『TS薬を開発したいだけの異世界薬理教師』   作:  

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最終交流『  』

 ◇◆◆◇

 

 

『異世界転移』魔法陣は、確かに正解であった。

 だが、それは望み通りの結果は得られなかった。

 

 三人が目を開くと、そこには黒い空間──不可視の領域が拡がっていた。

 

「──人類は、絶えず。そして、繰り返し進化している。それは、推測ではない事実として存在するわ」

 

 緑色の意匠が刻まれた白衣。それを纏う存在。

 一面に広がる黒い空間の中心に、“  ”は存在した。

 その輪郭は宇宙の闇に溶け込みながらも、確かに人型を保っている。瞬きするたびに星々が明滅するかのような琥珀色の目が、三人を静かに見つめていた。

 

「あなたは……誰?」

 

 リーシャは問いかける。

 ユラリアと共同で発明した『異世界転移』魔法の理論は完全なものであった。何度も見直し、部分に分割しての検証を繰り返し、完成の保証が存在したからこそ発動されたもの。描いた魔法陣の一つ一つの線が、彼女の記憶に刻まれている。

 だというのに、想定と異なる結果を引き寄せた。

 

 それが考えられるのは──二つの理由。

 一つは、予想外の誤謬が存在した。計算式のどこかに、見落としがあったのかもしれない。

 そしてもう一つは。

 

「安心していいわ。あなた達の開発した魔法は何も間違えていない。むしろ、正しく作動するものとして完成されていた。実用に耐えるものであった──それは、事実よ」

 

 “  ”の声は空間に反響せず、直接三人の意識に流れ込むようだった。その存在が放つ威圧感は、周囲の虚空すらも押しつぶしているように感じられた。

 

 もう一つは、目の前の存在による妨害。

 リーシャはこっそり魔法陣を展開しようとして、それが発動しないことを確認する。指先から漏れ出るはずの感覚が、何かに遮られているように感じられず──違う(・・)。そもそも、規定されていないと感じた。もっと、根源的なものが。

 

 

「なら、何をしたのですか……?」

 

 ユラリアは“  ”に問いを投げる。

 彼女の瞳には王族としての威厳と、研究者としての鋭い観察眼が宿っていた。

 底が読めない。むしろ、底が存在しない(・・・・・)

 そう表現したほうが正しい、と直感的に判断した。

 まるで無限の深さを持つ井戸を覗き込むかのような感覚が背筋を走る。

 

「魔法陣の描写時。魔法陣クローンを作成し、原型は凍結させた。そしてクローンの転移先の座標を書き換え、此処にやってくるように誘導しただけよ。あなた達が第三級虚空魔法『祝福残光』と呼ぶ法則──あれは、この為(・・・)のものなのだから」

 

 その発言で、三人は確信する。

 目の前の相手は『虚空魔法』の発動者本人、或いはその関係者であると。古来より神話として語られてきた魔法体系の源流。

 その存在が目の前に立っているという事実に、教授は眉をひそめた。

 

「あなたの予想は合っていたわ。『祝福残光』は正しく、恒常性を維持する為の法則よ」

 

 “  ”は、リーシャに視線を向ける。

 そこに感情は込められておらず、確定した事実を述べるだけの機械のようだと、教授は感じた。その目には星々の輝きがあるにもかかわらず、どこか生命の温もりが欠けているように思えた。

 

「世界内の存在を世界外へと縛り付ける為の法則。『神の祝福』を実在させることで、宗教の権威を確固たるものとして固定する。そうすれば、人類はいずれ対立(・・)するわ。外に目を向ける余裕はなくなる」

 

 “  ”の周囲に浮かぶ光の粒子が、その言葉に合わせて明滅する。それは星々の光のようでもあり、あるいは魔法の結晶のようでもあった。

 

 そして、と“  ”は言葉を区切る。

 一瞬だけ三人の背後を眺めてから。その視線は時空を貫くように鋭く、同時に慈悲深いようにも感じられた。

 

「その程度の対立如きで滅亡するなら、それで構わないわ。それでも、今回の様に繁栄を迎える文明もある」

 

 リーシャは気付く。

 “  ”の背後に、無数の惑星が浮かんでいることに。

 星々は無限の宇宙に点在し、配置されていた。

 それらは明るいものもあれば、暗いものもある。輝きを失いつつあるものもあれば、今まさに輝きを増そうとしているものもある。

 一部は球形を保っておらず、一部は炎に飲み込まれているということに。崩壊の過程にある世界は、赤い炎に包まれながらもなお美しく輝いていた。

 

 きっと、自分達の世界もこの中のひとつ(・・・)なのだろう、と推測する。

 

「人類は発展するべき存在よ。それは、数多の叡智と醜悪さを同時に持つ存在で。善人も、悪人も、喜劇も、悲劇も──全て。その全てに、発展する権利が存在するわ」

 

 “  ”の声は穏やかでありながら、絶対的な権威を持っていた。

 それは創造主としての自信なのか、あるいは無数の文明を観測してきた経験からくるものなのか。

 

 リーシャには理解出来なかった。

 直前の言葉とそれが相反するものだとしか、思えなかった。

 一方でユラリアには、それが狂人(・・)の言葉だと理解出来ていた。統治者として多くの人々の思考を読み、騙してきた彼女には、“  ”の発言が通常の論理から外れていることが明らかだった。

 

「叡智にせよ、暴力にせよ、権能にせよ。手法は問わない。どの選択でも歓迎しよう。ただ、それらの何れかの手法を採択し──人類は『神』を零落させ、世界救済を成し遂げ、発展を迎える未来(・・)が存在する。それ故に、(ワタシ)はあなた達を存続させているわ」

 

 “  ”の纏う白衣は星々の光を反射し、その緑色の意匠は生命の流れそのものを表しているかのように脈動しているように見えた。

 

 先程の言葉とは反対に、ユラリアが理解出来なかった。

 未来を確約したものであるかのように語る存在の言葉を咀嚼することは出来なかった。彼女の理性は拒絶反応を示し、額に冷や汗が浮かぶ。

 

「……どうして、人類にはそんな未来が存在するとわかるの?」

 

 リーシャには、その思考の一部を理解することが出来た。

 無条件の信頼。無条件の愛情。それらが実在すると、経験的に理解していた。幼少期から論理と非論理の境界を探求してきた彼女は、論理だけでは説明できない現象にも開かれた心を持っていた。

 無論、それが目の前の存在にあてはまるモノなのかは疑問に思っていたが。

 

「無限の能力を持っている。無限の多様性を有している。無限の幻想を抱いている。それらは人類に与えられた特権よ。不可能は可能の礎となり、困難は革新の基となる。故に。惰弱で、脆弱で──そんな種族にしか、未来は存在しない。そんな種族以外、発展に()しないわ」

 

 “  ”の言葉は虚空に響き、その振動は三人の魂にまで届くようだった。

 

 教授は、存在が人型を取っていることに気付いていた。

 三人と話す為にその形態を取っているならば、理解出来るものの──そのような素振りは見せていない。

 むしろ、それが“  ”にとって自然な姿であるかのように。

 

「そろそろ、正体を教えてくれるかな?」

 

 教授は、目の前の存在に言葉を伝える。その声は落ち着いているが、内なる動揺を隠しきれていない。

 それを受けて、“  ”は三人を見渡してから。星々の光が“  ”の瞳に反射し、無数の銀河が渦巻いているかのように見えた。

 

 その、神話上の存在は口を開く。

 

「第一級虚空魔法『権能蘇生』で人類に機能(魔法)を与え、第二級虚空魔法『黒色残滓』で空間に法則(魔法)を与え、第三級虚空魔法『祝福残光』でそれらに秩序を与え──」

 

 自らが虚空魔法の主だと、宣言する。

 その声は世界を震わせ、周囲に浮かぶ惑星さえも微かに揺らめいた。

 その発言が予想通りであった三人は、続きの言葉に注意を向ける。第三級以降。それこそが、気になる点であったのだから。何処にも記されていない秘匿の知識。

 

「──第四級虚空魔法『惑星創造』で大地を創り、全ての第五級虚空魔法を伝達役に付与した、あなた達の創造者よ」

 

 紛れもない、創造者。

 リーシャは面白い(・・・)と考え、その頭脳が高速で情報を処理していく。

 ユラリアはこれからの行動について考え、統治者としての責任感から自分たちの世界への影響を憂慮していた。

 教授は述べられた言葉にひっかかりを覚えていた。長年の学問的探求から来る直感が、何かを指摘している。

 故に、最も速く応答をしたのは教授であった。

 

「伝達役、というのはどういうことかな?」

 

「決まっているわ。あなたが教鞭を振るっている学問を思い出してみて。細胞同士のシグナル伝達によって、個体は成長していくものよ。ならば、異世界──異文明から異文明に人類を転移させることで、『人類』の成長(・・)が期待されるでしょう? そして、現実にあなた達が此処に来ている時点で、それは叶っている」

 

 “  ”の言葉は明瞭で、その論理は完璧だった。だがその奥に潜む思想は、三人にとって完全に理解できるものではなかった。

 

 この中で、今の“  ”の言葉を最も深く理解出来たのは王族であるユラリアであった。

 王族という立場の特性上、人間を人間と数えてはいけない状況が何度も存在していた。彼女の心には、過去の決断の重さが今なお残っている。

 自国の為に命を散らした人民。それらを王国の礎と捉え、無闇に引きずるべきではない瞬間というのは実在した。例え、罪悪感によって心が引き裂かれそうになったとしても。戦争の記憶が、彼女の瞳の奥で暗く燃えていた。

 

 それを、『人類という種族』に広げた存在こそが目の前の創造者なのだと認識出来た。

 結果として、『人類という種族』の発展が叶うならば、幾つもの文明が滅亡しようと。幾つもの惑星が壊滅しようとも。幾ら個人が悲嘆に暮れようとも、それを憂慮しない。

 その思考の壮大さと冷酷さに、ユラリアは背筋に冷たいものを感じた。

 

「じゃあ、私達をここに呼んだ理由は?」

 

 リーシャが手をあげて質問する。

 好奇心に満ちた瞳が、“  ”を真っ直ぐに見つめていた。

 

「此処まで辿り着いた報酬よ。あなた達のおかげで、『人類』は発展の可能性を更に増していく。創造主の手を頼らずとも。(ワタシ)が運命の糸を手繰り寄せずとも。自力で、文明を回せるというのならば。その基盤を自力で開発したというのならば──その『発展』に報いなければならない」

 

 “  ”は、数多の惑星を見渡す。

 無数に漂う文明の灯火。暗闇に浮かぶそれら一つ一つに数千年の年月が、詰め込まれている。その光の明滅には、それぞれの世界の歴史が刻まれているかのようだった。

 

「望むのならば、一つだけ報酬を。『人類発展』を阻害するものでない限り叶えるわ」

 

 その解答をする前に。教授が口を開く。

 深い思索の末に導き出された疑問が、口から発せられた。

 

「その前に。どうして、虚空魔法の使用主は人型なのか。私に仮説があるんだけれど、聞いてもらってもいいかな?」

 

 突然の発言に、“  ”は拒否する様子を見せない。

 むしろ歓迎するとばかりに、首を縦に動かす。その動きは流れるように自然で、しかし人間のそれとは微妙に異なっているようにすら見えた。

 

「第一級から第四級の虚空魔法に、第五級虚空魔法の付与。それらは偉大で、ともすれば全てを創造したように見える。だけれど、その何処にも人類創造(・・・・)は含まれていなかった。一方で、『あなた達の創造主』とも発言した。そこから読み取れることは──」

 

 教授の言葉はゆっくりと、慎重に進んでいた。

 その学識が今、最大限に活かされている。

 だが、それを遮る者がいた。

 

「じゃあ、私達って何処かで生まれた『人類』の複製品ってこと!?」

 

 リーシャの発言に、ユラリアと教授は置いていかれる。その鋭い直感は、時に論理的思考をも追い越すことがあった。

 “  ”だけが正解だとばかりに、リーシャに視線を向ける。

 

「推測の通り。(ワタシ)は人類を創造していないわ。原型を鋳型に遺伝子配列を複製した上で、無作為な変異を挿入し──それを虚空魔法で創った各地にばら蒔くことで、人類文明を増殖させた。あなた達が行う増殖や繁殖を、大規模に実行したに過ぎないわ」

 

 “  ”の説明は冷静で、あまりにも事務的だった。まるで実験の手順を説明するかのように。

 

 ユラリアとリーシャには理解出来なかったものの、教授にだけは理解出来た。それが何処までも異常で、狂気的で、歪んだ行動だということを。彼の経験と知識が、その全容を把握させた。

 推測が正しいのならば。彼の口元が引き締まる。

 

「創造主も、元は人類だ──そう考察しているけれど、この考察は正しいかな?」

 

 教授の問いかけに、虚空が微かに震えたように感じられた。

 

 正しい、ということを示すように首を縦に振る。

 だとしたらあまりにも倫理観(・・・)が欠如している、と教授は考えようとして──理解する。

 違う。目の前の存在に倫理観が無いというのは、正確な表現じゃないと。目の前の存在が元々存在していた人類文明は、そんなもの(・・・・・)が要請される文明ではなかったのだと。彼らの倫理が、現在の三人のそれとは根本的に異なっていたのだと。

 

「住んでいた文明。それはどうなった?」

 

 教授の声は静かだったが、その問いの重さは明らかだった。

 

「滅びたわ」

 

 端的に、“  ”は答える。

 そこには何の感情も含まれていない。

 事実を述べる時特有の、冷徹さだけが存在していた。

 その声には惜別の情も、懐かしさも、悲しみさえも含まれていなかった。価値あるものは、全て亡失されていた。

 

「世界は廻るものよ。人類文明も例外ではないわ。無限の果てに、原点に戻らないことを世界は確約していないのだから。廻り、巡り、循環し、全ては滅びたわ」

 

 “  ”の背後に広がる宇宙空間にて、星々が静かに明滅する。永遠と一瞬が交錯するかのような光景だった。

 

 背後の惑星のひとつが、一際強い光を放つ。

 その直後。惑星(ほし)がゆっくりと、崩れていく。光が広がり、やがて消え去る。生命の終焉を示すように。

 

「人類文明が幾つ滅びようと。惑星が幾つ崩壊しようと。世界が何度滅亡しようと。それらは、存在の価値を貶めるものにはならないわ。存在(・・)は、万物に影響を与える唯一にして最大の方法で──紛れもない、奇跡の産物よ」

 

 “  ”の声には、ほんの僅かに感情のようなものが混じっていた。それは畏敬か、愛情か、あるいは全く別の何かなのか。だが、その感情に意味は感じられない。そうあれかしと定められた機構のようにしか、三人には思えなかった。

 

 価値観の相違。

 絶対的な視点の差が、“  ”と三人の間には存在していた。

 善悪の問題ではなく。清濁の問題でもなく。存在そのものへの理解の根本的な違い。三人の心に、ある種の畏怖が生まれていた。

 

「なら、私をわざわざ性別転換させたのは──っ」

 

 それでも、教授の声には怒りが含まれていた。

 その身体に刻まれた経験は、教授にとっては重要な意味を持っていた。だが、それを勘案する存在ではないということは──否。それを勘案した上で、利用する存在だということは、ここまでのやりとりから察せられていた。

 

「あなたの性格ならば。あなたの思考ならば、必ず回帰する為の研究を始めることはわかっていたわ。そしてそれは、必ず人類文明に影響を与えることになる。シグナル伝達が確実に発生するように、仕組んだだけよ。世界間交流。人類文明間交流。それがどのような結末となっても、(ワタシ)は構わないけれど──」

 

 “  ”は冷静に答える。その声は空間を満たし、三人の心に直接語りかけるようだった。

 

「全ての結果を、平等に受容するわ。受容し、認識し、そしてそれが『人類発展』の礎となる。幾千の文明、幾億の実証が積み重なる。無数の誤謬が世界を覆い、数多の物語が世界を包む」

 

『人類発展』。

 その四文字が、何を意味しているのかを三人は理解出来なかった。それが字義通りのものではない、と判断することしか出来なかった。

 

「故に。(ワタシ)は前回の実験とは異なる結果を求めているだけよ。『人類発展』に辿り着かないのならば、試行錯誤を繰り返す。未解明の『掟』があるのならば、それを解き明かさんと実験を繰り返す。どんな存在であれど、その道中は変わらないわ」

 

 無数の宇宙の歴史が、“  ”の言葉の背後に潜んでいるように感じられた。計り知れない時間の重み。

 

 

 ユラリアと教授には、一切理解出来なかった。

 その精神性や思考回路そのものが、理解の範疇に収まっていなかった。彼らの思考の枠組みをはるかに超えた存在だった。

 正確に言うならば。言葉上の理解は──額面通りの理解は可能である。それでも、目の前の存在を認識出来なかった。まるで高次元の存在を低次元から観察しているかのような感覚であった。

 

「あなた達も同じよ。仮説を組み立て、実証を行い、現象によって反駁されたのならば異なる仮説を立てる。『人類発展』という至上命題は、そのようにして証明されるわ。そして、それは当然(ワタシ)が為さなくても構わないわ。未来。未来──時空の果て。無限の彼方で、それが叶うことこそが(ワタシ)の本望故に」

 

 “  ”の言葉は宇宙の法則のように絶対的で、その背後には無数の実験の痕跡があるかのようだった。

 

 対称的に、リーシャは“  ”の言いたいことを正確に捉えていた。自分と同じとまでは言わないものの、近しい存在であるとは認識出来たが故に。彼女の髪が宙に漂い、その瞳には理解の光が宿っていた。

 

「だから、こんな丁寧(・・)に人類の住む惑星を守っているんだ。だから──」

 

 リーシャの言葉に、“  ”は微かに頷く。その動きは流れるように自然で、しかし何かが決定的に違っていた。

 

「そうよ。存在(・・)。存在と不在の境界は、何よりも大きな障壁となって人類を阻むものだから。『人類存続』は為し遂げられなくてはいけないわ」

 

 “  ”の周囲に浮かぶ光の粒子が、その言葉に反応するように瞬く。それは星々の光のようでもあり、あるいは生命の種子のようでもあった。

 

「じゃあっ、どうして──」

 

 リーシャの問いかけは、途中で遮られる。

 

「『ozgpeyahzxwpfvvhybszqpktrjoaprw』──そういうことよ。あなたならば、わかるでしょう?」

 

 その言葉は虚空に反響し、空間そのものを震わせるかのようだった。意味不明の文字列。

 しかし、その羅列には何か深い意味が込められていることだけは感じられた。

 

 リーシャはその言葉の意味を理解出来たように、沈黙する。その顔に浮かんだ表情は、驚きと理解が混じり合ったものだった。ユラリアと教授には、全く理解出来ないものだった。彼らの顔には困惑の色が浮かんでいる。

 

「ああ。一時的に原語(・・)を話しただけだから安心してもいいわ。そして、彼女にだけ『翻訳魔法』を使用していただけ。だから──」

 

 “  ”の瞳に星々が映り込む。

 緑色の意匠が刻まれた白衣が、微かに揺れていた。

 

 “  ”は、観る。

 されど、そこに観測すべきモノは存在しない。

 特筆すべきモノは、何も。観るものは、いない。

 

「原語への翻訳魔法が使用されていたとしたら、それは崩れるわ。謂わば、あなた達が知っている競合阻害ね」

 

 “  ”の発言は、人類には理解出来るものではない。

 言語が通じているというだけの。偶然、数多の人類を模倣作成して文明を創造しただけの狂()である。

『人類発展』を望み、それ以外を些事だとすら捉えていない存在である。

 その視線は人間のそれではなく、宇宙の法則そのものを体現したかのようだった。

 

 

 そんな、“  ”の視線の先が変わる。

 それに呼応して空気が変わる。否が応でも、それに視線が集められる。

 注目を向けさせられる。

 

「人類よ。再度、警告しよう。俯瞰だけで意味を求めるな。模造の“魂魄”では世界は廻らず、その程度で真理を悟ること能うと傲る勿れ。世界に終焉を齎す境界が現れようと。数十億と生きた恒星の輪廻を観察しようと。矛盾により全ての論理体系が崩壊しようと──真に、探究せんと欲するならば」

 

 それは、人類への警笛であった。

 自らの言葉を受けて、今後変動するであろう人類への。

 

「『世界』を観測せよ。現実性を再定義(・・・)せよ」

 

 言葉を受けた三人の様子を見てから“  ”は一歩、前に出る。

 緑色の白衣がはためき、宇宙の紋様が文明の灯火に当てられ、光る。

 数多の文明、時間、惑星、生命がその背後に存在する。まるで全宇宙の歴史が、その存在の背後に広がっているかのように。

 

 全ての無価値と、全ての価値が其処には存在していた。

 

「改めて。(ワタシ)こそが虚空魔法の主。異世界転移(・・・・・)の報酬に、あなた達の望みを叶えるわ。巨万の富、無限の栄誉、惑星の管理権限──好きな望みを、述べるが良い」

 

 教授とユラリアは、リーシャに視線を向ける。

『異世界転移』魔法の主軸はリーシャが作成したものであり、同時にこの場面において最も理解(・・)出来ているのはリーシャであったから。

 二人にとっては、それが自然なことであった。彼らの信頼を一身に受け、リーシャは前に進み出る。

 

「なら、『私達の文明にこれ以上何もしない』で!」

 

 リーシャの声は力強く、決意に満ちていた。彼女の髪が宙に漂い、その瞳には未来への希望が宿っていた。

 

 ユラリアは、リーシャの方を思わず見る。

 その発言がどんな反応を引き起こすか、わからなかったから。

 だが、それに構わずリーシャは言いきる。

 

「だって私たちは、もう親離れ(・・・)出来るから!」

 

 その返答に、“  ”は表情を変える。

 誰にも真意は読み取れず。されど、時間は流れる。 

 

「私たち人類には──『無限の可能性』があるんでしょ? だったら、一人(みんな)で何処まででも飛び立てる。親元から離れて、成長出来る!」

 

 “  ”は表情を変えない。

 その言葉に。人類の宣言に意味があったのかはわからない。それを、宣言することで何かが変わったのかはわからない。それは、未来からしか判断出来ない。

 

 故に。

 静寂の後。

 

(ワタシ)は常に。そして、永劫に。その宣言の実証が為されることを──『人類発展』が実現することを、歓迎しているわ」

 

 空間が崩壊していく。

 足元がひび割れ、それと同時に妨害されていた『異世界転移』魔法の正常な発動が再開される。

 

「星は輝き、地は廻り、空は在る。混沌や秩序も所詮、それだけの存在でしかない。形而の有無ではなく──外を見よ。真理なぞ、得た所で何も得られない」

 

 “  ”は嘯く。三人に伝わるとは限らない。

 それでも、嘯く。無意味な言葉を。

 

「人類よ。上界無き果てを望み、飛び立ち続けよ。その輝かしい存在の証明を全てに刻印せよ。証明し、存続せよ。その彼方に──」

 

 魔法陣が、完成する。

 異世界への。

 

 

 

「──『人類発展』が存在する」

 

 

 虚空の主は、存在した。

 

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