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「あれ、案外減ってない。もうちょっと人数が減ってると思ったんだけど……まあいいや。シラバスには書いておいたけれど、この講義は試験90%、出席10%で評価するから。他の科目同様に60%取れば単位認定だから。そこらへん、よろしく」
ちなみに、試験は一回だけ。
最後の講義時間を使う形で実施する予定ではある。
私個人としては、生徒が認定されようが不認定になろうがどっちでもいい。これが『魔法陣A』のように必修だったら話は別だけれど、所詮は選択授業だから。
何となく面白そうだから、と取ってみて興味なくなったら離脱する、というスタイルを私自身は否定しない。むしろ、歓迎する。
個人の意見ではあるけれど、そういう面白そうなものに片足だけ突っ込むためにこの『総合学院』が存在すると思っている。
さて、そんな余談はさておき。
「前回は意図的に
人間の細胞には、
こう表現すると難しく見えるし、実際難しくはあるのだけれど、大事なのは専門用語の名前じゃない。その機能。
「人間は細かく分割すると、大量の細胞で出来ている。億や兆じゃ足りないくらいには、沢山存在している。で、それぞれ頑張って役割を果たしている──あえて言えば、
細胞だって生きているし、役割があるんだから色々働かなきゃいけない。
例えば筋肉の細胞は収縮したり弛緩しなきゃいけないし、神経の細胞は脳からの指令を四肢に伝達しなきゃいけない。
そんな役割を果たす上で、細胞にとって必要になったり不要になったりするものがある。
「だから、細胞君にとって蓄えたいものもあれば捨てたいものもある。生きているから、人間と同じようなもの。生活が破綻しないようにしなきゃいけない」
でも、当然ながら細胞には壁がある。人間で例えるなら皮膚。
脂質二重膜……油の膜で覆われており、これが都合良く変形して欲しいタイミングで欲しい形に変化してくれるわけじゃない。
つまり。ただ細胞膜があるだけだと、欲しいものを回収出来ないし、要らないものを捨てられない。
人間で例えるなら、口と肛門がないようなもの。
「だから、物を取り込まなきゃいけないし、物を捨てなきゃいけない。だから、細胞君はどうしたかって言うと──リーシャ、どう?」
「出し入れする孔を作った、ですか?」
「そう。でも、ちょっと違う。出し入れする孔があると
必要な分も勝手に流出しかねないし、不必要な分も勝手に入ってきちゃう。それは困った。困ったから──ユラリア、細胞君はどうしたの?」
ユラリアならわかるでしょう、というお気持ちはある。
前回の課題の完成度から考えて、魔法陣を人類の細胞に置き換えて考えること以外は、前回の講義は彼女にとって退屈であった可能性が高い。
「その孔を開閉出来る機構を作りました。それが、
「流石。まあ実は孔の開閉だけじゃなかったりもするんだけれど……それは、ちょっと後でということで」
極論、
オートロック機能が付いていたり、一回開いたらなかなか閉じないものがあったり、逆に開くまでタイムラグがあったりするモノもあるけれど……雑にくくれば、全部『スイッチ』でしかない。
ちなみに、その『くっつけば』っていうのも実は正確じゃない。
「さて、じゃあユラリア。その開閉機構はどういう種類が存在する? それとも、
ユラリアは少し考える素振りを見せる。
それが素振りであり、本気で悩んでいるわけではないのもわかる。簡単に言えば、考える
「『電気的性質』……ですね。周囲の電気的性質によって、開閉を調節する
「基本的に完璧だね。極論、何かが変わることで何かが変われば、それは
魔法でnAChR──或いは、地球において『ニコチン性アセチルコリン受容体』と呼ばれるものの模型を召喚する。
わかりやすい模型の召喚に、生徒が少しだけざわつくものの無視して進めていく。予期していた事態ではあったからね。
「さて、察しのいい人は気づいているかもしれないけれど、これはAChの
ニコチン性、のnではあるけれど。
まあそういう細かい話は後回し。今大事なのは、受容体ってなんなんだって話だから。
「じゃあ、試しにくっつけてみよう。果たして、何が起こるか見てて」
同様に魔法で造り出したAChの模型を、nAChRにくっつける。
正確に表現するなら、nAChRのαサブユニットの疎水性領域。まあ、そんなことはどうでもいい。
イメージとして大事なのはnAChRに、αサブユニット──AChがくっつく場所が二つある、ということ。
二つのAChがくっつくと、中心部に小さく空いていた孔が拡張される。何かものが通れそうなくらいに。
そして生徒達視点からだとまだ理解していなくても問題ない──どころか、理解されると困るんだけれど、一応
意図としては、ロイシンリングと呼ばれるもの。
使わない可能性も高いけれどね。
「まあ、こんな模式図なんてあっても仕方ないと思う人もいるだろうし、次に進むよ。今の魔法の魔法陣が欲しい人は、後で言いに来て。もしくは今回も出す
第五級理論魔法『nAChR(Nm)とAChの模式図再現魔法』、欲しい人はほとんどいないと思うけれど、一応。
いや、私としてもこんなのを作ろうとは思っていなかった。最初の時点では。
まさか
「ともかく。一口にざっくりと
何処までいっても、総論が終わらない。
というか、薬理学をやるためには当然薬理学だけじゃいけない。それだけじゃあ、薬剤について理解出来たとは言えない。
そもそも、病気になった時に何処がどう悪くなるのか──それがわからないと、お話が始まってくれない。
だから、薬剤について学ぶときに必要なものは三つ。
まず、健康な時の体はどんな風に動いているのかを知ること。
次に、病気になったら体のどこが、どのように異常性を示し始めるのかを知ること。
そして最後に、薬というのは何に作用するのか。
だから、この世界の場合は薬理学をやる前に生理学をやらなきゃいけない。で、その生理学をやる前にやっているのが、今の生化学部分。
「というわけで、
リーシャの手が上がる。
「先生! そのGPCRって……GPCの
恐らく、さっき私がnAChRのRが
だとしたら、応用力があって何より。
「GPCRはG
GPCRは薬理学をやっていると本当に良く出てくる。
それこそ、適当に二つ三つ古典的な薬剤を取ってきて、その作用機序を考えようってなったら、ほぼ必ず登場するくらいには。
「先生! もうひとつ質問いいですか!」
こくり、と頷いてリーシャに質問を促す。
別にいつまでに何をやらなきゃいけない、という決まりがない以上、この講義は結構自由に出来る。つまり、時間を気にしなくていいということ。
「さっき、先生は細胞は
おっと、大分予想よりも難しい質問が飛んできた。
「生きている、を定義したいなら生物を定義しても変わらない。そして、生物の定義は……色々な捉え方があるけれど、逆に、どんなものが生物だったら嬉しいか、考えてみよう。定義は、定義するためにあるわけじゃないからね。リーシャ、どう?」
そう定義すると、嬉しいことがあるからこそ定義がある。
だから、別に1+1=3という定義をしたところで問題ない。それが誰かにとって嬉しい──研究価値、利用価値があるのか。そこから発展性があるのか、というのが問題になるだけで。
「私だったら……まず、それが
「要約するなら、『外界とその個体間に明確な境界が存在すること』『増殖能があること』『エネルギー変換能力があること』になるけれど……ユラリア、じゃあこれらを満たしているけれど、生物に分類されると困るものって思い付く?」
今度は演技ではなく、本当に悩み始める。
しばらく悩み、ユラリアは顔をあげる。
「火です。火と火以外は区別可能で、燃焼物があれば増殖し、燃焼という現象はそれそのものがエネルギー変換です。ですが、これは生物であって欲しくありません」
「なら、何を条件に付け加えればいいと思う?」
まあ、ここら辺の正しい答えはないと言えばない。
一応用意した解答はあるものの、それが絶対的な正解というわけでもない。真面目に考えると、どう足掻いても哲学的な要素が入ってきてしまう。
それこそ、例えば『生物とは情報処理・保存機構である』という定義や『生物とは自己を維持・再生産する自律的機構である』、『生物とは、偶然と必然の相互作用により作られたものである』みたいな定義すらある。
ただ、それら全部が正解でも間違いでもない。
「わかりました!
お、模範解答が出た。
リーシャなら、何か突拍子もない上手い定義を持ち出すかと思ったけれど……まあいいや。
「そう。その『なるべく変わらないでいる状況を続けている』──これを難しく言うと、
さて、閑話休題。
リーシャの生物とは、という素朴な疑問から話が結構広がったけれど。
でも、この定義ならばきちんと細胞は生物である。細胞は生きている。
「というわけで、ここまでやったことで薬剤が何に作用するかはわかった形になる。
まあ、薬剤は
何なら、結構な薬剤は酵素にくっつく。
抗止血薬、もとい血液がさらさらになる薬のひとつであるワルファリンだってそう。VKORC1という酵素にくっつくことで、ビタミンKの働きを低下させるっていう機序で動いている。
「……ああ、もうこんな時間か。そろそろ時間も半分ということで、軽く休憩しようか。五分後、再開するからお手洗いとか行きたい人はいってきていいよ」
まあ、戻って来なくてもいいけれど。