――城塞都市〈エ・ランテル〉の外周部の共同墓地にて、未曾有の事態が引き起こされようとしていたのと同時刻のことだ。
城壁最内周部の行政区においても、秘密裏に行動を進めている者たちがいた。
二百年前の魔神戦争で活躍した“十三英雄”からの流れを汲む、暗殺者集団“イジャニーヤ”。
決して表舞台には姿を見せず、影に忍びながら依頼を遂行する特殊部隊が、リ・エスティーゼ王国の厳重な警戒網を抜けて、“巨大食料貯蔵庫”の内部へと潜入を果たしていた。
その呼び名が示すように大量の兵糧を保管する倉庫であり、長年に渡るバハルス帝国との戦争において、王国軍の十万人以上ともなる動員を支えるための最重要施設の一つである。
魔法技術が軽視されがちな王国にありながらも、この建物全体に〈プリザベイション/保存〉の魔法が施されていることを鑑みれば、その注力の具合が見て取れる。
専従の職業軍人を擁する帝国に対して、王国側は貴族の私兵とは別働となる各領地から徴兵された多くの平民が主戦力を担っていた。
必然的に劣る兵士の“質”を“量”で補わんとする怠慢振りは、豊かな国土と人口に胡座をかいた王国上層部の傲慢さを端的に示しており、数を頼むばかりで戦略を持たない戦術は、どうしても兵站の問題を切り離すことができない。
戦争の都度、近隣から兵糧を集める方法では時間の制約が大きく、事前に徴収した兵糧を保管することのできる設備が必要となるのだ。
王家の直轄領であり、戦場となるカッツェ平野から程近い立地と三重の城壁に囲われた堅牢さを誇る東端の要衝――そうした諸般の事情を踏まえれば、戦争時の後方拠点となるエ・ランテルに兵糧の保管場所が求められたのは、当然の帰結であった。
そして、如何に無能な貴族たちが幅を効かせる斜陽の王国であっても、それほどに重要な施設である貯蔵庫が無警戒に放置されることはない。
都市長として赴任するパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアは、国王であるランポッサ三世からの信任も厚く、王国内では数少ない有能な貴族の一人に名前が挙げられる。
その差配の下、本来であれば都市の最内周部に設けられた貯蔵庫は、敵国からの干渉や工作に対する厳重な備えがなされていたのだが――、
「――各員の配置が整いました。いつでも、作戦を実行できます」
都市迷彩の忍び装束に身を包んだ部下からの報告を受け、イジャニーヤの女頭領であるティラは小さく頷きを返した。
現在の雇い主にして、バハルス帝国を統べる若き皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの辣腕は見知っていたが、やはり“鮮血帝”と渾名されるに相応しい人物なのだろう。
どのような依頼も報酬次第で請負うイジャニーヤとしても、これほどに陰険な仕事は稀だった。
「……運び出せる分を除き、全てを焼き払え」
指示を受けた部下が、「御意」と返して自らの影に溶け入っていく様子を見遣り、ティラは呆れともつかない思いで肩を竦める。
――発端となったのは、秘書官のロウネ・ヴァミリネンが懐に忍ばせていた“一つの書状”だった。
対王国戦における戦意高揚のスローガンが上奏され、居並んだ臣下たちのエ・ランテル攻略に向けた活発な議論が交わされ始めたときのことである。
上機嫌であった皇帝の横顔を、苦虫を噛み潰したように歪ませた飾り気のない書状には、とある極秘情報が“悪趣味な暗号”によって記されていた。
魔法学院や魔法省から帝国の知恵者を結集した解析が進められ、導き出された内容は『食料貯蔵庫の警備体制と潜入ルートの指定』であった。
また、暗号の末尾には『さっさと決断してくださいね』という挑発的な文言まで添えられていたのだから、あまりにも舐められたものだ。
差出人の署名すらない書状に振り回される滑稽さを自覚しながらも、その重要性を即座に理解したジルクニフは、葛藤の中で伝令を走らせる。
そうして、伝手を持つロウネを介し、イジャニーヤに今回の依頼が届けられる手筈となった。
「……しかし、これほどに容易く潜入できてしまうとはな。鉄級〈アイアン〉の冒険者にでも任せておけば、充分に過ぎたか」
自嘲めいたティラの呟きには、組織を束ねる者としての矜持と僅かな憐憫の色が滲む。
――国家の最警戒が敷かれるエ・ランテル最奥の食糧貯蔵庫に、指定されたルートから潜入した後、保管されている軍事用の兵糧を焼き払う。
その荒唐無稽な依頼を受けたときは、王国側と結託した帝国による“イジャニーヤ潰し”の意図を疑ったほどだが、どうやら杞憂であったらしい。
そして、実際に遂行した作業を振り返れば、その難易度は目一杯に吊り上げた報酬額とは見合わないほどの簡単な内容であった。
貯蔵庫の方々から立ち上がる赤い火を見つめながら、ふと脳裡を過ったのは数年前に袂を別つことになった二人の生意気な姉妹の横顔。
「……っ、出来損ないどもめ」
悪態とともに無意味な感傷を吐き捨て、ティラはかぶりを振って周囲に視線を巡らせる。
保管されていた大量の兵糧を失えば、大軍を頼みとする王国軍は窮地に陥入るだろう。
兵糧の不足を補うために更なる徴収を課せば、重過ぎる負担に王国内からの反発は必至だ。
まだ作物の収穫時期には遠く、そもそもの徴収する食料の在庫さえも十分ではないはずだった。
――更に挙げれば、対外的に認めることはなくとも、帝国の工作を防げなかったことは、エ・ランテルを管轄する王家の失態でしかない。
以前から王派閥と貴族派閥の両陣営に揺れる王国内の政情に照らせば、この件は間違いなく王派閥を蹴落とすために格好の攻撃材料となるだろう。
相次いだ開拓村の襲撃とガゼフ・ストロノーフが率いた王国戦士団の崩壊――ランポッサ三世の権威は短期間で著しく失墜しており、その威光が褪せた号令下において、どれほどの組織立った軍事行動が取れるというのか。
対峙するジルクニフは、時をかけずに宣戦布告の準備を進めており、この膨れ上がっていく真っ赤な大火が侵攻の狼煙となるのは自明であった。
カッツェ平野での決戦に臨むだけの兵力を集められず、兵糧の枯渇が深刻となり、派閥争いのために援軍も期待できないとすれば、三重の城壁に縋って籠城する選択肢すらも絶望だ。
そうした状況に置かれたとき、エ・ランテルに暮らす多くの被支配層である市民たちは、どのように考えるのだろうか。
日頃は重税に苦しめられ、敵国の侵攻という危機において、何の手立ても講じてくれない無能な王族や貴族連中に義理立てし、見限らない者が存在する可能性はどれほどなのか。
「……潮時だな、撤収するぞ」
短く言い差して、ティラは兵糧を積み込んだ荷駄部隊に合図を送った。
あまりにも酷い茶番となるが、エ・ランテルの食料貯蔵庫から奪い、運び出した兵糧の一部を“王国民への支援”として再び届けるだけで、ジルクニフは悪辣な侵略者ではなくなるのだ。
他国の民までも憂い、王国の圧政から解放してくれる救世主――そのような評判が喧伝されれば、内心では乾いた笑いを堪え切れないことだろう。
部下たちの粛々とした後ろ姿を見送り、ティラは一つ小さく息を吐いた。
視界を覆い尽くすほどの火勢が貯蔵庫周辺の家屋までも呑み込み、夜の帳を撥ね除ける巨大な篝火となって、エ・ランテルの街並みと危急の事態に逃げ惑う人々の姿を照らし出していく。
「……これが、望みの光景か?」
果たして、どこまでの絵図を“暗号の送り主”が描いていたのか、と答えのない問いかけを胸の内に秘めながら、ティラは路地の暗がりへと身を投じた。
*
「そろそろ飲み過ぎだせ、リーダー」
「――っ、この程度で酔うかよ」
呆れを孕んだ呼びかけに軽口を返したイグヴァルジは、勢いのままに酒精を喉奥へと流し込む。
一息で空になったジョッキをカウンターに叩きつければ、背後を通り抜けようとしていた女給の肩がビクッと煩わしく震えた。
「……追加だ」と投げやりに言い放ち、イグヴァルジは背凭れに倒れ込む。
「あっ、お姉さん。俺も同じのを追加でお願いね」
隣席で飲む“クラルグラ”の魔法詠唱者が愛想良く声をかけると、女給は強張っていた表情を和らげ、「かしこまりました」と奥の厨房に去っていく。
「お前、そんな飲み方だと店を追い出されるぞ」
「ふんっ、知ったことかよ」
やれやれと苦笑している仲間には今更だが、行儀良く酒を楽しむ気分ではなかった。
「……ったく、俺たちを巻き込むなよ。まぁ、荒れる気持ちも分かるけど、ほどほどにしとけ。だいたい、都市長からの呼び出しなら、依頼は貴族絡みだろ? わざわざ首を突っ込むところじゃねーぞ」
「分かってるんだよ、そんなことは!」
敢えて指摘されるまでもなく、その程度の判断ができないイグヴァルジではない。
しかし、苛立ちの根本的な原因が別にあり、それを自覚してしまっているからこそ、沸々とした怒りを抑えられずにいるのだ。
エ・ランテルでも有数の“ミスリル級”冒険者という肩書きは、一朝一夕の研鑽で手に入れられるものではない。
生まれの村を訪れた吟遊詩人が謳う英雄譚に魅せられ、「いつかは自分も」と幼少に抱いた夢を追いかけ続けて、人一倍の努力を積み重ねてきたという自負があった。
数々の死線を乗り越えながら、誰一人の仲間を失うこともなく、冒険者の日々を邁進したのだ。
それでも、イグヴァルジたちの“クラルグラ”は、人類の守り手と称される英雄“アダマンタイト級”には、未だ手が届いていない。
一方で、昼下がりの冒険者組合で遭遇した“蒼の薔薇”は、王国内でも数少ない英雄たる最高位の称号を認められた冒険者チームであった。
衆目を惹く女性だけのメンバー構成もさることながら、僅か十九歳でリーダーを務めるラキュースは第五位階魔法を使いこなす天才にして、大貴族であるアインドラ家の嫡流ともなる本物の才媛だ。
そうした評判をイグヴァルジが知らなかった訳ではない……というよりも、知った上で強く意識していたからこそ、鬱屈とした劣等感から反発せずにはいられなかったのだ。
寒村から身一つで成り上がろうとしたとき、何の頼りを持たない者に、真っ当な手段ばかりを選んでいる余裕がある訳もない。
若き日のイグヴァルジが、辛酸を舐めながら血の滲む思いで歩んできた長い坂道だ。
――それが、どうしたことなのか。
イグヴァルジより一回りも歳下の貴族出身の小娘は、まるで舞い踊るかのように軽やかな足取りで、瞬く間に頂きへと駆け上がっていった。
「……面白いはずがないだろう」
持って生まれた才能と与えられた環境の比較は、羨むことさえも莫迦らしいほどなのだ。
――或いは、元々の住んでいる世界が違うのだと諦められたのなら、もっと楽に生きる道を見つけられるのかも知れない。
しかし、その差を認めてしまえば、イグヴァルジは“夢”を追いかけることができなくなってしまう。
「――っ、クソったれが……すまん、少し夜風に当たってくる」
仲間の返事も聞かずに席を立ち、イグヴァルジは酔客の合間を抜けて出入り口の扉へと向かった。
冒険者組合での偶然の遭遇時、無理矢理に吹っかけた難癖は軽くあしらわれてしまい、屈辱を自らで上塗りするだけの結果となる。
そして、ラキュースはこちらを知らなかった。
他都市に拠点を持つだけの、自分たちよりも下位の冒険者――接点がない相手に対する当然の反応であり、イグヴァルジの存在は路傍で転がる小石に過ぎなかったのだ。
「……本当に、腹が立つぜ」
何よりも、あの確かな自信と優雅な気品を纏う眩しいほどの“笑み”に当てられた瞬間、二の句が継げなくなったイグヴァルジは、手の届かない高みと完膚なきまでの敗北を自覚させられてしまった。
どれだけの酒を浴びるように飲んでも、胸の内から溢れ出してくる“自身への苛立ち”を洗い流すことはできそうになかった。
そうして、気怠い身体を引き摺りながら扉を押し開きかけ――、ふと妙な気配に立ち止まる。
「――っ、何で……外がこんなに明るいんだ?」
*
蠢めく闇夜を押し除けながら業火は広がり、城壁の最内周部に集められた行政機関の焼失とともに、悲劇の幕が開かれた。
都市外周部の共同墓地にて発生した異変が市壁を乗り越え、衝動に突き動かされるままに蹂躙する。
恐怖に彩られた悲鳴が、幾重にも重なっていく。