Fate/Next   作:真澄 十

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Act.47 伝えること

 冬原が士郎を叩きのめした後、冬原と切嗣は豪奢なリムジンで市街地を移動し始めた。夜が更けてきたとはいえ、先ほどのビル火災の野次馬がちらほらと見えた。しかし、その下手人の片割れが乗っているリムジンには、通行人が一瞥こそくれるものの全く意中に無いようだった。

 運転は冬原の部下らしい者に任せ、二人は後部座席で無言のまま外の景色を眺めていた。冬原は、リムジンに備えてあった酒瓶にやおら手をつけ、それをグラスにも注がず呷り始める。さして美味そうな顔でもなかった。

 

「こんな時に酒かい」

「こんな時だからよ。全く、嫌な仕事よ。本当はこんな洋酒じゃなくて、辛口の日本酒が飲みたいところだけどね」

 

 運転手が不備を詫びる。冬原はそれを軽く流し、もう一口酒を呷った。銘柄は「マッカラン」だった。紛れもないウイスキーなのだが、それをまるで水のように喉に通していく。

 

「酒が好きなのかい」

「自他共に認める辛党よ。安酒でも、度数の高い酒はだいたい好きね。だけど――今日はちっとも酔えないわ」

 

 そう言って最後の一口を呷った。あそこまで一気に飲めば喉が焼けそうなものだが、全くその様子は無かった。なるほど、確かに辛党であった。

 切嗣は、今のうちにコンテンダーとカラシニコフの点検をすることにした。コンテンダーは未使用であったため、特に問題はない。カラシニコフの方はだいぶ弾を使ってしまっていた。使用済みのマガジンを抜いて、新しいマガジンを押しこむ。

 予備の弾丸は豊富にあったのだが、士郎の攻撃によってドラグノフごと蒸発してしまった。いまさら悔やんでも詮無いことだが、手痛い損失であることは間違いなかった。

 

 切嗣に油断や慢心の気配は微塵もない。聖杯戦争の勝者として勝ち残ってはいるが、まだマスター達が残っている。最低でも二人、自分の前に立ちはだかる可能性がある者が居るのだ。

 一人は先ほど戦った士郎。冬原によって気絶させられてはいるが、命までは取っていない。あの時に切嗣は、あの場で殺してしまえば後の憂いを絶てば良かったと考えていた。いや、今はそう考えている。少なくとも、あの時はその考えが浮かばなかった。浮かんだとしても、きっとその考えを捨てていたことだろう。

 彼の父親としての自覚も記憶もない。だが、あるいはそうかも知れないと今になっては思うのであった。

 そしてもう一人は遠坂凛。切嗣は彼女と面識はないが、遠坂の名が意味するものは知っている。この地のセカンドオーナーであり、始まりの御三家の一角。強敵であることは間違いない。

 

 士郎は事が済むまで目覚めない可能性もあるが、遠坂は聖杯を持っている。彼女との戦闘は避けられまい。

 だが、切嗣は始まりの御三家が相手でも必ず勝つ自信があった。

 起源弾――魔術師が相手ならば必殺の弾丸。これを受けて無事で済む魔術師は居ない。仮に一命を取り留めたとしても、二度と魔術は使えない体になる。

 さすがにサーヴァントが相手となると不利になるが、そのサーヴァントももはや自分のみ。ただの魔術師が相手ならば、御三家だろうが問答無用で打倒する術が切嗣にはある。

 故に、切嗣は必殺を確信しているのだ。

 

 遂に聖杯が手に入る。この世から争いと流血が無くなる。

 ――本当に?

 聖杯の力を以てすれば、あらゆる奇跡は可能になる。自分が望んだ世界が実現される。きっと誰も泣かずに済む世界になる。

 ――何かを忘れていないか?

 何も問題はない。何もミスは無い。

 ――思い出したくないのでは?

 

 頭が痛い。いつまで経っても慣れることのない痛み。

 時に締め付けるような。時に刺すような。時に割れるような。常に変化し続け、苛み続ける頭痛。きっとこれのせいだ。これのせいで、自分は何もかも忘れているのだ。何も思い出せないのだ。

 

 衛宮士郎。あの男の名を思い出すだけで、意識が遠のくほどの頭痛に襲われる。

 自分と同じ衛宮の名を持つもの。恐らく、自分と同じように正義を志す男。しかし方法は違う。彼は彼なりの正義を模索しているようだった。

 ――正義の名のもとに行なう殺戮を、決して許してはならない。

 

 しかし、それ以外に何の方法が取れたというのだろう。話し合うどころか、既に銃を手に殺し合っている人たちを前に、自分に何が出来たというのか。どちらかの勢力を叩き、一刻も早い解決でしか事態を収束できなかったではないか。

 話し合いなど悠長なことをしている暇などなかったのだ。

 

「ところでアサシン。貴方は不思議な英霊ね」

 

 やおら、冬原が口を開いた。こちらには一瞥もくれず、ずっと窓の外を眺め続けていた。

 

「……何がだい?」

「明らかに他の英霊とは違う。過去の英霊ではなく、現代人であることは容姿から明らか。自分のために聖杯を求めず、世界の改変を求めている。今よりももっと良い世界のために。この世から争いを無くすために」

 

 切嗣は、冬原がそれを知っている理由を模索したが、考える間でもなくすぐに思い当たった。この男は、さっきのやりとりを盗み聞きしていたのだ。ならばそれを知っていてもおかしくはない。

 しかし、アサシンのサーヴァントに気付かれることなく潜み続けるとは、この男の実力もまた計り知れないものがあった。少なくとも、単純な身体能力であれば切嗣に勝ち目はない。切嗣はそう思った。

 

「立派なことね。その理念を実現するため、あらゆる犠牲を許容した。理想と現実の軋轢に耐えながら、それでも諦めなかった。素晴らしいわ。きっと神も貴方を見守っているでしょう」

「……何が言いたい」

「別に、何も。……ただ、私はあの士郎とかいう坊やの考えに賛同する。どちらかと言えば、ね。彼は甘ったれだけど、貴方の正義よりも輝くものを持っている。だから私は、貴方よりも彼を応援したい。それだけよ」

「……」

「私にも私の正義がある。人は無知ゆえに悩むことは無い。無知な者は知恵も諭しをも侮る。だから、無知な坊やは現実を知らなければならない」

「……話の筋が見えないな」

 

 冬原にも色々な過去があったことは間違いないだろう。しかし、自分の過去を話そうという雰囲気ではなかった。怒りにも、悲しみにも似た感情がその肩から窺えた。

 

「だから貴方に伝えるべきとこがある」

 

 そう言うと、冬原は足元に置いてあったアタッシュケースから書類の束を差し出した。日付は7年前の冬であった。

 

◆◇◆◇◆

 

 遠坂凛は、柳洞寺の境内に足を踏み入れた。危険が無いか当りを見渡すが、魔術や結界の気配は一切なく、ひとまずは安心してよさそうだった。

 

 彼女の背中には澪が居た。さっきまでの機敏な動きが嘘のように弛緩しきっており、遠目で見れば死体であると思ってしまうだろう。目もどこか生気が無く、虚ろであった。

 そして、凛の右手には聖杯が握られていた。セイバーの懐に入っていたものだ。前に教会で保存されてあったものが偽物であった以上、これもその恐れがある。しかし、凛にはどうもこれが本物であるように思えた。この聖杯から発する、神々しくも邪悪な気配は間違いなく聖杯のものだ。7年前に聖杯を見たことがある彼女だからこそ、それが分かった。

 

 適当に休めそうな場所を探し、そこに澪を寝かせる。澪は相変わらずの様子だった。今、彼女にできる処置はない。事が済んだら根気強く治療を試みるしかあるまい。

 凛は、その手にある聖杯に目線を落とした。豪奢で、頑丈そうな作りであった。ちょっとやそっとでは壊れそうもない。サーヴァントの一撃には耐えられないだろうが、拳銃の弾丸くらいならば弾いてしまいそうだった。

 何の金属なのかもわからない。少なくとも、凛が知っている金属のいずれでも無い。

 しかし、これを破壊するだけならば、セイバーが居なくても問題はなさそうだった。凛の宝石魔術にかかれば、この程度の器物を破壊することは造作もない。至極簡単なことであった。

 だが、凛はこれを破壊することに二の足を踏んでいた。

 

 形こそ違うが、聖杯は7年前に破壊した筈だ。跡形もなく消しとんだ筈なのだ。

 だからこそ推測を立てた。これは本体ではない。破壊すべきモノは他に存在する筈だと。これを破壊してしまうと、また手がかりを無くしてしまう。それは避けたい。ずっと『本体』を探し続けていたのに、結局見つからなかったのだ。

 聖杯戦争という大掛かりな儀式を行なう以上、本体は大掛かりな装置であることは間違いない。物理的にも巨大なものである筈だ。それを隠し通せる場所となると、自ずとその場所は限られる。一つはここ、柳洞山だった。他の候補には教会、アインツベルン城の周辺に広がる樹海などがある。しかし、御三家がそれを許すわけがない。教会の管理下に聖杯を置くのは絶対に避けたいし、御三家の一角が突出するのも避けたい。結果、柳洞山が大本命である。しかし、いくら探しても見つからなかったのだ。

 

 だからこそ、本来の通路を塞がれたと結論づけた。これにはセイバーも澪にも同意したが、そうなると代わりとなる通路が必要となる。

 そうであれば、その新しい通路の入り口は過去のものとは離れた場所である筈だ。そうでないと新しい通路を作る意味が無い。しかし、物理的に離れた場所まで地下通路をつなぐとなると、7年の歳月があったとしても長距離の通路は不可能だろう。重機を使えばあるいは可能かも知れないが、秘密裏に事を運ぶ必要があるのだ。

 

 万が一にも誰かに出入り口を発見されることなく、それなりに離れた場所。候補はいくつかあるが、範囲が広大すぎる。探索は困難だ。

 結局、推論できる情報はここで止まる。ゆえに長い時間をかけても本体の場所を突きとめることが出来なかったのだ。いっそこの山に縦穴でも開けてしまえば見つかるだろうかと思うが、危険すぎる上に時間が圧倒的に足りない。

 

 どうしたものかと考えあぐねていると、誰かが境内に現れた。石畳を叩く金属の音が、まるで鈴を鳴らすかのうようだった。

 

「聖杯は……どこですか」

 

 その声の主は、サーシャスフィール・フォン・アインツベルンであった。凛は身構えたが、彼女の様子はどこか活力がなく、弱々しかった。大振りなハルバードを杖にし、苦労しいしい歩み寄る。

 その右足はどうやら義足のようだった。銀色に輝く針金が足の形を象っている。どこかで右足を失ったのだろうかと凛は思った。

 サーシャスフィールの傷つき弱々しい体とは裏腹に、その眼光のみは異様なほどの気を放ち続けていた。その様相に押され、凛は声をかけた。

 

「サーシャスフィール……?」

「答えなさい。聖杯はどこですか」

 

 凛は聖杯を隠そうとしたが、既に遅かった。サーシャスフィールは凛の手にある聖杯を見咎める。その瞬間、失せていたと思われていた覇気がみるみる回復し、その両目からは強烈な敵意を放っていた。

 ハルバードを構え、切っ先を凛に向ける。凛もまたそれを受けて、ポケットから宝石を取り出した。

 

「それを返しなさい。それはアインツベルンのものです。私はアインツベルンの悲願を――いえ、ライダーの願いを成就させなければなりません」

「……ライダーは既に脱落した。アインツベルンは聖杯戦争に敗北したのよ」

「そんな事は分かっているッ!」

 

 サーシャスフィールは凛の言葉を遮るようにして言った。手に持ったハルバードの切っ先は震え、その目には涙すら浮かべていた。

 

「それでも――私はそうするしかないッ! 私は神ならざる者に作られ、廃棄されるだけの存在。そんな私を人と認めてくれた彼に報いるには、こうするしかない!」

 

 サーシャスフィールは凛に斬りつけようとしたが、一歩踏み込んだ瞬間、鮮血をその口から吐いた。

 明りの無い闇夜のせいで人目ではわからなかったが、顔も青白い。必至に押し隠してはいるが、指先の力すら満足に込められない。

 彼女の寿命、活動限界はもはや間近であった。安静にしていれば数日は生きながらえただろうに、無理をおした結果、もう余命いくばくも無い。

 

「あなた――そんな状態でどうするって言うの。今すぐ治療しないと大変なことになるわ!」

「貴方を倒した後にそうしましょう。良いですか? 私は貴方に武器を向け、貴方と戦う。もはや私たちは分かりあえず、分かりあうつもりも私には無い。ならば、どうするべきか分かるでしょう!」

 

 そしてサーシャスフィールは、苦痛に顔を歪めながらも詠唱を始めた。肉体だけでなく、魔術回路も限界が近い。

 文字通り、彼女は命を代価に闘争へ身を投じようというのだ。

 

Stark(強く)Schnell(速く)Wir sind Stahl Nogotokunari(我は鋼の如く)!」

 

 全身の運動能力を強化。瞬発力、強靭性ともに人智を超えた領域へ達する。

 そして次の瞬間、サーシャスフィールは渾身の力で走り抜いた。凛はガンドで応戦したが、サーシャスフィールはそれらを最小の動きで回避し続ける。

 ハルバードの間合いに入った瞬間、必殺の確信を込めた薙ぎを放つ。しかし、その一撃は予想もしない方法で止められた。

 

 ハルバードを止めたのは澪だった。いつの間にか起き上がり、ハルバードの一撃を受け止めた。圧倒的な質量差をものともせず、当たり前のように防いでいる。

 

「貴方も居たのですか」

「……人ならざる者を倒さなければならない。敵を倒さなければならない」

 

 サーシャスフィールは澪の実力を知っている。決して侮ることの出来ない相手だが、基礎となる体力は貧弱。ゆえに守りに徹すれば、自ずと勝機は見える。サーシャスフィールはそう踏んだ。

 しかし、すぐにその考えを改めることとなる。

 澪の剣戟は踊るようでいて、一切の無駄を省いた合理の剣。膂力も体力も無い澪が敵を倒すことのみに特化した剣舞。殺気の類が読みにくく、ある意味で予測しづらい一撃。

 首元を狙った刺突、太ももを切り裂かんとする逆袈裟、手首を斬り落とす薙ぎ。どれも急所のみを狙っており、動きは最小かつ無駄な力が入っていない。全て剣の鋭さに頼んだ一撃だった。あのアーサー王の持つカリバーンだからこその剣戟。

 

 しかも、一撃を放つ度にその動きは変化し続けた。同じ首を狙った一撃でも、進入角度を変え、時に回り込むような軌道となり、予備動作も常に変化し続ける。敵対した相手を殺すに相応しい剣戟へと、常に最適化し続けているのだ。あらゆる試行錯誤の中から有効と思われるものを選択し、さらにそれを基盤として変化させる。

 そして変化するたびに、サーシャスフィールにとって対処し難い剣へと変容していった。その度に、捌ききれなくなった剣で浅く傷ついていく。

 

 いくら衰弱したサーシャスフィールでも、まさか澪に押されるとは予想していなかった。だが、それは彼女の矜持が許さない。こんなひ弱な女性に遅れをとるなど、あってはならないのだ。サーシャスフィールは天を掴まなければならない、その決意の為にあらゆる障害を撥ね退けて見せなければならないのだ。

 

「調子にのらないで頂きましょうッ!」

 

 剣劇の合間の隙とも言えない隙を見出だし、裂帛の意志を込めた薙ぎ払いを放つ。胴を両断せんと放ったそれは、しかし澪の剣に軽く受け流される。

 しかし、サーシャスフィールはそれを見越していた。こんな単純な一撃で倒せる相手ではない。剣を受け流した後、ほんのわずかに澪に隙が出来た。全体重を乗せた一撃に、ほんの少しだけよろめいたのだ。

 サーシャスフィールはその隙を見逃さなかった。ハルバードを振りぬいた体勢のまま、渾身の蹴りを放つ。性格に頭部を打ち抜くハイキック。右足は針金で編まれた義足である。その重い右足で頭部を打ち据えられたとなれば、澪もたまらず倒れ込んだ。

 倒れた澪に引導を渡そうと、ハルバードの切っ先を心臓に向ける。それを振り下ろさんとした瞬間、視界の隅に飛来する魔力塊を見た。

 咄嗟にハルバードで受け止めるが、その勢いに押されてサーシャスフィールもまた倒れ込んだ。その拍子に持っていたハルバードから手を離してしまい、遠くまで弾き飛ばされてしまった。

魔力塊の正体は凛が放った宝石魔術であった。澪を庇おうと咄嗟に放った一撃は、狙いが甘い彼女の割には正確なものとなった。

 

 サーシャスフィールはすぐさま起き上がる。だが、それよりも澪が起き上がるほうが早かった。

 必殺の機会と見たか、澪はカリバーンを手に駆け寄る。躊躇も迷いも無い挙動であった。ここで必ずサーシャスフィールを殺すという、静かな意志が剣には込められていた。

 

 サーシャスフィールは咄嗟に右足の義足を解き放つ。足を象っていた針金は瞬く間に解け、三槍を携えた触手となる。

 三槍はそれぞれタイミングをずらし、澪に向かってその牙を突きたてた。その刺突の速度はもはや視認すること難しく、残像しか目に留まらない。

 しかし澪の突進は止まらなかった。最初の槍を受け流し、次の槍を打ち落とし、最後の槍は薄皮一枚の際どさで回避してみせる。

 もはや二人の距離は一挙手一投足。片や剣を携え、肩や徒手空拳。片や無傷で、片や義足を解放したため起き上がることもままならない。

 

 だからこの結末は、もう決まっていたのだ。

 澪の剣はサーシャスフィールの胸を貫いた。心臓は貫けなかったが、十分に致命傷の一撃である。

 だがサーシャスフィールは、喉か上がってくる血を無理やり飲み込み、澪を睨みつけた。自分を貫いた剣を右手で掴み、決して離すまいと渾身の力を込める。無論、手が斬れて血が流れ落ちたが、彼女はそんなことを斟酌しなかった。

 そして空いた左手で澪の首を掴み、渾身の力で締めあげた。

 しかし、あろうことか左手に満足に力が込められない。彼女の限界は先ず左半身の機能不全から始まった。

 

 サーシャスフィールは針金を再び操り、澪を刺し貫こうとした。しかし、澪の当然の抵抗により回避されてしまう。それでもサーシャスフィールは左手を離さなかった。

 ならばこうするまでと、サーシャスフィールは針金を蛇のようにしなやかに操作する。そしてそれは澪の首に巻きつき、万力のような力で締めあげる。そのまま澪の体を宙に持ち上げ、抵抗を許さない形にした。

 澪はなんとか逃れようともがいたが、すぐにそれも弱々しくなる。口から泡を吹き、肌も土気色に変化していった。

 

「聖杯を手にするのは――私ですッ! 貴方はここで死ね!」

「させない!」

 

 凛が慌てて駆け寄る。

 だが次の瞬間、サーシャスフィールは口から大量の血を吐いた。もはや逆流する血液を抑え込むことも不可能だった。

 同時に、じんわりとだが恐ろしい速度で全身に麻痺が広がっていく。離すまいと力を込めていた指先も、もはや動かすことすら難しい。

 体の限界は運動能力だけではない。魔術回路ももはや満足に起動しなかった。針金は力を失い、ただの美しい金属に戻る。澪を持ちあげる力すら無くなり、澪は崩れるように地面に落ちた。

 凛が駆け寄ったとき、すでに澪に意識はなかった。元から意識があるとは言い難い状態だったが、今度は完全に失神している。だが命に別状はなさそうだった。みるみる顔色が回復していく。一命は取り留めたようだった。

 

「……私はもう聖杯を手にすることなど出来ない。分かり切っていたことです」

「あなた、まだ喋れるの!?」

「私は人間とは違います。会話程度ならまだ可能です」

 

 しかしそう言うと、彼女は激しく咳こんだ。会話が出来るとしても、もうあまり長くないことは明白だった。

 彼女は倒れ込んだまま、天を見ていた。その目には涙が浮かんでいるように見えた。

 

「……私の昔話を聞いて頂けませんか?」

 

 凛はゆっくりと頷いた。きっと、これが彼女の最後の言葉になる。その命を直接奪った自分には聞く義務があると凛は思った。

 ありがとうと言って、サーシャスフィールは話を続けた。

 

「聖杯を手にする、ただそれだけのために生まれました。それを果たすために武器を持ち、魔術を体得しました。およそ娯楽の類は一切知りません。私が知っていることは、お爺様が教えてくださった事ばかりです」

 

 そこで彼女は目を閉じた。まだ死んだ訳ではないのは、呼吸により上下する胸でわかった。きっと、目を開けておく事が億劫になったのだろう。もしくは、何か思い出に浸っているのか。

 

「でも、人を愛する心だけは自分で学びました」

 

 それが誰か、など無粋なことを聞くつもりは凛には無かった。サーシャスフィールと接点のある男性など数えるほどしかいない。いや、ほぼ皆無だ。だから自ずとその相手はわかる。聞くまでも無いことを聞いて、彼女の話を邪魔したくなかった。

 

「彼の願いは叶えられないものでした。長生きを願われても、もう体のあちこちが壊れていて、どうしようも無いことは明らかでした。

 だから、私には聖杯が必要だったのです。……そこで寝ているお嬢さん(フロイライン)には悪いことをしました。貴方から謝罪を伝えておいて下さい」

「……わかったわ」

「……よく考えれば、アインツベルンの為にではなく、自分の為に戦ったのは初めてかも知れません。全く、最近は生まれて初めての経験が多すぎますね」

 

 サーシャスフィールはまたしても激しく咳こんだ。そして、今度は先ほどよりも遥かに大量の血を吐いた。

 凛は彼女の顔色をうかがう。どんどん血の気が失せていく。出血が多すぎた。だから胸に刺さった剣は抜く訳にはいかない。抜けば血が吹き出てショック死してしまう。かといって、彼女に施せる処置はもはや皆無だ。ホムンクルスを治療する技術は凛には無い。

 

 サーシャスフィールは再び目を開いた。その眼光は弱々しかったが、どこか幼い気配を思わせた。

 考えてみれば、何も不思議なことではない。彼女は今回の聖杯戦争のために急造されたホムンクルスだ。見た目の年齢よりも、実年齢が遥かに幼いとしても不思議ではない。

 

「……ねえ、遠坂の人。聖杯はもはや災厄でしかないって、本当?」

「本当よ」

「そう。……セイバーが、ライダーにそう言っていた。でもライダーは、そんなことは知らないって。私が欲しがったから手に入れるんだって言っていた。

 ……でもライダーは、本当はこうするべきだって思った筈よ。私も、きっとこれが正しいと思う。だから、私は貴方に伝えるべきことがある」

 

 そう言うと、サーシャスフィールは苦労しいしい右手を上げる。その手は東の方角を指示していた。

 

「聖杯を壊して。もう二度と人の手に渡ることのないように。壊すのはあの器物としての小聖杯ではなく、ここ柳洞山にある大聖杯。

 柳洞山には大洞窟があり、そこに大聖杯がある。入口は一度塞がれ、こことは別の場所に繋いだとお爺様が。

 ……この先に穂群原学園という場所があるわ。そこに入口がある。魔術的な隠蔽はされていないから、かえって見つけづらいかも知れない」

 

そう言うと、彼女はその詳細な場所を凛に伝えた。

聞けば、その場所はグラウンドの隅にあるそうだ。そこには植木が並んでいるのだが、茂みに紛れるようにしてマンホールのような見た目の地下式消火栓が設置されている。それは紛れもなく消火栓なのだが、バルブを引きぬけるように改造されているそうだ。そうすると剥きだしの水道管が現れ、そこに大きな横穴が開けられているらしい。

なるほど場所を知っていなければ絶対に見つけられないと言えるような場所だった。というより、異常なほど手が込んでいる。よほど前回に聖杯戦争を邪魔立てされたのが気にくわなかったと見える。わざわざ道を作り直すほどの手の込みようだ。

 

 柳洞山に入口を作れば、凛たちに見つかっていたのは事実だろう。現に、凛と士郎はそう踏んで柳洞山を根ほり葉ほり探したのだから。

 だからと言って学園まで穴を掘るとは、本当に恐れ入る執念である。

 今すぐ学園に向かおうとした凛だったが、門の向こう側から何かが近づいてくる音が聞こえた。何か大勢が石畳を踏む音。それも何か固いものが踏みぬくような音だった。

 

「私の姉妹兵よ。……優しい子たち、私を心配して来てくれたのね」

 

 その言葉が正しいことはすぐに知れた。ほどなくして騎馬隊の一団が柳洞寺に乗り込んでくる。凛も見覚えのある、白装束のホムンクルス達だった。

 彼女たちは、サーシャスフィールが剣で貫かれて倒れているのを見ると、各々の得物を構えた。彼女たちとてサーシャスフィールがもう助からないことは分かったが、それでも報復しようとした。これが、聖杯をアインツベルンにもたらすために取った行動なのか、サーシャスフィールを想うゆえの行動かは、誰にもわからなかった。

 

「みんな、この人を傷つけては駄目。何があっても手を出してはいけないわ」

 

 だがサーシャスフィールの一言で、姉妹兵は武器を収めた。

 姉妹兵とサーシャスフィールの間には絶対の主従関係がある。サーシャスフィールが止めろと言えば、誰ひとり反抗することなく止める。彼女たちはそういうものであり、そのように作られたのだ。

 サーシャスフィールは姉妹兵の一人を指さして言った。

 

「あなた、この人のために馬を貸してあげて。

……遠坂、今から徒歩で行っても時間がかかるわ。きっと、もうすぐ聖杯は現れる。だから急いでね」

 

 そう言うと彼女は静かに目を閉じた。

 その眠りはとても穏やかで、とても永いものになる。そこに居る者は誰も口を開かなかったが、誰もがそう思った。

 




 お待たせしました!
 最近は投稿速度を重視していたためあまり長い文章を書いていませんでしたが、今回は久々の1万文字超です。

 次も一週間後くらいが目標。クリスマス間近だからって特別なことはしません。リア充爆発したまえ。

 twitter:mugennkai

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