「――疲れているところ、済まなかったね。貴重な情報提供に感謝する」
「いえ、お役に立てたのであれば幸いです」
強張った面持ちのままに頭を下げ、ペテルは内心で小さく息を吐いた。
初めて足を踏み入れた最上階の応接室――向かいの席に腰掛ける初老の男は、城塞都市〈エ・ランテル〉の冒険者組合で代表を務めている組合長のプルトン・アインザックである。
銀級〈シルバー〉に昇格したものの、日々の依頼で糊口を凌いでいる“漆黒の剣”としては追いそれと顔を合わせることも難しい相手だ。
そうした存在を目の前にした状況に慣れず、張り詰める緊張感を未だに拭えない。
薬師街でンフィーレアと別れた後、自身の不甲斐なさを噛み締めながらも、護衛依頼の完了を報告するために組合を訪れたペテルたちは何故か場違いな応接室へと案内される。
そこに現れたのが組合長のアインザックであり、不意の対面から心の準備もできないままに直々の聴き取り確認が始まってしまったのだ。
もっとも、組合側の関心事は護衛依頼よりも開拓村の襲撃状況にあったらしく、“蒼の薔薇”のイビルアイに訊かれた内容を反芻する格好となった。
「うむ、情報料については護衛依頼の報酬に上乗せさせてもらうよ。……あぁ、説明するまでもないだろうが、この件は他言無用としてほしい」
現役時代にはミスリル級の戦士としても鳴らした男の凄みに当てられ、ペテルは慌てて頷いた。
「いや、気を悪くしないでくれ。組合としても、まだ分からないことばかりでね。現状で下手な噂が広まったり、混乱を招きたくないのだよ」
こちらの機微を見抜き、そう言葉を添えたアインザックが朗らかな笑みを浮かべてみせる。
それでも、才気立つ威厳は有無を言わせないだけの迫力があった。
「は、はい。了解しました」と素直に返しつつ、ペテルは背筋を伸ばす。
開拓村の襲撃跡を目撃した当初から、世間に触れ回るような話題ではないと皆が理解しているので、今更と口止めをされることに疑問はなかった。
一方で近頃の不穏な情勢については、どのような見解を組合側が持っているのか、とペテルも気にかかる点がない訳ではない。
しかしながら、聴き取りに徹していたアインザックの振る舞いを考えると、一介の冒険者が踏み込むべき領域ではないのだろうとも感じていた。
(……好奇心は身を滅ぼす、と言いますからね)
そうして、自省とともに言葉を飲み込み、ペテルが何気なく視線を巡らせたときのことだった。
唐突に背後の扉が開け放たれるや、血相を変えた受付嬢が室内へと転がり込んでくる。
「――っ、組合長! き、緊急事態です!」
*
エ・ランテルの市街地に不死者〈アンデッド〉が出現したとの一報を受け、冒険者組合を飛び出したペテルたち“漆黒の剣”の目の前には、信じられない光景が広がっていた。
「――っ、いったい何が起きてるんだ!?」
「少しくらい墓地の巡回をサボっても、こうはならねーぞ! どんだけ適当だったんだよ!」
「いや、その程度では説明がつかないですよ!」
「とにかく、今はこの場を切り抜けることが先決なのである!」
喧々たる通りの向こう――アンデッドの多発地帯として知られるカッツェ平野でも、見たことがないほどの大量発生――視界を埋め尽くさんばかりの亡者の群勢が、市壁を乗り越えながら生者への憎悪に哮り上げ、都市を蹂躙せんと押し寄せてくる。
組合内の動ける冒険者は既に総出となり、対処に当たっている様子だが、多勢に無勢は明らかだ。
恐怖の悲鳴を上げて、逃げ惑う住民たちの救助までは、とても手が回りそうにない。
「――皆、戦闘準備を! 私が前に出ます!」
短く言い差して、ペテルは駆け出した。
跳びかかってくる先頭の骸骨〈スケルトン〉を左のラージシールドで打ち払い、右のブロードソードを横薙ぎに振って動死体〈ゾンビ〉を両断する。
視界の端――手前の路地に逃げ込もうとする老婦の背後へと這うように迫る、腐肉漁り〈ガスト〉の異形。横合いから距離を詰めて足蹴にし、倒れ込んだ土手っ腹へと剣先を突き立てる。
「――っ、うひゃあ!?」
「早く、建物の中へ!」
穢れた血飛沫に老婦の悲鳴が上がるも、避難の指示だけを告げて、ペテルは素早く踵を返した。
通りに向き直れば、普段は人々の往来で賑わっていたはずの街並みが混乱の渦中に呑まれている。
「――ペテル、焦ってはダメですよ」
嗜める言葉とともに、全身を包んでいく淡い魔法の輝き――ニニャが唱えた〈リーンフォース・アーマー/鎧強化〉を受け、ペテルは息を吐いた。
「すみません。突然の事態だったので――」
駆け寄ってくる仲間たちに小さく頭を下げれば、軽く肩を叩かれる。
「まぁ、良くやったな。……けど、あの距離なら、今度からは俺に任せてくれよ」
笑みを浮かべたルクルットが、合成長弓〈コンポジット・ロングボウ〉に矢を番えながら視線を巡らせ、通りに蔓延るゾンビの頭部を射抜いていく。
「それが、ペテルの良さであるな。後は冷静に状況を見極められたのなら、申し分ないのである」
言い含めるような声音のダインからも強めに肩を叩かれ、ペテルは思わずと苦笑した。
咄嗟の判断で飛び出してしまったものの、ペテルには信頼できる“漆黒の剣”の仲間がいる。
一人だけが突出してしまえば、彼らを無闇な危険に巻き込む可能性もあったのだ。
小さくかぶりを振り、ペテルは頬を片手で張りつけ、自らを落ち着かせるように口を開いた。
「――失礼しました。まずは方針を決めましょう」
「異変の原因は、間違いなく共同墓地だろうな」
眼前の脅威に対峙しながら横目で様子を窺えば、通りの突き当たりとなる市壁を乗り越えて、際限なくアンデッドが溢れてくるのだ。
この場で戦い続けても、やがては逼迫する状況を避けられそうになかった。
やはり、根源を断たなければ――、
「原因を特定するためにも、あの墓地を目指すべきなのでしょうが……」
「残念ながら、我々の力では無理であるな」
「……だな。つーか、向こうの通りは大火事になってるし、本当に何が起こってるんだよ」
共同墓地のある都市外周部とは、真逆の方向――内周部の行政区からは火の手が上がっており、市壁を越えて燃え広がるような事態となれば、被害の規模は想像もつかない。
悪態を吐き捨てたルクルットが弓を引き絞り、ダインが大振りのメイスを手に身構え、ニニャは〈マジック・アロー/魔法の矢〉を唱えていく。
幼少期からの憧れ――物語に謳われる英雄であれば、押し寄せるアンデッドを薙ぎ倒しながら、勇猛に前へと進むことができるのだろう。
――しかし、ペテルは英雄ではない。
夢を持って生まれた村を旅立ち、冒険者としての道を懸命に歩んできたが、先の依頼では自らの非力を痛感したばかりだった。
未曾有の事態とチームの実力を鑑みれば、この場は撤退するべきなのだろう。
かつて向けられた、「冷静さを失った者から脱落していく」という忠告が脳裡を過ぎる。
それでも、腰に差した“漆黒の短剣”へと手を触れながら、ペテルは小さく息を整えた。
「――私たちの力では、この数のアンデッドを突破できません。……でも、街の人たちが逃げられる時間ぐらいは、稼ぎたいですよね?」
前方を見据えたままの問いかけ――信じられる仲間たちの答えは、初めから分かっていた。
「おうよ! 的が多けりゃ、射ち放題だぜ!」
「えぇ、その通りです!」
「勿論なのである!」
頼もしい決意の言葉を背中に受けて、ペテルは口許を持ち上げる。
「――では、やりましょう!」
*
そうして、何度目ともなるアンデッドの攻勢を凌ぎ切り、ようやくとペテルが息を吐いたとき、ふと傍らのルクルットが肩を竦めてみせた。
「――っ、次のは懐かしいヤツまで現れたな」
疲労を堪えて顔を上げれば、通りの向こうから新たに姿を見せた群れの中に、細身の異形が映る。
「なるほど……確かに、懐かしい相手ですね」
肉を削ぎ落とした痩躯と長い四肢、麻痺毒を有した禍々しい爪――食屍鬼〈グール〉と呼ばれるアンデッドを前に、ペテルは思わずと頬を緩めた。
駆け出しの冒険者として挑んだ初めての昇格試験において、寄せ集めの四人が力を合わせて討ち果たした難敵であり、あの戦いでの勝利が“漆黒の剣”を結成する契機となったのだ。
「……ふふっ、ペテルは“憧れの英雄”になれそうですか?」
「どうですかね、ちょっとは立派になったと思うのですが……まぁ、諦めの悪さは性分なので、そうなれるまで足掻いてみせますよ」
空元気ながらも冗談めかせたニニャの上目遣いに軽口を返し、ペテルもまた気力を振り絞ってブロードソードを構えた。
――この場に踏み留まれば、何かが変わるのか。
騒めく不安を胸の内に押し込み、望外であった護衛依頼中の出会いに思いを馳せる。
都合の良い願望なのかも知れない――それでも、英雄と謳われる“蒼の薔薇”であれば、エ・ランテルの異変を察知し、引き返してくれるはずなのだ。
大きく肩で息をしている仲間たちを見遣っても、誰一人として自棄になる者はいない。
ルクルットが素早い動作で矢を射かけ、ニニャの〈マジック・アロー/魔法の矢〉が尖兵を穿つ。
「――さぁ、もう一息なのである!」
「はい! 私たちなら、絶対に大丈夫です!」
ともに前衛の盾役を務めるダインの鼓舞に応じ、ペテルは声を張り上げた。
再び攻め寄せてきたアンデッドの群れ――落ち窪んだ眼窩の奥で、憎悪を宿した瞳が炯々と燃える。
間近へと迫りくる先頭のグールを睨みつけ、意地の覚悟で迎え撃つ。
「うおぉおおおおー!」
閃めく毒爪と大上段から振り下ろした一撃。
擦れ違い様に左の肩口を斬りつけ、渾身の力で右の脇腹へと振り抜く。
両断された体躯を支えられず、崩れ落ちるグールの亡骸を置き去りにして、ペテルは駆けた。
疲労に喘いでいた身体が不思議と軽くなり、奥底から力が湧き出してくるような高揚感に奮起して、次々と目前のアンデッドを屠っていく。
――その感覚は俗に“れべるあっぷ”とも称される現象であり、この追い詰められた窮地に至っては、文字通りに火事場の馬鹿力を発揮した。
しかし、ペテルたちの戦場に不意の影が差す。
都市最内周部の行政区を焼失させた業火は、天を衝くほどの凄まじい火勢となっており、宵闇の帳を押し除ける篝火となって街並みを照らしていた。
その明かりを遮るほどの存在――あまりにも強大で醜悪なアンデッド――集合する死体の巨人〈ネクロスフォーム・ジャイアント〉が、酷く鈍重な足取りで“漆黒の剣”の背後から姿を現したのだ。
周辺の建物よりも頭二つ分は高い背丈で、どこに身を隠していたというのか。
圧倒的な高さから、こちらを睥睨する怨嗟の眼差しに背筋が凍りつく。
百を超える膨れた腐乱死体を捏ね回し、無理矢理に繋ぎ合わせたような肥満体の巨躯が不恰好に震える様は、全身が総毛立つほどに悍ましい。
突然の事態に思わずと全員が呆けてしまい、その僅かな空隙が命取りとなった。
「――危ないっ、ニニャ!!」
咄嗟に呼びかけ、ペテルは地面を蹴りつけた。
伸ばした手の先に驚愕の顔――大きく見開かれた青い瞳が揺らぎ、視界を覆い尽くしていく黒い影と見上げるほどの巨体が倒れ込んでくる。
周囲の景色が奇妙なほどの緩慢さで流れていき、時間の経過さえも曖昧な世界の中で、出会いからの何気ない記憶が脳裡を駆け巡りながらも、その辿り着きたい場所は無慈悲なほどに遠い。
手から滑り落ちていったブロードソードが乾いた音を鳴らし、仲間たちの叫びが耳朶を劈く。
永遠にも感じた数歩の距離――それでも、最期にその華奢な身体を突き飛ばすことはできた。