「……ガゼフ・ストロノーフが死亡したそうだ」
居並んだ配下たちの顔触れを見回し、バハルス帝国を統べる若き皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは短く告げた。
実用性と絢爛さを兼ね備えた執務机には、封の切られた二通の書状が無造作に投げ出されている。
昨夜遅く、〈メッセージ/伝言〉による速報を受け取った段階で、この場に集める政権中枢の文官や軍務を担う者たちには内容を共有していたので、大きな驚きは見られない。
リ・エスティーゼ王国内に潜伏している伝手から届けられた密書により、“王国戦士長死亡”の情報が確定しただけのことだった。
「――やはり、スレイン法国が手を引いているのでしょうか?」
「そのようだ。我が帝国騎士を騙って……という点は少し気に食わないが、ようやくと王国を見限ることにしたらしいな。ついでに、ランポッサの奴は心労で倒れたらしいぞ」
やれやれとばかりに肩を竦めてみせたジルクニフに頷きを返し、秘書官のロウネ・ヴァミリネンが顎下に手を添えて思案顔となった。
長年に渡る帝国と王国間の争い――王国方の国力疲弊を狙い、帝国としては意図的に膠着状態を保ってきたのだが、中立の第三者であった法国の介入によって均衡が崩されようとしている。
「……陛下は、例年通りの動員兵力を維持されるおつもりですか?」
こちらの意図をしっかりと汲んだ問いに、ジルクニフは口許を持ち上げた。
「今後の情勢次第になるが、最大は六軍まで……但し、状況によっては七軍までの動員は検討中だ。ロウネ、お前はどう考える?」
全八軍からなる帝国の動員可能兵力の内、例年の小競り合いであれば四軍以上を動かす必要はない。
六軍以上の動員を示唆してみせた、その意味が分からない者を執務室に呼ぶことはなかった。
「……この機会に要衝である城塞都市〈エ・ランテル〉を陥落させることは一考ですが、敢えて停戦を選ぶことも検討すべきかと」
「ほう、何故だ?」
既に対抗策の範疇であっても、この場で全員に理解させるための説明を促し、ジルクニフは執務椅子に深く腰かけ直す。
「――はっ、ガゼフ不在の王国軍をカッツェ平野の決戦で打ち破ることは容易いでしよう。しかし、局地的な勝利では情勢を変えるには至りません。今後の王国戦線を優位に進めるためには、要衝地であるエ・ランテルを攻め落としたいところですが、相応の被害は予想されます」
続けろと軽く手を払い、ジルクニフは臣下たちに視線を巡らせる。
「一方で、国王のランポッサ三世が伏せている現状で、帝国からの外圧を緩めてやれば――」
「馬鹿な王国貴族の連中は内部争いで勝手に崩れてくれる、って訳ですかい?」
傍らから台詞を引き取った大柄な偉丈夫、帝国四騎士の筆頭である“雷光”バジウッド・ペシュメルを見遣り、ロウネが「その通りです」と破顔した。
若くして皇帝に即位したジルクニフは、強権を用いた反抗的な貴族の粛清を始めとし、“鮮血帝”などと渾名される苛烈さで政策を推し進めてきたが、臣下の言葉に耳を貸さない訳ではない。
会議や謁見の場においては、こうして臣下たちに自由な発言や意見交換を許している。
逆に発言もせず、他者の意見に追随するばかりの無能者たちを切り捨ててきたのだ。
「折から続いている王家と有力貴族間の派閥争いに加えて、ランポッサの心労で後継者問題が表面化すれば、王国は決して一枚岩となれないでしょう」
「……なるほどな。けどよ、どっちかの派閥が勝っちまうとマズいことにならないかい?」
「えぇ、その危険性はあります。しかし、そのときには不毛な内部争いで王国の国力が更に低下しているはずですよ。そう計らうために、陛下は幾人かの王国貴族とも懇意になされていますので……」
ジルクニフに含みのある一瞥をくれつつ、ロウネはバジウッドに向き直って言葉を続ける。
「――しかしながら、帝国からの攻勢を強めると外敵への対処が優先となり、一時的に王国は団結する可能性があります。中には戦場での功績を挙げることで、他派閥より発言力を高めようと画策する輩が現れるかも知れません。そうなれば、こちらに無用な被害が拡大してしまう怖れもあります。……当然ながら被害を抑えられるのであれば、エ・ランテルまで奪取できることが最善とはなりますがね」
やや消極的な意見になるものの、居並んだ文官を中心に納得の気配が広がっていく。
「じゃあ、どっちも一長一短って感じなんだな。お前はどう思うんだ、ニンブル?」
腕組みをして話を聞いていたバジウッドが、傍らに立つ美丈夫――帝国四騎士の一人である“激風”ニンブル・アーク・デイル・アノックを振り返って問いかける。
「――軍人ならば命令に従うまで、と言いたいところですが、ロウネ殿の献策は些か勿体ないかと」
涼やかな声音で応えてみせたニンブルは、朗々と対王国戦の状況と自らの考えを語っていく。
専業兵士の騎士団を擁する帝国と農民の徴兵で軍事を構える王国では、戦争に関するアプローチが根本から異なる。
帝国側の宣戦布告は作物の収穫時期を狙ったものであり、応戦のために王国側が徴兵をすると農村は働き手となる若い男たちを失い、大きな負担を強いられることになるのだ。
そして、毎年繰り返される戦争による王国側の疲弊は明らかであり、数年内にも破綻しかねないほどの情勢になっている。
また、帝国内に目を向けても反抗的な貴族から戦費を供出させるという意味では、開戦の準備を整えるだけでも重要な意味を持つ。
法国の思惑はあれど、例年通りの小競り合いに終始するだけでも充分な成果をえられるはずだ、という一貫した主張には説得力があった。
「――私個人としても武功の機会が失われてしまうのは避けたいものですが、カーベイン将軍はいかがお考えでしょうか?」
軽く肩を竦めて発言を切り上げたニンブルは、まだ沈黙を保っていた白髪の男に視線を向けた。
ナテル・イニエム・デイル・カーベイン――先代皇帝に取り立てられて帝国騎士団の第二軍を預かる指揮官は、品の良い穏やかな物腰と堅実な手腕から人望も厚く、負けない名将として讃えられている。
「……そうですね。やはり武人の立場からすれば、ロウネ殿の停戦案を受け入れるのは難しいかと思われます」
カーベインの柔らかな語り口には、聞く者を惹きつける心地良さがあった。
「――カッツェ平野にて王国軍を打ち破り、余勢を駆って攻めるのであれば、エ・ランテルを陥落させることも難しくはないでしょう。油断は決して許されませんが、そのために攻城戦の訓練は万全に積んでおります」
気負いもなく言い切ったカーベインの表情を見遣り、ジルクニフには薄く口許を緩める。
「歴戦のカーベイン将軍が勝利に太鼓判を押していただけるのであれば、私に否やはありません。エ・ランテルを落とすために必要と思われる準備がありましたら、何なりとご用命ください」
あっさりと自らの停戦案を撤回してみせたロウネが、カーベインに賛意を表明する。
ジルクニフが六軍の動員を示唆した段階で、こうした議論の帰結は全て計算尽くだったのだろう。
幾人かの文官が僅かに動揺した素振りを見せつつも、表立って反論する気配はない。
最初から却下されるために、ロウネが消極策を披露してみせた提案の運び方は上々だった。
「感謝いたします、ロウネ殿。そして、恐れながら皇帝陛下には老将の戯言を付け加えさせていただきたいのですが――」
憂慮の色を湛えたカーベインの眼差しが、真っ直ぐにこちらへと向けられる。
「構わん、申してみよ」
「――はっ。数え切れないほどの愚行を繰り返す王家や貴族の腐敗により、王国の民は多くの犠牲を強いられております。しかし、いずれは帝国の臣民となる者たちです。願わくば、彼らに一刻でも早い救いの手を差し伸べてやることこそ、偉大なる統治者の果たすべき使命だと愚考いたします」
清廉潔白な武人らしい物言いに当てられ、誰からともなく小さな感嘆の声がこぼれた。
そうして、この会議の趨勢は決定づけられる。
「――良く申してくれた、カーベイン将軍」
短く労いの言葉をかけたジルクニフは、「私の意も定まった」と優雅に執務椅子から立ち上がる。
それだけの所作で室内にはピリピリとした緊張が漲り、臣下たちが傾聴の姿勢を整えていく。
居並んだ顔触れをゆっくりと見回し、ジルクニフは雄々しく右手を掲げてみせた。
「――これより先は腐敗したリ・エスティーゼ王国を打倒し、民に安寧をもたらすための戦いである。各々、全身全霊をもって尽力せよ!」
*
稀代の皇帝として名高いジルクニフの堂々たる宣言に、ロウネは静かに頭を垂れた。
建国以来の最盛期を迎える現在のバハルス帝国において、最高権力者たるジルクニフの判断を疑う者はいない。
その鮮やかに過ぎる若きカリスマに魅せられ、忠誠を誓った日を思い起こせば自然と胸の内から熱くなるほどなのだ。
しかしながら、ただ皇帝の威光をもって命令に従わせるよりも、自発的に奮起させた方が人間は良く働いてくれる。
そうであればこそ、対王国戦線における最大の懸念事項であった戦士長の死を知り、真っ先に献策した通りに会議を運ぶことができたロウネは、そっと胸を撫で下ろす。
当初の予定通り、今年の初秋にはカッツェ平野での勝利に勢いをつけ、堅牢な城塞都市へと挑むことになるだろう。
そして、カーベインの述べた騎士団による攻城戦の訓練と並行して、もう一つの秘策も既に実行できるだけの目処が立っている。
(……やはり、陛下の計略は底知れない)
ジルクニフが極秘裏に進めていた作戦は、六代の皇帝に仕える帝国繁栄の最功労者にして、主席宮廷魔術師の“逸脱者”フールーダ・パラダインを中心とした高位魔法詠唱者部隊の編成であった。
エ・ランテルの誇る三重城壁が如何に強固であったとしても、上空からの魔法攻撃に有効な対策を講じることは不可能なはずだった。
また、直接の戦闘においては無力なロウネにも、求められる重大な役割がある。
叩き上げの老将が口にした“王国民の救済”は、対王国戦のスローガンとして大いに威力を発揮することになるだろう。
皇帝の偉大さを喧伝して味方の戦意を高揚させ、圧政からの解放を謳って相手の戦意を削ぐ――そのために宣戦布告の檄文が必要なのだ。
そうして、軍事とともに交易の要衝であるエ・ランテルを獲得できれば、以降の対王国戦の情勢は、完全に帝国勝利へと振れることになっていく。
(……さて、残る懸念は“コレ”をいつ渡すべきなのか、ということでしょうね)
エ・ランテル攻略に向けて活発的な議論を始めた臣下を見つめて、満足そうにしているジルクニフと懐中に忍ばせていた“一つの書状”を思い、ロウネは内心で溜め息を吐いた。
この会議が始まる直前に、伝手のある組織から届けられた飾り気のない書状だ。
まだ内容を確かめてはいないものの――、
(……陛下の嫌いな女ランキングが更新されることは、なさそうですね)
思わずと苦笑いをこぼしつつ、ロウネは静かに背筋を伸ばすのだった。
果たして、ジルクニフはふさふさルートを歩むことができるのでしょうか……。