『TS薬を開発したいだけの異世界薬理教師』   作:  

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最終課題『人類の未来』

 ◇◆◆◇

 

「──取りあえず、帰りませんか?」

 

 そんなユラリアの言葉に二人は頷き、初めての異世界訪問はすぐに終わることとなった。

 次に行くのは色々落ち着いてからである、と結論付けてから。

 

 それから王宮の自室に帰り、ユラリアは一息付く。

 とてもではないが、自分の手には負えない話が始まり、そして終わった感覚がしていた。

『虚空の主』との邂逅は、ユラリアにとってとても大きな出来事であった。

 

 王宮の自室に戻ったユラリアは、重厚な扉を閉め、儀礼的な衣装を脱ぎ捨てた。

『虚空の主』との邂逅は、ユラリアの精神に深い溝を刻んでいた。

 窓辺に立ち、王国の景色を眺めながら、自らの呼吸を整える。

 

「あまりにも……荷が重すぎます」

 

 ユラリアは呟きを漏らす。

 王族としてのユラリアは、幼少期より「王とは国の最大の奉仕者である」と教えられてきた。国民の上に立つ者の責任と義務。しかし今、知ってしまったことは国家という枠組みを遥かに超えていた。

 

 人類という種全体の存続と発展。

『虚空の主』が語った『人類発展』という概念。

 

 ベッドに腰を下ろし、ユラリアは顔を両手で覆った。

 頭の中には整理しきれない情報が渦巻いていた。

 教会との水面下の争い、王国の政治、そして今日知った世界規模の真実。

 

「私たちの世界は……ただの、実験場でしかない」

 

 この認識は、ユラリアにとって衝撃的だった。

 生涯をかけて守ろうとしていた王国は、宇宙の広大さから見れば、ただの実験体の一部に過ぎなかった。しかし、だからといって無価値というわけではない—『虚空の主』は、その存在自体に意味があると語っていた。

 

 ユラリアは立ち上がり、書斎の秘密の引き出しを開けた。そこには王国の機密事項と、ユラリア自身の研究メモが収められていた。『異世界転移』の成功は、彼らの世界に新たな可能性をもたらした。

 

「何も干渉しないという約束……信じても良いのでしょうか」

 

 リーシャの願いが受け入れられたことは幸運だった。しかし、『虚空の主』の言葉をどこまで信じられるのか。ユラリアは窓の外に広がる王都を見つめた。夕暮れの光に染まる街並みは、いつもと変わらない日常を映し出していた。

 

「この世界の『神』とされているものは……」

 

 ユラリアは思考を巡らせた。教会が崇拝する「神」と『虚空の主』との関係性。第三級虚空魔法『祝福残光』が宗教の権威を確固たるものとするために存在するという言葉。これが意味することは明白だった。

 

 ユラリアは書斎の椅子に座り、メモを取り始めた。

「現状の把握」と題して、箇条書きで記していく。

 

 1.世界の真実—我々は『虚空の主』により創られた実験体である

 2.「神」とされるものは『虚空の主』が創った秩序である可能性

 3 教会の権力基盤は『虚空の主』によって構築された可能性

 4.『人類発展』という概念は、種としての人類の存続と進化を意味する

 5.リーシャの願いにより、当面は干渉を受けないはず

 

 次に「今後の方針」と書いて、思考を整理していく。

 

 1.この真実は絶対に公表しない

 2.「異世界転移」の研究は継続するが、管理を厳重に

 3.教会との関係を再考する必要性

 4.王国の未来計画を見直す

 

 ユラリアは特に3番目の項目に注目した。教会との対立は長年続いていたが、今やユラリアはその本質を理解した。教会が権威とする『神』が実は『虚空の主』の創造物であるならば──

 

「権力闘争の意味が変わってきますね」

 

 ユラリアは立ち上がり、窓の外を見た。王国と教会。

 どちらも『虚空の主』の実験の一部に過ぎないのかもしれない。しかし、『人類発展』のためには、こうした争いも必要なのだろうか。

 

 ひとしきり悩んでから、ユラリアは首を振り、リーシャの言葉を思い出す。

『私たちは、もう親離れできるから!』その純粋さと希望に満ちた言葉に、ユラリアは勇気づけられた。

 

 ユラリアはリーシャのことを想い、そして新たな紙に「未来への展望」と書き始めた。

 

 ・「異世界転移」技術を発展させ、他の文明との交流の可能性を探る

 ・教会との対立を解消し、共存の道を模索する

 ・王国の科学技術と魔法研究をさらに発展させる

 ・リーシャの才能を保護し、さらなる研究を支援する

 ・教授の研究も支援し、異世界の知識を活用する

 

「そう……私たちは『虚空の主』の意図する『人類発展』とは違う道を歩めるはず」

 

 ユラリアは決意を固めた。過去の文明がどうであれ、自分たちの文明は自らの選択で未来を切り開く。

 王族として、ユラリアにはそれを導く責任がある。

 

 ユラリアはそこまで考えると、強い疲労感に襲われた。

 何日も続いた準備と今日の衝撃的な出来事が重なり、心身ともに限界に達していた。

 それでも、ユラリアの精神は明確な方向性を見出していた。

 

「明日は……リーシャと教授と話し合わなくてはいけません」

 

 ユラリアはメモを慎重に隠し、ベッドに横たわった。明日からは新たな日々が始まる。

『虚空の主』との邂逅を知る三人だけの秘密を胸に、ユラリアは人類の未来を考えながら目を閉じた。

 

 闇の中で、ユラリアは考える。

 

「私たちは『虚空の主』の思惑どおりかもしれません。それでも──」

 

 星々を思い浮かべる。

 無数の惑星、無数の文明、そして彼らの王国。

 小さな存在かもしれないが、それでも意味がある。

 あの一つ一つに、無数の人類が存在するということの重さを改めて実感していた。

 

「だからこそ……私は王族として、この国と人々を守り抜きます。『人類発展』は、私たちが自ら定めた方向で達成してみせます」

 

 

 ◇

 

 

 

 翌朝、ユラリアは早くに目覚めた。習慣づいた王族としての生活リズムは、昨日の衝撃をもってしても変わらない。鏡に映る自分自身を見つめ、深く息を吸った。

 

「全てが違ったものに……見えざるを得ませんね」

 

 朝食を済ませた後、ユラリアは密かに書状を二通準備した。

 一通はリーシャへ、もう一通は教授へ。内容は簡潔に『本日夕刻、小匙の個室にて』とだけ記されていた。そして、最も信頼する侍女に手渡した。

 余人が開けられないように、しっかりと魔法による()をしてから。

 

「誰にも見られないように、直接彼女達の手にお願いします」

 

 侍女はうなずき、静かに部屋を出ていった。

 

 ユラリアはその後、通常の王族としての公務に戻った。

 大臣との会合、外交官との面会、そして教会からの使者との対談。全ての会話が、昨日までとは違った響きを持って耳に入ってくる。

 

 ◇

 

 

 夕刻、ユラリアは『古の小匙亭』の個室で二人を待っていた。この部屋は魔法的な防音処理が施されており、王宮内でも数少ない完全に安全な会話ができる場所だった。

 

 まず到着したのは教授だった。小柄な体格に似合わぬ鋭い視線で、教授はユラリアを見つめた。

 

「昨日のことについて話し合う感じかな」

 

 ユラリアはうなずいた。

 

「リーシャが来たら始めましょう」

 

 間もなくリーシャも到着した。

 リーシャの目には昨日とは違う光が宿っていた。発見の喜びと、未知への好奇心が混じり合ったような輝き。

 

 三人が揃ったところで、ユラリアは部屋の中心に魔法陣を描く。

 

 ユラリアの行動と呼応するように、魔法陣が発動する。

 魔法陣が部屋全体を包み込み──空間から魔法の概念そのものが消え去った。

 これにより、どんな魔法的な監視も不可能になる。

 

「これで安全ですが……」

 

 ユラリアは二人に向き直った。

 

「昨日のことについて、私たちはどうするべきか。話し合わなくてはいけません」

 

 リーシャよりも先に、教授が口を開く。

 

「あの講義をしている私が言う台詞でもないけれど、あの『事実』は極めて危険なもの。公表すれば、社会秩序が崩壊する可能性がある──どころか。文明を壊しかねない」

 

 同時に教授は、考えていた。

『虚空の主』はそうなることもまた、受容するだろうと。そんな結末も、また一つの終幕だと認めるはずであると。

 

 ユラリアは教授の言葉に頷く。

 

「同意します。特に宗教の基盤が揺らげば、混乱は避けられないでしょう」

 

 リーシャは少し考えてから言った。

 

「でも、これってすごい発見だよ! 『魔法』の根幹に関わることだし……もしかしたら、もっと変わる(・・・)かもしれない! 未知が、増えたんだから!」

 

「だからこそ危険なのです」

 

 ユラリアは静かに言った。

 

「リーシャ、あなたが『虚空の主』に願ったことは完璧です。あの場において、最適な解答だったと──リーシャだからこそ出来る、満点解答(・・・・)だったと思います。とてもじゃないけれど、私には出来ません」

 

 ユラリアは模範(・・)という言葉を、敢えて使わなかった。

 あの解答は間違いなく模範ではない。あくまで満点ではあれど、模範ではないとユラリアは確信していた。

 

 仮に自分が願う権利を持っていたら、何を願っていたか。ユラリアは少しだけ考えた。

 結論は、『リーシャの安全』になるだろうと考えていた。それはある意味、模範的(・・・)解答であった。恐らく、『虚空の主』も拒否することはなかっただろうとユラリアは推測している。

 だが、それだけでしかない。

 

「リーシャの願いを守るためにも、私たちは慎重にならなければいけません」

 

 教授は椅子に深く腰掛け、思案するように言う。

 

「『人類発展』という概念……あの存在が本当に求めているものは何なのか。その答えは、私たちには理解できないかもしれない。ただ、推測するのは無駄じゃない」

 

 ユラリアは窓際に立ち、遠くを見つめた。

 一番の謎は、『人類発展』という言葉だった。

 たった四文字の。されど、神聖不可侵たる四文字。

 

「私が考えたのは……」

 

 ユラリアは昨晩考えた計画を二人に共有した。教会との関係の再構築、魔法研究の継続と管理、そして『異世界転移』技術の秘密裏の発展。

 

「要するに、私たちは『親離れ』した子供として、自分たちの道を歩む──」

 

 リーシャの顔に満面の笑顔が広がる。

 楽しさが尽きない、とでも言うように。

 

「そう! 私たちだけで、新しい未来を作る!」

 

 教授はそんなリーシャに対して少し懐疑的な表情を見せたが、ゆっくりと頷いた。

 

「確かに。知識を得た以上、それを活かす責任があるね。でも──ユラリア。権力者として、あなたは誘惑に負けないと断言出来る? この知識を使って、さらなる支配を目指さないと言い切れる?」

 

 鋭い質問に、ユラリアは一瞬言葉を失った。

 しかし、すぐに目に決意の色が戻った。

 そうして言葉に出す前に、リーシャが口を挟む。

 

「ユラリアは、そんなことしないよ」

 

「それは『模範的な王国第一王女』だから?」

 

 教授は挑戦的な笑みを浮かべる。

 リーシャのことを試すように。

 

「ううん、違うよ。ユラリアは、私の親友で──いつも、私を守ってくれていたから。そういうのは、ユラリアらしくない」

 

 リーシャの発言に、ユラリアは少し驚きを覚える。

 一つは、そこまで自分がリーシャに想われていたという事実。もう一つは、初めて対等な信頼というものを感じたから。無責任ではない期待を、初めて背負わされたから。

 

「私は王族として育てられました。権力とは責任であるという教えの下で。今、私たちが知ってしまったことには、大きな責任が付きまといます。だからこそ、私は大切な国民と、大切な人達を守る為に悪用はしません」

 

 ユラリアは両手を広げ、部屋全体を示すように言う。

 

「この王国だけではなく、人類全体の未来に関わることを知ってしまいました。それを私利私欲のために使うことは──面白く(・・・)ありません。私には、そんな未来が楽しいとは思えませんから」

 

 その言葉を聞き、リーシャは急に立ち上がる。

 

「そうだよ! 結局、『面白いかどうか』はいちばん大切だからね。面白くて、笑っていられる世界が一番なのは──自明なこと!」

 

 教授はゆっくりと笑みを浮かべた。

 試してしまって申し訳ない、と謝ってから。

 

「そうね。私も異世界からの来訪者として、この世界の可能性を信じているよ」

 

 三人は互いの顔を見つめ、静かな合意が形成された。

 

「では、決まりました。私たちは『虚空の主』との邂逅を秘密にし、自らの道を進む。教会との対立を減らしつつも、魔法研究は続けます。そして……」

 

 ユラリアはリーシャに向かって言った。

 その視線には、紛れもない親愛の情が浮かんでいた。

 

「あなたの才能を最大限に活かせるよう、私は王族としての影響力を使います」

 

 リーシャの目が輝いた。

 

「新しい魔法の開発、続けていいの?」

 

「もちろん」

 

 ユラリアは微笑んでから、少しだけ安堵を覚える。

 そして最早、リーシャの笑顔が自分にとっての日常になってきているという事実を、改めて実感する。

 

「ただし、もう少し慎重にお願いします。特に『権能返却』や『権能読込』のような、根本的な原理に関わる魔法は特別な管理下に置きましょう」

 

 その後、話し合いは夜遅くまで続いた。

 三人はそれぞれの専門と立場から、これからの方針を細かく詰めていった。

 そして最後に、ユラリアは魔法陣を解除する。

 

「『権能読込』」

 

 部屋に魔法の概念が戻り、空気がわずかに振動するのを感じた。

 別れ際、教授がユラリアに言う。

 

「ユラリアは全然『完璧』ではないよね。講義の時から思っていたけれど」

 

 ユラリアは穏やかに笑った。

 まるで、誤魔化すように。

 

「なんのことでしょうか。まるで私が、世間知らずの姫君みたいな言い方をしてくれますね」

 

 そう言ってから、ユラリアは思い付く。

 いつかの意趣返しをしよう、と。

 

「一つだけ、御忠告を。人の事を探るのは、あまり歓迎されたことではありませんよ。殊更、此処は王家御用達のお店ですから。教授と私は、決して対等ではありません。とても忙しい公務の片手間、間違って教授の戸籍に『紅茶を三回ほど溢してしまう』かもしれませんよ。そしてそれは、両者(・・)にとって望ましくない未来──そうですよね?」

 

 その言葉を向けられた教授は、軽く肩を竦める。

 自らの失言と敗北を認めるように。

 

「万能薬やTS薬を作り得る環境を剥奪されたら、おしまいだ。それに、魔素量の関係で第一級禁忌魔法『異世界転移』の発動は、ユラリアがいないと不可能だからね。ただ」

 

 教授は言葉を区切り、飲み物に口を付ける。

 注がれていたのはアルコール。

 

「アルコールに鎮静作用は存在する。ただ、常飲している人が突然断酒をすれば発生するのは痙攣──鎮静とは真逆の作用が発生する。離脱作用(・・・・)に苦しまないよう、気を付けると良い」

 

「教授! それってどういう機序なんですか?」

 

 お互いにお互いを皮肉っている状況に気付いていないリーシャが、空気を読まずに手をあげて質問する。

 

「説明すると長くなるから、説明しないよ。聞きたい場合は──そこの王族が許してくれれば開講するかもしれない、『薬理学理論B』でも受講してくれればいい」

 

 リーシャはユラリアを見つめ、懇願するように視線を向けてくる。

 ユラリアは軽く息を吐き、それから仕方なさそうに──芝居がかった様子で言葉を発する。

 

「リーシャが私専属の相談役にでもなってくれるのなら、考えてあげてもいいですよ。如何に総合学院と言えど、『王国第一王女』の命を無視できる存在ではありませんから」

 

「なら無理じゃん! ユラリア、酷いよ!」

 

 リーシャはユラリアの肩を軽く叩き、頬を膨らませて文句を言う。

 

「庶民が王族相談役に任命されることってないんだよ? 遠回しに無理って断られてるってことじゃん!」

 

 

 そんな会話を聞き、教授は考える。

 

 リーシャの立場は変わっていない。

 如何に偉大な魔法を発明したとしても、そのほとんどが公表されていない。相変わらず他教科の成績は悪く、多くの教授からは好感を持たれていないということも。

 

 ユラリアの立場も、変わっていない。

 完璧であり、模範を示す王国第一王女。莫大な量の公務に追われ続け、それでも努力を止めない賢人。

 

 世界の状況も、変わっていない。

 教会が動けど、それは表面には出てこない。王宮との小競り合いが水面上に出れば、人類が滅亡しかねないから。

 

 そして。『虚空の主』についても。

 三人が沈黙を選ぶことで、『虚空の主』は記録に残らない。正体不明は、正体不明のままに歴史が進むことになる。

 

 最後に、自らも。

『人類文明』を創る超常存在によって性別を変えられた以上、薬剤どころか魔法を使用しても戻らない可能性が出てきている。

『TS薬を開発したい』という大前提は変わっていない。

 

 つまり、大きな変動は存在しない。

 水面下での無数の変化が、水面上には現れていない。

 人類文明という大きな生命は、恒常性を維持し続けている。

 即ち。生きている。生き続けられているのかもしれない。

 

 教授は、そんなことを考えてから。

 

「まあ、全ては『期末試験』に合格して、単位を貰ってからだね」

 

 そんな、現実に引き戻すようなことを二人に言った。

 

 

 

 

 

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