Fate/Next   作:真澄 十

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Act.37 対狙撃手

 どうして私がこんな仕打ちを受けなければならないのか。私は長い間を、天井の同じ一点を凝視し、世を呪うことに費やした。

 そろそろ小学生が下校する時間なのだろう。ときおり、外から無垢な笑い声が聞こえる。

 ああ、私はもうそちらには二度と戻れないのだな。

 もとより住む世界が違う。だが、そちらに行こうと思えばできた。

 だけどもう駄目だ。そちらとこちらでは、決定的に違う。私は、もう笑うことも悲しむことも出来ない、ただ生きているだけの人間になり下がるかも知れない。

 不幸になって欲しい。私は外の子供たちに対して、そんな感情を抱いた。

 幸せに笑っているのが恨めしい。それを享受できるのが当たり前だと思っているのが腹立たしい。

 そしてそんなことを考える自分に嫌悪を抱き、どうしようもなく気分が塞がる。気分が塞がれると、さらに呪いを振りまくようになる、という悪循環。

 

 自分が自分でなくなる、というのが恐ろしい。

 私は一体どうなってしまうのか。一体どんな変異をもたらすのか。

 認知症のようになるのか。それとも、狂ってしまうのか。分からない。

 そもそも私の自我ってなんだ。これが私であると誇れるようなことがあったのか。あるいは、最初から私は自我障害を持っていたのではないのか。

 自分の変化は自分では分からない。特に精神の変化など誰が分かろうか。

 私はいつから狂い始めたのだろう。私はいつまで正常でいられるのだろう。

 

 もう頭がぐちゃぐちゃで、わけが分からなくて、不安で掻き乱されて。でもだからといって考えるのを辞めるなんて割り切った真似もできず、結果周囲に呪いじみた気を振りまいて。

 私、とても嫌な子だ。

 でも……どうすればいいのだろう。誰かに助けを求めたとしても、解決する問題ではない。士朗さんや遠坂さんに助けを求めたとしても、何か出来るわけでもないだろう。精々私を励ますぐらいだ。この問題は、宝剣の力やウィッチクラフトの類で解決できる類ではない。

 そもそも、安っぽい励ましなどして欲しくない。「頑張れ」なんて言われても、これ以上何を頑張れというのか。「負けるな」なんて言われても、何に勝てば良いのか。私は現状で限界なのだ。これ以上、私をはやし立てるな。

 今なら、鬱病患者の気持ちが分かる。

 ああ……本当に嫌な子だ。

 自分を嫌悪する気持ちすら、今は愛おしく思えた。この感情もいつか消えて失せるのかも知れないと思うと、呪いを振りまく自分すら愛でたくなる。

 それはとても悲しいと、自分でも思う。

 ならどうすれば良い。どうすれば。

 

 どうしようもない。そんなことは分かっている。

 だからこそ、絶望するのだ。

 何時間かぶりにベッドから起き、引き出しを漁る。すぐに目当てのものは見つかった。

 それは儀式用の短剣。儀式用短剣にもいくつかあるが、これは普通の短剣に装飾がついただけの最下級のものだ。

 だがこれでも一端の剣である。刃は常に鋭く研いであるから、大抵のものは難なく切れるだろう。

 

 せめて、私が私であるうちに。今後、自分の意思で己の趨勢を決められないのであれば、今ここで幕引きを選択する。

 他でもない私の手で。

 死の覚悟はできている。それが無ければ魔術師ではない。

 五感に働きかけ、痛覚を遮断する。即席にしてはあっさりと術式は成功した。八海山の家系の特性は「送受信」。それは痛覚から伝達される電気信号を受信しないこと、つまり遮断することで成し得る。

 覚悟が出来ていても痛いのは嫌だ。せめて苦痛なく逝きたいものである。

 喉元に刃をあてがい、動脈の位置を確認する。少しだけ力を込めてみたら、刃が皮膚を割いて血が流れたが、痛みは全くなかった。局所麻酔を打たれたようなものだ。

 これなら何も躊躇う必要はない。

 一気に頸動脈を切断しようと、短剣を握る両手に力を込めた。

 

 鮮血をまき散らす筈の刃は、しかし薄皮一枚を割いただけであった。驚き慌てて力を込め直すが、短剣はそれ以上微動だにしなかった。

 そしてようやく、短剣を握る私の手の上から、さらに別の手が握りこんでいることに気がついた。その手が、短剣がこれ以上食いこまないように、信じられないほどの力で抑えていた。

 その手の主はセイバーだった。

 

「やめろ。やめてくれ」

 

 それはもはや慟哭に似た声だった。

 しかしその嘆願にも関わらず、セイバーは短剣を私の手から奪い取った。その切っ先を悲しそうに見つめ、それが本物の刃であることを確認すると、黙ってその短剣を机の上に戻した。

 

「……婦人の部屋を覗くなんて感心しないわね」

「紳士としての無礼よりも、騎士としての務めを優先したまでだ。

 ……ミオ、私は貴方の気持ちを多少なりとも理解しているつもりだ。何が分かるのかと思うのかも知れないが、全く分からぬほど阿呆でもない。ミオが死を選択しようとしたことも無理からぬことなのだろうと思う。

 だがそれでも、やめてくれ。如何なる理由があろうとも、それだけはやめてくれ」

「……もう、疲れたわ」

 

 そう、もう疲れたのだ。もう休ませてくれ。聖杯戦争が始まってから色々なことがありすぎて、私はもう限界なんだ。

 だからもう、休ませてくれ。楽にさせてくれ。

 頑張れなんて言わないでくれ。これ以上何を頑張らないといけないのか。これ以上頑張らないと生きていけないのか。

 強くあれなんて言わないでくれ。これ以上強くなんて無理だ。今にも折れそうなのに、いや、既に折れているのに、強くなんて無茶だ。

 死んで、頑張らずとも、強くあらずとも良いようになりたいのだ。

 

「ならば……ならば、貴方を愛した私はどうすれば良いのだ!」

 

 ――――何を。

 

「私はどうすれば良いのだ。この想いを抱いたまま、消えろというのかッ!?」

 

 その言葉は、私の脳内に渦巻く諸々を吹き飛ばし、かつ新たな混乱を生みだすに足る衝撃だった。

 さっきとは違う混乱。さっきまで頭を埋め尽くしていたごちゃごちゃが吹き飛んだにも関わらず、もっと別の何かでめちゃくちゃだ。

 部屋が暑い。エアコンの利きが悪くなったんじゃないのか。何だか顔が火照っているような気がする。汗が滲んでくる。

 それになんだか動悸が激しい。おかしいな。精神の異常は肉体面にも影響が出るのかな。

 

「じょ、冗談はやめてよ」

「冗談なものか! 私は貴方を愛したのだ!

 気づいたら、もう後戻りできぬほど、貴方に惹かれていた。ミオ、私は貴方が愛おしくて、守りたくて、それを成すためならば命すら惜しくはない!

 私は、ようやく知ったのだ。正義に唯一の答えなどないが、忘れてはならない原初の要素――それは、人を愛することに他ならないのだ! それをミオが教えてくれたのだ!」

 

 自分の顔がみるみる赤く染まっていくのが、手に取るように分かった。

 何で今、それを言う。

 死ぬに死ねなくなるではないか。だって、私だって、セイバーのことが――

 

「部屋から出ていって! ちょっと一人にさせて!」

 

 締め出すようにセイバーを退室させる。

 ああもう、私が理解できる事態を超えている。だからこの体の暑さは熱暴走なのだ。そうに違いない。

 訳がわからない。なんで? いつから?

 恋仲に落ちるきっかけなんか有っただろうか。いや――無いと思う。共通の話題といえば、基本的には聖杯戦争の殺伐としたものしか思いつかない。

 いや――そういうものなのかも知れない。気がつけば恋に落ちていた。それが本当の恋なのかも知れない。

 そもそも、恋に落ちたのはセイバーだけでは……ない。何故や、何時からという疑問をセイバーにぶつけても意味などない。他でもない私自身、分からないから。

 セイバーが隣に居るのが当たり前で、自分の気持ちに気付かなかった。今の瞬間まで、セイバーを好く気持ちに、本当に気付かなかった。これっぽっちも。

 だけど――気付いたら、それはもう無視できないほどに大きいことに分かる。大きすぎて、目に留らなかったのか。それとも気付かないふりをしていたのか。

 恋は「落ちる」と表現される。それは抗えないからだ。そして落ちてから、それと気づくからだ。それを、私は身をもって知った。

 

 もう、何が何だか分からないけれど。将来はどうなるか分からないけれど。少なくとも、今すぐに死のうという気は無くなっていた。

 消えない悲しみや苦しみがあるならば、生き続ける意味だって在ってもいいと思えた。

 命短し恋せよ乙女。

 空を見れば日は落ちかけ、空は私の胸の内のように、赤く燃えていた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 日の落ちた暗闇は狙撃手にとって鬼門でもあり、天の恵みでもある。

 索敵能力が必須である狙撃手にとって、日が落ちてしまうという状況は歓迎できることではない。夜間暗視用のスコープでもあれば話は違ってくるのかも知れないが、そんな装備は望むべくもない。

 だが同時に天の恵みでもある。こちらの存在を徹底的に隠すことができるからだ。

 しかし今回はその恩恵のみを受けることができそうだ。なぜならば、狙撃対象は民家――つまり光源の傍に現れるであろうと考えられるからだ。いくら夜間でも光の傍に立ってくれれば通常のスコープで捉えられる。加えて、スコープではないが双眼鏡は夜間暗視装置を備えているため、暗闇に紛れても位置の確認までは出来る。

 ならば、もうすぐ落ちる日は自分に利することになるだろう。

 手すりに吊るしたハンカチで風の有無を確認する。幸いにして今夜は無風だ。射撃距離も地球の自転を考慮に入れなければならないほどではない。天候も良好で降雨の心配はない。狙撃において、これ以上ないほど良好なコンディションであった。

 

 狙撃位置についてから、狙撃可能な地点である中庭と玄関において人影を補足できていない。だが無人ではない。日が落ちてきたため電灯を点けたのを確認している。

 ならば好機が訪れるまで待つ。もとより狙撃手とはそういうものだ。何時間でも、あるいは何日でも唯一のチャンスが訪れるまで待ち続ける。

 この世の流血がこれで終わりになるのであれば、例え一年でもここに根を下ろす覚悟がある。

 

 だが、いかにして聖杯がそれを実行するのかは彼にも分からなかった。分かるのは、もしも自分がそれを実行するのであれば、今までと同じ手段しか無いということだ。つまり、僅かな悪を殺し多くの罪なき者を救うということだ。

 聖杯ならば、自分の理解も及ばぬほどの神秘でそれを成し得ると信じている。そういうモノであるという触れ込みであるからだ。

 だが、実際はそうではない。

 聖杯は第三次聖杯戦争において、かつての無色の力ではなくなったのだ。それは一つの呪いであり、そして全ての悪である。それによって指向性を持たない純粋な力は、「人を殺す」という指向性を持つようになってしまった。ゆえに、もはやソレは人を貶める形でしか願いを叶えることが出来なくなってしまう。

 しかし、それでも願いが叶わない訳ではない。過程さえ度外視すれば、確かに願いは叶う。

 もし彼が聖杯を手にしたならば、それはどういう形で実現されるのだろうか。

 聖杯まであと指一本のところまで辿り着いたことはあるものの、実際に聖杯にそれを願ったことは無いため憶測でしかない。しかし言うまでも無いことだろう。願いが世界平和であるならば、「平和を乱す可能性のある人類を滅ぼす」ことで解決される。

 

 では、どうやって平和を乱す可能性があるかどうかを判断するのか。全人類を滅ぼしてしまっては、それは願いから大きく外れる。なぜならそこには既に平和という概念が無いのだ。平和という考えは人間特有のものであり、それを観測する人間が居なければこの願いは達成できない。

過程だけでなく結果まで願望と異なる結果を聖杯はもたらさない。ゆえに聖杯は、全人類の滅亡には踏み切らないだろう。加えて「人を全て滅ぼす」という行為が既に「平和を乱すもの」であり、そうなると聖杯はまず自らを滅さなければならないという自己矛盾に陥る。

 ならばどうするのか。さらなる指向性を持つ手段を取ればいい。もとより人を殺すという指向性に特化するようになったのだ。それは容易いことである。

 平和を乱す可能性があるということは、どういうことか。武器を持つ人間。戦う意思を持つ人間。少なくとも聖杯はそう判断するだろう。

 そしてそれを見つけ出すため、なんらかの手段を取る。己の泥を人型に固めて操り、人を襲うかも知れない。その泥人形に僅かでも反抗すれば殺し、また武器の類を所持していても殺す。どこまで武器と見なすかもまた議論の対象であろうが、おそらく聖杯は広義に捉え、人を傷つけ得るものをそれと見なすだろう。

人間の生活の場において、武器にならないものなどほとんどない訳であるから、ほとんどの人間は殺される。結果として大量殺戮が行われるであろうが、「世界平和」は確かにこの世にもたらされるだろう。おそらく、寝たきりの病人や精神病患者、あるいは運の良かった無害な一般市民しか生き残らないであろうから。

 

 それを知っていれば、彼は当然ながらこの戦いに参加などしていない。それを知らないからこそ、彼はここに居るのだ。

 

 そして数時間の後、中庭に人影を見つけ、それがサーヴァントのマスターであることを確認したアサシンはドラグノフ狙撃銃のトリガーに指をかけた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 あれからしばらく部屋で考えてみたが、結局私はどうしたいのかよく分からなかった。

 たった一言で死ぬ機会を逸するとは、我ながら単純な人間であると思う。それとも人間が単純なのだろうか。いずれにせよ、もはや今死のうとは思えなかった。将来は分からないけれども、少なくとも短剣を喉に突き刺す気力は失せていた。

 でも人生に希望が持てたかというと、そういうわけでもない。一寸先は完全なる闇である。

 しかしそれでも、今この瞬間に一条の光を突き付けられた今、死ぬは及ばないという気持ちにもなるのだ。やはり単純なものだ。

 問題は、その光を私が持て余しているということである。

 聖杯戦争が終わったらセイバーは消える。聖杯の中身を浴びれば受肉も出来るという話であるが、そもそも聖杯を壊すつもりであるのだから考えても詮無いことだ。

 聖杯のサポート無しにサーヴァントを留めることが出来ないという訳ではない。決して不可能ではないだろう。

 だが私の魔力量では絶対的に容量が足りない。遠坂さん辺りならば不可能ではないだろうが、人の手を借りてまでこの世に居ようとするだろうか。

 

 それとも、私のためだと言って残るのだろうか。あいつならば言いかねない。ああ見えてキザな一面もある。キザというかお調子者というか。

 ……なんて恥ずかしい妄想だ。

 

 気がつけば、暗いことではなく将来のことに目がいっている自分に気づく。死のうと思っていた自分が馬鹿らしく思える。死のうだなんて、一時の感情じゃないか。ただパニックになって、訳も分からず死を選びそうになっていただけじゃないか。なんて馬鹿なんだ。

 私は今後どうするかで頭がいっぱいなんだ。死なんて選んでいる暇なんぞあるものか。

 なんて単純。だけどそれが人間の良いところだ。

 心変わりに一晩も要るものか。ほんの一瞬、ほんの一言で人の心は百八十度変わることが出来るんだ。

 

 もちろん、自分のことに不安はある。セイバーを好く気持ちがいつか消えうせるのかと思うと怖い。

 だけど、それなら今この瞬間を享受するのが最上なのではないか、と思えるようになったのだ。いつか消えてしまうかも知れないならば、それが享受できる今を全力で受け止めるべきではないのか。

 セイバー(あいつ)のポジティブさを見習おうと決めたのだから、これぐらいで良いのだ。なぁに、心配なんか要らないって。案外なんとかなるものさ。

 セイバーにはそう思わせる力がある。もしかすると、つまらないことで悩む私は、そんなところに惹かれたのかも知れなかった。

 

 少しすると夕食の準備が出来たと呼ばれた。今日は私の当番だったのに、すっかり忘れていた。色々あったからと気を使ってくれたのだろうが、かえって今は何かに集中して胸の内の靄を一時的にでも払ってしまいたかった。

 だがありがたいことには違いない。メニューは私が考えていたものとは少し違ってしまったけれど、それに文句を言う筋合いなどあるはずもない。

 意外と元気だった私に遠坂さんと士朗さんは面喰っていたようだけれど、そんなことより、私はセイバーと何を話せばいいのかと焦ってそれどころではなかった。目が合わせられない。まるで流行歌に出てくるような「恋する乙女」ではないか。それを考えると顔から火が出るほど恥ずかしい。何が恥ずかしいって、そんな恥ずかしいことを考えていることが恥ずかしい。ああもう、また訳が分からなくなってきた。

 

 セイバーはそんな私の心境を察しているのかいないのか、食事中は何も言わなかった。普段通りに話しかけられても、私をして普段通りではないからまともに受け答えできないだろうからありがたいような、寂しいような。乙女心とは複雑である。自分でも、どうして欲しいんだと言いたくなる。

 そんな私を見て同姓である遠坂さんは何か思うところがあったのだろうか、「やっぱり仲が良いのね」と言っただけだった。

 だがその一言の威力は筆舌に尽くしがたく、セイバーはからから笑い、私は言葉を無くした。

 

 

 

 

 夕食の間、正直なところ落ち着かなかった。無駄に顔を赤くしたり汗をかいたり、とにかく疲れた。

 自室に戻ったものの、なんとなく風に当りたい気分になり、中庭に出られる縁側に腰かけて星でも眺めようかと思った。すると廊下でセイバーに出くわした。

 なんて声をかければ良いのだろう。そう考えあぐねていると、セイバーから切り出した。

 

「おお、ミオも風に当りに来たのか?」

「……ええ」

「今日は雲もない良い夜であるから、星がよく見えるだろうな」

 

 なんでこうも平常通りなのか。変に意識している私が阿呆みたいではないか。

 

「隣に居てもいいか?」

 

 心臓が飛び跳ねる音を聞いた。それを飲みこみ、なんとか平静を装う。どこまで装えているかは分からないけれど、セイバーは笑うようなことはしなかった。

 

「……もちろん」

 

 窓を開けて縁側に腰をおろし、空を見上げる。風は無かったから思ったほど涼しくはなかったけれど、果たして滲む汗が無風の熱気によるものだけなのかは、私にも分からなかった。

 だが星は、なるほどセイバーが言うように綺麗だった。琴座のベガが一際明るく輝くのが印象的だった。ベガは七夕の織女星としてよく知られ、鷲座のアルタイル、白鳥座のデネブとともに夏の大三角を形作る。

 隣に座るセイバーは呟くように、静かに話しだした。

 

「最初は私自身、それとは気付かなかった。最初に気付いたのはいつだったか……。

 ミオがかの騎士王を模倣したとき、私は一抹の寂寥を抱いたのかも知れない。私の知っているミオがどこかへ行ってしまったような、そんな感覚だ。そう思ったとき、ミオを大事に思っている自分に気づいたのだ。それが果たして騎士としての責務としてそう思うのか、一人の女性としてミオを守りたいと思っているのか、分からなかった。

 それがきっかけかも知れないな。私が自分の心の気付いたのは」

「……そう」

「ああ」

「…………」

「…………」

 

 会話が続けられない。中学生じゃないんだから、もう少し上手にコミュニケーションを取ったらどうなんだ。

 変に意識して会話が出来ないなんて。いつも通り接すれば良いじゃないか。セイバーの気持ちを知ったからって、いつもと違う会話をしなければいけないなんてことは無い筈だろう。

 しかしそれでも、色々と話したくて、でもなんて言えばいいのか分からなくて。また頭の中がごちゃごちゃだ。

 

「……ねえ、セイバー」

 

 なんとか絞り出した一声。その後に続ける言葉なんて考えていない。

 後に続ける言葉を探す思考は、しかし突如真横から聞こえた奇妙な音に遮られた。

 それはガラスの割れる音だ。横にスライドさせていた中庭と廊下を隔てるガラスが、誰かの悪戯なのか突如音を立てて割れた。

 見れば後方の壁にも穴が空いている。スリングショットか何かで石でも打ちこんだのだろうか。悪質な悪戯をする人もいるものだ。

 

「ミオ、隠れろ!」

 

 セイバーは必至の形相で私を地面に押し倒した。何事かとパニックになる私の上、今まで頭があった付近を、何かが猛スピードで通り抜けるのを風切りの音で知った。

 二つ目の「何か」が再び壁を穿ったのを見るや否や、セイバーは私を抱えて屋敷の奥に転がりこんだ。放り投げるように扱われ、腰を強かに打ちつけたが、そんなことを斟酌する余裕は私にも無かった。

 

「今のは!?」

「ミオ、今の世には長距離を狙い撃つことの出来る銃が存在する……間違いないな?」

 

 そう言ってセイバーは手早く開けていた障子を閉める。この廊下はガラスと障子の二重で仕切られている。

 その後に、身を低く保ちつつ先ほど穿たれた壁の穴まで近づき、その穴に指を入れ何かを掘り出してきた。

 確認してくれ、と差し出されたそれは、テレビで見るような円錐型のそれであった。まさしく銃弾である。

 

「シロウとリンを呼んで、絶対に遠方からは狙えない部屋に集まろう。常に身を低くして、一カ所に留まらないようにな」

 

 私は黙って頷いた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 アサシンの初弾が外れたのは運が良かったとしか言いようがない。ドラグノフ狙撃銃の有効射程ギリギリでの狙撃であるため、懸念していたとおり精度に難があった。もっと接近していたならば誤差は小さくなるが、離れれば離れるほど誤差は大きくなる。

 

 一同は協議の末、屋根裏部屋に車座になって話し合いをすることになった。部屋に居ると窓から狙撃されかねない。中庭を狙撃されたから反対側が安全とは言い切れない。狙撃手が狙撃地点を変更してしまえば、窓がある部屋は全て危険に晒される。ならば絶対に屋外から狙えない屋根裏で息を潜めるのが良い。明りも必要最低限に抑えればこちらの位置は捕捉できないだろうし、捕捉したとしても瓦を敷いている屋根をそうやすやすと弾丸が貫通するとは思えない。

 この判断は士朗と凛によるものだった。戦場に身を暫く置いていたため、二人には対狙撃手戦の心得がある。

 狙撃手と戦うには、第一に身を晒さないこと。こちらに注意を惹きつけつつ、相手の位置が分かったのであれば友軍に通信してそれを排除してもらうのが良い。歩兵が狙撃手の排除にあたることもあるが、大抵の場合は砲撃や爆撃で排除する。狙撃手一人にそれほどの火力で臨む必要があるのかと思うだろうが、そうせざるを得ないのだ。狙撃手に狙われているというだけでその隊は物陰から身動きが出来ない。たった一人の敵に何人も縛りつけられ、任務の続行が難しくなる。ゆえに、戦場ではいかに相手の狙撃手を排除するかが重要視されるのだ。

 それが出来ないのであれば対抗狙撃戦が最も良いとされる。狙撃手の役割は三つある。一つは敵の要人を排除すること。一つは敵の兵を減らすか、前進を阻止すること。一つは、敵の狙撃手を排除すること。このうち、敵狙撃手の排除はかなりの訓練を積まなければ成し得ない高等技術だ。

 なぜなら、相手もこちらも狙撃手である以上はどこかに身を隠す。狙撃しやすいうえ、体を隠せる場所に陣取るのだから、必然的に敵狙撃手の発見も困難になる。敵狙撃手がこちらを発見するよりも敵狙撃手を発見し、それを排除する。言うのは容易いが非常に難しい技術だ。

 

 そしてこの面子のなかで、それを実行可能であるのは士朗だけである。

 士朗もこの七年間でいくつかの戦場を渡り歩き、その中途で対狙撃手戦を強いられたことがある。そのどれをも打ち破ってきた。

 しかしそれは遠坂凛の魔術的なサポートに支えられていたのは間違いのない。凛が濃霧を発生させたり、認識阻害の魔術を併用したりすることで敵狙撃手と渡り合ってきたのだ。

 今回に限っては、その支援もどれほど功を奏すのか不明である。何故ならば、このような手段に訴える以上、相手はアサシンとみて間違いないだろう。つまりサーヴァントだ。魔術の類がどこまで通用するのか問われれば、全く通用しないことを前提に行動したほうが良い。特に此度のキャスターとの戦いを鑑みれば、そう考えざるを得ないのも無理からぬことだ。

サーヴァントが近代の小火器を用いることに違和感を覚えるが、それを協議するよりも今の状況を打破することが先決だ。

 

「弾丸は7.62mm×54Rか。まさか汎用機関銃で単発射撃をするとも思えないし、SVDとか64式とかの狙撃銃で狙われたんだろうな」

「当然、砲撃支援や航空支援なんか無いわけだから、必然的に対抗狙撃戦になるわね」

「ああ。だけど敵の位置が全く分からない。これじゃどうしようも無いぞ」

「夜だし、そう易々と位置の特定は出来ないでしょうね……。中庭を捕捉できる方角、かつ窓ガラスと壁に空いた穴から推測される射角の浅さから、この辺りのビルが狙撃地点かと思うのだけど。SVDだとすると有効射程ギリギリね」

「大体600メートルか……。角度から推測できる狙撃地点の高さは……大体100メートルくらいか? このビルの全長もそれぐらいの筈だよな。多分、狙撃地点はその辺りだろうけれど、もう移動しちまったかも知れないな」

 

 二人は薄暗闇で地図を広げて議論を重ねている。

 しかし澪とセイバーは二人の会話に殆どついていけなかった。澪がかろうじて狙撃地点の高さは三角関数で計算しているのだろうということを推測できただけである。

 魔術的な話ならばともかく、七世紀に生きたセイバーはもちろん現代に生きる澪ですら銃撃戦の専門的な用語のほとんどが理解できない。用語を文脈から推測したとしても、話の流れを理解するのが遅れ、当然会話には参加できなくなる。そもそも銃撃戦の心得など一切無いのだから、もとより口出しできる筈もないのだが。

 FPSと呼ばれる類のゲームの経験でもあれば多少はふたり の会話に理解が示せたのだろうが、ゲームは携帯ゲーム機でしかやったことのない澪にとってそれは全く未知の言語であるにも等しい。

 

「となると……囮が必要になるわね」

 

 だがこの単語には反応できた。何を言わんとするのかも。それはセイバーも然りである。

 確かに相手がどこに居るのか分からない以上、確かに囮を出すしかない。囮が狙われている間、狙撃手はなんらかの反応を示す。

 撃たないならそれで良い。撃てば、音や弾丸の飛来する方向、さらにマズルフラッシュを視認できれば正確な位置が分かる。実際の戦場でも当たり前のように用いられる戦術である。

 その有効性は銃撃戦に疎い澪でも理解できる。しかし、感情としては受け入れがたい。だが反論しようにも代替案が無いため口を噤むしかなかった。

 では誰が囮をやるのか、というのが問題になる。

 

「俺がやる」

 

 真っ先に名乗り出たのは士朗であった。全員がその反応を予測していた。

 

「シロウ、馬鹿を言うな。ただの弾丸であればサーヴァントである私には通用しない。囮には私が適切だ」

「それは違う。囮とは別に、狙撃手を排除する役目のヤツが要るんだ。相手はサーヴァントなんだから、俺じゃなくてセイバーにその役目を担って欲しいんだ」

 

 相手が何者か知れない以上、その戦闘能力を甘く見る訳にはいかない。アサシンは戦闘能力が比較的低いことが多いから士朗でも勝つ見込みはあるが、万全と確実を期すならばセイバーが適切だ。

 

「それに、俺には『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』がある。全方向は防御しきれないけど、狙撃手の方向さえ大まかに掴んでしまえば、射撃に対して無敵の宝具だ。銃弾が利かないのはセイバーだけじゃない」

 

 確かに士朗のそれは、トリスタンの放った矢すらも防ぐ防御性能を有している。さすがに宝具を解放した一撃は貫通されるかも知れないが、ライフル弾をも遥かに凌ぐ運動エネルギーを孕んだあの一撃を防ぎきった以上、弾丸など脅威にならない。

 士朗の指摘には一理あった。反論しようにも、それが最も適切であることにしか考えが至らず、結局その案は暗黙のうちに受け入れられることになった。

 

「ならばミオを連れていくのはどうか。ミオ、弾丸の接近を予知できるか」

「出来ないわ。それが出来ていたらさっきだってもっと早く逃げていたわよ。

 いい? 私の探査は生物か魔力による脅威しか探知できないわ。物理界にまで探査は及ばない。弾丸に魔力が込められていたならともかく、これはどう見ても通常の弾でしょう? それだと私は全く探知できないわ」

「だとしたら、ミオを連れるのはかえって危険か。となるとミオはここに残ることになるが――たった一人で残す訳にもいかない」

「そうね。私が澪と一緒にここに残るわ。状況に応じて臨機応変に動ける人員も必要でしょ」

 

 澪は単独行動が出来ないため常に誰かと一緒に行動する、というのは既に取り決めたとおりだ。そうでなくとも銃撃戦に疎い澪が誰かに付いていったところで邪魔にしかならない。邪魔なだけならいいが、命を落とす可能性も十分にあるのだ。

 これでそれぞれの役割は決まった。士朗が囮になり、敵の位置を割り出す。セイバーがそれを受けて狙撃手を排除する。凛と澪は状況に応じて適切に動けるように待機。どの役割も危険だが、士朗が一際危険である。だが士朗の顔に暗い部分は見当たらなかった。むしろ勝利を確信しているかのような、自信に満ちているようにも思えた。

 

 かくして、かつての親子は敵として対峙することになったのである。

 


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