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リーシャとユラリアの二人は、学院の会議室で資料を広げていた。
「王宮から持ってきた世界創世に関わる歴史──いいえ。敢えて原典の表現を使うなら、『惑星創造』ですね」
ユラリアは古びた羊皮紙を広げながら説明した。
資料は傷みが激しく、場所によっては文字が判読できないほど褪せていた。それでも、二人は熱心に内容を読み解こうとしていた。
「これは本当に、王宮の文書庫から?」
リーシャは驚いた様子で尋ねた。資料の年代は明らかに数百年以上前のものだった。勿論、写本も多いが──その写本すら、ボロボロであった。
「ええ。通常は閲覧制限がある部屋からです。第一王女の特権を少し、利用させていただきました」
ユラリアは少し恥ずかしそうに笑みを浮かべて誤魔化す。
前回の酒の席での出来事があった後、ユラリアは自分にできることを模索していた。そして辿り着いたのが、王宮の秘匿文書の調査だった。
「ユラリア、大丈夫なの? 見つかったら……」
「大丈夫です。私の『学問研究』として正式に手続きを踏みました。ただ、返却期限は今日の夕方までですので、急がなければなりません」
ユラリアは資料の一部を指差す。
「ここに注目してください。『世界の生成』に関する記述です。現代の定説とは少し異なる表現がされています。執筆時期は──」
ユラリアは手を翳し、第一級理論魔法『年代推定』を使用する。
第一級理論魔法の中でも一際要求魔素量が多い魔法であり、測定する年代が古ければ古いほど必要魔素量が跳ね上がるという知識が、リーシャの脳裏を掠める。
「──二千年以上前ですね。これ以上は勿体ないので、測りませんが……リーシャは必要だと思いますか?」
二千年前。
それが指し示すのは、教会の
先史時代、或いは有史以前と定義される時代。
ユラリアにはわかっていた。
それを先史と定めたのは、他でもない王宮だということを。
王権の正統性を証明する為には、乱世で勝ち上がったという事実は不要であったが故に。当時の王宮は、数百年以上という年月をかけてその事実を揉み消していた。
まるで遥か昔、人類文明が生まれたその瞬間から王国は存在している『正統性のある国家』であると言いたいが為だけに。
加えて、その罪を王宮は教会に転嫁した。
教会の焚書や異端処刑に、真の歴史を知る者を『不幸な形で』巻き込み、その上で教会を糾弾した。
その歴史を、ユラリアはわかっていた。
王族の一部にしか明かされない書庫と、そのひとつ外側に存在する王族全体に開かれている書庫。そして、上級貴族ならば自由に閲覧可能な書庫では、書物の内容が全く異なることから、ユラリアは推測出来ていた。
そしてきっと、今の自分すら知らないものがあるのだろうということも。
「──ううん、いらないかな。それだけ昔なら、教会の影響もそんなに受けていないと思うし」
そう告げてから、リーシャはその部分を注意深く読もうとして……知らない文字であった為、縋るようにユラリアのほうを見る。
「『その御手により惑星は定められし命運を巡り、その恵みは虚空より降り注ぎ続ける』……聖典には見られない表現です。解釈次第では一致しているように見えるのは、教会の上手いところではありますが」
ユラリアは、教会の手口を評価していた。
既存の思想団体を取り込む際、解釈次第で相手の思想団体の思想と同一であることを提示することは、未来においてその『思想団体の歴史』を抹消するという点に限れば、ユラリアの知っている最上級に近いものであったからである。
味方であり、同一であることを装い存在ごと抹消する。
それはユラリアが望み、ユラリアが嫌う手法論そのものである。
「虚空……今だと『虚空魔法』以外には使わないよね。聖典でも、敢えてそれには触れていなかったはず」
「そうです。『虚空より』という表現──現代の一般的な聖典では『天より』となっていますが、これでは明確に『虚空』と記されています」
ユラリアはさらに別の資料を取り出した。
こちらはもう少し新しい時代のものだった。リーシャにも、極一部だけ文字は認識出来るような。
もちろん、その単語や文章の意味を汲み取ることは出来なかったが。
「こちらは『教会焚書事件』期前後の文献です。ここでは『三つの恩寵』について触れられています」
リーシャは興味深げに文献を覗き込んだ。
文字自体の意味はわからなかったが、ユラリアが何を感じているのかを少しでも体感したかったから。
「此処には『第一の恩寵は人に力を与え、第二の恩寵は世界に力を満たし、第三の恩寵は祝福を顕す』と書いてあります」
「丁度検閲や弾圧が行われていた時代ってこと?」
『教会焚書事件』によって、一説ではこの世界の魔法の三割が喪失したと言われている。そして、この事件がなければ文明が三百年分は進んでいた、とも。
同時に、三百年どころではない滅亡を回避出来ているという学説も出ていることは、リーシャも──魔法史学のリードヴルム教授を講義後に二時間ほど質問攻めすることで──知っていた。
「はい。そしてこれは、おそらく私たちが知っている三つの虚空魔法のことだと思います」
「第一級虚空魔法『権能蘇生』、第二級虚空魔法『黒色残滓』、第三級虚空魔法『祝福残光』──」
リーシャは、それぞれが増殖能、エネルギー、恒常性という軸に対応するという自らの予想を思い出す。
リーシャは言葉を発しながら、軽く自分の脳内ノートに書き留める。
「でも不思議だね。これらの魔法について具体的な記述がどこにもない。名前だけが伝わっている感じ。それに、焚書事件前や教会設立前なら、弾圧するものもないのに……まったくないんでしょ?」
「そこが謎なんです。これほど重要な魔法なのに、その効果や発動方法について記した文献が一切存在しない。としたら、考えられることは……」
「意図的に隠されている?」
ユラリアの言葉を引き継いでリーシャは言う。
存在自体そのものが不明なものに、人類は名称を付けられない。性質ではなく、正体ではなく、『存在すら認知出来ていないもの』に対して、取ることが出来る行動はほとんどないと言っても過言ではない。
ならばこそ、名前が伝わっているというのは──
「その可能性もあります。教会が特に重要視している『神聖大結界』も、その技術的な側面については極めて限られた情報しか公開されていません。それと同様に、当時はわかっていたものの──未来のことを考えて、隠匿している。その可能性はあります」
ただ、ユラリアには『未来の為を思って世界の成り立ちを伝えない』理由が思い付かなかった。
考えられるのは『未来の人類を苦しめる為に、詳細を伏せる』という理由のみ。それが教会だけならばまだしも、教会以前の思想団体まで浸透しているとするならば──それは、
リーシャは考え込みながら、一週間前の会話を思い出していた。
酔ったユラリアが語った世界の秩序と、教会の動向。そして自分が感じた違和感。
「ユラリア、教授の生体内回路の理論って、この虚空魔法と何か関係があると思う?」
ユラリアは少し驚いたように目を見開いた。
「どういう意味でしょう?」
「『神聖大結界』は作者も原理も不詳の神域性を証明し続ける教会の秘奥だった。でもそれは、生体内の回路や経路によって解析可能なものでもある。なら、もしかして三つの『虚空魔法』ももしかしたら、って」
リーシャは脳内に散在するシナプスを繋げて、大きなひとつの絵画を作っていく。世界に彩りを与え、線分を見出だし、単純さ故に発生する複雑さを楽しむのはリーシャにとっての日常であった。
「教授も言っていた通り、私達はどうして魔法を使えるのかもわかっていない。魔素量という概念だって、『どれぐらい魔法を使ったら使えなくなるか』という指標であって、原理は何も説明していない。ただ、みんな知ってる
ユラリアは考え込む。
リーシャの発言は間違ってはいない。
自分が生まれる前から。それどころか、数千年の歴史にわたって存在することが常識であった『魔法』を疑うということは、常識的ではなくとも理論的ではある。
「確かに……魔素については、ほとんど議論されていませんね。当たり前のように『周囲から取り込む』とされていますが。
「『第一の恩寵は人に力を与え』……これが、
「なら──第二級虚空魔法『黒色残滓』が、もしかしたら魔素の源かもしれませんね。それなら、『第二の恩寵は世界に力を満たし』という表現にも納得が出来ます」
ユラリアはリーシャの推論に感心した表情を見せる。
『虚空魔法』の研究を王宮も教会もしていないことには、様々な理由がある。お互いにとって
だが、それよりも大きな理由に『研究しても何にも繋がらない』と思われていることがある。
応用が不可能であり、解析が不可能であり、再現が不可能であり、効果が不明であり、そうありながら『世界の根幹』に関わっている可能性がある。幾人もの天才や賢者がそれに挑み、貴重な人生を浪費してきたという歴史が、研究の意味を喪失させていた。
ただ。
教会に『天啓』をもたらす存在や、『神聖大結界』の構造が生体回路と類似したものであるという事実から──無視できるものではなくなった、とユラリアは考えていた。
「そうそう、それ関連で今思い付いたんだけれど……こんな本があったんだ」
ユラリアはリーシャの持っていた資料に目を移した。
それは総合学院の図書館からリーシャが借りてきた比較的新しい文献だった。
「こちらは魔法理論の基礎について書かれたものでね。ここに良さげな記述があったなって……あった! これこれ」
リーシャは資料の一部を指差す。
「『人の権能による魔法発動は、体内に取り込まれた魔素が形態を変化させることで実現すると考えられている。しかし、形態変化が魔素の自律的変化によって発生しているのか、体内で発生しているのかは不明である』」
ユラリアはその記述から何かを見出だすことは出来なかった。
どちらにせよ発生している現象は変わらないからだ。魔素が動いているのか、それとも人類が魔素を変換しているのか。
リーシャは自分のノートを開き、何かを書き始めた。それは生体内回路の図と、それを囲む大きな円の図だった。
「私たちの体内に生体回路があるとすれば、この世界にも同じく『回路』があるんじゃないかな。そして第二級虚空魔法『黒色残滓』はその回路に魔素を供給している。だから私たちは魔法を使えるんだと思う」
ユラリアはリーシャの図を見つめながら考えを巡らせた。
「そして第一級虚空魔法『権能蘇生』は、その世界の魔素を私たち人間が使えるようにしている……つまり、輸送体のような役割を果たしているのかもしれない。この説が補強される形になりましたね」
「そう! まさにそれ!」
リーシャは興奮気味に言った。
「世界の回路と私たちの体内回路を繋ぐ、架け橋のような存在。第一級虚空魔法と、第二級虚空魔法は魔素を使えるようにし、魔素を発生させるものだった! とすれば──」
二人はさらに資料を探り、別の古文書を取り出した。
「こちらは約八百年前の魔法研究者の記録ですね。著者の名前はキーゼルハイド・ウィンターフィア……少なくとも世間にはあまり知られていない王族ですが、かなり精密な観測記録が残されています」
二人が目を通していくと、そこには第三級虚空魔法『祝福残光』についてと思われる記述があった。
「『加持祈祷の場において、まれに観測される光輪現象。この光は極めて短時間で消失するが、その出現後、周囲の魔素濃度が著しく変動することが確認された。ある種の祝福と捉えられもするだろう』」
リーシャは目を輝かせた。
「これ、私も前に見たことがある! 学院の礼拝堂で儀式があった時、一瞬だけ光の輪が見えたの。当時は気のせいかと思ったけど……」
「その光の輪が『祝福残光』であれば、それは加持祈祷が実際に効果を発揮した証かもしれません」
ユラリアは考え深げに言う。
そもそも、虚空魔法の
「ユラリア、こっちを見て!」
リーシャは別の資料を興奮した様子でユラリアに見せる。
「これは昔の魔法陣学教授の講義ノートからの抜粋だけど、生体内回路の形成過程について述べられてるよ!」
ユラリアはそのノートに目を通した。
「『人体構造は胎児期に形成が始まり、出生後約七年で基本構造が完成する。しかし興味深いことに、その構造は人工的に形成されたものではなく、あたかも自然に生じるかのように発達する』」
「これって、まるで私たちの体が魔法を使うために最初から設計されているみたいだよね」
リーシャは言う。
その言葉を受けて、ユラリアは次のページを開き、さらに読み進めようとして──ふと、思い付く。そして、急いで別の文献を探し始めた。
「リーシャ、もし第二級虚空魔法『黒色残滓』が世界に魔素を供給し、第一級虚空魔法『権能蘇生』がそれを人間が使える形にしているなら、第三級虚空魔法『祝福残光』の本当の役割とは何でしょう?」
「本当の役割?」
「光の輪を形成する。たった
ユラリアの発言を聞き、リーシャは考える。
第三級虚空魔法『祝福残光』。その正体を。
「『祝福』という名前からすると、何かを守る、あるいは強化する働きがありそう……いや、ちょっと待ってね」
リーシャは自分の思考を思い出す。
恒常性。ホメオスタシスの維持。生命にとって不可欠な四要素のうちの一つ。
それは、増えたものを減らす役割を当然の如く持っている。
「もしかして、
「生体内では様々な調整機構が働いて、血糖値など様々なものが一定範囲に保たれています。同じように、世界全体にも何らかの恒常性維持システムが必要と考えれば、あるいは」
ユラリアは別の資料を取り出す。
これは最近の研究報告書だった。
「これは学院の上級生が行った魔素濃度の研究です。興味深いことに、どんなに大規模な魔法が使用されても、地域全体の魔素濃度は一定期間後に元の水準に戻ることが観測されています」
「それって、まるでどこかから供給されているみたいだね」
「恐らくこれは第二級虚空魔法『黒色残滓』の働きだと思います。しかし、単に供給するだけでは安定しない。何らかの調整機構が必要です」
「だから、第三級虚空魔法『祝福残光』ね……」
リーシャは思索に沈む。
二人はさらに資料を調べ、断片的な情報を組み合わせていった。突然、リーシャが何かに気づいたように顔を上げた。
「ユラリア。なら、私たちが見ている第三級虚空魔法『祝福残光』って、もしかして何かの副産物かもしれない。本体は私たちには見えないところで常に働いているんじゃないかな。例えば……あの光の輪は、空間への『魔法陣描写』の亜種だった、みたいな」
「なるほど。加持祈祷の際に稀に観測される光の輪は、その一部が可視化されただけで、実際には常に世界全体を覆っている魔法である可能性がありますね」
リーシャはユラリアが理解していることを確認した上で、話を進める。
「教授の講義で習った生体内反応を思い出すと……私たちの体内では、見えない酵素が常に働いて反応を調整している。でも酵素そのものは普段見えないよね。同じように、『祝福残光』は通常は見えないけれど、常に働いている」
「そして、それが世界の恒常性を保っている……もし、それが失われたら?」
「世界そのものが崩れるかもしれない。それも、
リーシャが静かに答えた。
虚空魔法。それは世界の根幹を握る魔法であり、人類の生命線──人類の存続を許可するようなものでもある。リーシャは、最早そう確信していた。
ユラリアは古い文献を再び開き、一部を指差す。
「ここに『三つの恩寵が途絶えれば、世界は虚空に還る』と書かれています。これが意味するところは……」
「
それが天啓を与える者と同一かはわからない。
それがどのような意思を持っているのか。あるいは、生命体ですらないのかもわからない。ただ、実在することだけは確定していた。
ユラリアは思案顔で別の資料に目を向ける。
「しかし、まだ謎が残っています。これらの虚空魔法はいつから、そしてどのように発動されているのでしょう。そして──どんな、
リーシャは資料から目を上げ、窓の外の空を見上げた。
「ユラリア、前に言ったこと覚えてる? 『世界は生きているのか』って話題。そして、これらの虚空魔法は世界を生かしている存在かもしれないっていう話」
ユラリアはリーシャの言葉に頷き、言葉を継ぐ。
「世界を一つの巨大な生命体と見なせば、虚空魔法はその生命維持機構のようなものでしょうか」
二人はさらに資料を調べ続けた。日が傾き始め、部屋に夕焼けの光が差し込んでいた。やがて、夜が来る。
視界が閉ざされ、文明の灯火がなければ歩くことすらも不可能になっていく。
「もうこんな時間です。資料を返却しなければ」
「ユラリア、ひとつ気になることがあるんだけど」
「何でしょう?」
「もし三つの虚空魔法があるなら、四つ目もあり得るよね?」
ユラリアの表情が引き締まった。
それは、リーシャと同じ結論に付き当たったから。
「もちろん、その可能性は考えていました。第四級虚空魔法だけが実在していませんから。区分だけが用意され、それは常に空席でした。でも、どの文献にもそれらしき記述は見当たりません」
リーシャは自分のノートを見つめながら言った。
「もし存在するとしたら、その役割は何だろうって。第一が人間と魔素を繋ぎ、第二が魔素を供給し、第三が世界の均衡を保つなら……」
「第四は……」
ユラリアは言葉を途切れさせた。
リーシャは突然何かに気づいたように目を見開いた。
赤毛が揺れる。
「ユラリア、私たちが見上げる空には何がある?」
「空ですか? 雲、そして夜になれば星々ですが……」
「そう、星々。そして私たちの星も世界の中にある。
「外部からの脅威に対する防御?」
ユラリアは、そう推測した。
リーシャは小さく頷いた。
「私が前に見た『権能不全直線』の阻害機構。大空に存在する何か。あれはまるで何かを遮るように──ううん。違う。そんなことは
世界は生きている。ひとつの生命体である。
ユラリアと話したことで、自分の中にあった仮説は俄然真実味を帯びてきた。
だが、それでもまだ足りない。
リーシャはそう思っていた。
仮に、世界が生命だとしたら。仮に、世界を生命のように運営するものがいたとして。
その目的は何なのか。真意は何処にあるのか。
そう考え、リーシャはひとつの結末に辿り着いた。
「そういえばさ。教授の過去ってわかった?」
「いいえ、わかりません。幾ら調べても、突然現れたようにしかみえません」
世界が生命だとするならば。
世界を細胞だとみなすのならば。
リーシャはしばらく熟慮し、決定的な一言を発する。
それはきっと、不可逆な。
「ねね。もしかして──
だとするならば。細胞同士で『信号』の