「……ねぇー、カジッちゃん?」
どこか小馬鹿にするような女の声音が、陰鬱とした仄暗い地下空洞に反響していく。
「神殿の巫女姫も素っ裸に剥かれてたけどさー、わざわざ服を脱がせてるのは、カジッちゃんの趣味なのー? もしもそうなら、私も付き合い方を考えなきゃいけないのかなーって」
一瞥を向けてみれば、整った口許を嗜虐的に釣り上げたクレマンティーヌの気怠げな立ち姿。
この数日は落ち着きを見せていた悪癖が、またも顔を覗かせているらしい。
暫くと不在が続き、煮湯を飲まされていた標的が姿を現したのは、つい先刻のことだった。
事前に工房内で待ち伏せて、その身柄を首尾良く奪取できたことに気を良くしているのか。
或いは、既に護衛の冒険者チームと別れていたために、あまりにも呆気なく事が済んでしまったことが、殺人狂いの血に不満を覚えさせているのか。
――どちらにせよ、利害の一致から暫定的な協力関係にあるカジットには鬱陶しいばかりだった。
「ふん、くだらないことを……」
無意味な揶揄いは取り合わず、カジットは自らの悲願を果たすための作業に没頭する。
クレマンティーヌが拉致し、この“地下神殿”へと運び込んだ標的の少年――素肌が透けるほどの薄絹だけを纏ったンフィーレア・バレアレは、この城塞都市〈エ・ランテル〉随一と呼ばれる薬師の孫であり、稀有な生まれながらの異能〈タレント〉の持ち主としても知られていた。
「……なるほど、“あらゆるマジックアイテムが使用可能”か。――これは素晴らしいな」
蜘蛛の巣を思わせる細い金属糸に、水滴を模した小粒の宝石が散り嵌められたサークレット――適合者が百万人に一人ともされているスレイン法国の最秘宝“叡者の額冠”は、身につけた者の魔力を爆発的に増幅することができる。
第七位階という神代の魔法を行使するためであるのなら、使用者の自我が失われる程度の代償は些末な問題に過ぎないだろう。
叡者の額冠を装備され、放心したままに棒立ちとなるンフィーレアの様子を観察すれば、額部に嵌め込まれた黒い宝玉が妖しい輝きを湛えている。
無事にマジックアイテムの効果が発揮されることを確認できたカジットは、無意識の内に笑いがこぼれるのを抑え切れなかった。
ンフィーレアという類稀な才能を利用すれば、第七位階魔法の〈アンデス・アーミー/不死の軍勢〉により、大量の不死者〈アンデッド〉をエ・ランテルに解き放つことができる。
市街に溢れた無数のアンデッドは、更なる強大なアンデッドを生み出すための起爆剤であり、外法の大儀式“死の螺旋”を紡ぎ出すための贄となるのだ。
「……これは、本当に素晴らしいな」
片時も手放したことのない“死の宝珠”を一層と強く握り締めながら、カジットは奥底から湧き上がる歓喜の奔流に身体を震わせた。
「ねぇー、カジッちゃん。やっぱり、そっちの気があるんじゃないのー?」
再びの不粋な問いかけがクレマンティーヌから投げかけられても、腹を立てることはない。
決して信頼の置けない狂人であり、協力者として危険極まりない存在に違いはないが、法国に追われながらも叡者の額冠を持ち出し、その使い手まで用意した働きは認めざるを得なかった。
「ふふふ……感謝するぞ、クレマンティーヌ」
「えっ、あぁ……そ、そうよねー。まぁ、えーと、とりあえずさ……追手の目を派手に引いてほしいんだから、その……頑張ってよねー」
相変わらずの間延びした口調と何やら挙動不審な振る舞いが鼻につくものの、幼少の頃から抱き続けた悲願への道が開かれようとしているのだ。
「……言われるまでもない」
小さく頷きを返したカジットは、ゆっくりと後退りしていくクレマンティーヌには構わず、土壁に垂れ下がる奇怪なタペストリーへと視線を向けた。
血を塗り込んだ真っ赤な蝋燭の灯りが揺れ、仄暗い闇を押し退けるように奥の横穴が照らされる。
その瞬間を待ち侘びている無数の亡者たちが放つ特有の死臭――慣れ親しんだ気配に当てられ、手の中の宝珠を強く握り締めれば、一層の高揚感が隙間を埋めるように胸の内を満たしていく。
「――さて、そろそろ始めるとしようか」
*
すっかりと陽の落ちたエ・ランテル外周部の西地区は、平時と変わらない静寂に包まれていた。
その高く分厚い市壁に囲まれた区画は、多くの戦死者を弔うための共同墓地として整備されている。
リ・エスティーゼ王国の東端に位置し、例年の戦場となるカッツェ平野に程近い立地から、その規模は西地区の大部分を占めるほどに広大であった。
「……ったく、見回りは冒険者に任せようぜ」
「だよな……薄気味悪いし、勘弁してほしいよ」
「――こらっ、無駄口を叩くな」
上役からの軽い叱責に肩を竦めつつ、二人の衛兵はおざなりな返事だけで燭台〈カンテラ〉の灯りを掲げ、墓標の並ぶ通路の先を照らしていく。
「……でも、班長だって思いますよね? 弱いアンデッドならともかく、強いヤツが出たら俺たちでは相手になりませんよ」
「そうそう、最初から冒険者組合に依頼した方が、絶対に効率良いですって」
周囲の同調する気配を思えば、敢えて口にはせずとも、他の衛兵たちも似たような考えを持っているのだろう。
冒険者チームの編成は四から五人ほどであるのに対して、衛兵は十人一組で墓地の見回り班を作り、定期的な巡回任務に当たっている。
その事実は、危機への対応力にそれだけの隔たりがあることを示していた。
班長と呼ばれた年嵩の男も、内心では頷きたい気持ちを堪えて息を吐く。
「……それでもだ。出現するアンデッドが弱いときに叩いておけば、被害を未然に防げるんだ。それで街の平和を守れるのなら、結構じゃないか」
実際のところ、最近は報告されるアンデッドの出現率が減っていた。
バハルス帝国との戦争が落ち着いている春先の頃合いは、埋葬される死者の数も少ないので、こうした傾向が普通の状態なのだ。
そうした事情を全員が知っているために、毎日の見回りには身が入らず、どこか緩い雰囲気で愚痴が交わされてしまうのだろう。
「――まぁ、いつも通り気楽にやりましょうよ」
そうして、場の雰囲気を和ませるように、衛兵の一人が声を弾ませたときだった。
*
共同墓地を囲う市壁に設けられた通用門は堅牢であり、中央と東西南北の五つに分けられた区画をそれぞれに閉鎖をすることで、不測の事態への対処ができるように備えられている。
その日、夜間の当直として南区の見張り台に登っていた衛兵のゾルダートは、不意に覚えた胸騒ぎから眼下の光景に目を凝らしていた。
薄曇りな月明かりの下、ひっそりと眠る墓地。
――最初の異変は、遠く微かな地響きだった。
疑問を覚えながら聞き耳を立てかけ、ふと漂ってきた気配に顔を顰める。
「おい、何か様子が変だ。土を掘り返したような匂いがしないか?」
傍らの同僚に呼びかけつつ、視線を巡らせる。
「そうか? 俺は感じないが……それより、今夜はやけに冷える気がするぜ。身体を動かせるだけ、見回り班の方がマシかもな」
軽く身震いとともに外套の襟元をかき合わせる姿を見遣れば、こちらも思わずと背筋が冷えるような感覚があった。
ようやくと春を迎えたばかりで、陽が落ちた後はまだまだ肌寒い季節が続くのだろう。
「……確かに、今夜は冷えるな」
何か面倒な事態が起きている場合、見回り班からの報告も届くはずなので、やはり自身の考え過ぎかとゾルダートは気を緩めかけ――、
「――たっ、助けてくれ!」
墓地の静寂を打ち破る、唐突な悲鳴に瞠目した。
「なっ、なんだ!?」
「――っ、あそこだ!」
驚きながらも咄嗟に声の響いた方向、二人の衛兵が慌てて駆けてくる姿を指差す。
見覚えのある顔は恐怖に引き攣り、武器を投げ捨ててしまったのか、丸腰で懸命に腕を振っている。
「見回り班の奴らだ! これはヤバいぞ」
明らかな異常事態に、ゾルダートは緊急を報せるための鐘をガンガンッと打ち鳴らした。
「お、おいっ、あれは何だ!?」
「ん、いや……あれは、何だ?」
切羽詰まる同僚からの呼びかけに意識を向け、思わずと言葉に詰まる。
通用門へと逃げてくる二人の背後から押し寄せるのは、正しく“黒い波濤”であった。
落ち窪んだ眼窩の奥で揺らめく赤い鬼火は、生者への憎悪と殺戮への期待を宿し、飢えた獣のような咆哮が幾重にも重なり、ゾルダートの背筋に強烈な悪寒を突き立てる。
咽せるような臭気が鼻腔に張りつき、立ち並ぶ墓標を呑み込むように蠢めくのは、数百では済まないほどの無数の死者の群れだった。
頭が咄嗟の理解を拒むほどの光景に、心臓が早鐘よりも激しく打ち鳴らされた。
「――ア、アンデッドだ! とんでもない数のアンデッドが、こっちに向かってくるぞ!」
混乱の渦中にありながらも無我夢中で声を張り上げ、ゾルダートは閉じた門扉の前へと集まってきた衛兵たちに危機を伝える。
「二人、逃げてくる! すぐに開門! 彼らを収容したら、さっさと門を閉じるんだ! 残りの班は、市壁に登って迎撃態勢!」
碌に思考も回らないままに指示を飛ばせば、俄かに慌ただしくなる眼下の気配。
急ぎ開かれた通用門の隙間に二人の衛兵が転がるように飛び込み、再び大急ぎで閉じられる門扉には頑丈な閂がかけられた。
「大丈夫か、他の連中はどうした!?」
「く、喰われた! アンデッドに喰われた!」
駆けつけた周囲の問いかけに、必死で逃げてきた衛兵の一人が、「早く衛兵駐屯所から救援を!」と息を切らしながら叫んでいる。
既に救援を呼ぶための鐘は鳴らしていた。
しかし、アンデッドに対する戦力としては、衛兵も一般市民と大差がない。
待機している衛兵たちが束になったとしても、これほどの膨大な数のアンデッドを討伐できるとは思えなかった。
「ど、どうするんだ!?」
「分からん! だが、ここを突破される訳にはいかない! 俺たちも迎撃に回るぞ!」
ゾルダートにも余裕はない。
それでも、自分より慌てている相手を見ることで僅かながら冷静に振る舞えるものだ。
備品の長槍を押しつけて無理矢理に握らせ、同僚とともに見張り台から市壁の上へと跳び移る。
市街地と共同墓地を隔てる高い壁は、生者と死者の世界を別つための文字通りの境界線だった。
この場で防ぐことができなければ、エ・ランテルの街並みに大量のアンデッドが傾れ込んでしまう、未曾有の事態となるだろう。
階段を駆け上がってきた衛兵たちの列に合流したゾルダートは、市壁上で訓練通りの横隊を組みながら闇が蠢めく墓場に向き直った。
押し寄せてくるアンデッドの群れ――骸骨〈スケルトン〉や動死体〈ゾンビ〉ばかりではない、食屍鬼〈グール〉や腐肉漁り〈ガスト〉、黄光の屍〈ワイト〉といった厄介な存在の姿を見止めて、思わずと呻めきがこぼれてしまう。
そうして、純粋な殺戮衝動に哮り、知性を持たないアンデッドが通用門へと殺到してくる。
個々の強さだけであれば、決して対処ができない相手ではないはずだった。
しかしながら、何よりの問題は視界を埋め尽くすほどに膨大なアンデッドの数であり、既に果てのない消耗戦の様相を呈していた。
自らの損傷を顧みることのない本能に任せた突撃が頑丈な門扉を軋ませ、砕けた同胞を踏み越えて更なる追撃が次々と繰り返される。
その結果、互いが折り重なるように築かれたアンデッドの屍山が徐々に高さを増しながら、市壁の向こう側へと積み上がっていくのだ。
「――っ、マズいぞ! 救援の連中はまだか!?」
怖しい眼下での光景に焦りを覚えて、ゾルダートは声を荒げた。
神聖魔法の込められた通用門が容易く打ち破られることはなくとも、物理的に市壁の高さを越えられてしまえば、その堅牢な防備も意味がない。
攻め寄せるアンデッドの群れを高所から槍で打ち払い続けてはいるものの、やはり迎撃するには当直の衛兵だけでは手が足りそうもなかった。
(他の区画からの応援も集めなければ……)
額に汗を滲ませたゾルダートは、槍を振るいながら必死に頭を巡らせる。
しかし、不意に響いた不吉な鐘の音が、更なる緊急事態の到来を告げた。
最初の鐘の音は北から、続いて東と西の方角からも激しく打ち鳴らされてしまう。
恰も測ったかのようなタイミングで共鳴した鐘の音は、全てが“救援を求める”符丁に他ならない。
その事実は、目の前の異常事態が他の墓地区画でも発生している、という最悪の状況を示していた。
――危急の事態に駆けつけ、二振りの大剣だけで道を切り開いていく“漆黒の英雄”は現れない。
視点主のゾルダートは、文章上の都合から便宜的に登場させたオリキャラになります。
今話で使い捨て予定なので、『オリ主』タグはつけていませんが、問題がありそうなら修正します。
ゾルダート(ドイツ語:兵士)