『TS薬を開発したいだけの異世界薬理教師』   作:  

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第七交流『世界の心臓』

 ◇◆◆◇

 

 ユラリアとリーシャは講義後、『古の小匙亭』に来ていた。

『古の小匙亭』は先々代王宮料理長が創立した飲食店であり、王族をはじめとした上級貴族達の密談の場所としてよく用いられてきた歴史を持ち──それは、ユラリアとリーシャの密会という用途で用いられようとしている現在でも、変わってはいなかった。

 

「リーシャの引っ越しを祝って、乾杯!」

 

「乾杯……はいいけれど、ユラリアは大丈夫? もう乾杯も六回目だよ? お水とか飲んだほうがいいんじゃない?」

 

 王国において、飲酒可能下限年齢というのは厳密には定められていない。

 少なくとも年齢が二桁に到達していない子供に飲ませようとする親はいないが、十二あるいは十五を基準に家庭内での飲酒を許可する家庭も多く存在する。そして、王族もその例に漏れてはいなかった。

 

 ただ、ユラリアは王族の模範たれと自らを律していたため、普段は深酒することはない。

 一人で『古の小匙亭』に来ることはなく、二人以上で来ることがあればそれは密談であり、政治的意味を多分に含んだ会談となる。

 自室ですら監視からは逃れられないユラリアにとって、何の気遣いもいらない──対等な親友と、思いの丈を放出出来る機会というのは、初めてのものだった。

 

「大丈夫ですよ。まだそんなに飲んでいませんし……ここのは飲みやすいものがおおいですから」

 

「その飲みやすいのが多いっていうのが怖いんじゃないかな……ユラリアが飲んでるの、結構濃いやつだよ?」

 

 しばしば水を挟んでいるリーシャと、ユラリアではアルコールの摂取ペースが異なっていた。

 加えて、ここがユラリアの奢りであると知っているリーシャが抑えているというのもあったが。

 

 

 始まりは、『薬理学理論』の講義後の昼休みだった。

 

『ユラリア、また夜ご飯を食べに行かない? 私の引っ越し祝いってことで! でねでね、私オススメのお店が…………っと、でもあれなんだっけ。色々と』

 

 リーシャに悪意はなく、親しい友と夕食を共にしたい。自身の引っ越しという行事にかこつけて。

 それだけの純粋な気持ち故のお誘いだと、ユラリアにはわかっていた。だからこそ、ユラリアは嫌な気分にはならなかった。

 普通ならばこの手の『お誘い』は、少なからずユラリアの気分を快には導かないものであるというのに、気分が良くなる自分をユラリアが自覚出来る程度には。

 

『そうですね。なら、前のお店にもう一度行きましょう。リーシャの分も私が払いますから、安心してください』

 

『そうは言っても……』

 

『いいんですよ。私はリーシャに借りが沢山あります。魔法陣もそうですし、引っ越し祝いですから』

 

 ユラリアからすれば、『権能返却』や『権能読込』の魔法陣を共有してくれたということは、金銭程度の貸し借りでは決して返済出来ないものであるという認識であった。

 

『大人しく受け取ってください。私は公にリーシャへのプレゼントをあげられませんから……たまにの、我が儘ということで』

 

『まぁ……そういうことなら。次はないからね。私がお金を出すから!』

 

 そんなやり取りを経て、二人は『古の小匙亭』にやってきた。

 

「そもそも、リーシャのせいです。少し目を離した隙にあれこれやって……どれだけ私が困っているかを知らないんです。リーシャだからいいですけど」

 

 

 リーシャは少し困惑した表情で、テーブルの上のお酒を少し遠ざけながら、ユラリアを見つめた。第一王女がこれほど感情をあらわにする姿は珍しく、どこか新鮮でもあった。

 

「私のせい? 確かに、色々私はやってるけれど……」

 

 リーシャは首を傾げる。

 ユラリアはグラスを置き、深く息を吐いた。普段の厳格な姿からは想像できないほど、肩の力が抜けている。

 

「全部ですよ、全部。リーシャが『権能返却』と『権能読込』を見せてくれなければ、私はあんな報告書を読まなくて済んだんです。そして教会も動かず、私の頭痛の種も増えなかった」

 

「報告書? 教会?」

 

 リーシャは混乱した様子で、小さな声で質問する。

 

「ユラリア、何の話をしているの?」

 

「ああ、そうでした。リーシャには話していませんでしたね。教会が動き始めたんです。『守護者の選別』などと称して、若年層への働きかけを強めています」

 

 ユラリアはもう一口飲み、少し頬を赤らめながらそう続けた。それに対して、リーシャは驚いた表情を見せる。

 

「それって、私たちの魔法陣のせい?」

 

「直接的にはそうとも言い切れません。でも関係はあるでしょう。最近、情報の流れが妙なんです。教授の講義から教会の反応までが、通常では考えられないほど短時間で起こっている」

 

「それって……まさか情報漏洩ってこと?」

 

 ユラリアは小さく首を振った。

 

「いいえ、違います。漏洩は昔からどうせしています。問題は、教会側の動く早さで……『天啓』という可能性も排除できません」

 

「天啓?」

 

 リーシャは言葉を噛みしめるように繰り返す。

 ユラリアらしからぬ言葉の使い方に、少し不審げに思いながら。

 

「神様からの啓示ってこと?」

 

「そう受け止めることもできますね。私としては、未知の情報伝達手段と考えたいところですが」 

 

 ユラリアは皮肉げに笑う。リーシャは、ユラリアのそのような表情を見るのは初めてであった。

 リーシャは少し考え込んだ後、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「ごめんね、ユラリア。私、余計な負担をかけちゃったみたい」

 

「いいえ、謝る必要はありません。むしろ、これは結局避けられない事態でした。教授の講義内容からして、いずれこうなることは予測できましたし……いいんですよ、とにかく。リーシャは気にしなくていいんです!」

 

 ああでも、とユラリアは付け加える。

 

「何かするときはぜったい、私か教授に……いえ、私に言ってください。ぜったいですよ?」

 

 リーシャはユラリアの迫力に思わず、何度も頷く。

 ユラリアがこれほど感情をあらわにする姿は珍しく、少し戸惑いながらも、その素直な表情にリーシャはどこか安心感を覚えた。

 普段の第一王女としての威厳ある姿からは想像もつかない、等身大の女子としてのユラリアがそこにいた。

 

「わかった、わかったよ。約束する」

 

 リーシャは小さく微笑み、ユラリアの前に水の入ったグラスを差し出した。

 

「でも、少し水を飲んで。顔が赤いよ」

 

 ユラリアは素直にそれを受け取り、一口飲む。

 飲み終わってすぐに次の一杯を遠慮なく頼むユラリアに、リーシャは少し不安になる。

 

「それで、教会のことなんだけど……具体的にどんな動きをしているの?」

 

 ユラリアは大きなため息をつき、空になっていたグラスを回しながら言う。

 

「各地の教会で若者たちを集め、特別な訓練を施しているようです。表向きは『守護者の選別』と称して」

 

「守護者? 何から守るの?」

 

「そこなんです」

 

 ユラリアは身を乗り出す。

 

「教会は『古の脅威が再び』と言っているそうです。でも、その『古の脅威』が何を指すのか、誰にも分からない」

 

 リーシャは眉をひそめた。ユラリアの話す内容は、自分たちと何か関係があるのだろうか。なぜ教会をそこまで動揺させるのか理解できなかった。

 

「そんなに危険なものなの?」

 

「危険というより」

 

 ユラリアはもう一口飲み、言葉を選ぶ様子もなく続ける。

 

「教会の独占していた知識が広まることを恐れているのでしょう。特に『神聖大結界』の仕組みが解明されれば、教会の神秘性は失われます。そうしたら、権威も同時に零落することになりますから」

 

 リーシャは思わず周囲を見回した。こんな話をしていいのだろうかと不安になる。しかし『古の小匙亭』は王族の密談の場として知られており、他の客もほとんどおらず、店員も遠くに控えている。

 加えて、個室には第一級風空魔法『消音球体』が発動されている他、ユラリア自身も全く同じ魔法を発動させていた。それも三重に。

 

「でも、私たちはただ魔法陣の研究をしたり、薬理学の講義を受けてるだけだよ? 誰かを害するつもりなんてないのに」

 

 ユラリアは少し悲しげな表情を浮かべた。

 

「権力というのはそういうものです、リーシャ。知識を独占することで維持される権力は、その知識が広まることを何よりも恐れる──でも、リーシャはあんまり強く言える立場じゃありませんからね」

 

 ずい、とユラリアはリーシャに近づく。

 

「どれだけのことをやってるか。リーシャ、あなたにどれだけの才能と能力があるか…………そして、どれだけ世界を変革させているかの自覚がありません。困ってるんです、私は。とても」

 

「えっと……うん、私のせいで大変なことになっているっていうのは、ホントにごめん……なんだけど」

 

 リーシャはユラリアの様子に混乱を見せる。

 

「でも、リーシャは変わらなくていいんれふよ。リーシャは自由に、やりたいことをやっていいんです」

 

 自分の言った言葉をユラリアは直後に自ら否定し、リーシャの手に自分の手を重ねた。その温かい感触と突飛な行動にリーシャは驚く。

 

 ユラリアの手を離し、無理矢理水を飲ませる。

 リーシャは自分のグラスに注がれていた水も含めて、累計二杯分をユラリアの口の中に流し込む。

 

「それで。私が一番困っているのは、王宮内での立ち位置なんです」

 

 それを受けても何もなかったかのように、ユラリアは話を続ける。

 

「立ち位置?」

 

「はい。王宮内にも派閥があります。教会との穏健な関係を維持したい穏健派と、教会の影響力を弱めたい強硬派。そして私は……」

 

「どっちにも属したくない?」

 

 リーシャが言葉を継いだ。

 ユラリアは驚いたように目を見開き、そして柔らかく笑った。

 

「さすがリーシャ。私のことをよく分かっていますね」

 

 もうこの人はなんでもいいのかもしれない、とリーシャは密かに思ってから、一口だけ高級そうなワインに口をつける。

 

「でも、それが難しいんです。第一王女という立場上、中立でいられない状況も多くて……」

 

 リーシャは黙って頷き、ユラリアの言葉に耳を傾けた。ユラリアは普段、誰にも見せない弱さや悩みを、リーシャにだけは打ち明けてくれる。それは彼女にとって、何よりの信頼の証だった。

 少しばかり酒癖が良くない、というのも新たな発見ではあったが。

 

「今朝も大臣たちとの会議で、教会への対応について意見を求められました。でも、私には教授の真意がまだ完全には把握できていない。そんな状態で明確な姿勢を示せば、後々取り返しのつかないことになりかねない。外交に内政にと、私はそんなことより勉学をしたいんです。そもそも、私だってわからないことはありますよ」

 

 ユラリアはグラスを空け、店員に視線で合図すると、新しい飲み物が運ばれてきた。リーシャは少し心配になったが、口出しはしなかった。

 

「それで、大臣さんとの会議ではどう答えたの?」

 

 宥めるように、リーシャは尋ねる。

 

「『情報収集を継続し、教会の動向を見極めるべき』と答えました。それが一番無難ですから」

 

 ユラリアはそう言ってから、運ばれてきた新しい飲み物に口をつけた。

 

「でも、それは本当の答えではない。ただの時間稼ぎでしかありません。それを大臣たちもわかっていて……なんであの人達、私に発言させようとするんでしょう。自分の政策に自信がないから、誰かのせいにしようとしているんですよね、あれは」

 

 ユラリアの言葉には、普段は見せない苛立ちが滲んでいた。グラスを手で転がしながら、彼女は続ける。

 

「私の発言一つでどれだけの人たちが動くか、想像できますか? それが重荷なんです。私は本当は……」

 

 ユラリアは一瞬言葉を切り、遠くを見つめた。

 

「本当は、リーシャのように自由に研究がしたいんです。政治的な思惑なんて気にせずに、純粋に学問に打ち込みたい」

 

 リーシャは静かに頷き、ユラリアのグラスをそっと水に置き換えた。ユラリアは気づかぬふりをして続ける。

 

「王宮では常に誰かが見ています。私の一挙手一投足、全てが事細かに記録されている。自室でさえも、完全なプライバシーはないんです」

 

「それは、辛いね……」

 

 リーシャは思わず言葉を漏らした。

 それは紛れもなくリーシャの本音であった。少なくとも、リーシャであれば決して耐えられないという。

 

「だからこそ、リーシャと過ごす時間が貴重なんです。あなたは私をユラリアとして見てくれる。第一王女としてではなく」

 

 ユラリアは水を一口飲み、続けた。

 

「昨日も父上からお呼びがありました。『第一王女として、もっと毅然とした態度を』と。でも、どうすれば良いのでしょう? 教会の動きが不可解なのに、どう対応すれば。そもそも、何が毅然とした態度ですか。そんなだから、一部の口さがない人達に『保守の王』なんて呼ばれるんですよ」

 

 ユラリアはため息をつき、少し体を前に倒した。

 リーシャは聞いてはいけない情報を聞いたような気分になり、少しだけ恐怖を抱いた。

 

「それに大臣たちは私の言葉の一つ一つに解釈を加え、自分たちの都合の良いように利用しようとします。『姫君がこう仰った』と。あれは私の言葉ではなく、彼らの言葉なのに」

 

 ユラリアは指で額を押さえ、目を閉じた。

 

「そして絶対に言えないのは、私は教授の講義内容に興味があるということ。生体内回路の理論は、魔法陣の未来を変えるかもしれない。王宮と教会の力関係よりも、私は──純粋に。そう、変な思惑ではなくそちらに惹かれているんです」

 

 リーシャは黙って聞いていたが、小さく口を開く。

 

「でも、それはユラリアの強みでもあると思う。政治的な立場を超えて、知識そのものに価値を見出している。だからこそ、将来は──」

 

「将来?」

 

 ユラリアは苦笑した。

 諦めと、ほんの少しの怒りを滲ませるようにして。

 

「私の将来は既に決まっています。結婚相手も、進むべき道も。意見を出すタイミングや内容、自我や性格も。自分で選べることなんて、ほとんどないんです」

 

 リーシャは言葉に詰まった。

 

「ごめん……そんなつもりじゃ……」

 

「いいえ、謝らないでください。少なくともリーシャのせいではありません。むしろ感謝していますよ。リーシャと話せるのは私の数少ない自由な時間なんですから」

 

 ユラリアは店内を見回した。ほぼ貸し切り状態の店内は静かで、二人の会話が他者に漏れる心配はなかった。

 

「昨日の夜も眠れませんでした。教会の『守護者の選別』の報告書を読み、その背後にある意図を探ろうとして……」

 

「それって、毎日のことなの?」

 

 リーシャは心配そうに尋ねる。

 

「ここ一週間はそうです。教会の動きが急に活発になり、情報が溢れてきているんです。その全てを整理し、分析し……」

 

 ユラリアは疲れた様子で目をこする。

 

「そして最悪なのは、毎朝早くに大臣たちが報告に来ることです。寝不足の中、笑顔で対応しなければなりません。私も人間なのに」

 

 ユラリアはグラスを手に取り、一口飲んだ後、ため息をついた。リーシャは心配そうな目でユラリアを見つめていた。

 

「睡眠時間はどれくらい取れてるの?」

 

「ここ一週間は、多くて二時間程度でしょうか」

 

 リーシャは驚いた表情を見せる。

 

「それじゃあ体が持たないよ! どうして誰も止めないの?」

 

「止める人はいません。むしろ『第一王女としての責務』と言われるだけです。私がどれだけ疲れているかなど、誰も気にしません。結果だけが求められるのです」

 

 リーシャは黙って聞いていたが、思わず手を伸ばしてユラリアの手を握った。ユラリアは少し驚いたようだが、その温かい接触に安堵の表情を浮かべる。

 

「教会の動きも理解できるんです。彼らにとって『神聖大結界』は権威の象徴。その秘密が明らかになれば、彼らの立場が危うくなる。だから焦るのは当然です。でも、それが王宮内の権力闘争と絡み合うと……私は板挟みになるんです」

 

「王宮内の権力闘争?」

 

「ええ。教会派と反教会派の対立は表面化しています。そして私の発言一つで、どちらかが有利になる。だから両派とも私に近づこうとする。それが本当に……疲れるんです」

 

 ユラリアは再び水を一口飲んだ。

 

「特に嫌なのは、『姫君の英断』と言われることです。私の意見を求めておきながら、それを利用して責任を回避しようとする。失敗すれば『姫君のご判断が』と責任を押し付け、成功すれば『我々の献策が』と手柄を奪う。そんな大人たちに囲まれているのは、本当に息苦しいんです」

 

「それは……辛いね」リーシャは静かに言った。

 

「最近は教授の講義が唯一の癒しです。あの教室では誰も私に何かを求めてこない。ただの学生として扱われる。それがどれだけ貴重か、リーシャには想像できないでしょう」

 

 ユラリアは少し頬を赤らめながら続けた。

 

「それに、学問は本当に面白いです。政治的駆け引きとは無縁の、純粋な知的探求。私はそれが好きなんです」

 

 リーシャは優しく微笑んだ。

 

「ユラリアがそう思ってくれるなら嬉しいよ。私も一緒に色々できて楽しいし」

 

 ユラリアは再びグラスを手に取ったが、リーシャが素早く水に置き換えた。ユラリアは苦笑いしながらも、素直にそれを飲んだ。

 

「ごめんね、でもこれ以上飲むと明日、後悔すると思うから」

 

 リーシャは心配そうに言った。

 

「リーシャの言う通りですね」

 

 ユラリアは少し落ち着いた声で答えた。

 

「明日も早朝から会議があるので……でも、もう少しだけ話を聞いてくれませんか?」

 

「もちろん。いくらでも聞くよ。私なんかでいいなら」

 

 リーシャの反応に、ユラリアは嬉しそうに笑う。

 

「教授の講義から得た知識は、王宮内でも役立つんです。特に生体内回路の理論は、魔法陣開発に新たな視点を与えてくれました。でも、それを公にできません。私がその知識を持っていると知られれば、教会派からは警戒され、反教会派からは利用される……それだけで済めば幸せです」

 

 ユラリアは少し身を乗り出して、小さな声で続けた。

 

「だから私は、夜中にこっそり研究をしているんです。誰にも知られずに」

 

「それも睡眠時間を削って?」

 

 リーシャは心配そうに尋ねる。

 

「仕方ありません。昼間は公務がありますから」

 

「そんなに無理をしたら、体を壊すよ」

 

「わかっています。でも、他に選択肢がないんです。第一王女という立場を捨てることはできませんから」

 

「でも……」

 

「いいんです。私は、『ユラリア・ウィンターフィア』ではありませんから。でもリーシャ。聞いてくれませんか? 聞いてください。私にも、魔法陣開発が出来たんですよ」

 

 もちろん、リーシャのものほどではありませんが、とユラリアは恥ずかしそうに言う。

 

「いやいや、魔法陣開発にすごいもなにもないって! むしろ、その環境で作れるなんてユラリアはすごいよ! どんなのが出来たの?」

 

 リーシャの言葉を受けて、ユラリアはノートを広げる。

 

「ここに第一級理論魔法『古式聖堂』を、こっちに第一級理論魔法『空域歪曲』と第一級理論魔法『殻界構成』。そして、ここに第一級理論魔法『状態固定』を合わせて……」

 

 リーシャは広げたノートを見て、一目で自分での発動を諦める。学院でも平均程度の魔素量であるリーシャでは、とても発動させられない複雑さをユラリアの魔法陣は秘めていた。

 

「これ、どれくらいの魔素を使うの?」

 

「そうですね。大体……平均的な第一級理論魔法三百回分くらい、と言ったところでしょうか」

 

 使える人は世界中で片手で数えられるものだ、とリーシャは確信した。

 

「それで、効果はどんなものなの?」

 

「『権能返却』や『権能読込』と比べるとあれですが……空間転移(・・・・)です。指定した座標に、瞬時に移動することが出来ます」

 

 ユラリアは、酩酊しながらもその危険性をしっかりと認知していた。

 故に、出来上がったそれ(・・)が莫大な魔素消費量を要求するという事実を確認した時は、安堵が先に来ていた。開発による高揚感や、達成感よりも先に。

 

 それが、世界に与える影響を誰よりも認識していた。

 身近に、たった一手で教会も王宮も動かした傑物がいるからこそ。

 

 ユラリアのノートに描かれた複雑な魔法陣を見て、リーシャは息を呑んだ。その構造は彼女の想像をはるかに超えており、ただ眺めているだけでも頭が回りそうな複雑さだった。少なくとも、リーシャにとっては理解出来るものではなかった。

 

 古代から使われている原理不明の魔法陣。それらを多数組み合わせた魔法陣を構成出来る──ユラリアが発揮する能力は、リーシャにとって眩しいものであった。

 

「これって、本当に……空間転移(・・・・)?」

 

 リーシャは言葉を選びながら、慎重に尋ねた。

 この世界においても空間転移は神話や伝説の領域であり、古文書で語られる失われた魔法の一つとされていた。

 

「はい。まだ実用化には程遠いですが、理論上は動作します」

 

 ユラリアは少し誇らしげに、しかし控えめに答えた。酒の勢いで饒舌になりながらも、研究者としての冷静さは失っていなかった。

 

「でも、これは……」

 

 リーシャは魔法陣の一部を指さしながら眉をひそめる。

 そして、自分でも理解出来る欠点(・・)を指摘する。

 

「この部分、第一級理論魔法『空域歪曲』の外周を『状態固定』で安定させているけど、転移時の空間の歪みが大きすぎると固定できなくなるんじゃ……だから、空間転移阻害が作られかねないよ」

 

「さすがリーシャですね」

 

 ユラリアは微笑んだ。

 

「その通り。だから現状でしか、この魔法は効力を発揮出来ません。まだ誰も、この魔法陣を知らない今しか」

 

 リーシャは魔法陣をさらに詳しく見ていく。その複雑な構造を理解しようと懸命だった。

 

「それでも、これが出来るなんて……ユラリア、本当にすごい研究者になれるよ」

 

 ユラリアは少し寂しげに笑った。

 

「ありがとうございます。でも、これが世に出たら、どうなると思いますか?」

 

 リーシャは考え込む。まだアルコールが残っているユラリアとは対照的に、彼女の思考は冴えていた。

 

「まず教会が黙っていない……かな。『神聖大結界』の原理に近づく可能性があるから。それどころか、空間の神秘性(・・・)が失われる。『空間の意味喪失』……」

 

 リーシャの脳裏に何かがひっかかる。

 

「そうですね。そして王国内の権力バランスも崩れる」

 

 ユラリアは静かに言った。

 

空間転移(・・・・)が可能になれば、城壁も、監視も、護衛も意味をなさなくなります。王族の安全も保証できなくなる。暗殺者が瞬時に現れ、瞬時に消える世界を想像してみてください」

 

 リーシャは顔色を変えた。

 ユラリアの言葉の持つ重みを感じ取ったから。

 

「それに、商業にも影響するでしょう。物資の輸送が瞬時にできれば、商人たちの力も変わる。そして何より、これが軍事利用されたら……」

 

「戦争の形が変わる」

 

 リーシャが言葉を継いだ。

 

「そう、戦争の形が変わります。前線に一瞬で大量の兵士を送り込むことができれば、国境線の意味もなくなる。世界の秩序が根本から覆されます。長い間保っていた均衡状態が──崩壊します。完全に」

 

 ユラリアはため息をついた。

 

「だから私は、これを公表しません。そして、できるだけ魔素消費量が多いままにしておきます」

 

 ユラリアの話が一段落したのを見て、リーシャは自分の中で燻っていた思考を回し始める。

 

「『空間の意味喪失』……それに、『権能返却』や『権能読込』による、『魔法の特別性喪失』……違う。そうじゃない」

 

 何かが引っかかっていた。

 教会や王宮の動向ではない。そんなものは、リーシャにとって些事でしかない。

 

意義喪失(・・・・)、魔法による世界循環喪失……なら、きっとアレ(・・)は。外との境目?」

 

 リーシャが思い出していたのは、天空に広がっていた『権能不全直線』の阻害機構。

 原理不明な『神聖大結界』。ユラリアの開発した『空間転移』。自らの開発した『権能不全直線』。それらが、繋がる(・・・)

 

「……ユラリア。さっきの『天啓』。あれ。教皇に与えている存在。いるよ、間違いなく」

 

 空気が冷え込む。

 二人は何をしたわけでもなく、温度が下がっていくのを感じていた。

 

「どうして、そう思ったのですか?」

 

「だってあまりにも、綺麗過ぎる。こんな丁寧に世界は、出来ているわけがないから。もっと、奇々怪々で混沌としている筈だから。本来は」

 

 リーシャの視線は真剣味を帯びていた。強く。

 ユラリアはリーシャの表情を見て、思考を回し始める。

 

 リーシャは考えていた。

『神聖大結界』が原理不明の結界であり、唯一無二なのではない。真の唯一無二は、天空に広がるそれ(・・)であると。

 

「『権能蘇生』、『黒色残滓』、『祝福残光』……」

 

 ユラリアは、呟かれた名が全て虚空魔法であるとわかった。それも、第一級から第三級の。

 

「それぞれが増殖、エネルギー、恒常性(・・・)を意味するのだとしたら──」

 

 リーシャは、見えないはずの空を見上げる。

 広がるのは絶対的な闇。何者も解明出来ぬ、畏敬を払うべき闇が広がっている。それは、侵しがたい神域(・・)のようで。

 

 

 あれを壊せば、世界は死を迎える。

 きっと。

 

 だからだ、とリーシャは納得した。

 

 

 

「ユラリア。世界って、生きている(・・・・・)と思う?」

 

 その言葉の意味を王女は瞬時に解釈する。

 周囲がやけに静寂に包まれていることを、気にしないようにしながら。

 

「生かされている、かもしれませんね」

 

 

 グラスに当たる照明が反射し、二人の間に、光の輪が僅かな間だけ現れる。

 

 

 

 

 

 

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