悪であったのか!」

「――ッ!」

 

 違う、とは即答できなかった。

 少なくとも、何の関係のない者を巻き込むような事をしたことは無い。その点で、エミヤシロウと衛宮士朗は別物であると断じることが出来る。

 だが、自分が手にかけたものが果たして悪かと問われれば、士朗は閉口せざるを得ない。

 悪だとは思う。許すことの出来ない外道だったと思う。

 だけど、それは自分が見てそう思っただけだ。よくよく考えれば、その人物のことの何を知っていたのだろう。

 間違いなく巨悪だった、と思う。切捨てなければ、多くの涙が流れ、それよりも多くの死体が転がるような事態ばかりだった。

 だけど、それは自分と何が違うというのだろう。

 戦場という戦場、紛争という紛争に首を突っ込み、裏世界の厄介ごとにも手を出す。それは、他者から見れば戦闘狂の何者でもない。ただただ血に飢えた獣にしか見えない。

 だからこそエミヤシロウは絞首台へ送られるのだ。

 自分と、今まで斬って捨てたものに違いがあるのか。ある、と断じられるほど士朗は彼らを知らない。

 

 国際的なテロリストを秘密裏に註を下したこともある。果たして彼は、世界を統合し平和をもたらすために戦っていたのではないのか。手段は間違っていたかも知れないが、その理念が本物であったなら、分かり合うことは出来なかったのか。

 世界を混乱に陥れえる魔術師を斃したこともある。果たして彼は、世界の平和を希求し、新たな秩序を敷こうしただけでないのか。手段は不穏であったかも知れないが、その術式を吟味していたなら、手を貸すに足るものではなかったのか。

 士朗は分からなかった。ただ、正義をなして平和をもたらさなければならないという一念によって、それを忠実に実行してきた。

 だが、士朗は彼らが本当に悪かどうか、深く考えることはなかった。深く考えずとも、明らかに悪であると思ったからだ。許せない存在だったからだ。日を見るより明らかな邪悪であったからだ。

 疑わなかった。彼らが悪であると。自分が正義なのだから。自分は正義を為している筈だから。自分の信念と大きく違えるものは、悪に間違いないのだから。

 本当か? 少しでも彼らの言葉に耳を傾けたのであれば、分かり合えなかったか? 彼らは状況から、そうせざるを得なかっただけではないのか?

 

 もはや何本目か分からない干将莫耶が、セイバーの一撃によって再び砕かれた。

 

「各人が己の正義を持つ! 時にそれは相反し、戦いを産む!

 私がそうだった! 彼らの言葉に耳を傾けていれば、あの血戦は避けられたのだ!」

 

 人間は、結局主観的にしかものを見ることが出来ない。いくら客観的になろうとしても、それは主観によって客観的な判断をしているに過ぎない。

 つまり、自分の考えによって相手の評価は一変する。

 本当に憎い相手が何をしようと、いくら善行を積み立てていたとしても、きっとそれを認めないだろう。本当に憎しみに囚われたとき、その矛先がかつて愛した人であったとしても、あなたはその愛を認めないだろう。

 ローランの後悔はまさにそれだ。

 正義という大儀によって盲目になり、相手の言葉を聞こうとしなかった。同じ人間であるというのに、その存在を悪鬼か何かであるとばかりに切り捨てた。

 聖杯戦争に呼ばれた以上、サーヴァント同士は戦わざるを得ない。それは避けえないだろう。アーチャーと初めて邂逅したときのように、せめて撤退してくれと懇願することしか出来ない。

 だがランスヴォーの血戦は違うのだ。あれは、自分だけでも相手を信じていれば、避けえたのだ。相手が戦う理由を知っていれば、避けえたのだ。

 だからこそ――セイバーはその血戦の仕切りなおしを願ったのだ。友の死もまた重大な要因であることは間違いない。彼が自らの過ちに気付けたのは友人であるオリヴィエのおかげなのだ。

 だが、本当の思いは、自らの過ちを正したいという一念なのだ。

 

 ――私はあの戦いのやり直しをしたい。せめて友だけでも生き残る道があった筈だ。

 かつてセイバーはそう言った。それ即ち、あの戦いの回避。オリヴィエが生き残る道とは即ちあの戦いの回避に他ならない。

 もしあの戦いをやり直させてくれるのであれば、踊りかからんとする自軍を抑え込み、切りかからんとする敵軍を留め、互いに理解を深めるため話し合いたいのだ。

 そうすれば、何も手元に残らなかった自分だが、せめて砂の一粒ほどの何かを残せるかも知れないのだ。

 

 だがそれは叶わないと知った。ならばせめて――自分のような過ちを犯す者が現れないよう、死力を尽くすのみ。

 

 だから実のところ、セイバーに士朗を手にかける気などない。だが同時に、その殺意は本物だ。

 士朗を諭すべきだという理性と、その姿にかつての自分が重なった結果、その過ちは許せないという激情が混ざり合う。その結果、セイバーは憤怒とも悲壮とも取れる、もはやわけの分からない表情のまま、ただ遮二無二剣を振るう。

 この段に至って、セイバーは泣いていた。

 

「その思いの果てには……シロウの過ちの果てには……何も無い!

 正義を掲げて何かを成した愚か者の行く末は虚無だ! シロウもそうなるつもりなのか! この私のようになるつもりか!

 何故――何故自分の正義を疑わない!? 何故他者の正義を認めない!?

 それこそが――この世の悪の根源なのだ!」

 

 違う、と士郎は声をあげて否定したかった。自分はそうじゃない。

だが声はあがらなかった。

 士郎はかつてエミヤシロウに言った。自分は、選んだ道に後悔など抱かないと。

 それ即ち、自身を疑わないことである。選んだ道が絶対に正しいと妄信することの宣誓である。

 それが悪いとは限らない。むしろその直向な在り方は尊いものだ。

 だが、その行く先を間違えたとき、それは愚かさに変わる。自分の行く先が既に違えていることに気付けない。だからこそ士郎はエミヤシロウになる運命を持つのだ。

 そしてそうなったとき、それは他者の正義を認めようとしない。それを認めれば、自分が正義でなくなってしまうかも知れないから。正義であろうとして正義を成せば、その正義を否定されないがため、他の正義を駆逐することになる。

 その結果が血戦――十字遠征、『再征服運動(レコンキスタ)』なのだ。

 

「それでも――俺は親父のようにならなくちゃいけない!」

「その親父は、「正義」を騙るためにシロウを助けたのかッ!」

 

 セイバーの怒号。

 「違う」と士郎はあらん限りの力で否定した。切嗣はそのような考えで自分を助けたのではない。誰かの恩人になるために自分を助けたわけじゃない。

 そうだとしたら、あの表情に説明がつかない。あの、生き残ってくれて良かったと言わんばかりの顔の裏に、そのような考えがある筈が無い。

 

「ならば何故、シロウは父親を目指さない! 正義を為すためにシロウを助けたのでないのなら、シロウを救いたくてそれを為したならば、何故シロウはそれと違う道を進む!」

 

 それが正義の味方に見えたからか。正義の尊さだけに目がくらみ、それを手にしたいと願ったからか。正義の尊さだけを見せ付けられ、それに憧れた。だから順序が入れ替わってしまったのか。

 考えれば、士郎は切嗣のこともよく知らない。切嗣は、正義の味方を目指していたと言った。それはどういう意味だったのか、未だ分からない。だが、今なら分かる気がする。

 正義を掲げてそれを目指すことが出来るのは、子供までなのだ。いずれ気がつかなければいけない。正義を掲げて何かを為すことは許されないのだ。決してその言葉は、現実と折り合いをつけた諦観ではない。

 切嗣は気がついた。正義を称することは出来ない。何かを為し、結果として正義を残すことしか許されないのだ。だから切嗣は、正義の味方を目指すことを諦め、人のために戦おうとしたに違いないのだ。そこに正義など無い。それは後より付随するものだ。付随してこずとも、それで良い。自分が為したいことを為したのだから。ゆえにそれは正義の味方ではないのだ。正義のためではなく、己のために戦っているのだから。

 

 セイバーの剣戟は一層鋭さを増す。

 もはや、常人にはその閃光だけしか見えないだろう。だが、士郎はかろうじてそれに追いすがった。

 

「ありがとな、セイバー。何だかんだで、俺のこと心配してくれているのか」

 

 セイバーは無言のまま、剣を振るい続けた。

 そして気付く。士郎の投影する剣に、わずかながら鋭さと硬さが戻っているのを。

 

 士郎は誰にも聞こえないような声量で呟いた。

 ――体は剣で出来ている。

 どこで道を踏み違えたのか知らない。確かに自分は、どこか壊れているのだろう。

 だが剣として正常である。剣は誰かを守るために振るわれるべきなのだ。ゆえに士郎もまた一振りの剣。覇を成すための剣ではなく、誰かを守るための護剣なのだ。

 護剣が正義を称することを誰が許そうか。それは誰かを切り捨てるための刃ではなく、自分の後ろに居るものを護るための剣なのだ。

 

「確かに間違えていたのかも知れない。正義を自称するやつなんか、傲慢以外の何者でもないのかも知れない」

 

 士郎は確かに間違えていた。いや、それは正確ではない。

 混合していた。

 偽善と正義を。自分の中にある偽善と、本当の正義を。

 貫いた信念に付随してきた僅かな、そして致命的な誤謬。

 正義を求めること、即ち悪を希求すること。正義とは悪がなければ定義できない。だから正義たらんとする心は、悪という存在を求めることに他ならない。

 しかしその両者が自分の中にあるのだと知った今、士郎はそれを認めた。認めたうえで言った。

 

「だけど俺はこの道を進む! やり抜かなければ嘘だ! やることは何一つ変わらない!」

 

 変わったのは認識。それも、ほんの少し、他者から見れば違いなど見られないような小さな変化。

 だが、その小さな変化にこそ、真の正義があるのだ。

 

「俺は誰かのためにこの命を使う! 他でもない、俺がそうしたいんだ!」

 

 何のために生まれて、何をして喜ぶ。

 その答えが、一つ見つかった気がした。

 今までは、そうならなくてはならないという脅迫概念に突き動かされていただけだ。

 そして正義の味方になるためには、悪が必要なのだ。

 だがこの瞬間、衛宮士郎は悪を求める正義の味方ではなく、誰かのための正義を目指す。他者から見れば本当に些細な違い。混合して表現すべき存在。

 事実、士郎も混合していた。七年前、「正義の味方を目指す」「誰かのためにあるべきだ」と、区別して然るべきものを混合していた。

 

 目指した正義と、誰かのための行い。両者は非常に似通っている。

 だが決定的に異なるのだ。ニアリーイコールでは語れない、根本的な違いがあるのだ。

 士郎が目指すべき誰かのための正義は、まさしく誰かのために戦うのだ。

 為すことは同じでも、両者には根本的な相違があるのだ。それを今、士郎は知ったのだ。

 だからもう、迷うことは何もないのだ。

 正義の味方とは、自分のためではなく、誰かのために戦うことだ。

 正義を掲げるのは易い。だが、その定義を曖昧にしたままでは許されない。

 士郎はその定義を、今得たのだ。

 一貫した他者のための行為。それが、正義である。

 そしてそれさえ判れば、人は誰でも正義となれる。悪などおらずとも、正義は人に宿る。

 正義を求めれば悪を求めなければいけない。

 だが、ただ誰かのためにあろうとしたのであれば、悪など不要。

 ――だから今。士郎は間違いなく正義を手に入れ、正義の味方となったのだ。悪と相対して定義しなければいけないような矮小な存在ではない、あるべき姿なのだ。

 

 いつか、遠坂凛は士郎に言った。

 “それだけ辛い目にあったのなら、喜びもなければ嘘だ”

 喜びは既に手に入れていたのだ。他でもない自分が、そうしたいから為すのだ。それはもはや、そうしなければならないという脅迫観念から脱した、自由で強固な意志だ。

 

 士郎は今、信念に付随してきた誤謬を知り、認識し、それと袂を別った。

 士郎は以降、自分を正義と称することは無いだろう。

 誰かを救い続け、代わりに自分は傷つき、それでもなお止まらないだろう。

 しかし他者は士郎を正義の味方と称する。これが正しい姿だ。

 ――士郎は今、正しく「正義の味方」のなのだ。

 決意は変わらない。信念は揺るがない。ただ、その定義が明確となり、過ちに気付いただけ。

 獅子に巣食う小さな虫を取り除いたとて、それは獅子だ。士郎の信念は微塵も変わらず、しかしそれは一層の輝きを放つ。

 

「よく言った!」

 

 セイバーの上段から振り下ろした一撃を、士郎の干将莫耶は砕かれることも、刀身が食い込むことを許しもせず、完全に受け止めた。

 鎬を削る迫り合い。触れ合う刃と刃からは火花が散った。

 

「ここで自らの信念を曲げるならば、斬り捨てることも辞さないつもりだった! だがシロウは、それでもなお進むことを決意した!」

 

 士郎は稗田阿礼にも同じことを言われたことを思い出した。

 正義の味方を目指すと言ったとき、帰ってきたのは叱責だった。しかし、この力でしか救われない人が居ると言ったとき、こうも言った。

“ならば良し”

 彼女はあのとき既に理解していた。士郎の内面の混在を理解していた。その内面が、仮に偽善しかなかったのであれば、彼女は士郎を切り捨てていたのかも知れない。だが、そうではないと知ったからこそ、彼女は満面の喜びを湛えたのだ。

 

「だから、士郎の剣は本物だ。贋作であろう筈もない。

 シロウ、これより私は、私が持つ最高の技を放つ。それを見事受け、自身の心の硬さを示してみせよ!」

 

 剣心一如。

 士郎が言外に自らの意思の固さを示そうとすれば、それは剣によってでしかない。

 まして士郎の剣は自身の心の具現である。その硬さすなわち心の強さに他ならない。

 ゆえに次の一撃を放つのは、実のところセイバーではなく、士郎自身の心なのだ。士郎の戦いはいつだって自分自身との戦いなのだから。

 

 セイバーは大きく距離を取る。すると唐突に左手の盾の実体を解いた。

 そして空いた左手に現れたのは、一つの角笛だった。

 宝石を埋め込まれ、豪奢な意匠を施した笛。戦闘に使えるとはよほど思えないものだ。

 だが、そこに込められた魔力量が尋常なものではないと告げる。

 

「これは、傲慢な正義の体現だ。……受けてみろ」

 

 セイバーは角笛の吹き口を咥える。そして力の限りそれを吹こうとしたところで、予期せぬ乱入者に見舞われた。

 いや、予期はできた。ただそれに気を遣る余裕がなかっただけである。

 

「止めなさい、セイバーッ!」

 

 道場に殴りこんだ八海山澪は、動きを止めたセイバーに対して必死の形相で駆け寄り、その頬に平手をお見舞いした。


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