Fate/Next   作:真澄 十

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Act.40 激戦

 三者がそれぞれ別の敵と邂逅したことは士郎にとっても予想の埒外であり、そして異常事態でもあった。士朗はその事実を凛からの念話で聞かれたとき、そちらを加勢すべきかと考えた。しかし、どう考えてもそれは出来ない相談であった。

 あの狙撃手から背を向けて逃げられるものか。仮にも相手はサーヴァントなのである。遠距離からの狙撃が可能な相手を前に背を向けて走り出すなど、相手に首を差し出すことと何ら変わらないのだ。何せ相手からすれば完全に一方的な攻撃を加える好機である。ここぞとばかりに猛攻を仕掛けるだろう。士朗からすればサーヴァントを相手にし、ただ一人でビルの屋上に釘付けにしているこの状況こそが望みうる最高の戦果である。ここから離脱することも難しければ撃破することも困難。既に進退ままならぬ状況に身を投じてしまっている。狙撃手を相手にする戦いとはえてしてそういうものだ。近づくことも困難だが逃げることも困難。だからこそ通常は隊を複数に分割して攻略するのだ。

 士朗も今まさにそのような状況にあった。ある程度の距離を踏破することはできたものの、これ以上先に進むことが難しくなってしまっている。かといってここから逃げ出せば背中から撃ち抜かれるであろう。士朗は家屋の塀に身を隠したまま、立ち往生を強いられていた。

 

 しかしそれはアサシンにとっても同じであった。通常ならば、今すぐにでもこのビルを離れるべきである。狙撃手にとって最大の強みとはこちらの位置を隠したまま攻撃を加えることが出来る点であり、その強みが失われたのであればここに居座る意味はない。むしろ対抗狙撃の的になる可能性も考えれば、次の狙撃地点に行くべきなのだ。

 それが出来ない理由は、他に狙撃地点が存在しないと言っても良い点と、近代戦に長けた魔術師という自分以外に類を見なかった敵の存在である。

アサシンに言わせれば、魔術を目的にする輩は取るにたらない得物である。魔術をあくまで学問の範疇で用いているならば近代兵器が遥かに強大なのだ。しかしそれを戦闘に特化させた場合、近代兵器にならぶ脅威を持つに至る。例えば何も無い空間から炎が噴き出たり、限界まで身体能力を強化して音速に至るほどの速度を身につけたりといったことが魔術では可能となろう。

だがそれは近代兵器では事もなげにやってのけることである。炎が欲しいならば火炎放射機やマッチがあれば良く、音速に至りたいのであればジェット戦闘機にのれば良い。しかも特別な素質がなくとも扱え、魔術よりも広範かつ高威力を簡単に保有できるという長所をもつ。魔術の利点といえば、兵器のように大がかりな装置が必要にならないことだけである。

しかし近代兵器と魔術が融合したとき、そのどちらをも超える戦闘術が編み出される。亜音速の移動速度で超音速の弾丸が人の身から発射される。通常の銃弾ではありえない、物理的にも魔術的にも防御不可能の弾丸を射出することも出来る。

衛宮切嗣が『魔術師殺し』として悪名を轟かせたのも、また幾つもの戦場を潜り抜けたのも、この特殊な戦闘技術によるところが大きい。手段を選ばない残忍さをさることながら、誰も真似ようとも実行しようともしなかった戦闘技術にこそ衛宮切嗣の真価が存在する。例えば、相手が魔術師であれば殺すのは容易い。彼らは一発の銃弾に注意を払わず、また払ったとしても軽視する。魔術的な殺傷能力を付加させた銃弾を前に、障壁を張っても張らなくとも倒れることは決定しているといっても過言ではない。引き金を引かせた時点で死は確定的なのだ。一般人を殺すことは更に容易い。何故ならば彼らは魔術を知らぬ。

しかし、それを自分に向けられることは無かった。あくまでこの戦闘技術は己のものであり、人からそれを向けられることは皆無であった。

格闘術や剣術に魔術を取り入れることは多々ある。だが、近代戦を知りつつそれに魔術を取り入れた存在は今まで自分ただ一人であった。

 

しかし、今対峙している男は違う。あの男は自分と同じだ。ここまで接近を許したことがそれを証明している。通常の魔術師であれば既に絶命しているだろう。あの動きは市街戦を知るものにでなければ不可能である。それも、魔弾や矢による攻撃ではなく銃弾による攻撃に対する処方である。飛来する様が視認できる前者とまず不可能な後者では処方は大きく異なるのだ。

故に、アサシンはこの男に最大級の危険性を認めた。自分を殺す相手が居たとすれば、サーヴァントのようにあまりにも実力が離れた相手であるか、自分と似た戦闘技術を持つ相手である可能性が高いからだ。――例えば、実際に銃を持たずとも銃弾飛び交う戦場で戦い続けた者のような。

そしてアサシンは男に危険性を認めるがゆえ、ここで排除することを決めた。リスクは高いが、ここで殺さなければ後々に危険に晒される。自分の戦闘方法――闇討ちやだまし討ち――に自分が晒されるよりも、ここで危機を潜り抜けたほうが確実かつ安全であると判断したのだ。自分と似た者が現れたため、その相手に自分を重ねて考えた結果の判断である。

アサシンにとって、これは初めての経験であった。純粋に身体能力が高いものや、高い魔術的素質を持つものによって追い詰められたことは幾度もある。だが、そのいずれも銃の前に倒れてきた。しかし、魔術師でありながら銃に対抗する処方を身につけ、自分の銃弾を卑下せずに向かってくる相手など皆無であると言って良かった。

 

しかし、だからと言って慄くアサシンではない。そして、狙撃に怯む士朗ではない。両者とも不退転の覚悟でこの戦いに臨む。ここで退却を選択すれば、後々に危険に晒される。ゆえにここで倒すべしだと、両者は同一の結論に達したためだ。

アサシンは士朗が身を隠す物陰へ向かい、牽制するように数発銃弾を放つ。無論、通常の弾丸である。起源弾は必殺を期したときのみ使用するべきものである。訓練の足りないものであれば、数発の銃弾で牽制されただけで冷静を欠き、遮蔽物から飛び出ることが多い。だが士朗は平常心を乱しはしなかった。身を隠す塀はコンクリートで固められている。対物ライフルによる射撃でない限り、これを貫通することはあり得ない。ならば好機を見出すまでここに身を隠し、体勢を整えるべきだ。

 

しかし好機など訪れるのだろうか。頼みの綱のセイバーはライダーと交戦中、保険であった澪と遠坂はあろうことかバーサーカーと交戦中である。ここで機を窺っていても真綿で首を絞めるようなものだ。ならば好機は自分で切り開くべきなのではないのか。

ではどうするのかと言えば、どうすることも難しい。そもそも狙撃手に狙われた時点で、狙撃される側は圧倒的に不利である。

唯一取れる手段は対抗狙撃である。これは、狙撃手を狙撃することであり、対狙撃手戦でよく用いられる手段である。狙撃手は動かずに構えていることが多いため、よい標的となる。これを狙撃するのだ。士朗の場合、弓で射るということになる。

だが、いくら士朗の視力が良くとも限度というものがある。現在は夜間であり、狙撃手はその闇に溶け込むように擬態しているであろう。この状態で距離百メートル弱かつ高度五十メートル先にいる標的を目視できる筈がない。通常ならば、その相手を裸眼で狙撃するなど不可能である。せめてビルに光源があれば見えるだろうが、電気は遮断されているのか全くの闇であった。正直な話が、ビルの輪郭すらまともに捉えられない。

士朗の弓は引き絞ればその程度の距離は容易に射程に収めることができる。そもそも弓道の遠的は90メートルで行う場合もある。その程度は飛ばなければ話にならない。だが、士朗の視力がそれに追いつけていないのだ。

英雄エミヤシロウの持つ鷹の眼を士朗は未だ持つに至らない。魔力で視力を水増ししようと、光源の無いビルの屋上を見るのは不可能である。

何故、英雄エミヤシロウは鷹の眼を得るに至ったのか。視力というものは訓練次第で伸ばすことは可能であるが、英雄エミヤシロウのそれは訓練で説明できる代物ではない。ならば特別な何かが存在する筈である。

その答えを、士朗は既に受け取っている。稗田阿礼は言った。余計なモノを見ないことだ、と。目がモノを見るには光が必要だが、光とは即ち粒子の波である。波であるから、他の波と混合してひとつの光となってしまうことがある。ちょうど、騒音の中で話しかけられても弁別できないように、光もまたそのような属性を持つ。ならば、可能な限りノイズを除去することだと彼女は言った。

ある程度までなら、魔力による視力の水増しで遠方を見ることが出来る。だが、これでは限界が存在するのだ。現に士朗の視力は英霊エミヤに大きく劣る。

ノイズの除去を、如何にすれば実現できるのか。その術に士朗は辿りつけずに居た。

 

(……迷っている暇なんかない。ちょっと被害が大きくなるかも知れないけれど、ここは一発お見舞する)

 

 彼我の距離は百、高度差は五十、即ち弾道距離は約百十一。狙撃手は見えなくとも、ビル最上階の大まかな位置はわかる。損害は最小限に抑えたかったが、今は拠無い事情がある。ビルのオーナーが保険に入っていることを願うのみだ。

 

「――投影、開始(トレース・オン)

 

 投影される剣は負けずの魔剣(クラウ・ソナス)。ひとたび抜き放てば、光と火炎を放ち必ず敵を仕留める剣である。赤原猟犬(フルンティング)で無いのには理由がある。相手を視認できない状態から放っても、クラウ・ソナスおよびフルンティングは満足な効力を発揮できない。命中に僅かな補正は得られるだろうが、それでも必中とはいかないだろう。ならば当てずとも火炎による負傷を期待できるクラウ・ソナスのほうが有利である。

 

 剣に続いて弓を投影する。英霊エミヤと同じ漆黒の弓である。

 士朗は弓に(クラウ・ソナス)を射掛け、身を隠したまま機を待つ。銃の装弾数はマガジンの改良や換装によっていくらでも増減するが、あまり大きなマガジンは狙撃の際にかえって邪魔になる。装弾数はそこまで多くない。ここでじっと身を隠し、マガジンを交換する機を窺う。

 

 一方、マガジン交換による隙はアサシンにとって致命傷につながる要素となる。通常、マガジンの換装によって生じる隙によって危険に晒される状況というのは、比較的近距離での銃撃戦に限った話である。銃撃戦ではなく狙撃戦と称されるような距離では換装の隙など隙とは表現できない。だが、こと魔術師同士の戦いにおいて、わずか数秒でも反撃が不可能な時間が生じるというのは致命的と言わざるを得ないのだ。

 よって牽制で放つ銃弾も抑える必要がある。マガジンに入っている弾丸はもう残り少ない。予備はまだ大量にあるが、今換装すると相手に反撃の機会を与えることになりかねない。

 結果、両者は互いの動きを待つ姿勢に入った。全神経によって相手の一挙手一投足を注視する。士朗はむろん物陰に隠れつつであるが、鏡を巧みに使って相手の位置を監視し続けた。鏡程度で視認できるわけがないが、何か大きな動きがあった場合に見逃すほうが痛手となる。

 

 だがこの拮抗は長くは続かなかった。あえて先に動いたのは、仲間が別の場所で危機に晒されている士朗である。可及的速やかにアサシンを排除し、そちらへ向わなければならないのだ。相手もマガジン交換の機を悟らせまいとしていると察知し、あえて先に仕掛ける手を選ぶ。

 クラウ・ソナスをひと薙ぎする。すると剣からは火炎が迸り、周囲を瞬く間に覆った。しかし火炎はアスファルトを焦がすのみに留まり、延焼を起こす気配はない。士朗がクラウ・ソナスの出力を巧みに操っているからである。

そして士朗は、その火炎を目くらましにして遮蔽物の壁から躍り出た。だが火炎が士朗を焼く気配はない。クラウ・ソナスは抜けば敵を必ず貫き焼き払う剣であるが、術者を焼くようでは炎の剣(フレイムタン)として不完全である。

だがアサシンがこの隙を見逃すはずもない。素早く照準を定め、トリガーを引いた。素早く、的確に。

しかし士朗もまたこれを見越している。士朗はビルの屋上を睨んだまま、クラウ・ソナスの力を再び引き出した。

その瞬間に士朗の眼前に現れたのは、火炎の壁と表現すべきものである。決して大きくはないが、士郎を覆いきるほどの高温高密度の火炎が姿を現した。それはもはや、溶岩の壁と言っても遜色ない。いや、溶岩などとうに超えた温度を有するだろう。

アサシンの放った弾丸は狙い通り士朗を撃ち抜く筈であったが、その進路上に火炎の壁が生じたことで、必然的に弾丸はこの壁に突入することになる。

当然ながら鉄は高温に晒されれば液体となるし、さらに高温であれば蒸散する。音速を超えた速度で放たれた弾丸は、火炎の壁に突入するや否や一瞬で蒸散した。むろん、士郎は無事である。

アサシンはこの結果に驚いた。まさか、魔力で編んだ障壁に身を隠すでもなく、弾丸を融解させることで防ぐとは。

この防御手段では仮に起源弾を撃ち込んだとしても効果は期待できない。そもそも術者に命中していない。火炎を打ち消すことが出来るかどうかは怪しいが、それを成し得た瞬間には蒸散しているのだから結果は同じである。

――いや、それよりも。

あの剣は一体何か。どこに隠し持っていたというのか。いや、隠し持てる筈がない。あの剣は明らかに隠し持てるサイズを凌駕している。あらかじめあの場所に隠していたとも考え難い。ならば、“何らかの手段で生成した”と考えなければならないだろう。

投影魔術。

その答えに行き着いた瞬間、耐えがたい頭痛がアサシンを襲った。そして同時に悟った。あの男もまた、かつての自分が知る人物だ。

ある意味で、セイバー陣営に手を出すのは時期尚早であると今の今まで襲撃を遅らせたアサシンの直感は正しかった。あの男はきっと、自分を知っているのではないか。おそらく、心のどこかでその意識があったからこそ、アサシンは衛宮邸を攻撃してこなかったのだ。

しかし、こうして対峙した以上、アサシンには引き金を引く以外の選択肢はない。正確には、自ら他の選択肢を閉ざした。己の心を押し殺し、正義を実行する機会であるために。そうでなければ今まで生き残れなかったし、これからもそうするのだ。

 

かぶりを振って冷静な思考を呼び戻す。本当に投影魔術であるとすると、これは少々厄介だ。

投影魔術には起源弾が通用しない可能性が大いにあるためだ。

起源弾の特性を簡潔に述べると、相手に命中した際に相手の魔術回路を暴走させ、破滅させるという代物である。これは礼装に命中しても効果が得られる。なぜなら、通常ならば礼装には術者の魔力が巡っており、これを介することで術者もろとも破壊することが可能であるためだ。

そのため投影魔術に対してもそれは期待できる。だが、例外は常に存在する。

そもそも投影魔術によって具現化した代物は、言わば一つの完成品であるといってもいい。つまり、術者の魔力が循環していない場合、投影品を破壊するに至っても術者は破壊できない。白兎を起源弾で抹殺せしめた時の状況がそれを物語っている。白兎はこれ以上ないほど凄惨な死を迎えたが、宝具の術者であるライダーは全くの無傷である。

つまり、それ一つで独立した存在であれば、起源弾は効果を及ぼさない。

投影した物品は礼装の類であれば問題はない。だが、魔的な力を持たない通常の物品であった場合、それは術者の手から離れた物体である。術者の魔力で編まれているといっても、その物体と術者との間に繋がりがなければ起源弾は封殺されるも同然なのだ。

 

 投影魔術を戦闘に用いている場合、どのような対抗策を取るべきか――それを考えていたとき、おもむろに火炎の壁が四散した。

その奥から、こちらを黒い弓で狙う士郎の姿をアサシンは見た。しかも、矢ではなく剣を番えている。

この瞬間のアサシンの驚愕は、もはや理の通らぬものである。どう考えても、あんなものでこちらを攻撃できる筈がない。いくら魔術師といえどもそれは無理だ。

だが、アサシンは咄嗟に退避を選択した。固有時制御を駆使し、屋上から階下に伸びる非常階段へ一目散に駆け抜けた。

 

その様子を士郎が知る術はない。ただ、アサシンは屋上にいるものと決め打ち、屋上ごと攻撃する腹積もりである。

士郎は狙いを定め、クラウ・ソナスに命じる。屋上に存在する敵を穿てと。

そして必殺の気迫とともに、射掛けた(クラウ・ソナス)を放った。その瞬間、剣は夜を一直線に斬り裂くような光を放ち、それと共に火炎を引き連れ、屋上へと飛翔した。

射角を考えれば敵を穿つことなど不可能である。また、明確な標的を設定されていないため、アサシンを追尾することも出来ない。

しかし剣は術者の命令を忠実に実行すべく、屋上まで到達した瞬間、今まで以上の閃光を発し爆発的な火炎を放った。いや、爆発以外の何物でもないだろう。炎は一瞬で膨れ上がり、膨張した空気は熱い衝撃波となり、ビルの窓ガラスをことごとく破壊しつくした。赤い火炎の花が咲いた後、一瞬だけ送れて轟音が鳴り響いた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 咆哮と共に放たれるライダーの一撃を、セイバーは受け止めるのではなく捌くことで防いだ。ライダーの一撃はどれをとっても必殺に足る重さを孕んでいる。それを弁えたのであれば、受けるのではなく流すように捌くことが最上の策である。こちらの体力の消費を最低限に抑え、相手が憔悴するのを待つことが勝利への最短距離であると考えた。

 しかし、ライダーは未だ意気軒昂。それどころか一撃ごとに重みを増している。まさに鬼神のごとき強さであった。

 そのライダーの攻撃をここまで防げたのは、偏にセイバーの宝具「絶世の名剣(デュランダル)」の力によるところだ。折れず、曲がらず、決して欠けることの無い剣は白兵戦において絶大な効果を持つが、それは何も攻撃に限ったことではない。

 相手の一撃を防ぐ際、盾以外の防御手段を問えば、それは刀剣以外に無い。剣を以って敵の剣を防ぐ。しかしこの際、刀剣の歯が欠けたり、あるいは折れたりすることは想像に難くないだろう。

 相手の攻撃を防ぐと、期せずしてこちらの攻撃能力が減衰するのである。

 しかし、デュランダルを持つ者に限っては例外が適用される。どんな過酷な状況に晒しても決して折れぬのであれば、極論、盾よりも優れた防御手段になりえる。

 現にセイバーは既に盾の具現化を解き、デュランダルを両手で構える。ライダーの一撃は普遍的な盾で防ぐにはあまりにも脆弱であった。

 セイバーは攻撃と防御を同時に行なえる利を取って盾を装備していたが、仮に盾がなくともセイバーの力はいささかも衰えない。今まで攻撃主体の装備であったのが、盾を捨てることで却って防御主体になった、ただそれだけである。

 

 黒兎がその健脚をいかんなく発揮し、決して広くはない路面を縦横無尽に駆ける。空間を必要最低限かつ最大限に活用したその動きから放たれる一撃必殺かつ一撃離脱の刃は、セイバーをかつてないほど苦しめた。

 通常、一撃離脱の戦術はよほど速度が相手に勝っていないと使えぬ戦法である。加え、攻撃を放った後にすぐさま安全な間合いに身を置くことが可能なだけの空間が必要だ。そのため、このように狭い路地ではあまり有効に働かない。走り抜けた後、すぐに馬首を返す必要が出るためだ。

 

 しかしライダーはただの一度も追撃を許さなかった。セイバーは、ライダーが馬首を返すその瞬間を幾度とも狙ったが、その度にライダーはこちらを一瞥もしていないというのに、馬首を返すその勢いに乗せた一撃をこちらの喉元に放つ。そのため、隙が確かにあるにも関わらずそれを活かしきれない。

 ライダーと姉妹兵十人の間で行なわれている視覚共有の効果は思いの他絶大であった。こちらの死角は死角とならず、敵の死角は常にこちらの目がある。

ライダーはこの知恵を授けたサーシャスフィールに感謝した。存外、魔術も便利なものである。

しかし特筆すべきは、初体験である筈の視覚共有を難なく自分のものにしたライダーの器量である。術式自体は姉妹兵が行なっているものの、己の目以外から見る視界にやすやすと対応できるものではない。通常、己の目は閉じて視界を遮断し、その上で他者の視界を共有するものである。それをあろうことか、自分の視界もそのままに、十を超える視界を認識し続けている。

恐るべき集中力と対応力であった。いや、そうでなければここまで卓越した戦士として名をはせることは無かったかも知れない。

 

セイバーは歯ぎしりを抑えられなかった。ここまでの強敵が存在するとは。

せめて、こちらも馬上であれば。あの速度に対抗できれば。

あるいは、ここで宝具が使えたら。だがそれは出来ない。ここで放てば、まさしく無差別殺戮と化してしまう。それは――もう嫌だ。

 

 ライダーが馬首を返し、セイバーまで突進する。そのまますれ違いざまに振り下ろす一撃。それをセイバーは一瞬の見切りで回避し、逃がすまいと刺突を放つ。しかしライダーはセイバーの稲妻の一撃を、堰月刀を巧みに操り、柄で弾く。鉄製の柄から火花が散るが、刃の腹を弾いたために切り落とされはしなかった。

 ここにきてセイバーはライダーの攻撃に対する処方を身につけつつあった。

 堰月刀は、分類としては湾刀にあたる。湾刀とは刃が極端に湾曲したものである。刃が湾曲することで切れ味は格段に増すが、その分刺突には不利になる。湾曲した分、切っ先を突き立て辛くなる上、得物によっては折れ曲がる。

 加え、堰月刀は重心が刃の側に極端なほど寄っている。こうなるともはや刺突は困難であると言ってもいい。これならば薙いだほうが遠心力による破壊力の増大という恩恵を最大限に得ることが出来る。

 必然、ライダーの攻撃は直線軌道を描く刺突が少なくなり、円形軌道の攻撃が多くなる。

 同じ速度で放つのであれば、円よりも線が早いのは道理。ならばライダーの一撃や反撃を恐れず、こちらから一撃をねじ込めば良い。

 刺し違える覚悟が無ければ、ライダーは打倒できない。腕の一本を叩き落とされたとしても、心臓を貫いてみせる。

 

 ライダーが再び馬首を返す。今度の一撃の構えは大きい。体を捩じり、獲物を大きく振りかぶっている。あの構えから刺突は放てない。今こそ好機であるとセイバーは悟る。

 ライダーが横薙ぎの一撃を放つ直前、セイバーは跳躍してライダーの懐に飛び込んだ。

 ライダーの驚愕の表情、その眉の動きさえも分るほどの距離である。この距離こそセイバーの間合い。ライダーがセイバーを叩き落とさんと獲物を振るうが、セイバーはそれと同時に刺突を放っていた。

 心臓を狙った一撃は、しかしライダーが咄嗟に身を捩ったことにより狙いが逸れる。しかし刃は左肩を捉え、深く鋭く突き立った。しかしライダーは激痛に顔を強張らせながらも、振りかぶった刃を振りぬいた。長柄ゆえに刃はセイバーの背後に位置するが、その重量で振りぬかれた柄に強く打ちすえられ、セイバーは地面へと叩き落とされた。

 

「が――あッ」

 

 セイバーが喀血する。あの重量で肋骨の付近を強打されたのだ、内蔵に対するダメージも並大抵では済まない。破裂しなかっただけ幾分ましである。

 だがそれほどの重症に見舞われながらも、決して剣は離さなかった。ライダーの肩に剣が留まり続けるのを避けるため、叩き落とされながらも剣を引き抜いた。

 結果、ライダーの傷口は歪に広げられ、ライダーもまた耐えがたい痛みに呻いている。だが、その痛みをまるで意に介さぬかのように笑みを浮かべ、高らかに笑った。

 

「良い――。良いぞ、セイバー! これぞ戦闘というものだ。あのランサーすら届かなんだ我が心臓に、確かにお前の手は届いていた!

 遼来々――遼来々、遼来々ッ! この張遼が行くぞッ、貴様の首を叩き落とし、我が主を天に導くためにッ!」

 

 セイバーは、この男とまともに戦うことは無謀であると弁えた。戦闘能力で劣るという意味ではない。負傷を負い、しかしながらそれで闘志を燃やす相手が敵をなれば、一撃のもとに両断するのが最も良い。だが、ライダーを相手にそれは無理だ。加え、張遼という英雄には目立った弱点が存在しない。名を知ったところで、弱点も割り出せず、宝具の特性を推察したところで防ぎようもないのであれば、名など大した意味がない。

 そうであれば、残るは宝具を使用した一撃である。もとより、ライダーに打ち勝つにはこれしか無いと言っても良いのだ。

 そうと決めればセイバーの行動は迅速であった。ここで宝具を放てないのであれば、それが可能である場所まで移動するしかない。しかし、それを実行するにはライダーの移動速度が壁となって阻み、それを許さない。

 ならば回答は一つである。宝具を放つため、ここを移動する。移動するためには、ライダーと拮抗できる移動手段を入手するしかない。

 実際のところ、移動手段の選択肢は唯一であったが、選り取り見取りといって良かった。何せ、ライダーと拮抗できる「足」は十を数えるのだから。

 

 セイバーは口の中に溜まった血を吐き出すと、大きく後ろに跳躍した。狙いは、最も自身が標的にされることを想定していなかったであろう、セイバーの背後に位置する姉妹兵の一人である。

 

「――貴様ッ!」

 

 その意図を理解したライダーが、憤怒の声と共にセイバーを追う。だが他ならぬライダー自身が気づいていた。セイバーの動きに戸惑い、足を止めてしまった時間は実質一秒にも満たない。だが、その一秒の重みは大きい。もはや追っても、間に合わぬ。長距離ならいざ知れず、この近距離では出足の早さが全てである。

 

 セイバーは栗色の毛並みをした一頭とその騎手目掛けて疾走した。僅か二歩でその間合いに踏み込む。

 姉妹兵は一瞬戸惑ったものの、長きに渡るライダーの練兵の成果故か、反射的に手にもつハルバードで迎撃を試みた。

 だが、通常の人間よりも遥かに優れた身体能力を持つホムンクルスであっても、サーヴァントには遠く及ばない。ライダーの一撃に比べ、遥かに軽く遅い一撃を難なく回避する。そして、一刀のもとにそのハルバードを斬り落とした。デュランダルは岩をも絶つ剣である。ライダーの剣を両断できないのはライダーの技量によるところであり、数段以上格下の相手となればデュランダルとセイバーは相手の得物と鎧ごと斬り裂くことも可能だ。

 姉妹兵は長さが半端な竹やりのようになってしまった得物を捨て、徒手での反撃を試みる。だがそれもセイバーは回避し、その腕をつかんだ。そのまま騎手を馬上から引きずり降ろし、馬上へと素早く跨る。

 馬へと駆け寄り、それを奪うまで、まさしく一瞬の出来事であった。

 

 そこへ遅れたライダーがようやく到着し、振り下ろす一撃を叩きこんだ。しかしセイバーはその一撃を剣の腹で受け止める。刃と刃の間に散る火花越しに、両者は睨みあった。

 セイバーは今までの一撃より、幾分か軽いという印象を受けた。当然である。上から下へと振り落とす際が最も威力が高いのは自明の理であり、両者の位置が対等になった今、ライダーのみが馬上であったというアドバンテージは消失しているのだ。

 この威力ならば反撃は可能。そう悟ったセイバーは、ライダーの得物を押し返し、意趣返しとばかりに脳天をたたき割る一撃を振り下ろす。

 しかし間合いに差がある。ライダーは反撃を予期し、黒兎を走らせることでそれを難なく回避した。

 そのときセイバーは跨る馬は一連の出来事に驚いたのか少々暴れたが、セイバーの馬術によってすぐに大人しくなった。セイバーとて騎士である。馬の扱いは十分に心得ていた。

 

「――馬とは戦の道具である。それが敵の手に渡るのも、やむなし。だが……腹立たしいぞ、セイバー。我が宝具、我が友が敵に渡る屈辱、何度味わっても許し難い」

「私も、手段を選んではいられない。しばし借り受けるぞ、ライダー」

 

 ライダーの宝具の力は馬に名を与え、力を与えるところまでだ。ライダーの一存でそれを奪うことは不可能である。

 実のところ、ライダーが各宝具馬に騎手を与え、戦闘訓練を課したのは馬を奪われることを避ける目的が大きい。ライダーの体は一つである。いくら宝具馬が強力で、無限に増やせるといっても、それを敵に奪われては本末転倒である。

しかし騎手が存在すれば、馬はその能力を十全に発揮できるだけでなく、馬を守ることも出来る。だからライダーは半年もかけて姉妹兵を育て上げたのだ。

 

「その馬は赤捷《せきしょう》という。大事に扱え」

「心得た」

「ところで、その矮小な武器を使って馬上で戦うには無理があるのではないか?」

「悪いが、私は生前から馬上でこれを使っているのだ。貴方のように大ぶりな武器は使わない主義であったのでな」

「そうであったか。では、その絶技をとくと拝見しよう。――遼来々ッ!」

 

 ライダーとセイバーは互いに交差するように馬を走らせ、互いに渾身の力で斬りかかる。しかし互いに相手に傷を与えることが出来ず、ライダーが仕切り直しとばかりに馬首を翻したとき、それを知った。

 セイバーは馬首を翻すそぶりを見せない。あろうことか、ライダーから逃れるように走り抜けていく。

 

「――貴様ァッ! 俺を侮辱するかッ!」

「私を追ってこい、ライダー! さもなくば天を見逃すぞ!」

 

 ライダーは姉妹兵を置き去りに、疾走するセイバーを追うべく、落ちるような闇夜の中を走り抜けた。


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