ウマ娘とそのトレーナーが学校にきて、レースの魅力を授業形式で語るのだ。
そんな中、やって来たいままでのウマ娘に不満を抱く小学六年生のウマ娘がいた。どうせならGⅠ級のウマ娘を連れてこい、という思いを抱いていたのだ。
夏休みの出校日に行われた出前授業。期待せずに体育館に入ると、前線で活躍するあのウマ娘がいた――。
※某掲示板に投げたやつです。
春のGⅠ戦線が終わると、やってくるのは夏。日本の夏しか体感したことないけれど、絶対にこの国の夏が一番辛いと思わせられるこの季節。GⅠなんて開催したら、観客はもちろん、人間より随分頑丈なターフ上のウマ娘もきっと日の光にやられてしまう。
ウマ娘として生まれた私が言うのだから、きっと間違っていないはずだ。
小学生として最後の夏休みに入ってから、8月初頭の出校日。この日が期限の宿題は無事に提出し終えた。やってこなくて叱られている男子を横目に本を読んでいると、ウマ娘の同級生が話しかけてきた。
「ねえ」
「何?」
「今日ってどんな人が来るのかな?」
「どんな人?」
「忘れちゃったの? 今日は出前授業の日じゃん」
「ああ、そういえば」
この私立小学校の夏休みの恒例行事になっているものがある。URA主催の出前授業だ。
なんでも理事長がレースの熱狂的なファンらしく、URAにお願いして年に2回、出前授業を開催してもらっているのだそうだ。今年度の一回目は、例によって夏休みの出校日に行われる運びとなったようだ。
理事長のレースに対する思いは正直どうでもいいけれど、輝かしい将来を望むウマ娘にとっては垂涎物の素晴らしい企画だろう。
「興味ないの?」
「そうでもないけど」
有り体な話、私はこの授業に納得していない。
内容自体は素晴らしいものだ。ウマ娘とレースの歴史を学び、活躍するウマ娘の紹介VTRを観て、講師としてやって来た中央トレセンのウマ娘によるデモンストレーションを観察する。とくにデモンストレーションは、現役でターフを走るウマ娘の姿を、競バ場で観るよりも近い位置で観られる。人間には真似できない走り――その脚と体の動き、息遣い、闘志、それを肌で感じられるのだ。人間はもちろん、ウマ娘も目を輝かせるメイン行事なのである。
これだ。私はこれに納得していない。
「今年はどんな人が来るのかな? 去年は重賞勝った人たちだったよね?」
過去5年、計10回の内、講師として来たウマ娘にGⅠを勝った人は来たことがない。よくてGⅢだ。
レースの魅力を伝えたいのであれば、それじゃ足らないのではないか。GⅠを勝ったウマ娘ぐらい連れてきたいいのに。私はいつしかそう思うようになっていたのだ。
「別に誰でもいいよ」
「そんなこと言わないでよ。あっもしかして、GⅠ勝ったウマ娘ぐらい連れてこいって思ってるでしょ」
図星である。顔を背けた。
「どんなレースも、勝つのはたった一人だけだからね。来るウマ娘さんは少なくともそんなレースに勝った人だし、誰が来ても喜ばないと」
「分かってるよ」
もしかしたら心のどこかで、そんなパッとしない彼女たちを舐めているのかもしれない。そんな自分に嫌気が差す。
自分がよく分からない。レースは好きなのか。トレセンに入りたいのか。GⅠを勝ちたいのか。ウマ娘としての誇りはあるのか。
今日の出前授業は、誰が来るのだろう。
このあと私は、自分の幼稚さを思い知ることになる。
あの人の後ろ姿を見たら、誰であってもそうなる。そうなるに決まっているだろう。
学活を終え、ついに出前授業が始まる。
校舎のどこを行っても冷房が効いているのは、私立の特権だろう。体育館も例外ではない。
列に並んで歩き、体育館に入る。下級生はすでに座って待機していた。
スクリーンに薄っすらスライドが映っているのが分かる。URAの文字も、ギリギリ確認できた。
さて、今回はどんなウマ娘がやって来たのだろう――、
「ねえ、あの勝負服の人って」
勝負服? 私は私の耳を疑った。
勝負服というと、GⅠレースに出場するウマ娘だけが着られる特注の衣装。その人だけの、世界に一つだけの勝負服には、着る者の特別な想いがいっぱい詰め込まれている。そんな服を着てGⅠレースに出走し、勝利する。全ての競争ウマ娘の目標だ。
とどのつまり、GⅠを優勝したウマ娘が来ているということだ。
「――ッ」
驚愕。それに尽きる。喉から声が出なかった。
前にならって歩きつつ、目を凝らした。ウマ娘であっても、視力は人間と同程度だ。
あの白いブラウスと、目を引く青色のスカート、ショルダーバッグ、大きな流星の中からぴょこんと立つ印象的な毛……。
「あれって……メイショウドトウ?」
私の胸中は、左を歩く男子が代弁してくれた。
講師はメイショウドトウのトレーナーと、メイショウドトウ本人。
年に2回行われるだけあって、授業の内容は毎回変わる。今回は前口上も早々に、ドトウさんに焦点を当てる形で進行していった。
日常のルーティン、アスリートとしての食事内容、ドトウさん用に最適化されたトレーニング、レースへの心構え――超一級の内容を、しかしトレーナーさんとドトウさんは惜しげもなく紹介していた。「全てはレースのために」……そんな思いがひしひしと伝わる内容だった。
そして、いよいよデモンストレーションが始まる。
うちの学校には芝コースとダートコースが用意されている。どちらも一周1000メートル。先生と非常勤トレーナーの指導の下、部活動のみに使われるウマ娘専用コースだ。
競争ウマ娘を目指すウマ娘は、一年生から『競バ部』に入部するのが通例だ。私もその一人で、入部試験を上位の成績でクリアし、部員となった。いまでも部内では速い部類だ。
ドトウさんは芝のレースに出るウマ娘なので、当然うちの学校で走るのも芝コースだ。
「レースとは違う種類の目線……何だか緊張しますぅ……」
独り言をつぶやいて所定の位置についたドトウさん。ウマ娘にはその言葉が聞こえただろう。
ドトウさんを囲む、300人にも満たない全校生徒。名門私立ゆえの少なさ。全員静かにしつつも、ドトウさんの走る姿を今か今かと待ち望んでいる。
発バ機、一枠一番に入ったドトウさん。何かいまだにブツブツつぶやいている。大丈夫だろうか。
彼女が、かの世紀末覇王を破った御人であることに変わりはないだろう。だが発バ機の中の彼女の姿は、些か弱気な雰囲気を放っている。こっちまで不安になってくる。
「ドトウ、観客が変わった、それだけだ」
すると、ドトウさんのトレーナーさんが声を出す。発破をかけているのだ。
「トレーナーさぁん……」
「『オペラオーにも勝ったウマ娘』だって知らしめてやれ」
「……」
「ドトウなら、できるよな?」
言葉に触発されたドトウさんの瞳に、炎が、闘志が宿るのが見てとれた。両の頰をパシンと叩いたドトウさんに、弱気な雰囲気は一切感じられない。
そうか。これがトレーナーなのか。
トレーニングや食事、生活の面倒を見るだけではない。ウマ娘を心から理解し、メンタルをケアし、万全を期してレースに臨めるようにする。
他人を完全に理解するのは難しい。友人で会っても、家族であってもだ。それはまさに。裸足でエベレストに挑むようなものなのだから。
あの二人は、心から通じ合っているのだろう。多分、きっと。
ガシャンッ、とゲートが開く。ドトウさんが飛び出した。
「――」
芝を踏み締める音が聞こえただろう。地面を蹴り上げる音が聞こえただろう。彼女に驚愕し、応援する声が聞こえただろう。
自分のウマの耳は、しかしその音に気が付かなかった。
怒涛。怒涛! 怒涛!! 一心不乱に走るその姿に、ただただ圧倒された。左回りにターフを駆け、あっという間に向正面。時間にして30秒も経っていない。
応援するのも忘れて、ただただドトウさんを見ていた。目を離さずにはいられなかったのだ。
そして、
「ゴールッ!!」
隣にいる男子が叫んだ。
ドトウさんの表情に、陰りは一切見られない。とても清々しい、綺麗な顔だった。
デモンストレーションもとい出前授業の最後に行われるのは、ドトウさんとの競争だ。
芝コースで、直線の単純な50メートル走。
あらかじめ選抜された人間の児童と、普通のウマ娘と、競バ部所属ウマ娘の順で競争する。今日ばかりは、ウマ娘以外の子たちもターフを走れるのだ。
いよいよ第一レース、ドトウさんvs人間の児童。見た限り、陸上部所属の子らで構成されているようだ。
ドトウさんはハンデを負っての競争。自分たちのスタートラインよりも2~30メートル後方にいる。
先生が赤旗を振り下ろす。スタートの合図だ。一斉に走り始めた陸上部の子たち。私はウマ娘だから、ウマ娘の視点にはなってしまうが、陸上部だけあって確かに速い。
速い、が……それは人間の中の話。ウマ娘の、それもGⅠで活躍するトップクラスの競争ウマ娘に勝てるわけがない。
「は、速い」
すぐに追い抜き、ゴールイン。ほどなくして陸上部の子たちもゴールした。
第二レース、ドトウさんvs普通のウマ娘。こちらも、競バ部に所属していないが、とくに速い子たちが揃っている。入部試験のときに、篩にかけられた子もだ。
こちらもスタートしてから、ドトウさんはとくに難しい顔をせずに追い抜いてみせた。流石、前線で活躍するウマ娘だ。レベルが違う。
そして、最終レース。ドトウさんvs競バ部所属ウマ娘。
「よろしくお願いしますぅ」
特徴的な口調で挨拶するドトウさんに、自分たちも挨拶を返す。
後方のスタートラインに戻るドトウさんを横目に、自分も通常のスタートラインに並ぶ。
「うわー緊張してきたぁー!」
右隣の部員が両腕を伸ばしながら言う。この子は長距離を得意とするタイプ。いわゆるステイヤーだ。対して私は比較的短距離が得意なスプリンター。ドトウさんは中距離が得意なタイプ。勝てるとは微塵も思っていないけれど、ドトウさんに少しでもいい走りを見せたい。
ストレッチを入念にしておいた。怪我をしたら元も子もない。安全が一番だ。
並び終えたウマ娘たち。ピリッとした空気が漂う。デモンストレーションであっても、レースはレース。いつでもどこでも、真剣、本気で臨む以外あり得ないのだ。
赤い旗が振り下ろされる。レースが始まった。
スタートは上手くいった。先頭にいる。直線でやれることは少ないから、このまま力で押していくのみ。
まだ、まだドトウさんは来ない。いつ来るか。いまか、あとか。いや、いまか。
……何だか、柄にもなく興奮している。こんな気持ち、いつ頃だろうか。
自分がよく分からない。レースは好きなのか。トレセンに入りたいのか。GⅠを勝ちたいのか。ウマ娘としての誇りはあるのか。
――ああ、いや、いま分かった。たった一つの、シンプルな答え。
勝ちたい。
勝ちたい!
全てに勝ちたい!!
結局私は、どこまでいってもウマ娘なのだろう。
走っている内に、メイショウドトウにも勝ちたくなってしまった!
まだ、まだ来ない。視界の外にいる。これなら、このペースなら、もしかしたら――、
「――負けません」
その声に反応して、振り返ってしまった。
ドトウさんが、すぐ後ろにいた。
ギラギラした目つき、瞳の内に宿す熱い炎。勝利を渇望する、紛れもないウマ娘の本能。弱気なウマ娘? ふざけるな、ふざけんな! こんなのがいてたまるか! 話と違う!
脚の回転がまるで違う。怖気づいた私を尻目に、横を瞬く間に飛んでいってしまった。私は、ドトウさんの背中を眺めることしかできなかった。
レベルが違うんじゃない。次元が違うんだ。
私は初めて、完膚なきまでの敗北を知った。
レース後、私はドトウさんに質問した。一勝の価値について。
ドトウさんはかがんで目線を同じ位置に持ってきて、こう言った。
「毎年何百、何千ものウマ娘さんが、GⅠという頂きを目指し、敗れます。例えば、日本ダービー……世代の頂点を決める一戦に参加するためには、厳しく険しい条件があります。デビュー戦から活躍してダービーに出場するウマ娘さんの下には、ほかのウマ娘さんの数え切れない敗北があります」
「ダービーだけではありません。デビュー線の勝利、オープン戦の勝利、重賞の勝利――それら一つ一つは、誰かが喉から手が出るほど欲した勝利なんです」
「私にはオペラオーさんがいますから、ほかの方とはレースに出る意義が多少異なるとは思いますけれど……でも私は私より下の着順だった人たちのことを忘れたことはありません」
「どうか、これから摑む勝利と……これから経験する敗北の一つ一つを大切に、糧にしてください」
ドトウさんの言葉に、一切の揺らぎを見られない。本心からくる言葉だ。
最後に一つ、私は決意を口にした。
「中央トレセンに、絶対に行きます」
ドトウさんは、笑みを浮かべて口を開く。
「忘れずに、待っています」
メイショウドトウを知ってストーリー呼んで思いつきました。違和感あったら適宜直します。