Fate/Next   作:真澄 十

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Act.35 木馬

 セイバーは思った。

 それでも、士郎は足を止めることは無いだろう。

 それでいい。ここで足を止めては嘘だ。信念とは、折れず曲がらす、まさしく鋼で打った剣のようなものでなければならない。士郎の信念は、まさしくその性質を備えている。

 自分はただ、それに付随してきた錆の存在を示唆しただけだ。

 「正義を求める心」そのものが間違いである筈がない。正義を自称すればそれは悪だ。その点で譲るつもりなどセイバーには毛頭ない。だが、それでも人は正義を求めるのだ。

 正義であろうとする心は正しい。人は、正義を求めずには生きていけないのだ。

 だが――それでも、自らを絶対の正義と思うようなことがあってはいけないのだ。自らを正義と称してはいけないのだ。

 

 その先に、何も無い。在るのは虚無。後悔に彩られた無のみだ。

 他ならぬセイバー自身がそうなのだ。自らを正義と信じ、我ら以外に正義は無いと信じ、その果てで何もかもを失った。

 だが、そうではない。この世に生きる全ての者が、自らの正義を持つのだ。それに従って全ての人間は生きているのだ。

 時に、その正義と正義は相容れない。他人を蹴落としてでも、盗みを働いてでも生き延びるのが正義と考える人間と、それを正すのが正義と考える人間とでは、相容れるはずが無いのだ。

 前者は、状況と環境がその選択を迫っただけである。それが罪であると知っていても、己が生き残らねばならないとなればそれを破らざるを得ない。それが正しくないと分かっていても、それを選択せねばならない。

 それを正すこと、果たして正義か。誅すこと、果たして正義か。

 人は誰しも正義を求める。しかし、それを選択すること叶わないこともあれば、正義とは各人がその様相を異にする。

 なれば、自らの正義を掲げ、それを以って他者に剣を向けるのが、果たして正義か。

 

 この世に、普遍的な正義など無いのだ。それに気付くが遅すぎた。

 しかし、士郎はまだ若い。気付くのに遅いということはない。

 だから、気付かなければならない。それも、口で言っただけでは、人は真に理解することが出来ない悲しい生き物だ。

 体験しなければ、人は学べないのだ。

 だからこそ、剣を通し、それを体感させねばならない。剣心一如。剣と心は同一ならば、剣を交えることこそ、真に心を交わすことである。

 

 しかし、どこまで士郎が己の心を理解したか。それは士郎にしか分からない。

 言いたいことは山ほどある。伝えたい後悔は海を成す。

 

 ああ――ここはなんて狭い世界なんだ。

 見渡せば、目につくのは争いの歴史。

 皆が皆、己の正義を信じ、他者の正義を認めず、そして世界は戦乱へと墜ちていく。この世で起きる争いは、全てその一点に終始すると言ってもいい。

 なんて単純で、果ての無い。なんて狭い世界なんだ。なんて狭い正義なんだ。

 何故誰もが、自分だけが正しいと信じて疑わない。

 何故誰も、自分以外の正義を理解しようとしない。

 それこそが――それこそが争いの根源であるというのにッ!

 

 誰しもが零すことがあるだろう。

 ――彼の考えていることなんか、分からないし、分かりたくもない。

 ――人殺しの考えることなんか、分からないし、分かりたくもない。

 それこそが――悪なのだッ!

 相手のことを知らない。いや、知ろうとしない心こそが悪なのだ。その心こそが、この世に争いを生み、憎しみを生むのだ。

 そしてその心は、きっと正義を自ら掲げる。自分こそが絶対の正義だからだ。自分の行いが正義であると信じるからこそ、他者の正義を知ることを、不要と断じることが出来る。

 相手を愛すためには、知らなければならない。知らない相手を愛することなどできるはずもない。知らない相手は、それだけで恐れの対象となる。

 そして、愛さなければ、見えないこともあるのだ。愛がなければ、何も見えないのだ。

 愛があれば、相手の行動も好意的に捉えることが出来る。多少のことでは腹も立たないし、何よりその行動の真意を知ろうという心が芽生える。

 愛の代わりに、恐れしかなければ、相手は悪にしか見えないのだ。僅かな行動でも過敏に反応せざるを得ないのだ。

 

 士郎には――そのきらいが在った。

 正義の味方を目指す心は尊い。その尊さを、誰が汚すこと許されようか。その輝きは黄金よりも尊い。

 正義を求めることは尊い。だが、それを掲げれば悪だ。いや、掲げるだけならばいい。

 掲げて、誰かを誅すれば悪だ。自らの正義だけを信じ、誰かを悪と決め付けて処断すれば悪だ。

 それを独善という。

 

 人の子よ、正義を求めよ。しかし、正義を掲げるなかれ。

 人の子よ、正義と成すために正義を行うなかれ。救いを為すために己の心に従い、それを為せ。

 

 正義とは、己の心の中でこそ輝く灯火なのだ。

 それを誰かに強いたとき、それを掲げて何かを成したとき、それは輝きを失う。

 ゆめ、掲げるなかれ。強いるなかれ。

 それを目的とするなかれ。見失うなかれ。

 正義とは、儚い。己のうちにあるうちは正義だが、ひとたび外に出て大気に触れれば、様変わりしてしまう。

 各々がそれを持ち、それに従って生きれば良い。ときに分かり合えぬこともあるだろう。しかし、それを認めることだ。胸に秘めているうちはそれが出来る。

掲げれば、強いれば、己が掲げた正義に縛られる。

 信念は炎に、義務は鎖に似ている。胸に秘めているうちは信念だが、それを掲げたとき、それは「そう在らねばならない」という義務に変じ、鎖となる。

 士郎はまさにそうだ。己の信念を持つにも関わらず、それを己の唯一と掲げたばかりに、それに縛られる存在となり果てている。

 そしてその鎖に操られるがまま、悪を討つ一個の機械とならざるを得なくなるのだ。

 加えてその鎖に操られるがまま、自らの正義に反するものを正す機械とならざるを得なくなる。

 

 自分を正義と称するなかれ。正義とは、誰かを現すための三人称でなくてはならない。

 そう在ろうとすることは正しい。しかし称するな。

 そう在ろうとすることは正しい。しかしそう在ることが目的であってはならない。

 正義を求める姿こそ、正しく正義なのだ。自らを正義と称することは、即ち自分を完成した正義と称することに他ならず、完成した正義は正義ではない。

 しかしそう在ることを目的とすれば、それは正義に囚われた亡者だ。自らの正義に囚われれば、それを信じぬくことが難しい。

 正義とは名称、あるいは称号。それを求めるものには決して与えられることがなく、それゆえ尊い。それはいかなる場合にも目的に成りえず、そして手段にもならない。

 不変の輝きは、それを求め、それで何かを為そうとする者には、決して与えられないのだ。

 

 士郎は、それをどこか深い部分でそれを知っているのだろう。このままの自分では、決してそうは成れないことを知っている。

 だからこそ悩む。もしかすると、この道を選んだことをいずれ後悔するようになるかも知れない。

 だがそれでも進む。信念という剣に付随してきた錆に腐食されまいと、それを磨き続ける。

 その姿には、正義の一片が確かに根付いている。だが、完成にはまだ遠い。

 しかし士郎は、その錆がいかなるもので、どうやれば削ぎ落とすことが出来るか、きっと見つけるだろう。

 いや、とっくに見つけていたのかも知れない。ただ、目の前の現実に追われ、忘れていただけだろう。

 だからこそ――セイバーは、士郎に期待をよせ、己のように成るなと願うのだ。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 誰が迂闊であったのかと問われれば、私であると答えるほかにない。

 考えれば分かったのだ。セイバーと士郎さんが二人きりになれば、何をしようとするか。私に真名を知られ、もはや気兼ねするようなことが無いセイバーが士郎さんと問答をするであろうことは、予想して然るべきだったのだ。

 ならば、その激論の末に剣が抜かれるであろうことも、予想して然るべきだったのかも知れない。

 だがそうであっても、士郎さんに剣を抜いたセイバーに何の懲罰もなしでは、士郎さんと遠坂さんに示しがつかないのだ。

 加えて、このようなことに令呪を私に使わせたというのも内心穏やかざるものがある。

 

 あのとき、咄嗟の判断とはいえ、令呪を使うしかないことは自明だった。

 セイバーはあろうことか宝具を使おうとしていたのだ。私がそこに介入することは難しい。あの状況だと、私が言葉を舌に乗せる前にセイバーは宝具を開放しただろう。まして体を張って止めるという選択肢などは、何をかいわんやというほか無い。

 結局、あれを止めようとすれば令呪に頼るしか道が無いのである。その状況を作り出した張本人に、打擲の一つでもくれてやったところで後ろ指は差されまい。

 ゆえに、昼食抜きと家中の掃除及び夏に向けて伸び始めた雑草の除去を命じた次第である。サーヴァントの体力と運動能力では大した罰になるまいが、私が直々に打擲するよりは堪えるはずだ。

 そして私自身、平身低頭して許しを請うた次第である。

 

 セイバーの一撃が、仮に士郎さんを傷つけるに至らずとも、大惨事は免れない。良くて道場の消失。悪ければ付近一帯焼け野原だ。

 セイバーのもう一つの宝具の力は、夢で見たのでよく知っている。あれは宝具の名に恥じない威力でありながら、周囲への被害が尋常では済まない。広範に及ぶという訳ではないが、住宅地、まして屋内で使用できるような代物ではないのだ。

 それをあろうことか発動しようとした罪を考えれば、大掃除と草むしりが如何に温情に温情を重ねたか、推して知るべきだ。

 日本において放火は殺人に並ぶ重い罪だ。特に、建築物に人が居ることを知っていてなお火を放った場合には死刑に処される。それを鑑みれば、令呪で自害させたとしても妥当な判決だろう。

 それを免れて一時の肉体労働で済まされているのは、ひとえに士郎さんの鶴の一声に他ならない。

 

 曰く、セイバーは悪くない。稽古が白熱してしまった末、熱くなったセイバーがつい発動しそうになっただけだから情状酌量の余地はある筈だ。加えて、自分もまたセイバーに剣を向けている。

 二人の合意の末の決闘であるから、見逃して欲しい。

 

 殺されかけた当事者にそういわれれば、加害者側は黙るしかない。決定権は全て被害者側にある。

 だがそれでは私の気が済まないのと示しがつかないという問題は残る。そういう経緯からセイバーには肉体労働を強いているわけなのだ。

 時間と地理の問題さえ解決できるなら、シベリアにでも送ってやりたいところだ。

 

 令呪を一角使ってしまったのも手痛い。今まで一度も使ったことが無かったから、これであと二つだ。一つは聖杯を破壊させるときに使うことになるだろうから、実質使用できるのは後一回のみである。

 令呪を使用せずにここまで戦局を勧めてきたアドバンテージは大きいというのに、実に腹立たしい案件でそれを失ってしまった。

 考えていたらまた腹が立ってきた。やはり後であと一発くらいは平手をくれてやろうか。

 

「澪まで昼食抜きにすることは無いだろ。セイバーの分と合わせて食卓に残してあるから、食べてくれ」

「そういう訳にはいかないわよ。士郎さんだって同じ立場ならこうするでしょ?」

「ん……まぁ、そうかも知れないけど」

 

 私は私で、道場の掃除をしていた。セイバーに咎があるならば、私にもあるだろう。昼食くらい、抜いても問題は無い。これぐらいは甘んじて受け入れるべきなのだ。

 昼食を残しくれたのと、様子を見に来てくれたのは嬉しいが、それに甘えるというわけにもいかないのだ。

 

 世が世なら、切腹ものだ。

 これが長年連れ添った相方ならお互い笑って済ませるのかも知れない。例えば、士郎さんが遠坂さんに過失から負傷を負わせたとしても、遠坂さんは少々怒るだろうが関係が壊れるようなことは無いだろう。

 だがこれは違う。士郎さんと私は出会って一週間ほどしか経っていないのだ。一週間あれば恋に落ちることはあっても、壊れない信頼を築くことは困難だろう。

 互いに無傷だから良いようなものの、これが士郎さんに斬りつけていようものならば、致命的に関係が悪化することとてあるのだ。

 私がセイバーに士郎さんの暗殺を命じたと勘ぐられても、致し方のない状況なのだ。

 

 少なくとも、罪の意識はあるということを示すためにも、この程度の罰は甘んじて受けるべきなのだ。ポーズだけだと言われても、それすらも甘んじて受けるしかない。

 二人ともさほど根に持たず許してくれたのは、本当にありがたいことだった。

 

「……仕方ない。じゃあ、道場の雑巾がけが終わったら居間に来てくれ。遠坂が、ミーティングしたいって言っていたぞ」

「分かったわ。雑巾はあと十分もあれば終わるから、それまで待っていて」

 

 道場の雑巾がけは案外堪える。水で濡らした雑巾を一気に滑らせると、足腰に強い負荷がかかる。これは一種の筋トレだ。

 幸いにして、この道場はそれほど広いわけでもない。残り半分。休まずにやれば十分あれば終わるだろう。

 雑巾を固く絞り、それを滑らせながら道場を縦に一気に走りぬけた。

 

 

 

 

 

 やや予想に反して手間取り、あれから十五分後に居間に向かった。すでに足が棒のようである。

 セイバーも含め、全員が既に揃っていた。道場から戻るときに中庭を見たが、既にあらかたの雑草は抜かれている。もとより手入れはされていたので時間はかかるまいと思っていたが、これほど早いとは思わなかった。さすがはサーヴァントである。

 ……サーヴァントに草むしりをさせるマスターなんて、後にも先にも私一人であるような気がしてきた。それに応じるサーヴァントも、こいつ一人だけだろうという気もする。

 五分の遅刻を詫びて席につく。全員が揃ったのを見計らったのか、紅茶と茶菓子が振舞われた。

 紅茶はパックの安物ではない。茶葉から淹れている。見るからに高級そうだ。この香りはアッサムティーだろうか。

 茶菓子は紅茶と違い、缶に入った大量生産のものだ。だが、色とりどりに彩られたクッキー缶は見るからに美味しそうである。

 だが、こちらは断食の刑を受けている最中である。紅茶はともかくクッキーを頂くわけにはいかない。

 そう思っていると、「賞味期限が近いから食べるように」と釘を刺された。缶の裏のシールを見ると、なるほど確かに賞味期限は明日に迫っている。いまだ大量に中身が残っている。これを明日までに二人で食えというのが無理な話だろう。

 ……なんか謀られたような気もするが致し方がない。受刑者に選択の余地などあるはずがない。

 

「じゃあ、そろそろミーティングを始めるわよ」

 

 各々、缶から適当にクッキーを数枚自分の皿に取ったのを見計らい、遠坂さんが切り出した。こういうとき、仕切り役は大抵遠坂さんである。

 

「澪の戦闘能力を踏まえて、今後の方針を建て直しましょう」

 

 題目は予想通りであった。先ほどの道場での模擬戦闘を踏まえ、私をこのメンバーの中でどういう役割の位置させるのかを話し合う必要がある。

 通常ならば、マスターは守られているだけでいい。だが、戦闘能力をある程度もつならば、積極的に相手のマスターにぶつかっていくべきだろう。

 サーヴァントはサーヴァントと戦い、マスターはサーヴァントを補佐するかマスターを討ちに出る。聖杯戦争の最もセオリックな戦術だろう。

 その戦術のうち、補佐に徹するか、マスター狩りを行うのか。それをはっきりさせておくべきだ。

 臨機応変で許されるのは単身のときのみ。協力者が存在する場合は、そのチーム内で自分の役割をはっきりさせておく必要がある。

 

 例えば、士郎さんは前に出て戦うタイプ。その戦闘能力は、よもするとサーヴァントとも渡りえるかも知れないというものだ。白兵戦以外であればサーヴァントと戦っても勝機がある。

 対して遠坂さんはサーヴァントの補佐をするタイプ。無論、前に出ることも出来るが、それよりもサーヴァントの指示を出しつつ後方支援に徹するほうが本領を発揮する。

 通常、魔術師は遠坂さんのタイプだ。魔術は学問であり、魔術師は学徒である。文武両道を旨とする者も居るが、基本的に戦闘は得意としない。

 

 では私はどうか。

 真っ先に口を開いたのはセイバーだ。

 

「今まで通り、後方から支援に徹してもらうべきだ」

 

 これに対して士郎さんが反論する。

 

「いや、多少は前に出られるんじゃないか? 剣技のトレースは、ほぼ完璧だったといっても良いぞ。俺の投影魔術と組み合わせれば、サーヴァントは無理でもマスター相手だったら戦えると思う」

「それはどうだろうか。……確か、シロウはライダーのマスターと剣を交えたそうだな。アーサー王を模倣した澪と戦えば、どちらが勝つ?」

 

 士郎さんはやや逡巡する。

 ライダーのマスターは、確か名前をサーシャスフィールといったはずだ。私も、士郎さんに切りかかるサーシャを覚えている。

 あの戦闘能力は凄まじい。士郎さんは負傷していたとはいえ、投影した剣を砕くほどの膂力にあの身のこなし。

 おそらく、白兵戦の才能だけで言えば士郎さんよりも彼女が上だ。投影魔術を駆使して、ようやく勝ちが拾えるというレベルだろう。少なくとも通常の白兵戦で士郎さんが勝利を収めるのは難しいに違いない。

 加えて、あの馬は紛れも無い宝具だった。宝具を駆使する人間という点では士郎さんと同じだ。その実力が切迫するのも無理からぬことである。

 

 では私とはどうか。

 士郎さんの投影魔術によって作り出されて宝具で武装し、模倣魔術でアーサー王を模倣すれば、白兵戦の点では士郎さんよりも良い戦いが出来るだろう。だが、勝利を収めることが出来るかどうか。

 私のスタミナと筋力不足が非常に大きな足枷だ。長期戦になれば勝機はない。そもそも模倣魔術は長時間にわたる使用は難しいのだ。

 

「……難しいところだな。俺か遠坂が一緒なら勝てると思うけど」

「うむ。澪の模倣魔術は驚異的だが、戦闘能力だけを見れば中途半端だ。元々、知識の集大成としての性質のものを無理やり戦闘に転化しているわけだからな」

 

 ここまで黙っていた遠坂さんがおもむろに口を挟む。

 

「でも、それでもアーサー王(アルトリア)の技術を投影しているだけあって、澪に勝ちが見込めないほど弱いというわけでもないのよね」

「私としては、単独行動は難しいといわざるを得ないわね。士郎さんの言うように、誰かが一緒ならマスター相手にはまず負けないと思うけど」

 

 とはいっても、マスターの面が割れているのはサーシャだけのはずだ。

 アサシンは未だに一度も邂逅していないし、バーサーカーは既にマスター不在だ。ランサー、アーチャーもマスターは誰か分かっていない。

 しかし、大抵の魔術師ならば私プラスアルファでどうにかなるという気もする。私が前衛――というよりも壁役に専念し、後方から強力な一撃を見舞うことのできる人材が居ればいいのだ。

 つまり私に欲しいのは後衛。士郎さんは前衛寄りではあるが、近距離から遠距離まで問題なくこなすことが出来る。遠坂さんは言わずもがな。

 

「では決まりだな。澪は決して単独行動はしない。私から離れることはあっても、士郎か凛と必ず一緒に行動する」

 

 士郎さんと凛さんが別行動することはあるのか、とも思ったが、二人は長年戦場で培った阿吽の呼吸がある。一時的に分かれたとしても問題はあるまい。私には、戦場で単独行動するに十分な経験も体力も無い。ルーキーはベテランに付いていくべきだ。

 

「うん、そうだな。澪はそれが良いと思う」

「私も賛成ね。こちらのサーヴァントはセイバーだけになったわけだし、澪に何かあると困るものね」

「特に異存ないわ。むしろ有難いくらいよ。単独行動しろ、なんていわれていたら末孫まで呪ってやるところよ」

 

 確実に呪う。絶対に呪う。幸いにして魔術というものはその類に欠かない。

 この二人に呪いが効くかどうかは甚だ不明だが。遠坂さんなんか実験の片手間程度に呪詛返しをしそうだし、士郎さんだって呪い避けの剣なんかを身につけて終わりだ。

 じゃあ物理的な嫌がらせだ。家の前に毎日猫の死体を置いてやる。ざまあみろ。

 私も納得できる妥協点に落ち着いて本当に良かったと思え、お二方。……無茶言われなくて本当に良かった。

 

「じゃあ、この件はこれで終わりね」

「この件? 何か他に話し合うことがあるの?」

 

 今回のミーティングはこれで終わりだと思っていた。他に何か話し合うべきことがあっただろうか。

 遠坂さんは喋って喉が渇いたのだろう。紅茶で喉を潤してから続けた。

 

「ミーティングというか、確認よ。

 模倣魔術について、もう一度確認したいの。模倣魔術は、稗田阿礼の固有結界『森羅写本』から魂を情報化したものを自身に降ろし、その情報から、自分の精神内に他者の人格を再構築する。……間違いない?」

「ええ。その通りよ」

 

 人から説明されて気がついたが、凄いのは私ではなくご先祖様だ。私は稗田阿礼の固有結界にお邪魔させてもらって、それを転用しているに過ぎない。

 ……情けないなあ、私。他力本願も良いところじゃないか。

 

「――それって、何か弊害が出ないの?」

「……弊害? さあ、特に無いと思っていたけど」

 

 少なくとも、体調の変化や魔術回路への異状は無い。時折、気を抜くと寝ているときに他者の人格を降ろしてしまうことがあるくらいだ。だがそれも、昨晩セイバーの記憶を盗み見てしまったこと失敗から多少コツは掴んだ。

 あれはセイバーからの記憶の流出ではない。セイバーとのレイラインそのものを媒体に、森羅写本からセイバーの情報を引き出してしまったに過ぎない。

 だが、その失敗でなんとなくコツは掴んだように思える。次からは寝ているときに他人格が出てくるなんてことは無いだろう。

 乗り越えた弊害は既に弊害とは呼べない。だから私は遠坂さんに弊害は無いと答えたが、遠坂さんは納得の出来ない様子である。

 なにやら、遠坂さんは深く考え込んでいるようだ。とはいっても、私自身のことは私がよく分かっているはずである。特に何もないと思うのだが。

 

 それでも、魔術師としての見地からは何か思うところがあるのだろうか。魔術師として、私なんかよりも遠坂さんは遥かに上位に存在する。

 ややあって、俯いて考え込んでいた遠坂さんは顔を上げた。

 いまだ考えが煮え切らない様子ではあるが、遠坂さんは現段階の考えを吐き出すように述べる。

 

「他者を自身の中で再構築する。これは精神変革と言っても相違ないわ。弊害が無い、ということは無いと思うのだけど……」

「具体的に、どんなことが考えられる」

 

 こう言われて閉口していられないのはセイバーだ。私自身は、そんなことは無いと笑って流せる。だが自分のマスターに何か弊害が現れるかも知れないとなれば、セイバーは口を挟まざるを得ない。

 眉間に皺を寄せながら、遠坂さんは重々しく答えた。

 

「いい? 自分の中に、擬似的とはいえ他者が居るというのは、異常なことよ。その弊害として、例えば反転衝動なんかも考えられるわ」

「……まさか」

「反転衝動とは何か?」

「価値観の崩壊、あるいは逆転と言って差し支えないわ。自分の中にある“何か”を抑える理性が、その“何か”よりも下回った状態を反転と呼ぶの。禁忌と知っていながら、それを抑えることの出来ない状態を言うわ。

 澪は『混血』じゃないから、正確には反転衝動とはいえないかも知れないけれど。状態として反転衝動と同じことが起こるかも知れない」

 

 もう一度、まさかと言おうとして、遠坂さんの眼光に射止められて言葉に詰まった。

 でも、確かに考えられないことではない。他者を己の中で再構築するということは、あらゆる価値観と触れ合うことに他ならない。それも、無防備な自身の精神と触れ合わせるのだ。

 朱に交われば赤くなる。私自身の価値観や道徳観、倫理観が侵食されて壊れるというのは……有り得ない、と断じることも出来ない。

 反転衝動というのは、確かに語弊があるだろう。だがおそらく最も状態を表している。

 他者の価値観、精神からの侵食による自我の崩壊。そこから引き起こされるだろう暴走。

 それは、確かに反転衝動と称するのが一番理解を得られる状態だろう。

 

「価値観の崩壊、あるいは逆転……。それは例えば、愛するものを憎み、殺そうとするという考えでいいのだろうか」

「ええ。吸血衝動や反転衝動にはそのきらいがあるわ。『最愛の人の血を吸いたい』『最愛の人を殺したい』というのは、吸血種や混血にはよくある感情よ」

「…………」

 

 セイバーは押し黙った。

 確かにそのようなことも、可能性の一つとしては考えられる。

 だが、私自身が自分の中に再構築した人格をはっきりと認識し、これは他者であると割り切っている。それでも、このようなことが起こりえるのだろうか。

 それに、自分についてこれ以上好き勝手言われるのも癪だ。反論の一つでもしないと気が済まない。

 

「反転衝動は、自分の中にある矛盾した気持ちから発生するものよ。混血特有の、人としての倫理観と、人ならざるモノとの感情とのせめぎ合いの末の起こるもの。そうでしょう?

 それはつまり、一つの人格から二つの相反する感情が発生するからこそ。私は、私と他の人格を区別しているわ。模倣時の感情は他者のものだと理解しているし、区別している。

 反転衝動なんか起こらないわ」

「私だって反転衝動など見たくないわよ。でも、それを区別する自我が曖昧になったら?」

「……自我が曖昧に?」

「そう。度重なる模倣人格の構築は、自我と他者との線引きを曖昧にしないかしら?

 主人格と模倣人格の混同や、交代。澪が考える以上に、模倣魔術は危険な気がしてならないのよ」

 

 “ねえ、セイバー。私は、本当に八海山澪なの……?”

 脳裏を電光のように過ぎったのは、昨晩セイバーと交わした言葉だった。

 自我の曖昧化。他者との境界線の形骸化。私は、いつか私を八海山澪であると認識できなくなるのではないか。

 ぞくりと寒気がした。セイバーの言葉で大分平静を取り戻していたとはいえ、完全に乗り越えたとも言いがたい。

 形容のしようの無い恐怖が、再び足元から這い上がってくる。

 喉元に刃物を突きつけられるとは違う、全身が総毛立つ恐怖。それは極度の不安からくる恐れだ。心臓はその恐怖をかき消そうと鼓動を強め、そのせいか脳内から脈動を感じる。

 足元が何だか覚束ない。全身の血が脳に行ってしまっているのか、下半身が驚くほど自由にならない。

 嫌な汗が服の下を流れるのを感じた。おそらく、誰の目からみても蒼白になっていることだろう。

 

 だが、そんな震える肩に、暖かい手が置かれた。見ると、その手は隣に座るセイバーのものだった。

 心配など要らない。その表情がそう告げていた。

 

「つまり模倣魔術を乱用しなければ良いのだろう? ミオが模倣魔術を使うことのないよう、私が守れば良いだけのこと」

「……それは、そうかも知れないけれど」

「何も心配はいらない。なあに、物事は思っていたよりも容易く解決するものだ」

 

 能天気な、と思ったが、すぐ思い返した。

 私は昨晩、彼の能天気さを少しは見習おうとしたばかりではないか。

 先のことよりも、今のことを考えたほうがずっと良い。どうせあれこれ考えたとしてもなるようにしかならないのだ。

 セイバーのいうように、模倣魔術を乱用しなければ弊害が現れることもない。使用間隔を十分に取れば、おそらく重大なことにはならない。

 なんだ、難しいことじゃない。薬と同じだ。適量かつ適度な服用頻度ならば有益だが、度が過ぎれば毒となる。それだけのことだ。何も特別なことではない。

 そう考えれば、少しは気持ちが楽になった。

 

「……そうね。確かに澪が模倣魔術を乱用しなければ、それで済む話よ。

 驚かせるような真似をして申し訳ないわ」

「遠坂さんは私を心配して言ってくれたんだから、良いわよ。忠告として受け止めておくわ。……これでミーティングは終わり?」

「ええ。もう話すべきことは無いわ」

 

 何も難しくない。乱用は避けるだけ。

 こんな便利な能力を前に、思う存分それを試せないのは、魔術師として歯痒い気持ちもある。だがそれも仕方がない。

 そうだ、心配ない。セイバーが居るなら、何も問題が無い。

 でも、少しだけ気晴らしがしたい気分だ。問題は無いといっても、晴れやかな気分というわけではない。少し外に出たい気分だ。

 

「ちょっと買い物に出てくるわ。今晩の夕食の食材を買ってくる」

「ああ、今日の当番は澪だったか。じゃあ頼む」

 

 夕食を作るのも基本的に当番制だ。当然、当番になった人が買い物に行くことになる。

 冷蔵庫の中身を検めて、足りないものをメモに書きとめた。あまり冷蔵庫に中身が無い。とりあえず卵と醤油は買い足しておかなくちゃいけないだろう。

 後は買い物に出て、食材を吟味しながら選べばいい。一応これでも居酒屋でバイトをしている身だ。料理には多少自信がある。

 財布を持って靴を履く。当然ながら、セイバーは同行させることにした。昼間から襲うサーヴァントやマスターが居るとは考えがたいが、バーサーカーがいまだに野放しである状況だ。そんなことを斟酌する能力は無いと考えたほうがいい。自衛の手段は必要だ。

 だが長身で金髪の外国人が商店街を歩けばそれだけで注目を浴びる。あまり視線を集めるような真似はしたくない。セイバーは霊体化させて連れて行くことにした。

 

「行ってきます」

 

 居間でくつろいでいるらしい士郎さんと遠坂さんに向かって、玄関から声をかける。

 士郎さんの声が居間から返ってきた。

 

「行ってらっしゃい。気をつけろよ」

 

 一人暮らしをしていると、「行ってきます」と言うと「行ってらっしゃい」と帰ってくるという些細なことがありがたいと感じるようになる。

 ちょっとだけ気分が晴れやかになった。

 

 

 

 

 

 買い物はいつも商店で済ます。商店街にはスーパーマーケットが一軒ある。いろいろな店を回るのは嫌なので、私はいつもここで買い物を済ます。

そもそも、魚屋や八百屋の類はスーパーに飲まれてその大抵が姿を消してしまっているのだ。これも時代の流れである。

 時代の流れは、昔ながらの情緒を捨ててどんどんシステム化を進める。別に、野菜なら野菜だけ扱う八百屋の類に特別な思い出があるわけでもない。だが、潰れたまま残っている店先を見ると、何となく物思いに耽るのは、私だけじゃないはずだ。

 

 昼時を過ぎたスーパーマーケットは人がまばらになりつつあった。昼前の賑わいは見事なものだが、平日の午後らしいのんびりとした空気が漂っている。

 適当に見て周り、安い食材を探す。安い食材をいくつか見つけ、そこから作れる献立を考えるわけだ。

 やはり初夏らしく、茄子やトマトあたりが安いようだ。あと魚類でいえばアジが旬の頃合である。

 確か冷蔵庫の中に人参やピーマンが残っていた筈だ。だったらアジの南蛮和えにしよう。うちの居酒屋のお品書きのラインナップだから、作りなれている。メインディッシュはこれでいい。

 茄子も是非使いたい。焼いて焼き茄子にしよう。手間が掛からず美味しいのは素晴らしいことである。

 こうなると旬野菜で埋め尽くしたい。トマトもラインナップに入れよう。トマトはサラダで良いだろう。

 あとは適当に味噌汁でも作れば十分だろう。味噌はまだ残っているはずだ。スタンダードに豆腐とワカメの味噌汁で文句無かろう。

 

『知っていたが、食料がこうも簡単に手に入るとは富んだ時代だな。私が生きていた世は、誰しもが今日生きるためのパンを得るのに必死であったというのに』

 

 セイバーが霊体化したまま話しかけてきた。といっても念話だから、他人に聞かれる心配も無い。

 

『それは今もそうよ。皆、今日の食事にありつくために必死に働いているわ』

『しかし、それは働いてさえいれば食いはぐれることは無いということだろう? ごく僅かな例外を除けば、真っ当に生きていれば最低限の生活は約束されているそうではないか。

 私の生きた世は、必死に働いてようやくその日の食事にありつけるかどうか、という世界だ。働いたとしても、その日のパンがないこともザラにある』

 

 ローランが生きた世は七世紀ごろのフランスだ。カロリング朝の時代である。

 基本的に労働階級は奴隷に近い扱いである。そもそも市民として扱われていない世の中だ。市民として認められるのは商人や貴族の類だけで、その他は城壁の向こうに住むことを余儀なくされた。

 ローランは言うまでもなく貴族の出である。シャルルマーニュ王の甥である彼は、王位すらも狙える大貴族だ。

 シャルルマーニュはフランス語で彼の名前を呼んだ場合である。日本では、大帝カール一世として呼ばれることが多い。

 大帝カール一世は、聖釘を叩いて伸ばすことで作られたという「鉄の王冠」の加護により、齢200歳となった老騎士だ。その人生の大半は征服行で占めていた。記録にあるだけでも53回、彼は軍事遠征を行っている。

 当然、ローランの叔父である大帝カール一世の世は戦いの世だ。

 そのような時代では、国が荒れるのが常だ。戦いは領土の拡張と同時に治安の悪化を招く。

 そのような世では、貴族以外の者達に明日など約束されていない。日銭を稼ぐならば、悪行に手を染めるか、募兵に応じて兵士となる以外にない。

 そうなると国の地盤が緩み、ますます国が荒れる。

ローランの生きた世とは、そういう時代なのだ。

 

『……確かにそうね。夜中でもコンビニに行けば食事を得られる。そういう豊かな時代よ。もちろん、どこでもそうという訳じゃないけどね』

『うむ。有難いことだ』

 

 時代がシステム化されるにつれて、どんどん便利になる。そういうものなのだ。

 我々現代人はそのシステムに依存しきっているから、もはや戻ることなど出来ない。

 そういう諸々が、私たち魔術師を衰退に追い込むのだろう。いずれ、私たちもあの八百屋や魚屋のように時代に置いていかれるしかないのだろう。

 私たちが過去に向かって走っている人種である以上、もはやどうしようも無いことなのだ。

 

 だが、正直それでもいいのではないかと思うのだ。

 こんなことを祖父に言えば勘当されるかも知れない。少なくとも、八海山家次期当主となるべき私が考えていいようなことではない。

 だけど私は、自分が魔術師であることや、八海山という家に生まれたことを誇りに思ったことはない。当然、恨んでいるわけでもないが、煩わしく思うことは多々ある。

 別に、私は根源に至りたいとも思わない。魔法を手にしたいとも思わない。

 ただ、偶然にも八海山という魔術師の家系に生れ落ちただけである。

 祖父は、この血を絶やすことは許さないと言う。父は根源など至らずとも、目指さずとも良いと言った。

 ただ魔術師をやっていればそれで事足りるのだ。時代が神秘を完全に忘れようと、私の知ったことではない。

 とりあえず、今日の美味しい夕飯にありつくことが出来るならば、それでいいのではないかと思うのだ。そんな小さな幸せだけあれば人は生きていける。

 

 そんな小さな幸せだけで十分なのに、この世に争いは絶えない。

 その問いを投げかける相手は、セイバーしかこの場に居合わせない。

 

『……そんな豊かな時代なのに、争いが絶えないのは何故かしらね』

『……きっと、知らないからだ』

『何を?』

『相手の正義を。正義を掲げることはあってはならない。それは正義を成すために為すという欺瞞だ。だが、人は正義を求めている。

 相手が何を求めるのか。相手の戦う理由は何か。相手の正義とは何か。これを知らずに戦うことは、感情のままに相手を殺すことにほかならぬ。

 正義の恐ろしいところは、相手が憎いという感情に正義という価値が付加されることがあることだ。そういったとき、人は自分を信じ込ませるため、正義を掲げる。そうやって正義(かんじょう)のまま、相手を傷つける』

 

 正義とは、時として感情。

 この言葉は、私の胸を打った。何故なら、私は確かにそうやってこの戦いに首を突っ込んだからだ。

 初めてサーヴァントに邂逅したあのとき。センタービル屋上に、鉄パイプ一本で乗り込んだとき。私は何を思ったか。

 あのとき頭を埋め尽くしたのは、確かに両親を殺した怒りと憎しみだった。両親の仇が居るかも知れないのだと思ったとき、理性が感情に支配された。

 そしてその結果何を結論付けたか。

私は、自分を確かに正義だと思った。

そうだ。復讐という感情に囚われていると自覚しながら、それでも私は自分を正当化するために自らを正義と掲げた。

 

 セイバーが言う、正義を掲げるなという言葉には、もう一つの意味があるのだろう。

 掲げる正義とは、掲げねばならなかった正義とは、往々にして感情だ。私のように、自らを正義だと思わせるために、それを掲げなければならなくなる。

 誰でも分かる。復讐など何も生み出さない。復讐などあってはならない。

 だが、それを正当化するため、人は正義を掲げる。

 だから正義を掲げることなどあってはならないのだ。掲げる前に一歩踏みとどまれば、まだ道を外さずに済むのだ。

 

 正義を掲げることは、正義を成すために為すことに他ならない。つまり欺瞞。

 正義を掲げることは、己の感情を正当化するための免罪符となる。つまり歪曲。

 

 きっとセイバーは、正義を成すためにイスラム教徒を斬り、相手が腹立たしいという感情のままに敵を屠ったのだろう。

 だからこそ、それを悔いる。

 

 知ればよかったのだ。相手が何をもって戦うというのか。

 正義に普遍の形などないならば、悪だってそういうものだろう。時として、正義もまた悪に見えることがある筈だ。

 相手もまた己の正義に沿って戦っているのだ。ならば、この世に悪など無いのかも知れない。ただ、そこに在るのは過ちであったに過ぎないかも知れないのだ。

 だからきっと――この世に悪があるとすれば、それは相手を知ろうとしない心なのだ。

 

『正義って、難しいわね。それを見つけるのも、貫くのも』

『そうだな。私は間違ったまま貫き、後悔した。ミオにも、シロウにも、リンにも、私と同じ過ちを犯して欲しくない』

『私もそう願うわ』

 

 良いアジは無いかと物色しながら苦笑する。きっと、士郎さんは大丈夫だ。私も大丈夫。凛さんだって、当然大丈夫。そんなに心配しなくても、大団円だ。

 それが伝わったのか、霊体している状態であっても、セイバーの笑みを垣間見たような気がした。

 正義に良いも悪いもない。過ちだってない。あるとすれば、決して正義になりえないものを正義と思い込むことだ。

 でもきっと、士郎さんは正しく正義を得るだろうと思う。だから大丈夫だ。

 私なんかは、そんな哲学的なことを考えない性分だから、なおのこと大丈夫だろう。論理的な話は嫌いではないが、哲学的な話は苦手だ。私は理系なのだ。

 

 クーラーで冷やされているもののうちから、一番良いと思われるアジをカゴに入れた。

 正義について熱く論議するのもいいだろうが、今は夕飯の食材のほうが重要だ。

 カゴに入れた中身を確認する。必要なものが全部入っていることを確かめる。多分、忘れたものは無いはずだ。メモと照らし合わせても、全部揃っているように思える。

 

『じゃあ帰りましょうか』

『うむ? あ、ああ』

 

 セイバーの不思議そうな声が若干気になった。セイバーは何百年も前の人物だから、きっと目新しい何かを見つけたに違いない。だがいちいち説明していると多分きりが無いので、後で聞き出してみることにする。

 スーパーの大きな自動ドアをくぐろうとしたところで、不意に背後から声がかかった。

 

「お客さん! お会計済ませていませんよ!」

 

 レジの横にあるサービスカウンターに居る壮年の女性からだった。あまりに大きい声だったので少し踵が浮いた。

 

「あれ……。本当だ」

 

 ……事実、私はレジを素通りして商品を持ち去る寸前だった。

 あまりに堂々としていたため、さすがに万引きとは思われなかったようだ。大声で呼び止めた女性からは、「疲れているの? あんまりボーッとしていると危ないわよ」と心配された。一言詫びて空いているレジに並ぶ。少々注目を浴びてしまったので、気恥ずかしい。

 

『やはり金を払い忘れていたか』

『……教えてくれても良いでしょ』

『すまん。いや、現代の店をよく知らんから、金を払わずとも良い場合でもあるのかと思った。不思議には思ったが、私が無知なのだから黙っていようかと』

『……』

 

 セイバーを責めるのはお門違いだ。完全に私のミスである。だからこれ以上文句は言わない。

 そうだ、これは私の問題だ。いや、私に何か問題が発生している……?

 今日の私はどこかおかしい。

 凛さんの下着を持ち出してしまったり、シャンプーを使ってしまったりしたことは単なるミスで済む。ちょっと体調が悪いかな、程度で済ませることのできる話だ。

 ある意味で、今の行動も疲れているとか、眠気がひどいなどの理由で片付けることが出来なくもない。事実少々疲れている。

だが、一番の問題はそんなことではない。

 言われてから暫く、金を払うまではこれは他人のものであるという認識が無かったことだ。

 いや……自分を誤魔化しても仕様がない。端的かつ物怖じせずにいえば、注意されるまで、私はカゴの中身を『自分のもの』だと信じて疑わなかった……!

 今思えば、スーパーの商品を買わなければいけないという意識があったかどうか。自分のものだから持ち帰ってもいいと思わなかったか。

 衛宮邸を出るまでは正常だったと思う。買い物という意識はあった筈だ。

 

 “度重なる模倣人格の構築は、自我と他者との線引きを曖昧にしないかしら?”

 

 凛の言葉を思い出し、ぞくりと這い上がる何かを感じた。

 考えたくはない。決して認めたくはない。

 だが、目を逸らすことのできる程度の問題ではない。

 落ち着け。冷静を欠くな。

 一度引っ込んだ筈の嫌な汗が再び流れるのを感じた。

 

 今自分に何が起きているのか、断言は出来ない。だが推測できる。

 私は今――自我と他者の境界がなくなりつつある。そう思わざるを得ない。

 いきなり自己を見失うなんてことは無いだろう。何につけても順序と段階はある。

 おそらくだが……私は、所有権に関する部分で、自己と他者の区別がつかなくなっているのだ。

 

 物心がつかない幼子は、自己と他者の区別がつかないため、何にでも手をつける。人の食べ物に手を出すし、人の玩具であるなどといったことに斟酌だってしない。逆に、自分が目をつけたものを他者に取られると、それが本来自分のものでないとしても泣き喚くこともある。

 だが人は、そういったことを諌められたり、自分とは違う考えを持つ人が居るということを知ったりすることで他者と自己を区別するようになる。それはごく自然なことで、意識せずとも身につくことだ。

 

 私は今――精神の一部が、そういう状態になっているのではないか。私は今、自覚が無かっただけで、自己と他者が分からなくなっている。

 まだ幼児と同じ状態にまでは至っていない。意識して考えれば、自分が手にしているものが誰のものか分かる。だが気を抜くと、自分のものと人のものとの区別がつかなくなる。

 だからこそ私は、遠坂さんの下着を自分のものと思い、シャンプーを自分のものと疑いもせず使おうとし、そして店の商品を持ち去ろうとした。

 

 自我とは閾のようなものだ。

 その外側にあれば、それを他者と自覚できる。

 通常、よほど暴力的な手段に訴えない限り、この閾が破られるようなことはない。洗脳でも受けない限り、この閾が変更されることなどはありえない。

 だが――遠坂さんの言う通りだったのだ。閾の内部で再構築した、他者の自我が、その閾を侵食した。

 まるでトロイの木馬ではないか。そして私はそれを疑いもしなかった。

 トロイの木馬を疑うことをしなかった愚か者の末路は決まっている。破滅だ。人間とは、外部からの侵食には強くても、内部からの侵食には滅法弱い。そういうものなのだ。

 

 既にそこまで迫ってきた破滅の足音を聞いて、私は本当の恐怖とは氷のように冷たいものであることを知った。


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