Fate/Next   作:真澄 十

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Act.38 乱入、再び

 対狙撃手戦における囮の役割は、とにかく狙撃手の注意を惹きつけることにある。狙撃手としては自分に接近する敵は排除せざるを得ない。排除しようと思えば、無論発砲することになる。しかし囮の最大の目的はそれだ。一発の銃弾は多くのことを語る。射手の位置、銃の種類などだ。現に、士郎たちはそれらに大体のあたりをつけた。距離はおよそ六百メートル、入射角からおそらくビルなど高層な建物からの射撃、そして弾丸からおそらくドラグノフ狙撃銃であろうこと。そしてこれらの情報は、敵が一射放つごとに精度を増す。とりわけ位置情報についての精度は急激に高まる。囮は被弾を避けねばならないが、狙撃手に発砲させ、そこから敵の位置を割り出すことを期待されるのだ。

 無論危険である。銃撃戦において先手を譲るということは、そのまま頭蓋を打ち抜かれることも十分に考えられるということだ。だがそれでも士郎にはロー・アイアスに頼れば無抵抗に殺されるという事態はかなり回避しやすくなる。実際の敵の排除はセイバーに任せるため、やはり士郎が囮をやるしかないのだ。

 

「いい? 無茶は禁物よ。……特に士郎。注意を惹きつけることだけに専念して」

「わかっているよ遠坂。大丈夫、ちゃんと帰ってくる」

 

 士郎たちは玄関に集まっていた。まず囮である士郎が玄関から飛び出す。中庭にいた澪を補足できたのであれば、おそらく玄関も捕捉できるはずだ。士郎が飛び出して注意を惹きつけたのち、セイバーが補足できないであろう裏手から出る。その後、士郎は狙撃手がいるのであろう地点に左から回り込むように接近し。対してセイバーは右から回り込むように接近する。これで挟撃の形となり、視界が狭い狙撃手はセイバーの存在には容易に気づけないであろうと考えられる。

 凛は既にこういった事態には慣れているのだろう。堂々たる落ち着きぶりであった。だが実際に狙撃され、あと少し銃弾が逸れていたら即死だったという事態に直面した澪は気が気ではない。今こうしている瞬間も、相手は実は舌舐めずりをしてこちらを狙っているのではないかと思うと、先ほどの屋根裏に引きこもりたい気持ちになる。こんな薄い扉一枚よりも、瓦を敷いた屋根のほうがよほど信用できる。

 

「澪、使う機会なんいか無いと思うけど、一応渡しておく」

 

 そう言うと、士郎の手の中に一振りの黄金の剣が投影された。『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』である。華美な意匠を施したそれはまさしく王の風格に相応しく、明かりを最小限に落としてあっても威風堂々と輝く。しかしそれを受け取ったとて澪の不安が晴れるわけではない。剣一本あったとて、これで銃を相手にどうしろというのか。まさか漫画みたいに銃弾を切り落とせとでも言うつもりなのだろうか。だがそれを突き返すことはしなかった。心許無いが、無いよりは遥かに良い。武器を持っているという事実が僅かながらも心を静める。

 

「もしも何かあったとき、俺とセイバーはすぐに駆けつけることができないかも知れない。それで何とか凌いでくれ。……でも同一化魔術は絶対に使っちゃ駄目だからな」

 

 澪は黙って頷いた。もう同一化は使えない。無論使おうと思えば使えるのだが、次に使えばどうなるのか予想もつかない。さほど影響なく切り抜けられるかも知れないし、同一化したままもう戻れないかもしれないし、廃人になるかも知れない。いずれにせよ、同一化魔術は危険すぎる。もう使うつもりはない。

 使うつもりは無いが、果たして状況がどこまでそれを許容するのだろうか。

 この家がいつまでも安全である保障はないのだ。そもそもバーサーカーはこの家の場所を知っている。何せつい先日までここに居たのだ。今まで強襲しなかったのが不思議である。いつ襲われてもいいよう、注意だけはこの数日緩めたことがない。その心構えが狙撃に対して迅速に反応できたと思うと、バーサーカーに感謝したい気持ちにもなる。

 

「ミオ。……今回の戦いは、士朗の言うようにすぐに助けに入れるような類のものではない。何か危険があったら、迷わず令呪を使え」

「……分かったわ」

 

 残り二画。マスターの最大の強みであるそれは、既に一画が失われている。戦時になればこそ、その一画が惜しい。千里の道程を一瞬で踏破することも、限界を超えた行動を実行することも、あと二回しかできない。

 セイバーが続けて言った。

 

「おそらくだが……今までの激戦を経て、他のサーヴァントは決着をつける頃合いであると踏んでいる筈だ。特にバーサーカーは今すぐこの家に踏み込んできても不思議ではない。もしかするとアサシンと戦った後、いや、最中にでも他のサーヴァントが乱入するという事態も予測できる。そうなったとき、ミオに宝具使用の可否を問う暇は……おそらくない。

 だから今のうちに許可を求めたい。私の過去を見たミオは分かるだろう。私のもう一つの宝具は周囲への被害が尋常では済まない。それを踏まえた上で、私の判断で使用しても構わないだろうか」

「いいわ。貴方の判断で、思う存分やってちょうだい」

 

 セイバーのもう一つの宝具は、対軍宝具の枠組みでは済まない。対城でも済まない。それは下手を踏めば街を一つ消滅させるほどのものだ。さしずめ、対都市宝具とでもいえばいいのだろうか。実際に街を消滅させることは、おそらく無い。その宝具は『それ』本来の力と比較すれば微々たるものだ。だが『それ』は都市を一瞬で壊滅させたという伝承がある以上、『それ』の模倣であるその宝具もその危険性を孕む。

 

「ただし、市街地での使用は絶対だめ。一般人が周囲に居ない場所でなら、好きに使っていいわ」

「もとよりそのつもりだ」

 

『それ』が何か知らない士朗さんと遠坂さんは怪訝な顔をする。語弊を恐れずに言ってしまえば、セイバーのもう一つの宝具は『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』よりも神聖で、かつ周囲の被害が大きい。指向性を持つ力ではなく、使用者周囲を全て対象にする圧倒的な力だからだ。

 なぜならそれは、十字遠征を戦うものたちが望んだ神の威光。不浄なる都を滅ぼす『それ』を、彼らは神罰の象徴として欲し、ついには人の手によってそれを再現した。

 再現された神の威光。それこそ、セイバーの最後の宝具の力なのだ。

 

 だからきっと大丈夫。セイバーは無事に帰ってくる。そう自分に言い聞かせる。

 不思議なもので、一緒に戦っているときよりも強くセイバーの身を案じてしまう。どこか私の預かり知らない場所で彼が戦い、そして傷つくのが何より怖い。出来ることなら、私も一緒に行きたいという気持ちが逸る。だが、それは出来ない。私がついていっても邪魔にしかならない。ならば、ここで待つしかないのだ。バーサーカーが襲ってくるかも知れないという危険は確かにあるが、それは可能性の一つにしかすぎず、現状で最も安全なのはこの家なのだ。

 だから私はここでセイバーの帰りを待つ。お荷物にしかならないとしても、せめて軽い荷物でありたい。

 

 セイバーが腰に帯びた剣を抜く。決して折れず、曲がらず、欠けず、切れ味を落とさない『絶世の名剣(デュランダル)』。聖騎士(パラディン)ローランの持つ聖剣は、セイバーの闘志を映し出すかのように、強く輝いていた。

 それに続くように士朗さんも両手にいつもの中華剣を投影する。黒と白の二振りの剣は、装飾を徹底的に排除した無骨なものであり、あくまで実戦向け。肉厚の刃は静かに、かつ鷹揚に、不思議な存在感を放ち続けていた。

 

「じゃあ遠坂、行ってくるよ」

 

 遠坂さんは軽くうなずいただけだった。別れを惜しむキスも、抱擁もない。ただ淡泊に、「いってらっしゃい」と送り出すだけだ。それは遠坂さんが冷たいとかではなく、士朗さんが必ず帰ることを確信しているが故だろう。だから別れの儀式など要らない。ただ、いつものように送り出すだけで事足りるのだ。

 それを悟ったからこそ、私はこの二人の短いやり取りの奥にある断ち難い絆と信頼を垣間見たのだった。それは言うなれば二人だけに共通した呼吸。以心伝心にも似た、無敵の絆。

 それを私は羨ましく思った。

 

「シロウが出てから一分で私は裏の勝手口から出る。間違いないな?」

 

 セイバーが士朗さんに最後の確認をとる。士朗さんは黙って頷いた。

 苦戦するのか、それともあっさりと勝利を収めるのか、私には全く分からない。何せ相手は銃を持ち、遠距離から攻撃する相手だ。それもアーチャーのサーヴァントとは全く毛色が違う。単に遠距離戦を得意とする相手ではなく、闇に紛れ、相手がそうと気づかないうちに殺すことを旨とする相手。

 セイバーはどこまで戦えるのだろうか。そういった暗殺者と戦う術はもっているのだろうか。いや、相手の得物が銃である以上、近代戦に近い。近代戦の延長線上に位置する相手と考えたほうが良いだろう。そういった相手と戦うとき、セイバーはどうしたら良いのだろう。

 

「案ずることはない、ミオ。大丈夫、暗殺者ごときに遅れなど取らない」

「……うん」

 

 そうだ、私が心配していても仕様がない。それに私があまり心配している様子を見せていてはセイバーが安心して出ていけない。軽い荷物でありたいのなら、ここは平然としてみせなければ。

 私は自信の不安をかき消すように、少々無理に笑ってみせた。引きつった笑みだっただろう。だがセイバーもまた笑った。

 

「そうだ。ミオは笑っているときの顔のほうが美しい。ミオは頭が良いから考えすぎるのだ。時には能天気に笑っていたほうが、きっと楽しいぞ」

「あんたはちょっと能天気すぎるときがあると思うけどね」

 

 私はくすりと笑った。これは作り物の笑顔ではなく、胸の奥から出た本当の笑顔だった。

 

「はは、その調子だ。……さて、そろそろ行こうか、シロウ」

「ああ、行こう」

 

 遠坂さんが玄関に一つだけ宝石を放る。聞き取れなかったが、目を閉じて詠唱を始めた。その詠唱が終わった瞬間、宝石から濃い濃霧が噴き出す。まるで消火器のような勢いで濃霧を噴射し続け、あっという間に玄関は白く染められた。

 

「スモークはこんなもので良いかしら」

「ああ、十分だ。サンキュ」

 

 慎重に、しかし勢いよく士朗さんが引き戸を開け放つ。行き場を無くしていた濃霧は溢れだすように玄関先へ流れる。

 なるほど、スモークっていうのは煙幕のことか。囮だからあまり身を隠していては意味がないけれど、建物から飛び出す瞬間は危険極まるだろう。私の浅い知識でも、この場合は外へ通じる場所を狙い続け、視界に敵が入った瞬間撃ちぬけるようにしておくだろうことは分かる。

 

 士朗さんは十分に煙幕が充満するまで待ってから、勢いよく飛びだした。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 これは認識を改める必要があるかも知れない。アサシンはそう判断した。

 狙撃に対する反応の良さは、サーヴァントが傍に居るからそこまで特別視しなかった。危機に対する最善の行動を脊髄反射で実行する存在だ。一瞬で狙われていることに気付き、身を隠すのは当然といえば当然なのだ。

 しかしその後の行動の的確さには舌を巻く。相手は魔術師だ。何かしら小細工はすれこそ、堂々とした立ち会いを望み、馬鹿正直に玄関先から出てくるであろうと踏んでいた。そうでなくても、使い魔を飛ばして周囲を探るだろうと思っていた。

 だが相手が選択したのは、狙われている玄関先の視界をスモークで遮り、身を隠しつつこちらに接近することだ。まるで戦場に居るようだ。あの屋敷のなかに、傭兵の経験のあるものでも居るのだろうか。

 目標はこちらの位置をある程度掴んでいるのだろう。だが完全ではないように思えた。相手から見て右手側に進路がずれている。目測を誤ったらしい。ならば今のうちに排除するべきだ。

 

 手すりに吊るしたハンカチを見る。無風。この距離はおよそ五百。コリオリ力を考慮するほどではない。この距離では誤差はおよそ一センチ。今はそこまで精密な射撃を要求していないので無視する。

 標的を再確認。武器はおそらく両手に持った剣のみ。ならば相手にならないだろう。ここまで判断は的確だったが、銃を相手に剣で戦おうなど無謀の極みだ。悪運はここまでだろう。

 

 ずきりと頭が痛む。だがそれを無視する。何故か掌に嫌な汗が浮かぶが、射撃に問題はないと拭き取りもしない。

 意味もわからず震える指を抑え込み、引き金を引いた。ドラグノフは精度よりも耐久性を重視し、そしてセミオートでの射撃を可能にした狙撃銃だ。精度はボルトアクションの後塵を拝するが、制圧力ではそれの比ではない。

 

 相手の移動速度と距離を考慮し、相手のやや先に照準を合わせる。偏差射撃は命中率に難があるのは当然だ。こういった場合にセミオートの狙撃銃は生きてくる。

 四発撃つ。だがその瞬間に、相手はまるでいつ引き金を引くのか先刻承知とでもいうように別の路地に入りこんだ。銃弾はおよそ一秒遅れてそこに到着したものの、何もない空間を通り抜けただけである。

 

 アサシンは再び驚いた。この動き、対狙撃手戦の経験があるとしか思えない。相手が撃ちたいであろうタイミングを知っている。

 焦る気持ちが僅かに芽生えた。近代戦の心得がある魔術師など、おそらく自分だけであろうと思っていたからだ。だが即座に冷静を取り戻す。相手に近代戦の心得があるならば、それを前提として狙撃するだけだ。アサシンは再び引き金を引いた。

 

 だが、相手の力量に驚いたのは士朗もまたそうであった。

 狙いをつける速度が尋常ではない。かといって狙いが悪いわけでもない。迅速で正確な狙撃だった。ある意味でこの長距離に助けられている。銃弾がこちらに到着するまでの僅かな時間がこちらに有利に運んでいる。短いインターバルで頻繁に進路を変更すればそう簡単に弾丸を食らうことはない。直進は決してせず、蛇行や速度の緩急をも織り交ぜれば被弾は無いといってもいい。

 だが相手はこのまま進んでいれば確実に被弾したであろうという正確さとこちらの想定を上回る照準速度でこちらを狙っている。これは容易に接近できそうもない。

 

 もしかすると通常のサーヴァントのほうが捌きやすいかも知れない。例えばトリスタンが相手だとしても、音速を超えるもののあの銀の矢は僅かな光も反射するため視認が可能だ。だが銃弾は違う。そもそも容積が小さい上に、発光もしなければ反射もしない。暗闇では視認など不可能だ。その状態で弾丸を回避し続けることがいかに困難か。

 ロー・アイアスで銃弾を受けとめることも出来る。だがあれはいざという時の切り札だ。切り札は最後まで隠すからこそ、いざという時に力を発揮する。それにロー・アイアスを展開し続けてしまっては、相手は分が悪いと判断して逃げてしまう。今後、狙撃の脅威に晒されないためにもここで排除することが望ましい。だからロー・アイアスはぎりぎりまで使わないつもりだった。

 おもむろに音声が耳に飛び込む。澪を中継したセイバーからの念話だ。

 

『シロウ。私も今屋敷から出た。そちらはどうだ』

 

 だが光明はある。こちらは必ずしもアサシンの元へ行かなくても良い。それはあらゆる点で戦闘能力が勝っているセイバーに任せればいいのだ。自分は時間稼ぎだけに専念するだけで済む。セイバーの行動を悟らせないように、徹底して自分に注意を向けさせることが今の自分の役目だ。

 

『こっちは大丈夫だけど急いでくれ。予想以上に腕がいい』

『心得た。向かう先に変更はないな?』

『ああ、どうやら最初から当りを引いたみたいだ。予定通りに動いてくれ』

『任せておけ』

 

 そこで念話は途切れる。直後、再び進路を変更する。ビルからの死角に入り、ここで息を整える。

 狙撃手にとって、一番狙いやすいのは規則的に動く相手だ。例えばずっと一定速度で直進する相手ならばさほど難なく撃ちぬくことが出来るだろう。

 それを逆手に取ればいい。相手の照準速度をある程度予測できれば、相手が照準を合わせる頃合いまで直進なりしてわざと狙わせ、照準をつけ終わったと踏めば進路をランダムに変えて身を隠すなり回避するなりすればいい。相手はなまじ照準を合わせる余裕を与えられるため、意識はこちらに集中させられる。これこそ、士朗が数年に渡り中東で戦闘を重ねた末に編み出した対狙撃手戦の戦法だ。かなりの長距離からの狙撃であることが前提条件だが、条件さえ合っていれば狙撃手にとって厄介で、そのうえ無視できないという泥仕合を演じることが出来る。囮としては最大の効力を発揮できていると言える。

 

 それが功を奏し、セイバーは今のところ何の障害もなく前進することが出来ていた。アサシンが居るとされるビルに決して姿を晒さぬように、慎重かつ迅速に進む。

 

(……大したものだ。剣の才は無いが、戦闘者としての才能はその限りではないということか?)

 

 セイバーは素直に感嘆していた。敵と認めたならば最短距離で疾走し、剣が届くところまで寄って斬る。セイバーに出来ることといえばそれしかない。ある種、究極の極意ではあるが、愚直でもある。

 その点、士朗は違う。士朗の剣戟からも窺える、論理で構成された戦術。いかにして相手に勝つか。矜持や思想を徹底的に排除し、ただ戦闘に勝利することのみを目的とした刃。それは、邪剣と表現しても差し支えないのだろう。だが、セイバーはそれを美しいと思った。彼には信念があり、そのためには勝利しなければならない。その事情を知るからこそ、その無機質な剣戟に美を見出す。

 それはこの作戦も同じだ。セイバーならばこんな手段は使わない。正々堂々、弾丸を全て叩き落とすか回避して、一太刀浴びせる。それがセイバーの戦い方であるし、騎士の戦いであると信じている。

 だがそれでも、今すぐ飛び出して名乗りを上げたい気持ちを抑えてでも、ここは士朗に従うことに決めた。

 

 こういった状況は士朗のほうがより知っているからという理由もある。だがそれ以上に、セイバーは士朗の通った道を、士朗のとる選択を通して見てみたいと思ったのだ。士朗は何を選び、何を切り捨てるのか。それを見てみたい。だからこそ士朗に委ねてみた。

 

 士朗の通った七年間を聞くことが出来ない。それはきっと悲痛な道であっただろうから。

 自分が通った一生と同じか。それとも違うのか。聞いてはならない。安直に問いをかけることが、時として人を傷つけるから。

 なればこそ、士朗の選択を見届けたい。交わした剣戟で、自分の思いは伝わったのか、それを知るためにも。

 

 夏を前にした新緑を揺らし、突風となって突き進む。しかし静かに。物陰に身を隠しつつ、アサシンに気取られないように。そう、自分がアサシンになったつもりで動くのだ。

 一刀の間合い、否、一息の間合いまでこのまま近づこう。ビルの上に陣取っていようと、構うものか。垂直に佇む壁など踏破してみせる。

 

 一度立ち止まり、ある民家の塀に身を隠しつつ、目標とされているビルの屋上を睨む。サーヴァントの目と勘は常人よりも優れるが、非常に優れているというわけではない。千里眼のスキルがあれば下手人の顔を見ることも出来たかも知れないが、ここからでは全く分からなかった。

 だが、一瞬、ほんの僅かに光るものを見た。それは気のせいで片づけることも出来る、ごく僅かな光。だがセイバーはそれを、銃口から漏れた炎――つまりマズルフラッシュ――であると確信した。

 

『シロウ、ビルの屋上から一瞬だけ光が見えた。下手人はそこに居るとみて間違いないな?』

『俺も確認した。マズルフラッシュで間違いないだろう。予定はこのままだ』

『うむ。あと二分もあれば到着する。それまで持ちこたえてくれ』

『分かった!』

 

 さて、あと目測で半分ほどの道程は踏破した。残り半分。そこまで辿り付ければ勝機はある。

 一瞬で進む道程を決める。ビルに近づきつつ、しかし死角に隠れ続けるとなると場当たり的に進むわけにはいかない。

 決定したルートを進もうと一歩を踏み出す。だが、二歩目は背後よりかけられた声によって引きとめられた。

 

「おう、セイバー。探したぞ」

 

 まさか、と弾かれたように振り返る。

 着込んだ鎧の上からでも分かる隆々とした筋骨。重い得物を片手で軽々と持ち上げる益荒男。黒い毛並みの軍馬に跨り、眼光鋭く、セイバーを見据えるその男は、セイバーと幾度も刃を交えた相手であった。

 

「ライダー……」

「何をこそこそとしている。こそ泥でも始めたか?」

「……」

 

 これはまずい。セイバーは奥歯を噛み締めた。

 ライダーとの対峙を想定していなかったわけではない。だが、アサシンとの戦闘前に出会ってしまうことは考えていなかった。ライダーがここで自分を逃すとは考えにくい。そうなれば、士朗が自分でアサシンを排除しなければならない。

 アサシンは暗殺者であるから、通常の戦闘であれば士朗でも十分に勝機はあるかも知れない。だが危険極まる。かといって、ライダーを相手にするとなると、自分がアサシンを相手にする程の余力を残せるかといえば、疑問であるとしかいえない。

 

「まさかセイバー。俺がこのまま貴様を逃すなど、考えているわけではないだろうな。

 何やら火急の用がある様子だが、そんなことは俺の知ったことではない。構えろ、セイバー。さもなくば首を刎ねるだけだ」

 

 見ればライダーの背後には、白装束で身を包んだ姉妹兵の姿があった。その全てが同じ得物で武装している。

 これは逃げられない。セイバーはそう判断した。もとより騎乗したライダーの速度には勝てない。加えて、ライダーの宝具馬の速度もまたかなりのものだ。逃げようがない。

 逃げられないのであれば、もはや戦う以外にない。速攻で片づけて、アサシンの元へ向かうしかない。

 

『シロウ。邪魔が入った。ライダーに出くわしてしまった。

 ……どうにか持ちこたえるか、自力で排除してくれ。すまない』

 

 返事は聞かなかった。いつまでも会話している余裕はない。

 だがセイバーは最後に、澪には念話で語りかけた。

 

『ミオ、聞いていただろう。ライダーに出くわしてしまった。出来るなら、リンと一緒にシロウを助けに行ってくれ』

『……わかった。気をつけてね、セイバー。全部終わったら、また宴会でもしましょう』

『それは楽しみだ。次は脱ぐなよ』

 

 未来への約束をするのは、必ず帰ってこいという思いの表れ。セイバーは、ならばそれに応えようと気力を全身に漲らせる。

 左手には盾。右には剣。それらを握る力は信念と決意。

 退くことは叶わない。勝利を収めねば何も成せない。なればこそ、残るは不退転の覚悟のみ。決して屈せぬ。決して負けぬ。

 我、勝利を確信せり! モンジョワ!

 

「そこを退けえッ!」

「出来ぬ! 我が屍の先にそれを成すがいいッ!」

 

 強い踏み込みと共に放たれる剣と、それを受ける堰月刀が激突する酷く重い音。その残響が、暗い夜を引き裂くようだった。


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