Fate/Next   作:真澄 十

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Act.5 流星

 ランサーのマスターは、名をスカリエッティ・ラザフ・コンチネンツァという。

 

 コンチネンツァ家は、彼が言うように決して名家でもなければ名門でもない。しかし、間違いなく貴族である。

 

 しかし、貴族らしい貴族であったのは、スカリエッティの父と兄である。彼自身は俗物を体現したかのような人物である。

 

 ランサーはそんな彼に辟易していた。

 

 彼の生活は、およそ聖杯戦争に参加したマスターのものとは思えない。日がな一日、ひたすらに悦楽を貪るだけである。

 

 己の主とは、もっと鷹揚に構え、それでいて朴訥なものだ。無骨で飾り気がないながらも、どっしりと構える人物でなければならない。

 

 それがどうだろうか。マスターであるスカリエッティはおよそそれに遠い存在だ。

 

 豪奢を好み、浪費を良しとする。さらには身に不相応な矜持をもち、欺瞞という衣で身を覆う。そのくせ裸体の彼は、矮小なまでの小心ときた。

 

それはランサーの考えるところの主の像とは乖離したものだ。

 

 無論。それを口にするランサーではない。不本意ではあるが、主として掲げている以上は不満を表に出すことはない。

 

 だが、それが態度にそれが出ているのは否定できない。無自覚ではあるが、己が主を『主』と呼ぶことを避けている。

 

 結果、『魔術師殿』と呼ぶに至る。

 

 ―――彼の出生を鑑みれば、彼にとって魔術師とは排斥すべき存在である。それは聖堂教会が魔術師を排斥するのと同じ性質である。如何様にランサーがマスターのことを思っているか伺い知れるというものだ。

 

 さらに、聖杯戦争における方針の齟齬も無視できない問題だ。ランサーにとって敵とは自ら進んで討ち取りにいくものだ。

 

 だというのに、主はそれを良しとせず、篭城を決め込んでいる。

 

 ランサーによる地理把握の名目に託けた斥候も、それを認めさせるために一日を費やしたほどである。

 

 さらには、敵を見つけても絶対に宝具を使うな、とまで言われている。

 

 令呪の縛りではないとはいえ、彼にとって主の命令は絶対だ。進んでそれを破ることは許されない。

 

 そして、その方針の意図が分からないほどランサーも愚かではない。

 

 こちらの真名を隠匿し、可能ならば相手のそれを引き出そうというのは、おそらく聖杯戦争において正しい行動だろう。

 

 だが、それを行動の第一に掲げるのはどういうことか。その命はサーヴァントに戦うな、と命じるに等しい。およそランサーにとって度し難い。

 

 つまるところ、男は自らを危険に晒すだけの度胸が無いのである。

 

 ランサーは、勝利とはリスクを踏み越えて手にするものと信じて疑わない。

 

 二人の間に軋轢が生じるのは、もはや避けようがないことなのかも知れない。

 

 スカリエッティは今日も日がな一日、酒を呷る以外に何をしていたかといえば、何もしていない。

 

 今もまたそうである。

 

 このホテルは夜景が売りだ。スウィートの窓は、その夜景を堪能できるように巨大な一枚の硝子窓となっている。

 

 嵌め殺し窓のそれは、街に面した方向の壁を、まるまる透明な硝子製だ。

 

 彼はその巨大な硝子窓に写る、夜景という人工の芸術を眺めながら酒を呷っていた。

 

 他のマスターを探す訳でもなく、策を練るわけでもない。戦闘そのものに対しても消極的ときた。

 

 戦うために召喚された自身に戦いを禁じるというのは、武人である彼にとって耐え難い屈辱であろう。

 

 だから今日こそは、マスターであるスカリエッティにも率先して参加してもらおうと進言しているのだ。

 

「魔術師殿。今日は是非ご同行願いたい。」

 

 スカリエッティは酷く酔ってはいるが、まだ理性は残されているようだ。ひっく、としゃっくりをあげると、アルコールで匂う口を開いた。

 

「何?使い魔程度が主に意見をするか?」

 

「申し訳ございません。しかし―――」

 

「喧しい!全く、自由意志をもった使い魔等、鬱陶しくてかなわん!始まりの御三家とやらはとんだ阿呆だな。」

 

 スカリエッティは魔術の知識に長けているわけではない。その所為か、どうもサーヴァントを勘違いしている節がある。

 

 使い魔とは、精々が獣を使役し、術者の手足として活動するものである。サーヴァントは、もはや人を超越したもの。言わば精霊に近い。

 

 それと同類とみなされたというのは、ランサーにとっては到底無視できない侮蔑であるのだが、彼はどうにか反論を飲み込んだ。

 

「―――申し訳ありません。しかし、魔術師殿の仰っていたことが気がかり。」

 

「―――ふん。冬木教会か。」

 

 男はその小心さ故か、頻繁に教会と連絡をとっていた。日課といってもいい。

 

 目的は、全てのサーヴァントが召喚されているのかどうか、という点だ。

 

 さすがに中立を決め込んでいるだけあって込み入った情報は教えてはくれない。

 

 しかし全てのサーヴァントが召喚されたか否か、という情報はランサー陣に与することにはならないと判断したのだろうか、是か否かだけは答えていた。

 

 全てのサーヴァントが揃った時点で正式に聖杯戦争は開始される。おそらくはそれを皮切りに全ての陣営は活性化するだろう。

 

 そういった事情も鑑みれば、教会に頻繁に連絡を入れる行動は間違っていない。しかし褒められない経緯でサーヴァントを手に入れた彼が、堂々と教会と連絡を取っているのは、傍から見れば厚顔無恥であったろう。

 

 幸か不幸か、彼にそういった細かい事柄に対する配慮など持ち合わせていない。いつも通り、今日も教会に連絡を入れていた。

 

 しかし、どういう訳か今日だけは連絡がとれない。だからどうした、という事もないのだが、ランサーは異常を感じ取ったのかも知れない。

 

 もしや、誰か凶行に走ったマスターやサーヴァントが、不干渉の掟を破ったとも限らない。

 

「確かに気がかりではあるが……私が行く必要もあるまい?」

 

「いえ。あの教会には優れた霊脈が存在します。そこを現段階から強奪しようとする輩がいたとするなら……キャスターの可能性が高いかと。」

 

 聖杯戦争の最終局面ともなれば、そのような行動に訴えるのも理解できる。聖杯を召喚するためには優れた地脈が必要だ。

 

 だが、序盤のこの段階からそこを陣地にする必要は一切ない。するとしても、不干渉の掟のない柳洞寺あたりを手中に収めるのが得策だろう。

 

 この段階で霊脈を手中に収め、掟を破ってまで教会に根を下ろすということは、何か特殊な大魔術を使う意図がある可能性が高い。

 

 例えば、広範囲から人間の魂を搾取するという魔術を行使するとなると、霊脈の存在は重要となる。

 

 冬木教会を選らんだ理由は、それが地理的な制限を受ける、等といった特殊な事情によるものだろう。

 

 とにかく、もしも冬木教会にある霊脈が簒奪されたのであれば、それを用いて大魔術を使用するつもりであるのは間違いない。

 

 そしてそれを成し得るサーヴァントといえば、キャスター以外には存在しないだろう。

 

「ふむ。それで?」

 

 スカリエッティの口調と目線は、本当に自分を駆り出すほどの理由があるのか、と問いかけている。

 

 その人を見下したような目線を無視し、ランサーは先を続ける。

 

「私には魔術の心得がありませぬ。如何な策を弄されるか知れたものではない。そこで魔術師殿の知恵を拝借したく存じます。単騎では、間違いなく苦戦を強いられる。」

 

「ほう?私が召喚したのはそのような軟弱物だったのか!これは失礼、今まで一人で夜歩きをさせてしまった。さぞや心細かったことだろう?」

 

 無論、スカリエッティとてキャスターのクラス固有スキル、陣地作成のことは知っている。

 

 キャスターの陣地へ乗り込むことは、自ら望んで死地に向かうようなものだ。何の策もなしに吶喊できる相手ではない。

 

 つまりスカリエッティは、分かっていて罵倒しているのだ。

 

 スカリエッティは、自分のサーヴァントを罵倒できる材料を見つけては、この様に理不尽な罵詈雑言を浴びせる。

 

「………」

 

 だがランサーはその理不尽な誹りを受けても、無言で耐えていた。気の短いサーヴァントであったら、この時点でスカリエッティは切り殺されていただろう。

 

 ランサーも、もし許されるのであれば、今すぐ自身の得物でその首を突いて穿ちたいと思った。

 

 その押し殺したはずの殺気を僅かに感じたのだろうか、急にスカリエッティは態度を変えた。

 

「そ、そもそもだ。何故打って出てやる必要がある?その辺のヤツが勝手に討伐してくれるであろう。」

 

「いえ。下手に泳がせると手出しできなくなる可能性もあります。最長で一日ほど教会に陣取っていることになりますが、おそらく一日程度では満足な陣地を作成できていないかと。他のマスターが教会の異常を感知しているとは限りません。」

 

「ふむ…」

 

「加えて、上手く立ち回れば教会に貸しができます。…もしかすると、今後の戦闘に有利に働く報酬を得ることも可能かと。」

 

 教会を出汁に使うのはやや気が引けたが、今回ばかりはマスター無しの戦闘は危険だ。使える交渉材料は使うべきだろう。

 

「…ふん。成程な。まぁ、私の助力が必要というのなら、そうしてやらんこともない。」

 

「…有難う御座います。助力、痛み入ります。」

 

「しかし私は魔術に精通している訳ではない。精々が、魔術発動の予兆を伝えることくらいだぞ。キャスターが使うような魔術など絶対に分からん。」

 

「それだけで十分で御座います。『来る』ことが分かった奇襲や奇策など、脅威にもなりません。」

 

「ふん。…しかし宝具の使用は、私の許可なく使用するでないぞ。貴様のそれは、発動に莫大な魔力を使用するうえに有名に過ぎる。おいそれと使うことは禁ずる。」

 

「…構いませぬ。魔術師殿の命によってのみ、宝具を使用しましょう。」

 

「よろしい。」

 

 聖堂教会からの報酬を餌に、ようやくスカリエッティは本当に重い腰を上げた。

 

 その贅肉がたっぷりと付いた体を大儀そうに椅子から持ち上げたとき、それは巨大な硝子を打ち砕いて飛び込んできた。

 

「―――っ!!」

 

 ランサーが喫驚する。

 

 それは銀色の光を尾に引きながら、鎌鼬を引き連れ、空気を切り裂き、音速にも迫る速度で一直線にスカリエッティ目掛けて飛来する。

 

 咄嗟に自身の得物を実体化し、スカリエッティを庇いながらそれを打ち払った。

 

重々しい鉄と鉄が激突する音がする。

 

 それは運動のベクトルを強烈な打撃で無理やり変えられ、無人の空間を切り裂いて壁に激突した。

 

 瞬きも出来ぬ程の速度でそれを為し得たのは、最速のサーヴァントであるからこそだろう。

 

「な―――!」

 

 スカリエッティはパニックに陥り、へなへなと床に尻をつく。そのスラックスの股に、濡れた染みを作っている。

 

「…魔術師殿、敵襲です!ここは危険故、どうかお逃げください。」

 

 スカリエッティを背中に庇いながら、油断なく槍を構える。

 

 全神経を外に向けながら、しかし目線だけは素早く飛来した物体の正体を確かめる。

 

 壁に小規模のクレーターを残し、刺さり固定されたそれは一本の矢だ。

 

 衝撃の余韻か、弦楽器を鳴らしたような音を鳴らしながら細かく振動している。

 

 普通の矢と違って矢じりから矢はずまで一体化しており、大層美しい銀製だ。矢羽は存在せず、ただ螺子のように螺旋が刻まれている。

 

 さながら切削工具のツイストドリル刃だ。円錐状ではなく、丸棒に螺旋状の溝を刻んだ刃がツイストドリル刃だ。その矢も、実のところ矢じりと思しきものは存在せず、一本の螺旋を刻んだ銀の棒に見える。

 

 ただ、サイズは作業用のそれを遥かに凌駕し、ただただその凶悪性を主張する。これを食らえば、肉をごっそりと削ぎ落とされるのは間違いない。

 

 おそらく弾いて相殺していなかったら、スカリエッティは切り刻まれて命を落としていただろう。

 

「…おそらくはアーチャー。既に補足されているのは間違いありませぬ。私は迎撃にでます。必ず、外から見えないように見を隠して下さい。決して、外を覗き見ようなどとお考えにならぬよう!」

 

 スカリエッティは、こくこくと頷くと這い回るようにドアへ近づき、転げまわりながら奥へと逃げた。

 

“―――この威力。下手をすれば壁ごと射抜かれるが、居場所が分からなければ狙撃できまい。”

 

 スカリエッティが身を隠したのを確認し、ランサーは夜景を渾身の殺意をこめて睨む。

 

 一体どこから狙撃しているのか知らないが、ここに居ては手詰まりだ。弓兵ならば、接近戦に持ち込めば自ずと勝機が生まれる。

 

 残念ながらランサーの探知能力は高くない。かなり接近しなければ居所は掴めない。

 

 だが、おおよその見当は付く。矢の飛び込んできた方向を考えれば、間違いなくオフィス街方向。

 

 そして、如何にも狙撃向きである、一際高い長身を晒す建物。新都センタービル。

 

 得物を強く握り、何も見逃すまいとセンタービルを睨む。

 

 彼の得物は、どこまでも無骨な槍。黒で艶消しをされた、およそ英雄の持ち物だとは思えないほど味気の無い槍だ。

 

 だが、それに込められた魔力は、それが破格の存在だと告げている。

 

 一度その槍の名を告げれば、それは最上級の力を解放する。

 

 ―――その宝具は、ランクにしておよそEX相当。

 

 その槍で下手人を貫くべく、ランサーは割れた窓から身を投げ出した。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「………」

 

 新都センタービルの屋上で、アーチャーは舌を巻いていた。その表情は、感嘆と驚愕が同居した苦々しい顔だ。

 

 だがその目は睨むように敵に据えられ、一切動かない。剣の切っ先のように尖った目尻は、無言の圧力を敵に送り続けている。

 

 彼我の距離はおよそ1.2キロメートル。アーチャーにとっては十分に必中の射程内だ。

 

 しかし、確実にマスターを屠るつもりで放ったその矢は、例の騎士に弾かれた。成程、柔な英雄ではない。

 

 ―――確実に仕留めるには、宝具を使用すれば良かったのだが、開放した宝具では射程より外れる。なので通常の射撃ではあったのだが、十二分に必殺の威力だった筈だ。

 

 それを反応速度だけを頼りに打ち落とした。…あのサーヴァントは室内に居た。風切りの音が聞こえていたとは思えない。

 

よほど驚異的な聴力か、何かしらの加護を受けていない限り、それは自身の技能のみを頼りにマスターを守り果せたのだ。素直に感嘆に値する。

 

 さらにはすぐさまマスターを逃がした判断も優れている。壁ごと穿つことが出来ないわけではないが、位置が分からなければそれも叶わない。

 

 おそらく矢を迎撃できないであろうマスターを逃がした判断は、迅速にして正確。きっと幾つもの戦場で培った戦術眼に違いない。

 

「―――面白い。彼我のこの距離、名乗りもままならないが…いざ、尋常な勝負を。」

 

 再び構える。左手には、意匠を凝らした優美な弓が握られている。銀細工を施したそれは、間違いなく彼の宝具だ。

 

より大きな威力を出すため、滑車を付けたその弓は、現代では化合弓(コンパウンド・ボウ)と呼ばれるものだ。

 

 アーチャーが弦に指を沿わせると、魔力で編まれた矢がそこに番えられる。先ほどと同じ、銀色の螺旋矢だ。

 

 弓を引き絞る。その切っ先の延長には、あの英雄―――得物からするとランサーで間違いないだろう。それがこちらを目掛けて疾走している。最速のサーヴァントの足ならば、おそらくすぐにここへ到達するだろう。

 

 ―――弓兵の戦闘は、突き詰めると『近寄らせない』ことに勝機が存在する。もしも接近を許せば、矢を番えて放つまでの間に切り伏せられる。

 

 その鷹の目を活用し、遠方の敵を狙撃する。これ以外の戦法など無い。

 

 だから、狙撃が失敗したのであれば、すぐさま撤退するという選択肢が最良であろう。

 

 しかしアーチャーはそうはしなかった。理由はいくつかある。

 

 一つ目は、ここで逃せば根城を変更されるであろうこと。次にランサーと戦うときは一方的に攻撃できる立ち居地に陣取れない可能性がある。

 

 二つ目は、本来の彼は騎士道に生きている。奇襲、しかも一方的な狙撃など、正々堂々を良しとする騎士道から反すること。

 

 本当なら一発牽制を放ち、今から攻撃する旨を伝えてから攻撃したかった。

 

 それでも今回ランサーのマスターへの奇襲に至ったのは、あらゆる手を尽くして聖杯を手に入れると誓ったからだ。しかし、やはり自身への呵責は免れない。できるだけこのような卑劣な手段で手を汚す回数は減らしたい。できれば次のチャンスを待たず、ここで討ち取ってしまいたかった。

 

 そして三つ目は、―――

 

「食らえっ!」

 

 必中の確信をもって矢を放つ。射撃時に生じた真空は周囲の空気を巻き込み、旋風と鎌鼬を発生させる。その旋風はアーチャーの髪を掻き乱す。

 

 音速に迫る速度のそれは、気圧差で軌跡の周囲の像を歪めながらランサーに牙を剥く。

 

 闇夜を切り裂き、2秒余り空を駆けてランサーに到達する。月光を反射しながら猛進するそれは、さながら流星だ。

 

 だが奇襲ではなく、『来る』と事前に覚悟できている一撃。それに反応することは、ランサーには難しいことではない。

 

「舐めるな――!」

 

 槍を回転させ、槍の間合いに入る瞬間を計る。そして矢がその領域に踏み込んだ瞬間、強く踏み込み、槍を大きく薙ぎ、螺旋矢の軌道を力技で逸らす。

 

 遠心力をも味方につけたその一撃は、先ほどの一撃よりも危なげなく矢をランサーの後方へと送る。

 

“―――やはりあの建物の屋上からか!”

 

 螺旋矢が飛び込んできた方向と仰角より、狙撃地点を特定する。やはり、新都センタービルからの狙撃であるのは間違いない。

 

 アーチャーは、もはや居所は割れているものと諦めた。ならば遠慮なく攻撃するのみ。

 

 弓を引き、新たに螺旋矢を具現化させる。弦を引き絞るその手には、数本の矢も一緒に握られている。連射の構えだ。

 

「この街は死角が多いが…簡単に隠れられると思わない方が良いぞ、ランサー?」

 

 ランサーに向かって呟く。

 

 次の刹那には、螺旋矢は放たれた。今度はランサーを狙ってのものではない。ランサーが身を隠したいであろう場所を先んじて攻撃する。

 

 一射目は、雑居ビル群れで身を隠せる細道への入り口を容赦なく粉砕した。

 

 次の二射目は、反対側の裏路地への入り口を爆砕した。

 

 一息に放たれたのは五射。うち二射はランサーへの攻撃。残りは死角への逃走を防ぐ牽制。

 

 ランサーの攻撃によって威力の大部分を殺されてはいるが、その威力は凄まじいものだ。

 

 現に、ランサーの槍に弾かれてはいないものは、まるで戦車から砲撃でも受けたかのような有様だ。

 

 矢は地面のアスファルトを、火花を散らしながら掘削し、鎌鼬はその周囲を容赦なく凌辱する。掘削と切断で粉塵となった地面に火花が着火し、着弾時には粉塵爆発をも伴う。

 

 ランサーとて、狙撃を受けない死角に入り込みたいが、的確な狙撃と牽制でそれができない。下手に踏み込めば、あの螺旋矢は即座にランサーの上半身を挽肉にするだろう。

 

 少しでも目を離せば、それは死に直結してしまう。

 

 結局、即座に矢を迎撃できるように意識を前方へと傾け、前進するしかなくなっている。視線はセンタービルの屋上に固定されたまま動かない。

 

 新たに自分目掛けて猛進してきた流星を打ち払いながら、ランサーは自嘲気味に呟いた。

 

「ちぃ…。この私が、亀のように地面に縫い付けられるとは…。素晴らしい武人だ。これは拝見の誉れを頂戴せねばならぬ。」

 

 本当なら今のランサーのように地面を走るのではなく、屋根から屋根を飛び移るように駆けるほうが速い。

 

 しかし、この苛烈で正確な狙撃では、地面に脚がついていなければ、迎撃すらままならないのも事実。全速力で駆け抜けることのできないランサーは、その俊足を活かせず苛立つ。

 

 ―――センタービルまでは、目測でおよそ500m。この半分余りも踏破すれば、狙撃手を探知スキルで捕らえることができる。

 

 しかし、それが可能かどうか。

 

 さらに、もしセンタービルにたどり着いても、どうやって屋上まで上るのか。

 

 中に進入して屋上まで行くか?いや、論外だ。どのような罠を張っているか知れたものではない。

 

 ビルの壁を蹴って屋上まで飛翔するか?それは現実味に欠ける。壁蹴り自体は可能だが、その間に矢で撃墜される。

 

 何か良い策を講じなければ、いずれ王手詰み(チェックメイト)だ。

 

『―――この役立たずめ、一方的ではないか!何故私を頼らん、令呪を使用するぞ!』

 

 脳内から直接話しかけられるような感覚に、ランサーは驚いたが、すぐにその正体を看破する。

 

 スカリエッティからの念話だ。彼はホテルのトイレに身を隠しつつ、視覚を共有していた。

 

 一直線にどこかを目指すランサーには、どうやら狙撃手の位置が分かっているらしいことをスカリエッティは悟った。

 

 ―――そして、自らのサーヴァントへ助け舟を出そうとしている。

 

 ランサーはその申し出にやや虚を突かれたが、その意味を理解し、心中は喜びで溢れていた。

 

“ようやく私の主も、共に戦う気になってくれた―――!”

 

 ランサーは、どうせスカリエッティは終始身を隠したままであろうと思っていた。先ほどのように何か餌で釣り上げなければ、部屋から一歩も出ようとしまい。

 

 だからランサーは、スカリエッティの援護はキャスター戦以外で期待するつもりはなかった。どうせ令呪も渋って使うことは無いだろうと思っていた。

 

 それがどうだろうか。意外にも、正確に戦況を理解し、自身のサーヴァントを助けるべく令呪を使用すると言っている。

 

「…はい!令呪にて、私を新都センタービルの屋上まで転送を!」

 

 行き先を聞き、すぐさまスカリエッティは令呪を使用した。

 

『令呪を以って命ずる!ランサー、センタービル屋上まで即刻飛べ!』

 

 次の瞬間、ランサーに理解できたのは何か強力な魔術の対象にされたこと。すぐさま、これが令呪による空間跳躍だと理解し、抵抗もせず受け入れる。

 

 …これが不可能を可能にする令呪の力。三画のうち、一つを消費することで発動できる三度きりの強制行動権。

 

 その用途は様々だが、今回ランサーが行ったのは空間跳躍。その効力の及ぶ範囲ならば、如何なる障害をも無視してサーヴァントを転送する。

 

 ランサーが転送された後に残されたのは、螺旋矢による無情な破壊の爪痕のみだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「お疲れ様でした。」

 

「うん、お疲れ。最近また物騒みたいだから気をつけて帰りな。まぁ、澪ちゃんだったら暴漢なんて張り倒すだろうけど。」

 

 見送ってくれている店長の背後から、「違いない!」だの「暴漢が可哀想だよな!」などとやたら威勢の良い声が聞こえる。呪われろ。

 

 笑顔で客に呪詛を送り、ガラガラとガラス張りの引き戸を閉める。この機会にガンドとかいう魔術を習得するのもいいかもしれない。

 

「―――ふう。疲れた。」

 

 八海山澪は丁度バイトが終わった頃であった。

 

 アルバイト先は、小さな居酒屋。オフィス街にぽつんと存在する、まるで時代に取り残されたかのような店だ。

 

 少々終わる時間は遅いものの自給は悪くない。何より、あの気さくな雰囲気が好きだ。

 

 客はほとんど常連客しか来ない。だから自然とお客と友達になり、働く方も飲む方も居心地の良い雰囲気を作っている。

 

 しょっちゅうお客が酒を勧めてくるが…そこは原付なので、という理由で殆ど断わっている。というよりも予防線だ。あまり仕事中に飲むのはよろしくないだろう。

 

 …店長は厨房で料理をしながら、味見と称して少し飲むこともあるが…よく刃物を扱いながらアルコールを摂取できると思う。

 

 ちなみに美希が言っていた鮟鱇がお勧め、という話も店長に通しておいた。俺は捌けないぞ、と言っていたが。

 

 …時刻はおよそ午前2時。女の子が一人で出歩く時間ではないだろうが、一応魔術師でもある私は、暴走族くらいなら追い返せる。ほとんど心配ない。…店長とお客の面々が言っていたことはあながち間違いではないのだから余計に腹立たしい。ますます呪われろ。

 

 ヘルメットを被り、キーを回す。

 

 …さて、アパートがある深山のほうへ帰るとしよう。こんな時間だし、さっさと寝て明日に備えるべきだろう。

 

 原付を走らせ、来た道を戻る。大通りに出ても自分以外の人影は見当たらない。

 

 ―――いつも思うが、一体この街の人は何に怯えているのだろう。

 

 僅かな犯罪にも、過剰と思えるほど敏感に反応する。まるで、深夜に外出すれば命が無いとでも思っている節がある。

 

 この時間なら、まだ夜遊びしている若者が街を闊歩している筈だ。しかし、誰もいない。

 

 誰も彼も大人しく家で休んでいる。

 

 昼間の賑わいと、夜間の閑散の落差がありすぎて、なんだか異世界に来たような気もする。

 

「……?」

 

 何かが一瞬光ったように思える。だが落雷という訳でもない。きっとライトが何かに反射したのだろう。あまり気にしないことにする。

 

 アクセルを手前に回す。エンジンは更なるエネルギーをタイヤに伝え、加速する。

 

 無人の道路も悪いことばかりではない。信号は既に黄色で点滅している。

 

 勿論警察に見つかればアウトだが、法規速度を超過したスピードを出せる。今はおよそ時速60キロメートル。この原付が出せる最高速度だ。実に法規速度の倍の速度である。

 

 騒々しいエンジンの排気音が響くが、どうせ無人のオフィス街だ。気にすることはあるまい。

 

 そのまま大通りを直進する。やや進んだところで、近道の裏路地に入る。

 

 直進しても良いのだが、裏路地を通って隣の道路に移った方が冬木大橋に侵入しやすい。

 

 一応ウインカーを出し、スピードをやや落としつつ左折する。

 

 ―――そのとき、凄惨たる破壊の爪痕を目撃した。

 

 暗闇をヘッドライトの形に切り抜かれて、顕になったそこには、まるで爆弾でも爆発したような有様だ。

 

 慌ててブレーキを踏み、減速する。このままあのクレーターに突っ込むのは危険だ。中の配管を傷つけたのだろうか、水溜りになっている。

 

「―――え?」

 

 状況がよく掴めない。なんだって地面にこんな大型の穴が開いているのだろう。

 

 原付のエンジンを留める。代わりに、拙いが暗視の魔術を起動する。

 

 下手人が何者か知らないが―――間違いなく危険だ。ヘッドライトの灯りでこちらの存在に気付かれたらよろしくない。

 

 それに、何か強力な魔術の残滓を感じ取れる。

 

 未熟な私にも感知できる程の大魔術。それが何を目的に使われた魔術なのかは知れないが、これほどの禍根を残しているのだ。ロクなことではあるまい。

 

 足音を殺し、穴の外周を苦労しいしい辿りながら、道路の様子を伺う。

 

 道路の路面はあちこちが抉られている。窓ガラスの破片が散乱し、街灯もいくつかなぎ倒されている。だが、それだけだ。

 

 ―――誰も居ない。だがおそらく、誰かがここで破壊の限りを尽くしたのだ。

 

 今はどこかに移動したのだろうか。今思えば、先ほどの光は転移か何かの魔術の発動だったのではないだろうか。

 

 

 

 ―――脳裏に浮いたのは、あの光景。

 

 辺りを見渡す。きっとそこまで遠くには行っていない筈だ。転移の魔術は大魔術だが、その範囲には限りがある。もしかしたら肉眼で確認できる地点にいるかも知れない。

 

 ―――炎の壁。絶対的な死の結界。

 

 もう一度何かが光った気がした。視界の隅に、確かに光るものを認めた。

 

 ―――さらには、父と母の死の光景。

 

 それは、新都センタービル。遠視の魔術で視力を水増しする。

 

 ―――ニンゲンのような化け物に切り殺された、私の両親。

 

 さすがに仔細な様子は分からないが、おそらく転移先はそこだ。人影らしきものも見える。

 

 ―――かつて私は、こう覚悟した。

 

 足元に転がっていた鉄パイプを拾う。もしかしたら戦闘になるかも知れない。

 

 ―――私が通るのはあのような道で、決してあれを作ってはならないと。

 

 原付に跨る。穴だらけのここは無視し、別のルートでセンタービルまで行こう。

 

 ―――そしてもう一つ

 

 鉄パイプを抱えたまま、全速力で原付を走らせる。先ほどと同じ時速60キロメートルだが、今度は随分と鈍足に思える。

 

 ―――あれを作ったものに、報復を。両親を屠ったものに、復讐を。

 

 徐々にセンタービルの姿が大きくなる。あと10分ほどで到着する。

 

―――ながらく復讐心を忘れていた。いや、忘れたかったのだろう。

 

「―――こんなことなら、魔術の探求やっとくんだったわ。」

 

―――魔術から離れ、一般人となることで忘れたかったのだろう。自らの黒い衝動を。

 

「これほどの力―――きっとあの魔女の仕業に違いない。」

 

 ―――だが思い出してしまった。だから足がそこに向かってしまう。

 

 ―――記憶の中のそれらは、間違えようもなく明確な悪。

 

 ―――ならばそれを滅ぼそう。正義で包んだ復讐の剣を以って

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「―――むっ!?」

 

 ランサー目掛けて新たな螺旋矢を放とうとした瞬間、強力な魔力の残滓を残してランサーの姿が消えた。

 

“―――令呪を使ったか!”

 

 すぐに思い当たる。彼が自ら放棄した奇跡だ。

 

 アリシアに令呪のことをちゃんと教えるのは、彼女にこの戦いのことを教えることに他ならない。

 

 アーチャーはそれを嫌がり、ただ「どうしても会いたい時に、この痣に念じてくれれば、一生で三回だけ何時でも会いに行ける。」と伝えていた。

 

 つまり、自らの限界を超えた跳躍―――今見せたランサーのような芸当はできず、この場を離脱する時間などない。

 

 今更ながら、令呪の恩恵を放棄したことが悔やまれた。が、その表情に渋いものはなく、むしろ好敵手と巡り合えたことで喜びを湛えている。

 

 高層ビルの屋上。その空間の一端に、時空の歪が生じる。

 

 それは亀裂と閃光を伴い、そこからランサーが躍り出てきた。がちゃりと音を立て、重々しい鎧の槍兵がそこにいる。

 

 アーチャーは素早く照準を合わせる。ランサーは槍を地面に水平に構える。

 

 両者の距離は、およそ30メートル。

 

 まだ矢を放たない。この間合いだ、今番えている螺旋矢を外せば、次を番える時間など許してはくれまい。

 

 まだ踏み込まない。この間合いだ、下手に動けば対処する暇もなく射殺される。

 

 両者は睨みあい、不動。風の音だけが耳に劈く。

 

「―――弓兵殿!拝謁の誉れ、確かに賜った!」

 

 沈黙を破ったのはランサーだ。なるほど、武人らしく名乗りを上げたいらしい。そしてそれはアーチャーも同じだ。

 

「いや、それは私の方だ。これほどの猛者を相手に戦えたとあれば、この身に余る光栄だ。」

 

「否。ここまでの弓兵に出会えたこと自体が私にとって誉れ。さぞ、御身の前身は名のある騎士であったのでしょう。」

 

「それは貴方もだ。見たところ騎士、…ではなく武人といったところでしょうか。私は弓兵ゆえ、名乗りも上げられずに敵を討つことが多い。だから、こうやって対面できるのは私にとってこの上ない喜びです。」

 

 二人はその顔に微笑みを映す。両者とも、どこか優しげな笑みだ。

 

「名乗りを上げよう…と言いたいが、妙な縛りがある。いや、これほどまでの騎士に出会えたことに感謝すべきか。…ランサーのサーヴァント。主のために、参る。」

 

「アーチャーのサーヴァント。愛のために、参る。」

 

 クラス名だけを告げる名乗りの直後、弾かれたように横に疾走したのはランサーだ。

 

 さすがは俊足のサーヴァント。旋風そのものという健脚だ。

 

 だが、その程度で惑わされるアーチャーではない。その視力は、驚異的な敏捷性を誇るランサーの姿を捉えて離さない。

 

 ランサーは、乾坤一擲の覚悟で望んでいる。

 

 仮にこちらが重症を負おうとも、必ず首級をあげるという覚悟。

 

 ランサーは回り込むように動いてアーチャーに肉薄せんとする。

 

「―――螺旋矢を受けよ!」

 

 だが接近するということは、その分矢の到達時間が短いことを意味する。

 

 肉薄した白兵戦の距離ではなく、槍の届かないこの距離ならば十分にアーチャーの間合い。

 

 裂帛の気迫と必殺の確信をもって矢を放った。

 

 螺旋の矢は空気を切り裂いて放出し、鎌鼬を発生させる。弾いて相殺しなければ、矢を避けても後続の鎌鼬に切り裂かれる。

 

 しかし螺旋矢は弾かれることもなく、一直線に夜空の彼方に飛翔していった。残ったのはコンクリートに残された螺旋矢の轍のみだ。

 

“―――今の間に避けたのか!?”

 

 螺旋矢は風の猛威により、射手の視界を一瞬だけ奪ってしまう。その間に、ランサーは視界より消えてしまった。

 

 左右を見渡しても、どこにも居ない。が、夥しいほどの血痕が轍の途中から生え、それを辿っていくと―――

 

「何を呆けている!」

 

 背後からの一閃。アーチャーは殆ど反射的にこれを回避する。心臓を狙った一撃を、前転するかのように回避する。

 

 慌てて立ち上がり、背後を向くと、ランサーがその切っ先を既に引き戻し、追撃せんと迫る。

 

 その全身は傷だらけだが、どれも致命傷ではない。傷の多さゆえ出血も酷いが、ランサーのマスターがかけているらしい治癒魔術によって徐々に回復している。

 

 さらに速度を増した一閃。

 

 これをアーチャーは弓で弾く。逸らされた切っ先は浅く脇腹を裂く。

 

 アーチャーは弓をぐるりと反転させ、ランサーを弓で打とうとする。ランサーは槍を引き戻し、再び刺突の構え。

 

 引き戻しの分、僅かにアーチャーが早い。

 

“愚か者め!剣も持たぬ弓兵が白兵戦を選ぶとは!”

 

 だがランサーは気に留めない。骨を折られるかも知れないが、同時にこちらはアーチャーの心臓を貫く。

 

 肉を切らせて骨を絶つならぬ、骨を絶たせて命を絶つ。

 

“その心臓、頂戴する…!”

 

 アーチャーの打撃に耐え、この刺突を放てば勝利を手に出来る。

 

「――――ッ!!!」

 

 だが、ランサーは咄嗟に飛びのいた。無様にも転げまわるような退避。

 

 彼の首筋には―――真新しい切創。鎌鼬によるものではない。それは既に殆どが治っている。

 

 だからこの傷は、今付けられたものだ。

 

 刃を持たないはずの弓兵に。

 

「…なんと面白い得物か。まんまと騙された。」

 

「申し訳ない。本当はこの様な騙し討ちのような手を使いたくなかった。…だが、貴方を相手に手加減など出来そうもない。

 この弓は罠として広まったものです。おかげで、こんな戦い方ばかり上手くなってしまう。」

 

 その弓には、剣が付いていた。

 

 弓の二対の滑車を守るように、二対の刃が弓の弧の途中から生えている。さながら、自転車の車輪に付いている泥除けのようだ。

 

 その弓は、日本では弭槍(はずやり)と呼ばれる類のものだ。弓に刃を装着し、白兵戦でも戦えるようにした得物である。

 

 だが弭槍は大した威力はない。弧を描く弓では十分な刺突が適わないためだ。しかしこの弓から生える剣の刃渡りと切れ味は、十二分な脅威を秘めている。

 

 これぞアーチャーが、狙撃地点が割れても退避しなかった3つ目の理由。「そもそも接近戦で不利という常識が自分には通用しない」ということである。

 

 やはり銀色の刃は、片方には少量だが血で濡れている。言わずもがな、ランサーのものだ。

 今までは刃の部分を実体化せずに隠しておき、必殺のカウンターを狙ったのだ。

 

「いや、戦というものは両者共に策を尽くすものだ。気にすることもあるまい。」

 

「恐縮です。―――かく言う貴方の、その治癒能力。それが貴方の策ですか?」

 

 見れば既に、今までの傷は殆ど治っている。最初はマスターからの治癒かと思ったが、どうも違うように思える。

 

 そもそも怪我を負うことを前提にした戦術は、マスターからの治療ではなく、治癒能力を持つが故だろうとアーチャーは当たりをつけていた。

 

「策などと言うものではない。…生前に色々あってな。その時に得たスキルだ。私を倒したければ、一撃で首を落とすがいい。が―――ランサーたる私に、二度とその刃が届くと思わん方がよいぞ。」

 

「それは我が剣弓の剣戟に耐えてから言うべきだ、ランサー。」

 

 言い終わるや否や、踏み込んだのはアーチャーだ。

 

 剣弓で薙ぐようにして切りかかる。それをランサーが受け止めると、すぐさま反対側の剣で斬りかかる。

 

 そしてそれも受け止められると、次は袈裟に切り上げる。

 

 アーチャーの攻撃は例えるなら竜巻だ。左右、上下から交互に繰り出される剣は、アーチャーを中心に竜巻が唸りを上げているようだ。

 

 両方の刃を巧みに使いながら、アーチャーはランサーに剣戟で迫る。最初の数合は余裕の表情だったが、次第にランサーからその色が消える。

 

 すでに30合。ランサーはこの間に、ただの一度も反撃の機会を与えられない。

 

 決してランサーが弱い訳ではない。ランサーからすれば、左右から襲い掛かってくる剣を相手にしなければならないのだ。

 

 防戦に回ったとき、長い得物は不利だ。どうしてもその長さが邪魔になる。

 

 剣戟は重くはないが、その切れ味は無視できない。そしてその軽く鋭い剣戟は迅い。対になった剣の連撃には、およそ隙が無い。

 

「…くっ!」

 

 ランサーは一度仕切り直そうと、大きく跳んで距離を取る。

 

 だが、その隙を見逃すほどアーチャーも愚かではない。

 

「食らえ!」

 

 即座に弓を引き、螺旋矢を放つ。それは一直線にランサーに襲い掛かる。

 

「ぐぅ!」

 

 咄嗟にそれを弾くが、踏み込みの浅さからか威力を殺しきれず、腕に傷を負う。が、それも直ぐに塞がっていく。

 

 なるほど、たしかに強力な治癒能力だ。

 

 気付けば、既に傷は殆ど塞がり、鎧はすぐには修復できないのか傷だらけだが、それ以外は戦闘前と殆ど変わらない。

 

「その程度か?そのような重さを伴わない剣戟では、私を打ち倒すことは叶わないぞ?」

 

 ランサーはアーチャーを揶揄する。その肉体にダメージは既にない。

 

 ―――だが、内心でランサーは焦っていた。

 

 あのアーチャーには苦手な間合いというものが存在しない。近距離から遠距離までアーチャーの攻撃範囲内だ。

 

 加えて、あの縦横無尽な剣戟には隙が見当たらない。先ほどのように、一度受けに回って足を止めたら終わりだ。

 

 あの攻撃を回避するか流しつつ反撃する以外に活路はない。幸いにして、矢に比べると鎌鼬を伴わない分回避の余地がある。

 

「なに。この切れ味があれば重さなど殆ど必要ないだけのこと。それよりもいいのか?弓兵などに白兵戦で遅れをとって?」

 

 アーチャーも揶揄を返す。

 

 ―――が、アーチャーもまた焦っていた。

 

 白兵戦でアーチャーに分があったのは、あくまでランサーがこの剣弓に慣れていないというだけのこと。

 

 彼にとって予測不能の太刀筋で翻弄しているだけだ。もしも見切られたら、命を落とすのは自分のほうだ。

 

 槍を巧みに操り、隙有らば突き殺そうとするランサーを前に、どうしても攻めあぐねてしまう。

 

 加えて、アーチャーは長引けば長引くほど不利だ。

 

 ランサーの治癒能力がどれほどのものか知れないが、あれほどの傷を全て完治させているだ。彼の言うとおり、一撃で絶命させなければいけない。

 

 ―――ならば、使うしかない。

 

 アーチャーの弓が、必中にして必殺の真価を発揮しようとしている。

 

「ランサー、忠告する。」

 

 距離を保ったまま、アーチャーがランサーに言う。

 

「…何だ?」

 

 アーチャーが天に向けて弓を引き絞る。そこに例の螺旋矢が現れる。

 

「貴方はここで斃れる。それが嫌ならば疾く逃げることだ。」

 

 ゆっくりと弓を下げ、ぴたりとランサーを狙う位置で止まる。

 

「何を―――」

 

 言っているのか。私に退却など存在しない。そう言おうとしてそれに言葉を遮られた。

 

 あの弓と矢に、驚異的な魔力が迸っている。ただ月光を反射するのみであったそれらが、自ら銀に煌いている。

 

 急速に周囲の温度が冷える。

 

「そうか。退かぬなら、ここで斃れろ。」

 

 その鋭い眼光は、さらに鋭くる。

 

 アーチャーの手は、矢を限界まで引き絞る。剣弓はぎりぎりと軋みを上げる。

 

 ランサーは動けない。これほどまでに凄まじい魔力の迸りを前にして、警戒せざるを得ない。

 

 下手に動けば、即死につながるかも知れない。矢を引いているが、実際は全く違う攻撃方法かも知れない。

 

 よって開放の瞬間を待ち受ける。

 

 槍を構え、いつでも迎撃なり回避なりできる体勢で待ち受ける。

 

「―――その心臓を貫け。『無駄なし必中の流星(フェイルノート)』!!」

 

 矢を放った。それは音速を完全に凌駕している。鎌鼬以前に、その切っ先から真空の壁が生じている。

 

 それが圧倒的な銀色の光量を持って飛来する。一直線に、ランサーの心臓を目掛けて。

 

「舐めるな!」

 

 常人なら視界を完全に殺されるほどの光。だが、こんなものはランサーにとって些かも問題ない。アーチャーは知らないが、彼の目は特別だ。こんな光など、目くらましにすらならない。

 

 槍を渾身の力をもって振るう。それは正確なタイミングで銀の矢を打ち払う―――はずだった。

 

「―――!!!?」

 

 矢に槍が触れる瞬間、矢の軌道が屈折する。まるでフォークボールのように、しかしその下降は物理現象の括りを突破したかのように急激にベクトルを変える。

 

 ランサーの槍は宙だけを切り、虚しくも振りぬいてしまう。

 

 そして矢は地面に接触する瞬間、今度は浮き上がる。V字型に屈折した矢は、寸分も違わずランサーの心臓を、突き上げるような形で狙う。

 

「くっ!」

 

 慌てて身を捩って回避しようとする。しかし、矢はそれを見越したかのように再び屈折し、その心臓に到達する。

 

 銀の螺旋矢は、ランサーの胸の筋肉を抉り、心臓を穿ち、遂にはランサーを貫通し、血霧を撒き散らしながら飛翔する流星となって夜空に消えた。

 

「が……」

 

 突き上げられた形になったランサーは、その衝撃に負けて背中から倒れる。コンクリートに打ち付けられた衝撃で、口から多量の血を吐く。

 

 心臓を穿たれ、その胸に大穴を空けてもまだ存命しているらしい。だがそれも時間の問題だ。既に、その存在は希薄になりかかっている。

 

「ぐ…因果律の逆転、か…」

 

 ランサーが苦しげに呻く。

 

「そうだ。これぞ我が必殺の矢。『無駄なし必中の流星(フェイルノート)』。」

 

 因果律の逆転。『射抜いた』という結果が先に確定し、その過程が後より発生する。『射抜いた』という結果が先に存在する以上、いかなる回避行動も意味を成さない。

 

 これを回避するには、運命を覆すほどの幸運か加護が必要になる。

 

 これに心臓を貫かれたランサーは、どこにそんな余力があるのだろう、よろよろと起き上がる。

 

「…貴殿は……円卓が、一人…トリスタンか…」

 

 もはや息も絶え絶えで、うまく言葉を発せない。しかしまだ立ち上がれるのは、偏にあの治癒能力によるものだろう。しかし心臓を破壊されて無事であるわけがない。

 

「いかにも。私は円卓の騎士の一人、サー・トリスタンである。」

 

 円卓の騎士で随一のロマンスの逸話を残す英雄。トリスタン卿。自らの自慢の弓を用い、その栄光を残す騎士。

 

 イゾルデという女性を愛し、その末に暗殺された騎士。彼の恋路は様々な形で語られるが、どれも悲痛な運命を遂げる。

 

 悲恋の騎士、サー・トリスタン。

 

 それこそが、この銀のアーチャーの真名である。

 

 彼の弓は、アーサー王のエクスカリバーを真似て作られている。意匠は勿論、宝具開放時の銀の閃光も、『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』を模したものだ。

 

「…なるほど。その…栄光を集めたような銀の輝き、…見事だ。」

 

 言うや否や、再び夥しい量の血を吐く。もはや目も虚ろで、顔は青ざめている。失血死は間近だ。

 

「有難う。しかしもう眠るといい。…介錯が必要か?」

 

 ランサーはよろけるが、すんでの所で踏みとどまる。

 

 大儀そうに持ち上げた顔には…笑顔?

 

「いや、それには及ばない。―――魔術師殿、宝具を使用しても宜しいか?」

 

“―――許す!早く使え!”

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

【クラス】アーチャー

【マスター】アリシア・キャラハン

【真名】サー・トリスタン

【性別】男性

【身長・体重】180cm 65kg

【属性】秩序・善

【筋力】 B  【魔力】 B

【耐久】 B  【幸運】 C

【敏捷】 C  【宝具】 A

 

【クラス別能力】

 

対魔力:D

一工程による魔術を無効化する。

効果としては魔除けの護符程度なので、人間の領域のスキルといえるかもしれない。

 

 

単独行動:B+

マスターからの魔力供給が無くなったとしても現界していられる能力。ランクBは二日程度活動可能。

プラス補正により、魔力の温存次第ではさらに一日程度の活動も可能。

 

 

 

【保有スキル】

 

鷹の目: C

純粋な視力の良さ。遠距離視や動体視力の向上。

高いランクの同技能は透視・未来視すら可能にするという。

 

 

陣地選定: B

自分に有利な陣地を選定し、地の利を最大限に活かす能力。

ランクBは有利な位置関係を維持する限り、アドバンテージを決して失わない。

 

 

【宝具】

 

無駄なし必中の流星(フェイルノート):B

対人宝具・最大捕捉人数1

 

因果律の逆転により、必ず命中する矢を放つ。命中箇所は任意で設定可能。

その矢の形状により貫通力は凄まじく、半端な防御では確実に貫かれる。Aランク相当の防御手段でも、投擲に対する補正がなければ防御は困難。

ただし回復阻害などの付加能力は持ち得ない。

さらに、遠方の敵には使用できず、射程はおよそ100メートルである。

 

 


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