『TS薬を開発したいだけの異世界薬理教師』   作:  

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第三交流『異文化間交流』

 ◇◆◆◇

 

「えっと、お昼ごはんは今日も学院の食堂かな?」

 

 リーシャは講義の終わりにユラリアに声をかけた。

 二人は同じ『薬理学理論』の授業を受けていたが、その後の時間割は別々だった。

 それでも『薬理学理論』が昼食の時間直前の講義であるために、二人で食事を取るのが慣例となっていた。

 少なくとも、『薬理学理論』が存在する日は。

 

「はい、そうしましょう」

 

 ユラリアは優雅に頷いた。

 彼女の長い髪が光を受けて柔らかく揺れる。

 

「今日の講義も興味深かったですね」

 

 食堂に向かう途中、二人は廊下の窓から見える中庭の景色を眺めた。石造りの古い建物に囲まれた中庭では、いくつかの木々が風に揺れていた。遠くには王城の尖塔が見える。

 

「それにして薬理学……あの研究ってどこでやってるんだろうね? ミステリアスだよね、本人の性格以外にも内容が」

 

「ええ」

 

 ユラリアは自分の中に存在する思考を、わかりやすく整理してから答える。

 

「恐らく伝統的な魔法理論とは全く異なる見解です。元々、『魔法は人類が惑星の支配者であることを証明する権能である』──魔法の存在は精神力と知力の発現証明とする古典的な解釈からすれば、ほとんど異端的とも言えるでしょう。魔法の根源を解き明かし、仮にその権能が剥奪されれば……人類は、惑星の支配者ではなくなってしまいますから」

 

 ユラリアが述べた文章は、真に古典的であり……権威的な文章であった。

 既にそれが現実に則していないことは、誰もが認識していた。それでも、長年の伝統はその虚偽を傷痕として文明に刻むことを選ばせていた。

 

「難しいことはわからないけれど……そんなに大事なのかな、そういうのって」

 

「大事にしてきたからこそ、人類は今ここにいるんですよ。適度な傲りがなければ、発展は出来ませんから」

 

 ユラリアはリーシャを諭すように口を開く。

 だが、本人もその言葉の意味を真には理解出来ていないと自覚していた。あくまで、言葉の受け売りであり──このような類いの言葉の意味や、その裏に隠された歴史を理解出来た時に、一歩成長することが出来るのだろうとも考えていた。

 

 食堂に入ると、いつもの混雑した光景が広がっていた。学院の食堂は身分の垣根を越えた交流の場でもある。

 先週や先々週と比べ、少しだけ賑やかになっているようにも思われた。

 

「あそこ、空いてる!」

 

 リーシャが小さなテーブルを見つけ、二人はそこに席を確保した。

 

 今日の食事は野菜のシチューとパン、季節の果物だった。どれも質素ながらも栄養バランスが考えられている。リーシャは早速パンをちぎって口に運ぶ。

 

「そういえば忘れてたけど、リードヴルム先生から、名前とか聞けたんだっけ?」

 

 リーシャはシチューをすくいながら尋ねた。

 

 ユラリアは周囲を少し見回してから、声を落として答えた。

 

「インロゴス・プラネット教授──ですが、リードヴルム教授は、同時にそれが偽名だろうとも言っていました」

 

「偽名? なんで偽名を使ってるんだろう。色々あるにしても、わざわざ偽名を使う必要なんてないと思うんだけど」

 

 二人は食事をしながら、教授の奇妙な行動について話し合った。食堂の喧騒が二人を包み、窓から差し込む陽光が食器を明るく照らしていた。

 

「でも、なんていうか。教授の話を聞いていると、なんだか『本当かも』って思っちゃうんだよね。あの話し方がすごく説得力あるというか……詐欺師とか向いてそう!」

 

「わかります。理論に一貫性があって、論理的なんです。だから危険でもあります。リードヴルム先生も、批判的思考を忘れないようにと忠告していました」

 

 教授は、様々なことを話している。

 初回の薬剤概論も、二回目の阻害様式も、ついさっき行われたADMEとCYPの話も。全て、生徒視点からそれらの実在を証明することは出来ない。

 これが他の科目であれば、別の講師や論文を調べれば良いが……薬理学という科目を、あのような切り口で研究する研究者は、ほとんど存在しない。

 むしろ、あの教授のみだと言いきっても良いようにユラリアは考えている。

 

「そういえばさ……」

 

 こそこそと。

 声量を三段階ほど下げてリーシャは、ずいとユラリアに顔を寄せる。

 

「この間、すごく沢山お金を貰っちゃったんだけれど……どうすればいいかな」

 

 新魔法を開発して、それに独自性が存在すると認められた場合、開発者には料金が支払われる。

 支払われる料金は、その魔法にどれだけの応用性が存在するか。そして、どれだけ安全であるかなど幾つかの指標によって決められている。

 

「……どれぐらい、貰ったのですか?」

 

 リーシャが申請した魔法は、三つである。

 

 第四級火炎魔法『炎路調節』

 第四級風空魔法『風路調節』

 第四級水流魔法『水路調節』

 

 それらは全て、発動中に出力を調節可能な魔法であった。

 例えば『炎路調節』であれば、最小でマッチ以下の火力を。最大で家の鍋が融解する──実際、リーシャは家で使用して火事を起こしかけた──ほどである。

 

「ええっと……あの時(・・・)見た、『水壺』を幾つか買えそうなくらい」

 

 リーシャにとって、それは大金である。

 現時点で住んでいる家をリフォームするどころか、新しい土地を購入して自分好みの家を建てられる程度には。

 

 だが、ユラリアにとってその金額は大きくはあるものの、大きすぎるものではなかった。

 むしろ、功績に対して釣り合っていないとすら考えていた。

 その応用性から考えれば、その数倍の金額が出る可能性すら考えられる。

 

 だが、今のリーシャにそれを告げれば混乱が深まるだけだということもユラリアは理解していた。

 

「リーシャはどうしたいですか?」

 

 ユラリアが現時点で取れる方策は、幾つか存在する。

 その中でリーシャがどれを望むのか。それを見極めるために、質問を投げかける。

 

「ええっと……お世話になっている孤児院の屋根を直してあげたいでしょ? それから、我が家の料理器具の新調に……教会へのお布施もあって。それから、奨学金も返さないといけないし……」

 

 ただ、返ってきたのはユラリアの想像していた返答のどれとも異なるものだった。

 汚れていた自分を戒め、表情を作り直してリーシャへと話しかける。

 

「もし色々と心配なら、ユラリア・ウィンターフィアではなく、もう一つの名前のほうで保証したり守ることも出来ますが……」

 

 もう一つの名前、とはユラリアの王族としての名前である。

 

「ううん、大丈夫。だってユラリアがそっちの名前をここで使ってないのは……何かあるからでしょ? それに──自分のことは自分で、だから!」

 

 食堂の人の流れが少しずつ変わり始め、次の講義へ向かう学生たちが増えてきた。窓から見える空には薄い雲が流れ、陽光の角度が少し変わっていることを告げていた。

 二人は食器を返却台に置き、食堂を後にした。古い石の廊下を歩きながら、彼らの会話は続いた。

 

 二人は分かれ道に差し掛かった。

 リーシャは基礎棟Aへ、ユラリアは歴史棟へと向かう道を向いて。

 

「じゃあ、また明日!」

 

 リーシャは手を振った。

 

「はい、それではまた明日」

 

 

 ◇

 

 

 夕暮れの光が学院の窓から差し込み、廊下の石畳を温かく照らしていた。一日の授業が全て終わり、学生たちは三々五々と下校の準備を始めていた。古い石造りの建物の中で、足音が静かに響く。

 

 リーシャは本日最後の講義を何とか乗り越え、疲れた様子で廊下を歩いていた。髪をかき上げながら、明日の課題について考えを巡らせていた。

 そんな時、角を曲がったところでユラリアとばったり出会った。

 

「あ、ユラリア!」

 

 リーシャは思わず明るい声を上げた。

 

「今終わったの?」

 

 ユラリアは優雅に微笑み、手に持っていた数冊の本をしっかりと抱えなおした。

 

「ええ、魔法史の調べ物が少し長引いてしまって」

 

「そうなんだ。お腹すいてない? 食堂はもう閉まっちゃったけど、西門の外にある小さなパン屋さんならまだ開いてるかも! 食べたことある? あそこのパンってふわふわもちもちなんだよ!」

 

 ユラリアは少し躊躇するような表情を見せた。

 

「西門の外……ですか?」

 

 提示された地域は未知の場所であった。

 ユラリアにとって、自由な存在が許されている場所は少ない。

 自室と学院。基本的にはその往復以外は許されていない。

『古の小匙亭』はその設立経緯から例外的に行くことが出来たが……あれも、自由に赴ける場所というわけではなかった。

 仮に、金銭が潤沢にあったとしても。

 

「……そっか。ユラリアって、学院の外ってあんまり行かないよね」

 

 二人は無言で歩き始め、中庭へと続く廊下を進んだ。夕陽が建物の影を長く伸ばし、遠くの王城が金色に輝いていた。

 ユラリアにはその黄金がくすんで見え、リーシャにそれが輝いて見えていた。

 

「実は……一度も行ったことがないんです」

 

 少し恥ずかしそうにユラリアは言った。

 それは提案したリーシャを困らせないようにするひとつの配慮であり、同時に自分の知っている領域の狭さを自嘲する意図もあった。

 

 知識は書籍で身に付けることが出来る。

 だが、現実世界には書籍に記されない──言語化するにあたって、削ぎ落とされる情報が必ず存在する。

 体験出来ないということは、その削ぎ落とされた情報と出会う機会がなくなるという意味でもある、とユラリアは知っていた。

 

「そっか」

 

 リーシャは言葉を選びながら答えた。

 

「私なんか、毎日学院と家の間を歩いて通ってるよ。家はここから北で、けっこう遠いんだよ。大体、歩いて四十分ちょっと」

 

 学院の立地は、極端に貴族居住区に偏っているわけでも庶民居住区に偏っているわけでもない。

 その中間、境界に存在する。それでも、徒歩で四十分というのは近い距離ではない。

 

 確かに、距離だけを見れば王城のほうが遠いのかもしれない。

 それでも、その距離以上のものがあるようにユラリアは感じた。

 

 中庭のベンチに二人は腰かけた。周りの学生はほとんどいなくなり、鳥の鳴き声だけが静けさを破っていた。

 

「どんな感じなんですか? 学院の外は」

 

 ユラリアは静かに、尋ねた。

 

「うーん、にぎやかだよ。特に市場の日は。人がいっぱいで、声が飛び交って、匂いも色々するし。さっき話した西門の外のパン屋さんとかは……小さいけど、あったかいパンが食べられるんだ。しかも、ちょっと背伸びするだけで!」

 

 リーシャは、赤く染まった空を見上げながら列挙していく。

 

「それは素敵ですね」

 

 ユラリアは遠くを見つめながら言った。

 リーシャにとって背伸びは、ユラリアにとっての背伸びにならない。だがそれは、一方的なものではない。

 リーシャの日常を、ユラリアは幾ら望んでも掴むことができない。

 

「私は……いつも決まった道を通り、決まった場所にしか行けません」

 

 リーシャはその言葉に何か言おうとしたが、言葉を飲み込んだ。代わりに。

 

「でも、すごいじゃん。ユラリアって魔法の才能あるし、頭もいいし──この間の教授とのご飯会だって。話し方? がすごくて! 私だったら、きっと爆発しちゃう。私が出来るのなんて、せいぜい近所に住んでる子供達のケンカ仲裁くらいだよ!」

 

「ありがとうございます」

 

 ユラリアは微笑んだが、その笑顔には少し寂しさが混じっていた。

 貴族同士の折衝は出来ても、子供達の仲裁は決して出来ない。

 

 ただ、ユラリアにはそれが極めて贅沢な悩みであるということも自覚していた。それ故に、普段はそれを表に出すことはない。

 

「でも、それも全て……期待されているからでしょうね。投資みたいなものです」

 

「期待?」

 

「ええ。王族として、模範を示さなければならないという……自由に選べることが、あまりないんです。着用する洋服は定められ、公務で意見は求められません」

 

 リーシャは黙ってユラリアの横顔を見た。

 夕日に照らされた彼女の姿は美しかったが、どこか遠くを見つめているようだった。

 

「じゃあ、同じだね。私にも選択肢はたくさんあるけど、どれも手が届かないものばかり。学院に来られたのも、たまたま奨学金があったから。洋服も沢山あるわけじゃないし、難しい政治に意見なんてもっと無理! なんもわからない!」

 

 だから、同じ(・・)であるとリーシャは言う。

 過程が異なるだけで、結果は同じなのだと。

 

「うん何もわからない。でも、私は楽しいよ! 全部が! こうやって学院に来れて、普通だったら絶対会えないような人たちと話せて、知れないようなお話を聞けて──ユラリアみたいな、優しい人にも、出逢えて」

 

 二人は黙って夕焼けを見つめた。

 空は徐々に紫色に染まり始めていた。紅を通り越して。

 

「リーシャさんは……何になりたいんですか?」

 

「私?」

 

 リーシャは少し考えてから、答える。

 

「まだわからないけど、魔法陣の研究者になれたらいいのかも、って! 新しい魔法陣をもっとたくさん考えられたら、もっとみんな自由(・・)になれるから!」

 

「素敵な夢ですね」

 

 ユラリアは、心の底からそう思っていた。

 普段、貴族達に使っている社交辞令ではなく。

 

「ユラリアは?」

 

 ユラリアは長い間黙っていた。そして小さく息を吐いて言った。

 

「私には……既に決められた道があります。王族として、国を支える立場として。嫁ぎ先も、王国の事情に左右されます。最近、世界が色々と物騒ですから。私の嫁ぎ先は、王国が何を重視しているかの、重大な指標になり得ます」

 

 リーシャは思わずユラリアの手に自分の手を重ねた。

 それはリーシャ自身にとっても衝撃的な(びっくりした)行動。

 

「でも、この学院では。少なくともここでは、ユラリアはユラリアだよ。それ以上、変な意味を持たない」

 

 ユラリアは驚いたように目を見開き、それから柔らかく微笑んだ。

 王族の名字を、変な意味(・・・・)と切り捨てることは簡単ではない。

 

 例えそれが、言葉の上だけだったとしても。

 

「ありがとう、リーシャさん(・・)

 

「リーシャでいいよ」

 

「ありがとう、リーシャ」

 

 夕闇が深まる中、二人は学院の鐘の音を聞く。

 

「じゃあまた! 今度こそまた明日ね!」

 

「はい。是非、よろしくお願いします」

 

 二人は別々の方向へ歩き始めた。

 リーシャは西門へ、ユラリアは学院の正門へ。

 

 リーシャは振り返り、遠くで護衛に囲まれて歩くユラリアの小さな背中を見た。その姿は寂しげにも見えたが、同時に凛としていた。

 一方、ユラリアも振り返り、一人で夕闇に消えていくリーシャの後ろ姿を見つめていた。自由に見えるけれど、その道のりは決して楽ではないことを、彼女は知識ではなく体感(・・)することが出来た。

 

 

 

 

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