Fate/kaleid swords   作:けふすけ

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4.Second Owner

 クラス委員長の号令が響く。それが今日のホームルームの終了の合図なのだから、各々が喜びの声を上げたり、ぐったりと机につっぷしたりしている。

 夏も本番に差し掛かっている今日この頃、日差しのピークは過ぎたものの未だに外は暑い。それでも部活に勤しむ生徒は大きな荷物を抱えて、それぞれが運動場に向かっていく。

 こうも他人事のように観察している俺だが、昨年までは同様に授業が終われば弓道場に駆け足で行っていた。美綴や慎二のようなライバルもいれば自然と練習に力が入るし、それに加えて大会前となれば向かう足は少し早くなる。現にインターハイを間近にした陸上部員たちは午後の授業中浮足立っていた。

 部活動を辞めてみて初めて分かるのだが、学生の間はやはりこういった何かに打ち込むと言うことはとても大切なことだと思う。もちろん俺自身何もやっていない訳ではないのだが、学友と一緒に目標を立てて達成しようと言うことはしていない。なので頑張っている人たちを見ているとどうしても応援したくなるし、なんとなく俺の方もそわそわとしてしまう。

 こういう気持ちになると、久々に弓を握ってみたくもなってしまう。……もちろんそんなことはしないし、できないのだけれど。慎二たちのように、本当に頑張っている奴の邪魔はしてはいけないからな。

 そして何より、万が一の場合────俺自身も今晩に向けて備えなければいけない。

 

「ええ、せっかくのお誘いだけど断らせていただくわ。ごめんなさい」

 

 教室の端、少し困ったような声が聞こえる。

 ああ、そうだった。浮足立っているのは何も運動部だけじゃなかった。今朝方転入してきた元穂村原学園一のアイドルを意識している男子生徒と、意中の相手を奪われまいかと不安を抱いている女子たちも同じだったか。

 

「どうしてもダメ?遠坂さんが引っ越してから新都の方も少し変わったから、案内してあげたかったんだけど……」

 

「気持ちだけいただいとくわ。私もこっちに帰ってきたばかりで、まだ時差ボケで少し辛いの……」

 

「……そっか、それじゃあ仕方ないか」

 

 がっくりと肩を落とす男子生徒。それに対して心底申し訳なさそうな表情を浮かべる遠坂。

 さすがは冬木一の猫かぶり。眠いのは確かだろうが、その裏に隠されているのは夜遅くまで起きていたせい。早く帰りたい理由も寝たいと言うことに加えて、今晩に向けての準備といったところか。

 エーデルフェルトに至っては転向初日から午後の授業を体調不良を理由にサボり、おそらく今頃もう一人の魔法少女の修業に付き合っているのだろう。……となると、イリヤも今頃は────

 

 

「衛宮君……」

 

 ふと考え事をしていると隣から声をかけられた。

 

「あぁ、ごめん。少しぼっとしていた。どうした、森山?」

 

 こちらも困ったような表情を見せる森山。手を後ろに回し、落ち着かない様子を見せている。

 

「……衛宮君も遠坂さんのことを見ていたの?」

 

「……え?」

 

 ようやく口を開いた森山の質問は少し意外なもの。彼女はゆっくりと俺から目線を逸らすが、それでも真剣な表情をしていた。そんなものを見たら、俺も変に濁して答えるわけにもいかない。

 

「────まあ、そうだな」

 

「……だよね」

 

 少し落胆したかのような声。

 

「なんていうか……本当に遠坂は昔から、今も人気者なんだなって思って見ていた」

 

「そうだよね。初頭部の頃からだもんね、この人気は」

 

 苦笑いを浮かべる森山。

 十年前、俺は衛宮家の養子になってから穂村原学園に転入した。当時は切嗣と一緒に世界を回ることも多々あり、学園を休むこともあった。それでも、当時から遠坂は人気だったのは知っている。見た目はもちろん、その落ち着き方が同年代とは異なっていた────そう、大人っぽく見えたというのが正しいところなのだろう。もちろん、遠坂凛という少女の本質を知っていた俺からしたら今も昔も変わらず猫かぶりなのだが。

 それでも、少なからずこんな俺の心すら惹かせる魅力があるのは間違いない。

 

「……まあ俺はあいつのことを異性として好きになる余裕なんてなかったよ」

 

「そうなの?」

 

「ああ。家で料理をしたり、イリヤと遊んだり、部活をしたり────とにかく目の前のことでいっぱいだったんだ」

 

 ────魔術の修業だって命がけだった。だからこそ、魔術師である俺には恋をする余裕なんてなかった。強くなるため、生き残るため、助けてもらった命を無駄にしないために日々を必死に生き続けてきた。

 親父とアイリさんみたくお互いを愛し合える魔術師なんて世界中どれほどいるのだろうか。根源に至ることを目標としている魔術師にとって結婚────つまり子孫の繁栄はより優秀な才を持った後世を生み出すためのことである。俺はそれが正しいことだとは思っていないが、魔術師であることを覚悟した時から心のどこかではそれについて割り切ってしまっていた。

 それに加えて衛宮と遠坂には大きな確執がある。それは親父の代かららしく、遠坂は酷く親父のことを嫌っている。その理由はおそらく十年前にあるのだろうけど、詳しくは話してくれない。親父に聞いても『凛ちゃんが言わないなら、僕の口からは言えないな……』の一点張りである。

 魔術師として生きていく覚悟をした俺にはやはり遠坂に恋をすることはできなかった。もちろん異性として惹かれるだけの魅力はあり、それに魅了されていた時期はある。しかし衛宮士郎にそれは許されない。そう自分で決めていたから、彼女との間には線引きをしていた。

 

 

 

「────そっか。なんか安心したよ」

 

「……え?」

 

 うん、と頷く森山。首を傾げる俺に対し、彼女は笑顔を浮かべた。

 

「私もまだチャンスがあるってことだもん……」

 

 ぐっと両手を握り、力強く何度も頷く森山。その表情はまるで初めて切嗣に魔術師としての才能を認められた時の俺と似ていた。何が嬉しいのかはわからないが、それだけ彼女にとって笑顔になれることだということだったのだろう。

 そんな森山を見ていると、不覚にもやはりかわいいと思ってしまう。遠坂がロンドンに行ってから、穂村原の美女と言えば森山菜々美と言われていた。学園でもその人気は揺らぐことなく一番だったということを実感してしまう。

 

「────って!ごめんね、衛宮君!!べ、別に衛宮君が遠坂さんに対しての感情が、どうとかいうんじゃなくて……!それに対しては私が喜んでいた……のかもしれないけど、そうじゃないかもしれなくて!!」

 

「ちょっ……森山?」

 

 真っ赤な顔をふるふると左右に振る森山。普段の落ち着いた彼女からはあまり想像しにくい行動に、クラス中のみんなが驚いた表情で見ている。中には呆れた表情すら見せる人もいるが、その真意はわからない。

 

「お、落ち着けってさ、森山!」

 

 時々癇癪を起すイリヤを宥めるように俺は優しく森山に声をかける。

 するとはっと我に返った森山は教室内を見渡すと、更に顔を赤く染めた。

 

「ご、ごごごごごごごごめんなさい!!!」

 

 九十度を通り越し、地面にまで着きそうな勢いで頭を下げる森山。

 

「だ、大丈夫だって!ほら、うちのイリヤも同じようなことするし……」

 

 小学生と比べてどうする、俺。

 

「そ、そっか……イリヤちゃんも────ね」

 

 そう言いながら少し落ち着きを取り戻す森山。ごめん、イリヤ……。お前をダシにするつもりはなかったが、結果として森山を少しでも落ち着かせることができた。ありがとう。今度好きな物を作ってあげるから、許してくれ。

 

「そうそう。だから、変に気にしないでいいから」

 

「う、うん……そうする…………」

 

 あはは、と二人して乾いた笑い声をあげる。無論、お互いにどこかおかしいと感じてのことなのだが。

 結果として教室内では解決していないが、俺達の間で解決しているのならそれでいいのだろう。……たぶん。

 

 

 

 

 

 それからどこか落ち着かない教室で、俺は家の手伝いをするからと早々に帰り支度を始めた。森山は少し不満そうな表情を浮かべながらも、『また明日ね』と声をかけてくれた。しかし今晩は夕食の担当ではないため、実質の所では森山に嘘をついてしまったということになる。……やっぱり胸が痛い。

 遠坂はこんな気持ちであの男子生徒の誘いを断っていたのだろうか……

 

「まったく、衛宮君も大概嘘を着くの下手くそなんだから」

 

「───────うおわぁぁ!!??」

 

 校門を出てすぐ、急に声をかけられて飛び跳ねてしまう。周りの生徒は皆奇異な目で見ているが、目の前の赤い悪魔はきょとんと惚けた表情で俺を見ていた。

 

「あら、そんなに驚いたの?」

 

「当たり前だ!!急に声をかけられたら驚くだろ、普通!」

 

「そうね。でもそれって、特に何かやましいことを考えていた相手にされたら、特にそうなるわよね」

 

「……うぐっ」

 

「あら、やだ。あなた私に対していやらしいことを考えていたの?」

 

 冷たい視線を俺に向けるのは遠坂だけではなく、周囲の生徒。その大半が遠坂のことを知っているのだろう。学園のアイドルに話しかけられているだけではなく、それに対していやらしいことを考えていたという虚偽の発言に対しての視線だ。

 

「で、何の用だよ。時差ボケで辛かったんじゃなかったのよ?」

 

「へぇ……教室内での会話をちゃんと聞いていたんだ」

 

「ああ。昨日もそれで断れているしな、俺……」

 

「……ああ。そうだったわね」

 

 そうだった……って。俺は深々とため息を着く。

 なんだって、俺は昔こいつのことをいいと思っていたのだろうか。今も、昔も変わらずこんなにも悪魔じゃないか。

 恋は人を盲目にさせると言うが、あの時の気持ちがそれならば、そういうこと────なのだろうか。

 

「……で、お前の方から声をかけてくるなんて珍しいじゃないか。中等部の卒業式以来だっけ」

 

「あら、よく覚えているわね。あの時は私が冬木の地を離れるから、あなたたちにはあまり暴れすぎないようにって念を押しておくつもりだったんだけど」

 

「ああ、そうかよ……俺はともかく、慎二の奴はさすがにかわいそうだったぞ」

 

「そうかしら。間桐君には特に強くお願いしたつもりなんだけど」

 

 ああ、そうだ。こいつはこういう奴だ。その困ったような表情の裏にはさぞ黒い物があるに違いない。あの時もさながら恋する乙女が卒業式を機に告白をするシチュエーションだった。イリヤが持っていた少女向けの漫画をたまたま読んでいたせいか、普段期待などしないところに変に心をときめかしてしまった俺がバカだった。……本当に思い出したくない。慎二に至ってはあれから一年は女性恐怖症が抜けていなかった。

 

「……用がないなら先に行くぞ」

 

「ちょっと────!」

 

 歩き出す俺の肩を強く握る遠坂。俺はそのあまりにも急すぎる態度にむっと表情をしかめながら、彼女の方に振り返る。

 

「一年半ぶりに会うんだし、一緒に帰らない?」

 

 

 

 

 

 

 ……俺はどうしてここにいるのだろう。普段イリヤ達と暮らす普通の住宅は本当に普通だ。普通の二階建ての木造住宅で、浮世離れしたメイドさん二名と世間知らずのお嬢様であるアイリさん、そして母親譲りの美しい銀髪を持つイリヤを除けば、普通の日本の一軒家だ。それに比べれば衛宮の家は伝統的な日本の家屋で土地も広い。こちらはまあ普通ではないとも言える。

 しかし俺が今いる場所は更に浮世離れした場所だった。畳などなく、百円ショップで買えるようなオブジェなど当然あるわけもない。昔ヨーロッパで見た高価な壺やら何やらが置いてあり、天井からはきらきらと輝くシャンデリアが吊るされている。

 慎二の家も大概豪邸ではあったが、あいつの家は昼間なのにも関わらず暗くて、どこか嫌な空気が漂っている。もちろん魔術師の家なんてそんなものだから仕方がない。しかしここはそこに比べて明るく、ただ普通に豪邸という感じだった。

 

「お待たせ。紅茶で大丈夫だった?」

 

「……あ、ああ。ありがとう」

 

 部屋の中を観察していると、遠坂がトレーにティーカップと銀色のティーポットを乗せて部屋に入ってきた。長いテーブルにカップを二つ置く。そして独特な渋みのある香りを立てながら、遠坂はカップに少し紅茶を注いでいく。

 深めに腰掛けていた俺は、僅かに前に姿勢をずらすとゆっくりとカップを持つ。ゆっくりとカップを揺らしながら、その香りを嗅ぐ。

 

「別に毒なんて入ってないわよ」

 

 くすくすと笑う遠坂。俺としては普段セラがやっているのを真似していたつもりなのだが、それを笑われて急に顔が熱くなった。

 

「いただきます」

 

 それだけ言って少し焦ったようにカップのふちに口を着ける。

 

「────へぇ」

 

 美味しい。一口口に入れただけで、その香りと味の柔らかさに驚いた。

 もちろん茶葉がいいのもあるのだろう。しかし、それ以上に遠坂本人の腕のおかげだろう。遠坂家は完璧主義であるという認識だった。それは親父から聞いた話でもあったし、それ以上になんでもできてしまう遠坂を見ていたらそうなんだと思えた。それでも、我が家のスーパーメイドさんであるセラと同等の紅茶を淹れてしまうとは……

 

「どうかしら?」

 

「いや、正直驚いた。すごく美味しいぞ」

 

「そう。よかったわ」

 

 遠坂は浅く笑いながら、俺と同じようにティーカップに口を着けた。

 

 ……さて、紅茶でリラックスもしたことだし少し整理しよう。

 今晩に備え、衛宮の家に一度向かおうとした俺は遠坂につかまった。そして一緒に帰ろうと言われた時には珍しいと思う反面、俺の中の危険を知らせるシグナルは鳴っていた。無論、それは遠坂本人に対してもそうだし、周りの目に対しても、そして嘘を着いてしまった森山に対し。

 挙句遠坂の口車に乗せられ、家まで送る羽目になった俺は、結局家に招きこまれてしまった。やれ女の子を一人で帰すなだとか、森山さんに嘘をついたくせにだとか……。女のには優しく、という切嗣の教えはあるが、それを抜きにしても俺と遠坂の相性は最悪らしい。一緒にいたらきっと一生尻に敷かれるに違いない。

 かくして連れてこられた俺だが、未だに戸惑っている。本来魔術師とは家宝とも言えるその秘術を秘匿している。それが隠されている魔術師の工房には通常部外者は招かない。侵入は容易であっても脱出は不可能というものが鉄則である。無論、秘術を盗まれるかもしれないという危険を冒す必要はない。ましてや遠坂は衛宮を嫌っている。従って俺を紅茶を出して歓迎するなんてことはありえない。

 そうなると考えられることは一つだけ。……それを理解していてついてくるなんて、俺というやつはつくづく未熟者だ。

 ティーカップから口を離す。深い紅みを持った水面はゆらゆらと波紋を浮かべている。そこにはあか抜けない表情をした未熟者が映っており、その優しい香りとは正反対に不穏な心を映しているようだった。

 

 

「────ねえ、衛宮君」

 

 ……来た。

 

「ん?」

 

 俺は遠坂の顔は見ない。こんなにも情けない表情をしたやつが魔術師としては数段上であり、口先に関しては天と地の差どころではない相手と対峙できるものか。

 

「衛宮君ってイリヤスフィールって知っている?」

 

「────ッ!」

 

 紅茶に映る表情が強張る。

 未熟者め。なんのために遠坂の目を見ずにいたのか。自分の考えていることを読まれないためにそうしていたはずなのに、こうも単純に応えてしまってどうする。

 

「……俺に答える理由があるか?」

 

「いやね、そんなに構えないでよ。私としてはお茶請け程度の会話のつもりだったんだから」

 

「……なら、遠坂の手作りクッキーでも出した方がいいんじゃないか」

 

「そうね。今度はそうしてみようかしら」

 

「…………」

 

 ティーカップを置きながらくすくすと猫を被った様子で笑う遠坂。それとは対極的に俺には余裕などなかった。切嗣との約束を反故にする恐れがあったということと、遠坂に隠していることすべてを暴かれるかもしれないという不安があったからだ。

 ある晩から突然イリヤが魔力の残留痕を感じるようになった。その時から抱いた違和感は魔術礼装、そして昨日の夜に遠坂と一緒にいて、別次元で英霊と戦っているところを目撃してから確信に変わった。イリヤは魔術に関わっていると。それもセラやリズが知らないことから、切嗣とアイリさんは関わっていないのだろう。つまり、倫敦から帰ってきた魔術師により、不測の事態として巻き込まれてしまったということだ。

 目の前の魔術師は驚いているのだろう。偶然にも巻き込んだ少女が一般人とは思えない魔術回路を持っていたら。その大半と魔力はアイリさんによって封印されているのだから、その本質は未だに見えていないのだろうけど。そしてそれに加え、未だ口にしていないがイリヤが冠する姓を知っているからこそ警戒をしているのだろう。

 

 

「あら、もう帰るの?」

 

 俺が遠坂と同じようにティーカップを置くと遠坂は首を傾げた。

 

「ああ。遠坂は俺に嘘吐きとか言ったけどさ、帰ってやらなきゃいけないことはあるんだ」

 

「……そう」

 

 遠坂は考えた様子を見せる。しかしそれだけで、別段俺を引きとめたりはしない。

 俺はバックを掴むと、立ち上がりゆっくりと遠坂の横を抜けていく。

 

「……またな、遠坂」

 

「……ええ。またね、衛宮君」

 

 交わした言葉それだけ。

 俺には遠坂の考えていることは何もわからない。しかし遠坂はどうだろうか。あれだけのやりとりである程度理解をしてしまったのだから、これ以上何も言ってこないのだろう。

 ……完敗だな。

 

「────ああ、そうだ」

 

 俺は忘れ物を一つ思い出す。ぴたっと止まり、あれ程みることのできなかった遠坂の顔を見る。

 

「紅茶、本当に美味しかったよ。ご馳走様」

 

 

 

 

 

Interlude5

 

 

 理解ができなかった。

 昔からそうだ。頭の回転が速く、誰よりも努力家で、プライドが高く、常に魔術師として合理的に生きてきた遠坂凛にとって、衛宮士郎という男の在り方は理解できなかった。

 警戒はしているつもりであっても平気で御三家と呼ばれる遠坂の工房に訪れたり、もっと質の悪い間桐のそこにも行ってしまう。仮に戦闘となればよっぽどの実力者でなければ、敵のホームグランドで勝ち目などない。真っ当な神経をしていれば、そんな危険を冒すはずがない。ましてや遠坂凛が自身の父親を嫌っていることを理解しているはずなのにだ。

 今日もそうだ。いくら毒が入っていないと言われても、それを鵜呑みにして出されたものをきっちり残さずに飲み干すなど考えられない。本来なら自白剤なり、睡眠薬、更にいうなら魔術回路に不具合を与える薬だって簡単に混ぜることだって可能だった。それをしなかったのにはそれなりの理由があるのだが、それでも凛のことを信じ切った士郎に対して納得ができなかった。

 それだけじゃない。学校では普通に友人として接してきた。昼食も誘ってきて、弁当を分けてくれた。馬の合わない一成との間も仲介してくれた。それにも関わらず、何の見返りも求めない。等価交換が基本である魔術師としてありえないことだ。遡れば倫敦に渡る前から凛にとって士郎は同じ魔術師として理解できない行動ばかりをしてきた。

 様々なことがあったが、極めつけは中等部の頃のことである。忘れることなどできない。あの真っ赤な夕日が焼くグランドでの出来事を。

 彼は跳んでいた。跳べるはずもない高さの高飛びを、ひとすらに、何度も、一心に、跳べるはずがないのに。ただまっすぐにそれを見据えて、誰もが無理だと言っても、諦めずに跳んだ。そんなことをしても無駄だと言い放たれても、跳んだ。無様にぼろぼろになっても跳び続けた。グランドから遠く離れた校舎からその様子を見ていた凛にも聞こえるくらい騒がしかったグランドは、静かになっても士郎は続けていた。

 凛にとってはそれまでに面識もあり、どういった人間かも知っていた相手であったはずなのに、その光景は酷く胸に突き刺さった。そしてそこで痛感したのだ。衛宮士郎という人間は自分とは正反対の人間であるということを。

 最終的にやはり跳ぶことはできなかったが、凛は思ってしまったのだ。理解はできなくても、その在り方は今までの自分を全て否定するものであっても、ただひたすらに挑戦を続ける背中を綺麗だと思ってしまった。

 それは今まで衛宮士郎という人間に対して苦手意識を持っていた理由の回答でもあったのだろう。ただ、それからは違う意味で意識をし始めてしまっていた。しかしそれは遠坂凛という在り方を変えてしまうものであった。だから、彼女は無意識のうちに倫敦への留学を足早に進めてしまったのだろう。

 それから一年半、遠坂凛がそうであったように、変わらずに衛宮士郎はいた。それを実感したのは最後の一言だ。

 

『紅茶、本当に美味しかったよ。ご馳走様』

 

「何よ、あれ!そのままお邪魔しましたで帰ればよかったじゃない!!」

 

 がぁ!!と叫ぶ凛。

 何気ない一言であったのは間違いないし、もてなしに対して正当な対応なのは理解できる。しかし、結果としてはそうではなかったのだが、毒が入っていてもおかしくなかったそれに対して、まさかお礼を言われるとは思っていなかった。

 凛の質問に対し、魔術師らしく対応をした士郎に対して少なからず感心をしていた凛にとってその一言はなかった。ましてや、その言葉を口にしたときの表情は笑顔だったのだ。少しふてくされたような表情だったが、笑顔だったのだ。

 凛にはそれが酷く納得できなかった。それまではイリヤスフィールと士郎の関係がある程度予想がついたことで満足をしていた。それも士郎の一言で台無し。

 どんな時でも余裕を持って優雅たれが家訓である遠坂家であるが、それも今は見る影もない。唸り続けるその姿は普段学園で見ることなど絶対に叶わないだろう。そして遠坂ファンからすれば、幻滅で済めばいいだろと思わせる光景だ。

 未だ怒りが収まらぬまま、凛は乱暴にティーカップを掴む。そしてすっかり冷めてしまった中身を一気に飲み干す。

 

「────ぷはぁっ!」

 

 風呂上がりの牛乳ではないのだから、そうツッコミをされるような勢いのまま、ティーカップを置く。

 

「何よ、あいつ!本当にむかつく!!」

 

 わなわなと手を震わせながら叫ぶ凛。物に当たりたい気持ちもあるのだが、そう壊してばかりもいられない。買い換えればいい、魔術で直せばいい、そう安直な考えは財布を枯渇される。こと、宝石魔術のスペシャリストである遠坂凛はそれをよく理解していた。

 いかいrをぶつける先がみつからないまま、乱暴にソファーに顔を埋める。

 

 むかつく、むかつく、むかつく、むかつく────!!

 

 バタバタと足をバタつかせる。それも疲れ、次第に力尽きたように全体重をソファーに預ける。

 

 

「……ばか」

 

 その言葉は誰に向けてか。士郎に対しての物か、それとも────

 

 

「────落ち着いたかしら?凛」

 

「────ッ!!」

 

 跳ね上がる凛の体。その表情はハトが豆鉄砲を食らったなんてものじゃない。それこそ大砲でも持ってきた方がまだ正しいのかもしれない。

 一年半、人が新しい生活に慣れるのには半年もかからないという。一年も経てば習慣さえすっかり変わってしまうのだろう。

 倫敦に渡ったとき、最初に凛が会ったのはルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトだ。当初、新しい環境に緊張をしながらも、時計塔でのコネを得るためにも人間関係の構築は必須だった。だからこそ、ルヴィアと仲良くなることも必要だった。しかし、出会って一日もしないうちに今のような関係ができてしまった。それはもう、気が合わなかったとかそういう問題じゃない。思い返せば第一印象こそは悪くなかった。悪くなかったのだが────水と油が混ざらないように、天と地が合わさらないように、そう神が決めたものであるのだから仕方がない。

 そんなルヴィアと揉めることは日常茶飯事で、冬木に派遣された理由が主席候補だとか、出身地だとか言われてはいるものの、それが要因のところもある。生憎苛立ちをぶつける相手もいない土地で、凛は一人暮らしをしている部屋に戻ると今と同じように枕に顔を埋めていた。怒ったとき、落ち込んだとき、悔しいとき、押し殺しきれない様々な感情をこうしてぶつけていた。

 今もこうして同じようにしていたのだが、それが許されるのは一人暮らしである時。ここは日本国冬木市遠坂邸。幼少期から凛が過ごし、共に暮らしてきた家族のいる家だ。

 

「お、お母様!?そ、その!!お見苦しいところを見せました!!」

 

 かぁと顔を真っ赤にしながら、土下座をする勢いで頭を下げる凛。

 少し皺が目立つが、美しい黒髪を揺らしながら柔らかい笑みを浮かべる凛の母親、遠坂葵。

 

「いいのよ。凛も年頃なんだし、魔術師とかそういうことを抜きにして恋をする年ですもんね」

 

「えっ!?衛宮士郎は別にそういう人間じゃ────!!」

 

「ええ、知ってるわ」

 

「────!!」

 

 更に顔を赤くする凛。コロコロと笑う自分の母親に言い難い感情を抱きながらも、この雰囲気には勝てないものだと再認識をする。

 

「ふふ……。もし凛に彼氏なんてできたら、時臣さん年甲斐もなくキレちゃいそうね」

 

「そうでしょうか……?」

 

「ええ。そうですよね、時臣さん?」

 

 葵は戸惑う凛を横目にかつん、かつんと杖を突く音のする廊下に振り返りながら笑った。

 

 

 

Interlude out

 

 

 

 

 

「それでね、ミユさんがね────」

 

 夕食の場、俺の隣で心底楽しそうに友達のことを語るイリヤ。それに耳を傾けながら、俺は笑みを浮かべながら相槌を打つ。

 俺は昨日は衛宮邸で藤ねえ達と夕食を食べ、今朝もいち早く朝食を済ませてしまっていた。ここ最近、特に昨日は転校生も来たということで俺に話したいことがたくさんあったのだろう。セラに軽く注意をされながらも止まらずに話し続けるイリヤ。

 俺としては昨日藤ねえから転校生とはうまくいっていないと聞いていたから、楽しそうに語るイリヤを見て心底安心をしている。俺の方でもいろいろあったから、イリヤの笑顔を見ていると癒される。……よく勘違いされるが、ロリコンとかそういう意味ではなく、だ。

 とにかくイリヤの話を総じると、転校生の名前は美遊・エーデルフェルト。うちのクラスに転校してきたルヴィアさんと同じ姓を持っている。ただ、美遊という名前からして日本人であるだろうから、ルヴィアさんと直接的な血の繋がりはないのだろう。それでも、突然建った目の前の豪邸に住む二人は昨夜の一件に関係しているのだろう。さしずめ遠坂とイリヤと同じような関係に違いない。

 

 

「まあさすがにいきなりアニメ見せられたら驚くわな」

 

 むしゃむしゃと夕飯を食べながら、俺の代わりにイリヤに答えるリズ。

 

「そ、そうかもしれないけど……」

 

 ちらりと困った表情で俺の方を見てくるイリヤ。これは助けを求めてる目だな。俺は浅く笑うと、

 

「まあ趣味は人それぞれだからな」と安直な答えを述べた。

 

「そう、それ!趣味は人それぞれ!!だから、仕方ない!!」

 

 そう、仕方がない────とぶつぶつ呟くイリヤ。何が仕方がないんだと思うのはイリヤを除く一家全員。ごめん、イリヤ。俺がもっとうまくフォローをするべきだった。

 

「お友達と仲がいいことはいいです。けど、最近遊び過ぎじゃありませんか、イリヤさん」

 

「────うっ!?」

 

 セラの言葉にぐさりと釘を刺されたかのように動きが鈍るイリヤ。

 

「ほ、ほら!子供は遊ぶのが仕事って言うじゃない!」

 

「ええ。ですが、勉学は学生の本分です。学校での勉強はもちろんですが、宿題もしっかりやってくださいね」

 

「しゅ、宿題は夕飯食べて────お風呂に入ってから────」

 

 くるくると箸の先を回しながら、視線を宙に泳がせるイリヤ。そして最終帰着が再び俺。俺は笑顔を浮かべる。

 

「宿題は今晩中に終わらせちゃえよ」

 

「えぇ!!お兄ちゃんもセラの味方!?」

 

「当然です。今日も遅くまで遊んでいたんですから」

 

 ふんと腕を組むセラ。その隣でリズは鬼畜鬼畜と絶えず訴えている。俺じゃなくリズに助け船を求めれば、或いは助かったかもしれない。しかし、セラとリズが殴り合いをしているように治まりは効かなかったかもしれないが。

 それでも、夜な夜な外出していることを知りながらもそれを出さなかったセラは優しと思う。それを想ってこその判断なのだが、知らぬイリヤから不満も出る。

 俺は落胆するイリヤの耳元に口を運ぶ。

 

「すまん、イリヤ。けど、宿題でわからないところがあったらいつでも教えてあげるから許してくれ」

 

「お、お兄ちゃん……!」

 

 瞬間、ぱぁと晴れるイリヤの表情。まさに曇天が割れ、日の光を仰ぐようなその変貌についつい笑みを浮かべてしまう。

 

 

 

 

 コンコン。

 勉強机に向かっていると、部屋にノックの音が転がってくる。

 

「……お兄ちゃん、入ってもいい?」

 

 今度は消え入りそうな声が聞こえてくる。俺の方から提案したのにも関わらずなんで申し訳なさそうにするのだろうか。

 

「どうぞ」

 

 俺は苦笑いを浮かながら答える。

 

「お、お邪魔しまーす……」

 

 おっかなびっくりといった様子のイリヤ。お風呂上りらしく、かわいらしいピンクのフリルが着いたパジャマを着てほのかに頬を赤く染めながら顔を覗かせる。

 

「宿題、わからなかったのか?」

 

「う、うん……ちょっと算数が」

 

「どれ、見せてみて────」

 

 

 それから数十分、イリヤがわからないという算数の問題を一緒に解いてあげた。俺も別段勉強が得意というわけではないが、さすがに小学生レベルの物はわかる。それに、セラほどではないが時々イリヤにこうして勉強を教えることがあったから、教えるということに関しても慣れていないわけではない。

 最初は理解ができないとしかめっ面をしているイリヤだったが、次第に楽しそうな表情になっていくのだから、教えが得もある。

 

「やっぱりお兄ちゃんが一番勉強教えるの上手だね!」

 

 るんるんと楽しそうなイリヤ。パタパタと俺の部屋にある椅子で足を振りながら笑顔を浮かべる。

 

「ありがとう。でも、セラの方が上手だろう?」

 

 対して俺はというと、ベットの端に座りながら苦笑いを浮かべる。悔しいが、現状俺は家事全般を含めて勉強もセラに勝てない。せめて料理だけでも、と思っても和食以外は完敗である。さすがはアインツベルンが誇るスーパーメイドさんだ。

 

「うーん、セラは確かに凄いんだけど、わかりやすいかと言えばそうじゃないかも……」

 

「あー……そういえば、俺も昔同じように思っていたっけ」

 

 確かにイリヤの言うとおりセラは頭がいい。しかし、小学生であるうちはより深い理論よりも単純な考え方が大切だ。本質を理解する以上に、概形を理解することが重要。足し算や引き算を物に例えて教えるのもそれと同じことだ。

 

「藤村先生はわかりやすいんだけど、授業が授業じゃないというか────」

 

「ああ、それもわかる。なんか、別のベクトルに走っちゃうんだよな、藤ねえ」

 

 お互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。

 時刻は十一時少し前。昨晩のことを考えると、もうじき遠坂との集合に合わせて準備を始める頃だろう。実際、さっきからイリヤは忙しなく時計を確認している。

 

「えっと、それじゃあ────」

 

「なあ、イリヤ」

 

 おそらくもう寝るね、と提案をしようとしたであろうイリヤの言葉を遮る。

 遠坂に巻き込まれたであろうイリヤ。今はまだ感じてはいないかもしれないが、イリヤのしていることは命に関わることだ。そもそもが、魔術というものはそういうものだ。常に死を隣り合わせている。この十年、切嗣に拾われてから俺は学んできた。

 そんな血生臭い世界にイリヤを巻き込みたくない。それが俺たち一家の願いであり、だからこそイリヤだけに内緒にしてきた。

 十年間貫いてきたことを、それをたった数日で打ち壊されたのだから気持ちのいいものでもない。

 だから、問わねばならない。

 

 

「────今は楽しいか?」

 

 その質問に戸惑いの色を見せるイリヤ。核心を突かれた犯人のように、瞳孔が開き、瞬きの回数が増え、視線が泳ぐ。手持無沙汰な手はもぞもぞと動く。相手との駆け引きをするときに、と切嗣から仕込まれたものだが、まさかイリヤに使うことになるとは。

 たった一言であるが、含みが多くある質問。ましてや、先程までとは打って変わって真面目な顔である。少なからず引っかかるところのあるイリヤからしたら、戸惑うのも当然だ。

 だが、それを見せたの僅かな間。すぐに笑顔を見せると、

 

「うん!」

 

 そう答えた。

 

 

 

「お、お兄ちゃん!?」

 

 その回答と共に頭を垂らす。表情が見えないせいか、イリヤは心配そうに俺の方に駆け寄ってきた。

 ……俺も駄目だな。予想していたことなのに、こうも落胆をしてしまうとは。

 

「イリヤ────」

 

「わっ!?」

 

 俺の真正面、突然顔を上げられて心底驚いた声を上げるイリヤ。少しよろけそうになった彼女の肩を支えると、俺は顔を覗き込む。アイリさん譲りの綺麗な赤い瞳を見ながら告げる。

 

「何かあったらすぐ俺の名前を呼ぶんだぞ。怖いこと、辛いこと、悔しいこと、泣きたいこと。俺はさ────」

 

 

 

 

 

 玄関のドアがそっと閉められる。

 

「……行ったか」

 

 こうも気を張っていれば気づくものか。未熟者ではあるが、それ以上に素人であるイリヤが気配を消しきるなんて無理な話だろう。

 ベッドに両手をつきながら、天井を仰ぐ。

 イリヤは本当にわかっていない。今はいいかもしれないが、確実にこれから後悔をする瞬間がくることを。それが誰かの死を目の前にしたとき、或いは自分が死ぬかもしれないその瞬間に思ってしまっては遅いのだ。……まあ決まってそういう瞬間なのだろうけど。

 それでも、普通の小学生として生きてきたイリヤなら尚更そのギャップに大きなショックを受けるだろう。……魔術師ではない、その覚悟もない、イリヤだから。

 

「ごめん、切嗣……」

 

 俺は今ここにいない命の恩人であり、守ると決めた人の父親に頭を下げる。




どもども。こんばんは。
就職活動に卒業研究と最近多忙と自称しております。なかなか小説用にしている私物のPCに触れることもなく、研究室のパソコンばかり触っております。さすがに他の人も使うものでイリヤイリヤイリヤイリヤと書くのは些か問題とも思ってしまいます。
さて、今回はプリヤの本編の描写はほぼ皆無でしたね。地の文となるとやはり雰囲気を出すのが難し。未熟者です。
次回はキャスターさんへのリベンジマッチからの対にあいつとの戦いが!というわけで、更に文章力が問われることとなるでしょう。
それから余談ではありますが、友人から最近プレゼントをもらいました。オリジナルのイリヤのイラストです。snとタイガー道場、プリヤ版の三人を描いてもらいました。とても嬉しかったなぁー

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