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ユラリアは新しい友人であるリーシャと、本名不明の教授を連れて『古の小匙亭』と呼ばれる店舗に入る。
ユラリアに連れられて入店させられた教授は、周囲に視線を散らしていた。
絵画、絨毯模様、店員の様子。それは様々なものに。
だが、それは不躾なものには思えず、従業員をはじめとした人に不快感を与えない程度に収まっていた。
『古の小匙亭』は先々代王宮料理長が創立した飲食店であり、王族をはじめとした上級貴族達が密談の場所としてよく用いられてきた歴史を持つ。
店員も厳選され、採用時には異端な思想を持っていないか。他国の間者ではないかを精査される。
そんな店舗に入り、教授が軽い観察で済ませているということは──このような店舗に慣れているか。あるいは、自らの感情を覆い隠せるほど処世術を極めているかのどちらかである、とユラリアは結論付けた。
「ユラリア、ここすごいね! なんか……変な形の壺とかあるよ! 高そうだね」
リーシャが指摘した水壺は、ロードレス・ヴォルフガングと呼ばれる現代陶芸の巨匠が作成した芸術品である。
たった一つの壺を購入するのに、王都の庶民が居住する建物二軒以上の値段を必要とするのだから、芸術品というのは高価なものである。
ユラリアはそういうものの必要性を
何故ならばユラリアにとって、芸術品とは
芸術品を作成する立場と違って、購入し鑑賞する立場では他者に対して自分の富や教養を示すための道具でしかない。
『これだけの価値のものを理解し、所有する余裕がある』という暗黙の主張が込められている。
そして、ユラリアはそれ以上の意味を芸術品に求めない。良くも悪くも。
「リーシャ、あれはロードレス・ヴォルフガングの作品です。確かに高価だけれど、この店の格式を示すために必要ですよ」
ユラリアが説明すると、リーシャは目を丸くして再び壺を見つめた。
「へぇ、そうなんだ。でも、なんでそんな高いものを置いてるの? 誰か壊したりしないの? 子供とか」
この素朴な疑問に、教授は答える。
「この店を訪れる客は、そのような代物を壊せば相応の代償を支払わなきゃいけなくなることを十分理解している。それに」
教授は周囲を一瞥した後、少しだけ声を落として続けた。
「この店の真の価値は、物ではなく『情報』にある。あのようなものがあり、敷居を高く見せる。すると、自動的に入店する人を
ユラリアは教授の洞察力に感心した。初めて訪れたはずなのに、この店の本質を見抜いている。やはり彼の経歴には謎が多い。単なる研究者ではないことは明らかだった。
「もしそうならば、面白いかもしれませんね」
ユラリアが言うと、店の従業員が三人を奥の個室へと案内した。彼らが通されたのは「青玉の間」と呼ばれる、壁に宝石を散りばめた豪華な個室だった。
扉が閉まると、魔法が発動される。
第一級風空魔法『消音球体』。
これで完全な防音が保証される。そこでようやく、ユラリアは本題に入ることにした。
「では、教授。早速ですが……リードヴルム教授から
背丈は小さく、145cm程度。
幼げな顔立ち。小さい身長。生気の感じられない瞳。それでも感情の読みきれない顔貌。
それらを兼ね備えた女性──それが、この薬理学教授の外見からユラリアが読み取れる情報である。
そんな教授のことを、魔法史学の権威たる老教授は彼と呼んだ。
「詰問かな? お手柔らかにね」
教授は一瞬、リーシャを見た。
それから。纏う雰囲気が一瞬にして変わる。
僅かに残っていた柔和な雰囲気は消失し、合理と理性が更に前面へと押し出される。
似たような雰囲気を何処かで感じたことがある──自らの記憶を探し、ある老獪な大臣のことをユラリアは思い出す。
教授は椅子に深く腰を沈めると、指先を揃えてテーブルに置いた。無駄な動きを一切せず、ただ静かにユラリアを見つめる。その眼差しには、凄みと知性が混在していた。
「リードヴルム教授が私のことを『彼』と呼んだ理由……ね」
教授は少し間を置いて、計算されたように言葉を選んだ。その言葉は滑らかなものであったが、まるで用意された解答を読んでいるようでもある、とユラリアは感じた。
「私はかつて、王国北方の研究所で実験助手として働いていました。そこで事故に遭った。魔法薬の実験中に予期せぬ反応が起き、私の身体構造が変化したのです」
教授は自分の小さな手を見つめた。
演技がかった口調──普段とは異なり丁寧語を用いていたが、それが
「その時の担当教授がアーレイン教授でね。ああ、アーレイン教授はもう亡くなっている。加えて。一応言っておくとアーレイン教授は魔法史学教室前教授だよ。色々あって魔法陣干渉学から転向してね」
リードヴルム教授の名は学院に入るまで学問の全てに疎かったリーシャですら、知っているほどの人物だった。
人類文明を人類文明のままに扱う、という彼独自の手法は誰にとっても真似出来るものではなく……同時に、魔法史学という水面に、大きな石が投げ入れられたようなものだった。
「アーレイン前教授は私の変化を目の当たりにした数少ない人物の一人。そしてその実験によって私の体は若返り、容姿も変化した。それでも何故か記憶と知識は保たれた」
リーシャは目を丸くして聞いている。一方、ユラリアは冷静に観察を続けていた。
「その縁で、リードヴルム先生は私の過去を知る数少ない人物になっている。時折昔の習慣で『彼』と呼ぶことがあるけれど……まあ、ある意味では単純な言い間違いだね。そんな深い意味はないかな」
「興味深い話です」
ユラリアは言った。
アーレイン前教授が魔法薬の研究をしていたことも、若返りの研究をしていた時期が存在していたことも。
当然、総合学院魔法史学教室前教授であったことも事実であると、ユラリアは知っていた。
ただ、その話が今出てくるとは思わなかっただけで。
「しかし、魔法薬による変化というのは聞いたことがない現象ですね」
「当然です。アーレイン教授は私やリードヴルム教授と違い、敬虔な王国法遵守者。仮にこの事故に再現性が発生したとしたら──先週、君が言ったように『男女の非平等性』が瓦解することになる」
ユラリアには、もう一つ知っている情報があった。
それはアーレイン前教授の死因である。
幅広い分野を縦断的に研究していた彼は、突然自殺した。一部界隈では、それが『真理を知ってしまったから』や『研究が神の怒りに触れたから』などと噂されていたことをユラリアは知っていた。
それらをふまえた上で、教授の説明は論理的で矛盾がなかった。
むしろ、合点が行ったようにすらユラリアには思えた。どうしようもない違和感を心に残しながら。
「でも、先生」
リーシャは何かに気づいたように眉を寄せ、口を開く。
「さっき『青玉の間』に入る前、廊下の絵画を見たとき、なんか変な反応してましたよね。あれって……」
「あぁ」
教授は滑らかに答えた。
「高級店には慣れなくてね。随分と綺麗な絵だったから、つい視線を奪われてしまった。それだけだよ」
「でも、あの絵って……とても
『神権戴冠』はリースファイド・シーリーンと呼ばれる昔の天才的画家が描いたとされる、王国統治の正統性を示した有名な絵画である。
部屋の空気が凍りついた。
教授は一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに取り繕った。
ユラリアは読みかねていた。
果たしてこれ以上、深入りすべきか。
今の反応から、明確に何かがあるのは確定した。
だがそれは、王族である自分にすら一切伝わってこない話であることもわかっていた。
そのようなことに、これ以上足を踏み入れていいのかと。
そして、決心した。
ユラリアは静かに茶を啜り、ひとつ呼吸をする。
「教授、あなたが嘘をついているとは思いません。ただ、真実を隠しているのは明らかです」
「何を根拠に?」
「リーシャの質問に対する反応が不自然です」
教授は静かに息を吐いた。
「私の過去は複雑で……政治的にも微妙な部分がある。全てを話せば、君達も危険に巻き込まれかねない」
「私たちを守るために嘘をついているのですか?」
ユラリアは直球で問うた。
「ある意味では」
教授は目を細めた。
そこにどのような思いが乗っているかを判断するには、ユラリアは未熟であった。
「しかし私自身を守るためでもある。この世界には、知らないほうが平和に終わることもある。これは、そういうことだからね」
ユラリアは、踏み込まないことを選んだ。
これ以上踏み込むには、教授のことをあまりにも知らない。それに、この内容に踏み込むことで得てしまう危険のほうが多い、と判断した──が。
「
ユラリアは教授の言葉選びを見逃さなかった。
リーシャが身を乗り出した。
この世界、という言い回しは何らおかしなものではない。
だが、リーシャはそこに違和感を抱いた。
「先生、ずっと気になってたんですけど、時々使う言葉の
教授は両手を広げ、降参するように言った。
「鋭いね、流石としかいえない。私が隠していることがあるのは認めよう。しかも、結構大きなことをね。けれど、それを明かすことはできない。リードヴルム教授が私のことを『彼』と呼ぶのは、彼が私の真の姿を知る数少ない人物だからだ。それ以上は──そうだね。君達が、『薬理学』を充分修めたら少しだけ開示しよう」
ユラリアは教授の言葉を吟味した。
「わかりました。教授の秘密を無理に探ろうとはしません。ただ、一つだけ」
「ふむ」
「教授が『彼』と呼ばれる理由が、単なる性別の問題ではないことだけは理解しました。そして、教授が我々に危害を加えるつもりがないことも」
教授はゆっくりと頷いた。
「まあね。私の目的は──前回言った通り。『TS薬を開発したいだけ』だからね」
「でもでも教授! それなら、どうして私たちにこんなことを仄めかしてくれるんですか!?」
教授は、軽く息を吐く。
「それはまた、気が向いた時に。ほら、料理がそろそろ来るよ。滅多にない高級店での食事なんだから、ちゃんと味わったほうがいいからね」
「たっ……確かにそうですね! ユラリア、ありがとね!」
どういたしまして、と言いながらもユラリアは教授を観察していたものの……この教授にはまだ謎が多いらしい、と早々に結論付けて、目の前に並ぶ料理に注意を移した。
確かに『古の小匙亭』は王族や上級貴族によく用いられる飲食店ではあるが、王族とはいえ子供である自分に与えられたお小遣いでは何度も来れる場所ではなかった。
「あ、これ美味しいですね」
「なんか複雑な味だね」