王都リ・エスティーゼの最奥に位置するロ・レンテ城。その中でも贅を尽くしたヴァランシア宮殿の一室――“黄金”を謳われる第三王女、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフの私室に、似つかわしくない驚きの声が上がった。
「――そ、そんなガゼフ戦士長が!? きゃっ、いや……あ、危なかった」
突然の報せに動揺し、思わずと立ち上がった拍子に引っかけてしまった卓上のティーセットを慌てて両手で抑える。
「しぃーっ、声が大きいわよ。ラキュース」
「……っ、ごめんなさい。でも、すぐには信じられないわ。ラナー、その情報元は確かなの?」
対面に腰かける“親友”に嗜められてしまい、小さく肩を竦めてみせたラキュース・アルベイン・デイル・アインドラだが、それでも再びの疑問を投げかけずにはいられなかった。
「……残念ながら本当のことよ。今朝早くに城塞都市〈エ・ランテル〉からの急使が到着したわ」
力なく答えたラナーが憂いに顔を伏せつつも、気力を絞り出すように説明を続けてくれる。
春先から東の国境付近に位置する開拓村が次々と襲撃を受ける事態となり、ガゼフ・ストロノーフ率いる王国戦士団が王命によって派遣されていた。
しかし、派閥争いに巻き込まれる中で出発は遅れてしまい、装備など満足な支援を得られない中での対応は後手に回り続けた。
それでも、辛うじて難を逃れた生き残りの者たちを保護しながら行軍した戦士団は、ようやくと辺境の開拓村で襲撃部隊の捕捉と撃破に成功する。
「――でも、相手の狙いは最初から救援に現れる戦士団……いえ、ガゼフ戦士長だったみたいなの」
夕闇に紛れるように、疲弊した戦士団と開拓村を新たな脅威が包囲した。
全員が魔法詠唱者からなる精鋭部隊の出現に、周到な罠に嵌められたことを理解するのは難くない。
「――最期は村人たちを守るために部隊を二つに分け、自らを囮として勇敢に戦われたそうよ」
そうして、僅か数名となってしまった戦士団員が生き残った村人たちを護衛しながら、決死の覚悟でエ・ランテルまで逃れたことによって今回の報告に至ったのだという。
「そう、なのね……残念だわ」
その先の言葉を紡ぐことができず、ラキュースは気持ちを落ち着けるために卓上のティーカップへと手を伸ばした。
ガゼフの遺体を取り戻せば、〈レイズ・デッド/死者復活〉を試みることもできるが――、襲撃までの計画性から判断すると難しいだろう。
ティーカップを傾けつつも、華やかな紅茶の香りが今ばかりはどこか虚しく煩わしい。
悲壮な面持ちのラナーを見遣り、背後に控える少年騎士のクライムが狼狽えている様を目にしても、ラキュースは揶揄う気になれなかった。
「それにしても、魔法詠唱者ばかりの部隊か……ねぇ、ラナー。貴女はどう考えているの?」
「村を襲っていた者たちは、バハルス帝国の騎士鎧を身につけていたという証言があるの。ただ……帝国の力だけでは、それほどの規模の部隊を編成できるとは――」
そこで言葉を詰まらせたラナーが、小さくかぶりを振った。
魔法詠唱者が軽視される王国とは異なり、帝国は魔法学院の設立を始めとした魔法教育に国力を注いでいる。
それでも、両国間で長年に渡って繰り返されている戦争においても、そうした部隊が投入された過去はないはずだ。
(……考えられるのは、帝国以外の勢力が介入してきた可能性かしら)
そして、ラキュース自身よりも遥かに優れた思考を持つラナーが言及を避ける存在――、思い当たるのは南方のスレイン法国だけだった。
周辺諸国の中でも最大規模の戦力を有する法国であれば、そうした精鋭部隊を編成することも決して不可能ではないだろう。
以前、冒険者としての依頼中に法国の特殊部隊と思しき魔法詠唱者の集団と遭遇し、亜人種への対応を巡って交戦した経験があった。
ふと脳裏を過ぎるのは、隊長と呼ばれていた丸刈り男の嫌味ったらしい笑み。
統率された魔法詠唱者の集団は脅威であり、最高位アダマンタイト級を冠するラキュースたち“蒼の薔薇”であったからこそ、チームの連携によって辛うじて退けることもできた。
しかし、あのときのような部隊を敵にすれば、如何に“周辺国家最強”を謳われるガゼフであっても、村人たちを守りながら包囲網を切り抜けることは不可能だったのだろう。
そこまで考えを巡らせたのなら、一方で疑問も浮かんでくる。
人類の守護者を気取っている法国は、亜人種に対して苛烈な攻撃を繰り返しつつも、王国と帝国間の争いには中立の姿勢を保ってきたはずだった。
そうした方針を変えるてしまうほどの、何か理由があったのか――、
(……いえ、帝国と法国のつながりを示すものは何もないのだから、これは考えても仕方ないわね)
外交筋から抗議を通すにしても、確かな証拠がなければ意味はないだろう。
何より、長年に渡って戦争状態が続いている帝国に加えて、更に法国まで敵に回してしまうような事態を避けなくてはならない。
残念ながら二方面に戦線を抱えられるほどの余裕が、現在の王国には残されていないのだ。
「……ねぇ、ラキュース。貴女たちにお願いしていた件なのだけれど、少しだけ依頼内容を変更しても良いかしら?」
重苦しい沈黙を破り、ラナーが申し訳なさそうに口を開いた。
「えぇ、勿論よ。何をすれば良いの?」
憂いの表情を浮かべた親友の問いかけに、ラキュースは即座に了承を示す。
本来の託されていた依頼内容は、王都に潜む犯罪組織“八本指”を打倒するための内偵調査なのだが、情勢の変化に合わせて必要なことをすれば良い。
誰よりも優れた頭脳を持つラナーが手立てを講じて、ラキュースは信頼する仲間たちとともに全力で実行する――それで、上手くいかないはずがないのだと無理矢理に強く拳を握り締めた。
*
「私たちに任せて!」と勢い込んだラキュースの後ろ姿を見送り、ラナーは小さく手を振っていた。
しかし、私室の扉が閉められると同時に、その場で力が抜けたように座り込む。
危急の事態でも気丈に振る舞っていたが、ふと緊張の糸が切れたことで身体を支えられなくなってしまった――そういう“演技”だ。
「ラナー様!」
慌てて駆け寄ってくるクライムを振り返り、小首を傾げるようにして照れ笑いを浮かべる。
「……少し、疲れてしまいました」
精一杯に悪戯っぽくみせながらも、ラナーは僅かに震えてしまう声音を隠し切れない。
――こうした儚げな仕草が好みらしい。
傍らに膝を折って屈み込んだ仔犬の顔を窺えば、こちらに向けられる気遣いの眼差しと仄かに朱を差した頬が実に可愛らしいものだ。
主人への忠義と好意の狭間で揺れる葛藤に瞳が頼りなく泳ぎ、一方で王国の危機的状況を目の前にして何もできない――任せてもらえない自身の不甲斐なさに打ち据えられもているのだろう。
それでも、ラナーの前では平静を装わないといけない矜持で、しっかりと口許を引き結んでみせる。
そうした健気な心の機微が見て取れると、優しく頭を撫でてやりたくなるのだが――、
「もぉー、ごめんなさい。……クライム、ちょっと手を貸してもらえるかしら?」
わざとらしい溜め息をこぼしつつ、ラナーは軽い調子で呼びかける。
どれだけ距離を詰めてみても、こちらから働きかけなければ手を握ってもくれないのだから、クライムは随分と“思わせ振り”なものだ。
「えっ、あ……はい、畏まりました」
躊躇いがちに差し出された手は、日々の訓練によって鍛えられた無骨なもの――やや強引に両手で握り締めてしまえば、少しだけ握り返してくれる。
「……ふふ、ありがとう。――っ、きゃあ!?」
手を引いてもらいながら立ち上がり、不意の立ち眩みでよろけてしまう。
そうして、ごく自然な流れで黄金の姫君は従者の胸板へと寄りかかる。
「ラ、ラナー様!?」
咄嗟に肩を抱き留めた腕を背中に回してくれないことは不満だが、間近で感じられるクライムの鼓動が早鐘のように高まっていくので、とりあえずは許してあげよう。
――今はまだ主従の垣根を越えられないので、これが及第点といったところか。
「……ねぇ、あそこまでお願い」
先ほどの“お茶会”で腰掛けていた椅子――と、その直線上にはラナーの寝室へと繋がる扉。
どちらとも取れるようにわざと曖昧な指の差し方をしてやれば、他愛のない揶揄いにも小さく息を呑み込む気配。
このまま寝室へと連れ込んでくれるのであれば、それでも一向に構わないのものの……やがて、椅子へと導かれたラナーは、「ぷぅーっ」と可愛らしく頬を膨らませてみせた。
「…………お、お戯れを。あっ、代わりの紅茶を用意いたしますね」
慌てた様子で誤魔化すクライムを見遣り、一つ息を吐いたラナーは口許を綻ばせる。
「えぇ、今度は貴方も一緒よ。クライム」
こちらへと向き直り、丁寧に頭を下げるとクライムは手早く準備に取り掛かっていく。
その甲斐甲斐しさには、勢い良く振られる尻尾が幻視できるほどだった。
思わずと頬を緩めながら、ラナーは小さく伸びをして窓辺に視線を向ける。
不意の春風に、窓枠が小さな軋みを上げた。
「……予定とは少し違うのだけど、全ての手は打っておくべきよね」
そうして、ぽつりと口端からこぼれた呟きは誰の耳にも届くことはない。
現時点では不確定な要素が多く、どのように情勢が転んでいくのかは未知数だ。
しかしながら、どのような未来が待ち受けているとしても構わない。
ただ一つの変わらない願いだけを胸に秘めて、ラナーは静かに微笑みを浮かべるのだった。
からかい上手のラナーさん、彼女だけはどの世界線でも幸せになれそうな気がします。