Fate/Next   作:真澄 十

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Act.36 決するは今宵

 自己と他者を区別するにはどうすればいいだろう。

 自己は何を以って自己と認識し、他者は何を以って他者と認識するのか。単に自分以外が他者とは言い切れない。そんな単純なものではない。物理的な意味だけにとどまらない問題なのだ。

 例えば、これが貴方だけのアイデンティティだと言えるものは何かと聞かれて、即答できる人間は少ないだろう。そもそも答えるのが難しい質問である。

 ある人は釣りが好きなことが自分のアイデンティティだと言うだろう。しかし釣りが好きな人はこの世に掃いて捨てるほど居る。これが唯一自分にだけ備わる独自性だと言い切ることなど出来ない。

 このように、自己と他者を隔てる特徴は難しい。物理的な問題ならば簡単なのだが、こと精神の面に触れたならば、この問題は難問へと様変わりする。

 そんなことは無い、と思う人も居るだろう。事実私もそう思っていた。

 では少しだけ別の面からアプローチしてみよう。貴方のその唯一自分だけの人格、性格、精神と思っているものは、生まれてからこのから一度も変質したことが無いといえるのか。

あるいは、自分のそれは仮の人格で、本来の自分の精神が未だ眠っていると仮定する。これを否定できるのか。

 どちらも悪魔の証明だ。どんな方法を用いても、無いことを証明するのは難しい。

 では、これから先、自分の精神が変質する可能性も否定できないということだ。

 

 精神は脆い。魔術師であるならば、それに外壁を建造し外敵から身を守ることも可能である。事実そうやって隠し通すべき記憶を隠匿する魔術師も存在するのだ。

 しかし精神は外敵から身を守る手段があっても、内面からの崩壊に弱い。それこそ、一度均整を崩したら雪崩のように崩壊する。

 私はいまだ、同一化魔術を数度しか使用していない。話に聞くだけでも、キャスターからの撤退戦、宴会後、そして橋上でのライダー戦、稗田阿礼を降ろして情報を聞き出したときと、模擬戦闘のとき。知っている限りで五回だ。

 たったの五回の使用で、もう精神に異常をきたしている。次に遣えば、悪くて廃人まで考えられる。冗談抜きで、そこまで考えられるのだ。

 身に過ぎた力は身を滅ぼす。今私は、何もしなければこれ以上悪化することはないが、少しでも下手なことをすれば破滅を呼ぶかも知れないという、薄氷の上に居るも同然なのだ。

 

 それでも治せるのであれば救いはある。しかし、治す方法などない。

 あるとしてもカウンセリングが精々だ。肉体を治す術を人類は多く獲得してきたが、精神を癒す確かな技術は持ち得ない。それは魔術でもそうだ。

 どう足掻いても、これ以上悪化させないという対症療法しか残されていない。

 私に取れる手段は、これ以上同一化を行わないことしかない。だが……これからも待ち受けるであろう激戦を前に、それが可能なのか。

 まだ存命しているだろうバーサーカーはきっと、私を狙うだろう。私がアーサー王の人格を模倣していたからだ。

 彼がアーサー王を憎むのは、その伝承を紐解けば自明の理だ。きっとアーサー王のまつわる全てを破壊しようとするだろう。バーサーカーとなった今では、それはなおさらだ。

 その状態で、アーサー王を模倣した私を見た。まともな思考を失っているからこそ、彼は私をアーサー王本人だと思うだろう。ライダーと戦ったとき、私に刃を向けたのも今となっては納得できることだ。

 きっと、どんな手段を使ってもバーサーカーは止まらない。そしてそれが私に剣を振るったとき、私は戦わなくてはならないだろう。

 戦えば精神を壊すかもしれないが、戦わねば死。この二律背反を前にして、私はどうすればいいのか。

 

 どうしようもない不安が押し寄せる。同一化魔術による精神崩壊の前に、不安と恐怖からの負荷で押しつぶされそうだ。

 

「……まさか既に症状が現れているとはね」

 

 一も二もなく、私は買い物から衛宮邸に帰っていた。

 よほど顔面蒼白だったのだろう。自室に引きこもるつもりだったのに、遠坂さんに見つかるなり居間に引っ張り込まれた。

 もはや隠す意味もない、話せば楽になるだろうかと思い、今私の中で何が起こっているのかを洗いざらい吐いた。

 だが不安は一向に解消されない。むしろ、現実に目を背けることが出来なくなって余計に辛くなった。

 

「これ以上悪化させないことは可能でしょうけど……良くなるのはもう無理と言ってもいいわ。それは理解しているわよね?」

「……ええ」

「リン、少し言葉を選んでくれないか」

「そんなことを言える状況じゃないのは貴方も分かっているでしょう。これはもう末期癌みたいなもんよ。だったら早めに宣告してやるのが情けってものでしょう」

 

 その通りだ。もはや私は廃人秒読みである。

 いや、廃人で済めばまだ幸せかもしれない。もう何も考えないでいいのはある種の救いだろう。

 つらいのは、価値観が崩壊・逆転し、大切な人を傷つけたときだ。

 通常、特定の人物を模倣しただけでは価値観の崩壊など起こさない。それが私と混ざることで、それは悪性を帯びるようになるのだ。

 例えるならば洗剤のようなものだ。それ単体では非常に有益だが、性質の違う二つが混ざれば毒を発生させる。

 人格も、それ単体では何の問題もない。私という精神だけが存在しているだけならば問題は引き起こさないだろう。だが、そこに他者という異質なものが混ざったとき、全てが悪性に変質する。

 それはもはや、自分の中にある自分ならざるもの。自分の意思ではどうしようもない、自分でありながら自分とは別の精神だ。

 それはどういう異変をもたらすのか未知数である。

 だが、遠坂さんの言うように、それは擬似的な人外化生の血となんら変わらない。擬似的な混血だと言っていい。自分の中に自分と違う意識が存在する点でなんら変わりはない。

 ならば、行き着く先は一つ。

 反転衝動。

 

 私はきっと大切な人を傷つけてしまう。

 自分が自分でなくなるのも怖い。自分が消えてなくなるのではないかと思うと怖い。心臓は締め付けられるような感覚を覚えるし、奥歯だってさっきから噛み合わない。

 例えようもなく恐ろしい。

 自分が自分でなくなる。それは単純な死よりも恐怖を覚える。

 人間は考える葦なのだ。その考える自己が消滅したら、それはもう人間ではない。私は自分が人間でなくなることが恐ろしい。

 

 でも、消えるのが私一人ならばまだ救いがあるのだ。諦めの境地にも至れよう。だが、もし他者を巻き込むのではないかと思うと、戦慄を覚える。

 反転衝動は、自分が大切なものを破壊しようとする現象だ。

 それを大切だと思う気持ちと、それを破壊したいという気持ちが融合したとき、それは引き起こされる。

 それは嫌だ。大切な人を殺すなんて、絶対にしたくない。

 

「……もう同一化はしないほうが良いわ。貴方が貴方でいられるは、せいぜい後一回か二回までよ。そこから先は分からないわ」

「……ええ。分かっているわ」

「そう。今日はもう休んでおきなさい。落ち着いたらまた話しましょう」

 

 言われるままに自室に引っ込むことにした。少し一人になりたい気分だ。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「……予想以上に事態は深刻ね」

「……」

 

 遠坂凛は澪が自室に戻ったあと、今で士郎にため息交じりにこぼした。

 それに士郎は無言で返した。

 

 士郎の固有結界とて、決して気安く使用できる代物ではない。肉体にかかる負荷は相当なものであるし、それに伴う精神への負荷も相当である。

 士郎の固有結界は自分の精神世界を創造することに他ならない。使用限度を超えた酷使は肉体の破滅だけでなく精神の崩壊も起こす可能性がある。

 そもそも魔術とはそういうものである。廃人になってもかまわないというのであれば、限界などあっさりと超えることが出来るのだ。肉体、精神問わず、破滅もやるかた無しとなれば魔術師は想像以上の能力を発揮できるものだ。

 特に肉体よりも精神の崩壊は早い。人間の肉体は急所さえ傷つけなければ意外に丈夫に出来ている。だが精神はそうではない。魔術による過負荷で先に崩壊するのは精神と言ってもいい。

 加えて、士郎は通常の精神が魔術回路となっているという異常な状態なのだ。それゆえに固有結界を扱えると言ってもいいのだが、その代償も計り知れない。

 まず考えられるのは記憶の欠落。感情、倫理観の崩壊。人格の瓦解。まさしく精神の死である。

ゆえに己の限界を超えた使用をした場合、「植物人間」や「死」ではなく、「廃人」と言われるのだ。肉体の死ではなく精神の死であるからこそ廃人と表現されるのである。

 だが士郎よりも澪のほうがその危険により晒されている。

 士郎のそれは過度の使用による副作用である。風邪薬の服用量を超過したようなものだ。

 しかし澪のそれは違う。そもそも服用しているのが風邪薬などではなく劇薬だ。

 それに効用があろうと、体を破壊することが明白な毒である。毒を滅するために、さらに強い毒で細菌を殺そうとしている。毒を殺すことが出来ても、服用した毒に侵されるのは間違いない。

 

 そのことに気づかず、今までその劇薬を服用いていたのだ。

 全てが手遅れになってから気づく、ということも十分に考えられた。そう考えれば幸運であったと言ってもいいのかも知れない。

 気づけたのであれば今後のことも考えることができる。とはいっても、これといった療法が存在するのかといえば、そんなものはないというのが現状である。

 これ以上、同一化魔術を使わない。使うとしても、前回の使用から十分な間を空けること。これ以上考えられることは存在しなかった。

 精神は外部からの働きかけで治療することは難しいが、自力であれば時間とともに癒やすことが出来る。そうでなければ精神病が治るということはない。その場合、魔術について知るカウンセラーと長い付き合いを強いられるだろうが、背に腹は変えられない。

 

「士郎、あなたも他人事じゃないってことぐらい分かっているわよね?」

「……ああ。過度な使用は精神に異常をもたらす。廃人になる危険は常にまとわりつくってコトだろ」

 

 士郎とてそれは理解していた。しかし状況はそれを許さない。

 この七年で、髪の一部が変色するほどに使用を続けてきたのだ。それも世界と契約したでもない人間が。

 明らかに異常な魔力消費のペースである。自身に相当な負荷をかけているのは、傍目からも明らかであった。

 

「そうよ。魔術師である以上、その危険は常に纏わり付くわ。特にあんたもその傾向が顕著なんだから、少しは自重することを覚えなさいよ」

「……そうだな」

 

 この会話は果たして何度目だろうか。澪ほどではないにしろ、士郎とて無理を押し通せる体でないのは明らかだ。

 それでも彼は自身を省みず自らを窮地に追いやる。他人を助けるためと言って自ら破滅の道を一歩進むのだ。

 周囲の人間は気が気ではない。

 それが彼の美点でもあり、欠点でもある。少なくとも凛はその性質を改めて欲しいと常々思っていた。

 しかしこれでも多少は自重が利くようになっているのだ。あくまで多少だが。

 敵に勝とうと思えば、それこそ「全て遠き理想郷(アヴァロン)」を複数投影すれば済む。複数投影して各自がそれを持てば傷を負ってもすぐに回復させることが出来るのだから無敵だろう。だがそれをしないのは、偏にそれは自分の能力を超過しているからに他ならない。

 士郎の専門は剣である。鞘はその範疇には含まれていない。それが神秘を含まない器物であれば何のこともないのだが、それが宝具となると話は違う。

 アヴァロンを投影するとなると、それに全力を傾ける必要がある。全力といかずとも並々ならぬ精神を注がねばそれはまともな効果を発揮できないのだ。加えてこれらの投影物には基本的に世界からの修正力が働いている。それらに抗い続けて鞘を維持するのは、もはや針に糸を通すよりも難しい所業だ。

 一本だけならばまだいいが、複数となると不可能だ。一時的に一本を投影するのが限界である。

 「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)」の習得にすら血反吐を吐く努力と時間を要したのだ。それを超える格となるアヴァロンとなれば、無理からぬことである。

 そんなアヴァロンの複数投影を行わないのは、それが確実に自分を破滅に追いやることを知るからだ。それを理解し、自重する程度の思慮は身に着けていた。

 とはいっても、それをせざるを得ない状況に見舞われたら彼は躊躇い無くそれを実行するだろう。状況を判断する思慮を身に着けてはいるが、自分の優先度が上がったわけではない。

 

「まあ士郎のことは良いとして……やっぱり澪が心配ね。相当落ち込んでいる様子だったけど」

「ああ。ムリもないことだけれど、相当ショックだったみたいだ」

 

 厳密に言えば、おかしな話ではある。

 魔術師である以上、死は常に身近なものだ。死を覚悟し許容することが魔術師の第一歩と言ってもいい。そしてそれを乗り越えてこそ一流だ。

 そういう意味で、澪は魔術師らしからぬ存在だ。

 元々、あまり神秘を追いかけることに情熱を燃やす家系ではないということが大きいだろう。西洋魔術ではなく東洋の神秘が本流であることも大きな要因かもしれない。

 周囲との協調を美学とする東洋の意識が根底にあるため、西洋に比べて敵を作りづらい。東洋系の系譜は比較的、死の覚悟が足りていない傾向がある。傾向があるだけで全てがそうではないが、文化の差異は大きいものだ。

 しかし澪がまったく自らの死を覚悟していないというわけではない。普通の魔術師と比べても十分過ぎるほど覚悟をしていた。

 

 だがそれは決闘で相手に敗れる覚悟であったり、魔術の暴走で命を落とす覚悟であったりといった具合の類だ。つまり、苦しみの有無は問わず、命を落としても許容するという覚悟である。

 しかし澪のおかれた状況は違う。自我の喪失は命の喪失とは別の覚悟が必要だ。何故なら、今まで自分を自分たらしめていたものが音を立てて崩れていくというのは、健全なものが思っている以上に悲壮なものだからだ。

 例えば、もし自分の中に何か得体の知れない寄生虫が居たとしたらどうか。それは次第に脳を侵食し、本人に気づかぬうちに自分と寄生虫が入れ替わる。体全部を寄生虫に乗っ取られるとしよう。

 こんなものはありふれたSFの設定だろう。だが、それに侵された人間の恐怖は筆舌に尽くしがたい。

 事実、このような妄想に囚われ、発狂する人間は世の中に多く居るのだ。

 澪の置かれた状況はこれに近い。発狂する可能性とて、少なからず在るのだ。

 

「どうにか治す方法は無いのか?」

「無いわ。精神のこととなると薬の類でどうにかなるわけでもないし、魔術に頼るとしても他人の精神なんか弄ったら本当に廃人になりかねないわ。

 ……士郎こそ、こういうときに役に立ちそうな剣とか投影できないの?」

「そんな剣ないだろ。体を癒す剣は何本か心当たりがあるけれど、精神を癒す剣なんか知らない」

「やっぱりそうよね……。澪、大丈夫かしら」

 

 凛は本気で澪の心配をしていた。果たして今一人にして大丈夫なのだろうかと思いつつ、さりとて傍に居てもどう声をかけるべきなのかも分からない。澪が強く在ってくれることを祈るしか出来なかった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 ライダーの姿は柳洞寺の裏山にあった。たいした理由があるわけではない。単に、ここであれば姉妹兵を連れ立ったこの大所帯が身を隠すのに都合が良かったというだけだ。アインツベルンの森で待機していては、移動に相当な時間を割かれる。有限な時間を無駄にせずに活用しようと思えば、今のうちから戦場に潜んでおくことが良いと判断したに過ぎない。

 

 ライダーの懐には聖杯が収められていた。それは己の不退転の覚悟を固めるためのものだ。

 サーシャスフィールは、五日はもつと言った。しかしライダーはそれを鵜呑みにはしなかった。

 彼女の命が燃え尽きようとしているのは、通常のホムンクルスの理論値を超えた戦闘能力を発揮しているからに他ならない。使い捨てと割り切っているからこそ、サーシャスフィールはサーヴァントの足元に触れるほどの戦闘能力を持ちえるのだ。

 その戦闘能力を支えるのは卓越――というよりも超越した筋力と魔術回路だ。筋力は片腕で車を牽引する程度は難なくこなし、魔力は今までのホムンクルスに影も踏ませぬほどだ。

 しかしその両方が彼女の命を縮める要因だ。

フィジカル面に関して言えば、運動能力のみに機能が集中しているため、彼女の内臓は極めて脆弱だ。アルコールも摂取できなければ、下手に医薬品の服用もできない。

 その状態でフルに運動能力を発揮すれば、かなりのダメージを内部に負う。肺と心臓こそ強化されているものの、内臓器官は生命維持に最低限のものしか用意されていないのだ。

 汗をあまり流せないため、炎天下での活動はもちろん激しい運動は危険だ。体力の回復も難しいため、極度の疲労状態のまま睡眠をとればそのまま目を覚ませない可能性もある。

 そして魔術面でいえば、確かに魔術回路の本数やそれ自体の強度はもはや常人には及びもつかないものになっている。しかし、それはフィジカル面での脆弱さと相まって、危険な状態であるともいえる。

 そもそも魔術とは危険なものだ。魔力を過剰に消費すれば体調にも異変をきたす。

 今までライダーが派手に暴れてもおくびにも出さなかったのは、驚異的であると言ってもいいのだ。

 つまるところ、ライダーがこの世に顕現しているだけで彼女に負担をかけている。戦闘になればなおさらだ。

 まだサーシャスフィールに余裕のあるうちに全てに決着をつけなければならない。

 そもそも、あの足はいずれ切断しなければならないだろう。傷跡から壊死が始まれば、もっと早く命が燃え尽きるかも知れない。

 五日など待っていられるわけがないのだ。今日か、遅くても明日には全てを終わらせなくては。それ以上長引けば、自分が戦闘を行えるだけの余裕すらも失ってしまうだろう。そうなれば全てが終わりだ。

 今ならば、まだ自分が全力で戦っても彼女が倒れることはないはずだ。ならば、もはや何も考えず、敵を討ち滅ぼすのみだ。

 

 そうだ。何も考えずとも良い。今宵、全てを決する。

 ゆえに聖杯をここに持ち込んでいるのだ。詳しいことは知らないが、サーヴァントが脱落すれば聖杯は勝手に降りてくる筈だ。全てのサーヴァントを下した後に取りに戻るなどもどかしい。そもそも、完成した聖杯がどのようなモノなのか分からない以上、サーシャスフィールの傍には置いておきたくなかった。完成した瞬間に何か周囲に対して力を解放させるようなことがあったら、足の動かない彼女は逃げ切れない。それは避けねばならなかった。

 懐の中で輝く聖杯は、ライダーの不退転の覚悟を固めると同時に、愛した人を守るための措置でもあった。

 

 そしてライダーの懐に聖杯があるというだけで、姉妹兵の士気も肌で感じられるほど上がっていた。声帯が無いため言葉は発しないが、それでも彼女らの発する気は周囲を帯電させたかのように緊張させる。

 背水の陣、とはまさにこのことだ。聖杯は破壊されるわけにもいかない。敗北もまた許されず、退却ができる時間的猶予もない。

 ならば己らの武勇を持って血路を開く以外に道はない。

 まだ日は高く、戦闘を行うには十分すぎるほどの時間があるというのに、ライダーと姉妹兵は開けた場所から町を見下ろし、否、睨み付けて微動だにしなかった。そこに居るはずの宿敵に渾身の闘志と殺気を叩き付け続ける。

 

 策など無い。そのような賢しい真似が出来る彼ではない。

 ライダーたる張遼に出来るのは、ただ騎馬を指揮し、ひたすら戦うことだけだ。だから、策というものがもしあるならば、それは可能な限りの死力を尽くして戦うこと以外にない。

 果たして何対のサーヴァントが残ろうとも関係ない。もとより、最初からそのようなことを気にしてはいない。全てを叩き斬る。それだけだ。

 だが、策ですらない手ならば無いわけではない。

 サーヴァントは霊である。霊は魂を吸収することで、さらに力を増す。サーヴァントそのもののステータスは変わらないが、マスターからの魔力供給とは別に魔力を調達することが可能となるため、長期の戦闘が可能になる。

 だが、論外である。少なくともライダーはその選択を取ろうというつもりは微塵もなかった。

 剣は不祥の器である。しかし没義道を正し、主を守れば義の器だ。剣を執るときは常に義と共にあるべきだ。罪なき人を斬りその魂を食らえば、それは没義道に他ならない。それが武ではなく暴だ。

 ライダーが目指すは武の頂点。ならば、この手段は最初から無いのも同然だ。サーシャスフィールが令呪で命じても、ライダーは全力で抗うだろう。

 ならば姉妹兵を手にかけてはどうか。これも却下である。

 姉妹兵はライダーが命じれば、誰一人として逆らうことなく、従順に首を差し出すだろう。だが、ライダーにとっても彼女たちは半年以上寝食を共にした仲間なのである。

 もし彼女たちを殺して、サーシャスフィールの負担が多少でも軽くなったとしても、彼女はそれを快く思わないだろう。

 それに、サーヴァントにはさすがに苦戦しても、勝ちが見込めないほど彼女らは弱くない。単騎では決して適わないだろうが、二十あまり全てが一丸となって臨めば可能性はある。ここで殺して己の一部にするよりも、このままのほうがよほど戦力になる。

 だからこそ、ライダーは彼女ら全てを率いてここまで来たのだ。

 

 ライダーは己の手の内にある得物の感触を確かめ、気を放ち続ける。今彼の前に現れる者が居たならば、彼の姿は通常の何倍にも見えることだろう。

 手には一刀、成すは無双。

 迎え撃つ敵の数まだ計り知れずとも、胸の内にて猛る暴虎、その眼光些かも衰えることなし。

 武の本懐と本領がここに在るならば。主を守ることに武の片鱗でも存在するならば。一刀に宿いし青龍、その威光を以って敵を打ち砕かん。

 敵は悉く平伏せ。我は張遼、字は文遠。無双の武人であるぞ。我を畏れよ、しかる後道を明け渡せ。我を恐れよ、しかる後死ね。

 この張遼が、長き戦いに終止符を打とうというのだ。遠からん者は音にも聞け、近からんものは目でも見よ。俺の青龍堰月刀の煌く様を。我が軍が敵を蹂躙し、天を掴む様を。

 

 容赦も加減も一切なく、今宵、ライダーは全てを打ち砕くつもりであった。

 

 アサシンを恨む気持ちもある。彼奴だけは必ず自らの手で切り伏せたいとも思う。

 だがその感情は水面下で押し殺した。怒りに囚われれば大局を見誤る。ライダーが今すべきことは主の仇を殺すことではなく、聖杯をアインツベルンにもたらすことである。

 無論、あわよくば仇討ちをと考えているが、それは優先すべきことではない。

 ライダーの優れているところは、激しやすいようであるが、それは表面だけであり気炎高まるほど己の内面は氷のように冷静になることである。炎の如き激しさと氷の如き冷静さ。この矛盾する両面を併せ持つからこそ、ライダーは将としても武人としても類を見ない力を持つのだ。

 アサシンが目の前に現れたら切る。だがそれは他のサーヴァントでも同じこと。

 この勝負、最後に生き残ったものが勝者なのだ。より多くの敵を倒したものが勝者ではない。

 だがしかし、ライダーには穴倉に引きこもって期を待つほどの時間は残されていないのだ。ゆえに、今宵打って出る。

 

「遼来々ッ!」

 

 ライダーは町を見下ろしながら吼えた。その様は、獅子と虎とも、あるいは龍と例えても見劣りしないほどの勇ましさであった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 衛宮切嗣(アサシン)はとある廃ビルの屋上に姿を現した。

調査したところによると、一年ほど前に不審火によって焼失し、以来買い手も居ないまま放置されているビルである。一階は料理屋で、それより階上はオフィスとして貸し出していたらしい。不審火によって数名が焼死体の状態で発見され、以来近隣住民は気味悪がって近寄ろうともしない。火によって建物全体が崩れやすい状態であるため入り口は厳重に封鎖されているため、子供が肝試しに来ることもない。

 こんな危険なビルが放置されているのは、やはりその崩れやすい危険性からであった。

 下手に崩せば大惨事を引き起こしかねない。道路に面しない三方は密着するような形で民家が存在するため、背の高いこのビルが倒壊すれば下敷きになる。

 慎重な解体計画を進める必要があるのだ。そのため、ビル周囲に足場を組み、かつ予期せぬ倒壊を防ぐため多少の補強をしているものの、解体作業にはなかなか着手できていない。

今すぐに倒壊するということは、土木業者の懸命の努力によりまず無いといえる。不審者が一人忍び込んだとて、下手に暴れなければ命の危険に晒されることはない。そうでありながら人気が無い。

 ビルの背も高く、狙撃目標の家を見張るには申し分のないポイントであった。

 

 担いでいるゴルフケースの中から銃を取り出す。ドラグノフ狙撃銃だ。

 それを手摺の隙間から銃口を覗かせる。手摺の足の間隔はそれなりに広く、スコープ越しの視界が遮られることはなさそうだ。

 スコープを覗いて狙撃地点に問題が無いことを確認する。その屋上内で最適と思われる狙撃地点を定め、クッションの上に銃を据えた。

 近代の銃はクッションではなくバイポッドを利用することが多い。バイポッドとは銃身に取り付ける二脚のことだ。これにより銃身の位置を高く保ち、マガジンやグリップが地面に接触することによる射撃への弊害を解消することが出来る。また、射手の呼吸による手ブレも抑えることもできる。加えて銃の自重を射手と分担して支えるため、長時間の射撃には不可欠と言ってもいい。

 狙撃銃に限らず、機関銃や突撃銃などを固定して射撃する際には重宝する有能なものだ。

 バイポッドを使用できない場合は、銃を固定するにはクッションが適している。構えた状態の銃身にクッションを高くして置いておけば、バイポッドと同様の効果を得られる。

 

 これで狙撃の準備は大方整った。後は標的が姿を見せるのを待つばかりである。六百メートルまで離れてしまうと射角が浅くなり、玄関と中庭と思しき場所を捕捉するのが限度であるが、それで十分だ。出入り口や庭は住民が姿を現す頻度が高い。

 もはや非の打ち所の無い狙撃ポジションである。

 

 狙撃とは戦場において脅威となる戦術だ。アサシンは身に染みてそれを理解している。

 弾丸は目に見えない。暗闇であれば弾道が見えるのではと思うかも知れないが、それは曳光弾の場合のみだ。

航空機からの射撃や対空射撃の場合、自分の位置を隠すよりもどこに弾が飛んでいるのか確認する必要がある。その場合に曳光弾と呼ばれる射撃時に発光しながら飛ぶ弾丸を使用するのだ。それを見ながら射線を修正する。

 しかし通常の弾丸は射撃時に銃口から光が洩れる程度で、発光は決してしない。ゆえに狙撃はどこから弾丸が飛んできているのか、特定するのが難しいのだ。訓練を積んだ狙撃手は、射撃後にも位置を欺き続ける術を習得している。それが位置特定の困難さに拍車をかける。

 優れた狙撃手が一方的に相手を蹂躙するのはこのためである。

 

 周囲には同じように狙撃向きのビルが存在する。この地帯は新都からは川を隔てているものの、開発の流れがわずかながら波及した結果建てられた貸しビル群だ。自分ならばここを狙撃地点に選ぶ、という場所があと三つはある。

 この状況はかえって狙撃地点の特定が難しいだろう。数射撃っても位置は特定できまい。

 それだけあれば、相手のマスターだけでなく全員を撃ち殺すことも可能だ。狙撃されていることを理解しきれないまま、全員をあの世に送ることが出来る。

 

 まさに一方的な状況だ。

 だがここまでアサシンに有利な状況に身を置いているにも関わらず、不安要素はある。

 通常、狙撃は観測手と射手の二名で行われる。スコープ越しの視界は極端に狭い。標的を発見するのが難しいこともままある。それを補うのが観測手だ。観測手は射手に目標までの正確な距離と数を伝えることで、狙撃の確実性を増すのである。

 だがそれは望めない。マスターである景山悠司はそのような訓練を積んでいるわけではない。居るだけ邪魔である。

 一人で観測と狙撃をこなさなければならない。これはなかなかに難しいのだ。

 加えて、ドラグノフは優秀な銃ではあるが、近代の銃に比べれば見劣りする。狙撃は十分にこなせるであろうが、六百という長距離になるとその命中精度が問題になる。決して粗悪ではないが、信用は出来ない。しかも払い下げの中古である。これで信用しろというほうが無理な話なのだ。

 

 だがそれでも、今できる最善を尽くすしかない。装備に泣き言を言っても仕方が無いのだ。

 以前に衛宮邸を観測したときに使用していた軍用の双眼鏡を用いて狙撃対象を監視する。時刻はまだ午後三時を回ったあたりだ。

 狙撃対象の生活リズムなど知る由もない。だが聖杯戦争の局面を進めるつもりならば、夜にかけて外出する可能性は高い。今更引きこもるなどということも考えづらいだろう。

 今夜、アサシンはセイバーの陣営を脱落させる心積もりだ。ゆえに、よほどのことが起こらない限り狙撃を中止するつもりなどない。もし他の陣営――考えられるのはライダーあたりか――と交戦を始めたのであれば渡りに船だ。その背中をゆっくりと狙い撃てばいい。

 

 またずきりと頭が痛む。一体、この頭痛は何だというのか。

 頭痛の理由について断定はできないが、記憶を失っていることが関係するだろうことは確かだ。記憶を失っているのに無理に思い出そうとしているのか、それとも深層心理では思い出そうという気持ちと思い出したくないという気持ちが鬩ぎ合う結果なのか。

 その両方であろうことはアサシン自身も理解していた。

 そして、セイバーの陣営を全員脱落させれば、この頭痛とも決別できるのではないか、と心のどこか深いところで感じていた。それがどういう結末を呼ぶにしても、この頭痛からは開放される。直感にも似た部分でそう感じた。

 

 頭痛は、おそらくそれを為すまで治まることはない。だが、アサシンが戦うのは頭痛から開放されるためなどでは断じてない。

 この世の流血をこれで終わらせる。これが世界で最後の流血にする。

 そう本気で願うからこそ、彼はあえて銃を執り戦うのだ。

 馬鹿げているのだろう。きっと誰もが彼をあざ笑うのだろう。

 だが、それだけが彼を突き動かす全てなのだ。そしてもはや聖杯しかそれを成せるものは存在しないのだ。

 

 人を救うため、何人も見捨てた。

 悪を正すため、正義を人をも利用した。

 そうするしかなかったのだ。非力な自分はそうでなければ正義をなしえなかったのだ。ゆえに自分が正義であるなどと、口が裂けても自称することはない。誰が自分を正義などと騙ることが出来ようか。

 そこには正義しかなく、そしてそれゆえに正義ではない。なんという矛盾。だがその矛盾の中でしか生きられなかったのだ。

 だがその葛藤からも、ようやく開放されるのだ。聖杯を手にすれば、この世の流血はこの聖杯戦争で終わりに出来るのだ。

 この世に武器のない世界を。誰も他人によって傷つけられ、殺されることのない世界を。

 それはまさしく、理想郷ではないか。

 そして、その悲願の成就は目前に迫っているのだ。

 

 ――彼がかつて拒絶した、「この世全ての悪(アンリ・マユ)」の呪いは、彼にとって効果的に働いているといえよう。

 彼は記憶を失っているがゆえに、もう一度聖杯に希望を乗せて自らを求めようとしている。

 その末に、今度こそ我を認めよ。この世全ての悪を許容せよ。

 さもなくば絶望せよ。もう一度絶望の味を思い知れ。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 バーサーカーの姿は、柳洞寺の境内にあった。

 この地下に聖杯が存在している。土地を味方として掲げる彼は、無意識に最も力の強い地を選んでいた。

 もっとも、最も魔力が満ちているであろう大聖杯の場所へは行けない。どこから行けばいいのか、今の彼には理解できない。

 もしも狂化されていなければ、もしかすると大聖杯まで辿り着いたのかも知れない。土地を味方につける剣、載冠剣クラレントを所持しているのだ。意識を集中すれば、入り口の大まかな場所は分かったかも知れない。

 だが狂化されていてはそれも叶わない。結果、大聖杯の真上である寺の境内に根を下ろすことになった。ここでも十分な魔力供給が行われている。

 霊体となっているため、寺の住民に気づかれることはないだろう。霊的に優れた者ならば彼の姿を知覚したかもしれないが、幸か不幸か今の寺にそれほどまで徳の高い者は居ない。

 

 彼もまたライダーのように、その小高い山から町を見下ろしている。だがライダーと違うのは、その刃の向かうところはアーサー王に他ならない。ひいては、八海山澪が標的である。狂化さえしていなければ澪がアーサー王とは違うことを理解できたであろうが、ひとたび彼女をそれと認めてしまった今、その誤りを正す思考は持ち合わせない。

 ただ感情のままに暴れる獣なのだ。獅子でも虎でもなく、ましてや龍でもない。ただの獣だ。もはや意志も理性もなく、呪いじみた怨嗟を剣に乗せて吼えるだけの一匹の獣。

 憎きアーサー王。自分を捨てた騎士王。

 ならば自分は全ての騎士を滅ぼそう。

 全ての王を打ち倒そう。

 そのための獣。そのための剣。

 それだけが自分の正義。獣となってなお遂行すべき正義なのだ。

 

「■■■ゥゥゥ……」

 

 人知れず唸る。霊体となっていても声を発すれば聞こえることもあるのだが、そのあまりにも低い声は木々のざわめきに遮られ、誰の耳にとまることもなかった。

 その声はまるで慟哭のようだ。あまりに悲壮で、それゆえ憎しみも深い。

 彼は、本当は獣になど身を落としたくなかったのだ。本当ならば、自らの父である王に牙を剥くことなどせず、平穏な日々を享受したかったのだ。

 しかし、それは叶わなかった。一度根付いた怨嗟は抑えること難しく、王を許すことも出来ず、ただ狂える獣となるしかなかったのだ。

 今や彼を人として表現するのは誤りだろう。それはもはや人の道を外れた獣。人を呪い、ただ殺すためだけに生きるのが人の道から外れているのであれば、もはやバーサーカーは人にあらず。その身はただ一匹の獣。復讐に燃える一匹の獣。

 いや、獣など生ぬるい。もはや鬼だ。復讐鬼である。

 

 バーサーカーは期が来たならば、果たすべき正義を果たすために打って出るだろう。

 畏れるがいい王よ。騎士よ。

 今宵貴様を狙うは一匹の鬼。復讐の鬼。身を捨ててこそ浮かぶ瀬があるならば、人としての道を捨ててこそ辿り着く境地もまたあるはずである。

 聖杯に望むことなどありはしない。モードレッドの願いは、アーサー王を殺すことで満ち足りる。

 

 手に持つは「王位を約束した剣(クラレント)」。それを手に持つ者は王となる奇跡の剣。

 彼が呪うのは全ての王と騎士。ならば、それを持つ己も死なねばならぬ。

 ゆえに、もしも聖杯にかける望みがあるならば、己を殺すことのみ。アーサー王を殺したのち、聖杯を手に入れること叶うならば。その奇跡は自らを滅亡させることに傾ける。

 復讐など誰も救われはしないし、救いもしない。

 しかしそれを許容し、己の感情のままに戦うからこそ、彼は鬼なのだ。

 

 彼の怨嗟と騎士王の正義。どちらが勝るのかは、クラレントとカリバーンが教えてくれるだろう。

 手には一刀、成すは復讐。

 一匹の復讐鬼は、今宵、その悲願を果たすつもりであった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 今宵。きっと全てが決する。

 奇しくも残存する勢力は、各々の思惑を抱え、八海山澪らを狙う。己の正義を以って戦う。

 生き残るのはただ一組。名を残すのは勝者のみ。敗者について語るべきことなどない。

 聖杯を求め、その果てに己の願いを叶えようとするのはただ一人。アサシンのみ。願うは世界の平穏。他のものは聖杯にかけるべき願いなどない。

聖杯を求め、その果てに他者の願いを叶えようとするのはただ一人。ライダーのみ。その者を本当に愛するがゆえに。

 復讐のみを誓うはただ一人。バーサーカーのみ。己の正義をなすために。正義という感情を遂行するために。

 聖杯の破壊を望むはただ一組。セイバーたちのみ。聖杯は万能の釜ではなく、災厄の坩堝であるゆえに。

 

 全ては今宵決する。

 それがどんな結果をもたらそうとも、どんな災厄をもたらそうとも、全ては勝者の願いひとつだ。

 逢魔ヶ時にはまだ遠い。だが、さりとて気長に構える時間は、八海山澪らには残されていないのだった。

 


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