――傭兵部隊“死を撒く剣団”が塒とする洞窟は、怒号や悲鳴が飛び交う混乱の渦中にあった。
それでも、襲撃者は一人だけという報告を受け、洞窟の出入り口へと向かうブレインは、どこか高揚する思いを抱きながら集中力を高めていた。
近づくほどに血の臭いは濃くなり、一方で喧騒は徐々に遠去かっていく。
洞窟奥に詰めている連中を除けば、迎撃に動いたはずの二、三十人余りの傭兵たちは、既に敢えなく討ち取られてしまったらしい。
「……なるほど、獲物に不足はなさそうだな」
ぽつりと呟けば、口許に不敵な笑みが浮かぶ。
強者との戦いに逸る気持ちを抑えつつ、ブレインは悠然と歩を進めていき――やがて、噎せ返るような血溜まりの淵に佇む、見覚えのない一人の小柄な女の姿を捉えたのだ。
「……アンタが、噂の侵入者かい? 本当に女一人で襲撃しにきたのか」
「んー、そうだねー。別に襲撃するつもりなんてなかったけど……まぁ、趣味? というか、その場の流れみたいな感じかもねー」
不躾な問いかけに、気の抜けた返答。
こちらを警戒する素振りも見せなかったのは、接近してくるブレインの存在を最初から認識していたということなのだろう。
どこか気怠げな女の手には、鮮血に染まる細身の鋭いスティレットが握られている。
無造作に転がされた傭兵たちの骸を一瞥すれば、それぞれの首許や俯せの背中には無数の刺突痕が視認でき、まだ襲撃から間もないためか、赤黒い血を止めどなく吐き出し続けていた。
ブレインの実力には遠く及ばないものの、傭兵団には戦場を渡り歩いた古強者も集まっていたので、このような最期は想像もしていなかっただろう。
(……とりあえず、情報通りの戦士らしいな)
考えていたよりも小柄な相手の背格好を遠目から見遣り、魔法詠唱者の可能性も危惧したのだが、杞憂であったことに内心で安堵する。
そして、常人であれば目を背けたくなるほどの凄惨な戦いが繰り広げられたであろうにも関わらず、女は一切の返り血を浴びている様子もない。
「……お兄さん、落ち着いてるねー。ヨクモナカマヲー、みたいな展開を期待してたんだけどー?」
「そりゃあ、悪かったな」
ご期待に添えず、と嘯きながら少し大袈裟に肩を竦めてみせ、ブレインは小さく息を吐いた。
果たして、傭兵団の塒を襲撃している自覚があるのか――女の立ち姿には、まるで緊張感がない。
しかしながら、どこにも斬りかかる隙を見出せないので、相当な手練れであることは確実だろう。
「ふーん、もっと直情型かと思ってたけど、意外に冷静だね。ブレイン・アングラウス」
「ほぅ……、俺を知っているのか」
軽い驚きとともに、警戒心を更に引き上げる。
こちらの素性を把握していながらも、さらりと向けられた女の眼差しには、臆することのない挑発的な色合いが浮かんでいた。
全く見覚えのない女であっても、相手の不遜な振る舞いに接すれば、少なくとも同格以上――実力は伯仲していると見込みたいところではあるものの、こちらの手の内がどこまで知られているのかによって、取るべき対処は大きく異なるだろう。
「……俺の首でも、狙いにきたのか?」
傭兵団に属して腕を磨いてきた傍ら、方々から恨みを買っている自覚はあるので、そうした手合いが差し向けられたとしても不思議はない。
「んー? いや、違うよー。ここに立ち寄ったのは偶然……その場の流れ、って言ったでしょー?」
随分と芝居めいた態度ではあるが、呆れを孕んだ女の声音に、見当違いな問いを投げかけたのだとブレインは気付かされた。
「……なるほど、俺の自意識過剰だったか」
わざとらしく拗ねてみせ、相手の反応を窺う。
「そうだねー。お兄さんの名前を知っているのは、風花の連中がコソコソと集めていた情報を拝借しただけかなー。……まぁ、この王国内で私とまともに戦えそうなのが、お兄さんの他に三人くらいしかいなかったから、覚えてあげたんだよー」
感謝してよねー、と気負いもなく言い切り、女は外連味を効かせるように胸を張った。
どこまでも相手を小馬鹿にする女の奥底には、揺るぎない絶対的な自信が垣間見える。
「……それは、光栄だな。こちらの名乗りが不要なら、アンタの名前を訊いても良いかい?」
「んーっと、私の名前はクレマンティーヌ。短い付き合いだろうけど、よろしくねー」
偽名でなければ、やはり聞き覚えはなかった。
かつての雪辱を果たして、“最強”の称号を手にするために、その過程で倒すべき強者の名前と人相を頭に叩き込んでいるブレインだが、いずれの情報も眼前の女には合致しない。
「――感謝するよ、クレマンティーヌ。それと申し訳ないが……参考までに、他の戦えそうな三人が誰なのかも教えてくれないか?」
「んー、特別だよー。お姉さんは優しいからねー」
そうして、女が指折りに数えながら告げた名前は“蒼の薔薇”のガガーラン、“朱の雫”のルイセンベルグ・アルベリオン、既に冒険者を引退しているヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンという、リ・エスティーゼ王国でも有数の戦士たちであった。
隠そうともしていない口振りからすると、クレマンティーヌが他国の出身者であることは確かなのだろうが、何とも違和感を拭えない。
「でもさー、まともに戦えたところで、このクレマンティーヌ様に勝てるはずがないんだよねー」
穏やかな笑みを湛えた女は、やれやれとばかりに大きく肩を竦めてみせた。
「そうかも知れないな。……だが、少し覚えが足りないんじゃないか? もう一人、忘れてるぞ」
「んー? 残りの雑魚だと、私とは戦いにすらならないんじゃないかなー」
顎先に軽く手を当てながら、わざとらしい思案顔を浮かべているクレマンティーヌ。
その感情を逆撫でするような声音に、誘導されている嫌味な気配を察しても、ブレインは先の言葉を紡がずにはいられなかった。
「――王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフ」
御前試合での激闘の末に、初めての敗北を喫した相手であり、いつかは越えなければならないと剣に誓いを立てた好敵手。
そして、一抹の憧れさえ抱いてしまったために、その背中をずっと追い続けてきた存在――好悪が綯い交ぜとなった想いは執着となり、ブレイン自身をして説明がつかけられないほどなのだ。
「……それが、アンタの思い出すべき男の名前だ」
不意に洞窟内を灯していた〈コンティニュアル・ライト/永続光〉の明かりが散らつき、女が確信めいた色を宿して猫のように瞳を細める。
持ち上げられていく真紅の口唇。
獲物が狙い通りの罠にかかった、とでも言わんばかりの嗜虐的な笑みに迎えられた。
「……あぁ、そうだねー。王様の前で恥をかかされちゃったんでしょー? それで尻尾を巻いて、こんな地下のジメジメした穴倉に逃げ込んだのよねー」
「まぁ、そんなところだ」
あからさまなクレマンティーヌの挑発を軽く受け流し、ブレインは静かに息を整える。
こちらの名前を知っているのなら、そうした経歴も把握されているだろう。
この程度の揶揄であれば、御前試合の以降で何度となく耳にし、その度に愛刀で斬り伏せてきた。
――相手が誰であろうと、それは変わらない。
そして、勝手気儘なクレマンティーヌの素振りに接すれば、互いに考えていることは同じ――目の前の強者を生かしておく理由はなかった。
「……穴倉に逃げ込みはしたが、ブルブルと怯えてただけじゃない。アンタで試させてもらうぜ」
「ふーん、別にどうでも良いけど……そのガゼフ・ストロノーフが何なのー?」
「はぁ? 何を言ってやが――」
「――とっくに“死んだ男”の名前なんて思い出させて、お兄さんは何がしたいのかなーってさ」
口端が耳許まで裂けるように吊り上げられ、クレマンティーヌは満面の笑みを浮かべていた。
「なっ、何を……どういうことだ!?」
「あれー、聞こえなかった? ガゼフ・ストロノーフ、とっくに死んでるよ」
「な、何だと!? い、いや……そんなことは、お前が倒したとでも言うのか!?」
ここまでの立ち振る舞いを見遣れば、女が相当な実力者であることに疑いはない。
それでも、突然の衝撃は戦鎚で頭をぶん殴られたにも等しく、俄かには信じられるはずもなかった。
「さぁねー、あの世で会えたら訊いてみれば?」
*
戦場での活躍から“周辺国家最強”と謳われたガゼフ・ストロノーフと、その英雄にも伍すると評されたブレイン・アングラウスであっても、所詮は表の存在――この程度に過ぎないのだ。
目の前で無様な狼狽を晒す男の姿を嘲りながら、クレマンティーヌは苛虐の笑みを貼りつけたままに血染めのスティレットを掲げてみせた。
こちらの臨戦態勢を受け、ブレインが慌てて半身の姿勢に退いて身構える。
腰には南方から流れてくる“刀”。抜き打ちで放たれる“居合い”に注意は必要だが、内心の動揺を抑え切れていないのは明らかだった。
根暗な“風花聖典”が集めた情報に照らせば、御前試合の頃よりは剣の腕を磨いている様子が見て取れるものの、精神面の脆さは一層と甚だしい。
脛に傷を持つ者同士の勘が告げるのなら、この男は本質的に“こちら側”の人間でないのだろう。
それでも、初めての敗北がブレインに道を踏み外させ、好敵手のガゼフに対する歪んだ執着は蠱毒のように自らを蝕んでいった、というところか。
「……残念だね、ブレイン・アングラウス。お前は生涯、ガゼフ・ストロノーフには届かないよ」
殊更に冷酷な台詞を吐き捨てたクレマンティーヌは、低く這うほどに腰を落とした。
不意の核心を突かれ、憤怒に染まる顔。
それほどまでに集中力を乱してしまえば、まともに武技を紡ぐことさえできないだろう。
――もはや、時間をかける必要もない。
全身の筋肉を撓めつつ、クレマンティーヌは武技の解放とともに大地を蹴って駆け出す。
「――っ、〈流水加速〉、〈疾風走破〉、〈能力向上〉、〈能力超向上〉」
かつての異名を彷彿とさせる刹那の一撃は、理想的な重心移動から流星の如く閃めき――、文字通りの疾風となって洞窟内を吹き抜けた。
「……まっ、こんなもんだよねー」
新たにスティレットを染めた鮮血を軽く払い、クレマンティーヌは物言わぬ骸となった男を振り返る。
渇望に喘ぐ断末魔の表情を見下ろし、こぼれたのは呆れにも似た溜め息が一つ。
城塞都市〈エ・ランテル〉を脱出した後、それなりに人目を避けようと街道を外れてはみたものの、何の因果か思いがけない遭遇があった。
故郷を追われた逃走中の身ではあるので、目立つ行為は控えるべきなのだろうが、降りかかってくる火の粉は払わなければいけない。
何かしらの悪趣味な差配を感じながらも、クレマンティーヌは気を取り直して大きく伸びをした。
「さーてと、残りの雑魚を狩れば、今夜の寝床くらいは確保できそうかなー。……っ、ん?」
そうして、ふと触れた首筋には浅い切り傷。
微かな痛みと、指先を汚した自らの赤い血を見つめれば、無意識の内に口許が持ち上がる。
「……思ってたよりは、マシだったか」
ぽつりと呟かれた言葉は、間もなく洞窟奥からの喧騒に呑まれていき、何の意味もなさなかった。