先生の言ってくれることは、なんだか、突き放すような、仕向けるような……。なんなんだろう。
万魔殿。イブキを見送ったマコトはため息をつく。
「……なあイロハ。最近、イブキが、なんと言えばいいか。変じゃないか?」
「それはお節介というやつですよ。マコト議長。」
「……いつもは『先生のところに遊びに行く』と言うところを、最近は『逢いに行く』だからな......。」
「イブキも大人に近づくものですよ。そういう時期なのです。」
「嫌だァ! きっとなにか良くないことが起こっているに……。イブキィ!! 今行くぞぉ!!」
「よしてください。あと、まだ仕事が残っていますよ。」
――――
「せんせー!!えっと、その、会いにきたよ!」
昼下がりの執務室であった。元気よく開けられた扉。そこからふた周り小さい身体が顔を出す。
「いらっしゃい、イブキ。すこし待ってくれるかい? そしたら手が空くから。」
「うん!ちゃんと待つよ〜!」
イブキの満面の笑みに当てられて、先生も穏やかな表情をこぼす。イブキはソファに腰掛け、言いつけに忠実に大人しく居た。
――――
「……ふう。ごめんね、イブキ。結構待たせちゃったね。」
「全然大丈夫だよー!それに……。」
「それに?」
「あ、その。な、なんでもない!それより早く遊ぼ!」
一瞬イブキは赤らめた表情を見せた。
「……そうだね。なにして遊ぼうか。」
「えーと、じゃあお絵描き……じゃなくて......おしゃべりしよ!!」
「そうだね。あ、そういえば、いいものがあるよ。」
「いいもの? なになに~?」
「ああ。冷蔵庫にあるんだけど……。」
先生は冷蔵庫から、プラスチック容器に入れられた黄色の巨体。立幅が手のひらサイズの大きなプリンをとりだした。小柄なイブキの顔より少し小さい程度。
「……わあ! なにこれ!」
「スーパーで売っていたんだ。イブキと食べようと思って買ってきたよ。」
「すごいよせんせー! これ、ものすっごく幸せになれそう! ほ、本当に食べてもいいの?」
「ああ。イブキのために買ってきたからね。」
「こ、こんなにあるなんて、イブキ、悪い子にならないかな……?」
「もしかしたらなっちゃうかもね。」
先生は興がのったのか、優しい顔に少しの邪悪を忍ばせた表情を浮かべる。
「それはちょっと困るかも……。」
真剣に考え始めたのか顔を曇らせるイブキに先生は悪者顔を解除する。先生が優しそうなため息をついて言葉を続けようとするも、イブキが顔を上げて言うが先だった。
「先生は、イブキが悪い子になっても好き?」
「ッ。」
少し先生の顔に余裕がなくなる。だが、一瞬ののちにまた優しい顔で繕って、声をかけるのだ。
「大丈夫。イブキがどんなイブキであろうが、私は好きだよ。」
と。
「本当?」
「ああ。もちろん。だからこのプリンも好きなだけ食べていいんだよ。ゲームだって。」
「で、でも。遊んでばかりだと戻れなくなるかもしれないよ?」
「その時は、私が責任をもってイブキを導くと約束しよう。」
「先生は、そばにいてくれる?」
「もちろんだとも。」
「……そっかぁ。えへへ。あ、でも、楽しみはもうちょっととっておこうかな。」
安心と喜びを体現するイブキを見て、先生も顔を綻ばせる。
ゲームの電池を入れ、カセットを入れ。先生と並んでイブキはコントローラーを持つ。
しかし、ゲーム機は肝心のゲーム画面を示さない。
「あれ、このゲーム、壊れてるのかな。」
「本当だね。別のカセットを探そうか。」
二人で棚を探している。ユウカに見つからないように、本の背表紙みたくなるように偽装しているからだ。
「えーっと、これは違う。これは、料理本?」
「……ああ、そうだよ。ちょっと前にもらってね。……全然開けてないけど。」
「せんせー、料理苦手なの?」
「少し、面倒くさくなってしまうんだよね。」
「……へー。」
「…………イブキがしてあげられたら、少し変われるのかな。」
ぼそりと呟いた思い付きは先生の耳には届かなかった。
ふと。先生が取り出そうとしたカバーに引っかかった本が、つられてせり出し、おちる。
「あれ、せんせー、なにかおちたよ?」
そういってイブキが手に取った本には。くびれのしっかりした女性が、露出面積の多い水着でいかんなく魅力を発揮している、要するにグラビアアイドルの写真集だ。
それを手に取るイブキに先生は慌てて、取り上げて無数の本の中に隠してしまう。
「……先生、あんなひとが、好きなの?」
「いや、これはその。特集に生徒が居るからって押し付けられたものだから。イブキは何も心配しなくていいからね。」
「先生……。どっちなの?」
「何がだい?」
「先生は、そういうひとが好きなの? そうじゃないの?」
涙目で訴える。
「……この人のことは好きじゃないよ。こういう露出多めの衣装は好きじゃないからね。」
「ッ、そうじゃなくて、こういう大人の女性が「イブキ。」
ぱっとさえぎられるイブキの言葉。
「ほら、これ。探してたゲームだよ。これで遊ぼうか。」
「……うん。わかった。」
イブキは引きつり気味の表情筋とともにゲーム機の前に向かった。イブキの胸の中に居座るもやもやは、初めての体験だった。
——わるいこ。
そんな言葉が胸に居付いてしまう。作り物めいた恐怖は、イブキの身をしっかり取り込む。
――イブキもああなれば、見てもらえるようになる……?
――あれ。なんでイブキ、こんなに胸が苦しいんだろう。
————
「やったー! またイブキの勝ちー!」
「練習したのに……。」
一対一の対戦型落ちモノパズル。先生に才が皆無なのかイブキの学習能力が優れているのか。最初数戦は先生が辛勝を収めていたがだんだんと、見るに堪えない惨敗っぷりとなっていた。
イブキの曇った顔も気づけば忘れ去られ、年相応のはしゃぎが見られる。
「あ、そういえば、プリンまだ食べてなかったね。食べよ〜。」
「そうだったね。今持ってくるよ。」
食器棚から丸皿とスプーン、そして肝心の大きなプリンをもってくる。
「準備はいいかい?」
「ご、ごくり……。」
イブキの指がつまみを。ぽきっ、トプン。幸せな重量感のある黄色の物体が皿に落ちる。
「おお……!」
顔に満面の笑みを浮かべ、瞳は煌々と。それはもう煌々と。買ってよかったと思わせられるほどのリアクション。
「先生! は、はんぶんこしよ!」
「いいのかい? イブキが全部食べてもいいのに。」
「えと、や、やっぱり先生と一緒に食べた方が幸せだと思うから。じゃ、ダメ?」
「そうだね。じゃあ一緒に食べようか。」
先生はスプーンで器用にプリンを縦二つに切り分ける。大きなプリンは重心の均衡を失い倒れるも、それでも壮観な巨体だった。
「いただきまーす!」
「いただきます。」
イブキはカラメルのない方から掬い、口に入れる。それだけで、これでもかと顔をほころばせる。
「おいしー!」
少し目を先生の方に向けてから、ほほを赤らめつつまたプリンをつつく。
「あれ、先生は食べないの?」
「私はイブキの幸せそうな顔を見ているだけで十分さ。」
「でも、早く食べないと悪くなっちゃうよ?」
「そうなる前に食べるよ。それより、イブキ、手が止まってるよ。」
「……じゃあ、はい。」
イブキはプリンの乗ったスプーンを先生の口元に向ける。
「……イブキ?」
「先生も一緒に食べよ?」
「……参ったな。」
「じゃあはい。あーん……。」
おもむろに顔を近づけ、先生はそれを口に入れる。
「……美味しいな。」
「だ、だよねー。」
「イブキ? 大丈夫かい?」
「へっ? 何が?」
「なんか、顔赤いけど。」
それに気づいたイブキは視線を泳がせつつ。
「あ、えと。ううん。なんでもな......。」
真っ赤な顔はさらに赤く、泳いだ視線は、本棚に。
――あれ。イブキ、先生のこと……。でも、先生が好きなのは……。
イブキの脳裏に先程のグラビアが映し出される。そうだ。先生はイブキと遊んでくれる。「遊んで」くれる。
それは、その関係は進むの?待ってたら遅いの?
子供じゃ……。
――イブキじゃ、だめ、なの?
先程まで赤かった顔は途端に青ざめていた。
「……イブキ?」
心配そうにイブキの顔を覗き込む先生を、イブキの揺れる目が捉える。
「あ、えと。先生……。」
――あれ。何をいおうとしたんだっけ。なんだっけ。あれ、あれあれ?
いたたまれなくなって、足が勝手に先生から離れて。
気付けば扉へ駆け出して、逃げ出していた。
「イブキ!?」
「せっ......。」
先生、から続けたかったであろう口は、喉のつっかえと去る刹那の時間では伝え切ることが出来なかった。
――――――
イブキは寮に帰って、手を洗い歯を磨き。着替えないままベッドになだれ込んだ。
――なにが、正解なんだろう。そんな、成長というものが一朝一夕でできるものだろうとは思わないけれど。わたしは、どんな風になればいいんだろう。答えを、先生はくれない。……。
どうすれば、いいんだろう。
イブキは横を見る。鏡にイブキの姿が映るが、それはやはりイブキが見たグラビアからはかけ離れた体で、服装で。自分の魅力をわかったような顔にもなれない、泣きそうで暗い顔。
自分は、先生に好いてもらえるのか。女性として、魅力的なのか。その自問に対する答えとしてイブキは、ベッドに突っ伏した。
――――――
2日後。
イブキはイロハと戦車巡回に当たっていた。
「イブキ。どうかしましたか?」
「へっ? イロハ先輩、な、なにが?」
「いえ。いつもより、その、とても大人しいので。」
「……ううん。なんでもないよ。」
「そう、ですか? それにしては……いえ。これは過保護ですね。マコト議長にも言えなくなるところでした。」
「……。」
イブキはスコープから周囲の様子を観察する。
その横顔に、今までのようなあどけなさは見られなくなっていた。
スコープを覗いたままのイブキが、突然声を出す。真剣な声色だった。
「イロハ先輩。」
「っ。なんですか?」
不意を突かれたイロハ。
「……大人って、どうやってなるんだろう。」
「それは……。私もまだ高校生ですし、ましてやイブキだって。これから探していくものでは「それじゃ遅いよ!」
イロハの言葉を、イブキが遮る。でも、それは怒号ではなく、悲痛な、絞り出すような声だった。
「……イブキ?」
「先輩。ごめんなさい。」
「いえ。大丈夫ですよ。それよりも、イブキは何を悩んでいるのですか。」
優しく問いかけるイロハに、イブキはすぐに笑顔で答える。
「ううん。なんでもないよ。」
「……イブキは、大人に『変わろう』としているのですか?」
「どういう意味?」
「なんといいましょうか。自分でも言語化が難しいのですが。イブキはとても、不安定に見えます。」
「ふあんてい?」
「……私が言うことではないのでしょう。ですが……。なにか悩みがあるのなら言ってくださいね。万魔殿は権力がありますので。人は使いようですよ。」
「……悩み、なのかな。」
「そのときは、一緒にプリンでも食べながら話しましょう。マコト議長がため込んでいる高めのプリンも、私の名のもとに許可します。」
「……やった。ありがとう、イロハ先輩。」
イブキは述べた。感謝と、嘘の喜びを。
――――
次の日。
「先生、その、来た……よ?」
控えめな音量で執務室に呼びかける。イブキは今日も先生と逢う約束をしていた。
……しかし呼び掛けに応じる声はない。代わりに忙しないキーボードの音のみが応える。
窓際、縁にある壁からせり出たカウンターの様なスペースに、プリンが置かれていた。表面がなんだか、腐っているようにも感じられるほど色が悪い。
「……先生?」
「……あ? 仕事? そこに置いといて……。」
明らかに不機嫌な口ぶりだ。何より、先生はそれを隠そうとしていない。隠すほどの余裕が無いほどに仕事に追われているのだろうか。よく目を凝らせば薄く、クマがある。
前に来た時はかなり余裕がありそうだったのに。そんなに切羽が詰まる事件が起こったのだろうか。
この調子の先生には間違っても「遊ぼう」などとは言えない。ならばと、イブキは手を握り。先生を見据える。
「先生、イブ……|私も手伝うよ。」
「……あー。なんだイブキか。」
「そうだよ。先生を……。」
「……ちっ。あーもう。五月蠅いな。遊べないって見てわからないかな。」
「だから、手伝おうと思って……。」
「イブキ、邪魔だよ。今日の仕事は特に機密書類が多いからイブキは手伝っちゃいけないし、多分明日もそうだから。わかったら帰ってくれないか。気が散る。」
冷ややかな目と今までの思いやりに満ちた言動からは想像もつかないような邪険っぷりでイブキを排除しようとする。
「えっ……あっ……。」
――あれ、さっきまで胸が躍っていたのに。もう、ひややかに痛い、な。イブキは、私はなんで先生を手伝おうとしたんだっけ。大変そうだったから? でもいま、いらないって言われた。助けられないのに、こんなに、心臓が何もないところから血を出す感じ。汗って感じるくらいに。もう内臓以外のところに感覚がないんじゃないかってくらい。
――なんでだっけ。なんでだっけ。そんなに大きな理由だったっけ。先生にいらないって言われただけじゃ、揺らがないはずの理由、揺らいじゃいけない理由。私が変わる理由。先生に好いてもらいたい、その願いはやはり単純に変化して。
……。
――私は、そうだ。先生のことが……。
「好きなだけなのに……。」
いつの間にやらイブキは大きな瞳に負けないほどの大粒の涙を流し始めていた。それを確認した先生は、先ほどのストレスに任せた言動が及ぼしたとわかり、顔が引きつっていく。
「イブキ、は、先生が好きだから……先生のちからになりたいって思っただけなのに……。なんで……?」
「……イブキ。これは、その……。」
「ごめん、ねっ、先生。」
イブキはえづきながらも言葉を絞り出す。
「イブキ、帰る、ね。」
イブキは先生と離れた位置のまま。踵を返す。その後ろ姿はとても11歳のいたいけな少女が背負う感情にしてはあまりに大きすぎた、押しつぶされそうな不安を湧き起こさせる。
その姿に我慢できなくなって、先生はその壊れそうな背中を抱きしめていた。
「……ごめんな、イブキ。」
「イブキこそ、ごめんなさい。その、先生の都合を考えていなくて。」
先生はそれにどう思ったか、もう一度彼女の背を強く抱いた。低すぎる身長に対して背を丸め。とても強く。むしろ彼女の背中を壊してしまうほどに。
先生はおもむろに口を開く。罪悪感でいっぱいと言わんばかりの絞るような声。かすれた声。
「私がむしろ、イブキのことをちゃんと考えてやれていなかったな。本当にごめんな。」
「先生は謝らなくていいのに。」
「いや、私がどうかしていた。」
「……先生は、イブキが、好き?」
イブキはそうつぶやいていた。それはとてもずるいことであると、彼女自身は知っていた。
「わ、たし、先生に好きになってもらいたくて、考えたけど、変わろうって、頑張ったけど。わかんなくて……。」
先生はイブキを抱きながら、しっかりという。
「好きだよ。」
「……女性として?」
「もちろんさ。」
「……。ほんとうに?」
「本当だとも。私は今のイブキが好きだよ。」
いまの。
――その言葉は、いったい何をさすの。
今までみたいな、幼いイブキ?
それとも、変わろうとして苦しんでいる私?
それとも……。
それとも、いま、泣いているいぶき?
……せんせいが、わたしに、こたえをくれた。
たぶん、こたえをくれた。
くれたはずなのに。なにもわからない。
すがってしまう。
「いまのいぶきは、たぶん、わるいこだよ?」
「悪いイブキだって、私は好きだ。この前も言っただろう。私は、イブキがどんなイブキだろうと好きだよ。たとえイブキがどうなろうと、私は、イブキの近くにいると約束する。」
どんなイブキでも、すき?
どんな、どんな?
あれ?
わたし……。イブキ?
あれ?
なにを目指せばいいんだっけ。
おおきなからだのおとな……それが先生の望むおとな?
ぷりんをたべない良い子、それが先生ののぞむじょせい?
あれ。あれあれあれ。
なんだかもう。かんがえるのつかれちゃった。
わたし、そうだ。大人になりたかったんじゃないや。
先生の望む人になりたかったんだ。
それって、たぶん、深く考えなくていいことだよね。
先生が幸せになってくれるように、先生の言うことをちゃんとできるように……。
もう、かんがえなくていいかな。
「……イブキはいいこだね。」
――――
イブキがシャーレビルから出ると、戦車によりかかっているイロハがいた。
「あ、イブキ。おかえりなさい。」
「……うん。ただいま。イロハ先輩。」
「ってイブキ、どうしたんですか!目が腫れぼったいじゃないですか。」
「ああ大丈夫だよ、イロハ先輩。もう全然大丈夫だから。」
「……それならいいのですが。なにかあったら言ってくださいね。万魔殿の権力を集約して先生をひねり潰しますので。」
「……なんでもないや。」
-わるいこと、なのかな?
イブキの逡巡は一瞬にとどまる。
「それにしても、先生のロリコンにも困ったものですよ。まさかイブキを誑し込むなんて。」
「……え?」
「イブキのために連日定時退勤どころか、むしろ時間よりも大幅に余裕をもって終えていたり、以前の不摂生も改善したりとか。わかり易すぎますね。」
「……。先生は、甘いの、好きだっけ。」
「? ええ。なんなら、本当にたまにらしいですが、プリンを自分で作るらしいといったうわさもありますから。」
「……そっか。」
「イブキ、どうかしましたか?いつもより、というか、最近結構大人しいですが。」
「全然平気だよ。」
「? そうですか。では帰りましょう。」
「そうだね。うん。」
去り際、シャーレの執務室の当たりを見上げる。
胸の底を静かに揉みしだく、そんな感覚に。
——イブキは、何も考えないことにした。
了。
感想や評価などよろしくお願いします。
……これは断じて曇らせではありません。断じて。