『TS薬を開発したいだけの異世界薬理教師』   作:  

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第二交流(1)『Findings can work you to advantage』

 ◇◆◆◇

 

 

 五分間の休憩時間。

 ユラリアは、椅子に座っている教授のもとに近づく。

 

 背丈は小さく、145cm程度。

 幼げな顔立ちに、小さい身長という要素が組合わさっているというのに、生気の感じられない瞳と感情の読みきれない顔貌によって、表現しがたい不気味さを醸し出している。

 

 先週、リードヴルム教授から言われたことを思い出す。

 

『彼は非常に優秀で、革新的な研究者です。しかし、少々──独特な見解を持っていることでも知られています』

 

 薬理学などという、王族としても未知の学問をこの『総合学院』で大手を振って教えられる、ということがどれだけ異常事態なのかを、ユラリアは認識出来ている。

 

『総合学院』の教授に任じられるというのは、研究者ならば一度は夢を見るほどの偉業である。

 古くは『王立万学統合学院』と名付けられていた『総合学院』における教授という立ち位置は、その分野における巨匠、或いは天才以外には指名が飛んでこない。

 

 そして、往々にして天才は生徒に向けて知識の継承を行うよりも、自身の興味関心に全力を注ぐことに注力する傾向にある。

 故に、『総合学院』の生徒数はそこまで多いわけではない。

 

「教授、ちょっといいですか?」

 

 何かの資料に向けられていた視線が、ユラリアの方へと向けられる。

 ちらり、と見えた資料のタイトルは『Streptokinaseによる血栓溶解作用』との記載。

 

「いいよ。何か質問?」

 

 教授の座る椅子と、生徒の座席の間には距離が存在する。

 故に、このやり取りは他の生徒に聞こえることはない。

 

「直接授業内容に関係があるわけではないのですが……前回、受容体(レセプター)について解説しなかった理由について、伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「ああ、それは単純な私のミスだね。前回のあれを理解しようとするのは、『魔法陣干渉学について詳しい人』か『聞くだけで大体を理解出来る天才』だけだと思っていたから。簡単にまとめると、大多数の生徒が真面目に聴くとは思ってなかったから。でも、課題(ミニレポート)で何人からか質問されてね」

 

 リーシャの課題を手伝ったユラリアは、その質問者のひとりが誰かをわかっていた。

 だが、同様の質問をしている人が複数人いる、というのは初めて知った情報でもあった。

 

 そして、教授の言葉が嘘であるということも察知した。

 社交界で王族として身につけた察知能力は、この不思議な女教授にも通じるらしいとユラリアは少しだけ安堵する。

 

「そうそう、ユラリア。君の課題はまさに模範解答だった。だから、仮に点数を付けるとしたら90点(・・・)になる。君の仲良いリーシャと、同点数。これが私の授業において何を意味するかは、気が向いたら考えてもいい。『求められた解答』と『独創性だけの解答』では、どちらも満点を渡し難い」

 

 この教授は、所々で意図的に生徒への期待をしていないという旨の発言をしている、とユラリアは気付いた。

 今の『気が向いたら考えてもいい』や、前回の講義の最後にあった『気が向いたら、書いてみてね』という発言。

 

 それは、リードヴルム教授がこの薬理学教授のことを()と呼んでいたことに何か関係があるのかもしれない。

 ついでに、この教授の目標が性転換薬の作成であることにも関係があるかもしれない、とユラリアは勘繰る。

 

「まあ、別に満点なんて狙わなくてもいい。こんな人の満点評価を貰ったところで、世間では大した意味を持たない。大事なのは、どこに自らの瑕疵──違うな。どこに自らが評価されない要素があったか、を認識することだから」

 

 ユラリアは教授の言葉を聞き、課題の話題はここで切り上げるべきだと判断した。

 成績や評価については十分理解したし、他にも聞きたいことがあった。

 

「レポートについては了解しました。ところで教授、私が気になっていることがもうひとつあります」

 

 ユラリアは少し間を置き、言葉を選んだ。

 その様子を観察されていることにも、気付きながら。

 

「リードヴルム教授から教授のことを伺いました。『非常に優秀で、革新的な研究者』ではあるものの『少々独特な見解を持っている』と。その『独特な見解』というのが何を指すのか、私には興味があります」

 

 教授はユラリアをじっと見つめた。その表情からは何も読み取れない。黒い瞳は全ての光を吸収する。

 

「なるほど。リードヴルム教授が君にそう言ったんだね」

 

 教授は椅子に深く腰掛け直すと、両手を組んだ。

 

「『独特』という言葉は、往々にして社会の主流から外れたものに対する婉曲表現でしかない。私の研究は確かに従来の学問の枠を超えているし、多くの人が理解できないか、あるいは理解したくないものだ。直視したくないもの、だと言ってもいい。学問だって、信仰の一種だ。たまたま現在は既存宗教と相反しないから、排他されていないだけの」

 

 教授は一瞬、生徒の方へと目をやった。

 休憩時間である、ということで談笑している生徒がいる。猥雑な話題で盛り上がっていることも、読み取れた。

 

「『魔法の神は実在しない可能性も検討するべきだ』なんて、大々的に発表したとしよう。そうすれば、私は明日にでも数百万、数千万の人から敵意を向けられる」

 

 魔法の神により、人類は魔法を使えるようになった。

 それが聖典に存在する文言の一つであり、大原則であるということをユラリアは知っている。当然、教授も同様に。

 

「学問研究にも類似点がある。悲しいことに。否定されれば、どれだけ理知的な人であっても、人類は不快に思う。そしてそれは、自らの根幹に根差すものであればあるほど、大きくなる。例えば……性別、とかね」

 

 教授は明確に不快感を示す。

 それが何を示すのか、ユラリアには曖昧な輪郭だけだが、わかり始めていた。

 どうして、この教授が性転換薬を開発しようとしているのか。そして、どうしてリードヴルム教授に『彼』と呼ばれているのか。

 

「ともかく。『総合学院』にいながら私がこの立場でいられるのは、私の研究成果が否定できないほど価値があるからだよ。だけれど、その研究の目的や方向性を快く思わない者も多い」

 

 教授は言葉を切り、ユラリアをもう一度見つめた。

 

「特に君であれば理解できるかもしれない。権威というものは常に現状維持を望む。変革を恐れる。私の『独特な見解』とやらは、既存の枠組みを壊すことになってしまう事が多い。無論、意図しているわけでもないけれども。勝手に権威のほうが、自壊してしまう」

 

 教授の口調には苦々しさと皮肉が入り混じっていた。

 そして、教授は微かに笑みを浮かべた。だが、それが単なる笑みだとはユラリアには思えなかった。

 

「君は何故、このことに。私について興味を持ったのかな? 単なる好奇心か、それとも悪戯心か。或いは──」

 

 ユラリアは教授の問いに対して、慎重に言葉を選びながらも率直に応えることにした。

 社交辞令ならば幾らでも思い付いていたが、それらがこの教授に対して大した意味を持たないのは、この短いやり取りからでも読み取れた。

 

「単なる好奇心ではありません。私は王族として、既存の価値観や権威の中で生きてきました。しかし同時に、その内側から見える矛盾や限界も感じています」

 

 世界情勢は安定しているとは言い難い。

 王国こそ平和ではあるものの、王国が接している六つの国のうち三つは現在、大規模な内乱が発生している。そして残り三つのうち一つも、その兆しが見えている。

 問題を抱えている四国全ては、王族や皇族による統治をしていた。逆に、問題を抱えていない──比較的平和な二国は、そうではないという事実もあった。

 

 現在、この王国が平和でいられるのは大国であるからという理由以外に存在しない。

 この地域最大の大国であり、周囲の六カ国から同時に攻め込まれたとしても防衛出来る──敗北しないと国民が信じているからこそ、この平和は成立している。

 

 平和の薄氷の上で綱渡りをしていることは、ユラリア自身が認識している大きな課題でもあった。

 

「『総合学院』に来たのも、新しい知識や視点を得るためです。特に薬理学という分野は、とても新しい分野です。だからこそ、教授のような『独特な見解』を持つ方から学べることに価値を感じています」

 

「なるほど。王族という身分でありながら、既存の枠組みの外を見ようとしている。それは珍しいね」

 

 教授は一瞬、何かを思案するように沈黙した後。

 

「だからこそ、一つ忠告をしよう。人の事を探るのは、推奨しない。殊更、此処は私の壇上だ。君と私は対等ではない。万能薬開発中の私の手が震えて、君の帳簿に『紅茶を三回ほど溢してしまう』かもしれない。そしてそれは、両者(・・)にとって望ましくない結末でもあるね」

 

 ユラリアには、教授が何を言っているかの意味については掬うことが出来た。

 ただ、意味を掬えただけで、その根本を拾えたとは思えなかった。

 

 それが教授の誠意であることに、気付くことが出来なかった。

 

「では、お食事でも如何ですか? お店については、私が手配します。教授は、ただ来ていただければ構いません」

 

「……何がそこまで君を駆り立てるかわからないけれど。まあいいか。優秀な生徒の頼みだからね。いつ、何処に行けばいい?」

 

「今日の最終講義終了後、歴史棟正門前は大丈夫ですか?」

 

 教授は軽く息を吐いてから、うなずく。

 

「ああ、それと。私が言うことでもないけれど……リーシャを参加者に増やしたいなら、私に連絡を取らなくてもいいからね」

 

 そこまで言うと、教授は時計を見る。

 その時計の外観は古めかしく、表面には星座や魔法のシンボルが精緻に刻まれている。文字盤には通常の時間を示す針に加え、複数の小さな円形の表示があった。

 

「さあ、もうすぐ時間だ。後半の講義に入るから……君も戻りなさい」

 

 ユラリアはその言葉に従い、お礼を言ってから立ち去る。

 生徒が去ってから、教授は独り言を漏らす。

 

「でもお店に行くと、絶対奇異の目で見られるからどうしよう。お子様扱いされたり、お姫様扱いされたり。どうやって対策するか考えておかなきゃ……」

 

 女性として扱われるだけならばまだ耐えられたが、女子として扱われることは不服であった。

 

 

 

「ユラリア、教授となにを話してたの?」

 

 ユラリアが席に戻ったタイミングで、リーシャに声をかけられた。リーシャの瞳には強い好奇心が宿っていた。

 

「……レポートの件と、少し他のこともですね」

 

 ユラリアはそう言って席に着く。リーシャの目は好奇心に輝いていた。

 

「え〜、他のことって!? 教授と秘密の話?」

 

 リーシャは体を乗り出してきた。その髪から漂う、柑橘系の香りがわずかにユラリアの鼻をくすぐる。

 

「食事に誘っただけですよ、そこまで変な話はしていません」

 

 ユラリアはそう答え、自分のノートを開いた。しかしリーシャはそれで納得する様子はない。

 

「え! 食事に誘ったの? どうして?」

 

「色々と聞きたいことがありましたから」

 

「まあ確かに沢山あるけれど……どれについて?」

 

 リーシャの質問攻めは、彼女の性格上仕方がないことだとユラリアは理解していた。

 リーシャは学院に来たからこそ出来た自分にとって数少ない友人であり、彼女の好奇心旺盛な性格も嫌いではない。

 だが、教授との会話をそのまま伝えるべきではないとも判断した。

 

「薬理学についてです」

 

「……薬理学のことなら授業で聞けばいいよね。それに、ユラリアが今日の内容でわからないことがあるとも、あんまり思えないし」

 

「リーシャも来ますか? 今日の食事。教授から、リーシャを誘いたいなら自由にしていいと言質も取っています」

 

「え?」

 

 予想外の誘いに、リーシャは一瞬言葉を失った。

 

「本当に? 私も行っていいの? ドレスコードとか、そういうの必要だったりしない? 『この薄汚い庶民が、敷居を跨がないでくれる?』みたいな」

 

 前時代的なリーシャの見方に、ユラリアは軽く笑みを浮かべる。

 現在の王国ではそういうことは起きない。もっと、わかりにくく、陰湿にしか。

 

「そんなことありませんよ。今日の最終講義の後、歴史棟正門前です」

 

「やったー!」

 

 リーシャは両手を挙げて喜んだ。

 そして次の瞬間、教授の声が講義室に響く。

 

 

「じゃあ私語は控えてね。後半の講義を始めるから」

 

 

 

 

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